(二人から)愛され体質のいいんちょさん ( No.1 ) |
- 日時: 2012/12/02 02:47
- 名前: 餅ぬ。
- 『放課後の教室。西日が差しこみオレンジ色に染まったその空間に、一組の男女が佇んでいた。
少女のほうは頬を赤く染め、何やら恥ずかしそうに俯きながら少年に話しかけていた。 少年のほうは彼女が頬を赤く染めていることに気づいているのかいないのか、優しげな微笑みを浮かべたまま、彼女をじっと見つめている』
「……。ハ、ハヤ太君、いきなり呼び出してごめんね」 「いいんですよ、瀬川さん。それより大事な話とは?」 「あ! その、あー……えっとぉ。その、そんなに大事な話じゃないんだけどね、あの、ね……」 「どうしたんですか? なんだか妙に落ち着かないみたいですけど……」 「えっ、あ、その! だからね、私はその、ハヤ太君のことが、んと、そのぉ……」
『……はっきりしない少女の態度に、少年はやきもきしていた。 彼だってお年頃の男子。こんな可愛い子に放課後の教室に呼び出され、わくわくドキドキムラムラしないわけがないのだ』
「えっ!? ちょっ、何そのナレーショ……」 「瀬川さん! はっきりしてください!」
『少年は叫んだ!』
「あなたらしくないですよ! 嫌いなものが嫌いで、好きなものが好き! そんなはっきりした思考を持っているのに、その一言がなぜ言えない!」
『少年が少女の肩をつかむ! 顔が近い、顔が近いぞ!!』
「さあ! 僕の後に続いて! 恥ずかしがらずに! 心の底から! りぴーとあふたーみー! いっせーので!
『「愛してる!!!」』
「……あーーー! もう! 二人とももうるさーい!! 美希ちゃん、ナレーションやるならちゃんと雰囲気作って! 理沙ちんも暴走しないで! やるならちゃんとハヤ太君やって! 第一ハヤ太君的な要素が何一つない理沙ちんを、ハヤ太君だと思えっていうほうが無理なの! せめてカツラ被るとか執事服着るとか優しく微笑むとか! 似せる努力をしてよ、理沙ちん!」
『少女が怒った……』
「美希ちゃん! もうナレーション終わり!」 「瀬川さん……怒らないで。笑顔の君が素敵だよ☆」 「理沙ちんも! ハヤ太君終わり! というかそんなセリフ言わないよ!」
泉の渾身のツッコミを受け、三人組の寸劇は終わりを告げた。
【曖昧me!】
なぜ三人組が放課後の教室に残り、妙な寸劇をやるに至ったのか。その原因は、皮肉にもこの寸劇の被害者とも言える泉の一言であった。
「……告白、ってどうやるのかなぁ」
それは純粋な疑問だった。 昨日見たドラマでは主人公が涼しい顔でヒロインにスラスラと愛の言葉を告げていたけれど、果たして現実ではそう上手くいくのか。絶対照れるし、噛むだろう。 美希と理沙はどう思う? と泉は問いたかった。要はドラマの話がしたかったのだが、いかんせん言葉が足りなかった。 間違いしか弾き出さない勘を働かせた美希と理沙には、こう聞こえたのだという。
「ハヤ太君に告白したいけど、やり方がわからないよぉ。お願い、教えて。美希ちゃん、理沙ちん」
可愛い親友にこんなにも頼まれては、一肌脱がずには居られませんなぁ! と、二人が変な気合いを出した結果がこの寸劇だった。 何故か自分の話したかったこととは全く違う方向へ進んでいく話に乗り切れず、泉は流されるがまま、告白の練習をする羽目になったのである。
そして怒涛のショートコントを経て、現在に至る。
「大体ね、なんで私がその……ハ、ハヤ太君に告白する設定になるの!」
頬を膨らませて怒る泉を見て、床に正座させられている二人は驚いたように顔を見合わせた。
「え? だって泉、ハヤ太君のこと好きだろ?」 「……んにゃ!? 理沙ちん! 何言ってるの!?」
しどろもどろと目を泳がせる泉を見て、美希も理沙もにやりと同じ顔で笑う。寸劇を終えても、二人の悪ふざけが果てることはない。 先の美希のナレーションの如く、頬を赤く染めて俯いた泉に向かって、美希が問いかける。
「じゃ、嫌いなのか」 「嫌いじゃないよ! ハヤ太君、面白いし、優しいし……。あと、強いでしょ、ちょっとカッコいいし、それに」
ハヤテの良いところを指折り数える泉の顔は、心なしか輝いていた。嬉しそうな照れくさそうなその表情は、まさに恋する乙女のそれと違いない。 そんな泉を見つめる二人は、ニヤニヤと笑いながらも心なしか満足げである。無自覚な恋をする美少女ほど可愛らしいものはないだろ、と後に理沙は語る。
「なんだ、大好きじゃないか」 「ち、違うもん! ほかの男の子より少し好きなだけだよ!」 「ほうほう、仄かな恋心ってやつですかな?」 「恋心なんてないもん! 理沙ちんのいじわる! ラブじゃなくてその、あっちのです!」 「likeか」 「そう! それ! 美希ちゃん頭いい!」 「それどういう意味だ?」 「馬鹿だな理沙」 「理沙ちんおばかー」 「なんだとー!」
口々に馬鹿だと罵倒され、我を忘れかけた理沙だったが、泉のどこかしら安心したような笑顔を見て自分のすべきことを思い出した。
「で、泉。話を戻すが。ハヤ太君、好きなんだろ?」 「うぅっ……せっかく話が逸れたと思ったのに……」
泉は困ったように眉をひそめ、苦笑いを浮かべた。 そして今までの調子とは少し違う、落ち着いた口調でこう言った。
「私って本当にハヤ太君のこと、好きなのかな」
先ほどまでとは打って変わった泉の雰囲気に、美希と理沙のニヤけ顔も影を潜めた。 そして美希が諭すような口調で泉に言う。
「まあ、私たちの目から見る分には、ね」
美希の言葉を聞いて、泉はまた苦笑する。にはは、と笑いながら照れくさそうに頭を掻いた。 そして理沙の意見も求めるように、視線を美希の隣に移した。そして理沙もいつもの不敵な笑みを軽く浮かべながらこう言った。
「美希と同じく。私たちの見る目は確かだぞ」 だよなー? と美希と理沙はお互いの顔を見合って、自信満々に微笑んだ。そんな二人を見て、泉は小さなため息をついた。
「美希ちゃんと理沙ちんがそこまで言うなら、そうなのかなぁ……」
よく分かんないや、と照れくさそうに微笑む泉。けれどその頬は確かにほんのりと赤く染まっていた。 分からないと言いながらも、少なからず自分がそういった目でハヤテを見ていることに気付いたのだろう。 「好きなのかなぁ……。えへへ、なんだか照れますなぁ」
恋心を意識しだしたせいか急にしおらしくなったなった泉を見て、美希も理沙も再びニヤニヤと笑い出した。 そして理沙が正座したままの体勢で踏ん反り返って、ふふん、と鼻を鳴らした。
「まあ、泉がハヤ太君のこと好きっていうなら仕方ない。ハヤ太君を譲ってやろうかな」
その発言に泉がぎょっと目を丸くする。そしてもしかしたら、と考えてチクリと心を痛めた。けれどそれは要らぬ心配というもので。 「生憎ハヤ太君は私にゾッコンなわけだが、まあ、ハヤ太君に言って聞かせてやろう!」 「そんなわけないだろ」 「それはないねぇ」
全否定は酷いだろ! と喚く理沙を無視して、美希は少し難しい顔をして泉に言った。
「まあ、理沙は全く心配ないとしてもだ。意外とハヤ太君の競争率は高いぞ? 天然ジゴロは伊達じゃないからな」
それを聞いても泉は笑顔を絶やさず、元気よく親指をグッと立ててみせた。
「だいじょーぶ! そんなとこも含めてハヤ太君だしね!」
その答えに安心したのか美希はホッと胸を撫で下ろした。同時に美希がハヤテを小憎たらしく思ったのは内緒である。 可愛い幼馴染の親友に恋心を植え付け、もう一人の憧れの親友にも愛情を抱かれている。羨ましいじゃあないか、と美希は心の中で呟いた。
「じゃ、泉。もう一回練習と行こうか!」 「ふえ? 練習って?」
美希が悶々としているうちに、誰にも相手にしてもらえず喚き飽きた理沙が行動を開始していた。 練習の意味がイマイチ分からず首をかしげる泉に、理沙が先ほどの泉のように親指を立てて元気よく言った。
「告白の練習だ!」 「えええっ! まだやるのー?」 「もちろん! さっきのあれじゃ、鈍感執事には伝わらんぞ! 曖昧なのは厳禁だ! ほら! あいつを思い出せ! あれだけの変態極まりない愛情表現ができる兄がいるんだから、泉にだって!」 「虎鉄君と比べないでよー! 私あんな変態じゃないよ!」
キャッキャと元気に騒ぎ出した二人を見ているうちに、落ち着いていた美希のボルテージも上がり、騒いでいる泉の肩を掴んで自分のほうに向けた。 そして出来るだけあの小憎たらしい執事の笑顔を思い浮かべながら、泉に優しく微笑みかけた。
「さあ! 泉、私をハヤ太君だと思うがいい! そして愛の言葉を告げるんだ!」 「む、無理だってば! 恥ずかしいよぉ! っていうか美希ちゃんそんな笑顔出来たんだ!?」 「ハヤ太君にできて私にできないことはない。さあ、言え! 愛していると!」 「ああっ! 美希ずるい!」 「うっさい! 陰湿なニヤけ顔しかできないやつは黙ってなさい!」 「酷っ!」
ギャーギャーと叫びあう美希と理沙を横目で見ながら、泉は何か覚悟を決めるようにふう、と深く息をついた。 そして美希を心の中でハヤテに変換しながら、大声で彼の名前を呼んだ。
「ハヤ太君!!」
その声に喚きあっていた美希と理沙も黙り込み、耳まで真っ赤に染めた泉をじっと見つめる。
「えっと、私ね! ハヤ太君が……!」
ほんの一瞬の躊躇いの後、泉はとうとうその言葉を口にした。
「ハヤ太君が好k」 「あ、瀬川さん! 何か呼びましたか?」
泉が言葉を言い終える直前、見計らったかのようなタイミングで教室のドアが開き、話題の人物がひょっこりと現れた。 一瞬のうちに静寂と化した教室内で、事情を知らないハヤテだけがニコニコと微笑んでいる。
「えっと、呼ばれたような気がしたんですけど……」
なんだか妙な雰囲気に包まれていることに気付いたのか、ハヤテの笑顔が少しだけ引き攣る。 そして自分を呼んだ張本人である泉に、事情を聴こうと歩み寄った。
「瀬川さん、今、呼びましたよね?」
少し困ったような笑顔で首をかしげるハヤテの向こうで、いつの間にか泉から離れていた美希と理沙が「言っちまえ!」とけしかけてくる。 あまりにも急すぎるタイミングで到来したチャンスに、泉は完全にパニックに陥っていた。 そして色々考えに考えすぎた挙句、こう言った。
「ま、まだはっきりしないので、後日……」
急に名前を呼ばれて駆けつけた挙句、何とも言えない雰囲気で迎えられ、呼んだ張本人からは何故か涙目で丁重に頭を下げられた。 そのうえ「このフラグクラッシャーが!」だの「察しろよ鈍感執事!」だのと罵られて、両サイドからクラスメイトにローキックを入れられた。 なんだったんだ、と呟きながら薄暗い道を心身ともに傷を負って歩く彼の姿に、幸あれと思わずにはいられない。
「……泉」 「……理沙、何にも言うな」 「……えっと……どんまい」 「うん……」 「……でもな、気持ちはわかるけど曖昧なのは良くないと思うぞ」 「うん……でも、なんか、うん。いいのかなって思っちゃって……。 やっぱまだよく分かんないや……」 「そっか……」 「うん……ごめんね、理沙ちん、美希ちゃん……」
泉の恋心は不幸にも想い人の手によって再び潜められたという。 泉の言う後日というのは、いつなのか。それは彼女の想いのように曖昧なのである。
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Re: 生徒会三人娘と愉快な仲間たちによる小話集。 ( No.2 ) |
- 日時: 2012/12/02 10:02
- 名前: きは
- 初めまして、餅ぬ。さん。きはと申します。
「原作で一回はやっていたっけ、この話?」と思わせるほど、話の展開がスムーズでした。 ハヤテの間の悪い登場は、原作そのものです。感心しました。 「アテネ編直前までしか知識がない」と謙遜されていますが、原作を相当読み込んでいなければここまでキャラクターを動かせないことだと思います。 特に、最後の部分において三点リーダを多用することで描写を省き、重たくなってしまう展開をサラッと流してしまう構成力。巧すぎます。
文章も非常にテンポが良かったです。読点の絶妙な位置が、話を進める上での潤滑油になっていたと思います。 特筆すべきは、以下の文章です。
>昨日見たドラマでは主人公が涼しい顔でヒロインにスラスラと愛の言葉を告げていたけれど、果たして現実ではそう上手くいくのか。
上で引用した文のように、読点までに約四十字あっても詰まることなく読ませる文章力。 助詞を使いこなせているからこそ、このような文章が書けるのでしょうか。 私も文章にこだわりを持っているクチなのですが、「恐れ入りました」と言わせて頂きたいです。
最後に、餅ぬ。さんの大昔について、一つだけ無礼を承知でお尋ねしたいのですが。 ――餅ぬ。さんは、過去に「コンビニ物語」や「さようなら。」を書かれていた方でしょうか? 文章の雰囲気が非常に似ていたのですよ。読点の使い方や描写の方法なども。 それも、インスパイアやオマージュという二番三番煎じではない、「あっ、本物だ」と思わせるような何かがこの作品にありました。
……余計な詮索をするなと仰れば、お詫び申し上げて上の部分は消します。 この作品に四年前と同じ感銘を受けたことは、私の中で残り続けますけれども。 また、投稿して頂けるのならば、喜んで読ませて頂きたいです。
長文失礼しました。
(12/4 追記)
ああ、やはりそうでしたか。 お恥ずかしい話、「ひなたのゆめ」にどっぷりハマってしまったのは、貴方様の作品を拝見したからです。 「これだけ繊細な文章を書ける人がいるのか」と胸を打たれたことを、まるで昨日のことのように思い出しています。 ですから、書き手になろうとした時に参考にしたのは、貴方の作品群でした。 「遺書。」レベルの描写に到達することが、私の夢でもあります。
――まさか、まさか、今こうして拝見できるとは……! そして、同じ書き手として同じ時を歩むことができるなんて、夢のような話です。 できることなら師と仰ぎたいのですが、迷惑がられるだけなので止めときます。
ちょっと、自分語りが過ぎたのかもしれません。ですが、四年来の感動を文字に起こすスペースだけは、どうかお許しください。
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Re: 生徒会三人娘と愉快な仲間たちによる小話集。 ( No.3 ) |
- 日時: 2012/12/04 18:05
- 名前: 餅ぬ。
- >>きはさん
初めまして。感想ありがとうございます!
>「原作で一回はやっていたっけ、この話?」と思わせるほど、話の展開がスムーズでした。
数年ぶりにハヤテSSを書いたのでキャラが掴めているか心配だったのですが、きはさんのお言葉のおかげで少し自信を取り戻せました。ありがとうございます! 三人娘を軸にすると、とにかく喋らせておけば話が進むので楽なのです。あほの子たちは動かしやすい!
それなりに文章には気を付けているのですが、ここまでお褒めの言葉を頂けるとは……なんだか嬉しいを通り越して恐れ多いです。 一応『口に出して気持ちいい文章』というのを心がけているのですが、文法や読点なんかはかなり適当なので……;
>――餅ぬ。さんは、過去に「コンビニ物語」や「さようなら。」を書かれていた方でしょうか? まさか私を知っている方がいらっしゃったとは! 嬉しいやら恥ずかしいやら……。 もう知っている方や覚えている方はいないだろうなと思い、気分でHNを変更しただけなので消さなくても大丈夫ですよ。 もう四年前になると思うと感慨深いですね……。そんな昔から読んでいただいて、本当に感謝感激です。 最近は全然文章に触れていなかったので、レベルは落ちているかもしれませんが、今後ともお付き合いいただけると嬉しいです!
それでは、感想ありがとうございました!
(12/7 追記返信)
そんなことを言って頂ける日が来るとは、夢にも思っていませんでした……! 今、本当に文章を書いていてよかったと、心の底から感激しております。 しかし、前述したとおり長い間書き手から遠ざかっていた為、遺書。レベルまで戻れるかどうか怪しいところでもあります;; 「遺書。」に関しては、自分の限界を超えてそれをきっかけに書かなくなってしまったという苦い思い出がありますので……。
けれど、貴方のお言葉を励みに、少しでも感覚を取り戻せるよう、むしろレベルアップできるように頑張っていこうと思います! まだまだ精進しなければならない身の上でありますが、今後とも何卒よろしくお願いいたします!
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お兄ちゃん事件 ( No.4 ) |
- 日時: 2012/12/04 18:07
- 名前: 餅ぬ。
- (前編)
お昼休みのチャイムが鳴った。今日の授業はよく寝れたと満足しながら、私はうーんと背伸びをした。そしてはしたないが大きな欠伸を一つ。 そしてだいぶ体も目覚めて楽になった時、生理的な涙で滲んだ視界の先にはいつものように笑顔の泉の姿があった。クスクスと笑っているその姿から、私の欠伸を見ていたことが分かる。
「見てたな、泉」 「だって、ちょうどこっち来た時に欠伸してるんだもん。いやいや、立派なものでした」 「お粗末さまで。見物料払ってくれ」 「えー」
美希ちゃんのケチー、と文句を垂れて笑いながら、泉は私の机の上に弁当を置いた。新しいお弁当袋の水玉模様がなんとも可愛らしいこと。
「袋、泉っぽくて可愛いな」 「えへへ、可愛いでしょ。虎鉄君が選んでくれたんだよ」
そう言って嬉しそうに微笑む泉。救いようのない変態とはいえ、さすが泉の執事兼双子の兄であるだけあって、彼女の趣味をよく理解しているらしい。 あの変態性を除けば意外と良い兄に分類されるんじゃないかと、本当に時々思うことがある。
「……ねえねえ、美希ちゃん。なんか、理沙ちんが……」
私が虎鉄の意外な兄っぷりに驚いていると、泉の震える声が耳に入った。顔を上げると、泉は何とも言えない顔で私の後方……場所的に理沙の席を指差していた。 また理沙が変なことをしているのかと思い、小さくため息をつきながら振り向く。けれどそこには、思いがけない光景が広がっていた。
「……理沙が、落ち込んでいる……!」
誰よりも昼休みを愛し、誰よりも弁当を美味しそうに食べるあの理沙が、弁当箱を机の上に置き、頭を抱えてうなだれている。 よく見るとなんだか妙に弁当箱が大きい。なんだあれ、重箱か?
「理沙ちん! どうしたの!?」
理沙の異常事態に居ても立ってもいられなくなった泉が、うなだれたまま動かない彼女の元へ駆け寄った。私も自分と泉の弁当をちゃっかり持ってから理沙の元へ小走った。
「どうした、理沙! 何があった!」
声をかけるが、理沙は大きな弁当場を虚ろな瞳で見つめるばかり。
「……やばい」
ポツリと、らしくもない小さな声で理沙が呟いた。尋常じゃないその様子に、私と泉は理沙の肩を揺すって彼女の覚醒を促した。 それが功を制したのか、それとも何かを伝えなくてはと思ったのか。理沙は絞り出すような声でこう言った。
「今日の弁当がやばい」
その言葉を聞いて、私と泉は顔を見合わせた。見たところ、ただ大きいだけで格別変なところは見当たらない。
「やばいって、何が? 変なとこは別にないよ?」
泉がそう言うと、理沙は無言で弁当を包んでいた風呂敷を広げた。 その瞬間、弁当からするはずのない香りが我々の鼻を刺激した。 恋する乙女を連想させるような、ふわりとした甘酸っぱい香りはまさに――。
「「ショートケーキ……?」」
私たちの導き出した答えを聞いて、理沙は目を伏せて俯いた。 ああ、やっぱりそうなのか。
【苺の呪い】
理沙の弁当がショートケーキだった。 それは確かにとんでもない衝撃だったが、あんなにも落ち込むようなことだろうか。甘いもの好きの女子であれば、むしろ喜びそうなものである。 泉も私と同じようなことを思ったようで、暫し目を丸くして驚いた後、理沙を慰めるように笑いながら言った。 「確かにお弁当がケーキなのはびっくりだけど、私はちょっと羨ましいなぁ。学校って頭使うから甘いもの食べたくなるし……」
泉の言葉を聞いた理沙が何やら希望を見出したようで、ぱっと顔を上げた。目をキラキラと輝かせ、縋るように泉の手を掴んだ。
「じゃあ、泉。弁当交換してくれ」 「うん、やだ」
笑顔で理沙の頼みを一蹴した泉に、一抹の恐怖を覚えた。しかしよく考えれば当然の答えである。ケーキはおやつであって、弁当ではない。 再びうな垂れた理沙を無視し、私と泉はケーキの入っているらしい巨大な弁当箱へと群がった。ふわふわと鼻をくすぐるクリームと苺の香りが心地よい。 この大きさからすると、多分ワンホール丸々入っているのだろう。
「お弁当はあげられないけど、食べるのお手伝いはしてあげるからね! だから元気出して! 理沙ちん!」 「私も手伝いならしてあげよう。見た感じワンホールはあるみたいだし、一人じゃ食べきれないだろ?」
理沙には悪いが、思わぬデザートを手に入れたことにより我々は浮かれていた。しかし、次に理沙が放った言葉によって、私たちの浮かれた心は地に落ちた。
「……これな、兄が作ったんだよ」
理沙の兄。あまり会ったことはないが、話だけなら聞いている。理沙に負けず劣らずの変人であるらしい。 そして何より理沙が語る兄列伝の中で最も恐ろしいとされているのが、兄の創作料理である。 理沙曰く、下手なわけではないらしい。普通に作れば普通に美味いらしいのだが、何故だか妙なアレンジをしたがるらしい。 そのアレンジセンスは壊滅的で、一般的な肉じゃがを作り終えた後、たった数分間の兄アレンジによって爆発物へと進化するのは珍しいことではないらしい。 そんな素敵に危険な兄料理が、今まさに私たちの目の前にあるわけで。
「……まじか!」
私は思わず叫んだ。だって爆発とかするんだぞ。危険物じゃないか、テロ行為じゃないか!
「なんで持って来たの! 理沙ちん!」
危機感を感じているのは私だけではないようで、泉も青ざめた顔で理沙と危険物(弁当箱)を見つめる。 私たちの反応に理沙は再びへこんだようで、私は悪くないんだ……と小声で繰り返した。そして、ぽつりぽつりと涙声で真相を語りだした。
「昨日な、兄が何を思い立ったのか、料理を作り始めたんだ。爆発とかされても困るから、変なアレンジはするなよって、家族中で口うるさく注意したんだ。 でもそれが兄の闘争心に火をつけたみたいでな……。爆発音とかはしなかったが、なんかお経というか呪文みたいな言葉が台所から漏れてきてな……。 うちってさ、神社だろ? だから兄も呪いの呪文とか結構知ってるみたいでさ……」 「お前……止めろよ……」 「止めようとしたけどさ、お祖父ちゃんが言うにはあの呪文は呪いの類のやつじゃないから大丈夫だろうって。でもさあ、その時に気付くべきだったんだよなぁ」
理沙が遠い目をしたので、なんとなく嫌な予感はした。そしてその嫌な予感はすぐに的中した。
「まさか……」 「ああ。その呪文もアレンジされてた」
ああ……と、たまらず私も泉もため息を漏らす。
「兄曰く、おいしくなーれ☆的なお呪いをアレンジして唱えてたつもりらしいが、もう完全に呪詛だよな。 そんな呪いを一身に受けて出来上がったのがこれです」
そう言って理沙は机の上に鎮座するケーキを指差した。最初はその甘酸っぱい香りが何とも愛おしかったが、今となっては禍々しさ以外何も感じない。
「呪いのショートケーキか……」
そう呟くと、理沙は何故かふるふると首を振った。 「え? ショートケーキじゃないの?」 「タルトとか? もしかして苺プリン?」
この匂い的に考えて、生クリームと苺は確実に使ってあるはずである。けれど理沙はどの答えを聞いても首を振るばかり。 そして理沙の口から語られたこの甘酸っぱい香りの正体に、私たちは絶句した。
「兄は餃子とカレーうどんを作ったらしい」
もう突然変異とかのレベルではなかった。
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呪いじゃなくて愛情なんだよ ( No.5 ) |
- 日時: 2012/12/04 18:09
- 名前: 餅ぬ。
- (後編)
想像以上の呪いの効果に、私は我を忘れて悲鳴を上げた。
「ウソだろ!? それはさすがにウソだろ!?」 「餃子に苺つめちゃったの!? カレーの代わりに生クリーム使ったの!? どんなアレンジしちゃったの!?」 「恐ろしいことに材料はカレーとか餃子のそれなんだよ……。でも出来上がったのは、なんとコレです」
そう言って理沙はその呪いの封印を解いた。 厳かに開かれたお弁当箱の中には、苺餃子でもなく生クリームカレーうどんでもなく。
「普通のショートケーキです」 「なんで!?」 「カレーは!? 餃子はどこいったの!?」
驚きと衝撃と恐怖に慄く私たち。だがそれも仕方のないことである。 例えばクリームがカレー色だったり、苺が見るからに餃子だったりしたのなら、ただその気持ち悪さに叫び声をあげるだけで済んだだろう。 けれど目の前にあるのは、それはそれは美味しそうな可愛らしいショートケーキなのである。 苺とか! どう見ても苺じゃないか!
「……これどう見ても生の苺だよな?」 「苺、使ってないらしい」 「じゃ、これ何?」 「……呪いの賜物……かな」
呪いってすごいな。いや、これは理沙の兄がすごいというべきなのだろうか。
「……理沙ちん、食べるの? これ」 「食べたくない」 「うん、そりゃそうだよな。こんな得体の知れない物体……。捨てるか?」
そうだ、捨ててしまえばいいんじゃないか。 食べ物を粗末にするな! などと説教されるかもしれないが、カレーうどんと餃子がこうなってしまった時点で粗末になっているのだ。捨てられても仕方ない存在なのである。 説教なら、理沙の兄にすべきなのだ。 けれど、私の案に理沙が賛成する様子はない。苦々しい顔をしながら、重い溜息を吐くばかりであった。
「まさか勿体ないとでも思ってるのか?」 「そうだよ、理沙ちん。確かに食べ物を粗末にするのはダメだけど、命には代えられないよ!」 「……捨てられるもんなら捨てたいさ。でもな。これ、呪いかかってるんだぞ」
理沙が何を言いたいのか、イマイチ分からなかった。 首をかしげる私たちを見て、理沙は真っ青な顔でこう言った。
「これ、昨日の時点でぐちゃぐちゃにして捨てたはずなんだよ」 「……はい?」 「出来上がったこれ見て、さすがにみんなビビッて兄に了解を得て捨てたんだよ。実際作った兄本人も「やばいもの出来ちゃった」って言ってたし。 でもな、朝は確かにいつもの弁当を鞄に詰め込んで来たはずなのにさ、お昼休みになってみたらなんかすり替わってた」
泉が泣きそうな顔をしている。現に私も涙目である。有名な呪いのフランス人形を髣髴とさせる怪談話が、今まさにリアルタイムで繰り広げられているのだ。
「多分、捨てても追ってくると思う」 「……怖っ!! もう私ケーキ食べられないよ!」 「祟りだ! もう祟りだそれ! 伊澄さんを呼べぇぇぇ!!」
呪いのショートケーキ(みたいなもの)を目の前に、私たちはただ叫ぶことしかできなかった。もし今ここでこれを叩き潰しても、きっと明日には理沙の元へ戻ってくるだろう。 もしかしたら潰したことによって私にも祟りが降り注ぎ、明日の朝、枕元にショートケーキが鎮座ましましているのではないかと思うと……! 今日は寝れないかもしれない。
「……食べるのが、一番の供養とか?」
黙り込んでいた泉が、急にとんでもないことを言い出した。
「……え? 泉さん?」 「材料はカレーと餃子なんでしょ? だったら食べれないことは……」 「気でも触れたか、泉! この瑞々しい苺を見てみろ! これが餃子に見えるか!?」 「でもでも! 食べないと、理沙ちんは呪われたままでしょ!? だったら食べるしかないよ!」 「泉……、そこまで私のことを……」 「だから頑張って! 理沙ちん! ファイト!」 「う、裏切者! 私の感動を返せ!」
これも祟りか。ここにきて理沙と泉が仲間割れを始めた。泉の純粋な残酷さは、時折私や理沙の腹黒さを凌駕するときがある。
「大丈夫だって! ほら、苺おいしそう! これが餃子なわけがないよ! 餃子だったとしても、味は餃子だから大丈夫! いざとなったら伊澄ちゃんもいるし!」 「呪われるの前提じゃないか! そこまで言うなら泉が食え! ほら、クリームとかもしかしたらホワイトカレーかもしれないぞ! 美味しいぞ〜」 「あ、ゴメン。私、カレーは辛口派だから……。あ! そういえば美希ちゃん、甘口派だったよね?」
出来るだけ影を薄くしていたのに、案の定巻き込まれた。我関せずを貫こうと思ったが、呪いの恐怖に怯え、相手を犠牲にしようとする彼女たちから逃れる手段はなかったのだ。 じゃあ私も死ぬ物狂いで抵抗しようじゃあないか!
「断る! もし辛かったらどうするんだ! ここはやっぱり中辛派の理沙が食べるべきじゃないのか?」 「いやだ! 食べん!」 「我が侭言うなよ! 理沙のお兄さんが作ってくれたんだろ! 自分で処理しろ!」 「まだ高校生だもん! 死んでたまるか!」 「大丈夫だって! 死なないって! いざとなったら私と美希ちゃんが、救急車でも伊澄ちゃんでも呼んできてあげるから!」 「いーやーだー!! 絶対死ぬ! 祟られる!!」
まさに阿鼻叫喚の地獄絵図である。しかしここで折れれば自分が死ぬ。誰が敵ともわからぬこの場で、信じられるのは己のみなのだ! けれども、このままじゃ埒が明かない。どうにかして、この呪われた物体を処理しなくては。処理しなくては、いつまでも私たちに安寧の明日は訪れないだろう。
しかし、救世主は突如として現れた。
「お、あなたたち美味しそうなもの持ってるじゃない。先生にもちょっと分けてよ」
飢えた雪路である。 給料日前の彼女は常に金欠で、私たちに食べ物を集ってくることも珍しくない。いつもはちょっと鬱陶しく思っていた雪路のその行為が、今となっては涙が出るほど嬉しい。 仲の良い担任を犠牲にするなんて……という良心は、すでに無くなっていた。
「いいよ! 好きなだけ持ってって、桂ちゃん!」
泉がにこやかに言う。泣き腫らした泉の目を見て、雪路は一瞬不思議そうな顔をしたが、食欲には勝てないようでそこにつっこむことはなかった。
「瀬川さん太っ腹ねー。いい子に育って先生嬉しいわ。で、どれだけ貰ってもいいの?」 「そりゃもう好きなだけ! 雪路にはいつも世話になってるしな!」
理沙がにこやかに言う。滅多に見せない理沙の良い笑顔に、雪路は訝しげに眉を潜めた。私は理沙を睨みつけた。
「なんか、怪しいわね。朝風さんがそんなこと言うなんて……。なんか企んでるの?」
理沙の視線が泳ぎ、私に助けを求める。ここは下手にいい子ぶるよりも、いつもの調子で言った方がいいのだろう。
「……別に何にも企んでないぞ? ただ全部ケーキあげるから、ちょーっとだけ成績おまけしてくれないかなー……なんて」
私がそう言うと、雪路はにやりと笑って、そういうことかと呟いた。馬鹿め、引っかかったな。 雪路はなんだか偉そうに胸を張り、嬉しそうにケーキの入った弁当箱を抱えた。
「まあ、美味しかったら考えてやらなくもないわね」
……今回の世界史の成績は最悪だろうな、と多分三人ともが思った。しかし世界史の成績なんかよりも、私たちは今後の輝かしい人生をとる。 苦笑いを浮かべる私たちをニヤニヤと見下ろした後、ケーキに目をやった雪路は少し首をかしげてこう言った。
「んー、でも一人でワンホールはちょっとキツイわね」
その反応に嫌な予感がし、『雪路ならイケる!』コールの準備をしたが時すでに遅し。雪路は私たちにこう言い放った。
「まあ、半分だけでいいや。もう半分はあなたたちで食べなさい」 「あっ!? いやいやいや、でもね、雪路さん……」 「心配しないでよー。ちゃんと美味しかったら成績の件は考えてやらなくもないからさぁ」 「いや、でも……」 「気にしない気にしない。雪路さんは意外と優しいのよ。そんじゃ、半分貰ってくわね。ありがとー」
そう言って、雪路はさっさとケーキを半分に切り分けて、弁当箱ごと持って行ってしまった。 帰り際に苺(のようなもの)を一つ摘み食いしたようで、廊下から「甘酸っぱーい」という満足げな雪路の声がかすかに聞こえてきた。
「甘酸っぱいんだ、これ……」
泉の呟きを最後に、私たちは黙り込んだ。雪路の冥福を祈らずにはいられない。
弁当箱の蓋の上に置かれた半分になったケーキを見て、私たちは再び頭を抱えた。 もう救世主はいない。やっぱり私たちで処分するしかないのか。そう覚悟したその時だった。
「あれ? 学校でケーキなんて珍しいですね」
「ハヤ太君(救世主その二)……」
神様はまだ私たちを見捨ててはいなかった。 彼なら大丈夫! 雪路以上に丈夫だし! ガンダムが呪いに屈するわけがない!
「ハーヤ太君。これ、食べてくれないか?」 「え? まだ半分近く残ってますけど……」 「いいんだよ、私たちもうお腹いっぱいでさ」 「そうそう、やっぱり体重とかも気になっちゃうしねぇ」 「だからハヤ太君、残り、食べてくれないか?」
三人の女の子にニコニコと微笑まれ、食べて食べてとせがまれたとあっては、ハヤ太君みたいな優しい男は断れるわけがない。 理沙がどこからともなくタッパーを取り出し、残りのケーキを押し込み、ハヤ太君に手渡す。案の定、ハヤ太君は困ったような顔をしつつも受け取った。
「えっと……本当にいいんでしょうか……?」 「いいよー。ハヤ太君にはいつもお世話になってるもん。日誌とかも手伝ってもらってるし……。そのお礼だよ」
泉が少し照れくさそうにそう言うと、ハヤ太君はニコリと笑った。勝った、と思った。
「じゃあ、遠慮なく頂きますね。お嬢様やマリアさんたちと一緒に食べ……」 「「「それはダメ(だ)!!」」」
思わず叫んだ。このケーキは、普通の人間が食べて無事でいられるような代物ではないのだ。 驚いているハヤ太君をじっと見据えながら、私はさも冷静を装って彼に語りかける。
「ハヤ太君は本当に乙女心が分からないなぁ。他の女子に貰ったケーキを一緒に食べようなんて言われて、ナギちゃんがいい気するわけないだろ。 これはハヤ太君一人で食べてくれ。くれぐれもナギちゃんやマリアさんにはバレないようにな」
私の剣幕に押されたハヤ太君が、はあ、と気のない返事を返す。もうひと押ししておくか。
「いいな、一人で食べてくれよ。私たちだって、ナギちゃんに嫌われたくないんだから」
そう言うと、ハヤ太君は困ったように笑いながらも「はい」としっかりと返事をした。うん、これなら大丈夫だろう。犠牲者は増えない。
「じゃあ、貰っていきますね。ありがとうございます」
ケーキの入ったタッパーを持って、ハヤ太君は去って行った。
「……ごめんね、ハヤ太君」
泉がそう呟いて、うなだれた。私と理沙はそんな泉の肩を叩きながら、彼女を無言で慰めた。 ハヤ太君。君の死は、無駄にはしないよ。 彼の背中を見送りながら、心の中で合掌した。
――後日談。
この二人の救世主様のおかげて、私たちはショートケーキの呪いから逃れることができた。ああ、生きているって素晴らしい。
ちなみに案の定二人は次の日学校を休んだ。 雪路は一週間近くも学校を休み、来たと思ったら妙に目が虚ろだった。なんでも、夜中に無数の苺の亡霊が餃子にまたがって、雪路の周りを行脚するのだそうだ。 ケーキは美味しかったそうで、約束通り世界史の成績は少しだけ上げてもらった。何故スポンジにジャガイモが入っていたのか聞かれたが、答えられなかった。 ハヤ太君は一日休んだだけで学校に戻ってきた。さすが三千院家のガンダム。 しかし、伊澄さんにお祓いのようなことをされたらしく、あのケーキはなんだったのかとしつこく聞かれた。上手くはぐらかしたが。 けれど、理沙は後日伊澄さんに……否、鷺ノ宮家にお呼び出しを食らって、何やら物凄く説教されたらしい。滅多にへこまない彼女が、珍しくその日一日しおらしかった。
色々あったけど、何はともあれ、私たちは元気です。 でもしばらく苺は食べられそうにありません。
今でも時折、どこからともなく香ってくるのです。 甘酸っぱいあの匂いが――。
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煙草を吸う理沙と美希が書きたかっただけの話 ( No.6 ) |
- 日時: 2012/12/06 00:07
- 名前: 餅ぬ。
「鏡の世界って、どんなんだ?」
かつて彼女は鏡の中へ入ったことがあるそうだ。 彼女が言うに大体卒業式を一か月後に控えた頃のことらしい。 記憶を手繰れば、そういえばその辺りから彼女がおかしくなった気がする。 まあ、気がするだけで気のせいなのかもしれないが。
「やっぱりあれか。男が女だったり、天才が馬鹿だったり、上下左右が反転してたりするのか」
私がそう問いかけると、彼女は煙草を吸いながらふるふると首を振った。 煙草を咥えながら首を動かしたものだから、彼女の太ももの上に煙草の赤い灰がポロリと落ちた。 彼女は基本的にTシャツと下着だけで過ごしているので、布に守られていない彼女の白い太ももにはくっきりと煙草の灰の跡が残った。 さすがに少し痛かったのか顔をしかめて灰を払っている。
「なんにも。ここと同じだった」
一瞬なんのことかわからなかったが、暫く考えて先の質問の答えであると気が付いた。 彼女は続ける。
「鏡の中でも私は女だったし、頭も悪かった。利き手も利き目も同じだったし、お前とも泉とも仲が良かった。好きな人も同じだったよ」
そう言って彼女は煙草を灰皿に押し付けた。吸い殻の山がどさりと崩れる。 煙草を消した彼女は私を見ながら無言で手招きをした。
「美希、こっちきて」
私は言われるがまま彼女の隣に座った。 ソファ代わりの万年床は彼女の体温で妙に生暖かかった。
「一本貰うぞ」 「ん」
彼女の足元にある煙草の箱に手を伸ばす。残り三本。彼女にもう無くなるぞと伝えるべきだろうか。 伝えるべきなのだろうが面倒くさいので、私は気づかないふりをして彼女の煙草を吹かし始めた。 煙草は不味い。けれど、彼女の匂いがするので嫌いではない。
「そういえばさ」 「ん?」 「高校の同窓会、あるらしい」 「行くのか」 「私はね。理沙はどうする?」 「行かない」
即答だった。 彼女は高校を卒業してから人とあまり会おうとしない。
卒業後すぐに携帯を解約して、貯金を全額下して家を出た。家族にも友人にも私たちにも一言の連絡も無しで、彼女は失踪したのだ。 けれど失踪して半年後、私の携帯に彼女から着信があった。近くの電話ボックスに居るというので、私は彼女に会いに行った。 ちなみに後々知ったのだが、私の携帯に電話してきたのは偶然覚えていたかららしい。運命も減ったくれもない理由である。 再開の後、何故失踪したのか、何故何も言わなかったのか、当時の私は彼女を散々問い質した。 彼女は何も答えてくれなかった。 彼女が変わってしまったのだと理解できたのは、浴びるように煙草を呑む姿を見た時だった。 その時私は泉に彼女を見つけたという報告をするのをやめた。今の彼女と泉は余りにも釣り合わない。 勝手な判断かもしれないが、泉にとっても彼女にとっても会わないほうがいいのだ。絶対に。
昔話に思いを馳せていると、彼女が急にあ、と声を上げた。
「そういえばさ」 「何?」 「鏡の世界、一つだけ違うとこあったんだ」 「へえ、どんなだ?」
私が問いかけると、彼女は私の手を両手でぎゅうと包み込んだ。 その掌のなんて冷たいこと。
「暖かさが違う」
私の手をぎゅうぎゅうと握って彼女は言う。伸びた爪が手の甲に食い込んでジワジワと痛む。 爪の先まで冷たい。彼女は生きているのだろうか。
「美希、冷え症だっただろ」 「ああ」
痛くて顔をしかめると、彼女は手を緩めてくれた。少しだけ微笑んでごめんな、と言った。 昔はそんな笑い方、しなかったのにね。
「でもな、あっちの美希は暖かいんだ」 「へえ。じゃあ、お前も」
私がそう言うと、彼女はまたにこりと笑った。 屈託のないその笑みには、微塵の不敵さも感じられない。
「ああ、私は子供体温で、冬はよく美希にカイロ代わりにされてただろ。 でもあっちでは私が美希をカイロ代わりにしてたんだ」
冷たい掌が私の手の甲を撫でている。 冷たい手と冷たい手が重なったところで、暖など取れないというのにね。
「なあ、美希」 「ん?」 「暖かいな」
私の手は冷たい。彼女の手も冷たい。暖かさは、どこにもない。
「お前の手は冷たいよ」 「美希の手は暖かいよ」
じゃあ、私の手が冷たくなったときは、二人で泉に会いに行こうか。
「早く帰っておいで」
いつものようにそう囁いて、私は煙草の火を消した。
――朝風理沙は、まだ鏡の世界にいる。
【鏡の世界より】
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報われない百合っこが愛おしい ( No.7 ) |
- 日時: 2012/12/07 23:52
- 名前: 餅ぬ。
- 真っ白な世界に美希は居た。上下左右、見渡す全てが純白で、その眩しさに目が眩んだ。
床も天井もないから、自分が今立っているのか浮いているのかさえ分からなかった。けれど純白に包まれたこの空間は、フワリフワリと心地よい。 呆然と立ち尽くしていると、目の前にぽつんと桃色の点が浮かんできた。その桃色は少しずつ大きくなって、いつの間にか一人の少女になった。
――ヒナ。
目の前のヒナギクに声をかけるが、自分の声が聞こえない。それでもヒナギクには聞こえているようで、微笑みながら、美希の手を優しく握った。 暖かな手だった。その掌の優しさに誘われるかのように、美希はヒナギクの両手を取り、自分の頬に触れさせた。ヒナギクは嫌がる様子もなく、美希に従った。 ヒナギクの暖かくて華奢な指が、美希の頬を這う。仔猫を愛でるように、優しく優しく何度も美希の頬を撫でた。その微笑みは、純白のこの世界で一際輝いて見えた。
――美希。
ヒナギクが美希の名前を呼んだ。鈴の鳴るような心地よい声に、美希はうっとりと目を細めた。
――美希、私ね。
何か言いたげに口ごもるヒナギクを見て、美希は首を小さく傾げて見せた。そしてヒナギクは美希の頬から手を放し、そっと美希の耳元に口を寄せた。 美希の心臓が大きく跳ねたが、あくまで冷静を装う。そんな美希の気も知らないで、ヒナギクは耳元で何やらコソコソと話し始めた。しかし、声が小さすぎて聞き取れない。 けれど一言だけ確かに聞き取れた。それは、美希にとってあまりにも甘い言葉で。
――好きなの、
そのあとに何か言葉が続いたが、聞き取れない。少しずつ美希の意識がフェードアウトしていく。ヒナギクの声も、どんどん小さくなっていく。 やがて声は聞こえなくなった。無音の世界で、美希は鼻をくすぐる彼女の香りと肩に寄り掛かる温もりだけを感じながら、ゆっくりと目を閉じた。
【泡沫の夢を見た】
その日の朝、美希はご機嫌だった。少々不思議ではあったが、あんなに甘い素敵な夢を見て顔が綻ばないわけがない。 上機嫌のまま教室に入る。機嫌に任せて早めに登校したせいか、まだ泉と理沙の姿はなかった。話し相手がいないのは少々寂しいが、夢の余韻に浸るにはもってこいの状況である。 美希は席に着くなり、頬杖をついて目を閉じた。夢から覚めてすでに二時間近くが経過していたが、ヒナギクの手の温もりは鮮明に蘇ってくる。 ふいに目覚める直前に聞いたあの言葉を思い出して、頬が熱くなった。思わずにやけそうになる口元を押さえつけ、美希は机に突っ伏した。 あり得ないことだとは分かっている。それでも嬉しくなってしまうのは、美希が彼女に仄かな愛情を抱いてる何よりの証拠だった。
「ま、あり得ないんだけどな」
変に希望を見出しかけていた自分を窘めるように呟く。 ヒナギクにはもう好きな人がいるのだ。クラスメイトの、自分もよく知るあの執事。
「羨ましいぞ、ハヤ太君」
突っ伏したまま、憎らしげにぽつりと小言を零した。勿論それは羨ましさにも似た嫉妬であり、ハヤテ自身を憎んでいたり妬んでいるというわけではない。 何しろハヤテおかげで、今まで見たこともなかったヒナギクの表情や行動を見ることができるのだ。動画研究部的に感謝こそすれど、恨む筋合いはない。 けれど、只々羨ましかった。
ぼんやりとしているうちに、徐々に教室内に人が増えてきた。しかし、いつも遅刻直前に登校してくる泉と理沙の姿は当然の如く無い。 早く来い、といつもの自分を棚に上げ、心の中で二人を叱咤する。夢の余韻も冷めてきて、美希は少しずつ暇を持て余してきているようだった。 余りにも暇なので額を机に押し付けて、ひんやりとした感触を楽しむことにした。妄想しすぎて煮え立った頭を冷やすには、ちょうどいい温度である。 机の冷たさに身を委ねて、ぐったりしていると、美希の後ろで話していた男子たちが急に大声を上げた。
「え!? それってマジかよ!」 「マジだって。部活の先輩が帰りに見たって言ってたんだよ」 「うわー、それ、かなりショックなんだけど……」
ワイワイと騒ぎ出した男子たちの会話が気になった。暇つぶしにはなるだろうと、美希はこっそり男子たちの話に聞き耳を立てた。 しかし、それが間違いだった。
「な、俺もショックだったわ。まさか生徒会会長がなぁ……」 「だよな。会長の告白シーンに出くわすとか、先輩もかなりダメージ食らってた」
胃の奥で何かがひやりと凍りついた気がした。耳を塞ごうにも、気になってしまった会話はさらに鮮明になって、美希の耳に入り込んでくる。
「で、相手は誰だったんだよ? その羨ましいやつは」 「そうなんだよ! 相手が本当に意外でさ!」
相手の想像は容易に出来た。今までもその想像は何度もしてきた。覚悟もしてきたつもりなのに、急に訪れたその展開に美希の心臓は悲鳴を上げる。 そんな美希の気など知るはずもない男子たちは、相手の名前を口にした。
「会長の告白した相手、綾崎らしいぜ」 「うそ!? このクラスのか?」 「ああ、綾崎ハヤテだってさ。マジ羨ましいよなぁ、綾崎」
――ヒナギクがハヤテに告白した。
その事実を突き付けられた美希は、机から顔を上げることができなかった。目頭が熱くてたまらない。胃の底が氷のように冷たい。 どうせ知るなら、こんな形で知りたくなかった。泉や理沙から、できることなら、ヒナギク本人の口からその事実を告げられたかった。 知らず知らずのうちに唇を噛みしめていた。鉄の味がじわりと口内に広がったが、不思議と痛みはない。
「で、綾崎はなんて返事してたんだよ。まさか断ったなんてことないよな?」 「そりゃ断らないだろ。帰り道、手、繋いでたってさ」 「あああ! マジかよ! 羨ましすぎるだろ、綾崎!!」
ヒナギクは、ハヤテと無事に結ばれたらしい。
「……良かったな、ヒナ」
絞り出すような美希の声は、教室の喧騒に飲まれて消えた。 唇がじわりじわりと熱を持ち始めた。唇の熱が増すごとに、涙で視界が滲んでいく。大好きなヒナギクが幸せになれて嬉しいはずなのに、何故か涙が止まらない。 悲しいのか、悔しいのか、妬ましいのか。感情が入り乱れて、どれが本心なのか分からない。けれど、その感情はどれも重々しくて、喜びとは程遠いものであることだけは分かった。
――笑顔でいられると思ったんだけどな。
もしも目の前に喜びと幸せの満ち溢れたヒナギクの姿があったのなら。その時はきっと微笑んで「おめでとう」と心の底から祝えたはずなのに。 思い描いていた状況とは違えど、大好きな人の幸せに対して、汚い感情しか湧いてこない自分の心に腹が立った。けれど、それを発散する術はない。 やりようのない重たい心を抱えたまま、美希は静かに目を閉じた。眠れば、夢の中であれば、この汚い自分から逃げられる。
そう思った、のに。
* * * * *
真っ白な空間にいた。右も左も上も下も分からないこの空間で、美希は柔らかな香りと温もりに包まれていた。 目を開ければ、サラリと揺れる桃色の髪が目に入る。ヒナギクにぎゅうと抱きしめられているこの状況に、朝の夢の続きだということは、漠然と理解できた。 せめてこの空間だけはと、美希もヒナギクを強く抱きしめた。柔らかい。暖かい。けれど、何故か体の奥が寒い。 そして朝の夢のように、ヒナギクが美希の耳元へと口を寄せる。そして、はっきりとこう言った。
――好きなの、ハヤテ君のこと。
今までに聞いたこともないような、穏やかな口調だった。心から愛おしむ、たった一人の人間だけに向けられる信愛の言葉。 けれど、夢の中でさえ、その言葉を向けられているのは自分ではなかった。 ぎゅっと抱きしめあったまま、真っ白な空間を二人で漂う。愛されてるのは自分ではないと分かっていながらも、美希は腕を解くことはできなかった。 夢の中のヒナギクに縋るように、只々強く強く抱きしめながら、何もない純白の空間に呟いた。
――私はね、ヒナのことが好きだよ。
答えは返ってこなかった。
* * * * *
「美ー希ちゃーん。寝てるのー?」 「美希やーい。起きろー」
間の抜けた、けれど心癒される懐かしい声が美希の名前を呼んだ。 顔を机に突っ伏したまま、目だけでちらりと上を見ると、そこにはいつものように笑う二人がいた。 「なんだ、美希。寝不足なのか?」
机から顔を上げようとしない美希を見て、理沙が珍しく心配そうに肩を叩く。心配させては悪いと思い顔を上げると、二人はさらに心配そうな顔になった。
「ちょ、美希!? 唇やばいぞ!? 血まみれ!」 「美希ちゃん!? どうしたの!? それに、目が真っ赤になって……」 「泉! とりあえずハンカチかティッシュ!」
美希を心配してわたわたと動き回る二人を見て、自然と顔が綻んだ。 大丈夫。ヒナがいなくても私にはこの二人がいるじゃないか。と自分を慰める。こんなにも心配してくれる友人が、自分には二人もいるのだ。 それでも、溢れる涙は止まらない。
「おめでとう、って言えばよかったのかな」
――おめでとうって、言ってほしかったのかな。 先ほど見た夢を思い出し、美希はポツリと呟いた。 もしも、あの夢の中で「おめでとう」と微笑んでいたのなら、彼女は返事を返してくれたのだろうか。 問えども問えども、美希の中で答えは出ない。掌に残るヒナギクの温もりが、愛おしくて憎らしかった。
泡沫の夢は、甘い余韻と残酷な現実だけを残して、消えた。
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Re: 生徒会三人娘と仲間たちによる短編集。 ( No.8 ) |
- 日時: 2012/12/09 02:24
- 名前: きは
- こんばんは、きはです。
予想だにしない投稿ペースに、内心驚きを隠せません。 それでいて、作品の質は落ちることもないとか、羨ましいですね。
それでは、感想に移ります。
>苺の呪い
この作品を読んで真っ先に思い出したのは、「迷走! 闇鍋劇場!」です。一人称で話が進んでいるからでしょうか。 ギャグ小説でありながら、描写をしっかりしているところに感心してしまいます。 その中にあって、美希の心理描写が読者の気持ちを代弁しているほど率直でした。
構成に関しても、綿密に考え込まれているなぁと思います。 最初はショートケーキが弁当箱の中に入っている様を見て、泉と美希は違和感を覚えました。 しかし、それが理沙の兄による料理と判明すると、彼女たちは戦慄を覚えるんですよね。主に兄の実績を鑑みて。 その後でもたらされる衝撃の真実(餃子とカレーうどん)に、彼女たちは愕然とします。 ――というか、私も愕然としました。思わず声に出して笑っていましたよ。
段階を踏んで読者を引き込ませて、大きなオチでオトす。 それはギャグの真髄に匹敵するわけですが、それをテンポの良い描写で表現しきっているところに、もはや一つの感動を覚えます。
ですが、気になる点が一つ。(前編)の冒頭と末尾で矛盾が起きているような気がするんです。以下、その部分を引用いたします。
「「ショートケーキ……?」」
私たちの導き出した答えを聞いて、理沙は力なく頷いた。
(中略)
「呪いのショートケーキか……」
そう呟くと、理沙は何故かふるふると首を振った。
最初の問いかけに理沙は力なく頷いているのですが、後の美希の呟きに首を振っています。 理沙が心神耗弱状態(という表現が適しているかは分かりませんが)とはいえ、一貫性がないなぁという印象を受けました。 悪い表現でいえば、嘘をついていることになります。……そういう演出でしたら、ごめんなさい。
ですからここは、美希の一人称で話が進んでいることを最大限に活かして、最初の問いかけに対する答えを勘違いさせれば良いのではないでしょうか。 つまり、「力なく頷いた」のではなく、「沈黙を貫いた」などにしてみればいいのです。 その後の美希の心理描写で「沈黙は肯定」であることを付け加えれば、誰も嘘をつくことななく美希が勘違いしているということだけで、読者を良い意味で騙せると思うのです。
と、まぁ、若輩者が呟いてみました。私もまだまだ未熟者ですから、取捨選択はお任せします。 最後は揶揄してしまいましたが、それでも、楽しんで読むことができました。ありがとうございます。
残り二つは、また他日に感想を送りたいと思います。
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Re: 生徒会三人娘と仲間たちによる短編集。 ( No.9 ) |
- 日時: 2012/12/09 03:28
- 名前: ロッキー・ラックーン
- 参照: http://soukensi.net/perch/hayate/subnovel/read.cgi?no=25
- 初めまして、ロッキー・ラックーンと申します。
【泡沫の夢を見た】…とても面白かったです。というより、私が花菱美希というキャラクターに抱いているイメージがそのまま作品になっててビックリという印象を受けました。
ヒナ本人の姿も言葉も無いままに現実を突きつけられる、さらには夢の続きの追い討ち…これほどまでに美希の心を抉る出来事もそうそうありませんね。 彼女の恋心に対して、ヒナ本人との決着がつく事を望まずにはいられません。 …かくゆう私も、自分の作品では美希の恋心に対して何のイベントも与えないままハヤヒナをぶっ続けてしまってますが。汗 この先の三人の友情の行方に期待を持ちたいと思いました。
余談ですが、自分も餅ぬ。さんの昔の作品を読ませていただいた記憶がありました。 きはさんのコメントでの「コンビニ」というキーワードから「ああ、そういえば雪路と綾崎兄の面白い作品があったな」という程度でしたが、印象的だったので頭に残っていたようです。 今後も楽しませて頂きたく思っております。
では、失礼しました。
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Re: 生徒会三人娘と仲間たちによる短編集。 ( No.10 ) |
- 日時: 2012/12/10 17:19
- 名前: 餅ぬ。
>>きはさん
感想・ご指摘ありがとうございます。書き溜めていた分を一気に投稿したので、やたらと早い更新となってしまいました。 そのせいでストックが早々に底をつきかけてきたので、そろそろ亀更新になりそうです……;
>この作品を読んで真っ先に思い出したのは、「迷走! 闇鍋劇場!」です。
まさにその通り! 闇鍋劇場第二弾的なノリで書き上げたのが「苺の呪い」でした。まさか気づかれるとは思っていなかったので驚きましたw ギャグ系は本当にテンポも展開も難しくて、個人的に書きにくい部類に入るのですが、笑って頂けたようで良かったです! 勿体無いお言葉の数々に、またもや自信を頂いた気がします。ギャグ・コメディも頑張るぞ! と意気込むことができました。
また、矛盾点のご指摘もありがとうございます! 投稿前に見直したのですが、全く気づきませんでした……。 申し訳ありませんがきはさんのご提案をまるっと拝借して、問題の部分を修正させて頂きました。 ご指摘がなければずっと気づかなかったと思います; 本当にありがとうございました! もし他にも矛盾点等かありましたら、またご報告頂けると嬉しいです。
ではでは、コメントありがとうございました!
>>ロッキー・ラックーンさん
初めまして。ご感想ありがとうございます! 「泡沫の夢を見た」、お気に召して頂けたようで何よりです。同性故の叶わない恋ってなんだかいいですよね。
>これほどまでに美希の心を抉る出来事もそうそうありませんね。
自分で書いておいて何ですが、少し可哀想すぎたかなあと思います; ヒナギク本人の口から聞くのと、全くの他人から聞くのとでは、破壊力と後味が全く違ってきそうですしね。……とにかく後味を悪くしたかったのです← 泉と理沙がいれば、なんとかなります! 慰めてくれる友人ほど、頼りになるものはないですから!
コンビニ物語、覚えてくださっていたとは! 印象的とのお言葉と共に、本当に感無量です。ありがとうございます! いつ終わるかも分からない短編集ですが、今後ともお付き合いいただけると嬉しいです。
ではでは、コメントありがとうございました!
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Re: 生徒会三人娘と仲間たちによる短編集。(返信のみ) ( No.11 ) |
- 日時: 2012/12/13 00:01
- 名前: きは
- こんばんは。引き続き感想に移ります。
>鏡の世界より
不思議すぎる(笑)。明確な解釈が見いだせないよー。というのが、本音であったりします。
理沙が美希の手を暖かいと評したのは、鏡の世界に居る時と現在。 美希自身が自分の手を冷たいと表現しているので、理沙はまだ鏡の世界に居るという結論に至っているような気がします。 双方の手が冷たい中で、理沙が美希の手を暖かいといったのは、相対的なものなのかもしれません。
じゃあ、私の手が冷たくなったときは、二人で泉に会いに行こうか。
上の美希の心理描写は、理沙が美希の手を冷たいと思えるようになるまで、言葉を言いかえると、子供体温だった理沙の体温が元に戻ることを期待しているのではないでしょうか? ……っていうのが、オーソドックスな解釈かなぁ。相対的に温度を感じる部分がポイントになるかと思います。
ここからが、懐疑的な見方です。というのも、体質はそうそう変わらないことが前提だったりします。 気になったに文を下に引用いたします。
>彼女は基本的にTシャツと下着だけで過ごしているので、布に守られていない彼女の白い太ももにはくっきりと煙草の灰の跡が残った。 さすがに少し痛かったのか顔をしかめて灰を払っている。
>ソファ代わりの万年床は彼女の体温で妙に生暖かかった。
ポイントは、熱に対するリアクションです。 一つ目は、煙草の灰が太ももに落ちたことに対して、「さすがに少し痛かったのか」という美希の心理描写が入っています。 二つ目は、彼女に敷かれていた万年床が熱を持っていたことに、「妙に」生暖かったという美希の心理描写が入っています。
そして、理沙の手をつかんだ美希は、「生きているのだろうか」と思うほど冷たいという心理描写が入っています。 なんか、美希に先入観が備わっているような気がするんですよね。理沙は冷たいんだという先入観が。 情景描写のギャップでそのように感じました。 しかも、心理描写では冷徹な部分が垣間見えています。
もちろんそのことは、理沙にも当てはまります。昔は子供体温で美希にカイロにされていたのに、鏡の世界では美希をカイロにしています。 その理由は、美希の手が暖かいからでした。あくまで理沙の手が冷たいのは、美希の感覚を通した情報でしかありません。
鏡の世界の本質は、「自分ではなく、周りが変わってしまったと捉えること」だと思うのです。つまり、心根が映し出されてしまったような錯覚。 このように考えれば、高校卒業後に理沙が失踪してしまった理由も納得できるなぁって。 そのことを裏付ける部分が、以下の会話だと思います。
「お前の手は冷たいよ」 「美希の手は暖かいよ」
ここの文は、美希が理沙の手を冷たいと言って、理沙が美希の手を暖かいと言っています。 美希が自分の手を冷たいと言っていませんし、理沙が自分の手を暖かいとも言っていません。 双方が双方の手の状態を決めつけている。自分の手の状態はブレていない、相手が変わっているだけなのだと。
まぁ、結論は、美希も鏡の世界にいた――のではないか。という。
あと、理沙が見事な鬱キャラすぎる。鬱になるのは、理沙の特権のように感じました。 「黒歴史」の作品もその傾向がありありと伝わってきたり……。
長くなって、しかも的外れなのかもしれませんが。失礼します。
(12/16 追記)
餅ぬ。さんのレス返しにおける最後の一文で腑に落ちました。 それと同時に、余計な気苦労を掛けてしまいました。申し訳ないです。 「不思議系シリアス」と銘打たれていたのを見て、じゃあ解き明かそうというエゴから始まった解釈みたいなものです。 うん、理沙と美希のどちらも正常じゃないというコンセプトを聞くことができたのが、最大の収穫かなぁと思います。
その代わりと言ってはなんですが、次の感想は指摘を多めにしておきました。 意趣返しではありませんので、ご了承ください(笑)。
※作品のレスの題名に、別の名前が付けられていることに今頃気づきました。 そこに書かれている内容から、感想の方針を考えてみようかと思います。
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Re: 生徒会三人娘と仲間たちによる短編集。(返信のみ) ( No.12 ) |
- 日時: 2012/12/15 13:58
- 名前: 餅ぬ。
>>きはさん
またもや感想ありがとうございます。我ながら変な話書いたなぁと思ってますw ぶっちゃけてしまうと、実際のところ明確な解釈はなかったりします……; 冷たいモヤモヤした読後感を目指して書き殴ったようなものなので……。 きはさんの色々な解釈を見て、こういう見方もできるのか! と書いた身でありながら新たな発見をさせて頂きました。
特に正しい解釈というものはないのですが、一応書く上で意識していたのは、理沙も美希もどちらも正常じゃないという雰囲気です。 きはさんの仰るように、この話は美希の主観と心理描写で成り立っています。なので理沙だけがおかしいように見えますが、実際は美希にも違和感が……というような雰囲気を醸し出そうとしてました。 その結果、なんとも言えない仕上がりになってしまったわけですが……(笑)
>鏡の世界の本質は、「自分ではなく、周りが変わってしまったと捉えること」だと思うのです。つまり、心根が映し出されてしまったような錯覚。
このようなところまで深く考えて頂けるとは……! 鏡の世界については書いた本人があまり意識していなかった部分なので、きはさんの解釈を読んで酷く感心してしまいました。 確かにそう考えると、理沙が失踪してしまった理由も分かりますね。うーん……なんだかすごいです……。 もっと根っこの方まで練って書かないと! と思わさせた次第であります。
飄々とした掴みどころのないキャラは鬱にしやすくて……。理沙が一番好きな分、変な贔屓の末よく病んでもらってますw この短編集でもまた黒歴史的なものを量産してしまいそうで怖いです。でも明るい三人娘が一番好きなんですよ!
ではでは、コメントありがとうございました! なんだか釈然としない返信で申し訳ないです。とりあえず、雰囲気小説として気軽に見て頂ければ幸いです;
(12/26 追記返信)
申し訳ありません! 今まで追記に気づきませんでした……; 全然気苦労なんて感じていませんよ! むしろ自分の作品ながら色々な読み方が出来て楽しかったです(笑) 今後もまたこういうものを書くかもしれないので、そのときはまた色々な解釈をして頂けたら嬉しいです! ご指摘は自分の作品を見直すいい機会になるので、本当に感謝です。愛の鞭として受け取らせて頂きました!← タイトル、気づかれるとは……。 ただの意味のない独り言のようなものなので、考察などの役には立たないかもしれません; 痛々しいことが書かれていても、あまり気にしないでくださいね(笑)
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部屋が寒かったので真夏の話 ( No.13 ) |
- 日時: 2012/12/15 14:00
- 名前: 餅ぬ。
- 「熱中症になってしまいますよ」
校庭の片隅に咲いていた朝顔を観察していると、急に頭上から声が降ってきた。んあ、と間の抜けた返事をして上を向くと、そこには私を見下ろすハヤ太君の姿があった。逆光でよく見えなかったが、多分彼は苦笑していたと思う。 どうやらハヤ太君は、燦々と照る太陽の下で日陰も何もない場所にしゃがみ込む私を見つけ、心配して走ってきたようだ。本人の口から聞いたわけではないが、彼の僅かに弾んだ息と上下する肩がそう物語っていた。 よく見えない彼の顔をぼんやりと見つめていた。何か話しかけようと思ったが、暑さで茹った頭に気の利いた言葉は浮かんでこない。額からジワリと染み出してくる汗を感じながら、私は目を細めて彼を見上げることしかできなかった。
「ほら、なんだか目が虚ろですよ。早く教室に戻りましょう」
そう言って、ハヤ太君は手を差し出した。一瞬手を伸ばしかけたが、手汗が酷いことを思い出して躊躇った。ねっとりと汗に包まれたこの手で、彼の手を握るのはなんだか嫌だった。率直に言ってしまえば、恥ずかしかったのだ。 中々手を握らない私を見て何かを感じ取ったのか、ハヤ太君は伸ばしていた手を引っ込めた。そしてポケットを漁り、一枚の白いハンカチを取り出した。これで手を拭け、とでも言われるのかと思ったが、彼は思わぬ行動に出た。 取り出したハンカチを広げると、彼はおもむろに私の頭に被せたのだ。訳が分からず目を丸くすると、彼はやっぱり見えない笑顔を浮かべてこう言った。
「朝風さんは髪が黒いですから。こうしておけば少しはマシでしょう?」
私が手を引っ込めた理由を、彼は「まだここに居たい」という風に解釈したらしい。やはりハヤ太君は女心というものに鈍感である。思わずため息が漏れた。しかし彼の見当違いな心遣いに、思わず口元が綻んでしまう。 そんな口元を隠すために、私は再び視線を朝顔に戻した。ハヤ太君はまだ私の背後にいる。彼の影が私にちょうど重なって、ほんの僅かに涼しくなったような気がした。
「なんだか」
私の背中を眺めて黙り込んでいたハヤ太君が、突然口を開いた。
「上から見ると朝顔みたいですね、朝風さん」
ほら、スカートが広がって。と、ハヤ太君が言う。 暑かったのでスカートを足に挟まず、地面の上に広げっぱなしにしていたのだが、どうやら彼にはその広がったスカートが朝顔の花弁に見えたらしい。なんという乙女思考。彼は本当に生まれる性別を間違えたのではなかろうか。 上げ足でもとってやろうかと思ったが、意思に反して私の口は動かない。太陽の日差しが、脳を焼いているようである。顔が熱くてたまらない。
「……綺麗ですね」
背後から、ハヤ太君の声が聞こえてくる。思わず耳を疑った。背後から聞こえてくるうっとりとしたその声は、一体何に向けて囁かれたのだろうか。 今、彼の視線はどこにある? 朝顔を見ているのか、それとも私を見ているのか。振り向きたかったが、首が言うことを聞かなかった。彼の視線の先を知るのが、怖かったのだと思う。 ぼんやりとした頭はさらに霞んで、火照っていた顔はさらに赤くなった。その熱はじわじわと心臓のあたりからやってきて、私の全身を蝕んだ。太陽の暑さとは明らかに違う、やりどころのない熱さに私は小さく身悶えた。
多分、この時だ。 私が――。
「おーい! ハヤテー!」
遠くから、少女特有の可愛らしい声が聞こえてきた。そういえば、今日は珍しくナギちゃんが登校して来ていることを思い出した。
「お嬢様!」
主に呼ばれたハヤ太君が、弾んだ声を上げる。まるでご主人様を見つけた犬のようだと思った。……まあ、あながち間違いではないが。
「あ、朝風さん」
主の下へ駆け寄ろうとしていた足を止め、彼は再び私の背後に立った。顔を見られたくなかった私は、振り向かなかった。けれどハヤ太君は気にせず話を続ける。
「観察もいいですけど、あんまり無理しちゃだめですよ」
子供を諭すような優しい声色で彼が言う。きっとそう言うハヤ太君の顔は、それはそれは穏やかで柔らかなものだったのだろう。去っていく彼の足音を聞きながら、彼の笑顔を夢想する。顔と心臓のあたりが、何故だか沸騰しそうになった。 視線を下げ、足元を見つめると、顎から一つ汗が落ちた。乾いた地面に染み込んでいくそれを眺めながら、私は先ほど気付いた感情をぽつりと口にした。
――私、ハヤ太君が好きだ。
その気持ちに気付いたのは、高校最後の夏だった。
気付くと同時に、自分の鈍感さに嫌気がさした。もう、何もかもが遅すぎたのだ。
彼には、彼女がいた。
* * * * *
高校を卒業して、五度目の夏がやってきた。 私は庭に植えた朝顔の前でしゃがみ込んでいる。私の髪は燦々とした太陽の日を浴びて、じりじりと根元から焼けてきているようだった。 額から頬へ、頬から顎へと汗が伝う。もうどれだけこうしてしゃがみ込んでいるのだろうか。
私の頭はあの日のようにぼんやりと霞んでいて、まともな思考を保てていない。目に映るのは朝顔なのに、浮かんでくるのはあの日の光景ばかりである。逆光で見えなかった彼の笑顔が、浮かんでは消えて、浮かんでは消えて。 綺麗ですね、という声が頭の奥で反響する。何に、誰に向かって囁かれたのかさえ分からない言葉は、今でも私の心を支配し続けているのだ。あの時、振り返っていたら何か変わっていたのだろうか。 否、何も変わっていないだろう。
気づいてしまった感情は水をやらなくても育つのだと知ったのは、確か冬ごろだっだろうか。微笑ましさにも似た気持ちで眺めていた彼と彼女の後ろ姿が、直視できなくなった。 卒業するころには彼の顔さえまともに見れなくなっていて、泉たちとつるんでやっと話しかけられる程度の有様だった。元々、あんまり彼との接点はない方だったから、泉たちが私の変化に気付くことはなかった。 そして誰にも気づかれず、誰にも伝えられなかったこの感情と共に、私は高校を後にした。卒業式の日、人ごみから離れた場所……あの朝顔の咲いていた場所で一人きりの告白ごっこをして、こっそりと泣いた。 それで踏ん切りをつけようと思っていた。けれど、咲いた花は枯れても種をつける。私の想いは夏になるたび、再び咲くのだ。 例え、彼が絶対に振り向いてくれないと分かっていても。 そう、絶対に。
――先日、ハヤ太君が結婚した。
虚ろな目を足元に向けると、ぽつりと滴が一粒落ちた。汗かと思ったが、ポロリポロリと零れるそれはどうやら私の目から溢れているようである。足元に伸びる私の影の肩が小さく震え、それ滲む視界で眺めていた。 燦々と輝く太陽が、私を見下し笑っている。いくら待っても彼は来ないぞ、と。いくら熱中症で倒れかけようが、駆け寄ってきてくれる人もハンカチをかけてくれる人も、もう存在しないのだ。 汗とも涙とも分からない塩辛い水滴が、ポタポタと地面を濡らしていく。足元に映る影の震えは増すばかり。
「こんな服着て、何してるんだか」
自傷気味に呟いた。 地面に広がるロングスカートは空と同じ色で、ふわりと柔らかく広がった裾は朝顔を髣髴とさせた。けれど、それを指摘してくれる人はもういない。それでも夏になるとこんな服を着てしまうのは、何故なのだろうか。
「枯れればいいんだ。こんな花」
広がったスカートの裾を砂ごとぎゅっと握りしめた。思わず嗚咽を漏らして、その場に跪いた。背後には何の気配もない。誰もいない庭の片隅で、私はひっそりと泣き続けた。 泣けば泣くほど、恋しくなるあの夏の日。思い出すのは、彼の声と見えなかった笑顔ばかり。暑さに茹だった脳みそは、悲しみに浸りながらも彼のことを忘れさせてはくれないのだ。
だからきっと、来年も花は咲くだろう。
【夏に咲く花】
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Re: 生徒会三人娘と仲間たちによる短編集。 ( No.14 ) |
- 日時: 2012/12/16 15:02
- 名前: きは
- こんにちは。きはです。早速ですが、感想に移らせて頂きます。
>夏に咲く花
……あぁ、私はこの人の一人称小説に憧れているのだなぁ、と思わず感じてしまいました。 思わずうなってしまったのが、以下の部分です。
今、彼の視線はどこにある? 朝顔を見ているのか、それとも私を見ているのか。振り向きたかったが、首が言うことを聞かなかった。彼の視線の先を知るのが、怖かったのだと思う。
一人称小説の制約として代表的なのが、「自分の知覚できる範囲でしか描写できない」ことです。 そこには、視点となる人物以外の心情描写も含まれます。 ですから、心情を推し量るために、相手の仕草や表情の機微をつぶさに見ていく手法をよく見かけるのですが。
引用した部分は、視界の制約をも葛藤の一つの要素として使われています。 三人称小説でしたら、ハヤテの視線がどこを指しているのかを描写できるのでしょう。 よくある小説の形態として、「三人称○○視点」というものがあります。呼称は三人称ですが心情描写も交えている、私から見れば良いとこ取りの手法なのですが。 それを使わずに一人称小説の利点をフルに用いて、かつ、欠点ともなる部分を利点に変えてしまう手腕。 私が模倣したかったものが集約されているように感じました。
だからこそ、表現の引っかかりが二カ所ほど出てきてしまったのです。指摘になってしまうのですが。 一つ目は、以下の文の表現です。
肩を小さく震わせる影を、滲む視界で眺めていた。
特に、「肩を小さく震わせる影」の部分です。描写が意味するところは存分に伝わってくるのですが、厳密に言うと間違っているという部分です。 「震わせる」は「震わす」という使役動詞の連体形ですね。ですから、「影」という名詞に掛かる分には間違っていません。 しかし、「影」という言葉に掛かってしまうことが間違いなのです。なぜなら、「肩を小さく震わせる」のは朝風理沙であって、影ではありませんから。
ここでの「影」は、擬人法を用いたものだとする見方もできるでしょう。ですが、その解釈も不自然なものになってしまいます。 そもそも、影は太陽に遮られてできるものです。ここでの遮ぎられたものは、理沙の肩と限定して考えます。 このとき、肩が動くことで映る影の形は変わります。なぜなら、肩から地面へと映るものが影であるからです。 つまり、肩が動かなければ、影の形は変わりません。換言すると、肩の動きが「主」であり、影の動きが「従」となります。この関係がひっくり返ることはありません。 よって、影が肩を使役するような表現に違和感を覚えるのです。……際どい指摘になってしまいますが。
私なりの対案は以下の文に変えることです。少し説明口調になってしまうのが玉にキズですが。
肩を小さく震わせてできる影の揺らぎを、(私は)滲む視界で眺めていた。
二つ目は、以下の部分の整合性です。
地面に広がるロングスカートは空と同じ色で、ふわりと柔らかく広がった裾は朝顔を髣髴とさせた。 (中略) スカートをぎゅっと握りしめた。思わず嗚咽を漏らして、その場に蹲った。
一文目の描写をどのようにイメージさせるかで、つまり、朝顔を髣髴とさせる部分の視点によって、矛盾点は変わってきます。
・上から彼女(理沙)を見た時のスカートの裾が、朝顔を髣髴とさせる場合。 この場合は、序盤でハヤテが「朝顔みたいですね」と評した時と同じ状況だと言えます。 つまり、描写はされていませんが、理沙はすでにしゃがみ込んでいるはずです。 よって、この場合の矛盾点は、「その場に蹲った」という部分。蹲るの意味に、しゃがみ込むことも含まれていますから。 対案としては、「蹲った」を「跪いた」に変えることですか。動作の流れとしては自然となるのかなぁ。
・後ろ(ないしは前)から彼女を見た時のスカートの裾が、朝顔を髣髴させる場合。 この場合は、理沙が立っていることが前提となっています。特にロングスカートの形状を鑑みても、特別おかしい部分はありません。 先ほど指摘した部分も、立っている状態から蹲れば違和感はないかもしれません。良く考えれば、スカートを握ったまま蹲るのって、結構難しい動作ですね(笑)。 しかし、その場合は、最初の「地面に広がる」という部分が矛盾点となってしまいます。 対案としては、単純に省けばよろしいかと思います。
とまぁ、以上のような感じです。 指摘が大部分を占めているように見えますが、あの、ほんの一部分ですよ? 説明するために言葉を多く用いるだけですから。逆を言うと、この部分くらいしかないという具合です。 自己弁護にみたいになっちゃいますが、それでも、それ以上に感動を覚えたことだけを最後に伝えておきます。
次のお話も楽しみにしています。長文失礼しました。
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Re: 生徒会三人娘と仲間たちによる短編集。 ( No.15 ) |
- 日時: 2012/12/19 01:18
- 名前: 餅ぬ。
>>きはさん
感想・ご指摘ありがとうございます! お恥ずかしながら文法などには本当に疎いので、今回は非常に勉強になりました!
相変わらずの勿体無いお言葉の数々に、毎度毎度恐縮してしまいます;; 皆様に満足していただくためにもレベルアップしていかなくてはいけないな、と身の締まる思いです。 一人称は個人的にすごく書きやすいのです。動きを書くのが苦手なので、心理描写を主にできる一人称ばかりに……。 ですから、三人称をかける方が羨ましいです。特にきはさんのように細やかな三人称を書ける方は心から尊敬してしまいます。 恋愛系はどうしても一人称で書いてしまうので、そのうち三人称でも挑戦してみたいです!
ご指摘の部分、修正させていただきました! 我ながら少しおかしいかなと思いつつ投稿してしまった部分もあり、推敲は大事だなと改めて感じました……;;
>一つ目のご指摘
これは全く気にしていなかった部分なので、本当にご指摘感謝です! 改めて読むと、確かになんだか違和感がありますね……; 文法については中学生以下である自信があるので、こういう文法的なご指摘はすごく勉強になりました! ただ、理解するのにすごく時間がかかってしまいました……。 色々とあれで申し訳ないです……(汗) 一応自分なりに直してみたつもりなのですが、また何かおかしい点がございましたらご指摘宜しくお願いします!
>二つ目のご指摘
おおう……まさにおかしいけど大丈夫かなぁと妥協して投稿してしまった部分です……。 一応私的にはきはさんのおっしゃる一つ目の解釈(しゃがみ込んでいる前提)のつもりで書いたので、 しゃがみ込んでるのに、蹲るというのは確かに訳わからないことになっていますよね……。 本当に申し訳ないのですが、きはさんの対案をまたまたそのまま使わせて頂きました;; とりあえず、スカートを握るという描写の部分も少しだけ変えたので、それで辻褄が合えばなぁと思います。 本当にご指摘と対案、ありがとうございました!
ではでは、長くなってしまいましたが、感想・ご指摘ありがとうございました! そろそろ亀更新になりだしてきたので、出来るだけストック確保して定期更新できるよう頑張ります!
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飢餓海峡のワンフレーズより。映画と小説見てみたい…。 ( No.18 ) |
- 日時: 2012/12/26 23:29
- 名前: 餅ぬ。
ふと彼女に会いたくなると、私は机の奥から絹のハンカチに包まれた彼女の爪を取り出しそっと自分の頬を刺す。 頬に広がるその痛みの、なんと甘美なことか。今はもういなくなってしまった彼女の一部が、私に触れているのだと思うと何とも言えない幸福に包まれる。 チクリチクリと頬を刺しながら、私はその至福に溺れるように目を閉じた。瞼に映るのは、彼女がこの置き土産を残していった在りし日の光景。
* * * * *
いつのことだったか、もう覚えてはいないけれど。かつて彼女が私の部屋に訪れた時、偶然爪を切ったのだ。彼女は少しばかり几帳面だったから、伸びた爪が気になったのだろう。 物音一つしない静寂の部屋の中で、パチリ、と彼女の爪を切る音だけが響いていた。彼女の白く細い指先から、爪が断ち切られていくその様子を、私は只々眺めていた。 銀色の爪きりが彼女の指先に噛みつくたび、私は無機物に酷い嫉妬心を抱いた。それほどまでに、私は彼女に恋焦がれていたのだ。叶わない、醜い感情である。 そんな私の気持ちにも気づかないまま、彼女は爪を切り終えて、爪切りが吐き出したその爪を丁寧にティッシュに包んでゴミ箱へと投げ入れた。 そして爪を切り終えた彼女は何事もなかったかのように、会話を再開したのである。彼女に流されるがまま言葉を紡いだが、私の視線と興味は捨てられた彼女の一部ばかりに注がれていた。 彼女の一部が、そこにあるのだ。そう思うだけで、何故だか胸が高鳴った。
「じゃあ、またね」と言った彼女の後ろ姿を見送り、私は急いで部屋に戻った。そしてゴミ箱の中から、そっと、一つたりとも零さぬように、ティッシュに包まれた彼女の爪を取り出した。 恭しくその包みを開く。そこには確かに、彼女の一部があった。掌に乗るそれを眺めながら暫し呆然とした後、私は不意に我に返った。 これではまるで変態ではないか。私は彼女に恋焦がれてはいれど、爪などに劣情にも似た感情を抱くほど落ちぶれてはいない。と、自分に言い聞かせた。 しかし私は仮にも彼女の一部であるそれを再びゴミ箱へと投げ捨てることが出来ず、箪笥から取り出した真っ白の絹のハンカチに爪を包んで机の奥にそっと仕舞い込んだのである。 引き出しを閉めながら思いもよらぬ自分の変態性に落ち込みながらも、私の心はその時確かに昂っていた。 そうだ、異常性や変態性などは隠せばいいのだ。自分で言うのも何だが私は心から彼女を大切に思っている。だから大切な彼女がいる限り、この劣情を隠し通せる自信があった。
そう、彼女がいれば。
「美希ちゃん! ヒナちゃんが、今、交通事故で――」
そう思った矢先の出来事である。鳴り響いた携帯電話を何気なしに取ると、泉の叫び声が私の耳を劈いた。 泉は不幸にも、交通事故の瞬間に居合わせてしまったらしい。けたたましい救急車のサイレンの音と野次馬の雑踏が携帯電話から溢れていた。 ヒナちゃんが、ヒナちゃんが、と繰り返す泉を私は宥めることができなかった。指先が白く変色するほど強く携帯電話を握りしめたまま、机の前で立ち尽くしていた。 全てが夢の中の出来事のように思えた。しかし泣き叫ぶ泉の声は紛れもない現実で。そんな現実から逃れる為に、私はつい先ほどまでここに存在していた彼女の姿を反芻し続けた。 何の言葉も発せないまま、彼女の一部が取り残された引き出しをそっと撫でた。たった十個の爪先だけれど彼女がいるのだと思うと、私の心は何故だか酷く落ち着いたのだ。
――私の部屋で爪を切ったその日の帰り道で、彼女は死んだ。
その現実を受け入れた日から、私はこの爪を彼女の代わりに愛し愛でるようになった。
* * * * *
今日も今日とて、私は彼女の爪を優しく手に取り自分の頬に突き刺す。その甘美な痛みに、私の唇は歪に弧を描く。 彼女の体から離れたばかりの爪はとても柔らかで、頬に突き刺すたびに軽くしなっていた。しかし月日が過ぎて彼女の爪はかつてのしなやかさを失い、白さを失い、固くなり薄らと黄ばんでいる。 彼女が老いていくようで、酷く悲しかった。けれどいくら老いて古びて朽ちようとも、この爪は彼女の一部であることに変わりはない。この爪は確かにあの日まで彼女の指先と繋がってたのだ。 彼女の爪先が私の頬をチクリと刺している。私に触れている。彼女に愛されているのだ、と錯覚する。かつて彼女には好きな人がいたような気もするが、それも今や過去の話である。 今の彼女はこうして、私を頬を突くばかり。彼女に触れられるのは、彼女に触れられているのは、この世で私だけなのだ。これを愛と呼ばずして、何と呼ぶ。 グリグリと彼女の爪で自分の頬を抉る。頬の一部が熱を持ち、突き破られた皮膚から生温い感触がつつ、と伝う。頬の傷が増えるたび、私は彼女をより近くに感じることが出来た。
とある日、私の頬の傷の理由を知った理沙に「狂っている」と罵られた。鼻で笑い飛ばしてやった。自分でもそうだと分かっているので、罵られようが蔑まれようが特に気には留めない。 「これが私と彼女の愛なのだ」と私が答えた時の理沙の顔といったら。苦虫を噛み潰したようなその表情は、怒りなのか悲しみなのか。今になっても分からない。
とある日、私の頬の傷の理由を知った泉に「可哀想にね」と泣かれた。同情なのかと尋ねたら違うと首を振られたので、只々戸惑った。何故泉が泣いているのか、分からなかった。 「私は幸せだよ」と私がそう言って慰めた時の泉の反応といったら。「だからだよ」と一言呟いて、大きな瞳からボロボロと涙を零すだけだった。あの言葉の意味は、今になっても分からない。
面倒くさいことや分からないことは放っておくに限る。深く考えることを拒否した私を前に、友人たちの意味深な表情と言葉は記憶の片隅にポツンと突っ立つことしか出来なかった。 二人の問いかけは、現実への誘いであることを私が一番よく知っていた。それでも私は、幻想の至福だけを貪っていたかったのだ。
爪は彼女の遺伝子の残りカスである。頬を突き破って私の中に入り込んでくるのは、彼女の爪であると同時に遺伝子なのだ。そう思うだけで、全身が喜びに震えた。 私は、彼女と一つになりたかった。幾度となく飲み込んでやろうと思ったが、出来なかった。目に見える形で、そばに居て欲しかった。 少し前に十もあるのだから一つくらい、と血迷って彼女の薬指の爪を軽く食んでみたことがある。かりり、と口の中に音が響いた。彼女が泣いているような気がして、思わず吐き出した。 薄く歯形のついてしまった薬指の爪を眺めながら、私は泣いて謝った。痛かったね、ごめんね、ごめんね、もう痛い思いなんてしたくないのにね。と爪を両手に抱きながら、夜明けまで泣き通した。 「あの時の私はどうかしていたね」と、傷ついた薬指の彼女に語りかける。返事はないけれど、私の頬には紛れもなく彼女の感触が存在していた。 一つになれないから、私は頬に傷を作る。この傷は彼女が与えてくれたもので、彼女の一部が私に入り込んだ証しなのだ。彼女がここにいる証なのだ。
「幸せだよ」
そう、私は幸せだ。 自分に言い聞かせながら、鋭く甘い至福の痛みに酔い痴れる。 この幸せに酔わなければ、私はきっと生きていけない。
【爪先で感じるの。】
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Re: 生徒会三人娘と仲間たちによる短編集。(病み美希話更新) ( No.19 ) |
- 日時: 2012/12/28 05:55
- 名前: ロッキー・ラックーン
- 参照: http://soukensi.net/perch/hayate/subnovel/read.cgi?no=25
- こんにちは、ロッキー・ラックーンです。
【爪先で感じるの。】
非常に鬱々として、それでいて美希というキャラクターへの可能性を感じてしまう作品でした。 自分の持つ変態性に気付いてしまいつつも、態勢を立て直そうと意気込んでいたのに…う〜ん…笑
美希の放つ言葉の鋭さがたまりませんね。 「私の愛」ではなく、「私と彼女の愛」だなんて…餅ぬ。さんの美希への愛情と「病ませてやりたい!」という劣情(笑)をこの上なく感じるセリフ回しだと思いました。 この幸せの痛みから目を醒まさせる手立てはあるのでしょうか…というより、そんな手立て一切無い感じで終わっている所が心惹かれた点であります。
ところでレスタイトルの「飢餓海峡」…あらすじを調べてみましたが、ホントに爪を愛でているんですね。人の情というものは、ある意味恐ろしい…。 自分も機会があれば目にしたいと思います。
ではでは、次回も楽しみにしております。 失礼しました。
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Re: 生徒会三人娘と仲間たちによる短編集。(病み美希話更新) ( No.20 ) |
- 日時: 2012/12/30 01:08
- 名前: 餅ぬ。
>>ロッキー・ラックーンさん
感想ありがとうございます! 本当に救いようのない話なので苦情も覚悟していたのですが、受け入れて頂けたようでよかったです! こういう静かな感じの変態(?)が一時期マイブームでした。それの煽りを完全に受けてます(笑)
ロッキー・ラックーンさんのおっしゃる通り、とことん病ませてやる! という歪んだ愛情を胸に書き上げました(笑) 「異常性を隠さなくてはいけない理由(ヒナ)がなくなって、暴走しまくる美希」をコンセプトに置いて、それが二時間で書き終わったときは自分でも驚きました。 鬱々とした世界観になってしまいましたが、お気に召して頂けたようで何よりでした!
「飢餓海峡」、私は歌しか聞いたことがないのですが、出だしのインパクトがなんとも……。 元は小説のようなので、いつかは読んでみたいです。本格ミステリ系らしいですが……。
ではでは、ありがとうございました!
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Re: 生徒会三人娘と仲間たちによる短編集。(返信のみ) ( No.21 ) |
- 日時: 2012/12/30 19:38
- 名前: きは
- こんばんは。きはです。
これほどクオリティの高い作品を二時間で書き上げたことに対して、正直驚きを禁じえません。 好意と熱意の相乗効果によるものでしょうか。一時間あたり千五百字なんて、私だったら下書きでも無理だというのに……。 やはり、鬱々とした話は、餅ぬ。さんにとって十八番とでも呼べるジャンルのようですね。 (そういえば、「夢で殺して八回目。心殺され数知れず」でしたっけ? その作品も二時間で書き上げたということを書かれていたような……)
さて、感想です。
全体的に見て、美希が狂っていく様が段階的に描かれているような気がしました。 つまり、ヒナギクの死をきっかけとして徐々に狂っていく様が、手に取るように伝わってきました。 その段階となるポイントで、擬人法を用いていることが印象的でした。
>今の彼女はこうして、私を頬を突くばかり。(原文ママ)
特に取り上げた中でも、上の文章は秀逸だと思います。なぜなら、彼女(美希がヒナギクの代わりに愛でている爪)が主体となっている文章ですから。 たとえ爪を愛でていても頬に傷を作るのは美希であるはずなのに、この文章は、爪が意志を持って美希の頬を突いていることになります。 情景描写として捉えれば、美希が自分の頬を爪で自傷している行為なのです。ですが、美希の心情としては、ヒナギクが突いていることになるのです。 このギャップが、後の「これを愛と呼ばずして、何と呼ぶ」という詭弁を美希の中で裏付けてしまったのだと思います。
また、一番胸に突き刺さるシーンがありました。以下の文章です。
とある日、私の頬の傷の理由を知った泉に「可哀想にね」と泣かれた。同情なのかと尋ねたら違うと首を振られたので、只々戸惑った。何故泉が泣いているのか、分からなかった。 「私は幸せだよ」と私がそう言って慰めた時の泉の反応といったら。「だからだよ」と一言呟いて、大きな瞳からボロボロと涙を零すだけだった。あの言葉の意味は、今になっても分からない。
ヒナギクの事故現場に居合わせていた(らしい)泉は、真っ先に美希へと電話をかけました。 もしかしたら泉は、美希の家からの帰り道であることをヒナギクによって聞かされていたのかもしれません。 もしかしたら泉は、ヒナギクが美希の家へ行くことを知っていたのかもしれません。 正確に描かれてはいませんが、この作品において、泉は美希のヒナギクに対する想いを知っていたのかもしれません。 その想いは歪んだ愛情へと変わってしまった。そのことに対して泉は、憐れんだのかもしれません。
餅ぬ。さんの作品は深いなぁと、しみじみと感じる次第です。(私が不要な深読みをしているだけなのかもしれません) ……やべぇ、感情移入しすぎて、泉sideでこの話を書きてぇ。
ここから、批評に入っていきます。
心情描写に非の打ちどころはありませんでした。ですが、ある箇所の情景描写に首を傾げる部分がありました。その部分を引用いたします。
あの日の思い出に浸るたび、終焉を告げるのは決まって電話向こうの泉の叫び声である。 不幸にも交通事故の瞬間に居合わせてしまったらしい泉の周りには、けたたましい救急車のサイレンと野次馬の雑踏が溢れていた。それに混ざって聞こえてくるのは、泉の嗚咽。
ここで指摘するべき部分は、視点です。引用した二つ目の文章の視点は、美希の一人称だと描けない部分のはずです。 「溢れていた」という言葉と前後の文章の文脈からして、電話越しの描写だとくみ取ることはできました。 ですが、二つ目の文章だけだと、誤解を招いてしまう恐れがあります。 対案としては、以下の文章のように二つに分けるのがベターかと思います。
泉は不幸にも、交通事故の瞬間に居合わせてしまったらしい。けたたましい救急車のサイレンと野次馬の雑踏が、携帯電話から溢れていた。
もっと踏み込んだ指摘をするならば。 引用した一つ目の文章にある「あの日の思い出に浸るたび」という表現が引っ掛かります。 そもそも、引用した部分はアスタリスク(*)で挟まれた場所にあります。 そのアスタリスク内の時制は「彼女がこの置き土産を残していった在りし日の光景」であるはずです。 つまり、回想シーンで描かれている時制の中で、「あの日の思い出」と表現してしまうと違和感が生じてしまいます。
なぜ、違和感が生じてしまうのでしょうか? その最大の理由は、「回想などで過去の時制に戻って体験を綴ること」と「現在の時制から過去に起こった出来事を語ること」とが混在するからです。 一人称小説の最大の特徴は、「自分が知覚した出来事しか描写できない」ことです。つまり、主人公が関与していない部分は描写できません。 そのルールを破れば、視点の混乱となって感情移入を阻害する最大の原因になります。 この場合は、体験したことしか描写することができません。
しかし、過去の出来事に関しては、解釈が少々異なります。 なぜなら、主人公が関与していないことであろうとも、過去に起こった事実としての情報が存在していれば、主人公は知覚することができるからです。 この場合は、伝聞した出来事として描写することになります。
要約すれば、同じ過去に起こった出来事としても、「直接体験として時制を戻して綴る」か「伝聞として現在の時制のまま語る」のかで、採るべき方法は異なってきます。 (※ちなみに、古典文学だと、直接体験としての過去を表わす助動詞「き」と、伝聞などの間接体験としての過去を表す助動詞の「けり」とでそれぞれ存在します。……スゴイぜ! 古典文学!)
ちょっと踏み込みすぎましたか。おかげでまた長くなってしまいました。 しかしながら、それ以上の長い目をもって、この作品集を見続けていきたいと改めて思いました。 長文失礼しました。
(1/16 追記)
泉の部分を読み込むことができたのは、ひとえに指摘する上で必要だったからです。 このときの視点はこうなるから、みたいなことを想起していてたまたま見出した解釈だったのです。 つまり、指摘した部分が元々完璧であったならば、ここまで読み込むことはなかったのだと思います。 そして、感情移入しすぎて泉sideを書こうとは思わなかったでしょう。 そういう意味で、感謝しています(笑)。
それはそうと、その泉sideですが……。
プロット7割 文章 1割
と、ぼちぼちと進んでいます。とにかく、視点が定まらないのです(泣) 一人称か三人称か……それだけで毎日頭を悩ませています。どちらも、魅力的なのです。 そんな感じで、完成まで早くても一週間かかります。しかも遅筆なので、下手すれば二カ月ぐらいかかりそうです。 というわけで、一旦、わくわくは落ち着かせて気長にお待ちください(笑)。 ……こうやって報告しないと、書こうとしないからなぁ、私。
(1/24 追記)
泉side完成いたしました。タイトルは、「境界をこえて」です。 泉視点でやろうかと悩んだ挙句、気づけば三人称でやっていました。 ですから、厳密に言えば泉sideではありません(笑)。しかも、色んな設定が盛り込まれています。 とにかく、なんとか書き上げることができたことを、報告しておきます。
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Re: 生徒会三人娘と仲間たちによる短編集。(返信のみ) ( No.22 ) |
- 日時: 2013/01/05 00:10
- 名前: 餅ぬ。
- >>きはさん
感想・ご指摘ありがとうございます! 返信遅くなってしまって申し訳ありません。 書いた当時のテンションの高さも相まって、我ながら中々の速度で仕上げたなあと思います(笑) 鬱々とした話はやはり性に合っているようです。読む分にはほのぼのコメディみたいなやつが大好きなのですが……。
>ヒナギクの死をきっかけとして徐々に狂っていく様が、手に取るように伝わってきました。
これを感じ取って頂けて何よりです! とにかく少しずつ静かに狂っていく美希が書きたかったのです。 かつてはヒナギクの存在によって潜められていた美希の異常な部分が、制する者をなくして暴走していく様は書いていていい感じに鬱になりました。 とどまることを知らない妄想は、美希にとって何よりの幸せなのです。美希的には現在ヒナギクと両思いなんです。 ……自分で書いておいてなんですが、なんだかやるせないですね;;
あと、まさか泉の部分が拾われるとは思っていなかったので驚きました。 それと同時にきはさんがとても読み込んでくれている気がして、ものすごく嬉しかったです! 一応泉の言動の理由は考えてあるのですが、あえて伏せておきます。きはさんの思うがままに! しかし伏せるといっても、びっくりするほどきはさんの想像と同じようなものなのですが……; 感想を読ませて頂いたとき、こんなにも読み取って下さる方がいるものなのか! と驚愕したほどですw 泉said……本当に書いていただけるのなら、こんなに光栄なことはございません! いつか書いていただけるのであれば、ひっそりこっそりわくわくと心から楽しみにさせて頂きます!
また、いつもながらご指摘感謝です! きはさんの知識の豊富さには毎度感服せざるを得ません……。ご指摘を下さる方がいるというのは、本当にありがたいです! 今回もまた一人称小説の難しさをまた改めて教えられた次第です;;
確かに回想シーンで「あの日の思い出」と書いてしまうと違和感がありますね。うーん、気づけなかった……(汗) 情景描写に関しても指摘されるまで何の違和感も感じていませんでした……。まだまだ未熟ですね; ご指摘の部分は相変わらずで申し訳ないのですが、きはさんの例文をまたもや引用して修正させて頂きました。 一応「あの日の思い出」と書かれている部分も手直ししたのですが、これでよいのかどうか少し不安です……;
ではでは、感想・ご指摘本当にありがとうございました! 長々と申し訳ありません! ゆっくり気まぐれ更新になりますが、何卒今後もお付き合い頂けると嬉しいです。 それでは!
(1/27 追記返信)
うわあああい!! 本当に書いてくださるとは!! ありがとうございます! 先日会社帰りに偶然きはさんの作品を見つけた時の興奮と感動と言ったら……。思わず本気でニヤけてしまい、先輩に怪しまれました(笑) 相変わらずクオリティの高い文章で……! 三人称は書き手として少々苦手意識があるので、すごく参考になります。 感想は後程投稿させて頂きますね。とりあえず、パソコンの画面に穴が開くほど熟読させて頂きます!
指摘部分を探して感情移入されたのですね……。いけないことですが、完璧じゃなくてよかったとか思ってしまっている自分がいます(笑)
ではでは、本当にありがとうございました!
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青春時代に戻りたい夢見がちな二人。 ( No.23 ) |
- 日時: 2013/01/15 22:20
- 名前: 餅ぬ。
- 駅前付近の裏路地にひっそりと佇む小さなカフェがある。木製の古ぼけた看板に店名は書かれておらず、細かな薔薇の彫刻だけが施されていた。
その店内は色とりどりの薔薇が煩くない程度に飾られており、頭上にある大きな天窓にはオレンジ色の薔薇が描かれている。 たった一枚の天窓から差し込むオレンジ色の光は晴れの日ならばいつだって薄暗い店内の一角を照らし出し、東から西へと移動しながらその場を黄昏色に染め上げるのだ。 僕は、この夕暮れのカフェが気に入っていた。週に一度紅茶の葉を仕入れる為に訪れては、黄昏色に染まった席を陣取って、オレンジ色の薔薇を見上げながら苦い珈琲を飲むのが好きだった。 毎週木曜の昼下がりは、僕はいつも彼女と共に夕暮れの中に居た。
ぼぉん、ぼぉん、と店の中央の柱に掛けられている古時計が鳴いた。目をやると、針は二時ちょうどを指している。そろそろ彼女が来るころだと思うと、僅かばかり胸が高鳴った。 週に一度、木曜日、僕と彼女はたった一、二時間だけ恋人同士になるのだ。その短くも甘ったるい時間は、まるで青春時代そのもののようで。 時計が鳴り終えて、店の中が再び静寂に包まれた。平日の昼間だから、僕以外の客はいない。年老いたマスターは、いつものようにカウンターの向こうでうつらうつらと舟を漕いでいる。 音楽一つかかっていないカフェの中で、単調な時計の針の音だけが響いている。微かに耳に残る時計の鳴き声の残響が、息もできないような静寂の中で唯一のBGMだった。 柔らかな真綿で緩々と首を絞められるような心地よくも苦しいこの空間で、僕はひたすら彼女を待った。この心地よさと苦しさは、きっと僕の罪悪感である。
二十分ほど経ったころ、ちりりんと鈴の音と共にカフェの扉が開いた。 うたた寝をしていたマスターがびくりと肩を震わせて飛び起きた後、入口に向けてニコリと笑みを作る。どこか人懐っこいマスターの笑みを見て、僕は彼女が来たのだと確信した。 コツコツとよく響くヒールの音が、こちらへ近づいてくる。振り返ると、そこには少し気まずそうに微笑むスーツ姿の彼女がいた。
「ハヤテ君、ごめんね。遅くなっちゃった」 「大丈夫ですよ、泉さん」
仕事が終わらなくて、とため息交じりに愚痴を零しながら、彼女は僕の正面の席に腰を下ろした。少々疲れているのか、彼女らしくもなく表情が暗い。 ふう、と彼女が一息ついたと同時に、マスターが注文を取りに来た。いつものように彼女は僕と同じ珈琲を頼む。苦いものは苦手なの、と語っていた彼女の舌は、いつの間にか随分と大人になっていた。 ここに来るまでに乱れた髪をせっせと直す彼女を見つめる。少し子供じみたヘアゴムで髪を二つに結っていた可愛らしい女の子が、その髪を肩に落としたのはいつのことだったのだろうか。 彼女の癖一つないサラリとした髪は、今ではもう背中まで伸びている。彼女の無邪気な笑顔は昔と何一つ変わっていないけれど、笑うたびにしなやかに揺れる長髪は、僕の知らない彼女の気品を感じさせた。 高校を卒業して八年になる。一年と少し前、偶然このカフェで彼女と出会ったときは一瞬誰だか分からなかった。けれど曇り一つない眩しいその笑顔だけは、僕の知る瀬川泉さんそのものだった。 青春の懐かしさに引き寄せられるように、僕と彼女は惹かれ合った。それは馬鹿げているようで、けれど運命的とも言える出逢いだった。と、僕は思う。偶然出会った、目と目が合った、たったそれだけで僕たちは恋人のような関係になったのだ。 一年以上の付き合いの中で、僕と彼女はキスさえしていない。手を握り合うのがやっとの関係。そのもどかしさは、遠い昔に忘れた青春に香りに溢れていた。それが堪らなく幸せだった。 つまるところ、僕も彼女も縋っていたのだ。人生で一番光り輝いていたであろうあの時代の面影に。 予期せず再び訪れた青春を、大人になり果てた二人は、何もかもを忘れたふりをして、ひたすら追い求めていたのだ。
「ねえ、ハヤテ君」 「なんですか、泉さん」 「……今日ね、またお仕事でミスして怒られちゃったよ」 「また例の部長さんですか?」 「そうそう。相変わらずお説教が長いのなんのって」
他愛もない会話さえ、酷く愛おしい。黄昏色に染まるカフェの中でただ会話をしているだけで、放課後の教室で彼女の仕事を手伝っていたあの日々を思い出す。
「昔みたいに手伝ってあげたいんですけど、ね」 「……にははっ。そうだねぇ、手伝ってほしいよ。……うん、昔みたいに」
そう消え入りそうな声で呟いて、彼女は視線を落とした。明らかにいつもと違う彼女の様子に、心の奥がざわめく。 俯いた彼女は一言も言葉を発そうとしなかった。伏せられた長い睫に遮られ、彼女の瞳を覗き込むことは出来ない。泣いているのかさえ分からなくて、声一つかけられずにいた。 かつての僕ならば、きっと衝動に任せて彼女の手をそっと握るなり、隣に座って肩を抱き寄せるなり出来たのだろう。けれど、今となってはそれさえ叶わない。 昔とは、何もかもが違うのだ。
「――あのね」
黙り込んでいた彼女が、俯いたまま小さな声で話し始めた、その瞬間。
「お待たせしましたぁ」
間延びしたマスターの声が彼女の話に割り込んだ。彼に悪気はないのだろうけど、その間の悪さに少しばかり苦笑いが浮かぶ。それは彼女も同じのようで、珈琲を置くマスターに向かって僅かに苦笑している。 困った笑みを浮かべながら彼女は「ありがとう」と彼に小さく礼を言う。そしていつものように角砂糖二つとたっぷりのミルクを珈琲に入れて、スプーンでぐるりぐるりとかき混ぜ始めた。 白と黒のマーブル模様がカップの中に浮かび上がる。少しずつ溶け合っていくそれを、二人して眺めていた。
「――明日、」
彼女が再び口を開く。しかし言葉は中々続かない。少しだけ視線を上げると、震える彼女の唇が見えた。下唇を軽く噛み占めるその姿に、彼女の覚悟を見た気がした。 視線をカップに戻すと、白と黒はすっかり混ざり合っていた。まろやかな白みを帯びた珈琲は、まだ微かにカップの中で回っている。 その余韻が沈んだころ、彼女はカップを口へと運んだ。それにつられて僕の視線も自然と彼女へと向いた。こくり、と彼女の喉が一つ鳴る。 そして、深い深い息を吐いた後、彼女は言った。
「明日から、もう、会えない」
途切れ途切れにそう告げて、彼女は再びカップに口をつけた。こくり、こくり、とゆっくりと動く彼女の白い喉を眺めながら、僕は一拍遅れて彼女の言葉の意味を理解した。 週に一度しか会わない関係なのに、彼女はわざわざ「明日から」と言った。彼女が意識してそう言ったのかは分からないが、僕には確かに「もう、二度と会えない」と彼女が告げたように聞こえた。 どうして、とも思ったし、やっぱり、とも思った。けれど頭は嫌に冷静でありながら、心がすっかり動揺していた僕の口からは、どちらの言葉も出てくれない。 しかし、沈黙は肯定である。きっと彼女はそうとらえてくれるだろうと、どこかで期待していた。
これは仕方のないことなのだ。 だって、いくら目を背けたかって僕たちはいい大人だし、どんなに望んだって青春時代になんて戻れない。思い出に縋って生きていけるだなんて、僕も彼女も思ってやしない。 ――それに、何より。 ――僕にも、彼女にも、かつてはなかった大切なものが他にあるのだ。
「私ね、結婚が決まったの」
静かな声だった。それは二十五歳になった大人の女性の落ち着いた声で、僕のよく知る高校生の瀬川泉とは似ても似つかぬもので。
「……それは、おめでとうございます」
その低く穏やかな声は、きっと彼女の知らない二十五歳になった大人の僕の声だ。 悲しくて泣きたくて仕方のない心を押し潰して、真っ先に社交辞令が口を飛び出るようになった僕は、きっともう昔みたいに優しくなんてない。
「……うん。ありがとう、ハヤテ君」
社交辞令に笑顔を向ける彼女も、きっと。 いつまでも、真っ白ではいられない。彼女の純粋な笑顔は、僕の知らないところで少しずつくすんでいったのだ。
一年と少し前。 僕がカフェに通い始めてひと月が経ったころ、偶然やってきた彼女と目が合って、微かに残る懐かしい面影に思わず微笑みかけて、そしたら彼女も昔のままの笑顔で返してくれて。 気が付けば待ち合わせをしたわけでもないのに、毎週一緒に珈琲を啜るようになって。いつの間にか、告白もしていないのに、キスもしていないのに、愛を囁くようになって。 ただ触れることさえも照れくさくて。本当はキスだって、それ以上のことだって経験しているのに、いつも僕たち二人はうぶを気取って、夕暮れのカフェの中で幼い顔で笑い合っていた。 気付いていないわけがなかった。 彼女が昔みたいに笑えないことも、僕が昔みたいに無償の優しさを振りまけないことも。 彼女には結婚を約束した彼氏がいて、僕には主以上の存在になった大切な人がいることも。 昔とは何もかもが違うことに気付きながら、僕らは何も知らない少年少女のように子供じみた恋人ごっこを繰り返してきた。気づかないふりは、僕も彼女も得意だった。 大切な人がいながら発展することのない逢瀬を重ねてきた僕たちは、まさしく酷く滑稽で汚い大人そのものだ。青春時代を演じながら、いつも心のどこかで汚い自分を嘲笑っていた。
そんな関係が、この先ずっと続くわけがなかった。 仕方ない。この別れは、どうしようもなく、仕方のないことなのだ。しかし、そうだと分かっていても、視界が滲む。 見せ掛けだけの純情と過ぎ去った思い出だけで構成された薄っぺらな関係の中で、ただ一つ確かに存在していたのは、彼女への淡い恋心だった。 僕は、彼女を愛していた。
「ハヤテ君、これ……」
泣きたい気持ちを悟られないよう俯いていると、彼女が何かを僕に差し出した。視線を上げて、白い掌に乗っているものを確かめる。 淡いオレンジ色の小さな薔薇が付いた可愛らしいネックレスが、彼女の掌の上にちょこんと乗っている。それは間違いなく、数か月前の彼女の誕生日に渡したプレゼントだった。 ああ、そういえば。と今更気づく。僕と会うとき、彼女の首にこのネックレスが下がっていない時なんてなかった。けれど、今日は。
「……今まで、ありがとう。本当に、……ごめん、ね」
微かに震える掌を僕に寄せながら、彼女はすんと鼻を啜った。痛々しく伏せられた目に、涙は浮かんでいない。もう簡単には泣けなくなった彼女は、僕よりもずっと先に大人になってしまっていた。 零れそうな涙を懸命に堪えて、僕は彼女の掌に乗るネックレスを握りしめた。じゃり、と手の中で音がする。きっと絡まってしまっただろうが、そんなことは気にも留めず、それをポケットの中に放り込んだ。 この可愛らしいオレンジ色の薔薇は、もう二度と彼女の首に咲くことはない。
「こちらこそ、今まで、ありがとうございました」
彼女に負けないように気丈振る僕は、なんて滑稽なのだろう。
「泉さん」
もう呼ぶことはないであろう彼女の名前を口にする。
「……貴女の笑顔、大好きでした」
流れる時の中で煤けて、美しい白でなくなったとしても、かつての純粋の影を残した彼女の笑顔が大好きだった。 この愛おしい気持ちだけは、嘘ではない。
「……私も、そういう優しいとこ、大好きだったよ」
そう言って彼女は、長い髪を上品に揺らして微笑んだ。涙一つ浮かんでいない三日月形に細められた彼女の目は、僕の愛したそれそのものだった。 直視できなくなって思わず下を向く。堪えていた涙が手の甲にぽたりと垂れたのが虚しくて、乱暴にズボンにこすりつけた。
「……さようなら」 「うん、さようなら。……ハヤテ君」
きっと最後になる僕の名前を呼んで、彼女は席を立った。机の上には一人分の珈琲代がきちんと置かれている。 もう彼女はこのカフェに来ることはないのだろうな、と思いながらすっかり冷たくなった珈琲を啜る。しょっぱい。 ぼぉん、と古時計が三回泣いた。よく響く低い音が空っぽの身体の中で反響する。すん、と鼻を啜ったら、甘い薔薇の香りと珈琲の匂いがした。 もう僕もここには来れないのだろうな、とぼんやり霞んだ頭で夢想する。青春の放課後の光は、一人で浴びるには眩しすぎる。
天窓に咲くオレンジ色の薔薇は相変わらず美しく笑っている。しかしよく見るとその花弁は、長い時間に晒されて、煤けてくすんでいた。 けれど、それでもなお、美しかった。
【さよならカフェ】
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Re: 生徒会三人娘と仲間たちによる短編集。(ハヤ泉別れ話更新) ( No.24 ) |
- 日時: 2013/01/16 00:34
- 名前: きは
- こんばんは。きはです。またまた、感想の方に移らせて頂きます。
>さよならカフェ
理性と感情の狭間を垣間見た作品だったと思います。
>どうして、とも思ったし、やっぱり、とも思った。けれど頭は嫌に冷静でありながら、心がすっかり動揺していた僕の口からは、どちらの言葉も出てくれない。
この一文はハヤテの心情を吐露したもので、とても印象的でした。しかしながらその一方で、この一文を境として理性の勝っている心情描写が増え始めた気がします。 序盤では、「この心地よさと苦しさは、きっと僕の罪悪感である。」と仄めかす程度だったのが、「一年と少し前」の心情部分から全てを曝け出すように自分の行動(泉との逢瀬)を非難し始めます。 感情の方はと言うと、「僕は、彼女を愛していた。」と影をひそめるばかりです。
確かに二人は、特にハヤテは気付かないふりをしていたのかもしれません。甘酸っぱい青春時代を回顧するために、現実から目を逸らすことは往々によくあることだと思います。 (そんな体験したことないくせに、なぜか泣きそうになっていました。これが、餅ぬ。さんのなせる業なのか……) しかし、泉の別れを告げる一言で青春という夢から醒めてしまったのか、ハヤテの理性は「滑稽」という言葉を用いたりして、泉を愛していた自分の感情を嘲笑っているのです。
言わずもがな、理性と感情は人格の中に同居しています。 夕暮れのカフェで彼女と定期的に会って高校時代に戻ったような錯覚を覚えている時でも、理性は確実に機能しているはず。 二十五才にしてはプラトニックだった二人の関係も、大人びた理性が働いたからだと私は思います。 その理性は今まで感情の前面に出ていなかったのに、泉から別れを告げられた途端に「そんな関係が、この先ずっと続くわけがなかった。」と感情をせせら笑う様が、私からすれば滑稽に映ってしまうのです。
望んでいたはずの甘酸っぱい関係が終わったのを、客観的事実に基づく理性を以って感情を宥めようとする。 それは、淡い恋心が終わってしまうことを正当化したものです。そして、その正当化こそが、酷く滑稽で汚い大人ならではの方法なのでしょうか。
さて、ここからが指摘です。 ……と言っても、今作の文章表現はクオリティ高すぎるんですよねぇ。例えば。
年老いたマスターは、いつものようにカウンターの向こうでうつらうつらと舟を漕いでいる。
「船を漕いでいる」という暗喩。もはや、私の範疇を超えてしまっています(笑)。 思わず、師として仰ぎたくなるような文章です。 でも、突っ込みは入れておきますw
一つ目は、以下の文章です。
うたた寝をしていたマスターがびくりと肩を震わせて飛び起きた後、ニコリと笑ったのを見て、彼女が来たのだと確信した。
この文章は、マスターの行動と主人公(ハヤテ)の心情が同時に存在している文章です。 間違いではないのですが、読み手としてはややこしいんですよね。なぜなら、一人称小説の利点を最大限に活かせないからです。 今までの指摘と被るので、説明は割愛しときますw 一つの文で二人の行動を記すよりも、一つの文で一人の行動を記した方がシンプルで解りやすい、という側面もあったりします。 と、いうわけで、対案は以下の文章のように二つに分けた方がベターです。(ちょっぴり表現を弄ってみたり)
うたた寝をしていたマスターがびくりと肩を震わせて飛び起きた後、入口に向けてニコリと笑みを作る。どこか人懐っこいマスターの笑みを見て、僕は彼女が来たのだと確信した。
もう一つは、以下の描写です。
その店内は色とりどりの薔薇が煩くない程度に飾られており、頭上にある大きな三枚の天窓は中央の一枚にだけオレンジ色の薔薇が描かれている。 たった一枚の天窓から差し込むオレンジ色の光は晴れの日ならばいつだって薄暗い店内を満たし、朝でも昼でもそのカフェは黄昏色に染まっていた。
矛盾、しているんですよねぇ。一文目は、三枚ある天窓の中でも真ん中の一枚だけに、オレンジ色のバラが描かれているという表現です。 しかし、二文目は「たった一枚の天窓」と、一枚しか天窓はないかのような表現になっています。 いや、三枚中一枚だけが、オレンジ色の光となって窓を透過するという表現であることは分かるのです。ですが、うーん……。 三枚の内一枚だけがオレンジ色の光だとしても、他二枚がそのままの光を放っていたら、光の強さで負けてしまうのではないのでしょうか。専門ではないので、認識は間違っているのかもしれませんが。 つまり、天窓三枚にする意味はないような気がするのです。天窓をたったの一枚にして、そこにオレンジ色の薔薇を描いておけば、自然とオレンジ色の光が店内に差し込むと思います。
一枚だけだと店内を黄昏色にできない、つまり夕暮れのカフェができないと危惧されるのであれば、一応の対策を用意しておきます。 それは、「天窓の光が、ハヤテのいる店の片隅の席に直接降り注いでいる」という設定にすればいいのです。 文面を見る限りでは、泉と会っているのは午後二時頃のようです。太陽は南中から少し西へと傾き始めています。 その午後二時頃に、ちょうどオレンジ色の光が二人の会う席を照らすようにしてみればいいのです。
まぁ、天窓の配置を説明する義務はないですがw 逆に、午後二時頃のみで、しかもその場所しか照らさないことで、空間的にかつ時間的に限定された夕暮れのカフェを演出できる気がします。 対案は、出しません。矛盾を解消するか、もっとロマンチックに演出するかは、餅ぬ。さん次第です。
長くなってしまいました。推敲も不十分ですので、多少読み難いのかもしれません。ご了承ください。 それでは、長文失礼しました。
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Re: 生徒会三人娘と仲間たちによる短編集。(ハヤ泉別れ話更新) ( No.25 ) |
- 日時: 2013/01/27 23:00
- 名前: 餅ぬ。
>>きはさん
いつも感想・ご指摘ありがとうございます! 毎回どれだけ励みになっていることか……! さすがはきはさん、根底のコンセプトを読み取って頂けたようで! 今回は押し殺した感情(?)みたいなのがテーマにありました。……曖昧ですね、すいません; >甘酸っぱい青春時代を回顧するために、現実から目を逸らすことは往々によくあることだと思います。
甘酸っぱい青春は年を取ればとるほど輝いて見えるものですよね。特に泉みたいな純粋な子は、より輝いて見えるんじゃないかなと思っていたり。 ハヤテに関しては高校時代はすごく特別な時間になっているだろうし、ほかの人よりもずっとたくさんの思いが詰まっているんだろうなぁとか妄想していたら、なぜかこんな話になっていました。 ハヤ泉はどこまでもピュアであってほしい! という願いのギャップから生まれた作品です(笑) ちなみに私も高校時代には戻ってみたいけど、ここまで憧れた経験はございません(笑)
>二十五才にしてはプラトニックだった二人の関係も、大人びた理性が働いたからだと私は思います。
本当はこのくだりも書きたかったのですが、詰め込めませんでした……; ようは青春時代に戻っているふりをしながら、しっかり自己防衛はしているという大人の理性(汚さ)的な感じを出したかったのです。 ハヤテが泉に別れを告げられた瞬間に自分を卑下して嘲笑っているのも、きはさんのおっしゃる通り汚い大人の正当化ですね。 私も何か失敗するたびに「私にできるわけなかった」と自分を嘲って心を楽にしている人間なので、ハヤテの心情は非常に書きやすかったです(笑)
クオリティ高かったですか! ちょっとだけ今回は自信があったりしたので、非常に嬉しい一言でした♪ 毎回安定してこのくらい書けるとよいのですが……;
さて、今回もご指摘ありがとうございます!
また一人称の罠に引っかかってますね(汗) 面倒臭がって短くまとめようとしたら駄目ですね……。 今回も全く気にしていなかった部分なので、自分で気づけるようになるのはいつになるのやら;; そして毎度毎度で申し訳ないのですが、またもや例文をそのまま使わせて頂きました。そろそろ自分で考えなくては……!
あと天窓についてのご指摘も感謝です! これに関しては私の完全な想像力不足でした; 確かに三枚も天窓があったら、普通に明るいだけですね(笑) とりあえず一枚に変更しました。なんだか一部だけ夕焼け色という方がロマンチックですね! 最初からそうしておけばよかった……。
ではでは、今回もありがとうございました!!
あと、最後に一つだけお願いがあるのですが……。 きはさんの『境界をこえて』をトップのリンクに書いて頂いた番外編として加えたいのですが、よろしいでしょうか? それはちょっと……という感じでしたら、いくらでもお申し付けください! それでは厚かましいお願いではありますが、ご検討のほど宜しくお願い致します。
(2/7 追記)
ご快諾ありがとうございます。さっそくリンクさせて頂きました! もう私の想像を遥かに超えた最高の番外編を書いて頂いて、心から感謝致します! 今年はこの喜びを糧に生きていきます(笑)
この度は本当にありがとうございました!
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作品に対する感想ではないので、トップへソートいたしません。 ( No.26 ) |
- 日時: 2013/01/28 19:02
- 名前: きは
- 参照: http://soukensi.net/perch/hayate/subnovel/read.cgi?no=92
- こんばんは、きはです。
全然厚かましくはありませんよ。むしろ、私の方から売り込もうかなと思っていたほどです(笑) ですから、お願いの件は私からすれば、至極光栄なことでもあります。 どーぞ、どーぞ。好きに載せてあげてください。URLは↑に載せておきます。
憧れの人と肩を並べる形で作品が掲載されるということで、多少の加筆・修正はしました。 ですが、番外編として相応しい質に達していないなぁと思われましたら、忌憚なく仰ってください。 ……2月末ぐらいに修正させて頂きます。(つまり、その頃まで当分ここには来れそうにないです)
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奇妙で自信家な朝風さん。夢の中で猛アタック中。 ( No.27 ) |
- 日時: 2013/02/08 22:38
- 名前: 餅ぬ。
真っ白の床と壁に囲まれた部屋の真ん中あたりに、白い着物を身に纏った朝風さんが座っている。気が狂ってしまいそうなほどの白に包まれながら、彼女はなんて澄ました顔で座っているのだろうか。 白い空間にぽつりと浮かぶ彼女の黒く艶やかな髪を見ていなければ、きっと僕は気が触れてしまうだろう。真っ白の世界で唯一現実味を帯びている朝風さんの黒のおかげで、僕は狂わないでいられた。
「何をしてるんですか、朝風さん」
澄まし顔の彼女に問いかける。埃一つ、影一つないこの部屋で、彼女はいったい何をしているのか、ただ純粋に気になった。
「ん。なんだと思う?」 「……分からないです」 「分からなくていいよ」
会話として成り立っているのかさえ怪しい言葉の応酬。相変わらず朝風さんは掴みどころがない。 過去はまあ色々とアレだけれど、一応性格と性根は真面目であると自負している僕にとって、朝風さんの思考回路は少々難解である。 きっと彼女は僕と出会う前からずっと不思議で掴みどころのない人間として生きてきて、それを咎められることもなかったのだろう。もしくは咎められようとも、彼女の性質上何も気にしてこなかったのかもしれない。 澄まし顔から一転していつもの不敵な笑顔を浮かべ始めた朝風さんを見ながら、そんなことを考える。 にやにや、にやにや。彼女はいったい何を考えて、何を感じて、何をして、笑っているのだろう。 素直な瀬川さんやクールな花菱さんとは違う、説明し辛い独特の雰囲気を持つ彼女。 相手を傷つけないように悪く思われぬようにと生きてきた自分にとって、頭の中と性質を中々読ませてくれない彼女は、実のところ少々苦手な部類の人間であった。
「まあ、立ち話もなんだ。さ、ここにお座りよ、ハヤ太君」
朝風さんは白い着物の袖からこれまた白い腕をにょきりと伸ばし、目前の床を指差した。ここに座れと彼女は言う。 けれど僕はどうしてもその床に座れば最後、その白に溶け込んでしまうような気がして腰を下ろすことができなかった。 躊躇う僕を、朝風さんの赤い瞳が見据える。彼女は視線を目前に落とし、言葉ではなくその強い目で早く座れと訴える。しかし僕は動けない。 伏せられた彼女の目を上から眺めていると、彼女の睫毛が意外と長いことに気が付いた。長くて黒い睫がぴしゃりとおりてまたあがる。 まばたきの一つでさえも、この異様な白い空間では酷く映えて美しい。
「なんだ、見惚れてるのか」
目を伏せたまま、僕の顔も見ないまま、朝風さんが呟く。口元が僅かに弧を描いている。
「いや、その。そういうわけでは……」
無論見惚れていたわけなのだが、何故か認めたくなくて否定の言葉を紡ぎかける。 しかし、正面切って「見惚れていません」なんて言ってしまえば、きっと朝風さんだって傷ついてしまうはず。そんな心理が働いて、僕の言葉は非常に歯切れの悪いものとなった。 朝風さんはしどろもどろの言葉を聞きながら、くつくつと喉の奥で笑っている。ああ、きっと彼女は僕の心理を見抜いているのだ、と思った。
「まあ、見惚れていても仕方がない。なんたって君は私にゾッコンなのだからな」
にやにや、にやにや。笑う彼女のこの言葉は、果たして冗談なのか、本気なのか。彼女の本心が読めない。
「で、座らないのかね、ハヤ太君」 「いえ、なんだか座れなくて」 「へえ、そうなのか。変なの」 「すいません」 「謝らなくてもいいさ」
そう言って彼女は僕を見た。その顔に思わずどきりと心臓が跳ねた。 にやにやと不敵な笑顔を向けてくるのかと思いきや、彼女は年相応の女の子の笑顔を顔に張り付けていたのだ。いつぞやの彼女が見せた、不純なものは含まれていないと思われる可愛らしい微笑み。 純と不純を行き来する彼女の笑顔は、もしかしたら瀬川さん以上に種類が豊富なのではないだろうか。もしくは、笑顔を自由に操れるという女性の一種の計算高さか。 答えは見えない。ただ漠然と感じたのは、やはり読めぬ相手は苦手であるということだった。 彼女の微笑みはすぐに消えて、また目を伏せた。暫くの間、静寂が続いた。まばたきの度にユラユラと揺れる黒い睫を、只々見つめていた。 純粋な笑みも不敵な笑みも浮かべていない凛と澄ましたその顔は、彼女の本当の顔なのだろう、か。
「ああ、そういえば、ハヤ太君。お腹、減ってないか?」
何かを思いついたように、彼女は僕に向かって尋ねてくる。そう言えば、何も食べていないような気がする。
「そう言えば何も食べてないような気がします」 「気がする?」 「ええ、気がする」 「漠然としているな、まあ、仕方ないか。じゃあ、コレでも食べるかね?」
どこへやったかなぁ、ああ、ここだここだ。あれ? 違った? ああ、いやいや、ここにあった。と、彼女は独り言を繰り返す。 そして何もないはずの真っ白い空間から、これはまた真っ白な大福を取り出した朝風さんを見て、僕は今更ながらこれは夢なのだと気がついた。しかし気付いたところで僕はこの夢から覚める術を知らない。 にやにや、にやにや。朝風さんは不敵に笑いながら、僕の前に大福を置く。そして静かに口を開いた。
「夢だと気付いたね、ハヤ太君」 「ええ、やっと」 「それも嫌な夢だと思っているな」 「ええ、とても嫌な夢です」
夢と分かった以上、目の前の彼女に対してオブラートは必要ないように感じた。正直になった僕を見て、彼女はにやりとほくそ笑んだが、これもまた夢の一つ。僕の妄想なのである。そう、全ては僕の妄想なのだ。 もし、ここで差し出された大福を叩き潰しても、壁に思いっきり投げつけてグチャグチャにしても、現実世界の朝風さんが怒ることなんてない。 もしも、ここの朝風さんに酷いことを言っても、しても、目覚めれば全て終わりなのだ。 ここでは、何も恐れることはない。
「なあ、ハヤ太君。何やら不埒なことを考えてるだろう?」 「お見通しですか。ええ、そうでしょうね。これは僕の夢ですから」 「夢は欲望の根っこらしいぞ。その夢で私と出会うということは、つまるところやっぱり君は私に気があるんじゃないか?」 「そんなことないですよ」 「む、随分とはっきり否定するな。傷つくぞ」 「あなたが傷ついても、現実の朝風さんは何一つ傷つきませんから」 「ふむ。確かに。まあ、現実の私もそんなことで傷つくほど軟じゃあないがな」
そう言って朝風さんは「あっはっはっは」と高らかに笑って見せた。白い世界に彼女の笑い声だけが木霊する。笑っているのは声だけで、その表情は無である。 一通り笑い終えた彼女は、息を整えながら僕をじぃと見据えた。上下する白い肩と白い床の境界が、非常に曖昧である。彼女はじきに溶けるだろう。
「なあ、ハヤ太君。一つ賭けをしようじゃないか」
にやにや、にやにや、にやにや。つい先ほどまで無表情だった顔にいつもの不敵な笑みを浮かべて、彼女が言う。上目使いで僕をじぃぃと見つめてくる。
「もしも、ハヤ太君が夢から覚めて、ここでの出来事を覚えていたら、私は君に愛を囁いてやってもいいぞ」 「……結構です」 「おや、つれないな。だったら、もう一つおまけだ。このよくばり屋さんめ」
ケタケタと大口を開けて悪戯小僧のように朝風さんが笑う。もっと女性らしい微笑みを彼女は勉強したほうがいいと思う。例えば、そう、年相応の可愛らしい笑顔とか。
「もしもこの夢を覚えていたら、愛を囁いて、ついでに私の一番大切なものをハヤ太君にあげるよ」
面白い賭けだろう、と彼女は笑って、そのままどろりと真っ白の床に溶けていった。とぷん、と彼女の黒い髪が床に姿を消した時、僕はようやくゆっくりと目を閉じることができた。 掠れゆく意識の中、夢は欲望の根っこだ、という彼女の言葉をぼんやりと思い出した。
* * *
「ハヤ太くーん! おはよー!」
瀬川さんの元気な声が教室内に響き渡った。 五日連続でお嬢様を学校へ連れ出せなかった不甲斐なさを嘆いて、少々暗い気分になっていたが、彼女の一声のおかげで一気に気が晴れた。
「おはようございます、瀬川さん」
こちらに駆け寄ってくる瀬川さんに笑顔を向けて挨拶を返す。 僕の反応に満足したらしいいいんちょさんは、いつものようにクラスの皆への挨拶回りを始めた。彼女に笑顔を向けられた者はどんなに眠たげだろうと笑顔で返事を返している。 これがいいんちょさんの力というやつなのか、としみじみ感心していると、瀬川さんに一拍遅れて花菱さんと朝風さんが教室に入ってきた。 いつも通り二人とも非常に眠たそうな目をしている。朝風さんなんか、ほとんど寝ながら歩いているのではないだろうか。
「おはようございます、花菱さん、朝風さん」 「ああ……おはよう……」
まだ割としっかりしている花菱さんが、なんともローテンションな声で挨拶を返してくる。隣に立っている朝風さんは、今にも鼻提灯を膨らまさん勢いで眠たそうである。いや、多分半分寝ている。 しっかりしろ、と花菱さんが朝風さんの背中を叩く。しかし一向に覚醒しない彼女を見て、僕と花菱さんは顔を見合わせお互いに苦笑いを浮かべた。 そして起こすことを諦めたらしい花菱さんは、僕の席の前に朝風さんを置き去りにして颯爽と自分の席へと去って行ってしまった。 僕は戸惑いながらも、朝風さんを起こそうと彼女の腕を軽く突いた。しかし彼女はユラユラと揺れるばかり。目はすっかり閉じてしまっている。
「朝風さーん。起きてくださーい」
そう言いながら僕は彼女の隣に立ち、肩を優しく叩いた。すると彼女は意外とあっさり目を開き、僕の方をじぃと見つめてきた。 長身である彼女の視線は僕の視線の高さとほとんど変わらない。故に、彼女は怖いほど真っ直ぐに、僕の目を見据えてくる。 寝起きとは思えないその眼光に、何故だか見覚えがあるような気がした。黒くて長い睫が、まばたきの度に揺れるその光景を、どこかで。
「なー、ハヤ太君」
寝起き特有の間延びした声で彼女が名前を呼ぶ。 そして口元だけを少し歪ませながら、小さな声で一つ問いかけてきた。
「夢を、覚えてるか?」
意味が分からず、首を傾げる。 朝風さんは一言「そうか」と言った後、にやりと笑った。
「今回も、私の勝ちだな。ハヤ太君」
そう満足げに言い残して去っていく朝風さんの背中を見送りながら、僕は彼女の言う夢とやらを思い出そうと記憶を手繰る。しかし夢は見ているはずなのにほんの一欠けらさえ思い出せない。 風景も内容も人物も、確かに何かを見ていたはずなのに、何一つとしてはっきりとしない。それが何だかもどかしくて、無性に悔しくて。 忘れてはいけなかったのに。覚えていなくてはいけなかったのに。そんな後悔にも似たすっきりとしない感情が心の内に広がる。 次こそは覚えていよう。そんな誓いを心の中で立ててみたけれど、きっと忘れてしまうだろう。何故だか、そんな気がした。
にやにや、にやにや。 にやにや、にやにや。 彼女の不敵な笑みだけが、妙に脳裏にこびり付いていた。
【起きたら必ず忘れる夢】
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Re: 生徒会三人娘と仲間たちによる短編集。(奇妙な理沙話更新) ( No.28 ) |
- 日時: 2013/02/09 17:22
- 名前: ピアノフォルテ
- 初めまして、ピアノフォルテといいます。
ひなたのゆめで、ここまでの衝撃に出逢ったのは、久々でした。 私の中で勝手にライバル視しているのが、「爪先で感じるの。」を三次創作されたきはさんなのですが、そのきはさんが師と仰ぐだけはあります。(恥ずかしながら、私はそちらの三次創作より餅ぬ。さんの作品に興味を持った身であります)
とにかく、言葉選びが素晴らしい。ギャグの話では、原作キャラクターの持ち味を完全に把握しているとしか思えない、生き生きとした会話文。 シリアスな描写では、独創的な抽象化と、変拍子の様リズムを感じる地の文。 そして、なにより落とし所が憎い。そのどれもが、ちょっと不思議さを感じさせる、童謡のように、噛み砕くと時に恐ろしささえ感じる退廃的な美が根底にあります。 他の作者には(私にも)無い技量には感服の一言。
……でも、気に入った作家は敵視するのが私の流儀なので(笑) かってに餅ぬ。さんもライバルリストに入れさせて頂きます。 同じ作家として、これからも共に研鑽して行きましょう!!
それでは、失礼しました。
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Re: 生徒会三人娘と仲間たちによる短編集。(奇妙な理沙話更新) ( No.29 ) |
- 日時: 2013/02/24 21:34
- 名前: きは
- 参照: http://soukensi.net/perch/hayate/subnovel/read.cgi?no=92
- こんばんは、きはです。
>起きたら必ず忘れる夢
さすが雰囲気小説。明確な解釈が見出せません(笑) まぁ、すべての物事に必ず答えがあると思っていたら、大間違いなんですけどね……。
純粋な感想としましては、一読して頭に「?」マークを浮かべた後、作品のレスの題名を見て「!」マークに変わった、ということです。 理沙側の視点に立って考えてみると、色々な読み方ができます。けど、言葉ではうまく言い表せません(泣)
――ということで、理沙視点でこのお話を番外編として書かせてください。 お話にはお話で応えた方が、感想よりも伝わりやすいかなと思ったからです。 それが雰囲気小説のように、抽象的な話題だとなおさらかなぁと感じる次第です。 ……例えるなら、古典でよく見る、詠まれた短歌に対して短歌で返すという手法です。 わがままなお願いだとは思いますが、どうかご一考ください。
ここから、批判です。解釈は見出せなくても、描写で不自然な部分は確かに存在していますから。
気になったのは、以下の一文です。引用いたします。 面白い賭けだろう、と彼女は笑って、そのままどろりと真っ白の壁に溶けていった。とぷん、と彼女の黒い髪が壁に姿を消した時、僕はようやくゆっくりと目を閉じることができた。
ポイントとして取り上げるのは、「真っ白の壁に溶けていった」という部分です。 確認として、最初の一文に以下の情景描写があります。 真っ白の床と壁に囲まれた部屋の真ん中あたりに、白い着物を身に纏った朝風さんが座っている。
この一文から、理沙のいる場所は部屋の中心に位置する場所であることが分かります。つまり、理沙は壁と接していないのです。 そのことは、以下の一文からも伺うことができます。
上下する白い肩と白い床の境界が、非常に曖昧である。
この一文は、一人称ハヤテ視点であることを活かしている一文です。 立ったままのハヤテから座ったままの理沙へと視線は下へと向いている、そのことが理沙の肩と白い床との境界によって現わされているのです。 これによって、二人のいる白い部屋は狭すぎではないことが想像できると思います。
だからこそ、「壁に溶けていった」という表現に引っかかりを覚えるのです。 再確認しておきます。理沙は壁と接していません。ですから、溶けている物体は少なくとも、壁へと移動しなければなりません。 では、どうやって? それが、私の感じる最大の不自然です。
対案は、一応二つあります。 一つ目は、「溶けた物体は壁へと吸い込まれた(飲み込まれた)」という表現を加えることです。これで、少しは想像できると思います。 二つ目は、溶けていく場所を床に設定すること。これで、自然と溶けていく状態を表現できると思います。 私は二つ目の案をお勧めします。なぜなら、溶けていく順番で一番最後になるのは、頭――つまり髪になりますから。
批判が主となってしまいましたが、それでも、楽しめる作品でした。ありがとうございました。 次回作も期待しています。
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Re: 生徒会三人娘と仲間たちによる短編集。(奇妙な理沙話更新) ( No.30 ) |
- 日時: 2013/03/05 14:03
- 名前: 餅ぬ。
>>ピアノフォルテさん
初めまして、餅ぬ。です。感想ありがとうございます! そして返信が大変遅くなってしまい、申し訳ありません; ピアノフォルテさんの作品は前々からこっそりと拝読していたのですが、まさか感想を頂けるとは思っていなかったので少し驚きつつも非常に嬉しかったです。 素晴らしい作品ときっかけを作ってくださったきはさんには、本当に感謝し尽くせません……!
そして、勿体ないほどの言葉ばかり頂きまして……。嬉しいやら恥ずかしいやら、ご期待に添わねばとちょっとプレッシャーを感じたりやら(笑) 台詞回しと文章のテンポはこだわりを持ってやっているつもりなので、お褒め頂いて光栄です。それを重視しすぎて、文法が破綻したり矛盾したり等々がしょっちゅうですが……;
>噛み砕くと時に恐ろしささえ感じる退廃的な美が根底にあります。
色々ありまして、昔書いていたころよりも良かれ悪かれ随分と捻くれた文章になってしまったなあと自分でも思います(笑) シリアスでもすっきりとしたハッピーエンドなオチを書きたいのですが……。 分かりにくい文章ばかり書いてしまうようになって、自分の作品傾向に些か疑問を感じたりすることも多々あるのですが、ピアノフォルテさんのお言葉のおかげで少し自信が持てました!
ライバルリストに仲間入りさせて頂けたようで光栄です! お互い、これからも精進していきましょう! ではでは、ご感想ありがとうございました!
>>きはさん
感想・ご指摘ありがとうございます! そして返信が遅くなってしまい、申し訳ありませんでした;
はい、いつもながらの雰囲気小説です! 今回の話は前のもの以上に何も考えず書いたので、私自身も明確な解釈は見出せていません(笑) とりあえず、自信家な雰囲気の小憎たらしい変な理沙を書きたかっただけの作品です。あと、一抹の恋心的なものと。 言葉では言い表せない何かを感じ取っていただけたようで何よりです! タイトルに書いておいてよかったです(汗)
またもや何とも喜ばしいことが……!! こちらとしては是非とも読ませて頂きたいです! 書いた本人もあんまり意味の分かっていない問題作(?)なので、きはさんの解釈が非常に楽しみです。うん、この作品を書いてよかった……! なんだかこちらこそ番外編を集っているようで申し訳ないのですが、書いて頂けるのであれば是非ともよろしくお願いします!
また、ご指摘もありがとうございました! 今回のご指摘の部分なのですが投稿前に私も気付いていまして、修正したと思っていたら修正していなかったという推敲不足でございます;; 頭の中では床に溶けていく理沙を想像していたのですが、何故壁と書いてしまったのやら……(汗) 投稿後はあまり見直しをしないタイプなので、ご指摘頂けなかったらずっとそのままだったと思います; 本当に助かりました、ありがとうございます!
ではでは、感想、ご指摘、そして有難いお願いまで、本当にありがとうございました!
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一時間でどんなのが書けるか挑戦した結果。 ( No.31 ) |
- 日時: 2013/03/11 03:46
- 名前: 餅ぬ。
「好きな人が、出来たんです」
どういう会話の流れから彼のこの言葉を聞くに至ったか、花菱美希は覚えていなかった。忘れ物を取りに一人で教室へ戻ってきたら、窓辺で一人佇むハヤテを見かけて声をかけた。会話のきっかけは、ただそれだけである。 覚える価値もないような他愛のない会話を繰り返し、只々繰り返し、その果てに偶然にも聞き出した彼の心境。正直なところ、美希は戸惑っていた。彼女は単に、世間話をしていただけのつもりだった。 人一倍色恋沙汰に関して鈍く、人一倍人を愛するということに関して臆病だった彼が、自分のような人間にぽろりと本音を零すなど、彼女自身考えてもいなかった。まず彼の本音を探る気さえ、今の美希にはなかった。 しかし聞いてしまった以上、詮索せずにはいられないのが女子高生としての悲しい性である。恋愛沙汰となればなおさら。それも、天然ジゴロと名高い綾崎ハヤテの想い人となれば、好奇心も一入だ。 もしかしたら、という淡い期待を込めて相手の名前を尋ねてみた。けれど期待はただの期待でしかなく、照れくさそうに彼が口にした名前は予想もしていなかった名前だった。
自分が振られたわけでもないのに、何故だか泣きそうになって、美希はぐっと唇を噛みしめた。「ハヤ太君にもそんな感情があったんだな」と、皮肉っぽく茶化しながらも、美希はまた心の中でもしかしてを考える。 もしかしたら、彼のその恋愛感情はほんの一時的なものでしかなくて、案外すぐに冷めるのかもしれない。しかし彼は人一倍情を大事にする男であることも、美希は知っていた。知っていたが故に、頭の中の仮定の話さえ満足に出来なかった。 幸せそうに微笑みながら窓の外を眺めるハヤテの横顔を見ているうちに、物悲しさが美希の心の中に満ちていき、耐えきれずついに涙を一つ落とした。 美希が泣きだしたことを目敏く見つけたハヤテが、焦ったように眉を潜めながら美希を宥めようとすっと手を伸ばしてくる。美希はその手を迷わず払い落とし、ハヤテと同じように眉を潜めてじっと彼を見据えた。 その無意識の優しさが何人の女の子の心を捕らえたと思っているのだ、と美希はその瞳で語りかける。しかしハヤテは戸惑うばかりで、払い除けられた手をモタモタと所在なさげに持て余していた。
「なぜ泣くんですか、花菱さん」
突然泣き出した美希の心を読み取ることができないハヤテは、情けなくも穏やかな口調で美希に問いかける。それは幼い子供に語りかけるそれによく似ていた。 彼の優しさは実に多種多様だと美希は思う。少々ぶっきらぼうな男らしい優しさから、女性を虜にしてしまう甘く暖かな優しさまで。そんな素敵な優しさを無償で垂れ流してしまうから、気付かぬうちに誰も彼もハヤテを好いてしまうのだ。 彼がもっと冷たい人間であったなら、情に浅い人間であったなら、とまたしても無駄な想像が美希の頭の中を巡る。頭の中から溢れだした想像が、目からぽろりぽろりと水になって零れ落ちた。 一層泣き出した美希を見て慌てふためくハヤテに、彼女はグズグズの涙声で涙の理由を教えてあげた。
「だって、ハヤ太君、君は、何も分かっちゃいないじゃないか」
美希はハヤテを想う可哀想な少女を二人知っている。 幼馴染で笑顔が素敵な大親友と、彼女自身が仄かに想いを寄せる憧れの人。どちらも何より大切な友人で、茶化しながらも美希は彼女なりに二人の恋路を応援してきたつもりだった。 自身の想い人の恋愛を応援するということに言い知れぬ焦燥を覚えたりもしたが、叶わぬ恋だと諦めて、自分の心を押し殺して、ただひたすらに美希は彼女の幸せだけを願ってきた。 恋愛に不器用な憧れの人は、どうにか彼に想われたくて、素直になれない性格と戦いながら彼女なりに必死で頑張ってきたというのに。あまりにむごい結末じゃないか、と美希は心の中で一人ごちた。
「君は馬鹿だ、ハヤ太君」
ハヤテは何も知らない。自分が誰からどれだけ好かれていたのか、彼は何も知らないのだ。それを分かっていながらも、美希の口からは子供じみた罵倒の言葉が溢れ続ける。
「馬鹿、ハヤ太君の馬鹿、」 「すいません……」 「理由も分からずに謝るな馬鹿やろう」 「……すいません」
美希は泣いて、ハヤテは只々謝っていた。美希の言葉の真意を知らないハヤテの謝罪に意味はない。意味がないと分かっていながらも、事態が把握できていない彼はただ謝ることしかできなかった。 意味を成さない謝罪の言葉を聞きながら、美希はひたすら泣いていた。そこにいつもの冷静な彼女の面影はなく、鼻を真っ赤に染めて、今にも床へへたり込んでしまいそうなほど弱々しく全身を震わせている。 それでも美希はハヤテを見据えて、懸命に震える唇を動かした。
「私はな、ハヤ太君に幸せになってもらいたいと思ってるよ」
美希の語るその気持ちに嘘はない。 ハヤテが誰を愛そうかなんて、美希にとって本当はどうでもよかったのだ。そう、美希個人にとっては。
「でもね、私には君以上に幸せになってもらいたい人がいるんだ」
親友は勿論のこと、自分の恋心を押し殺してまで願った憧れの少女の幸せ。それらが全て報われない現実を目の当たりにした美希の心を、ハヤテが知ることはない。
(きっとこのことを知ったとき泉は今の私のように、もしくはそれ以上に泣くんだろうな。 ヒナは強がりだからきっと平気なふりをするのだろうけど、心の中では親友以上に泣いてしまうのだろうね)
大好きな彼女たちの悲しむ姿がふと脳裏に浮かんで、やっと渇きかけていた目尻がまた涙でジワリと湿りを帯びる。
「……ハヤ太君、私はね、ヒナと泉が大好きなんだよ」
美希がそう言うと、ハヤテは首を傾げた。まるで何故今泉とヒナギクの名前が出てくるのか分からないとでも言いたげなその態度に、美希は確かな怒りを覚えた。 彼が悪いわけではないと美希の理性が彼女に語りかけるが、一度頭に上った血は中々降りてこない。彼女の表情は崩れていないが、自然と拳がぎゅっと握りこまれた。 それでも美希は拳をぎりぎりと白くなるほどきつく握りしめ、殴りつけたくなる衝動を抑え込んだ。 そしてぽつりと一つだけ本音を零した。これは彼女のひた隠しにしていた心の一部であり、ハヤテに理解してもらおうなんて毛頭思っていない。
ただ、ただ、自ら潰した想いを改めて言葉にしたかった。
「私は、ヒナのことが大好きだったんだ」
先ほど美希が紡いだ二人への信愛の言葉とは明らかに違う意味合いを込めた、その一言。勘の鋭い者であれば美希の本心に気付くのだろうが、美希の対峙している相手は生憎綾崎ハヤテである。 恋愛感情に疎い彼が、美希の言葉の意味を理解することはなかった。申し訳なさそうに目を伏せて、何度目かわからない謝罪の言葉を呟くばかり。その謝罪は相変わらず意味を成してはいなかった。 泉とヒナギクの恋心も、美希の押し殺された恋心も、彼は何一つ知らないのだから仕方のないことである。彼は何も悪くないのだ。それは美希も知っている。だが、全てを知るが故に、美希の涙は止まらない。
「……大好き、だったんだぞ。馬鹿やろう……」
今までの全ての想いを込めて一言そう言い放ち、美希はその場に泣き崩れた。その涙の本当の意味をハヤテは分かっていない。
何も、何も、分かっちゃいない。
【知っている人、知らない人】
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Re: 生徒会三人娘と仲間たちによる短編集。(美希とハヤテの話更新) ( No.32 ) |
- 日時: 2013/03/12 12:47
- 名前: ピアノフォルテ
- さて、ハヤテの想い人とは、誰なんでしょう。
全部読んだ後に、最初のハヤテの台詞に対するアンサーが、もし美希その人だったら最高に垂涎ものよのう。と、「大好き『だった』」という過去形の一文から、ちょっと強引ながら、妄想してしまいました。 本当は「なぜ泣くんですか、花菱さん」とハヤテが言っているところから、違うと解るんですけどね。もし美希なら、別の台詞が入るはずですし。 これが無かったら、美希だと仮定した三次小説でも書きあげてしまっていたかもしれません(笑) より鬱な方向に話を膨らませようとするのは、私の悪い癖です。
さて、相変わらずのワクワク鬱々なお話でした。 美希は本当に友達思い(また、想いでもある)ですねえ。彼女たちの為に泣けると言うのは、凄いことです。 でも、彼女は友達思いだから、同じく友人であるハヤテを心底憎むことが出来ない。だから泣き崩れるしかない。糾弾すべきは、ハヤテではなく、もっと別の理不尽。ハヤテにも美希にもどうしようもない力。あるいは流れと言いかえるべきでしょうか。 それに翻弄される少女の図式。うーん。たまらん(殴
ところで、今回美希の心象を上手く表現していると思った所が一文。
>ヒナは強がりだからきっと平気なふりをするのだろうけど、心の中では親友以上に泣いてしまうのだろうね
前の文から、この『親友』は泉であることが解ります。 ポイントは、ヒナギクにも『親友』の代名詞を使えるのに、敢えてそうしなかった所。 つまり、美希にとってヒナギクは『親友』とさえ、並列にはし難い人物ということになります。後の文でも、美希がヒナギクにどういった感情を持っていたのかは説明されていますが、文章の巧みさという点では、ここが一番感心させられました。
いやあ、勉強になりました。ありがとうございました。 それでは、またお会いしましょう。
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Re: 生徒会三人娘と仲間たちによる短編集。(美希とハヤテの話更新) ( No.33 ) |
- 日時: 2013/03/17 00:25
- 名前: 餅ぬ。
>>ピアノフォルテさん
感想ありがとうございます! ピアノフォルテさんの感想を拝読して、ものすごく創作意欲が掻き立てられました! 確かにハヤテの想い人が美希だったらという設定で書いていたら、なんだかすごいことになっていた気がします; 一時間という制限時間を設けていなかったら、ぜひともその設定で書いてみたかったです……! 鬱々な話は好物なので、このような「もしも」のお話を聞かせて頂いて私の方こそ色々と滾りました(笑
優しい美希のお話を書きたかったので、友達思いな部分を感じて頂けて何よりです! ハヤテは誰かを好きになっただけで、本当に何も悪いことはしていないのです。何も知らないのです。 美希のモヤモヤとしたどこにもぶつけられない感情が今回のコンセプトでした。あと泣き顔です←
>つまり、美希にとってヒナギクは『親友』とさえ、並列にはし難い人物ということになります。
この部分はすごく強調したかった部分の一つでもあるので、描写をお褒め頂いて光栄です! でもヒナへの想いを強調しすぎるとなんだか泉をないがしろにしているようになってしまうので、苦労しました(汗
ではでは、感想ありがとうございました! 今後も亀さん速度の更新ですが、お付き合い頂けると幸いです!
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ピュアピュアないいんちょさんとちょっと嫉妬深いハヤテ君 ( No.34 ) |
- 日時: 2013/03/17 00:26
- 名前: 餅ぬ。
- 【だって、大好きなの!】
生徒会のお仕事は大変だし、日誌を書くのは少し面倒くさい。でも最近ちょっと好きになった。理由は簡単、大好きな人と二人きりになれるから。 私の好きな人はびっくりするほどお人好し。美希ちゃんと理沙ちんに置いて行かれて、一人仕事に追われる私を見かけると必ずと言っていいほどお手伝いをしてくれるのだ。 クラスメイト達は帰宅したり部活へ行ったりして、教室からどんどん姿を消していく。最後に残るのは、もたもたとお仕事を片付ける私と、そんな私を優しい笑顔で見守る彼。 お日様が傾いて少しだけ暗くなった夕暮れの教室の中で、私と彼だけが息をしていた。他愛もない会話も、会話が途切れた沈黙さえも、彼に恋する私にとっては堪らなく幸せな瞬間だった。 ふと目が合って、にははと笑う。ハヤ太君もつられてちょっぴり照れくさそうに微笑む。この笑顔の交換に、確かな愛情は含まれていないけれど、ほんのり甘い恋の味がした。 彼は鈍感さんだから、私が想いを告げない限りは何の進展もないのだろうなぁ、と笑い合いながらいつも考えていた。でも、そんな鈍感な部分も私が好きになった彼の一部だから、特に不満は感じなかった。 ずっと続く片想いだと思っていたし、片想いでも良いと思っていた。けれど、もしも願いが叶うなら、難しいことだと分かっていても、やっぱり彼と両想いになりたかった。 高望みしすぎだよね、片想いで十分幸せだよ、と自分に言い聞かせて、私は揺れる恋心の真ん中でゆらりゆらりと漂い続けていた。甘くて苦い恋の旅は、ほんのちょっぴり苦しかった。 ビターチョコみたいな恋心を胸に秘めてこれから先も彼を見つめ続けていくのだと、告白する勇気のない私は、ずっとそう思い込んでいた。
だからね、いきなり好きだと言われたときは、それこそ比喩ではなく、驚きと嬉しさと幸せで、私は死んでしまいそうになったんだよ。
* * * *
いつも彼女の仕事を手伝っていた。色んな意味で要領のいい花菱さんや朝風さんは、仕事があると察するや否やいつもすたこらと何処かへ行ってしまうので、彼女はいつも一人で仕事をこなしていた。 例の二人とは違いあまり要領がよろしいとは言い難い彼女が、懸命に仕事や日誌に向かう姿を見ていると、どうしてもついついお節介をかけてしまうのだ。 お手伝いしますよ、と僕が話しかけると、彼女は心の底から嬉しそうな笑顔を向けてくる。一種の幼ささえ感じさせる純粋なその笑みは、知らず知らずのうちに僕の心の深い部分を照らしていった。 クラスメイト達が誰一人としていなくなった夕暮れ時の教室で、他愛もない会話を交わす。時折訪れる沈黙も何故だか酷く心地良く、気まずさはなかった。彼女の笑顔がいつだって、教室中を満たしていたのだ。 ふと目が合って、瀬川さんがにははと笑う。その屈託のない笑顔を間近で見て、ついつい照れくさくなってはにかんだ笑顔を浮かべる。細やかな笑顔の交換に、ほんのりと甘い何かを感じ始めたのはいつからだろうか。 お嬢様は相変わらず学校へ中々行こうとせず、来たとしても何かしらの理由をつけて早退することが多い。だから放課後は、僅かな僕の自由時間になることが多かった。 その放課後の半分近くを瀬川さんに費やしていることに気付いたとき、漠然とだが、自分の気持ちに感づいた。多分、僕は瀬川さんが好きである、と。 気付いた当初、片想いで済ますつもりだった。告白したところで生来の不幸体質から叶う気はしなかったし、何より僕はお嬢様に遣える身。勝手な行動は憚られた。 しかし、彼女の笑顔を見るたびに、日誌を書く真面目な横顔を見るたびに、あやふやだった気持ちは少しずつ形を確かにしていく。情熱家というわけではないが、この衝動を抑えるのは日に日に難しくなっていった。
そしてその日が来た。いつものように彼女の仕事を手伝っていると、偶然沈黙が訪れた。僕と彼女の呼吸音だけが教室を満たす。相手の鼓動さえ聞こえてきそうな静寂の中で、僕はじっと彼女の笑顔を見ていた。 小首を傾げて照れくさそうに笑う彼女が愛らしくて、思わず、ぽろりと秘めていた気持ちが口から溢れた。
「好きです」
その言葉を発した途端、彼女の笑顔がどんどん強張って、大きな丸い瞳をさらにまん丸く見開いて、見る見るうちに耳の先まで顔を真っ赤に染め上げた。 戸惑っているのだろうな、と自分の発した無責任な言葉を後悔していると、彼女が俯く僕の手を強く強く握りしめてきた。顔を上げると、そこには目一杯にキラキラ輝く涙を溜めて、一際素敵な笑みを浮かべる瀬川さんの顔。 そして、僕の手を両手で強く優しく握りしめながら、涙を頬に伝わせながら、
「ありがとう、ハヤ太君。……私も大好き」
そう、優しい声で告げたのだ。
嬉しくて死んじゃう。涙ながらに呟いた彼女のその笑顔を見て、僕も胸をギュウと絞めつけられて、それこそ比喩ではなく、死んでしまうそうになったのです。
* * * *
彼が告白してくれたその瞬間から、その一瞬で、世界が変わった気がした。それが気のせいでないと気付いたのは、次の日の朝。いつも見ている朝日が、この上なく美しくて。 一日の始まりがいつも以上に楽しく感じて、笑顔も自然と溢れてきた。告白されちゃった! と独り言を呟くと、その気恥ずかしさと嬉しさに心をやられて、思わず布団に顔を押し付けて身悶えた。 学校へ行く。彼と目が合う。にっこりと微笑みかけてくれた。私もそれに笑顔で答えて、ひらひらと手を振る。ちょっとだけハヤ太君の顔が赤く染まったのを見て、私も少し耳のあたりが熱くなった。 隣でその様子を見ていた美希ちゃんと理沙ちんが、何かを察したらしく、私の肩を二人同時に力強く叩いて、意味深な笑顔を向けてきた。
「おめでと、泉」 「よかったな」
たった二言だったけれど、二人の優しさがじわじわと身体中に広がった。ポカポカしてきた身体と心を持て余して、その衝動を二人に抱き着くことで発散した。 照れくさそうにしながらも抱き返してくれる美希ちゃんと理沙ちんの手がまた暖かくて、昨日みたいに泣き出しそうになってしまった。 幸せ、幸せ! みんながみんな、日常風景の全てがきらきら綺麗に輝いて見えて、何もかもが愛おしくなった。
ちょっぴり不幸体質で、お人好しで、面倒事をすぐに背負ってしまうハヤ太君。そんな彼と行く道はきっと大変なのだろうけど、きっと私は大丈夫。そんな根拠のない自信が私の中で芽生えていく。 これから起こることも、彼のことも、どんなことも、すべてを受け入れて、この愛しい世界を彼と共に歩いていくのだ。
* * * *
彼女に好きだと告げたその日は、お嬢様の元に戻ってからもぼんやりとしたままだった。何もかもがふわふわと、まるで彼女の笑顔のように美しく見えた。 これが幸せなのだと感じる。思わず顔が綻んだ。ニヤけ面をマリアさんとお嬢様に目撃されて、訝しげな視線を顔面に受けた。しかし顔を引き締めようにも、どうしても口元が緩んでしまう。 しかし、きっとこれから大変なのだ。執事という身の上でありながら、恋愛ごとに現を抜かしてしまったのだから。もしかしたら、お嬢様にお暇を出されてしまうかもしれない。 悪い考えが頭を巡る。すぐにネガティブになってしまうのは僕の悪い癖だ。緩んでいた口元も自然とギュッと引き締まっていた。輝いていた世界が、少しずつ現実に戻っていく気がした。 それでも、僕の脳裏の片隅には涙を溜めて満面の笑みを浮かべる愛らしい彼女の顔がある。それをふと思い出すだけで、暗くなっていた心は一瞬で照らし出されるのだ。
学校へ行く。お嬢様は何やら朝からご機嫌斜めで今日もお休みだ。彼女が教室に入ってきた。にっこりと微笑みかける。彼女も笑いながら手を振る。いつも見ている彼女のしぐさが、妙に可愛らしく見えて少し顔が赤くなった。 しばらくすると瀬川さんの元から離れた花菱さんと朝風さんが僕を取り囲んだ。そして意味深な笑顔を浮かべながら、僕の肩を二人同時に力強く叩いた。
「大切にしろよ、ハヤ太君」
そう言ったのは朝風さんで、心底嬉しそうな顔をしていた。あまり感情を表に出さない印象の彼女だが、そのニヤついた顔からは幼馴染の恋を祝福する彼女の心が見て取れた。
「罪な男だなぁ。ハヤ太君は」
そう言ったのは花菱さん。嬉しそうな顔をしてはいるが、朝風さんと比べて少しばかり複雑そうな印象を受けた。それでも、滅多に見せない花菱さんの笑顔は、本物だった。
きっとこれからたくさんのことが起こるだろう。僕の体質的にも、立場的にも。けれど、彼女とならどうにかなるような、そんな根拠のない自信が僕の中で芽生え始めた。彼女がいれば、きっと大丈夫。 根拠のない自信を抱いたその時、ほかのクラスメイトに微笑む彼女の横顔がふと目に入った。その瞬間、今までに抱いたことのないヘンテコな感情が心の中にもやりと広がった気がした。
* * * *
彼と付き合いだして暫く経った。ハヤ太君じゃなくて、ハヤテ君になった。「た」を「て」に変えるだけなのに、こんなに恥ずかしいなんて。 でも照れながらも名前で呼んだ時、「はい!」って元気よく返事してくれたハヤテ君が面白くて可愛くて、思わず笑っちゃった。 彼のあの嬉しそうな顔、多分一生忘れない。
彼女と付き合いだして暫く経った。瀬川さんじゃなくて、泉さんになった。下の名前で呼ぶだけなのに、意識してしまって妙に照れ臭かった。 遠慮がちに彼女の名前を読んだとき、僕よりも照れくさそうに「はーい」と笑顔で答えてくれた泉さんが堪らなく愛おしかった。 この笑顔を、僕だけのものにしたいと、はっきり思った瞬間だった。
* * * *
目の合う回数が増えた。会話をするとき以前よりも、顔を近づけて話すようになった。私が何か失敗すると、手を差し伸べるだけじゃなくて、頭を撫でてくれるようになった。 彼の笑顔がちょっと私に似てきた。彼が私にだけ、少し不満げな顔を見せてくれるようになった。少しだけ、彼が我が侭を言ってくれるようになった。 愛してる、ってたくさん言ってくれるようになった。
目の合う回数が増えた。彼女をもっと近くで見たくて、会話のとき顔を以前より近づけるようになった。慌てていたり困っている彼女を見ると、つい頭を撫でてしまうようになった。 花菱さんたち曰く、笑顔が彼女に似てきた。他の人に笑顔を向ける彼女に、少し焼きもちを焼くようになった。もっとそばに居てほしくなった。独りが、怖くなった。 愛しています、ともっとたくさん伝えたくなった。
* * * *
「ねえ、泉さん。僕の愛は重いでしょう?」
私のお仕事をいつものように手伝いながら、ハヤテ君が悲しげにそう言った。だからついつい最近の彼の癖を真似して、俯いた彼の髪の毛をもしゃもしゃと乱暴に撫でてあげた。 水色の髪の毛は意外と柔らかくて、私の指の間をするりと通り抜けていく。その心地よい感触とハヤテ君の照れくさそうな困り顔も相まって、少し癖になってしまいそう。 ハヤテ君もこんな気持ちで私の頭を撫でていたのかな、と考えると少し嬉しくなった。そして、頭を撫でながら彼の問いに答えてあげる。
「ぜーんぜん。むしろちょっと重いくらいじゃないと、いいんちょさんは信用しませんぞ」
ふざけた口調で言ってみたけれど、実はほんの少し本心が入っていたりする。ハヤテ君は女の子に人気があるから、彼女の立場として心配の種が尽きないのだ。 いくら鈍感さんでも、彼はびっくりするほどお人好しで優しいから、押して押して押されまくったら、もしかして、なんてこともあるかもしれない。 信用していないわけではないけれど、やっぱり少し心配してしまう。だからこそ、彼が重いというその愛が、とても心地よい。安心する。
私の答えを聞いたハヤテ君がくすりと笑う。そしてお返しと言わんばかりに、私の頭をくしゃりと撫でた。さすが撫で慣れているだけあって、私の髪を乱さない見事な手さばき。 そして二、三度髪を指にからめた後、彼は私の頭から手を離し、ペンを握っていた私の手をそっと両手で包み込んだ。 そして、何故だか泣きそうな顔をして、幼い子供みたいな顔をして、私に言う。
「これはわがままかもしれません。でもね、僕は、同じ重さの愛が欲しいんです」
貴女に愛してほしいんです、と、ハヤテ君は泣き出しそうな声で呟いた。 まるで子供が親に縋るように、私の手をぎゅっと握りしめながら俯いてしまったハヤテ君の手に、そっと唇を寄せた。ちゅ、と小さな音が教室に響いた。 そして空いている左手で、先ほどの彼の手つきを真似するように優しく優しく、彼の髪を梳いてあげた。
* * * *
「ねえ、泉さん。僕の愛は重いでしょう?」
いつものように彼女の仕事を手伝いながら、前々から思っていたことを口にした。出来るだけ自然を装ったのだけれど、口にした途端何故だかとても悲しくなって俯いてしまった。 俯いた僕の髪を、泉さんがもしゃもしゃと撫でる。彼女の頭を撫でられたのはこの時が初めてだった。慣れていない彼女の手つきは乱暴で、少し痛かった。 髪の隙間からちらりと垣間見た泉さんの顔は、どこか満足げで、人の頭を撫でる心地よさを感じているようだった。彼女と心が繋がったような気がして、少しだけ口元が緩んだ。
「ぜーんぜん。むしろちょっと重いくらいじゃないと、いいんちょさんは信用しませんぞ」
ふざけた口調で泉さんが答える。けれどその顔に浮かんだ笑みは少しだけ真剣みを帯びていて、いつも明るい彼女が秘める心配ごとの鱗片を感じさせた。 重たいぐらいがちょうどいい、というのはきっと彼女の本心だろう。けれど、他の人に向ける笑顔にさえ嫉妬していると知れば、きっと彼女は困ってしまう。 人懐っこい猫みたいな彼女はいつだって自由でいてほしかった。誰にでも天真爛漫な笑顔を向けて、皆を明るく照らすいいんちょさん。それが僕の大好きな泉さん、のはずだったのに。 僕の本心を知らないまま、にこりと笑う彼女が愛しくて、切なくて、思わず彼女の頭に手を伸ばして髪を撫でた。気持ちよさそうに目を細める泉さんは、まさに仔猫のよう。
僕にだけ笑いかけてほしい。僕のそばにいてほしい。僕だけを、見ていてほしい。初めて抱いたやりようの無い独占欲を、彼女に向けるのが恐ろしかった。 重たいくらいがいいのだと明るく言う彼女だが、きっと実際に醜い独占欲を見せつけてしまえば、離れていってしまうような気がした。 どうしようもなくて、悲しくなって、泣きたくなる気持ちを押さえつけて、彼女に一つ我が侭を言った。同じ重さの愛が欲しいのだ、と、彼女の小さな手に縋るようにして呟いた。 そして、彼女は少し困ったような、けれどとびきり優しい笑顔を浮かべて、俯いた僕に言う。
「いくらでもあげるのに、それを信じないのはハヤテ君の方だよ」
いくらでも愛してあげるよ、と心の底から慈しむ優しげな声で呟いた。 そして彼女の手を包み込んでいた僕の手に、酷く暖かで柔らかなものが触れた。ちゅ、と小さな音が教室に響いた。 唯一自由である左手で、彼女が僕の髪に触れた。先ほどのような乱暴さはなく、まるで僕の手つきをまねるように、優しく優しく髪を梳いてくれた。
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勿体無い精神で短編再録その4 ( No.35 ) |
- 日時: 2013/03/24 14:35
- 名前: 餅ぬ。
- 「いらっしゃい、ハヤテ君」
こうやってハヤテ君を私の家に招くのは、何か月ぶりのことだろうか。それ以前に、彼と最後に会ったのはいつごろだったのだろうか。そんなことさえ思い出せないほど、私と彼が顔を合わせるのは久しぶりのことだった。
「お邪魔します」
そう言うハヤテ君の顔は、いつも通り彼特有の穏やかな笑みを湛えていたが、その瞳からは僅かな闇が見て取れた。鈍感な彼も、これから私たちの間で交わされる会話の内容と重さを感じ取っているようだ。 私たちは無言で階段をあがる。付き合い始めた当時は、この短い階段を登る時間さえも惜しくて、ずっと他愛も無い会話を繰り返していた。無意味に振り返って彼と目を合わせては、二人で照れくさそうに笑い合ったこともあった。 けれど、今はたった階段二段分の距離しか開いていないのに、それが何百メートルも離れているように思えてしまう。 彼の声は私に届かず、私の声も彼に届かない。振り返っても彼の顔はきっと見えないし、彼もこちらを見てくれてはいない。そんな果てしない距離が、私とハヤテ君の間にあった。 重苦しい雰囲気のまま、階段を登り終え、私はハヤテ君を部屋の中へ招き入れた。彼はもう一度「お邪魔します」と呟いて、私の部屋に入って行った。なんだかその一言が他人行儀に感じられて、改めて私とハヤテ君の間に今さら埋めることのできない溝が生まれてしまったことを実感する。 少し前ならば、きっとこの事実を受け入れることができず、一人心の中で嘆き悲しんでいただろう。けれど、今となってはもうそんな感情は沸いてこない。溢れてくるのは、やるせない感情と僅かな罪悪感だけ。 ドアを閉めると、私の部屋は本当に私とハヤテ君二人だけの空間になった。肌に突き刺さるような緊張感に包まれたこの空間に、かつての蕩けるような甘さは残っていない。
「前に来たときより、なんだかすっきりしましたね」
ハヤテ君が私の部屋を見回しながらそう言う。
「この前大掃除してね、一気に荷物を片づけたのよ。いつまでも留学帰りの気分じゃいられないでしょ?」 「確かにそうですね。……お手伝い、出来なくてすいません」
そう言うハヤテ君の顔には、玄関で迎えた時よりも確かな陰りが浮かんでいた。私が迂闊に留学のことを話してしまったせいだ。私と彼の間に埋まることのない溝を造り出した元凶は、その三年間の留学だった。 私たちに、三年間という月日は長すぎたのだ。
* * *
私は高校を卒業した後、三年間海外の大学へ留学した。私とハヤテ君が付き合い始めたのは二年生の終わりごろだったので、すでに一年近くの月日が過ぎていた。そのころの私たちにはちょっとした倦怠期が到来しており、些細なことで喧嘩をするようになっていた。 喧嘩すると言っても、怒るのは私だけで彼は困ったように笑うばかり。そんな彼の態度が、少々鼻につき始めていた矢先に聞かされた海外留学の話。 私は悩んだ。喧嘩ばかりとはいえ、ハヤテ君のことは大好きだったし離れたくなかった。けれど、私はどこまでも見栄っ張りで、誰かにそんなことを言えるわけがなく留学の話は着々と進んでしまった。 そして留学が決定しかけていたころ、私はやっとハヤテ君に留学のことについて相談した。もちろん、貴方と離れたくないから行きたくないと思っている、なんてことは伏せておいた。今思えば、それが一つ目の間違いだったのかも知れない。 私の留学を聞いたハヤテ君は、一瞬驚いたような顔をして、その後すぐに焦ったような表情を浮かべた。そしてしどろもどろと、私の留学に否定的な意見を述べ始めた。それは随分と遠まわしな言い方だったけれど、彼の『行ってほしくない』という気持ちが伝わってきて、すごく嬉しくなったことを覚えている。 しかし留学がほぼ決定しかけていることを告げると、彼は簡単に私を引き止めることを諦めて、仕方ないですよね、と呟いた。 止めてくれると思っていた私は焦って、まだ決定したわけではないと懸命に伝えた。けれど、彼は私が留学へ行きたがっていると思い込んでいるらしく 「僕のことは気にしないでください」 「離れてしまうけど、ずっと応援していますから」 などと見当違いな言葉を並べた。 哀しかった。虚しかった。やるせなかった。なぜ止めてくれないの? と叫びたかった。 でも、やっぱり私は子供くさいほど見栄っ張りで、彼に本心を伝えることなんて出来なかった。ただ俯いて、こう言った。
――じゃあ、行く。
きっとこの時彼はいつものように笑っていたのだろう。一人やるせない悲しみにくれて俯いていた私に、その笑顔に寂しさが浮かんでいたかなんてわからない。 でも、もし彼がそんな笑顔を浮かべていて、私がその悲しみに気づけていたら、結果はもっと変わっていただろう。少なくとも、倦怠期特有の悶々とした関係のまま、私が海外へ行くなんて結果にはならなかったはずだ。
留学した後、彼からのメールの回数が増えた。距離を置くとお互いの大切さが分かってくる、というのはあながち嘘ではないようだ。私も毎晩彼に電話をかけた。日本に居るころよりも距離が縮まったような気がして嬉しかったが、故に会えない寂しさがどんどん胸に積もっていった。 留学して半年がたったころ、ハヤテ君から一通のメールが届いた。どんな内容だろう、といつものように胸を弾ませながら彼のメールを開いた。そこにはいつもより少し弾んでいる彼の文章と、一枚の写真が添付されていた。 その写真に写っていたのは、ハヤテ君とハヤテ君を囲む理沙たちの姿。どうやら大学のメンバーで飲み会のようなものを開いたようだ。相変わらず無邪気に笑う泉や、未成年なのにビールを飲んでいる理沙や美希を見て、私は呆れたように笑みを浮かべた。 そしてハヤテ君の方に視線をやると、彼の隣には見慣れない女性が座っていた。随分と親しいようで、肩まで組んでいる。 私は居てもたってもいられなくなって、ハヤテ君に電話をかけた。
あの隣の女の人は誰? なんであんなに親しそうなの? ねえ、誰なのよ!
思い出すのも恥ずかしいほど、あの時の私はヒステリックだった。慣れない海外の生活に、ハヤテ君に会えない寂しさ。そんな最中に見せられた、他の女性と仲良くしているハヤテ君の写真。全ての感情が、この時爆発した。 ハヤテ君は懸命に女性との仲を否定した。ただの大学の友人だと、この時は自分も彼女も酔っていたのだと。しかし、ヒステリーを起こしていた私の耳に彼の言葉がまともに入ってくるはずがなくて、訳の分からないことを口走って彼を罵った。 電話の奥で、彼が謝っていた。何度も何度も謝られて、その謝る声がどんどん弱々しくなっていくことに気がついて、私はやっと落ち着いた。 ごめん。そう一言呟いて、私は一方的に電話を切った。 そして自分の身勝手さに嫌気がさして、枕に顔を押し付けて忍び泣いた。
それから後は、当然のようにメールや電話の回数が減った。一応、ヒステリーを起こした次の日に電話で懸命に謝って仲直りしたけれど、所詮は顔を合わせず声のみで交わした会話。どう考えても、表面上だけの仲直りだった。 留学して一年、一日十回以上送っていたメールが一日二回になった。二年目には、三日に一回になっていた。電話も週に一回するかしないか。 日本に帰るその頃には、週に一回一言メールを交わすか交わさないかにまで、私とハヤテ君の距離は遠のいていた。それでも、まだ修復可能な距離だった。日本に帰ってまた何度か会って話をすれば、自然と縮まると私は思っていたのだ。
そして、留学から三年後。私は日本に帰ってきた。ハヤテ君が空港で迎えてくれた。久しぶりに会えた嬉しさで、私は思わず彼に抱きついた。 三年間会わないうちに、彼の身長は随分と伸び私を包み込めるほどになっていた。大人の男性になったハヤテ君の胸に顔をうずめながら、また今日から始まる二人の関係に想いを馳せていた。 しかし、現実は甘くなかった。 私はハヤテ君が初恋。ハヤテ君もまともに女性と付き合うのは私が初めて。所謂私たち二人は恋愛初心者だった。そんな二人が三年間も離れて、三年間変わらぬ熱い想いを持続させられるかと言われれば、それは難しいと言わざるを得ない。 それに、私が留学に行った時期も悪かった。倦怠期なんていう、一番二人で今後を考えていかなくてはいけない時期に、私は彼から離れてしまった。そしてあの勘違い電話。あの電話のせいで、私たちの間に深い溝が生まれてしまったのだ。 そして三年間という月日は、私とハヤテ君の周りの人間関係をがらりと変えるには十分すぎる時間だった。ハヤテ君の友人は、私の知らない人ばかりになっていた。 私の知らないハヤテ君の女友達が、これ見よがしに彼と彼女たちしか分からない大学の話をしてくるのだ。そのたびに、私は抑えようのない激情に襲われた。やり場のない嫉妬のせいで、何度も何度も枕を濡らした。 もし高校時代の友人関係が続いていて、ハヤテ君の周りにいる人間が泉や美希のような親しい者ばかりだったら、私はこんな嫉妬心に悩まされることはなかったのだろう。けれど、三年という時間は彼と共通の友人関係という最大の安心を奪ってしまった。 彼自身は何も変わっていなかった。優しくて、カッコ良くて、でもどこか抜けていて、愛らしい人だった。私だって、何も変わっていない。見栄っ張りで負けず嫌いで、相変わらず子供じみてて。 私たち二人は変わっていないのに、私たちを取り巻く環境が変わりすぎていて、何が何だか分からなくなった。
ハヤテ君と一緒にいれるのは嬉しい、でも彼はもう私の知っている彼じゃない気がして、一緒にいるのが怖くなった。 そして同じ日本にいて、徒歩で会いに行ける距離にいるのに、私たちの心の距離はどんどん離れてしまった。その心の距離はハヤテ君も感じているようだったが、心優しいけれど不器用な彼は私を傷つけるのを恐れて自分から距離を置いた。 高校時代の私とハヤテ君だったら、きっと激しい喧嘩なんかして熱く語りあったりしていたのだろう。けれど、私たちはもう大人。根本の性格は変わっていなくても、やっぱりお互い当時に比べて冷めてしまっている。 何より私はあのヒステリックな電話をかけてしまったことがトラウマになっており、昔のように彼を責め立てることができなくなっていた。私もハヤテ君も、自分から歩み寄ることができなくなっていたのだ。
そんなことが無数に重なり合って、現在に至る。
* * *
沈黙と紅茶の芳しい香りが私とハヤテ君を包み込んでいた。この張りつめた雰囲気を変えようと、苦し紛れに淹れてきた紅茶は、私の期待したような効果を生んでくれることはなかった。ただ、重苦しい雰囲気に紅茶の香りが足されただけ。 ハヤテ君も私もカップにそそがれた赤茶色の液体を見つめるばかりで、口にしようとはしない。俯いているから、お互い目を合わすことさえできない。未だかつて体験したことのない、静かで冷たい雰囲気が部屋中に充満していた。
「……飲まないの?」
できるだけ穏やかな口調を装って、彼に紅茶をすすめる。久しぶりにハヤテ君の為に淹れた紅茶だったので、味わってほしいという純粋な気持ちがまだ私の中にはあったのだ。 彼は私にすすめられるがまま、「いただきます」と呟いて紅茶を口に含んだ。そしてしばらく飲み進めた後、カップから口を離して静かな笑みを浮かべながらこう言った。
「昔より、少し濃くなりましたね」 「苦かった?」 「いいえ、最近少し濃い紅茶の方が好きですから。ちょうど良い具合です」 「そう。なら良かったわ」
会話を交わしたおかげで、場の緊張感が少しだけ緩和された。私は安堵しながら、ハヤテ君が濃いと言った紅茶を口に運んだ。いつもと何も変わらない味のように思えるが、いつの間にか私は濃い目の紅茶を淹れるようになっていたようだ。 昔彼に淹れてあげていた紅茶は、もう少し薄くて柔らかい味だったような気がする。彼も私も苦いものがあまり好きではなかったから、必然的にそんな味になっていたのだろう。 けれど、今彼と飲んでいるこの紅茶は濃くて苦い。昔の私たちには飲めない、大人の味に変化していた。そしてそれを何気なしに飲めるようになった私と彼も、気づかぬうちに随分と大人になっていたようだ。
「大人になったわよね、私たち」
独り言のように、小さな声で呟いた。けれど、どんな小さな声で呟いてもこの静かな空間には無意味なことであり、私の独り言はしっかりハヤテ君の耳にまで届いていた。
「そうですね……」
寂しそうな声だった。
「大人になったから、こんなことになっちゃったのかな」 「そうかもしれません」 「三年間、私が留学なんかしたせいなのよね」 「……ヒナギクさんだけのせいじゃないです。僕が、貴女の気持ちを理解しきれなかったから」 「そんなことないわ、ハヤテ君は十分に私を理解してくれてた」
僕のせい、いや私のせい。そんな自分の傷つけ合いが何分も続いた。あなたは悪くない、自分が悪いとお互いに自己嫌悪し合うだけの時間。なんて不毛な時間だろうか。けれど、昔のようにたがいに本心をぶつけ合うことができなくなっていた私たちには、そんな会話しかできなかった。 ごめんなさい、と何度相手に行ったか分からなくなってきたころ、私は気を決して本題に映ることにした。もう、全てを終わりにしようと決心したのだ。
「ハヤテ君」
今日、初めて彼の瞳をじっと見据えた。過去の面影は僅かに残っているものの、女顔とは言えなくなったハヤテ君の顔立ち。目の色も髪の色も目もとの優しさも、何も変わってはいないのに遠い人のように思えた。 ハヤテ君も同じことを思っているのだろうか。長かった髪をバッサリ切って、昔よりも少しだけ身長が高くなった私を見て、彼も同じように私を遠い人だと感じているのだろうか。 そう考えると、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。久しぶりに感じたこの感覚のおかげで、まだ自分が心の奥底で彼を愛しているということが自覚できた。 けれどその僅かな恋心では、今から言わんとしているこの言葉を押しとどめることはできない。チクチクと痛む胸を無視して、私はゆっくりと口を開いた。
「別れましょうか」
その言葉を放った瞬間、ハヤテ君の目が一瞬大きく見開かれた。けれどその瞳はすぐに元の大きさへと戻り、その後寂しげに薄っすらと細められた。彼も、この言葉を受け入れてくれたようだ。 もしかしたら、ハヤテ君も同じようなことを言おうとしていたのかも知れない。自分が言おうとした矢先、私が同じ言葉を言ったから驚いて目を見開いたのかも知れない。もし、そうだとしたらなんだか少し悲しい。 願わくば、彼の見開かれた瞳の理由は私にこの言葉を言われたショックのせいであってほしい。私と同じように彼も心のどこかにまだ私への恋心を宿していて、その恋心がこの言葉に反応したせいだと思いたい。 けれど、そんなハヤテ君の心の中の真実を私が覗き見れるわけがなく。尋ねるにしても、あまりに無粋な質問なので心の中にこの疑問は秘めておいた。 またもや、沈黙が私たちを飲みこんだ。けれど、今回はお互いにしっかりと目を見据え合い、現実から逃げようとはしなかった。そして、決意を固めたかのようにハヤテ君の口が開かれた。
「……そうですね」
いつぞやの私が勝手に描いていた別れのシーンとは全く違う、静かな終焉だった。あの頃の私が描いていた別れは、お互いに泣きじゃくりながら本音をぶつけ合いながらの別れだった。けれど現実は素晴らしいほどに真逆。 あまりにも穏やかすぎて、これが私とハヤテ君の最後だということがなかなか理解できなかった。私から別れを切り出したというのに。
「……ヒナギクさん、最後に一つだけ聞いてもらえますか?」 「ええ……」
いきなりのハヤテ君の言葉に、少し驚きながら私は頷いた。けれど頷いた後、私は思い出したように急いで言葉を付け足した。
「でも、謝るのはなしよ。自分を卑下するのもダメ。良い言葉で締めくくって」
そう言う私を、ハヤテ君は困ったように笑いながら見つめた。そして言葉を選ぶようにしばらくの間沈黙し、ふうと小さく息を吐いた後静かな落ち着いた声で言葉を紡いだ。
「ヒナギクさんの時々呟く『幸せ』っていう一言が大好きでした。貴女が幸せを感じてくれているということが、僕の一番の幸せでした。 三年間離れてしまったせいで、お互いの心も離れてしまったけれど、貴方の幸せが僕の幸せであることは今でも変わりません。 だから、これからも幸せであってください。僕以外の大きな幸せ、見つけてくださいね」
明るい口調だった。ところどころに後悔が滲んではいるが、ハヤテ君はこんな私の幸せを心から願ってくれていた。やっぱり、ハヤテ君はどこまでも優しい人だ。
「うん、絶対見つけるわ。新しい幸せ。だからハヤテ君も早く見つけてね」
そう言って、私はぎゅっとハヤテ君の手を握った。その瞬間、大きな彼の手が私の手を覆った。暖かなハヤテ君の手がとても懐かしく感じて、もう枯れて果てたと思い込んでいた涙が一粒机の上に落ちた。 その一粒がきっかけとなって、私はせきを切ったかのようにボロボロと大粒の涙をこぼし始めた。子供のように泣きじゃくる自分が情けなくて、懸命に止めようとするけれど、溢れた涙は止められない。 ハヤテ君が子供をあやすように優しく頭を撫でてくれる。それがまた嬉しくて、頬に涙が伝う。
「ありがと、本当にありがとう。ハヤテ君のおかげで、私、自分が幸せになれるって分かったの。貴方のおかげで、私は幸せになれるのよ」
言葉になっているか分からないほどの涙声で、私は彼にそう告げた。こんなグチャグチャな言葉なのにハヤテ君はしっかり聞きとってくれたようで、小さな声で相槌を打ってくれた。
「僕もですよ。ヒナギクさんのおかげで、僕も人を幸せに出来るということが分かりました。ありがとうございます、ヒナギクさん」 その言葉を聞いて、私はまたひときわ大きな声で泣き始めた。もう、こらえるのは止めにした。最後だからこそ、ハヤテ君に私の弱いところを見せてあげようと思ったのだ。 こんな弱い私を最後まで支えてくれてありがとう、と言いたかったけれど、もう言葉にすることは出来なかったので心の中で呟いた。確かな根拠はないけれど、この心の呟きはハヤテ君に届いたような気がした。
一通り泣きじゃくって落ち着いた後、私は彼を玄関まで見送った。すでに日は傾いて、空は真っ赤に染まっていた。
「今までありがとうございました」 「こちらこそ、ありがとう」
そう言って、握手を交わした。この大きな手に包まれるのも最後だと思うと、またじわりと目尻に涙が浮かんできた。けれど、もう一度付き合おうとは思わない。だって、私と彼は新しい幸せを探そうと決めたのだから。
「ヒナギクさん」 「……わっ!?」
しばらく手を握り合っていると、突然ハヤテ君が私の腕を掴んで自分の胸元に引き寄せた。そして胸元に頭を預ける形に会った私の身体を、優しく、けれど力強くぎゅっと抱きしめた。
「なにしてるのよ」 「最後だから、少しだけ大胆になろうかなと」 「……バカ。こういうことは恋人同士のうちにしなさいよ」
そんな可愛くない憎まれ口を叩きながら、私はハヤテ君の胸に顔を押し付けた。懐かしいけれど、昔とはやっぱりどこか違う彼の香りが鼻をくすぐってくる。そんな彼の香りを、胸一杯に吸い込んだ。 しばらくして彼の腕が私の背中から解かれると、私たちは今日初めて……いや、三年ぶりに心の底から笑い合った。
「幸せになってくださいね」 「貴方こそ、次こそはきちんと幸せにしてあげなさい」
暖かな未来を夢見る別れの言葉と共に、私とハヤテ君の恋は終わりを告げた。
【別れましょうか】
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勿体無い精神で短編再録その2 ( No.36 ) |
- 日時: 2013/03/24 14:37
- 名前: 餅ぬ。
私の小さな手のひらじゃあ、男にしては細い彼の首さえ満足に締め付けることはできないようだ。伸びた爪が柔らかな肉に食い込むばかりで、一向に彼の鼓動は止まず。 もしも私の爪が全てを切り裂く獣の爪であったなら、薄い皮膚の下に隠れる暖かな血液の流れをいとも簡単に断ち切ることができるだろう。 もしも私が指の長い大人であったなら、こんな細首、いとも簡単に締め付けることができただろう。 けれど生憎私はそのどちらも持ち合わせていない。実に残念なことである。
ギチ。
ああ、やっと彼の首に指が食い込んだ。親指に更なる力を込める。すると彼が初めてせき込んだ。
ギリッ。
気管と血管が締まる音だけが、耳に入る。指先からは彼の鼓動と温もりが伝わってくる。 しかし鼓動は首を締め始めたころに比べて、随分と早くなっているようだ。心臓が刻む鼓動は数が決まっているという。このまま、全てを刻み終えてしまえばいい。
「ハヤテ」
愛しい彼の名前を呼んだ。しかし彼の返事はない。まあ、それもそのはずである。私が首を締めつけているのだから。 咳きこむ回数が徐々に増えていく彼を見ているうちに、ふいに全てが滑稽に思えてきて口元を歪めた。愛しい人が苦しむ姿を見て笑う私は、最近流行りのヤンデレとやらでも気取っているつもりなのだろうか。 ああ可笑しい。ヒロインを気取る私も、首を絞められせき込んでいるにも関わらず笑顔を湛える彼も、何もかもが可笑しくて仕方がない。 早く終わらせよう。そう思って、小さな指に全体重をかけた。細い身体だが、彼の首をへし折るくらいの重量はあるだろう。
ギリ、ギリ、ギリ。
彼はもう咳き込まない。微かな吐息を漏らすだけ。鼓動も徐々にだが遅くなってきた。あと何度脈打てば、彼の心臓は一生涯を終えるのだろうか。 全身で首の締まる音を感じて、指先だけで彼の生命を聞いていた。静かな終焉を迎えようとしていたその矢先、急に彼がゆっくりと腕を動かした。そして氷のような手のひらで、私の頬を愛おしそうに撫でてみせた。 私を見つめるその瞳は主を見る慈しみの眼差しではなく、男が愛しい女を見つめるときの眼差しそのものであった。その穏やかながらも熱い彼の眼差しが嬉しくて、一瞬だけ手の力が抜けた。 そして彼は力が抜けた瞬間を見計らったかのように、心の底から愛おしむように甘く囁いたのだ。
「――」
囁いたのだ。私ではない、他の誰かの名前を。
ボキッ。
鈍い音と振動が、全身を包んだ。何も、感じなかった。 ただ、噛みしめた下唇だけがジンジンと熱を発していた。
= = =
「痛っ……」
ふいに感じた口元の激痛で飛び起きた。恐る恐る痛みの元である唇に指をあてると、案の定ぬるりとした感触が指先にまとわりついた。 外はすでに明るくなっているようで、カーテンの隙間から入り込んだ日光のおかげで部屋は電気をつけずとも薄明るい。故に、人差し指を染めている赤を確認するのはそれほど難しいことではなかった。 その赤を指先で弄びながら、私は上半身をまたベッドへ埋める。そしていつものように独り言。
「またか」
唇を噛みしめて流血したのは、これが最初ではない。これで、八回目だ。 唇についた歯形が消えるたび、私は気づかぬうちにまた唇に傷をつけるのだ。その傷は回を増すごとに深くなり、血のとまりも遅くなった。そしていつの間にか朝の日課に止血が加えられたのは、まだ記憶に新しい。
「……もう八回目、か」
私は枕元に置いてあったティッシュを傷口に当てながら、ぼそりと呟いた。 もう八回目。この三ヶ月足らずで、私は八回もあの夢を見ているのだ。八回も彼を殺しているのだ。 傷口を押さえていない方の手を、目の前に掲げる。そして先ほどまで見ていた夢を脳裏に浮かべてみれば、それはそれは鮮明に、吐き気をもよおすほど鮮明に、あの感触が甦って指先を包み込んだ。 徐々に速くなる鼓動、弱々しく鳴る喉、咳の振動、骨の砕ける鈍い感触、そして消えた命の音。 何もかもが鮮明すぎて、私は思わず枕に顔を埋めた。ティッシュが傷口からずれていたようで、枕の生地が溢れてきた血を吸い込んでいく。
(ああ、またマリアに怒られる)
頭ではそう理解していながらも、私は顔を上げることができない。顔をあげたら、夢の続きが広がっていそうで怖かった。冷たくなった彼が、私のベッドの下で転がっているような気がして仕方がなかった。 暗いところは大嫌いだ。けれど、今だけは何も見えない暗闇に飲み込まれてしまいたかった。
「ナギ?」
血がやっと止まり始めたころ、ドアの向こうでマリアが私を呼んだ。返事をするのも億劫で、私はそのまま狸寝入りを決め込んだ。いや、億劫というのはただの言い訳で、本当は顔を上げるのが恐ろしかっただけ。
「もうお昼ですよ? ご飯、食べないんですか?」
マリアのいつもと変わらぬ優しい声が、私の耳を刺激する。少しだけ、闇が晴れたような気がした。けれど私は何処までも頑固者で、素直にマリアの声に反応することが出来なかった。また、わざと聞こえないふりをしてマリアを無視した。 きっと期待していたのだ。私を心配した彼女が部屋の中に入ってきて、丸まっている私の背中を優しく撫でてくれることを。そして「どうしたの?」と優しく問いかけてくれることを。 けれど、現実は夢と同じだった。私の期待を、ことごとく裏切ってくれる。
「マリアさん、お嬢様はまだ寝ていらっしゃるんですか?」 「ああ、ハヤテ君。それがまだ寝ているみたいで……」
彼の声。一番聞きたくなかった人物の声が、ドアの向こうから響いてくる。相変わらず穏やかな響きを含んだ彼の声を聞いて、治まりかけていた吐き気が再発した。脳裏に、彼の笑顔が浮かんだのだ。 最後の、彼の表情だ。 全てを振り払いたくて、私はベッドにもぐりこんだ。布団に唇がすれて、ズキリと鈍く痛んだ。なぜだか、声を上げて泣きたくなった。
「僕が起こしましょうか?」
(入ってこないでくれ、お願いだから)
今、彼の笑顔を見て、平常心を保っていられる自信はない。もしかしたら、とうとう夢と同じ過ちを犯してしまうかもしれない。そんな恐怖心だけが私の心を支配していた。
「いいんですよ、ハヤテ君。私が起こしますから」
このマリアの言葉に、私はどれだけ救われただろう。けれどマリアの伸ばした救いの手は、私が握る前に引っ込められてしまった。私は、救われてはいなかったのだ。
「それに、ハヤテ君は今からデートでしょう? ナギのことで時間を取らせるわけにはいきませんからね」
優しい、優しい声色だった。 心がギュッと締め付けられた。鼓動が速くなる。ふと、あの指先の感触を思い出した。私の心臓は、心は、一生分の鼓動を打ち終えて死んでしまうのだろうか。
「――さんを、待たせちゃいけませんよ」
息がつまった。ギリギリと心が軋んだ。 このままドアを開け放って、マリアの言葉を遮れば心は死なずにすむのだろうか。けど、苦しくて、恐ろしくて、ベッドの中から動けない。 まるで弱り果てた捨て犬のように私は短く息を紡ぐ。いっそ肉体共々死んでしまえたら、どれだけ楽だろうか。
「ほら、ハヤテ君。もう約束の時間ですよ」 「あ、本当だ! ……でも、お嬢様が」 「だから、ナギのことは私に任せてください。ハヤテ君は今、――さんのことを考えていればいいんですよ」
ボキ、という音が聞こえたような気がした。どうやら、私の心は今日も死んでしまったらしい。最近はいつもこうだ。彼がアイツの話をするたび、醜い嫉妬に駆られては私の心は死んでいく。 絞めつけられ、呼吸を止められ、へし折られ、捻じられ、溺れ苦しみ、私の心は日々に何度も死んでいく。 しかしこの死を、彼やマリアに伝えることなんてできない。私は彼がアイツと付き合うことを決めた日に、言ってしまったのだ。
――幸せにするんだぞ。
カッコつけたかったのか、それとも想い人に振られた悲劇のヒロインでも気取っていたのか。私は彼とアイツが付き合うことを許してしまった。 無論、この言葉に至るまでは色々なことがあった。クビにすると脅したことさえあった。けれど、彼はそれでも構わないといった。この言葉を聞いて、私は彼の想いの強さを思い知らされた。 ああ。きっと私は酔わされていたのだろう。あのドラマチックな雰囲気に。だから、後々のことも考えず「アイツを大切にしろ」だなんて、言ってしまったのだ。 後悔しても後悔しても、時は戻らない。後悔すれば後悔するほど、自分の醜さに腹が立つ。
「……ありがとうございます、マリアさん」 「いいえ、きっとナギも望んでいることですわ」
マリア、私はそんな良い子じゃないんだ。 ハヤテ、私はお前とアイツに幸せになってほしいなんて、これっぽっちも思っていないんだ。 嫉妬に心を殺されて、夢で愛する彼を殺して。私はどこまでも、果てしなく、醜いヤツなんだ。
「じゃあ、行ってきますね」
そうハヤテが言い終えた瞬間、ドアの前で足音が一つ。どうやらハヤテが立ち去ろうとしているようだ。愛するアイツを迎えに行くために。 ……気が付けば、私はいつの間にか部屋を飛び出して、マリアと彼の前に立っていた。
「ナギ、起きていたんですか? だったら返事を……」 「ハヤテ!」
マリアの言葉を遮るように、彼の名を呼ぶ。あまりの音量に、彼は少々驚いた表情を浮かべた。けれどさすがは執事といったところか。すぐにその驚きは色褪せ、いつもと同じ優しい笑顔を浮かべてみせた。 その笑顔を見た瞬間、何も入っていないはずの胃から何かがこみ上げてくるような気がした。この顔の彼を、私は夢の中で絞め殺そうとしていたのだ。
「どうなさいました? お嬢様」
ハヤテが私に二三歩近付いた。この距離なら、背伸びをすれば彼の首に手が届く。
「……あ、お嬢様。口に血が……」 「え? ああ、これはその」
私を思いやる彼の純粋な瞳を見るのが辛くて、ついつい目を逸らしてしまう。けれど、私の視線はハヤテの伸ばされた手によって強制的に元に戻されてしまった。 彼の手には桃色の可愛らしいハンカチ。そのハンカチで、私の口元を優しく拭ってくれた。傷に触れて、少しだけ痛かったけれど、それ以上に高鳴る胸が痛かった。 死んだと思っていた心は、彼のこのささやかな行動によっていつの間にか息を吹き返していたようで。目と鼻の先に在る彼の顔を見つめるだけで、顔と胸が熱くなった。
「も、もういい! あとは自分でやる!」 (ああ、私のバカ)
いつもの強がりでハヤテの手からハンカチを奪ってしまった。唇を拭くふりをして、そっとそのハンカチの匂いを嗅いで見ると、洗剤の香りとほのかな彼の香りが鼻を刺激した。 また若干色褪せているところから、毎日のように使っていることが見て取れた。随分と、大切なもののようだ。 ここで、ふと嫌な予感が脳裏をよぎった。
「……ハヤテ、このハンカチって……」 「ああ、それはこの前――さんに貰って」
聞かなければ良かった。 ああ、せっかく息を吹き返した心がまた締め付けられる。
「悪いな、大切なものなのに」
奥歯を噛みしめながら、出来るだけ普通を装った。彼は照れくさそうに笑って、「いいんですよ」とだけ言った。
「あっ、時間が……! すいません、お嬢様! 失礼します!」 「ああ」 「いってらっしゃい、ハヤテ君」
駆けだす彼を、私はマリアと並んで見送った。走りだす直前に一瞬だけ見せた彼の笑顔は、私に見せたことのない笑顔だった。例えるなら、そう。男が愛する女に見せる笑顔。 すなわち、夢の中の彼の死に顔。無論、私に向けたものではなくアイツに向けたもの。 屋敷の遠くの方でバタンと扉の閉まる音が聞こえた。彼がアイツに会いに出かけたようだ。私は頬の肉を噛みしめて、歪もうとする顔の筋肉を抑えつけた。
「じゃあ、お昼にしましょうか」 「……スマン、もう少しだけ寝させてくれ」 「まだ寝るんですか?」 「朝方までゲームをしてたから、あんまり寝てないんだ」 「もう、じゃあ一時間だけですよ」 「ああ」
呆れたような微笑みを残して去っていくマリアの背中を見つめた後、私は再びベッドに身を投げた。すでに心は死んでいて、何も感じることはない。 今頃アイツと笑い合っているであろう彼を想像しても、愛しているとアイツに囁く彼を想像しても、私の心は何の反応も示さない。ただ、漠然とした後悔だけが広がっている。
あの時彼に泣いて縋っていたら? 「付き合わないで。私だけを見ていてくれ」と伝えていたら? 幸せを願っているなんて、言っていなかったら?
もう、全ては終わったことなのだけれど。
= = =
私は彼の上に跨っていた。そしてため息をつきながら、「またか」と呟いた。 彼は笑っている。私も笑っている。 そっと、彼の首に手をかけた。細い指が彼の細首に、ズブズブと食い込んでいく。その様をみて、私は滑稽だと笑う。
彼は九回目の死を遂げた。
心は相変わらず死んだままだった。
【夢で殺して八回目、心殺され数知れず】
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勿体無い精神で短編再録その3 ( No.37 ) |
- 日時: 2013/03/24 14:40
- 名前: 餅ぬ。
- 「暑いなぁ……」
そう呟いて、清々しいの程度を遥かに通り越した憎々しい真夏の空を見上げた。燦々と輝く太陽は、私を見下し嘲笑い、干乾びてしまえと囁きかけてくる。 そんな太陽に「そういうわけにもいかんのだ」と律儀に脳内で言い返した後、私は視線を正面へと戻す。 目の前に広がるのは、人気のない通学路。夏休みの真昼間、それも三十六度の猛暑日であるこの日。私のような補習組以外、好き好んでこんな日陰すらない道を歩く輩はいないのだ。 人がうじゃうじゃいても暑苦しいが、人が全くいないのも日陰の無さが強調された気がして暑苦しい。適度な日陰、適度な人口密度。今の私と通学路にはそれが必要だった。
――人恋しいと感じた夏は、初めてだった。
「あっつい……」
歩きなれた道が長い。 暑さのせいでそう感じるのかと思ったが、よくよく考えるとそうではなかった。私の隣に、いつもの二人がいないことが原因だ。 この道を歩くときは真ん中に美希、右に泉、左に私の三人組基本体型が常だった。決して広くはないこの道を、三人並んで歩くなんて迷惑極まりないことだが、そんなことはどうでもいい。 三人でいれば暑さは不思議と気にならなかったし、騒いでいたから道も短く感じられた。けれど、今私の隣に彼女達はいない。泉も美希も、今年の補習をどういうことだか免れたのだ。 中学時代から続いていた毎年恒例三人組夏休み大補習会は、高校二年になった今年、終止符を打たれたことになる。 なんだか、しんみりとした気分になった。
――二人がいない夏は、初めてだった。
「あーつーいー」
家を出て十五分。私のか弱い神経は、すでに擦り切れていた。 暑すぎた。幼い頃より蝶よ花よと育てられたお嬢様な私に、この猛暑は耐え難いものだった。 しかし今から帰るにも十五分以上かかるわけで。だったら、あと十分弱を耐えきって学校へ向かった方が得じゃあないか、と、賢い私は思った。しかし思っただけで、足は一向に進みやしない。 顎まで垂れてきた汗を拭って、ふう、とため息をつく。痩せたなこれは、と考えられるあたり、まだまだ余裕はあるのかもしれない。 この余裕があるうちに、と意気込んで、私は少しだけ足を速めた。 その数秒後、聞き覚えのある声が、私の意気込みを吹き飛ばした。
「あれ? 朝風さん?」
ゆっくりと振り返る。そこに立っていたのは、涼しげな髪の色をした少年だった。
「ああ、ハヤ太君」
どうしたのかと彼が尋ねるので、補習へ向かっているのだと手短に説明する。すると彼はニコリと笑ってこう言った。
「だったら一緒に行きませんか? 僕も学校に用事があるんです」
君も補習か、と冗談交じりに言うと、彼はちょっと困ったように笑いながら「違いますよ」と面白みのない返事をした。面白くもなんともない返事なのに、何故か笑みがこぼれた。
「じゃあ、行きましょうか」
彼の声を合図に、私とハヤ太君は二人肩を並べて歩きだす。そのとき、私とハヤ太君には男女のときめきポイントの一つである身長差が殆どないことに気付いた。 この事実に少々驚いたものの、身長差がないということはその分目線が近いというわけで。隣を見れば、ハヤ太君の目がある。私はその目を誰よりも、近くで見ることができるのだ。 ちょっとばかしお得な気分になった。
――彼と並んで歩く夏は、初めてだった。
「あーつい!!」 「暑いですよね……今年最高気温らしいですよ、今日」
その言葉を聞いて、私は眉をしかめて「うへぇ」と間抜けな声を漏らす。 ハヤ太君は私を見ながら、「嫌ですよねぇ」と小さく笑顔を浮かべた。暑さなんて全く気にしていないような、爽やかな笑顔だった。 そんなハヤ太君の清々しい笑顔で涼みながら、二人並んで着々と足を進める。会話は少ない。三人組の時のように騒いでもいない。それでも、確実に暑さは引いていた。 人恋しさも、そっとどこかに身を潜めたようだった。 誰もいない通学路に、ぽつんと並んだ私とハヤ太君の陰を見る。思わず笑みがこぼれた。笑みの理由は分からないけれど、きっと悪いことではないだろう。
――暖かいと感じた夏は、初めてだった。
「そういえば、ハヤ太君の用事ってなんだ?」
学校まであと五分弱。時計塔の影が見えてきたあたりで、私は何気なしに尋ねてみた。本当に思いつき。なんとなくだ。 彼のことだから、ご主人様の忘れ物でも取りに来たのだろうと思っていた。けれど、ハヤ太君は言いにくそうに口ごもってしまった。 地雷を踏んでしまったのだろうか、と少しだけ焦る。けれど不器用と言うか器用すぎる私は、彼をフォローすることができず、逆におちょくってしまう。
「なんだ? 私には言えないような用事なのか? もしかして、本当に補習だったとか……」 「ちっ、違いますよ! 僕はただ迎えに、」 「迎え? 誰の?」 「あ、いえ、それは、その」
明らかに挙動不審になるハヤ太君。そのキョロキョロと忙しなく動く目は、ある一定の場所を明らかに気にかけていた。 もしも、私がナギ……いや、美希ほどの身長であったなら分からなかっただろう。けれど、彼の目を正面から見据えることのできる私には、彼の視線の先が丸わかりなわけで。 ハヤ太君は、時計塔を見ていた。 正確にはその時計塔の天辺にいる、彼女を見ていた。
急に、周りの気温が上がった。 爽やかな風は消え失せ、引いていた暑さが舞い戻り、身を潜めていた人恋しさが倍の大きさになって襲いかかってきた。
それでも私は、
「ははーん、そういうことか」 「え、あっ……もしかして分かって……?」 「ふふん、動画研究部を舐めるんじゃないよ、ハヤ太君」
――自分が嫌になった夏は、初めてだった。
バレたと分かったハヤ太君は、言いにくそうに彼女との関係を白状した。正直、白状なんてしてくれなくてもよかったのだが。暑いんだから、早く学校へ着いてしまいたいのに。 一通り話したハヤ太君は、ですから動画は勘弁してくださいね、と恥ずかしそうに微笑んだ。暑くて集中して聞いていなかったせいか、なにが「ですから」なのかよく覚えていない。 そして、暑さで朦朧とする私に、彼はさっきのように、出会ったときのように、涼しい笑顔でこう言った。
「それじゃあ、行きましょうか」
(ああああ、暑い)
気がつけば、私は彼の後ろに立って、ハヤ太君の背中を力強く突き飛ばしていた。 うわっ、という間抜けな声と同時に、ハヤ太君は前のめりになった。その体勢を整えるため三、四歩フラフラと前に出た彼と、突き飛ばした振動で二、三歩後ろに下がった私の距離は中々広々としたものだった。 これだけ距離が開けば、涼しくなるだろうか。 「いきなり何するんですか!」
彼は怒ったように私を見つめる。
「……暑いんだ」 「へ?」 「暑いんだよ、二人で並んでいると。それにハヤ太君の話もお熱いしな」
だから、先に行ってくれ。と、告げる。 優しいハヤ太君は怒られた子犬のような表情を浮かべ、私に一言謝罪を述べた後、時計塔に向かって駆けて行った。 ああ、本当はこうやって駆けて行きたかったんだろうな。ハヤ太君は優しいから、私の歩幅に合わせてくれていたんだ。すまないことをしたな、と気の利かない自分を反省する。
駆けて行くハヤ太君の後ろ姿を眺めながら、私は彼を突き飛ばした手を眺めて、呟いた。
「……暑い」
再び一人きりになった通学路。 彼を突き飛ばした自分。 今更気付いたこの気持ち。 全てはむせ返る暑さのせいなのだ、と、自分に言い聞かせて、私はたった一つの影しかない通学路を再び歩き始めた。
――恋を突き飛ばした夏は、初めてだった。
【暑さに負けて、君を突き飛ばす】
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勿体無い精神で短編再録その4 ( No.38 ) |
- 日時: 2013/03/24 14:42
- 名前: 餅ぬ。
- 【厭な笑み】
厭な笑みだ。 どんなことでも、何もかも、全てを受け入れる覚悟がありますよ、とでも言いたげなその穏やかな笑みに吐き気がした。 誰にでも向ける彼の菩薩のような微笑みは、今までに何度も私を救い、何度も苛立たせた。 なんともまあ、厭な笑顔である。
「こんなときでも笑うのですね」
吐き捨てるように、彼に話しかける。けれどどこまでも鈍感な彼は、私の言葉の真意を知ることなく、その笑みを湛えたままこう言った。
「こんなときだからこそ、笑うんです」
穏やかな表情とは対照的な暗い声。 当たり前だ。もし彼の口調がその笑顔に似合うものであったなら、私は周りを憚らず、彼を張り倒していただろう。
「笑う門には福来る、と言うでしょう。だから僕はこんなときこそ、笑うようにしているんです」
もしそれが本当ならば、貴方はきっと世界中の幸せと言う幸せを手に入れていることでしょうね。 そう言い放ちたくて仕方がなかったが、あえて口を閉ざした。自分の不幸体質を誰よりも理解しているくせに、彼はそんなことを言う。馬鹿なのだろうか。
「ねえ、ハヤテくん。最後なんだから、感情を表に出してみてはどうですか?」
こうやって会話を交わすのも、今日で最後になるのだ。最後の最後くらい、理不尽極まりないこの状況に憤怒し、罵声暴言の一つでも上げてほしいものである。 けれど、彼はやはり厭な笑みを浮かべる。 いつかはこうなると分かっていたのだ、と悟ったようなふりをして、未だかつてないほどに穏やかな表情を私に向けてくる。
「仕方がないんです。僕とお嬢様の関係は、勘違いで成り立っていたものなんですから」
仕方ないんです。と、自分に言い聞かせるように彼は呟いた。少しだけ、彼の笑みが崩れた。 今だ。今攻め立てれば、きっと彼は激情を私に、もしくは自分を解雇した主に向けることだろう。今こそ、この厭な笑みを彼から奪い去る時なのだ。
「ハヤテくん、いいんですか? ナギは何も真実を知らないんですよ? 貴方があの人と付き合っていると、自分を裏切ったと、勘違いして暴走しているだけなんですよ? 前に言っていたじゃないですか。あの人と出かけたのは、お嬢様へのプレゼントを買うためだって。付き合ってなんかいないって。 それをナギに言えばいいんです。今のあの子は頭に血が上って聞く耳を持たないかもしれませんが、明日になればきっと……。 だから、ね。ハヤテくん。真実を話して、今までのことを白紙に戻しましょう。ナギだって、きっと貴方と離れたくないはずですわ」
まくし立てるように、けれど口調だけは穏やかに。 さあ、今こそ心の内の激情を! どうしようもない、と泣き叫ぶもよし。今更どうしろと言うんだ、と逆上して見せるもよし。 とにかく、私もナギも誰もかも見たことのないその感情を、見せつけてほしいのだ。
「ハヤテくん! チャンスは今しかないんですよ!」
私にとってもチャンスは今しかないのだ。彼の笑みをはぎ取るチャンスは。 けれど、俯いていた彼が顔を上げて私を見据えた時、全ては失敗に終わったと悟った。 彼は笑っていた。厭になるほど、優しげに。
「ありがとうございます、マリアさん。でも、もういいんです」 「……っ。もう少し、粘ったりしないのですか? ナギに真実どころか、文句の一つも言わないまま、この屋敷を去っていくつもりなんですか!?」
そんなこと、私が許さない。
「……これは僕にとっては別の意味でのチャンスかもしれないんです」 「どういうことですか?」
「――実は僕、本当にあの人のことが好きなんです」
「へ?」
思わず耳を疑った。もしかして、彼の言うチャンスとは――。
「お屋敷を追い出されて、もう一度借金にまみれて、彼女と会える学校にも通えなくなってしまうけれど、これで誰の目も気にすることなく、彼女を好きでいられるんです」 「……それはナギが足枷になっていたということですか?」 「ちっ、ちがいます! そういう意味じゃなくて、その、」 「そういう意味じゃないですか! ナギの執事という手前、自由に恋の一つも出来なかったと言いたいんでしょう!?」
この恩知らずを睨みつけながら、私はジリジリと彼との距離を詰めていく。流石の彼も今ばかりは笑みが顔から消えている。けれど何一つ嬉しくない。 私が見たかったのは、彼の本心なのだ。出て行きたくない、一緒に居たいという、私とナギに対する執着心。私たちを必要とする彼の激情を見たかったのだ。 ……けれど、彼の本心は全く逆で。私たちに対する執着心どころか、自由にしてくれと願う彼の本音。そしてそれを隠すため、張り付けられる厭な笑み。
なんだかもう、全てが忌々しくなった。
「もう、好きにしてください」
彼の耳元で囁くように吐き捨てる。行くあてもなく路頭に迷って、自分の不幸体質と恩知らずぶりを身に染みて感じればいいのだ。
「出ていってください」
彼の腕を掴み、無理やり外へ押し出す。「うわわ」と、場に不似合いな間抜けな声を上げた彼は、寒空の下へ私の手によって放り出された。 ムカムカとどす黒い感情に蝕まれる胸をそっと擦りながら、窓から彼の様子を窺う。 まだ、期待していたのだ。彼が泣きながら、叫びながら、執事に戻りたいと縋ることを。私たちに対する執着心を。 けれど放り出された彼は、しばし呆然とした後、深く息をついて門の方へと歩き出した。その後ろ姿を見ながら、口の奥で舌打ちをする。
もう一度外を見てみると、門に向かう彼はバッグから携帯電話を取り出して、どこかへ電話をかけ始めた。きっと例のあの子だろう。 その電話の主と会話する彼の横顔を、私は一生忘れることはない。
それはそれは穏やかな、幸せそうな、厭な笑みだった。
「ああ、厭な笑み」
私たちを捨て自由を手に入れた彼に、どうか不幸を。
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名前を付けると一瞬で愛着が湧く不思議 ( No.39 ) |
- 日時: 2013/04/13 14:40
- 名前: 餅ぬ。
- 【名前のない猫】
「そういえば、最近うちに猫が住み着いたんだ」
見に来るか? と気軽に理沙が誘うものだから、私も泉もほいほいと彼女の家までついてきてしまった。 彼女の家である朝風神社まではそれなりに距離があったけれど、十月初旬の涼しい気候のおかげで何とか力尽きることなく辿り着くことが出来た。 久しぶりに立ち寄った朝風神社はすっかり秋色に染まっていて、赤やら黄色やらに色づいた葉が目に眩しい。綺麗だねえと無邪気に空を見上げる泉に、理沙は少し気だるそうな声で掃除が大変なんだぞ、と呟いた。 まだちらほらと残る緑が全て秋色の染まる頃、理沙は落ち葉の掃除に追われる羽目になるのだろう。そう言えば春や晩秋の巫女服姿の理沙はいつも竹箒を装備していたような気がする。 神社の娘も大変だなぁ、と他人事のように心の中で呟いた。そして、うな垂れ気味の理沙の背中に頑張れよと視線を送る。その視線と意味を感じ取ったのか、振り向いた理沙は少々不服そうな表情を浮かべて私を睨みつけた。 その顔を見据えながら、私はにやりと一つ笑ってやった。一層理沙の眉間の皺が深くなった。理沙の隣で、泉が困ったように笑っている。
「そ、それでさ、理沙ちん。猫さんどこにいるの?」
私と理沙の間に漂うあまり宜しくない雰囲気を感じ取ったのか、泉が理沙に問いかける。
「あ、そうだ。猫見に来たんだったな。忘れるとこだった」 「理沙……自分から誘っておいて」 「美希と泉が掃除のこと思い出させるからだろ。私は一つのことしか考えられないからな」 「鳥かお前は」 「おい、美希。鳥を馬鹿にするなよ。カラスとかすっごい頭いいからな! クルミの殻を車に轢かせて割るなんて、私でも考え付かないぞ!」 「鳥より馬鹿か」 「なんだとー!!」 「もー! 理沙ちん! 鳥頭のことはいいから、早く猫さんー!!」
またしても本題から逸れだした私と理沙の会話を、泉がすかさず軌道修正する。おまけに鳥頭という地味に辛辣なツッコミつきだ。鳥頭と呼ばれた理沙の肩が、少しばかりうな垂れた。 けれどやたらと立ち直りが早いのも朝風理沙という人間の特徴であり、彼女はすぐに元気を取り戻した。そして私たちを先導しながら、猫がいるという神社の裏側へと向かっていく。 猫さん猫さん、とご機嫌で不思議なリズムを刻む泉の声を聴きながら、私たちは紅葉の下を進む。泉の楽しげな声を聞いているうちに、私もどんな猫なのか少し楽しみになってきた。 待ってろ、猫さん。
「ほれ、あれだ」
神社の裏に回って暫く進んだころ、理沙が突然立ち止まった。そして生い茂る木々たちから少し離れたところでぽつんと佇む、一際大きな木の根元を指差した。 遠くて少し分かり辛いが、その指差した場所には確かに真っ白の毛玉があった。その毛玉は木に寄り添うようにして丸くなっている。
「わ、真っ白だぁ!」
まだどんな顔をしているのかも分からないというのに、泉はその真っ白な毛玉を見ただけで大興奮。 そんなに素早く動けるのか、と思わずつっこんでしまいそうなスピードで猫に向かって走って行った。走り出す際に放り投げた泉の鞄は、見事理沙の脛に激突した。 怒ろうにも怒る相手はもう遥か遠く。やりようの無い怒りと脛の激痛に身悶える理沙を一瞥して、私も泉の後をそそくさと追いかけた。背後から「見捨てるのかー!」という怒鳴り声が聞こえたが多分気のせいだ。
「あ、美希ちゃん! ほらほら、白猫さん、可愛いよー」
木の下に辿り着くと、泉が満面の笑顔を向けながら膝の上に乗る真っ白の猫を指差した。随分と人馴れしているようで、猫は泉の膝の上で気持ちよさそうに目を瞑っている。 私は泉の隣に座ってまじまじと猫を眺めた。思っていたよりも小さな猫で、鼻先が桜色をしていて何とも可愛らしい。穏やかに上下する白いお腹がフワフワと私を誘い、思わず手を伸ばした。 誘われるがまま横腹辺りを撫でると、ゆっくりと猫が目を開いた。その目は綺麗な金色で、眠たそうに蕩けながらも一種の気品を感じさせる瞳だった。 あ、あの人に似てる。と思ったのは言うまでもない。桜色の小さな鼻と、金色の釣り目。華奢な体つきも、私のよく知るあの人を連想させた。
「……可愛いな」
そう呟いて、猫の喉を人差し指で掻いてやる。気持ちよさそうに目を細めた猫は、また泉の膝に体を預けてすやすやと寝息を立て始めた。一度だけ生徒会室で盗み見た、彼女の居眠り姿をふと思い出した。 少し泉が羨ましくなって、彼女の方をちらりと見やる。泉の顔は見ているこちらが恥ずかしくなるほど、ふにゃふにゃとにやけていた。そのあまりにだらしない幸せそうな顔に、思わず吹き出してしまった。 我に返った泉が、少し照れくさそうに「可愛いんだもん」と眠る猫そっくりの顔で笑うものだから、私もつられて目を細める。羨ましいなんて気持ちは、とうに引っ込んでいた。
「ふわふわだねー。あったかーい」 「綺麗な猫だよなぁ。飼い猫かな?」 「うーん、どうだろ……。でも自分から膝に乗ってきたし、飼い主さんいるのかも」
猫を撫でながらそんな穏やかな会話を交わしていると、背後にあまり穏やかではない気配を感じた。ちらりと後ろを見やると、案の定私たちに置いてきぼりを食らった理沙が仏頂面で仁王立ちしていた。 ただでも鋭い理沙の目にギロリと睨みつけられて、私も泉も少々苦笑いを浮かべる。すまん、とご機嫌取りで謝ると、理沙は眉を潜めたまま「脛が痛い」とだけ呟いて泉をじっと見据えた。おお、理沙が怒ってる。 しかし睨みつけられた泉は自分の鞄が理沙の脛に当たったことなんて知らないし、多分理沙が結構お怒りであることも察していない。今の泉は膝の上の可愛い猫に夢中なのだ。 理沙が無言で差し出した鞄を「ありがとー」と無邪気に受け取って、泉は再び視線を猫に戻した。猫が一つ大きな欠伸をしたのを見て、泉の顔がまただらしなくふにゃりと綻ぶ。 そのあまりに柔らかな笑みに、理沙も怒っている自分が馬鹿らしくなったようで、小さなため息を一つ吐いた後、泉の隣に腰を下ろした。そして慣れた手つきで、猫の頭を軽く人撫で。
「ねー、理沙ちん。この子名前あるの?」
泉が理沙に問いかける。理沙は猫を眺めながら、少し複雑そうな表情を浮かべた。
「んー。無いな。というか、名前は付けない」 「えー? なんで? やっぱり飼い猫さんで、もうほかに名前があるから?」 「いや、多分野良だとは思うけど……」
そう言ったきり、理沙は目を伏せて黙り込んでしまった。彼女が何を考えているのか、私にも泉にもイマイチ分からなくて、二人で顔を見合わせて小さく首を傾げた。 理沙は黙ったまま、無言で猫を優しく撫で始めた。猫はすやすやと、穏やかな顔で眠っている。その寝顔を三人で暫し眺めた後、理沙はぽつりと呟いた。
「名前を付けると、寂しくなるからな」
妙に悲しげな口調だった。泉もいつもの理沙らしからぬ雰囲気を感じ取ったようで、猫から視線を外し俯いた理沙の横顔をまじまじと見つめている。らしくもない物悲しい雰囲気が私たちを包み込んでいた。 そんな雰囲気をいち早く察してぶち壊しにかかったのは、言うまでもなくこんな雰囲気を作り上げてしまった理沙本人だった。彼女は真面目な空間を非常に苦手とする節がある。 ぬあー! と意味の分からない奇声を発したかと思うと、理沙は急に立ち上がり、しんみりとした表情を浮かべる泉の頭を乱暴に撫でまわした。見る見るうちにボサボサになっていく、泉の頭。
「きゃー!! やめてよ理沙ちーん!!」 「ええい! 泉が猫みたいな顔して私を見るから悪いんだ! 撫でさせろー!」 「もっと優しくしてよぉ! ああっ、猫さん逃げちゃった! もー、理沙ちんのせいだー!」
急に騒がしくなった泉の傍が居心地悪くなったのか、猫は泉の膝から気だるそうに飛び降りた。そしてじゃれ合う泉と理沙を横目で見ながら、また大きな欠伸を一つ。 そして唯一まだ穏やかな空間を確保している私を目敏く見つけて、ゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。金色の大きな瞳と目が合う。にゃあん、と少し掠れた声で猫が一鳴き。 おいで、と手招くと、猫は素直に私の足元にやってきて、撫でようと構えていた私の掌に自ら頭をこすり付けてきた。可愛いやつめ、と心の中で呟いた。きっと顔はだらしなくにやけていることだろう。 懐いてくる可愛い猫を撫でながら、私はこっそりとこの猫に名前を付けることにした。理沙が名前を付けないというのなら、私がつけても別にかまわないだろう。付けたい名前はもちろん、この猫によく似たあの人の名前。 心の中でその名前を呼んでみた。当の猫は私の手にじゃれるのに夢中で、生憎返事は返ってこなかったけれど、金色の釣り目がちらりとこちらを見た気がした。 この瞬間、私の中でこの猫の名前が決定した。多分人前で呼ぶことはない、小さな花の、可愛らしい名前だ。
「あ、美希ちゃんが猫さん独り占めしてる!」
ずるいー! と遠くから声が聞こえたかと思うと、泉がこちらに向かって歩いてきた。きっと理沙から逃げ回っていたのだろう。泉の頭は理沙に撫で繰り回されたせいで、見るも無残な姿になっていた。 アホ毛をそこら中から生やした泉がおかしくて、小さく笑う。足元の猫も、泉を見つめている。その表情が少し呆れているように見えてくるのは、先ほどつけた名前のせいかもしれない。
「泉、頭酷いことになってるぞ」 「やっぱり? 理沙ちん、容赦ないんだもん」 「うん、容赦なくもしゃもしゃになってるな」 「いいもーん。今日はもうハヤ太君とも会わないし」 「ほう、ハヤ太君が居たらその頭はダメなのか?」 「は、ハヤ太君だけじゃないよ!? ハヤ太君とかだよ! とか!」
自分の失言に懸命にフォローを入れる泉をニヤニヤと眺める。ここに理沙がいれば多分もっと話が広がったのだろうが、何故か理沙は戻ってこない。 顔をほんのり赤く染めて「ハヤ太君だけじゃないもん!」と繰り返す泉から少し目を離して、後ろを見る。理沙は非常にスローなペースでこちらに向かって歩いていた。マイペースな奴だ。
「美希ちゃーん! 聞いてるの?」 「ああ、聞いてる聞いてる。泉はハヤ太君が大好きなんだなぁ」 「全然聞いてないー!! だからね、私はね!」
茶化されてさらに顔を赤くした泉は、猫の存在も忘れて騒ぎ出す。騒がしいのが嫌いな猫は、するりと私の足元から離れ居ていった。余りにあっさりとしたその態度に、一抹の寂しさを覚える。 心の中で猫の名前を呼ぶ。けれど猫は振り返ることなく、目の前にある雑木林の中へと姿を消した。まだ眠たかったのか、気だるそうな猫にしては重い足取りだった。
「あ、猫さん、行っちゃった」
猫が去ったことに気付いた泉が、寂しそうに呟く。そしてそれに答えたのは、やっと戻ってきた理沙の声だった。 「まあ、猫は騒がしいのが嫌いだからな」
一番騒がしくしたのはお前だろうと、つっこもうとしたけれど、猫の消えた雑木林を見つめる理沙が妙に寂しげだったせいで、言葉は喉の奥で掻き消された。 理沙は、この猫の何かを知っているのだろうか。
「ねー、理沙ちん。また猫さんに会いに来ていい?」
泉が無邪気に問いかける。理沙は相変わらず、笑っているような、寂しいような、複雑な表情を浮かべたまま、「ああ」と小さく頷いた。
「次は何かごはん持ってきてあげようかな」 「でも野良猫に餌付けってあんまりよくないんじゃないか?」 「ああ、そこらへんは気にするな。あの猫が住み着いたのも、うちの兄が勝手に餌付けしたからだし」
――責任もって、最後まで面倒見るさ。 そう言う理沙の声は非常に小さくて、やっぱりどこか悲しげだった。しかしその悲しさの理由なんて、心の読めるはずのない私には見当もつかなかった。
この日を境に、私と泉は猫に会うため、足繁く朝風神社に通うようになったのだ。
* * *
色づいた葉が全て落ち、理沙がぶつくさ言いながら掃除するのを泉と二人で眺めた十一月。猫は理沙の集めた落ち葉の上で寝転がっていた。 すっかり寒くなり、うっすらと雪が積もったりもした十二月。猫は私たちから立派な住処をもらって、一日中その中でぬくぬくと過ごしていた。 朝風神社が参拝客で賑わって、雪も深くなった一月。猫は人ごみとと雪を嫌って、神社の裏の我が家から出てくることはなかった。 雪も解け始め、梅のつぼみが膨らんだ二月。まだまだ肌寒いこともあり、猫はやっぱり引きこもっていた。構ってもらえない寂しさのあまり、猫の家に手を突っ込んだ泉が引っかかれた。
そして桜の蕾が膨らんでちらほらと花が咲きだし、辺りにほんのりと春の香りが漂い始めた三月下旬。また掃除の時期だと理沙がうな垂れた頃、猫が久しぶりに外に出ていた。 私たちと初めて出会ったときと同じ、一際大きなあの木の下で、再び白い毛玉となってすやすやと眠っていた。その白い毛皮は、秋の紅葉よりも桜の淡いピンク色が良く似合っていた。 桜の花びらを背に乗せて寝息を立てる猫を笑いながら一撫でした時、妙に身体が骨ばっていることに気が付いた。そういえば、二月あたりから私たちの持ってくる餌をあまり食べなくなったような気がする。 まあ、春になったしこれから食欲も出てくるだろうと、私も泉も楽観視していた。ただ一人、痩せこけた猫を悲しげに見つめる理沙を除いて。
そして桜が満開になった四月の初め。 朝風神社から猫が消えた。誰にも気づかれず、ひっそりと、猫が姿を消したのだ。
* * *
「理沙、猫がいない」
猫が行方をくらまして四日が過ぎた頃、私はとうとう心配になって震える声で理沙に問いかけた。理沙は忙しそうに動かしていた手をぴたりと止め、酷く悲しそうな目つきで私を見た。 理沙は私たちと猫が出会ったあの木の下でしゃがみ込んでいる。随分と散ってしまったその大きな桜の木の下には、屋根が取り払われ、ボロボロのクッションがむき出しになった猫の小屋があった。 彼女は猫の住処を撤去している最中だった。 その行為自体が、もう猫は帰ってこないということを示していたのだけれど、私はわざと分からないふりをして、もう一度理沙に話しかけた。
「猫がいないんだ、理沙」 「うん、知ってるよ」
静かな声で理沙が答える。
「泉も昨日探してたよ。でも見つからなくてさ。私が花見客が拾っていったんじゃないかって言ったら、ちょっと悲しそうな顔して帰って行ったよ」 「拾われたのか?」
そうであってほしかった。僅かな希望を込めて尋ねてみたけれど、理沙はゆっくりと首を横に振る。そしてつい最近まで猫が眠っていたボロボロのクッションを、優しく撫でながら、ぽつりと。
「多分、死に場所を探しに行ったんだろうな」 「……なんで」
あの猫は、ここが気に入っていたはずだ。私が見る限り、猫は暖かな住処と美味しいご飯がもらえるこの場所を好いていたはずなのに。何故、死に場所なんて。と、どうしようもなく悲しくなった。 それと同時に、妙に悟った口を利く理沙に一種の不信感を抱いた。もしかしたら、彼女は全て知っていたのではないか。
「なあ、理沙。お前はあの猫がもう長くないこと、知ってたのか」
理沙は目を細めたまま、頷いた。その手は未だ名残惜しそうに猫のクッションを撫で続けている。
「知ってたよ。でも美希たちには言えなかった」
ごめん、と小さく呟いて、理沙は視線を自分が壊した猫の住処へと視線を戻した。理沙の表情をうかがい知れなくなった今、彼女がどんな顔をしているのか分からない。 けれどもう一度ごめんな、と呟いた理沙の肩が小さく震えたのを見て、彼女が泣いている、もしくは今にも泣きだしそうになっていることを悟った。俯いたまま顔を上げない理沙の背中に、私は言葉を投げかける。
「猫に名前を付けなかったのも、猫がいなくなることを知ってたからなのか?」 「ああ。名前を付けると情が湧いちゃうからな。名前を付けなくても、こんなに悲しいのに」
理沙が小さく鼻を啜った。
「もしかしたらさ、泉も本能的に分かってたのかもしれないな。ぬいぐるみにさえ名前を付けるあの子が、最後まであの猫のこと、猫さんって呼び続けてたんだ」 「ああ、確かに。そうだったな」 「そういえば美希も、名前付けてなかったな」 「……ああ」
本当はずっと心の中で呼んでいたけれど。
「何か名前、付けてあげればよかったかな」
でも私は弱虫だから名前なんて付けられなかったんだ。と、理沙は一人ごちた。春のそよ風にさえ掻き消されてしまいそうなその小さな声は、酷く掠れていていたが、微かに涙を含んでいた。 名前も付けてやれなかったと後悔する理沙に、本当は名前を付けていたんだと伝えたかった。けれど、言葉にさえしていないその名前は、本当に猫の名前と言えるのだろうか。 私一人がこっそりと、心の中で呼び続けたあの猫の名前――。
「……さてと! しんみりしてても仕方ない! 猫の名前は猫さんだった、それでいいんだ!」
急に大声を出したかと思うと、理沙は急に立ち上がった。真面目な雰囲気が苦手な彼女は、またしても空気の流れを変えようとわざとらしいほど元気な素振りを私に見せつける。 猫のクッションを小脇に抱えて、にやりといつもの不敵な笑みを浮かべる理沙。私もつられてにやりと笑い返したが、彼女の頬に走った一筋の涙の跡を見つけて少しだけ顔が曇った。 強がる理沙にかける言葉が見つからなくて、思わず目を逸らしてしまう。そんな私の気持ちを知ってか知らずか、理沙は相変わらずの明るい口調で言葉を続けた。
「それにあの猫は根っからの野良だったからな。どんなにここの居心地が良くても、最後はきっとこうなったんだ」
仕方ないさ、と寂しそうに微笑んで、理沙は抱えていたクッションを何故か私に押し付けた。非常に獣臭い毛だらけのクッションだけど、抱えることに不思議と不快感は無かった。 素直にクッションを受け取った私を見て、理沙は嬉しそうに笑った。そしていつもの偉そうな口調でこう言った。
「それは美希にやろう! なんだか、私たちの中で一番寂しがってるみたいだしな」
そんなわけあるか、とでも言い返したかったが理沙の言っていることは紛れもなく真実で。こっそり名前を付けていた分、私のあの猫への思い入れは人一倍だった。それもその名前が、あの人と同じものなのだから尚更だ。 理沙は私が猫に名前を付けていたことは知らないはずだが、妙に勘が鋭い彼女は私の猫への想いを目敏く感じ取っていたらしい。
「……一応もらっておく」
獣臭いクッション。爪でも研いだのかそこらじゅうが毛羽立って、お世辞にも日常で使える代物ではない。けれど、捨てることが憚られるのは、あの猫の遺していったものだからだろう。 「汚いけど大切にしろよ」 「言われなくても」 「うむ」
私がクッションを両手で抱きしめたのを見るや否や、理沙は満足そうな笑みを浮かべて猫の小屋の片づけを再開した。 再び木の下にしゃがみ込んだ理沙の背中をぼんやりと眺める。ついこの間まで猫が寝ていたはずのその見慣れた小屋が形を失っていく様は、見ていてとても苦しい。けれど、見守らなくてはいけない気がした。 猫はもういないという証をしっかり見ておかないと、きっと私はいつまでも引きずってしまうだろうからな。
ザザ、と一際強い風が吹いた。桜の木から無数の花びらが舞い散って、一瞬私の視界を遮った。桜吹雪で曖昧になった世界の中で見た理沙の背中。その隣に、白い猫が佇んでいるように見えた。 桜色の小さな鼻をひくつかせた、真っ白の猫。気の強そうな金色の瞳があの人そっくりな、可愛らしい猫。
「――」
初めて声に出してその名前を呼ぼうとしたが、不自然なほど言葉が喉につっかえた。息を吸い込み、心を落ち着け、再び名前を呼ぼうとしたときにはもう既に猫の姿はなかった。 目の前に居るのは、黙々と作業を続ける理沙一人だけ。
(ひなぎく)
心の中でもう一度猫の名前を呟いた。とうとう最後まで言葉にすることが出来なかった、あの子の名前。 日頃から親しんでいる呼びなれた名前のはずなのに、今は心で思うだけで酷く物悲しい。
(やっぱり、こんな名前、付けるべきじゃなかったかな)
ふいにそんなことを思ったけれど、四か月以上呼び続けた名前を今更変えることなんてできるわけもなく。 それに何より、呼ばれることはなかったけれど、名前のなかったあの子の持つ唯一の名前なのだから、無下にできるわけがない。
(ひなぎく)
もう一度だけ、猫を呼ぶ。 私の大好きな、小さな花と同じ、愛らしい名前の猫だった。
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昔書いた作品のリメイク。ほんのりホラー ( No.40 ) |
- 日時: 2013/04/18 03:50
- 名前: 餅ぬ。
- 「え……?」
教室に入った瞬間、その異様な光景に私は言葉を失った。 窓際の後ろから三番目の席。その机の上に当たり前のように置かれている、白い菊の花。葬式なんかでよく見かける縁起でもない美しさを纏う、真っ白な菊が、ちょこんと。 不吉な花が教室の片隅で鎮座する異様さに、背筋が震えた。背骨を伝うようにじわじわと這い上がってくるこの寒気は、多分嫌悪感というものに違いない。 誰がこんな陰湿な悪戯を。私たちのような能天気なアホと秀才ばかりが揃うこの天下の白皇学院で、こんな薄気味悪い悪戯……もしくは虐めが起こっているなんて。 平和な学園生活を乱す不埒な輩を、風紀委員ブラックたる私が見過ごすわけにはいかない。珍しく使命感に駆られた私は、机の上に置かれた菊の花へと駆け寄った。 菊の花と同じく白い陶器でできた花瓶の中には、ご丁寧にも水まで入っていた。まるで誰かがこの花を育てているようだ。 思わず眉間に皺が寄る。古典的ながらも悪質な嫌がらせに、酷く怒りを覚えた。誰がこんなことを、と一人ごちて、私はこの時初めて教室内を見回した。 教室内はいつも通りの景色が広がっていた。泉は美希と何やら楽しそうに話しているし、珍しく学校にやってきたナギちゃんはPSPに夢中。ハヤ太君はそのナギちゃんの傍らで、困ったように笑っている。 他のクラスメイト達も、楽しげに思い思いの朝の短い自由時間を送っているようだった。しかし誰も彼も、この菊の花に気付いていないかのような振る舞いをしている。まるで当たり前の一部として受け入れているような。
いつも通りの空気が流れるこの穏やかな空間の中で、私の目の前にある真っ白な菊の花だけが異質だった。そんな異質を目の前にして、彼らは誰一人として気にかけようとしない。 今こうして、クラスメイトの誰かが亡き者として扱われているのだ。しかし、普段通りを装う人々に私は激しい憤りを覚えた。 教室のどこかで酷く悲しい思いをしているであろう、この席の主に悪いと思わないのか――。
と、ここで私は一つの違和感を覚えた。それはきっと、教室を入った瞬間から感じていた違和感なのかもしれない。けれど、菊の異質さに目を奪われていた私はその違和感に今の今まで気づかなかった。 ゾゾ、と首の後ろ辺りを悪寒が走る。何故だか心がざわめいて仕方がない。黒目がぎょろぎょろと、私の意思に反して騒がしく動き回ってあたりを見回す。 改めて見回した教室には、相変わらずいつも通りの光景が広がっていた。ハヤ太君をからかう美希と泉、不機嫌そうなナギちゃんの顔。賑やかな空間の中に、悲しげな表情を浮かべる者は誰一人としていない。
――机の主が、いない。
それを自覚した途端に、私の脳裏にはっきりと疑問が浮かんだ。私は視線を菊の花へと戻す。そして机の表面を微かに震える指先でつるりと撫で、呟いた。
――この席、誰の席だったっけ。
この教室に空席なんてなかったはずなのに。確かにここには、昨日まで、誰かが座っていたはずなのに。思い出せなかった。
(あの席は、誰だ? 思い出せない……思い出せない……思い出せない……)
あの席の主が誰だったか懸命に思い出そうするが、私の頼りない頭の中はまるで靄がかかったように薄らぼんやりとしている。 顔も名前も性別も、何一つ思い出せない。 私は唸りながら、自分の席に腰を下ろした。フル回転する頭を抱え、机に顔を突っ伏した。
こんな陰湿極まりない虐めのようなこと、白皇では絶対にあってほしくないのだ。小学生のころから慣れ親しんだ、大好きなこの場所が汚れてしまうような気がして。 これから先もずっと平和で楽しい白皇学院であってほしかった。その細やかな願いをかなえる為にも、席の主を見つけ、菊の花を供えた犯人を捕まえなくてはいけない。 だが、その席の主が思い出せなかった。 窓際の後ろから三番目。ここは誰の席だったのか。あまり目立つ位置ではないけれど、全く気が回らない位置ではない。 それに第一、私は一応クラス全員の顔と名前はしっかり憶えているのだから、誰か一人欠けていれば気付くはずだ。 しかし、何度周りを見回しても、クラスにかけてる人間は誰一人としていない。欠席者もなく、全員が揃っている。 だが、クラスの人間の誰かの席に、今こうして、白い菊の花が供えられているのだ。それは夢でも幻でもなく、紛れもない現実だ。 主のいない机の上に咲く白い菊。ぽたりと花弁を一つ落とすその様は、お前はいないのだとその誰かに告げているよう。
(誰? 誰だ? あれは、誰の席だ?)
思い出せない、思い出せない、思い出せない、思い出せない!! 頭の中を弄繰り回せば回すほど、脳の奥がじん、と不快な痺れがやってくる。思い出すなとでも、言いたいのだろうか。
* * *
授業の終了を告げるチャイムの音で、私は我に返った。脳みその奥の方が、酷く痺れている。頭が重い。 こめかみに手を添えて重い頭を支えながら、黒板の上にかかっている時計に目をやる。針は午後十二時四十分を指している。昼休みに入ったようだ。 クラスが徐々に騒ぎ始める。グループを作って談笑を始める。笑い声が響き始める。昼下がりの朗らかな雰囲気が教室中に充満していく。 机の上にぽつんと飾られた、不吉の象徴を無視して。 ――このクラスの人間は、どうしてしまったのだろうか。 こんなにも非日常的な光景が教室の片隅にあるというのに、彼らはいつもと何ら変わらぬ日々を送っている。 誰よりもこういった陰湿な悪戯を嫌う泉も、意外と情に厚い美希も、優しさと見た目によらぬ頼り甲斐が何よりの取り柄であるハヤ太君でさえも。菊の花を何一つ気にしてはいない。 菊の花の存在が当たり前になっているのではないかと錯覚してしまうほど、変わりなく過ぎていく時間。日常。 そんな日常を見て、私の心はまたしてもざわめき始めた。
(この菊の花を気にしているのは、私だけなのか……?)
そんな非現実極まりない考えが、ふと頭をよぎった。
(なんで、なんで、なんで。誰も、これを疑問に思わないんだ。 誰なんだ、この花を置いた人は。 誰なんだ、この席の主は)
ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる
ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる
巡る巡る頭の中。菊の花を何一つ気にしないクラスの連中。花を置いた犯人。そして、席の主。 三つの疑問が頭の中を巡り巡る。ぐるぐる回る。じんわりと、脳の奥が再び痺れだす。それでも、私の思考は止まらない。 ぎょろぎょろと目玉が勝手に辺りを見回す。視界が不自然に揺れている。心臓が痛いほど早鐘を打っている。呼吸が自然と早くなる。 抑えきれない不安のあまり、私は私の日常の中心である親友二人を探した。いつも三人集まってお弁当を食べる泉の席に視線を向ける。廊下側の、一番前の席。 うにゃー! という間抜けな叫び声が視線の先から聞こえてきた。美希が泉の弁当を襲っている光景が目に入り、久しぶりに見た日常の光景に思わず安堵の息を吐く。 心臓は徐々に大人しくなり、頭の中も少しばかり落ち着いた。しかし、私は二人に合流する気にはなれなかった。 こんな心境では昼食を食べる気にもなれなかったし、何よりあの二人がこの異様な光景を何一つ気にしていないことが妙に悲しかった。
(泉も美希も、この花に疑問を抱いてないんだ)
溜息を吐きながら、私は菊の花を見た。
真正面、目と鼻の先にある、真っ白な菊の花を。
――え?
訳が分からなかった。
何故、菊の花が私の目の前にあるんだ?
それは、私が菊の花が供えてある席に座っているから。
何故、私はこの席に座っているんだ?
それは、この席が私の席だから。
ああ、そうだ。窓際の後ろから三番目。日当たりの良い昼寝に最適なこの席は、紛れもなく――。
――私の席だ。
「なんで……!?」
居ても立ってもいられなくなって、私はおもむろに立ち上がり、思い切り机を叩いた。音がしない。首を傾げると同時に菊の花弁がまた一つ、机の上に静かに落ちた。 お前はいないのだ、と語りかけられた気がした。呆然とその花弁を見つめながら、私は小さく息を吐いた。 そして意を決して顔を上げ、教室を見回す。
教室は、夕暮れの赤に染まっていた。
先ほどまで昼休みだったはずなのに、時は既に放課後。人っ子一人いやしない、真っ赤な無人の教室に、私は取り残されていた。 教室にあるのは、佇む私と、白い菊の花。菊の花は夕日の赤に染められて、一層不気味さを増していた。 たった一人教室に取り残されて、耳が痛くなるほどの静寂に包まれて、私は漠然とだが、自分の置かれた状況を理解した。
今日、私は誰かに話しかけたか? いや、話しかけていない。 今日、私は誰かに話しかけられたか? いや、誰とも話していない。 今日、私は授業を受けたか? いや、全く記憶がない。 今日、私は泉たちと一緒に学校に来たか? いや、来ていない。私の記憶は、教室の前からいきなり始まっている。
今日、誰かと目が合ったか?
いや、誰とも目が合っていない。泉も、美希も、誰も、私のことを。
――今日、私は存在を認められていたか?
――いや、私は、存在していなかった。
ああ、そうだ。私は今日一日、この教室に存在していなかった。
「私は、今日、この世界から消えていた」
夕日に照らされた菊の花弁は、薄く紅を注している。ゆるりと弧を描くその薄紅色の花弁たちは、私をせせら笑う唇だ。 菊の花に笑われて、私もつられて微笑んだ。そっと菊の花に触れようとすると、指がするりとすり抜けた。 軽く机を叩いてみる。音はしない。衝撃もない。完全な静寂に包まれたこの世界は、多分この世のものではないのだろう。 そんな世界に一人佇む私は、きっとあちらには存在していなかった。
私は、ここに居ないのだ。
「……あはははは」
無性に悲しくなって愉快になって。絶望とも何とも言えない感情に包まれて。 自分の心の内さえも分からなくなって、私は笑うことしか出来なくなった。その笑い声が、教室を包み込むことはない。 白い菊だけが存在する、真っ赤な教室の片隅で、私はただただ、笑っていた。
あはははははははははははははははははははははははははは。 あははははははははははははははははははははははははははははははははははは。 あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!
* * *
「ははは……、って、あれ……?」
気が付くと、私は何故か自室のベッドの上に寝転がっていた。寝転がったまま首を軽く傾げる。先ほどまで、私は夕暮れの奇妙な教室で……。
「理沙ー! 起きろー!!」
記憶を手繰っている途中、ドアの向こうで兄がえらく大声で呼ぶものだから、思わずベッドから飛び起きた。 いつも通りの兄の喧しいモーニングコールに、私は安堵の息を吐いた。ただの日常が、こんなにも安心できるものだったなんて。
「おーきーろー!! 理沙ぁー!!」 「うっさい! もっと静かに起せ!!」
ドアの向こうで叫ぶ兄を一喝しながらも、私はとても幸せな心地だった。変わりない日常が始まるという安心感に、只々浸っていた。 ベッドからのそりと降りて、恐る恐る鏡の前に立ってみる。そこには芸術的な寝癖を携えた、少し疲れ気味の私がしっかりと存在していた。 私は、この世界に居る。
(夢オチって、こんなにも安心できるオチだったんだなぁ)
今まで馬鹿にしてきた夢オチエンド漫画たちよ、すまない。なんて心の中で思いながら、くすりと笑う。鏡の向こうの私も、らしくないちょっと可愛らしい笑みを浮かべた。 この世界に存在している。それだけがただ嬉しくて仕方なかった。
「あ、着替えなきゃ。あと寝癖……」
未だかつてないド派手な寝癖がついていることを思い出して、私はそそくさと身だしなみを整え始めた。 自分はあんまり女らしくない方だと自負しているが、やっぱり何だかんだで人の視線が気になるお年頃なのである。 びよんびよんと跳ねまわる髪を悪戦苦闘しているうちに、私はあの奇妙な夢のことなんて遠い昔のことのように感じ始めていた。
無理やり直した寝癖が徐々に立ち上がってくるのを気にしながら、私は教室へと向かう。その道中で出会った美希に、跳ねかかった髪を指差して笑われた。 爆笑する美希の背中を睨みつけながら、私は彼女の一歩後ろを歩く。隣に並んで歩けばいいのだが、何故だかその立ち位置は違う気がして隣に並べなかった。 美希の頭をボサボサにすべく背後から彼女の髪を弄繰り回しているうちに、教室の前についていた。立ち止まるや否や、美希に結構な力で手をつねられた。痛い。 少し赤くなってしまった可哀想な右手を撫でながら、私は美希と二人並んで教室のドアを開ける。
その瞬間、私の目に飛び込んできたのは、すでに忘れかけていた夢と同じ、
――白い菊の花。
けれど、何故だろう。その菊の花に何も違和感を感じなかった。 見ているはずなのに、見ていないような。まるでそこにあって当たり前とでも言うように、異質な白は私の視界に馴染んでいた。 あの菊の花は、遠い昔からあの席に飾ってあったのだと錯覚してしまう。違和感なんて、微塵も無いのだ。
「ああ、そうか」
小さな声で、呟いた。 隣に立つ美希が少し不思議そうな顔をしたが、それでも私は独り言を続ける。
「今日は、この席の人が、存在しないのか」
廊下側の一番前の席。誰の席だったか。やっぱり思い出せない。 しかしそれは当然のことである。何故ならこの席に座るべき人間は、今、ここに存在していないのだから。 その人間の代わりに、当たり前のように存在しているのが、この『白い菊の花』なのだ。 ずっと前から一緒にいるクラスメイトのような顔をして、白い菊は机の上で咲いている。それは酷く、当たり前の光景だ。 「理沙、どうしたんだ? さっきからぶつぶつと……。独り言言いすぎると鼻毛伸びるぞ」 「え、う、嘘だろ? 伸びてないよな? な?」 「嘘だよ。伸びてないから鼻を見せるな」 「良かった……。あ、はなつながりで一つ聞きたいんだけどな」 「ん?」
「美希、あの席にある菊の花、何だと思う?」
私がそう問うと、美希は白い菊をさも興味なさげに一瞥し、ため息交じりにこう答えた。
「何言ってるんだ? ずっと前からあったじゃないか」
あって当たり前だろ、と呆れた口調の美希。ああ、やっぱり当たり前なのだ。 この席の人に変わって、この菊が当たり前のように存在しているのだ。それを確信した私は、一人満足げに笑みを浮かべた。
「ああ、そうだったな。なんかボケてた」 「まあ、理沙がボケてるのはいつものことだけど」 「なんだと! 私はいつだって大真面目だぞ!」
怒ったふりをすると、美希はニヤニヤと笑いながら得意の毒舌で揚げ足を取ってくる。それは日常の光景で、傍から見たら殺伐としているように感じるかもしれないが、私と美希にとってはいつものことなのだ。 ……いつも通りのはず、なんだけれど。 はははとクールに笑いながら自分の席へと向かう美希を追いかけながら、私は少しだけ違和感を感じていた。何かが足りない、そんな気がした。 ぐるりと周りを見渡してみる。しかし、クラスメイトは殆ど全員そろっているし、欠けているものなんてありはしない。 何が足りないのか、少し考えてみたけれどそれは酷く無駄な気がしてすぐに考えるのを放棄した。足りない分は、あの白い菊が補っているのだから、心配する必要はない。
「理沙ー。何ぼーっとしてるんだ?」 「んー。なんでもない」
美希に名前を呼ばれて、私は菊の花から視線を逸らした。 いつもの教室。いつものクラスメイト達。そしていつもの美希と私の二人組。全てが馬鹿らしいほどいつも通りのはずなのに。
(なんか、笑い声が少ないな)
ほんの少しだけ、静かな教室に違和感を感じたけれど、気のせいですませておいた。考えたところで、きっとわからないだろうから。 けれど、ほんのちょっぴり、寂しいような気がした。
しかし、そんな違和感なんてもろともせず一日は始まる。 今日も今日とて、いつも通りの一日が始まるのだ。
教室のどこかに、誰かの代わりに、
【白い菊の花を添えて。】
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そろそろギャグが書きたいけど書けない ( No.41 ) |
- 日時: 2013/05/01 22:12
- 名前: 餅ぬ。
「ねーねー。私って、ハヤ太君のことが好きだったんだっけ?」
ベッドの上に寝転がりながら漫画を読んでいた泉が、ふと思い出したように美希と理沙の背中に向かって問いかけた。 その瞬間、泉の転がるベッドに寄り掛かってゲームをしていた理沙の手がふと止まった。同じく、泉に背を向けてノートに何かを書いていた美希の手もぴたりと止まる。 何やら良くない空気を感じ取った泉が、心配そうに二人の背中を交互に見やる。理沙の持つPSPの画面には、操縦者を失い巨大なモンスターに跳ね飛ばされて宙を舞う可哀想なキャラクターが映っている。 ゲームの音楽だけが響いている泉の部屋の中。先ほどまでの個々が好き勝手に過ごしていた穏やかな空間は、ほんの一瞬で不穏な雰囲気へと変貌してしまった。
「……美希ちゃん、理沙ちん?」
私、何か変なこと言った? と、泉が再び二人に問う。美希も理沙も返事を返せないまま、自分の手元を眺めつづけていた。動かないキャラクター、書きかけのノート。全てが止まっていた。 何故こんな雰囲気になってしまったのかは分からないけれど、原因は自分の一言であることだけは理解していた。だからこそ、何とか雰囲気を変えたくて、泉は辺りを見回して一生懸命話題を探した。 そんな時彼女の目に飛び込んできたのは、いつもと違う美希のカチューシャだった。淡い水色の小さなリボンがちょこんと付いたそのカチューシャは、泉が今までに見たことがない可愛らしいもの。 あまり可愛らしいものを好まない美希がそんなカチューシャを付けているのが酷く意外で、思わず泉は俯いたままの美希の背中に話しかけた。
「あっ、美希ちゃんのカチューシャ可愛い! いつ買ったのー?」
泉らしい明るい口調。その問いかけはどこまでも純粋無垢で、邪念の欠片も含んでいない。ふざけてもいない。だからこそ、美希も理沙も悲しかった。 ベッドから降りて美希のカチューシャを物珍しげに観察し始める泉。指先で水色のリボンを突きながら、可愛い可愛いと連呼してニコニコと笑っている。
「なんだか美希ちゃんがこういうの付けるの珍しいね!」 「……似合わないか?」 「んーん、すっごい可愛い! 私の好みにドストライクだよ!」
そう言って一層笑顔になった泉を横目で眺めていた美希は、彼女にばれないように小さなため息を吐いた。ベッドに寄り掛かる理沙もまた、喉元まで出かかっていた言葉をため息と共に飲み込んだ。 泉が可愛いと褒めちぎる美希のカチューシャは、お洒落に興味を示さない美希を見かねた泉本人が美希の誕生日に贈ったものである。 一番可愛くて美希ちゃんに似合うの選んできたよ! と、鼻高々にカチューシャを手渡す泉の笑顔を、美希も理沙もしっかりと覚えている。しかし、泉だけがそのことを覚えていない。 泉は美希がそのカチューシャを付けてくるたびに、まるで初めて見たかのように可愛いと褒めるのだ。実際、泉にしてみれば贈った記憶も見た記憶も無いので初めて見ることには違いないのだが。 彼女がカチューシャを無邪気に褒めるたび、理沙も美希も笑いながらも酷く悲しい気持ちになった。けれど、仕方のないことだとも知っていた。
「えへへー、私もこんなヘアゴム探してみよっかなー。美希ちゃんとお揃い!」
ニコニコと微笑む泉には、記憶がなかった。
「……あ、それでさ、私って、ハヤ太君のこと好きだったんだっけ?」 やっと話題が逸れたと二人が安堵したのもつかの間で、泉は相変わらずの無邪気な調子で二人に再び問いかけた。美希と理沙は、ほぼ同時に眉を潜めた。 この質問は泉にとって他愛もない会話の一つなのかもしれない。しかし泉のかつての本心と現状を知る二人にとって、その質問は非常に答えにくいものだった。
泉には、記憶がない。ない、というよりは度々無くなると言った方が正しいかもしれない。昨日は覚えていたことでも今日には忘れていることもあるし、今日忘れていたことを明日思い出すこともあった。 彼女の忘れるものはとても大事な物であったり者であったり、無くてはならない感情や感覚であったりと様々だが、当の泉からしてみれば初めからなかったという気の持ちようなので、気楽なものである。 しかし、困るのは彼女の身近な人間だ。一週間前、泉に存在を忘れられた美希は悲しさに耐えきれなくて泣いてしまったし、一昨日は理沙への友情を忘れて妙に余所余所しくなり、理沙が柄にもなく落ち込んだりもした。 それでも二人が泉の傍に居続けるのは、大切な友人であるからに他ならなかった。大切な友人であるからこそ、忘れられても傷つけられても、変わらぬ笑みを浮かべる泉に寄り添い続けてきた。 美希も理沙も、瀬川泉という人間が大好きだったのだ。
だからこそ、泉が時折呟くこの質問は、二人にとって苦く悲しい問いかけだった。
* * *
泉が記憶を失うようになったのは、美希にカチューシャを贈った三日後のこと。九月十二日のことであったと、美希と理沙だけが覚えている。
その日の泉はあからさまにソワソワと落ち着きがなく、授業中も何やら独り言を呟いては顔を赤く染めていたりした。そんな面白そうな泉の様子を美希と理沙が見逃すわけがなく、昼休みに何事だと二人揃って問い詰めた。 問い詰められた泉は最初こそ顔を真っ赤にしながら「何でもないよー」と下手な誤魔化しをしていたが、やがては二人のしつこい追及に値を上げて照れ臭そうにポツポツと語り始めたのだ。
「あのね、私、今日すっごい良い夢見たの。 私がウエディングドレス着ててね、美希ちゃんとか理沙ちんとか、あとヒナちゃんも、皆がおめでとー! って祝ってくれてて。 それだけでも幸せななのに、隣を見たら、その、相手がね……相手が、は、ハヤ太君だったの……!! それでびっくりして飛び起きちゃったんだけど、起きた後もなんだかすごく幸せで、今日だったらなんでも上手くいくような気がして……だからね、」
だからね、の後に続いた言葉は、今でも美希と理沙の耳にこびり付いて離れない。耳まで真っ赤に染まった泉の幸せそうな笑顔と共に。
「私、ハヤ太君に告白しようと思うのだ!」
照れ臭そうに笑いながらも、その泉の目は決意と希望に満ちていて、いつものようにからかえるような雰囲気ではなかった。 そんな泉の決意を聞くと、美希も理沙も一言「頑張れよ」とエールを送るだけで、余計なことは何も言わなかった。二人とも、泉の幸せだけを願っていたのだ。
そして時間は流れて放課後。ハヤテに泉の手伝いを押し付けてさっさと帰るふりをして、美希と理沙は廊下に隠れていた。もちろん泉の告白の邪魔をする気は毛頭ないが、やはり好奇心には逆らえず、こっそりと見守ることにした。 残された泉とハヤテは、机に向かいながらも他愛もない会話を交わしている。ほんのりと赤く染まった泉の頬に、鈍感男はもちろん気付いていなかった。 そしてふと会話が途切れた瞬間、泉が深く息を吸い込んだのを二人は確かに見た。そして、泉がハヤテの名を一際大きな声で呼んだ。
「ハヤ太君! その、大事な話が――」 「あ、そうだ! 忘れてた……!!」
まるで泉の言葉に被せるように、ハヤテが叫んだ。そして焦ったように時計に目をやるや否や、非常に申し訳なさそうな表情を浮かべて泉に告げた。
「ごめんなさい! 泉さん! 今日はお嬢様との大切な約束がありまして……。お仕事の途中ですけど、本当にすいません!」 「えっ、えっ、あの、ハヤ太く……」 「本当にごめんなさい! また今度必ず、お手伝いしますので! 今日はお先に失礼します!」 「ちょ、待って! ねぇ、ハヤ太君!」
泉が立ち上がったころにはすでにハヤテは自慢の俊足で教室の外へと飛び出していた。風を巻き起こして廊下を駆け抜けていくハヤテの背中を、美希と理沙は非常に苦々しい表情で見送った。 しかしあまりにも突然のことでパニックを起こしていた泉は、追いつけないと分かっていながらも彼の見えない背中を追いかけようと駈け出そうとした。 告白の途中だった。今までの想いを全て今ここで吐き出そうと、朝からずっと決めていたのだ。親友たちにも暖かく見送られて、これ以上ないほど気持ちが高ぶっていたのに。 故に、置いていかれた真実を受け止められなかった。諦めきれなかったのだ。
その焦りは足へとあらわれた。運動神経に乏しい泉が急に駈け出そうとしたところで、足が言うことを聞いてくれる訳がない。椅子から腰を上げて一歩を踏み出した途端、案の定泉は自分の足に躓いた。 ハヤテのことで頭が一杯になっていた彼女が受け身なんて取れるはずもなく、そのまま顔面から床へと倒れ伏した。 がんっ! という鈍く痛々しい音が廊下まで響き渡り、身を隠していた美希と理沙は思わず教室へ駆け込んだ。 ドアを開けた途端飛び込んできたのは、床に倒れている泉の痛々しい姿。暫し唖然としながら倒れた泉を二人で眺めていたが、声も上げずピクリとも動かない泉に異変を感じ、理沙がとっさに駆け寄った。 そして泉を抱き起しながら、彼女の名前を呼ぶ。しかし泉は瞼を固く閉じたまま、何の反応も示さない。理沙と美希の顔から徐々に血の気が引いていく。
「……泉が死んだ……!」 「馬鹿! 冗談でもそんなこと言うな! 泉! 大丈夫か!?」
二人で懸命に名前を呼んだ。すると、泉は小さな唸り声をあげながら、理沙の腕の中で身じろぎをした。 そして二人に見守られながら薄らと目を開けて、呑気に一言。
「おでこが痛い〜……」
その弱々しくも間抜けな言葉を聞いて、美希と理沙は安堵の息を吐いた。丈夫な奴だ、と美希が笑いながら泉の頭を撫でたその瞬間だった。 赤くなった額を摩りながら、泉はぽつりと呟いたのだ。
「もー、置いてくなんて酷いよねぇ。 ――綾崎君」
泉があまりにも自然に、けれど酷く聞き慣れない呼び方をするものだから、美希も理沙も自分の耳を疑った。怒っているのかとも思ったが、涙目で笑う泉の姿からそんな気配は微塵も感じられない。 あくまで普通に。今までそう呼んでいたかのように、彼女はハヤテの名を「綾崎君」と呼んだのだ。 きっと聞き間違いだ、と二人とも自分に言い聞かせるが、一度抱いた違和感はそう簡単には拭い去れない。そして恐る恐ると、美希がもう一度確認するように問いかけた。
「……綾崎君?」 「うん、綾崎君」 「ハヤ太君じゃなくて?」 「にはは、ハヤ太君なんて呼ばないよー。そこまで仲良くないもん」
泉のその一言に、二人は顔を見合わせた。 何かが、おかしい。
「……えと、泉? どした?」 「どしたって……何が? 美希ちゃん?」 「だって、お前、ハヤ太君のこと……好きだったんだろ?」 「え?」
泉が首を傾げる。丸く見開かれたその目には、純粋な疑問の色だけが浮かんでいた。 何かが、おかしい。それは確信に変わりつつあった。しかしその異変を信じたくない一心で、理沙が場違いに明るい口調で泉に話しかける。
「なんだ、泉ー。告白遮られたのがそんなに腹立ったのか? まあ、ハヤ太君の間が悪いのなんていつものことだろ。大目に見てやろうじゃないか」
理沙の乾いた笑い声が、奇妙な静けさに包まれた教室内に響き渡る。しかし、それに釣られて笑ってくれる者はいない。 泉はさらに状況が把握できないといった様子で、口をポカンと開けるばかり。そんな泉を眺める美希の心配そうな横顔は、一面が不安の色に染まっていた。 そんな美希の様子に気づかないまま、泉は傾げた首をさらに大きく傾けて理沙に問う。
「……告白? 誰が?」 「いや、だから、泉がハヤ太君に……」
理沙がそう言うと、泉は眉を潜めて困ったように笑って見せた。それは美希たちに悪戯をされたときや自分の悪戯が失敗したときに見せる、酷く見慣れた泉の笑顔だ。 その笑顔を向けられるや否や、美希も理沙も安心したように強張っていた顔を綻ばせた。性質の悪い悪戯を、とほぼ同時に心の中で呟きながらも、二人とも心底嬉しそうに胸を撫で下ろしていた。 さて、そろそろ泉の種明かしが始まるだろう。これだけ心配させられたんだ、デコピンの一つや二つお見舞いしてやろうか。そんなことを考えながら、美希と理沙は泉の言葉を待つ。 けれど、いつもの困り顔を浮かべる泉から放たれたのは、二人の期待した言葉とは真逆の言葉だった。
「あははっ! もー、理沙ちん! 変な冗談止めてよー! 告白なんてするわけないよ! だって私、綾崎君のこと全然好きじゃないもん」
泉に表裏がないことは、美希と理沙が一番よく知っている。その素直さと純粋さが彼女の何よりの美徳であり、泉が泉たる所以でもあるわけで。 いつもの笑顔といつもの口調で話す泉のその姿に、嘘偽りなどは全く感じられない。泉は心の底から、当たり前のように「好きじゃない」と口にしたのだ。 美希も理沙も只々目を丸くして、ハヤテへの恋心を当たり前のように否定する泉を眺めるしかなかった。そんな二人を、泉は可愛らしく小首を傾げて見つめ返している。
「二人とも驚いた顔してどーしたの? なんか変だよ?」
変なのは泉の方だと告げたかった。けれど、二人の口からその言葉が零れることはない。口を堅く噤んで、言葉を飲み込んだ。 泉は至っていつも通りなのだ。笑い方も話し方も美希たちも向ける感情も、全てがそのままなのだ。おかしいのはたった一つだけ。
「……なあ、泉」 「ん? なあに、美希ちゃん」 「泉にとって、綾崎ハヤテってどんな人だ?」 「んー……。あんまりお話した記憶もないし……よく分からないなぁ」 「本当に、自分が彼をどう想ってたか、分からないのか?」 「うーん……印象があんまり……。でも良い人だよね!」 「……じゃあ、好きか?」 「あーっ! 美希ちゃんまで! だからね、綾崎君は大切なクラスメイトだけど、好きとかそんなのはないよ! 泉、好きな人なんていないもん!」
――泉は、ハヤテへの恋心を失くしていた。おかしいのは、たった一つ、それだけだった。
「そっか……、うん。大丈夫、きっと大丈夫。な? 泉、美希」 「え? 何が大丈夫なの?」 「ああ、大丈夫だ。多分、漫画とかでよくある記憶の混濁ってやつだろう。明日になればきっと戻ってるよ、なぁ、泉」 「え? え? 戻るって、何が? 私、なんか変?」 「大丈夫、明日には治るから。大丈夫……だよな、うん……」
まるで呪文のように「大丈夫」を繰り返す二人を、泉は訳も分からず眺めていた。忘れたことさえ忘れているから、自分が大切な感情を失ってしまったなんて思ってもいない。 ふいに床にぶつけた額がひりひりと痛んだ。泉は少し腫れた額を撫でながら、二人がこの怪我のことを話しているのだと勝手に解釈した。 大丈夫、大丈夫、と誰にでもなく呟き続ける青ざめた二人に向かって、泉は一人、朗らかに笑って、
「だいじょーぶ! 私の頭は丈夫だから、絶対明日には戻るよ!」 明るい笑顔が、二人の不安を煽った。治らない、そんな嫌な予感が、美希と理沙の脳裏に過ぎった。
――その日を境に、泉は色々なものを忘れるようになった。
* * *
初めて記憶を失った次の日、泉は予告通りハヤテへの恋心を思い出していた。けれど、その代わりに雪路のことを忘れていた。 雪路のことを忘れた次の日、泉はやっぱり雪路のことを思い出していた。そして、その日は自分のお気に入りのシャーペンの存在を忘れていた。 シャーペンの存在を忘れた次の日、泉はシャーペンの存在を思い出す代わりに、笑顔を忘れていた。一切笑わない彼女を見て、クラス中が騒然としたのは記憶に新しい。
悲しいという感情を忘れたこともあったし、熱い(暑い)という感覚を忘れたこともあった。泉の忘れるものは実に様々で、病院へ行っても理由も原因も分からなかった。 けれど忘れていたということさえ忘れてしまう彼女にとって、その記憶の欠落は特に気にならないことらしく、周りが頭を抱える中で泉一人がニコニコと笑っていた。 当事者がそんな調子だから、周囲の人々は彼女が記憶を失うということを気に留めなくなった。本人が楽しそうならそれでいい、と勝手に納得する人が少しずつ増えていった。 けれど彼女の身近にいる人たち、特に美希や理沙は、いつまでも泉の記憶の消失に慣れることは出来なかった。 長年彼女と時間を共にしてきた彼女たちにとって、泉の忘れる記憶全てが、自分たちの知る泉の一部だったのだ。
泉が何かを忘れるたび、泉の一部が欠落していくようで、酷く悲しかった。
* * *
そして、今現在。
「ねえねえ、美希ちゃん、理沙ちん。私、ハヤ太君のことが好きだった?」
純粋な疑問からそんな質問を二人にぶつける泉。規則性のない記憶の喪失は、時折泉に奇妙な忘れ方をさせる。 ハヤテへの恋心を完全に忘れてしまうときもあれば、逆に恋心が嫌悪感へ変化するときもある。時には恋心だけを覚えていながら、ハヤテの存在を忘れてしまうときさえある。 そして、今のように、自分がハヤテのことが好きだったか嫌いかだったか分からなくなってしまうときも。 何か特別な想いを抱いているということは、何となく泉本人も分かっているようで、その感情が何なのか、自分のことをよく知る二人に問いかけるのだ。
そのたびに、二人は悲しそうな笑みを浮かべながら、いつも同じ答えを泉に返す。
「うん、泉はハヤ太君のことが好きだし、ハヤ太君も泉のことが好きだよ」 「え!? ハヤ太君も?」 「うん、両想いだ。一か月前に、告白成功しただろ」
そう言う美希の顔は俯いていて、表情を伺い知ることは出来なかった。ただシャーペンを握る右手が、微かに震えていた。
「そっかー。私、ハヤ太君と付き合ってるのかー」
驚いた様子も特別嬉しそうな表情も見せることなく、泉は納得したように頷いた。きっと彼女が僅かにでもハヤテへの恋心を覚えていたのなら、頬を染めるなり嬉しそうに微笑むなりのリアクションを見せたのだろう。 けれど、今日の泉はハヤテへの恋心を忘れている。間の悪い彼に何度も告白を遮られながらやっと想いを伝えたことも、様々な困難を乗り越えて実らせた恋であることも、今の泉はすっかり忘れていた。 覚えているのは、ハヤテへのよく分からない特別な感情。そんな曖昧なものだけ。
「じゃあ、この感情は好きってことだね」
そう言って泉はにはは、といつものように笑った。今の言う泉の好きには、何一つ重みがない。ただの確認行為である。 そんな軽い泉の言葉を聞くのが、彼女の今までの苦労を知る美希と理沙にとって何よりも苦しかった。
「泉、ちゃんと覚えてるんだぞ」 「ん?」
理沙がゲーム画面を見つめたまま、静かな声で言う。
「ハヤ太君が好きだってこと」 「うん! だいじょーぶ! 忘れないよ!」
そう言って元気よく親指を立てる泉の姿を、二人は直視できなかった。彼女がその感情をいつか必ず忘れることを、二人は誰よりも知っていた。 何度も泣いて何度も挫折しながら、ハヤテへの想いを一途に貫き通してきた泉が、簡単にその感情を忘れてしまうのが何よりも悲しかった。 「でも泉は忘れっぽいからなあ」
あくまで自然に、美希はそう呟いた。そして書きかけのノートを閉じ、そのノートを泉に差し出てにこりと微笑んだ。 泉は促されるがままノートを受け取り、淡い桃色の表紙をまじまじと眺める。その表紙には、美希の几帳面そうな角ばった文字でこう書かれていた。
――『泉とハヤ太君の思い出ノート』
「ハヤ太君が好きか嫌いか分からなくなったら、それを読むといい。私と理沙が、泉から聞いた惚気話をまとめたものだ」
そう言って、美希と理沙は目を細めた。笑っているとも泣いているとも取れるその表情を、泉はどう受け取ったのか。
「……ありがと、美希ちゃん。大切にするよ」 「うん。大切に、ね。また泉から惚気話を聞いたら、そのノートに書き加えるよ」
きっと泉は忘れてしまうだろうから、と泉には聞こえない声で呟いた。 ノートをぱらぱらと捲る泉は、にっこりと笑ってる。少しだけ頬が赤く染まっているのは、知らない自分がそのノートの中でハヤテといちゃついているからだろう。 そしてノートを静かに閉じて、頬の赤をほんのりと残したまま、泉は美希と理沙を交互に見る。そして、ベッドの下から大きな箱を取り出して、そのノートを大切そうにしまった。 箱の中には今までに美希と理沙から貰った、色々な思い出と感情を書き残した記憶(ノート)が詰まっていた。記憶を失うようになってから今日まで、美希と理沙は少しずつ泉との思い出を書きだしてきたのだ。 そんな思い出の記憶が入った箱を、泉は大事そうにぎゅっと抱きしめながら、消え入りそうな声で言った。
「忘れないよ。大切な思い出だもん」
忘れたくないよ、と呟く泉の声は、僅かに涙声だった。 そんな泉の頭を、美希が優しく撫でる。理沙もゲームを床に置いて、微かに震える泉の肩に手を添える。 そして、酷く優しげな、今にも泣きだしそうな笑顔を浮かべて、泉に言う。
「大丈夫、私たちも忘れないよ」
私たちが全部覚えていてあげる、と二人は何度目になるか分からない約束を口にした。
【忘れないよ】
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一次創作で書いたやつの使い回し。 ( No.42 ) |
- 日時: 2013/05/06 15:58
- 名前: 餅ぬ。
そろそろ死ぬような気がしたので、身の回りのものを全て処分した。
【きっと明日死ぬ】
余命を宣告されたわけではない。私は幼い頃より、健康だけが取り柄であった。 自殺を思いだったわけでもない。私は幼い頃より、前向きだけが取り柄であった。 ただただ何となしに、近々死ぬような気がしたのである。それは漠然とした感覚で、真実性や信憑性など何処にもない。 その気配に理由などない。けれど漠然としながらも確固たる確信はあった。私は、そろそろ死ぬのだ。
使い古した勉強机と中身の入っていない箪笥だけを残した部屋の真ん中で、私はぼんやりと天井を見上げていた。 天井には人の顔によく似た染みがある。鼻も口もないけれど、はっきりとした輪郭と落ち窪んだ眼窩はまさに人間のそれである。 三日ほど前に浮かび上がったその染みは、いやらしくにたりにたりと笑っている。それに釣られて、私も口の端を吊り上げた。 にやりにやりと一人笑いながら、私は一体いつ死ぬのかと考えた。
「一週間後だったら困るなぁ」
だろう? と天井の染みに語りかける。染みは目だけで私を見下し笑いかけてくる。計画性のないやつめ、と嘲笑っているのだろう。 行き当たりばったりな行動は私の悪い癖だ。泉は面白がってくれるけれど、美希にはよくため息を吐かれたものだ。 これからどうするんだ、と呆れたように問う美希の声が、私の空っぽの頭の中で反響する。酷く懐かしい声のように感じた。
「笑うなよ」
苦笑いで語りかけると、染みは一層笑みを増した。よくよく見れば、薄らと鼻筋が通って弧を描く口が僅かに浮かび上がっている。 時期にこの染みは完全な人の顔になる。きっとその時、私は死ぬのだろう。死なないかもしれないけれど。 遺書でも書こうかと思ったが、生憎この部屋には紙の一枚も鉛筆一本すらありはしない。あるのは空っぽの机と箪笥、そして私だけ。
天井から視線を逸らして窓の外をちらり。外はまさに黄昏時だ。我が家のだだっ広い裏庭が、鳥肌が立つような赤に染まっている。 少し強めの風に吹かれてザザと葉擦れの音を響かせる木々も、雑草がちらほらと生えている地面も、全てが赤い。気が狂いそうになった。 ああ、と小さなため息が漏れる。らしくもなく、センチメンタルな気分に浸って、私は部屋の真ん中で頭を抱えて蹲った。
瞼の裏で、歪な幾何学模様が踊る。チラチラと忙しく蠢くそれらはまた赤い。 酷く嫌な気分になった。
「理沙ぁ、友達来てるわよー」
母の呼ぶ声で、私は我に返って顔を上げた。胸の奥に潜むどす黒いもやもやを飲み込んで、私は今日一番の大声で母に返事を返す。
「わかった! でも今手が離せないから、部屋まで来てもらってー!」
そう言って私は再び膝を抱えて目を閉じた。目を開けるのも、立ち上がるのも、酷く億劫だ。感じたことのない倦怠感は、多分死期が近い兆しだろう。 遠くの方から足音が近づいてくる。しっかりとしたその足取りは、生命力に溢れてるように感じた。少しだけ羨ましかった。 足音の主はどんどん私の部屋に近づいてくる。そして私の部屋の前でその歩みを止め、二回ドアを軽く叩いた。
「理沙、入るわよ」
その凛とした声の主は、私の返事を待つことなくドアを開けた。私は膝を抱えたまま、彼女を出迎えた。
「お、いらっしゃい。ヒナ」 「いらっしゃいって……何してるのよ、あなた」 「何もー。ただボーっとしてた」
笑いながらそう返すと、ヒナは少し呆れたようにため息を吐いた。私を叱るようにじとりと伏せられたその目は、少しばかり美希に似ていた。 私から目を逸らしたヒナが、部屋の中を見回した。そして驚いたような顔をして、私を再び見つめながら軽く首を傾げた。
「大掃除でもしてたの?」 「んー。まあ、そんなとこだな」 「ああ、それで今は一休み中ってこと?」 「まあ、な」
曖昧な返事だったけれどヒナは納得したようだった。でも少し片付けすぎじゃない? と、困ったように微笑む顔はそこはかとなく泉に似ていた。
「それで、ヒナが私の家に来るなんて珍しいな。何か用事か?」
そう問いかけると、ヒナはまた深々とため息を吐いた。今度は呆れというより若干怒りを含んでいるようだ。 ヒナが怒ると非常に恐ろしいことは、彼女に怒られた者なら誰でも知る常識である。高校時代に嫌というほど彼女に怒られた私は、条件反射で身構えた。 しかし高校のころより幾分彼女も大人しくなったようで、怯える私を嗜めるように話し始めた。口調が少々荒いのは、まあ仕方がないだろう。
「まさか忘れてたの? 生徒会のメンバーで同窓会したいねって、前に話してたでしょ? あなたその時、泉と美希と三人で何か企画するからまた決まったら連絡するって言ってたじゃない。 それでいつまでたっても連絡が来ないから、企画するって言い出したあなたに直接聞いてみようと思って」 「それでわざわざ家まで来たのか? 電話やメールじゃなくて?」
質問をしてから、しまったと思った。 もしヒナが私にメールや電話をして来ても、気付くわけがない。私の携帯は、一昨日から土の中にある。 まずいと思った矢先、ヒナは少しばかり不機嫌そうな表情を浮かべて私を軽く睨んだ。しかしその不機嫌さの中に、微かな心配の色が浮かんでいる。
「電話もメールも散々してるわよ! 泉にも美希にも! でも誰からも返事帰ってこないし……。それで、ちょっと心配にもなって……」 「何だ、ヒナ。心配してくれたのか?」 「だってあなた達、返事はいつも律儀に返してくれるじゃない。それなのに連絡してから二日たっても返事が返ってこないなんて、流石に心配になるでしょ……。 でも理沙は元気そうで安心したわ」
そう言ってヒナは柔らかく目を細めた。その優しげな微笑みに照らされて、今日初めて心が暖かくなった気がした。 それと同時に、僅かばかりの罪悪感。
「それで……理沙は、美希と泉と連絡取れてるの?」 「あー……私も最近二人に連絡してないからなぁ……」 「え? そうなの?」
ヒナは心底意外そうに目を丸くした。
「うん。だって、学校も同じだしな。大抵のことは会って話しちゃうんだよ」 「ああ、そっか。あなた達、同じ大学だったわね」
なんだか羨ましい、とぽつりと呟いたヒナは少しだけ寂しそうだった。幼馴染という存在がいない彼女にとって、私たちの関係は憧れるものがあるとかつて語っていた。 幼馴染で親友。自分で言うのも何だが、それは確かに他人に誇れる大切な存在である。唯一無二の、大切な大切な。 何よりも大事な、私の宝物だ。
だから。
「だったら、美希と泉にも聞いておいてもらっていい? 同窓会どうするのかって。 ハル子たちも楽しみにしているみたいだから、できるだ早く連絡欲しいんだけど、大丈夫かしら?」 「うん、大丈夫。聞いておくよ」 「ええ、お願いするわ。また連絡頂戴ね」 「ああ」
多分また待ちぼうけを食らうだろうけど。ごめんな、ヒナ。
「じゃあ、私はそろそろお暇するわね。大掃除の邪魔しちゃ悪いし……」 「ああ。わざわざありがとう、ヒナ」 「ふふっ、あなたが素直にお礼を言うなんて、なんだか珍しいわね。 それじゃ、また今度ね」 「うん、さよなら」
手を軽く振った後、相変わらずの颯爽たる足取りで去っていくヒナの背を眺めていた。なびく桜色の髪が、一瞬天使の羽に見えて、一人でくすりと笑った。
ヒナの足音が聞こえなくなって暫く経ったころ、私はやっと重い腰を上げた。ついでに天井も見上げてみた。染みが濃くなっている。 三日月形に歪んだ目元、歪に弧を描く不気味な唇。もうそろそろだよ、と語りかけられたような気がした。気がしただけ。 人間味を増した染みを一瞥して、私はドアに手をかけた。今日初めて部屋を出る。何故だか、ドアを開けるのが怖かった。 卑下た笑みを頭上と背に受けながら、私はゆっくりドアを開ける。そしてヒナとは比べ物にならない重たい足取りで、廊下を歩み始めた。 ずりずりと足を引きずる音が、嫌に耳についた。
部屋を出た私はそのまま外へ。 泉と美希に、ヒナの伝言を伝えなくてはいけない。
だだっ広い裏庭の片隅。家族さえも寄り付かない、枯れかけた小さな一本松の下。そこに二か所、土の色の違う部分がある。 一つは昨日と今日、私の服とかどうでもいい品を埋めた新しい穴。 もう一つは三日前、大事なモノを埋めた古い穴。 私は古い穴の隣にしゃがみ込んで、いつもの調子で話しかける。
「ヒナがさぁ、同窓会どうするんだって」
穴の中から返事はなかった。
――そろそろ死ぬような気がしたので、身の回りのモノを全て埋めた。
二人に用事を伝え終えて部屋に戻った私は、再び部屋の真ん中にしゃがみ込んだ。 天井を見上げれば、人の形となった染みがこちらを見て笑っている。死ねよと笑う。
「笑うな」
一言そう言うと、染みは一層いやらしく笑った。苛立ちから、下唇を強く噛みしめた。 天井から目を逸らして部屋の中を見渡す。勉強机、空っぽの箪笥、そして私。何もないこの部屋に、この場所に、何の未練もありはしない。 外がすっかり暗くなっており、電気一つ付けていない私の部屋は真っ暗だ。家族も何処かへ出かけたようで、廊下も暗い。 明りのない真っ暗な部屋の中で、にたりと笑う染みだけは嫌にはっきり見えた。誰かに似ているような気がした。
暗い部屋の中で私は小さく蹲る。確か、あの二人もこんな恰好をしているなぁと他人事のように思い出す。 二人の顔を思い出した瞬間、どこからともなく漂ってくる土と鉄の香り。何故だか酷く懐かしかった。 真っ暗な部屋の片隅に、影より暗い何かが二つ。私と同じ格好でしゃがみ込んでこちらを見ている。
ああ、美希と泉が私を見ている。 きっとここは穴の底なのだ。美希と泉がいる、大切なものが詰まったあの穴の底。 そして頭上からいやらしい笑みを向けてくるあの染みは、多分私だ。二人が最後に見た、私の姿だ。
「泉、美希」
黒いモノに向かって名前を呼んだ。ずるずると何かを引きずる音が耳に着く。少しずつ、二人が私に近づいてくる。 この深い穴の底、私たちは三人きり。 大切なものだけに包まれて、私は酷く幸せな気分だった。 頭上で笑う不気味な私は、見ないふり。
一層濃くなる土と鉄の香り。天井の不気味な笑み。 ずりずりと這いよってくる二人の足音を聞きながら、私は確かに得た確信と共に、一つため息を吐いた。
――ああ、私はきっと、明日にでも死ぬ。
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Re: 生徒会三人娘と仲間たちによる短編集。 ( No.43 ) |
- 日時: 2013/05/07 19:44
- 名前: きは
- お久しぶりです。きはです。
今までの作品に感想をつけたいと思いながらも、色々と忙しい今日この頃です。 ……とりあえず一番衝撃的だったお話の感想をさせて頂きます。
>「きっと明日死ぬ」
とりあえず、「黒い理沙は黒歴史レベル(良い意味で)」の一言で当作品を表現しておきます(笑) 「ホラー」と言われると、私の中では、つい外的要因――いわゆる幽霊の類の干渉をイメージしてしまいます。 しかし、このお話は、生きている人間の狂気がいかに恐ろしいかを物語っているような気がします。 秀逸なのは、以下の地の文です。引用いたします。
幼馴染で親友。自分で言うのも何だが、それは確かに他人に誇れる大切な存在である。唯一無二の、大切な大切な。 何よりも大事な、私の宝物だ。
だから。
ここの十数行前にある「私の携帯は、一昨日から土の中にある」という伏線が非常に活きていて、ここにある独白が彼女達を「処分」したことをほのめかしているような気がしました。
さらに、二度読むことによって、より恐ろしく感じる作品でもありました。 話を一読して全容を把握してから見た、最初の一文。
そろそろ死ぬような気がしたので、身の回りのものをすべて処分した。
……悪寒を感じました。「処分」という行動に彼女たちが含まれている理沙の感性。戦慄が走ります。 人とはどこかズレている感性を如実に表すことができるのは、一人称小説の強みだと改めて感じました。 視点となる人のフィルターを通して世界が描かれるからこそ、絶対に他人に理解されないような感性も描ききれるのかなと思います。
と、久々の感想でしたのでとりとめのない感じになってしまいました。 また時間ができましたら、ほかの作品にも感想を書かせて頂きたいと思います。
長文失礼しました。
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Re: 生徒会三人娘と仲間たちによる短編集。(鬱ホラー・死ネタ注意) ( No.44 ) |
- 日時: 2013/05/13 19:54
- 名前: 餅ぬ。
>>きはさん
お久しぶりです。感想ありがとうござます!
黒歴史がまた一ページ増えました(笑) 元々は一次創作で書いた作品だったのですが、無理やり理沙に当てはめたところ元の作品よりもどす黒くなりました。 幽霊系のホラーは書いてると自分が怖くなってくるので、どうしても人間の狂気的なネタに走ってしまします; しかし良い意味での黒歴史に分類して頂けたのでよかったです(笑)
>そろそろ死ぬような気がしたので、身の回りのものをすべて処分した。
時折見る、すべてに繋がる冒頭の文、というものに憧れて書いた書き出しだったので悪寒を感じて頂けたのなら何よりです。 また伏線部分にお褒めの言葉を頂けてすごく嬉しいです! 伏線を張るのはあまり得意ではなく文章を書く上でも避けていた部分があったのですが、きはさんのお言葉のおかげで少し自信が湧いてきました! また狂気ネタは昔から好んで書いていた為、ある意味私の一人称は鬱ネタ、狂気ネタで培われてきた気がします(笑) だからほのぼの系やギャグ系があまり書けないという欠点が生まれたのですが……;
読んで頂いているだけでも嬉しいのに、お忙しい中感想まで頂けて本当にありがたいです! これからもお暇なときにでもちらりと覗いて下さったら嬉しいです。 それでは、ありがとうございました!
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酔っ払いの本気のじゃれ合い ( No.45 ) |
- 日時: 2013/05/14 23:38
- 名前: 餅ぬ。
酒は飲んでも飲まれるな。誰とも知らぬ先人が残した言葉の偉大さを、今更ながらしみじみと感じている。 日曜日の穏やかな夕暮れ時。隣で気持ちよさそうにうたた寝をするヒナの頭を一撫でして、彼女に気付かれないように小さく鼻を啜った。 そうだよな、叶うわけがないんだよな。そう自分に言い聞かせて、私は残りわずかになったグラスの中のお酒を一気に煽る。 喉の奥がきゅっとしまった。酔いが回って過敏になった私の感情は、たった一粒の涙になって溢れた。火照った頬を伝う涙の、なんて熱いこと。 何も知らずに眠るヒナの横顔が、愛おしくも憎らしかった。何も知らない彼女にとって、今日はただの日曜日。怠惰な夕方でしかないのだ。 ほんのり赤く染まった頬の理由が、もしもお酒でなかったのなら。なんて、酒の回った緩い頭で夢想する。はあ、と一つため息が出た。
酒は飲んでも飲まれるな。 酒に飲まれた私は、先ほど彼女に想いを伝えてしまったのだ。驚くほど中途半端で言葉足らずで、微塵も伝わらなかった悲しい告白だ。 一欠片の勇気も気合の一つも込めていない、他愛もない会話のような私の告白は、お酒で蕩けたヒナの脳みそと心には届かなかったようで。 「そうなの、頑張ってね」なんて、見当違いも甚だしい言葉を返す彼女の笑顔があまりにも優しくて。私は何も言えなくなった。
ねえ、ヒナ。もしもお酒を飲んでなかったら、貴女は私の本当の気持ちに気付いてくれたのかな。
* * *
「……昼間からお酒?」
日曜日の昼下がり。大量のお酒を抱えてやってきた私を、ヒナは怪訝な顔で出迎えてくれた。私を睨むその目の下には薄らと隈が出来ている。 高校を卒業しヒナが白皇の生徒会長という任を降りて、もう四年が過ぎた。大学に上がって少しは気楽になるだろうと思っていたのだが、彼女は未だに忙しそうだ。 元々頼り甲斐のある性格をしている上、その責任感と正義感から手を抜くということが出来ないヒナはいつだって少しお疲れ気味だった。 最近では大学でも色々と頼られる立場になってしまったようで。会うたびに目の下に薄い隈を作ることが多くなったヒナを、私は密かに心配していた。
だから今日はこうして、ヒナの大好きなお酒を抱えて彼女の暮らすアパートへと出向いてきたというわけである。 ヒナはお酒が好きだ。しかし姉があんなのである手前、彼女は人前であまりお酒を飲むことはなかった。飲むときは必ず少人数、それも気心知れた友人のみ。 しかしその気心知れた仲間を招いて自宅で飲み明かすような時間も、今の彼女にはないようで。だからこそ、暇を持て余した私がやってきたのである。 意外と子供舌のヒナが好む甘ったるいお酒、それから嫌なこともすべて忘れてしまえるような度数の高いお酒等々。 家にあった美味しそう且つ高級そうなお酒を片っ端から持ってきてやった。なんか父が大切そうにチビチビ飲んでいた酒瓶もあった気がするが、まあ気にしない。 錚々たる面子を怪訝な顔のヒナに見せつけながら、私はにやりと笑う。そしてお疲れ気味のヒナを誘う甘い言葉を口にする。
「いいだろ、時には。せっかくの日曜日じゃないか。ヒナもちょっとは息抜きした方がいいぞ」 「確かに最近忙しかったけど……。でも真昼間からお酒なんて、なんだか」 「雪路みたいでイヤ、と?」 「うっ……。まあ、そのとおりね」
酒に関しては雪路を反面教師にして育ってきたヒナ。お酒は夜に飲むものだという先入観が、彼女を縛り付けているようだ。 けれど、そんな先入観を打ち崩さねば、私はまた再びこの重たいお酒たちを抱えて帰路を歩む羽目になる。それだけは避けたかった。
「大丈夫、ヒナももう分かってるだろ? ヒナ、雪路とは全然違うじゃないか。確かに酒豪っぷりは姉譲りだが……。 酔っ払っても雪路みたいに暴れまわることもないし、理性を飛ばすこともない。ただちょっと甘えん坊になるだけでさ」 「もう。あんまり甘えん坊って言わないでよ、気にしてるんだから……」
そう言ってヒナは微かに頬を赤く染めた。酒の入ったヒナは、いつも気丈を装っている反動か少々言動が幼く……というか緩くなる節がある。 泉のようにえへへと笑う酔っ払ったヒナの顔を何度か見たことがあるが、あれは中々の破壊力だった。これは男の前では飲ませられないなぁと、強く思ったものである。 と、酔っ払ったヒナの姿を想像したせいか、私も本格的に飲みたくなってきた。これはもう無理やりにでもヒナの家に上がり込むしかない。
「とにかく! 私は今日、ヒナを癒しに来たんだ! 目的は達成させてもらうぞ!」 「だってこんな昼間から……」 「昼にお酒を飲んじゃいけないなんていう法律はない!」 「お姉ちゃんと同じこと言ってるわよ、美希」
ヒナはそう言ってあきれたように笑ったが、その顔はどこか嬉しそうだ。多分言葉では断りつつも、内心は私と同じくお酒を飲みたい気持ちでいっぱいなのだろう。 季節は初夏、時間帯は午後二時過ぎ。汗ばむ季節に飲む冷たいお酒の美味しさは、二十歳を越えた私たちはそれはそれはよく知っていた。
「なー、ヒナぁ。いいだろー? 今日は私とだらだらしよう? な?」
少し甘えた口調でヒナにまとわりついてみる。二十過ぎの女が何してるんだと思うかもしれないが、それを受け入れてくれるのがヒナギクという人間なわけで。 ヒナは縋りつく私と私の持つ大量のお酒が入った袋を交互に見て、小さなため息を吐いた。それは呆れと諦め、それから一抹の安らぎを感じさせる柔らかな吐息だった。 落ちた。瞬間的にそう思った。そして、ヒナは腕にまとわりついていた私をぐいと引っぺがし、目元と口元に緩く弧を描いてみせた。
「そうね、時にはいいかもしれないわね」 「だろ? 日曜の昼なんだ、このくらいの贅沢は許されるさ」
私とヒナはにひひと軽く笑い合う。そして私は抱えたお酒たちと共に、ヒナの部屋へと上がり込んだのである。
ヒナの部屋に上がり込んで暫く。お酒が冷えるまでの間、二人でのんびりと話し込んでいた。最近あった出来事とか、友人がどうしただとか、あの人は今どうしてるだとか。 頭の出来の違い故か同じ大学へは行けなかった私と彼女だが、こうして会うたびに他愛もない話に花を咲かせられる関係が続いているというのは非常に喜ばしいことだと思う。 しかし私の知らない誰かの話を楽しげに語るヒナを見るのは、少しばかり心苦しかった。 高校を卒業して四年、取り巻く環境が変わるのは仕方のないことだとは知っているけれど。
「なあ、そろそろ冷えたんじゃないか?」
ヒナの語る知らない誰かに嫉妬した私は、大人げなく彼女の話を遮った。 しかしヒナ本人は私が嫉妬しているなど知る由もなく、ああ、そうね。なんて嬉しそうに呟いて冷蔵庫へと小走りで駆けていった。軽い足取りが、なんだか可愛らしい。
「うん、いい具合に冷えてる」
そう言ってヒナは用意していたグラスを二つ机の上に並べた。飾り気のない透明なグラスは先ほどまでお酒と一緒に冷やされていたようで、若干の冷気を放っている。 表面に輝く氷の粒が、少しずつ溶け出して机の上を濡らしていた。その滴を指先で弄びながら、私はヒナがお酒を持ってくるのを待っていた。 そして再び私の前に姿を現したヒナが持っていたのは、私の持って来た自慢のお酒たちではなく――。
「何でビール?」 「この前飲もうと思って買ってたのが余ってたのよ。やっぱり初めはビールでしょ?」 「うむ、まあ、確かに」
本当は私の持って来たやつを飲んでほしかったのだけれど。嬉しそうに冷えたビールを注ぐヒナを見てしまっては、そんな無粋なことを言えるはずがない。 二つのグラスに並々とビールを注いで、ヒナは満足げにふふと笑った。本当にお酒が飲みたかったようだ。来て正解だった、と切に思う。
「それじゃ、乾杯でもしましょうか」 「ああ、そうだな」
グラスを掴んで軽く掲げる。そしてとびきりの決め顔で、ヒナに向かって一言。
「君の瞳に乾杯」 「ふふっ、もう酔ってるの美希?」
私のおふざけに軽くツッコミを入れた後、ヒナは私のグラスに優しく自分のグラスを当てた。 チン、という涼やかな音が部屋の中に響き渡る。窓の外はまだまだ明るい。昼下がりには酷く不釣り合いな音だけれど、不快感は微塵もない。 さあ、二人きりの飲み会の始まりだ。そう意気込んで、私は冷たいビールを一気に煽った。
* * *
飲み始めて一時間が過ぎた。 ヒナは本当に久しぶりにお酒を飲んだようで、驚くようなスピードでどんどん飲み進めていく。そのハイペースさは、まさしく雪路である。 けれど理性と口調、それから顔つきもしっかりしたもので、缶ビールを四本ほど空けた後でもヒナの表情は飄々としていた。 問題は私の方である。ヒナの人間離れしたペースについていこうと無理をしたものだから、飲み始めて早々顔が火照り始めた。
「美希、顔真っ赤」
そう言ってクスクス笑うヒナの頬は、まだまだ健康的なピンク色。酔いが回っている気配はない。 ああ、酔いつぶれたヒナを解放してあげたかったのに! なんて、心の中で悔しがってみる。その悔しさは知らず知らず呻き声となって外に漏れた。 私の呻き声を聞いたヒナは私が酔いつぶれたと勘違いしたのか、困ったように笑いながら背中を優しく撫でてくれた。
「無理しなくていいわよ」
そんな優しい言葉をかけながら、ヒナは私の持って来たお酒の中で一番アルコール度数が高いと思われる酒瓶に手をかけた。 そしてすっかり温くなったグラスに半分ほど注いで、ゆっくりと口を付けた。白い喉がこくりと鳴る。
「あ、これ強いかも」
そう言うヒナはどこか楽しげだった。生来の負けず嫌いに火が付いたのか、ヒナは他のお酒たちには目もくれずその強いお酒を煽り始めた。 多分彼女の中で勝負が始まったのだろうなあ、と他人事のように思いながら私はグラスに残っていた桃色の液体をぐっと飲み干した。 くらり、と一瞬眩暈がした。喉の奥と目頭、それからお腹の真ん中あたりが熱くて堪らない。それでもふわふわと宙を漂う頭は心地よくて、私は再びお酒を口にする。 飲めば飲むほど現実離れした感覚に包まれていく。きっと私は比較的酔いやすい体質なのだ。 酒は飲んでも飲まれるな。そんな言葉が一瞬頭によぎったけれど、ぐにゃりと曲がった思考回路はその言葉の意味を理解することが出来なかった。 だから私は、少しずつ確実に、お酒に飲まれていったのだ。
「なんか、酔ってきた」 「私も。やっぱりこのお酒強いわね」
私の独り言に返事を返したヒナの横顔は、やっとほんのりと赤みを帯びてきていた。
* * *
二人ぼっちの飲み会が始まって、既に三時間近くが経過していた。大量にあったお酒は大半が空になっている。飲んだのは殆どヒナだ。 一時間ほど前、一度酔い覚ましの為に休憩を入れた私は比較的しっかりしていたが、四時間ぶっ続けで飲んでいたヒナはすっかり潰れかけていた。 とろんと微睡んだ瞳は今にも瞼に押しつぶされそうになっている。ついでにフラフラと左右前後に揺れだす始末。彼女が眠ってしまうのも時間の問題だろう。 そんな状態になりながらも、ヒナは握ったグラスを離そうとしなかった。時折気づいたようにゆっくりとグラスの中の液体を喉に通していく。
「んー……やっぱりおいし」
舌足らずにそう呟いて、ヒナは誰に向けるでもなくへにゃりと微笑んだ。そのヒナらしからぬ情けない笑みに、吹き出しそうになった。 自分が笑われているとはつゆ知らず、ヒナはマイペースにお酒を煽り続ける。 ヒナの頬はすっかり火照っており、桜色だった唇も心なしかいつもより赤みを増していた。 赤い唇が透明なグラスに口付けるその姿を、私はぼんやりと見つめていた。 酔っ払っていても所作の一つ一つに気品を感じられるのは、桂ヒナギクだからこそだろう。雪路じゃそうもいかない。 ほんのりと赤みを帯びた白い喉がゆっくりと上下する様を眺めていると、私の視線に気づいたらしいヒナが可愛らしく首を傾げた。 その姿を見て、私は思わず。 「ヒナは綺麗だなあ」
そんな言葉を口にしていた。自分が何を言っていたかは分かっていたけれど、不思議と恥ずかしくはなかった。多分この時、私は既に酒に飲まれていた。 しかしヒナは酔っ払いながらもその強い精神のおかげでお酒に飲まれてはいなかった。故に唐突に放たれた私の言葉を受けて、恥ずかしそうに眉を潜めた。
「もう、何よ、いきなり。酔っ払ってるの?」 「うん、酔ってるかも」
私がそう答えると、ヒナはあどけない笑みを浮かべて「酔ってるんじゃ仕方がない」とふざけた口調で呟いた。 そうだ、仕方ないのだ。酔っ払ってるんだから、仕方がない。
だからさ。全てを酔いのせいにして、今ここで、ヒナに抱き着いたらどうなるんだろうね。 ここが大学なんかの飲み会の席ならば、百合だなんだと言われながらも、酔っ払い同士のじゃれ合いで済まされるんだろうけど。
ねえ、ヒナ。どうなんだろうね。
「ねえ、ヒナ」
なあに? なんていう甘ったるい口調で返事が返ってくる。脳みそのずっと奥の方が、じわりと痺れだす。それはきっとお酒のせい。全ては酔いのせいなのだ。
「私ね、好きな人がいるんだ」
じっとヒナの目を見据えて、そう告げた。 貴女のことだよ、と訴えかける。 ヒナは蕩けかけた焦点の定まらない瞳で、私の方を見ている。
「そうなんだ」
ヒナは一言、そう言っただけだった。 酔っ払いには私の気持ちは一ミリも伝わっていないようだった。
「……片想いなんだ」 「そうなの」 「うん」 「大丈夫、美希はいい子だから。きっと叶うわ」
微笑むヒナは、心の底から私を応援してくれているようだった。 相手がだれかは知らないまま。
「ねえ、ヒナ」 「ん?」 「……叶うかな」 「うん、大丈夫。頑張って」
――相談にならいつでも乗るから。 ――だってあなたは私の大事な友人だもの。
そうだ、私はヒナの友人だ。
「……ありがとう」 「どういたしまして。頑張ってね、美希」
励ますようにヒナは強く私の手を握った。その手は熱い。きっと酔っているからだ。 優しく微笑むヒナの顔を見つめていると、じわりと視界が歪んだけれど、それも酔いのせいにした。 好きだなんて言っていない。だから振られてもいない。そして気づかれてもいない。 もしも、お酒に飲まれていなかったら、酔いに任せて変なことを言っていなかったら、こんな虚しい気持ちにはならなかっただろうにね。 どうしようもないやるせなさも酔いのせいにしたかったけれど、ヒナの言葉が、突き付けられた現実が、そうはさせてくれなかった。
私と彼女は友人なのだ。
嬉しい言葉だ。それも大事な、ときたもんだ。ちょっと特別感がるじゃないか。なあ、なのになんで、こんなに悲しいんだろうね。 皮肉にも酒に飲まれたばっかりに、私は柔らかくて暖かな苦い現実に打ちひしがれることになったのだ。
(ああ、いらんことを言ってしまった)
そんな後悔も、グラスに入ったお酒と共に胃の中へと押し込んだ。
* * *
私を励ました後、ヒナは糸が切れたようにこくりと眠りこけてしまって、今に至る。 私の肩を枕代わりにして眠るヒナの横顔はあどけない。元生徒会長様の威厳も今となってはどこへやら。 火照った彼女の頬を軽く突いて、迷惑そうに眉を潜める姿を観察した。やっぱり綺麗な顔だなあとしみじみ思う。 ヒナの顔から視線を逸らして外を見た。時刻は午後六時を過ぎており、空はすっかり黄昏色だ。かぁかぁと鳴くカラスが、私も侘しさを一層際立たせた。
「ばかヒナー……」
寝息を立てるヒナに八つ当たりにも近い罵声を浴びせて、寄り掛かる彼女の頭に自分の顔をそっと寄せた お酒の香りとシャンプーの香りが鼻孔をくすぐる。頬で感じるヒナの髪の感触は、いつもよりずっと柔らかい。 彼女の髪にすりすりと頬ずりをする私はまだまだきっと酔っているのだ。目頭が熱いのも、鼻がぐずつくのも多分酔っているからだ。 滲む視界で再びヒナの顔を見た。幸せそうな寝顔である。疲れの象徴であった隈も、心なしか薄れている気がした。 ああ、彼女は今まさに幸せなのだ。そう思うと、私も少しばかり気が晴れた。一文字に結ばれていた口元も、微かに綻んだ。
「うん、今日はいい日だ」
言い聞かせるようにそう一人ごちて、そっと目を閉じた。寄り掛かる彼女の重みが心地よくて、なんだか苦しい。 規則正しく繰り返される彼女の浅い呼吸音。それから彼女の首辺りから感じる微かな鼓動。それらをこんなに近くで感じられる私はきっと幸せ者だ。
大事な友人の幸せを間近で感じられる私は、彼女と同じく幸せなのだ。 今日はいい日だ。もう一度呟いて、私は溢れそうになる嗚咽を静かに飲み込んだ。
【Happy Sunday Evening】
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Re: 生徒会三人娘と仲間たちによる短編集。(ヒナ←美希・百合注意) ( No.46 ) |
- 日時: 2013/05/15 11:42
- 名前: ロッキー・ラックーン
- 参照: http://soukensi.net/perch/hayate/subnovel/read.cgi?no=25
- こんにちは、ロッキー・ラックーンです。
ご無沙汰しております。
>>Happy Sunday Evening
昼間から飲む酒は格別ですね、私もたまにやります。 美希ヒナがその良さを感じている事に感謝。笑
「友人」としては最高のレベルの付き合いをしながら、それだけでは満たされない恋心…やっぱり美希の片想いは切ないと感じました。 ただ、酔いに任せて全てをぶちまけないあたり、ヒナへの愛情(困らせたくないだとかいう類の)もしっかりと持っているようで、個人的に心温まった部分です。
最後に、酔いの醒めた二人がどんな会話をするのかを妄想して楽しませて頂こうと思ってます。笑
では、失礼しました!
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Re: 生徒会三人娘と仲間たちによる短編集。(ヒナ←美希・百合注意) ( No.47 ) |
- 日時: 2013/05/17 00:06
- 名前: S●NY
- 感想を書かせて頂くのは初になります。S●NYと申します。
餅ぬ。さんの小説はひなゆめ時代から、何度涙をながし、心をキリキリさせられ、ほっこりしたのか分からないほど楽しくよんでいます。 それこそ、毎回感想を送ろうと思っても、自分の拙い文章ではうまく感想を伝えられないと、今の今まで送ることができませんでしたが、今日書かせていただきます。 感想は、できればすべての作品について書きたいのですが、膨大な量になりそうなので、いくつかピックアップさせていただきたいと思います。
『曖昧me!』 泉がとても可愛かったです。 序盤の泉の告白シーンから、始終ニヤニヤが止まりませんでした。ハヤテに違和感を感じ、ナレーションにも違和感を感じ。 でも、どこかで聞いたことのある、見たことのあるノリのよさに、理沙と美希だとすぐに分かりました。 この小説。先にもいいましたように、泉が可愛いです。が、この小説全体のふわふわとした原作っぽい雰囲気を作り出しているのは、理沙と美希なのだろうなと感じます。 泉は飄々とした態度も可愛いですが、周りに振り回され、自身のキャパをオーバーしたときに一番その魅力が輝くと思っています。と、するならば、この泉の可愛さも当たり前なのかと。餅ぬ。さんのキャラの動かし方には脱帽します。
『夏に咲く花』 理沙は3人組の中で一番とらえどころがないです。それだけ、彼女には隠された魅力がたくさん詰まっているのだと感じます。 原作を読んでいても一番思うのが、彼女は最も乙女なのではないかということです。 彼女の一歩引いたところから、ハヤテを見ている姿が非常にシリアス栄えすると思います。 今回の小説、理沙の妖しい魅力がぎゅぅと詰まったものでした。 >気付くと同時に、自分の鈍感さに嫌気がさした。もう、何もかもが遅すぎたのだ。 この文から理沙は、自分の深いところでそういった感情はずっとくすぶっていたのだと思いました。 彼女の性格から、ハヤテを取り巻く女性環境に一番敏感に気づいているのは彼女で。 それをネタに遊ぶも、彼女自身も勝ち目のない思いを抱くというちょっとゾクゾクする魅力がそこにはありますよね。 可愛いかったです。
『Happy Sunday Evening』 美希可愛い。 美希を語るに外せないのはヒナギクへの友情なのか憧れなのか、愛情なのかもっと深い恋心なのか。 そんな、美希のないまぜになった感情を、この一話完結で完璧なまでに表現しきったことに。尊敬の意を表さずに入られませんし。いつかこうした、物語の動かし方をしたい。 こういったキャラの感情をすべて表現しきりたい。と。 僕の永遠の目標であったりします。 シリアスでありながら、やさしい雰囲気が物語全体を包んでいます。 それは上記でロッキー・ラックーンさんも仰ってるように、恋心一辺倒でない。ヒナギクへの深い愛情を感じさせるからだと思いました。 様々な感情が文章のひとつひとつに見え隠れするだけ、ただの安易な、浅くて深い恋心だけでない、一歩先にいった深くて深い恋心をこの小説で描かれているのが感じられ。 物語としてのレベルの違いを見せ付けられた思いであります。 『泡沫の夢を見た』とはまた違った、深い愛情の表現方法。学ばせていただきました。
あぁ、長くなって申し訳ありません。 もっと書きたいことはあるのですが、やはりまとまりません。。 最後に、素敵な小説をありがとうございます。今後のご活躍を願っております。
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Re: 生徒会三人娘と仲間たちによる短編集。(ヒナ←美希・百合注意) ( No.48 ) |
- 日時: 2013/05/19 02:54
- 名前: 餅ぬ。
>>ロッキー・ラックーンさん
お久しぶりです! 感想ありがとうございます!
昼間のお酒は一段と美味しく感じますよね、私も時々酔いどれてます。 とにかく酔っ払ったヒナと美希が書きたかったので、二人には美味しく飲んで頂きました(笑
久しぶりにハートフルなシリアスを描こうと思い立って書き上げた作品でしたので、少しでも心がほっこりして頂けたのならとても嬉しいです。 プロットの段階では勢い任せで思いの丈をぶちまけてバッドエンド臭満載の予定だったのですが、没にして正解でした(汗 小学生時代から今までずっと片想いしてきた美希の心情を思うと、どんなに酔っても本当にヒナを困らせることは避けそうですよね。 現状に満足しているつもりでも、時々高望みしては打ちひしがれる美希が個人的に切なくて好きです(笑 一時期百合方向に傾倒していたこともあり、美希の片想いにすごく滾ってしまうのでどうしてもヒナ←美希が多くなってしまったり……。
酔いの醒めた後の二人、もうお好きなようにがっつり妄想してあげてください(笑
それでは、感想ありがとうございました!
>>S●NYさん
こんばんは、感想ありがとうございます! ひなゆめ時代から読んで頂いていたようで……! 本当にありがとうございます! 当時からS●NYさんは憧れの方の一人だったので、感想を頂けてもう嬉しいやら恥ずかしいやらでてんてこ舞いです(笑 どんちゃんと騒がしい心を落ち着けつつ、返信させて頂きます!
『曖昧me!』 原作っぽい、泉可愛いとのお言葉を頂けて感無量です! 昔も今もキャラ崩壊ばっかりさせているので、S●NYさんやきはさんに「原作っぽい」と評して頂けたこの作品は、すごくお気に入りです。 久しぶりのハヤごとSS、それも冒頭ということもあり、どうにか原作臭を醸し出そうとてんやわんやだった記憶があります。 分かります! からかわれて照れる泉、慌てふためく泉、可愛いですよね。 鬱っぽい話ばかり書いている為、明るい泉の動かし方はすごく気を使うところがあるので、お褒め頂けてすごく自信に繋がりました!
『夏に咲く花』 まさに私の感じているけれど言葉に出来なかった理沙の魅力をそのまま代弁して頂けて、思わずニヤけてしまうほど感激致しました! 少々ずれた感性と掴みどころのない性格の裏で、実は乙女だったりする。そんな理沙をこの作品で感じてもらえたのなら、本当に嬉しく思います! 客観的な視線を持っているからこそ、恋に報われないというのはすごく滾ります。理沙にせよ、美希にせよ。 素手飄々としている理沙も好きですが、本心をひた隠しにして飄々を演じる理沙を妄想しては一人悶える日々です(笑 S●NYさんの感想を読んで、理沙の魅力を再認識できた気がします。湧きあがる創作意欲を頂きました! ありがとうございます!
『Happy Sunday Evening』 美希可愛いの一言が何よりの活力です。ありがとうございます! 私自身何やらもにゃもにゃした気持ちで書いた作品だったので、逆にそれが良い効果になったのかもです(笑 そして何というかもう、本当に勿体ないほどの嬉しいお言葉ばかり頂いて、喜びを飛び越えて既に恐れ多いレベルです……! 思い上がりも甚だしいかもしれませんが、目標でいられるようこれからも精一杯精進せねばとと自分に喝を入れた次第でございます。 ほっこり系シリアスを銘打った作品でしたので、優しい雰囲気を感じて頂けて何よりです。 がっつり百合臭漂うバットエンドにしなくて良かったと、心の底から安堵しています(笑 感情表現をお褒め頂くたび、毎回小躍りするほど嬉しくなります! 細かすぎるほどの心理描写は持ち味だと言い聞かせながら書いているので、深くて深い恋心との評価がなんとも嬉しくて堪りません。 S●NYさんのお言葉のおかげで、この作風でいいんだと改めて思うことが出来ました。
それではたくさんの勿体ないお言葉たち、それからたくさんの自信と意欲を与えてくださり本当にありがとうございました! こちらこそ今後のS●NYさんのご活躍を楽しみにしております。現在書かれている作品の続きが気になって気になって……(笑 では、感想ありがとうございました!
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後日談的な。乙女な理沙ちんに夢を見すぎた。 ( No.49 ) |
- 日時: 2013/05/19 17:05
- 名前: 餅ぬ。
- 【筆先が語る夏】
彼女の書く文字は、意外と綺麗なのだ。 眠たい時に書いたノートの文字はまるで象形文字だけれど、この時ばかりは彼女の本領が発揮される。 すらすらと滑らかに紙の上を滑る筆先を、私はひたすら眺めていた。
「理沙ちん、お習字は上手だよねぇ」
からかうようにそう言うと、彼女は怪訝な瞳で私を見た。
「は、ってなんだよ、失礼な。私の字はいつだって綺麗だろ」 「えー、だって、理沙ちんのノートの字! あれはもう文字ですらなかったよ」 「馬鹿だな泉。あれは草書体だ、草書体」 「そーしょ?」 「まあ、筆記体の日本語バージョンだ。私くらいのレベルになれば、日常生活でも草書体を扱うのさ」
偉そうにふふんと鼻を鳴らす彼女の顔は、根拠も理由も無しに自信に満ちている。 もしかして彼女は本当にそのそーしょたいとやらで、ノートを取っていたのではないだろうか。 彼女の自信満々の笑みには、単純な私にふとそんなことを思わせてしまうほどの魔力があった。
会話を終えた彼女は再び筆を走らせ始めた。白い紙に墨汁が滲む。 その中性的な見た目と口調も相まって、私たち三人の中で一番大雑把にみられる彼女だが、実は細かいことが得意だ。 手先が器用ということもあるが、何より彼女の内に秘めた女性らしさがこの丁寧な美しい文字を作り上げているのだと、私は思う。
「綺麗な字」
うっとりと呟くと、彼女は私に視線を移さないまま微かに笑んだ。 『にやり』とは形容しがたいその柔らかな微笑みは、少し照れくさそうで可愛らしい。
「まあ、書いてるものがものだからな。きちんと書かないとな」
そう呟いて彼女はさらさらと筆を進める。赤い瞳が動く筆先を追って、きょろりと上下する。
「にはは、そうだねぇ。大切なものだからね」
綺麗な瞳と文字を交互に眺めながら、私は先ほどの彼女の意見に賛同する。 彼女は小さく「ああ」とだけ答えて、再び口を噤んだ。滅多に見せない真面目な横顔は、凛とした彼女の顔立ちによく似合う。 最近の彼女は、トレードマークとも呼べるあの不敵な笑みをあまり浮かべなくなった。 掴みどころがなく、何事にも干渉を受けることなく自分を貫き通していた彼女。そんな彼女も今となってはこんなにも穏やかに笑むのだ。 すっかり丸くなった彼女の姿に、時の流れと一抹の寂しさを感じた。柔らかい笑顔も素敵だけれど、怪しげなあの笑みも私は大好きだった。 移りゆく時間と環境の中でずっと変わらずにいる方が無理なのだ。自覚はないけれど、きっと私も変わっている。
それでも、私たちを取り巻く全ての物事がゆっくりと変わっていく中で、彼女の書く文字だけは変わらなかった。 すらりと伸びる直線も、緩やかに弧を描く曲線も、昔から見続けてきた私の大好きな彼女の文字そのものだ。
「ねえ、理沙ちん」 「ん? なんだ、泉」 「結婚、するんだねぇ」 「まあ、私もいい年だからな。それとも何か? 私が結婚するのがそんなに意外か?」
筆先から目を離し、私に向かって浮かべたその表情はにやりと不敵に笑んでいる。 あ、懐かしい。なんて言葉が思わず口から飛び出しそうになる。
「えへへ、ばれてた?」 「なんだよ、ホントに意外だと思ってたのか?」 「だって理沙ちんだよー? 桂ちゃんみたいに自由気ままな独身貴族になるのかと……」 「泉ー? 失礼にもほどがあるぞー?」 「あはははっ、ごめんごめん……って、きゃぁぁぁ!? ちょ、顔に墨は止めてよー!!」 「ええい! 今回ばかりは泉が悪い! 父上とお揃いの髭を書いてやるから大人しくしてろ!」 「いやーっ! 止めてよ理沙ちーん!!」
笑いながら私に筆先を向ける彼女は、すっかり昔に戻っているようで。 本気で筆を避ける私もまた、彼女と美希ちゃんの二人に弄られていたあの頃に戻ったような錯覚に陥っていた。 最後に三人で動画を撮ったのは、もう十年近く前のこと。二十八になった自分なんて、あの頃は微塵も想像していなかった。 卒業してもこうしてずっと三人で笑い合えるものだと思っていたのだけれど。やっぱり、難しいね。
「ふむ、我ながら中々の出来だな。遥か高みを目指す髭……忠実に再現できた」 「ううう……理沙ちんに穢された……」 「父上に失礼だぞ。親子でお揃い、微笑ましいじゃないか。なんなら泉の息子くんも……」 「三代揃って同じ髭とか嫌だよ!」
父と私とそれから息子。三人仲良く同じ髭を蓄えた姿を想像して、確かに少し微笑ましい気持ちになる。 彼女の結婚式には家族揃って髭を描いてきてあげようかな、なんて、ひっそりと計画を立ててみた。 髭を生やした私を、彼女は昔みたいにニヤニヤと笑いながら撮影してくれるだろうか。少しばかりの期待が芽生える。
「さて、おふざけもここまでだ。私は仕事に戻るぞ」 「はーい」 「……泉、向こうに手ぬぐいあるから顔拭いとけ」 「んー、なんか気に入っちゃったから暫くこのままでいる」 「そうか。うむ、自分で描いておいて何だけど、その顔で覗き込まれると笑いが込み上げてくるんだが」 「えへへー、自分の行いを悔い改めるのだ! 理沙ちん!」 「なんで偉そうなんだよ」
クスクスと肩を震わせて笑った後、彼女は口元に僅かに笑みを残したまま再び机に向かった。 すっかり乾いてしまった筆先を静かに墨に浸すその姿は、この和室の中で酷く栄えて厳かだ。
「ねえ、理沙ちん」
彼女が筆を動かし始めると同時に、私は彼女を呼ぶ。「ん?」という短い返事は、とても柔らかくて。
「結婚式の招待状、全部手書きにするの?」 「ああ。小さい式だし、本当に仲の良いやつらしか呼ばないからな。せっかくだから、色々気持ちを伝えたいと思ってな。 でも仲良くしてくれてありがとうなんて言える性分でもないから、そう言う気持ちは全部文字に込めたいんだ。 ……まあ、私の綺麗な文字を見て「やべ、理沙すごくね?」とか言われるのが八割方の目的だけど、な」
内緒だぞ、と言って左手の人差し指を口元に当てる彼女は少しばかり照れくさそう。 彼女の本心が前者か後者と問われれば、言わずもがな前者だろう。後者は間違いなく照れ隠しだ。 約二十年来の付き合いともなれば、掴みづらい彼女の本心も大体分かるようになる。 飄々としているようで、周りに興味が無いようで。実は一番周りを見ている。実はすごく女の子。それが朝風理沙という、私の親友だ。
「うん、きっとみんな分かってくれるよ」 「だろ? 特にヒナとか千春とか、絶対びっくりすると思うんだよ」
そう言って彼女はふふんと鼻で笑った。きっと私の言葉の真意には気付いているのだろうけど、彼女は昔から気付かないふりが上手い。 基本的に彼女は平和主義なのだ。ドタバタなトラブルや楽しい騒動は大好きだけれど、心と居場所の平穏を乱される出来事を彼女は酷く嫌う。
例えば私たちが小学生の頃。 モテ期とやらが到来していた彼女に、一人の男子が想いを告げた。 彼女は多分、彼のことが好きだった……と思う。あまり他人と干渉しない彼女が彼には好んで絡みに行っていたし、よく笑っていたから。 けれどその子は当時クラスで一、二を争う人気者で、告白を受けてしまえば必然的にたくさんの敵が生まれることは明らかだった。 だから彼女は「付き合って」の言葉に「どこへ?」と返したそうで。それは酷く典型的でふざけた答え方だが、当時の彼女の気持ちを思うと――。 彼女がこの時、淡い恋心より平穏な居場所を取ったのだと気付いたのは、ずっと後のことだった。 「いやあ、モテる女はつらい!」と本人は楽しげに語っていたものだから、私自身が恋をするまでずっと、これは笑い話だとばかり思っていたのだ。
恋よりも平和な日常を選んだ彼女は、私や美希ちゃんよりもずっと怖がりで。 告白をはぐらかしてからも時折その子を目で追っていた彼女は、誰よりもずっと女の子だった。
だからだろうね、彼女が今の今までずっと、一人きりだったのは。
「……あっ! それ、美希ちゃんの招待状だ」
さらりと書き上げられた宛名を見て、私は声を上げた。白い紙の背面に書かれたもう一人の親友の名前は、未だに少し見慣れない。
「うん、美希のだ。あいつ、妙に小難しい名字のやつと結婚したから書くのも一苦労だ」 「だよねぇ。美希ちゃんも名前書くとき面倒くさいってぶーぶー言ってたもん」 「あー、なんか簡単に想像できるな。ごねる美希の姿」
この場に居ない美希ちゃんの姿を想像して、彼女の口角が僅かに上がる。下がった目尻が、とても優しげだ。
「それにしても、まさか美希に先を越されるとは思ってなかったなぁ」 「美希ちゃん、私は結婚しない! ってずっと豪語してたもんねぇ」 「裏切者ー! って言ってやった時のさぁ、あいつの勝ち誇った顔と言ったらもう……」
彼女はわざとらしく眉を潜めて、腹が立って仕方がないといった表情を浮かべる。 でも私は覚えている。あの時彼女は、私と同じくらい笑って美希ちゃんを祝福していた。
「だが、これで美希と泉とも並んだな。私も明後日から既婚者だ」
書き終えた美希ちゃんへの招待状を丁寧に床へ置きながら、彼女はにやりとほくそ笑んだ。
「理沙ちん」 「んあ?」 「おめでと」
次の招待状を書き始めようとしていた矢先に不意打ちを決めてやると、彼女は目を少し見開いた後、それはもう、柔らかく、可愛らしく、微笑んだ。
「ありがと」
先ほど素直になれない女を自称していた人間だとは思えないほど、真っ直ぐな言葉が返ってきた。 穏やかに細められた目も、優しげな緩い弧を描く口元も、昔の彼女ならこんなに簡単に浮かべることは出来なかっただろう。 大人になったとはこういうことを言うのだろうか、などと考えながら、同い年である彼女の大人っぽさに息を飲んだ。
当の彼女は私が見惚れているのに気付いているのかいないのか、幸せそうに口元を綻ばせたまま筆を進めている。 かつて不真面目の申し子とまで呼ばれた彼女が書いたとは思えない、美しい日本語が羅列された招待状の文面。 大和撫子、なんていう言葉を髣髴とさせる丁寧な文章と文字が、彼女は由緒ある神社の娘であるということを私に再認識させた。 パソコンで印刷したものとは全く違う手書きの温もりと、見え隠れする彼女の意外な一面に、きっと彼女の大切な人たちは息を飲むことだろう。 私が尊敬されるわけでもないけれど、彼女の招待状が人々の手に渡った時のこと想像すると、何故だか誇らしい気持ちになった。
理沙ちんはこんなに綺麗な文字を書く素敵な女の子なんだよ、と、皆に伝えたかった。 特に、あの人へ。
* * *
「……あ」
彼女の筆が書き上げた「綾」の一文字。ハヤ太君? と問いかけようと彼女を覗き込んだ。 伏せられた瞳。真一文字に結ばれた唇。それから、先ほどまで休むことなく動いていたのに、「綾」の字を書きあげた瞬間止まった筆先。 ぽろり、と墨汁が一粒紙の上に滴り落ちた。じわりじわりと白に滲んでいく黒は、何だかまるで。
「理沙ちん、あの……」 「ハヤ太君、かぁ。なんか懐かしいなー」
私の言おうとしていた言葉を聞くまいと、彼女はわざとらしく明るい口調で彼の話を始めた。
「あの甲斐性無しで天然ジゴロのハヤ太君も、もう結婚してるんだよなぁ。人生、分からんもんだな。連絡来たの、五年前だっけ? きっとハヤ太君と結婚した彼女は苦労してるぞー。男は結婚してから暫くが一番油が乗ってモテるらしいからな。 無自覚で女の子を虜にしていくスナイパーのようなやつだからな、ハヤ太君。あの性格からして浮気なんて絶対しないだろうけど、奥さんは気が気じゃないだろうな。 な、泉も分かるだろ? 高校のとき、ハヤ太君好きだったんだしさ」
急に口数の増えた彼女は、懸命に何かを隠している。
「うん、分かるかも。ハヤ太君、本当に女の子の理想像みたいな男の子だったから」 「まあ、顔は貧相だったけどな」
でも、あの優しさは本当に理想的だった、と彼女は静かに言った。 そうだ、彼は、ハヤ太君は、女の子なら誰しも揺らいでしまうような優しさを持った人だった。 「ねえ、理沙ち、」 「あ、もしかして泉、まだハヤ太君のこと好きだったりするか?」 「……ううん、お友達としては大好きだけど、恋愛感情はもうないかな。告白した時、きっちりお断りされちゃったしね。 私は、もう未練はないよ」
私は、ね。
「そっか」
彼女は一言そう言って、再び筆先へと視線を戻した。二十年来の付き合いだ、彼女だって気づいている。私の、言いたいこと。 「じゃあ、次は私が聞いてもいい?」 「……」
返事はない。意外と長い睫に覆い隠された瞳は、きっと震えている。 十年間、彼女は得意の気付かないふりをしてきたのだ。平穏の乱れを嫌う、臆病な彼女は、悲しいほどに彼のことをよく知っていた。 彼を取り巻く人間関係も、彼の人柄も、彼女はきっと誰よりも理解していた。実らぬと分かりながらも根づいてしまった恋心を、彼女はずっと隠し持っていたのだろう。 隠し持っていた彼女の恋心に私と美希ちゃんが気付いたのは、確か三年生の夏ごろだったか。
「理沙ちん、ハヤ太君のことさ、」 「――泉」
酷く静かな、聞いたこともないような強い声で、彼女が私の名前を呼ぶ。思わず口を噤んだ。 彼女の顔を見据えれば目に飛び込んでくる、情けなく下がった眉尻と、薄く細められた切れ長の目。 怒りとも悲しみとも取れないその表情は、まるで笑っているようだ。泣いてしまえれば楽なのにね、と彼女の震える睫毛を見て思う。
「聞かないでくれ、やっと枯れた想いなんだ」
本当に? なんて問いかけるほど私も野暮ではない。 何より彼女の酷く悲しげな笑みは、私のお喋りな口を縫い付けるのに十分すぎるほどの威力があった。 彼女の想いは枯れたのだ。だからこうして彼女はやっと、前に進めたのだ。それでいい。それで十分。
「……もしかしてさ、泉、ずっと知ってた?」 「そりゃあ、長い付き合いだもん。美希ちゃんも気付いてたよ」 「うわー、私そんな分かりやすかったか……。なんか恥ずかしいな」
筆をおいて照れくさそうに後頭部を掻く彼女を、私は出来るだけ穏やかな表情を浮かべて眺めていた。 そして思い出される、あの夏から今日までの日々。
あの夏の日を境に、ハヤ太君を見る彼女の目が変わった。 その日までは、恋人がいながらも色んな女性関係のトラブルに巻き込まれる彼を、三人でからかっていたのだ。 すでに告白を澄ませて断られていた私はその頃にはもう立ち直っていたし、彼女だって例の日までは彼に明確な恋心は抱いていなかったのだと思う。 恋人と仲良く手を繋ぐ彼の姿を、三人で冷かして、三人で祝っていた。それが私たちの日常だった。 だからすぐに分かったよ、彼女の心境の変化。冷やかす言葉が時折詰まって、恋人と並んで歩くハヤ太君の後ろ姿から目を逸らすことが多くなって。 夏休みを直前に控えた、三年生最後の夏。校内のそこら中で咲き始めた朝顔と同時に、きっと彼女のずっと奥に仕舞ってあった恋心も花開いてしまって。 卒業式間近の彼女なんて、もう見ていられなかった。一人では彼に声すらかけられなくなった彼女の姿は、切ないなんてものではない。 それでも私たちに気付かれまいと、日常を乱すまいと、必死に普通を貫く彼女の姿に、私も美希ちゃんも声をかけることが出来なかった。 恋人のいる彼に想いを伝えろなんて言えるわけもない。かと言って下手に同情すれば、誰よりも周囲に敏感な彼女はきっとさらに傷つくだろう。 あくまで平和な日常を。変わらない日々を。怖がりの彼女を少しでも安心させる為に、私たちは彼女と同じように気づかないふりを続けた。 それが友人として最良の策だったのかは分からないけれど、私たちにはそうすることしか出来なかった。それが良いと信じていた。 彼女が吐き出したくなった時、全てを受け止めてあげればいいのだと、自分に言い聞かせていた。 そんな日は、とうとう来なかったけれど。
静まり返った和室の中に、ぴちゃりと水の音が響く。彼女が筆を墨汁に浸した音だ。 再び真剣な眼差しで「綾」とだけ書かれた紙を見据えはじめた彼女を見て、もうこの話は終わりなのだと感じた。 最後まで本心を伝えてくれなかった彼女に対して少しばかりの寂しさを覚えながら、私は彼女の顔から筆先へと視線を移した。 しかし、筆は一向に動かない。
「……あの日な、朝顔の観察をしてたんだ」 「へ?」 「小学生の頃、泉たちと適当に巻いた朝顔の種が、未だにその場所で咲いてることに気付いてさ。 なんか懐かしくて、ずっと見てたんだ。その日はすごく日差しが強くて、ものすごく暑かった。それでも負けじと、私はその場にしゃがみ込んでたんだ。 そのうち頭もくらくらしてきてさ。ああ熱中症になるかもなぁ、なんて他人事みたいに思ってた時に、」
急に語りだした彼女の口調は酷く淡々としている。感情を込めまいと、必死に無表情を装っている。 泣けない彼女の代わりに、彼女の握る筆先からポタポタと墨汁が滴り落ちて白い紙に染みを作っていく。 その様は、なんとも物悲しい。
「何処からともなくハヤ太君が現れてさ。さすが執事、神出鬼没だよな。それで、言うんだよ、「熱中症になりますよ」って。 それで、教室に戻ろうって手を伸ばしてきたんだけど、私、その時汗だくでさ。汗まみれの手でハヤ太君に触りたくなくてさ。 そしたらハヤ太君、急にハンカチ取り出してな、それでどうしたと思う? 普通、汗ふいてくださいって渡すだろ? なのにあいつ、私の頭にそのハンカチ乗せるんだよ。髪の毛黒いから暑いだろ、とか言ってさ。もう、アホかと思った。 でもそのズレた気遣いがさぁ、なんか、嬉しくて」
僅かに綻んだ口元。綺麗だな、なんて場違いな感想を抱く。
「でさ、ハヤ太君、いきなり言うんだよ」 「何って?」 「朝顔みたいですね、って。地面に広がったスカートが、花弁みたいだって。発想が乙女だよなぁ、ほんと」
くつくつと喉の奥で笑う。彼女の内面が滲み出たその柔らかい笑みこそ、まさに乙女だと、私は思う。
「にははっ、なんかハヤ太君らしい」 「だろ? ……それで最後の一言が、これまた彼らしいんだ」 「ん?」 「綺麗ですね、だって」 「……理沙ちんのことを?」 「分からん。私は朝顔見てたし。でもな、すっごい優しい声だったんだ。あの声、今でもはっきり覚えてるんだ。 馬鹿だよなぁ、私。自分に言われたのか、朝顔に言ったのかも分かんない言葉にさ、こんなに――」
そこで彼女は口を噤んだ。筆先が僅かに震える。再び滴った墨汁が紙を濡らす。
「……なあ、泉」 「なあに、理沙ちん」 「多分、私、あの時から、」 「うん、分かってるよ」
言わなくてもいい、分かっているから。そう言って私は彼女の背を優しく撫でた。 微かに震える彼女の背の、なんと弱々しいことか。
「夏になると、今でも思い出すんだ。もう十年も経つのに、忘れられないんだ。 今年も、あと少しで夏が来る。蝉が鳴く。朝顔が咲く。きっと私はまた泣いてしまう。 他に大事な人が出来たのにさ、酷いやつだよな、私。でも、朝顔はさ、忘れられても咲くんだよ。
枯れても枯れても、種を付けて、次の夏には必ず咲くんだ」
そう締めくくって、彼女は再び口を堅く閉じた。見据える紙は、垂れた墨汁ですっかり斑な水玉模様。 暫し滲んだ水玉模様を、二人して眺めていた。そして、彼女のふふ、という小さな笑い声で私はやっと我に返った。 ちらりと見上げた彼女は、優しい顔で笑っている。
「……書き直しだなぁ、これは」
そう言って、彼女は乱暴な手つきでその紙をぐしゃりと丸めた。潰れた綾の文字に、何とも言えない侘しさを抱いた。
「理沙ちんは強いね」
丸めた紙をぽいと放り投げた彼女に、私は言う。彼女は優しい笑顔のままで、私を見た。
「本当に強かったら、早々に花なんて引っこ抜いてるさ」
静かな口調でそう言って、彼女は真新しい紙を一枚取り出した。それを机の上に置いて、再び筆を構える。 そして辺りに漂う雰囲気を吹き飛ばそうと、わざとらしくふふんと鼻を鳴らした。 気丈を装って懸命に日常を取り戻そうとする彼女の姿が、酷く痛々しく見えた。
「綾崎ハヤテ。思いっきり綺麗な文字で書いてやろうじゃないか。そして私を見直すがいい!」
軽く叫ぶと同時に、迷いなく進み始めた筆先の力強さ。滑らかな筆の動き。それらを只々目に焼き付けていた。 未練の一つも感じさせないその動きは、見ていてとても心地が良い。 書きあがった『綾崎 颯』の文字は、彼女の宣言通りそれはそれは美しい文字で。
「どうよ、完璧な出来だろ?」 「うん、綺麗な字」 「だろ! 再びハヤ太君が私にゾッコンになるんじゃないかと心配になるほどの完璧さ!」
高らかと自慢げに笑う彼女は、高校時代に戻ったよう。 再認識してしまった彼への想いを、ふざけた言葉で覆い隠すその姿もまた、あの頃とよく似ていて。 だから私も同じように。
「にははっ、それはないない」 「なんだとー! 真面目ムードの最中、ヘンテコな髭生やしやがってー!!」 「変な髭って……! 書いたの理沙ちんでしょー!」
今までの会話を無かったことにでもするように、私たちは馬鹿みたいに声をあげて笑い合った。 彼女の書いた美しい文字が溢れる部屋の中で、ひた隠しにされた彼女の心が一瞬だけ溢れた空間の中で。 私たちはいつものように何も知らないふりをした。 机に置かれた綾崎颯の文字だけが、ひたすら彼女の本心を語り続けていた。
遠くで蝉の声が聞こえる。 今年も夏がやってくるのだ。 彼女は今年も、彼を想って、朝顔の傍で泣くのだろうか。
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昼休み明けの眠気が懐かしい。 ( No.50 ) |
- 日時: 2013/05/24 15:27
- 名前: 餅ぬ。
- そのクソ真面目な教師の授業は非常に退屈で、それも内容が古典ときたもんだ。現代人の私には何を言ってるかさっぱりわからん。
雪路みたいに愉快な話でも織り交ぜてくれれば、この眠気も紛れるのに。昼休みを終えてお腹いっぱいになっている私には、単調な教師の口調が子守唄にしか聞こえない。 いつものように眠ってしまえばいいのだけれど、さすがに三日連続居眠りで説教されるのは私とて恥ずかしい。一応女子だし。 何か退屈と眠気を紛らわせるものはないかしらんと周りを見渡す。ほとんどの人間は生真面目に黒板に書かれた文字をノートに写している。眠たくなる光景だ。 二つ隣の席に座る美希を見れば、彼女もまたシャーペンを握り締めてノートを伏し目がちに見つめていた。けれどその手は全く持って動いていない。 じっくりと観察してみれば、肩が規則正しく上下している。薄らと開かれた目をよく見てみれば、どこかよく分からないところを見つめているようだ。 美希のやつ、目を開けて寝てる。その判断を下すのに、大して時間はかからなかった。
眠っている美希を観察していても面白くないので、私は右斜め前の席に座る泉へと視線を移した。 泉の手元は忙しなく動いている。泉がノートを取るなんて珍しいこともあるもんだ、と思わず感心した。 しかし彼女の視線は黒板ではなく、全く別のものに注がれているわけで。 泉の視線は私の席の二つ前に座るやつ、泉から見て左斜め前の席に向けられている。 そこにいるのはもちろん、泉がほんのり恋するあの人だ。
(ハヤ太君の観察か)
真面目にノートを取っていると思われるハヤ太君は、泉の視線に気づくわけなどなく。 それを幸いと思っているのかいないのか、泉は見てるこちらが笑ってしまうほどハヤ太君をじっくり見つめている。 ハヤ太君をじぃと観察しては、いそいそとノートに何か書き込んでいるようだ。ちらりと見える素早いシャーペンの動きから、文字ではなく絵を描いていると見た。
(ふむ、似顔絵ねぇ)
らしくもなく真面目な顔をしてハヤ太君の似顔絵をノートに書き込む泉。それは何ともおかしくて、微笑ましい光景だ。 もしも泉が真正面の席に座ってたのなら、ちょっかいの一つでもかけられるのだけれど。斜め前となればそう簡単にはいかず。 ならば今回は趣向を変えて、泉ではなくハヤ太君にちょいと悪戯してみよう。正面のやつには悪いけど、多分失敗はしない、我慢してもらおう。
使っていた消しゴムの角を二センチ角程度に千切りとって、二つ前の席に座るハヤ太君に狙いを定めた。 そして前の席の男子がノートを取るため身を屈めた瞬間、私は構えていた消しゴムの欠片をハヤ太君に思い切り投げつけた。 空を舞った消しゴムの欠片は綺麗な弧を描いてハヤ太君の後頭部へ。さすが私、なんというコントロール。甲子園も夢ではない。
意外と外部の刺激に敏感なハヤ太君は、後頭部の違和感にさっそく気づき、軽く首を傾げながら周りを見渡している。 そんなハヤ太君の様子をニヤニヤと眺める。ちなみにこれは虐めではないぞ、全てはこれから起こる泉の可愛らしい反応を観察するためだ。
そして泉は泉で私の期待を裏切らない。 いきなり辺りを見回しだしたハヤ太君に驚いた泉は、びくりと肩を震わせてあたふたとノートを腕で隠しだした。ノートを閉じるという判断を下せないほど焦っているようだ。 斜め後ろから覗き見る泉の頬は若干赤い。微かに開かれた口からは「ふえぇ」という小さな悲鳴が漏れている。期待以上の反応に、私は思わずほくそ笑んだ。 可愛いやつめとニヤついていると、焦った泉は私の予想を遥かに上回る自体を引き起こした。 ハヤ太君が泉の方を見た瞬間、焦りが頂点に達したようで、慌てふためいた彼女は腕を滑らせて隠していたノートを筆箱共々落としてしまったのだ。
静まり返っていた教室にガシャン! と騒がしい音が木霊する。そうなれば、教室中の視線は自然と音源である泉に集まるわけで。
「にゃーっ!」
恥ずかしさと焦りから泉が素っ頓狂な悲鳴を上げる。 ハヤ太君もいきなり泉が暴れだしたものだから驚いたようで、きょとんと目を丸くして一人パニックを起こす泉を見ていた。
「だ、大丈夫ですか? 泉さん」 「大丈夫! 大丈夫だから気にしないで! 見ないでハヤ太くんーっ!」
心配したハヤ太君が散乱したペンを拾おうと近づくや否や、泉が涙目でハヤ太君を制止する。 その騒がしさに教師の広い額に青筋が一つ浮いたのを見た。ああ、泉、すまん。怒られるっぽい。
「瀬川、騒がしいぞ」 教師の静かな、けれど確かな怒りを含んだ声に一喝されて、泉は再び涙目で「うー……」と小さな唸り声を上げた。 そして泉が教師に気を取られている隙に、間が良いんだか悪いんだか分からないハヤ太君は、泉のノートを拾い上げてしまったわけで。 開きっぱなしのノートの中身が自然と目に入ってしまったハヤ太君。その顔は少し苦笑気味だ。そりゃそうだ、自分の似顔絵が描かれているノートを見れば誰だって……。
「瀬川さん、はい、ノート」 「えっ、あ、ありがと……。って、ハヤ太君! 中、見ちゃった!?」
顔を真っ赤にしたり冷や汗を垂らしたりと忙しない泉の横顔を眺めながら、私もハヤ太君の様子を伺う。 ノートを受け取りながら恥ずかしそうに目を伏せる泉に、ハヤ太君は、鈍感執事はこう言った。
「少しだけ見えちゃいました。何というか、その、不思議なネコ……、いやクマ……?の絵ですね」
おいまて。自分の似顔絵を見てネコかクマってどういうことだ。 まさかの反応を受けて泉も泉でポカンと口を開けている。そしてアホ面のままノートを受け取り、泉は大人しく席に座った。 そして自分のノートをまじまじと見つめながら、不服そうに眉を潜めている。
「……ねこ……?」
その時ちらりと見えた泉のノートの中身。 そこには耳の生えてないネコのような……いや、クマ……あれ、サルか? とにかくなんだかよく分からない生物が大量に描かれていたわけで。 そう言えば泉の画力は何とも言えない代物だったなあ、なんてことを思い出す。さながら画伯レベルである。
「……くまー?」
納得いかないといった様子で首を傾げる泉に、堪らず笑いが込み上げてくる。 一人で肩を震わせてクスクスと笑っていると、どこからともなくククッ、と吹き出す声が聞こえてきた。 音源を辿ってみれば案の定笑っていたのは美希だった。先ほどまで目を開けて寝ていたのに、いつの間に起きたのだろうか。 同じく肩を震わせる美希を見ていると私の視線に気づいたのか、彼女も私の方をちらりと横目で見てきた。 そして二人で顔を見合わせて、多分よく似ているであろう不敵な笑みを、ほぼ同時に浮かべた。
(休み時間、楽しみだな) (うむ、からかい甲斐がありそうだ)
視線だけでそんな会話を交わしている私たちのことを、泉は知る由もなく。
「……ハヤ太君なのにー……」
頬杖をつきながらそんなことを呟いたであろう泉の横顔を見ながら、私は休み時間にどうからかってやろうかと夢想する。 ストレートに似顔絵を指摘してやろうか、それともあえて気付かないふりをして何を暴れてたんだと問い詰めてやろうか。 どちらにせよ泉はきっと私と美希の期待に応えてくれるだろう。真っ赤な顔をして、でも心なしか嬉しそうに「やめてよー」なんて言ってくる姿が目に浮かぶ。 ニヤけてしまいそうになる口元を懸命に噛みしめながら、私は黒板の上に時計を見た。気付かぬうち、時間は随分と流れていたようだ。 授業終了まであと二十分。机の上に置かれた、何も書かれていない純白のノートの眩しいこと。 ……さて、誰にノートを写させてもらおうか。 我に返ってそんなことを考えた瞬間重たくなる瞼は、なんとも現実逃避がうまい。 微睡む眼で最後に見たのは黒板でもノートでもなく、性懲りもなく再びノートに絵を描きだした泉の後ろ姿だった。 アホだなあなんて考えてるうちに、私の意識はぷつりと切れた。
十分後、めでたく三日連続居眠りで叱られることになるのだけれど、そんなこと、今の私には知ったこっちゃなかった。
【微睡む午後の一コマ】
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泉が好きすぎてどうしましょう ( No.51 ) |
- 日時: 2013/06/06 01:44
- 名前: S●NY
- この迸る熱いパトスをどう文章にしてぶつければいいのか、
果てしない時間考え続けた結果ですが、月並みなご感想を書かせていただきます。 泉かわいい。かわいいです。本当に素敵でした。興奮が止まりません。どうしようもありません。 【微睡む午後の一コマ】、胸がきゅぅと締め付けられるほど優しいお話でした。 なによりまず凄いなと思ったのは、理沙の視点から見た景色が目の前に本当にそこにいるかのような臨場感で味わえたという事です。 餅ぬ。さんは一人称小説ではもう、右に出る方はいないのではないのかと思ってしまいます。 他の追随を許さないほど上手すぎます。 そして、理沙の飄々とした雰囲気が午後の陽気に非常にあっており、 泉の可愛さを理沙の視点から見ているから引き出せているのだと感じました。
これは【筆先が語る夏】からも感じられることで、 泉がいるから理沙の可愛さを引き出せて、理沙がいるから泉の可愛さが引き出せるのだろうかと、思いました。 実を言いますと餅ぬ。さんの小説で、密やかにに好きなのはこういった数年後の物語であったりします。 ひなゆめ時代にもたまに書かれていた大人になったハヤテたち。 描写がノスタルジックで、切なくて、大好きです。 こういった雰囲気の作り方も、餅ぬ。さんから学ばせて頂いているなと常々思っていることなのです。
なにやらまとまりのない文章なのですが、『泉可愛い』という単語が頭の中を駆けづり回っていまして。 まともな文章が書けない状態です。うぅ…すいません。
では長文・乱文な感想、大変失礼いたしました。 そして素敵な小説、ありがとうございました。
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投稿するペースが、ただただ羨ましい ( No.52 ) |
- 日時: 2013/06/09 22:15
- 名前: きは
- こんばんは、きはです。
全25話予定の短編集も、3分の2を過ぎると一抹の物寂しさを感じてしまいます。 再び餅ぬ。さんの作品に出会ってから半年過ぎましたが、集積している当スレッドの軌跡を振り返るより、残りの分のことに想いを馳せてしまいます。 ――それだけ、餅ぬ。さんの新作を楽しみにし続けているということなのですが(笑)
そんなセンチメンタルな感情は置いときまして、感想に移らせて頂きます。
>筆先が語る夏
まず一言。「そーしょたい」と表記する泉がかわいいw 理沙の書く字が綺麗なのは意外な気もしますが、由緒ある神社の娘であるという設定を鑑みますと、スッと腑に落ちました。 「夏に咲く花」の後日談で原作の十数年後という設定といい、餅ぬ。さんの世界観を作る手腕に脱帽です。
一番心に響いたのが、最後の方にある一文です。引用致します。
私たちはいつものように何も知らないふりをした。
この一文に至る流れを見ると、理沙が高校時代に戻ったような仕草をしてから、泉も同調してあの頃のやり取りをしています。 ですから、引用した一文は、その流れで出たように見えるのですが。――あえて、この一文が泉の本音ではないかなぁと考えてみたりしています。
泉は、理沙の口から「ハヤテのことが好きだった」と聞くことができませんでした。 筆先の表現を泉のフィルターに通すことによって、理沙の心情を汲み取ろうとすることはありました。 タイトルに「筆先が語る夏」とありますように、理沙の心情と連動した筆先から彼女の心情を察することはできました。 ですが、聞くことはできなかったのです。
それは、高校時代と全く変わっていません。泉は理沙の行動から察することはできても、理沙の口からそのことを聞くことはありませんでした。 ですから、泉は高校時代と同じ行動をとることにしたのです。何も知らない、気づかないふりをしたのです。 たとえ、筆先によって描かれた文字が本心を語っていたとしても、泉はそれをあえて黙殺したのです。
だからこそ、最後の一文がより映えるのかなと思いました。
もっともっと技法の部分とかも語りたかったのですが、上手く言葉にできないという能力的限界を感じたので、ここまでとさせていただきます。 言語化することができたら、追記という形で語っていきたいと思います。
それでは、長文・乱文失礼しました。
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Re: 生徒会三人娘と仲間たちによる短編集。(緩いほのぼの話) ( No.53 ) |
- 日時: 2013/06/12 18:38
- 名前: 大和撫子
- どうも、初めまして。大和撫子です。私は餅ぬ。さんの作品に本気で惚れてしまいました。なんで自分は今までのこんないいものがあるのに気づかなかったんだと後悔しています。言葉に表すのは難しいですがこれを見てどうしても感想を書きたかったので書かせてもらいました。言いたいことは大体前の2人が言ってくれたので個人的な感想を。
私はこの掲示板に作品を書いています。いつも自分の作品を書きながらもっといい書き方はないか、自分の理想に近づくにはどうすればいいのかと常々思っていました。しかし私は出会ってしまいました。この作品……自分の理想の作品に。
餅ぬ。さんの一人称視点の書き方は私がずっと追い求めていたものでした。人の心の描写をここまで上手くできるものなのかと尊敬とともに畏敬の念を抱いてしまうものでした。特に【筆先が語る夏】は私にとってこの上なく心に響いた作品でした。文章には見えない感情が見える。というのが私の感想全てです。見えないものを見せるのがどれほど難しいことか。なのに餅ぬ。さんの作品はそれを簡単にやってのけてしまいました。この感情は言葉では表しきれません。
この作品が更新されるのを毎日楽しみにしております。
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Re: 生徒会三人娘と仲間たちによる短編集。(緩いほのぼの話) ( No.54 ) |
- 日時: 2013/06/20 01:42
- 名前: 餅ぬ。
>>S●NYさん
感想ありがとうございます! また返信が大変遅くなってしまい申し訳ありません……。
【微睡む午後の一コマ】、お気に召して頂けて何よりです! かわいいの一言が何よりの糧になります。 とにかくアホ可愛い泉を目指した話だったので、S●NYさんの泉萌えパトスを迸らせることができて、心から嬉しく思います! 理沙の臨場感はある意味cutes6話を見終えた私の興奮が乗り移った結果かもしれません(笑 また本当に勿体ない、むしろ恐れ多いお褒めの言葉まで頂けて、頬の筋肉が緩むやら引き締まるやら……! 自身の書き方をまどろっこしいと感じて自信を持てない時期もありましたが、これでいいんだなと改めて安心することが出来ました。それと同時に、まだ満足しちゃいかん! と低いはずのプライドが珍しく奮い立ちました。
未来話が好きだと言って頂けてすごく嬉しいです! かなり自己設定が入ってるので、好き嫌いが分かれるだろうなぁと思っていたので……。 終わった過去を振り返る系の話が好きなので、どうしても高校卒業数年後という設定が多くなってしまいます(汗 ノスタルジックなんて、そんな大層なお言葉を頂けるとは……。今後もS●NYさんのご期待に応えられるよう日々精進していきたいと思います!
泉可愛いのお言葉と熱いパトス、ありがたく頂戴いたしました!(笑 それでは、感想ありがとうございました!
>>きはさん
こんばんは、感想ありがとうございます! いつもながら返信が大変遅くなってしまい、申し訳ございません……。 何だかんだで三分の二を過ぎた短編集。もう半年も経っていたのですね……。 飽きっぽい上に放置癖のある私がここまで続けてこられたのは、連載当初からお付き合い頂いているきはさんを始め、読んでくださっている皆様のおかげです。 改めて、皆様に心から感謝の意を。本当にありがとうございます! 残り三分の一、きはさんのご期待に応えられるよう全力投球で頑張らせて頂きます!
泉可愛いのお言葉、ありがたく頂きました!(笑 結婚しても相変わらずな泉が表現したくて何気なく書いたのですが、お気に召して頂けて良かったです。 【筆先の語る夏】を書く至ったきっかけというか妄想が「意外と字が綺麗な理沙とか可愛くね?」でした。 故に初めは全く後日談にする予定はなかったのですが、色々と肉付けしていくうちにいつの間にやら果てしなく未来の話に(汗 しかし違和感なく受け入れて頂けたようで、すごく安心しました。正直に言うと、自分でもまさかこんな風に繋がるとは思っていませんでした(笑
そして相変わらずきはさんの着眼点の鋭さには感服致します。 >私たちはいつものように何も知らないふりをした。 >あえて、この一文が泉の本音ではないかなぁと考えてみたりしています。
きはさんの感想を拝読した後もう一度読み直して、自分で書いたくせに新しい見方を発見出来て何だか興奮しました。 きはさんの推測通り、深くは考えず流れで出た一文でした(汗 ですから、こういった視点で語っていただけるのはすごく新鮮で何とも嬉しいです。 確かに理沙は何も語りませんでした。着実に前に進んでいるくせに、あの頃から何も変わっていないです。 過去を振り返るだけで前に進まないお話。書いてる途中にこっそりと設定したテーマが、予想外のところで滲んでいてなんだか嬉しくなると同時に、そこまで読み込んでくださるきはさんに毎度ながら感謝の念が絶えません……!
あとあちらにもコメントを残させて頂いたのですが、暫し執筆活動を退かれるようで……。 きはさんの作品を楽しみにしていた一ファンとしてとても寂しいですが、合同小説本の執筆もありましたし、今はゆっくりとお休みになってください。 きはさんが復活される日を心からお待ちしております。あなたの作品が大好きです。 またあちらの方にコメントをする際、スレッドを上げてしまったのですがもしも迷惑でしたらコメントの方を削除しますので遠慮なく仰ってください。
ではでは、感想ありがとうございました!
>>大和撫子さん
初めまして、感想ありがとうございます! 返信が大変遅れてしまい、申し訳ありません……。 本気で惚れただなんて……! 出だしから何ともありがたいお言葉、本当にありがとうございます! まだまだ精進の身でありますが、思わず口元が緩んでしまいました。調子に乗ってはいけませんね(汗
【筆先が語る夏】の心理描写、お気に召して頂けたようで何よりです! 元々バトルシーンや激しい動きを書くのが苦手という欠点をカバーするために、心理描写を細かく細かく書くようになったのですが、それが大和撫子さんの理想像に近いとなればそれは何ともありがたいことです。 本当に私なんぞがおこがましいという気持ちでいっぱいなのですが、ご期待に応えねばと改めて気の引き締まる思いです。 ただ一人称ばかりに固執してしまって、三人称の書き方がイマイチ掴めなくなってるのですが……(汗
ではでは、感想ありがとうございました! 今後ともよろしくお願い致します。
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完全な私得小説。仲良しな瀬川兄妹が好き! ( No.55 ) |
- 日時: 2013/06/21 04:21
- 名前: 餅ぬ。
「見よ! 虎鉄くん!」
学校から帰って早々私の部屋に乱入してきたお嬢。バァーンというど派手な効果音を背景に描きながら、小さな可愛らしい小箱を見せつけて何とも偉そうに仁王立ちをしている。 喜びを隠しきれないと言った様子で満面の笑みを浮かべるお嬢を見て、思わずこちらもその笑顔に絆されて頬を綻ばせた。 そして仏頂面の私にしては大変珍しい穏やかな微笑みを顔に張り付けて、ドアを開け放ったまま踏ん反り返っているお嬢に言った。
「お嬢、着替え中だから早くドア閉めて」 「……いやん、虎鉄くんの破廉恥! そんなもの見せないで!」
着替え途中で上半身裸の私を見るや否や、人の体をそんなもの呼ばわりしてお嬢は力強くドアを閉めた。勝手に見たくせにと一人ごちながら、私は新しいシャツに手を伸ばした。 早いとこ着替えを終えてお嬢の自慢を聞いてやらねばと、ボタンを止める指先を速める。それにしても、自慢のブツであるらしい先ほどの小包はなんだったのだろうか。 淡いオレンジ色の包装と、少し洒落た結び方の真っ赤なリボンが特徴的なあの小さな箱。その箱の正体は、少し考えを巡らせればすぐに答えが導き出された。
(あー……誕生日だ)
今朝お嬢にプレゼントを渡したことを今の今まですっかり忘れていた。 十数回繰り返される恒例行事はその目出度さに毎度変わりはないけれど、数を重ねるにつれて少しずつ存在感が薄れていく……ように感じる。 それはお嬢に比べれば毎年大して祝われない私の物差しでの判断だが、高校生ともなれば昔ほどプレゼント一つに喜び勇むわけでもなく。 けれどいつまでたっても純粋な、言い方を変えれば子供っぽいお嬢にしてみれば、誕生日は何度重ねても色褪せることはないのだろう。 だから、小さな箱一つであれだけ大喜びできるのだろうなと、私は思う。しかし、今まであんなにお嬢がプレゼントを自慢してきたことがあっただろうか、と少し首を捻った。 まあ、聞いてみればわかることだと割り切って、着替えの仕上げにネクタイをきゅっと締める。そして自慢したくてソワソワしているであろうお嬢を探すべく、私は部屋を後にした。
「あ! 虎鉄くんやっときた! 早くこっちきて!」
私がリビングに到着するや否や、ソファに寝転がっていたお嬢は目をキラキラと輝かせながら私を呼び寄せる。もちろん、体勢は寝転がったままである。 忙しなく足をパタパタと動かしながら、お嬢は例の小箱を嬉しそうに両手で包み込んでいた。お嬢の手にすっぽりと収まってしまうあたり、かなり小さなものであるらしい。 えへへーとだらしない表情を浮かべるお嬢の隣に立って、彼女の手の中にある小箱を覗き込む。 リボンに挟まれたメッセージカードらしきものには、可愛らしい文字で「誕生日おめでとうございます」と書かれていた。 そりゃもう、そこらの小娘の丸文字なんぞ目じゃないほど可愛らしい文字で。多分いい匂いとかする。絶対する。嗅がせてほしい。 ああもう。あの文字で私の名前……できれば私の苗字とやつの名前を合体させた名前を書いて欲しいなんて思ってしまうほど、小悪魔的に愛らしい文字。 この胸の高鳴り、間違いない。
「……お嬢、それ……!」 「うん! ハヤ太君から貰ったの! 今年はケーキとクッキー、二つも貰っちゃったー」 「どっちか下さい! マジでほんとお願いします」 「やだ! そしてケーキはお昼休みに学校で食べちゃいました! 苺のタルト、すっごく美味しかったー」 「お嬢ぅぅぅっ……!」
綾崎の手作りタルトの味を思い出しているのか、うっとりと夢見心地な表情を浮かべるお嬢。周りに漂うぽわぽわした空気が、私に突き刺さる。思わず膝を折った。 悔し泣きに伏した私を見ても、お嬢は相変わらずフニャフニャの笑みを浮かべている。執事としてあるまじき暴挙であることは分かっているが、その幸せそうに緩んだ頬を突きまわしたくて仕方ない。 こうなったらケーキやクッキーなんて言う贅沢は言わない。せめて綾崎が触れたであろうあの包みとかリボンとか、出来ることならメッセージカードを頂きたい。 綾崎が心を込めて触れた。その事実さえあればもう何もいらない。私も暫くは安泰だ。何がっだって? それは言えない。
「お嬢! クッキーくれとは言わない! せめてその包みとかリボンとか、出来ればメッセージカードを私に……!」 「にははっ、虎鉄くん必死だねぇ」
お嬢は私を見て笑う。その笑顔はいつも以上に柔らかくて幸せそうだったけれど、私には悪魔の笑みにしか見えない。 生まれて十余年、お嬢と共に育ってきた私には分かる。あのちょっと眉を潜めた可愛らしい笑顔は、お断りの言葉を言う直前の顔だ。 けれど、もしかしたらそうじゃないかもしれない! その一抹の望みにかけて、私はお嬢に縋りついた。 「頼む! ホントお願いします! お嬢! 私の誕生日プレゼントだと思って……!」 「わわ、こ、虎鉄くん! 床に頭こすり付けないで! なんか、すごい悪いことしてる気分になる! 顔上げてよぉ!」
お嬢が焦った声色で私の懇願を制止する。もしやと思い、ゆっくりと顔を上げると、お嬢は困ったように首を傾げながら私を見て微笑んでいた。 おでこ真っ赤だーと笑うお嬢を見て、私の中に芽生えていた小さな希望が少しずつ大きくなっていく。これは、いけるかもしれん。
「お、お嬢……! もしかして……?」 「まあ、リボンも包みもあげないけどね」
前言撤回。全然いけなかった。
「なんで今の流れで断るんだよお嬢ぉぉ! 喜び損だ! 私の土下座を返せ!」 「む、虎鉄くん! お嬢様に逆ギレはいけません! ダメ執事の烙印を押すよ!」 「ダメでも構いません! 俺は愛に生きる!」 「こ、このダメダメ虎鉄くん!!」
お嬢の右手が私の頭をぺしりと叩いた。それは触れたという表現の方が正しいのではないかと思うほど、何の痛みもなかったけれど、私は少なからず衝撃を受けた。 まさかお嬢に躾を施される日がこようとは。悪いのは暴走した私だけれど、それを正せるだけの良識と行動力を身に着けたお嬢に少しだけ成長を垣間見た気がした。 それは執事としての喜びか、または兄としての喜びか。まあよく分からないけれど、私の暴走しかけた感情をほんわかとさせるだけの力が、今の一撃にはあった。
「もー、虎鉄くん! 人の話は最後まで聞くのだ! 虎鉄くんは電車とハヤ太君のことになるといっつも暴走するんだから……」 「……すいません」 「うむ! 素直でよろしい!」
ソファに座るお嬢に向かって正座する形で、我に返った私は頭をしな垂れる。頭上から降ってくるお嬢の満足げな声も、右耳から左耳へ貫通していく。 私は今年も綾崎から何も貰えないのか。ツンデレだツンデレ、と前向きに解釈しようにも、らしくもなく落ち込んだ今の私には少々難しい。 しょんぼりとしょげ返っていると、俯く私に何故かメッセージカードを手渡してきた。もしかしてくれるのか?
「くれるのか?」 「だからあげないってば。あげないけど、そのカードよく読んでみて」
白いカードに書かれた綾崎の直筆メッセージ。鼻に近づけて思いっきり嗅いでみたくなる衝動をどうにか押さえつけながら、私はその可愛らしい文字の羅列を目で追った。 そこには短いながらも、なんとも愛に溢れた言葉が書かれていた。
『泉さん、お誕生日おめでとうございます。 ついでに虎鉄さんもおめでどうございます。 少ないですが、お二人で仲良く食べてください』
「……お嬢……っ!!」 「へへー。これ見たら絶対虎鉄くん喜ぶと思って、飛んで帰ってきたんだよ? 良かったねぇ、虎鉄く……って、マジ泣きしてる!?」
私は泣いた。男泣きに濡れた。人生十数度目の誕生日にしてこんな素晴らしいサプライズが訪れようとは。生きてて良かった。人生最高。 多分目を真っ赤にして泣いているであろう私を、若干引き気味の様子で眺めるお嬢だが、その笑顔はとびきり優しい。さっきは悪魔なんて言ってごめんなさい。
「もー……虎鉄くん泣き過ぎだよ? さすがにちょっと引く」 「ああ……。ああ! いくらでも引いてください、ドン引けばいいとも! 私は今、猛烈に感動しているんです、お嬢!!」
出来るだけカードに皺を残さないよう、けれど強く握りしめながら私はお嬢に言う。
「嬉しいのは分かるけど、喜び過ぎだよぉ。……ハヤ太君が直接渡さなかった理由がわかるなぁ」
貞操的な意味で、となんだかお嬢がらしくない難しい言葉を呟いたが気にしない。
「お嬢、もうこれはアレだと思いませんか」 「あれって何?」 「もう愛の告白ですよね。手作りのクッキーをプレゼントとか、プロポーズにも等しいですよね。 お嬢すいません、私明日辺りオランダ行きの飛行機手配してきます。綾崎マジ照れ屋さん」 「おお、虎鉄くんが穏やかに暴走している」
とうとうドン引きして笑顔が引きつりだしたお嬢を余所に、私は今後の綾崎との新婚生活について夢を膨らませていた。 ブランコのある白い小さな家に二人で住み、慎ましいながらも愛で満ちた生活を送る日々。 エプロン姿で私を迎える綾崎。私の曲がったネクタイを直す綾崎。照れながらも快くメイド服着てくれる綾崎。私に微笑む綾崎――。 あああああ、辛抱堪らん。
「虎鉄くん! よだれが気持ち悪い!!」 「うぐっ!」
妄想世界へトリップしているとお嬢の一撃で現実世界へ引き戻された。その攻撃は頭でもなく、頬でもなく、まさかの口元に向けられた。 お嬢の手によって半開きになっていた私の口に押し込められた、何やら小さくて固いもの。その衝撃で、思わずくぐもった声が出た。 一瞬何が何だかわからなかったが、咥えているうちに口内に広がってきたほんのりとした甘さとチョコレートの味でその物体の正体がクッキーだと理解した。
「……甘い」 「チョコレート味だよー。あとプレーンと苺味があるけど、虎鉄くんどれ食べたい?」
口の中に押し込まれた一口サイズのクッキーをもぐもぐやりながら、お嬢の両手に包まれた小箱の中を覗き込む。 そこには十個ほどの色とりどりのクッキーが所狭し敷き詰められていた。所々欠けているクッキーがあるのは、多分お嬢の扱いが雑だったからだろう。
「ハート形ないんですか、ハート」 「苺味がそうだけど、虎鉄くんにはあげません! 私が食べます!」 「くっ……お嬢め……!」 「ふっふっふー。ここはお嬢様である泉を優先してもらわないと! 虎鉄くんはお星さまでも食べてるのだ!」
そう言ってお嬢は私の掌に星形のプレーンクッキーを一つ乗せた。自分はハート形の苺味を美味しそうに貪っている。羨ましい。 というか色別に形を変えるとか、相変わらず綾崎は可愛いことをする。女子力とやらが多分振り切ってるんじゃないだろうか。切実に嫁に欲しい。
「ほらほら、虎鉄くん。床になんて座ってないで、お隣おいでよ」
お嬢は隣の空席部分をポンポンと叩いて私に座るよう促す。断る理由もないので、私は大人しくお嬢の隣に腰を下ろした。 そしてお嬢が先ほど掌に乗せた星形のクッキーを小さく一口齧る。固すぎず柔らかすぎず、サクサクとした食感が心地よい。
「んーっ! タルトもおいひかったけど、クッキーもおいひい!」 「お嬢。飲み込んでからしゃべる」 「むー」 口元を緩々にしながらも、味の感想を伝えたがるお嬢に一言注意を促す。少し不服そうに頬を膨らませたお嬢だが、大人しくクッキーを味わうことに専念しだした。 私も妄想と暴走もそこそこに、綾崎が作ってくれたクッキーに舌鼓を打つ。でもこの生地を綾崎が一生懸命こねたのだと思うと、なんかもう昂らずにはいられない。 ちらりと横を見ればお嬢がだらしない顔で三枚目のクッキーに手を伸ばしていた。もぐもぐと動く口元は、ご機嫌な猫のように弧を描いている。 そして最後の一枚であるハート形を摘まんだお嬢は、ほんのりと頬をそのクッキーと同じ色に染めながら穏やかに微笑んだ。なんともまあ、幸せそうだ。 暫しクッキーを眺めていたお嬢が、おもむろに私の顔を見た。そしてにっこりと私に向かって微笑んだ後、お嬢は言った。
「虎鉄くん、お誕生日おめでとう」
予想外のお嬢の言葉に目を丸くしていると、お嬢は私の掌を無理やり広げさせて、摘まんでいたハート形のクッキーをちょこんと置いた。
「これ、私からのプレゼント! 大事に食べるのだよ!」
そう言ってふふんと少し得意げに微笑んだお嬢に、これ綾崎が作ったやつじゃんなんて言えるわけもなく。そんなツッコミを入れるほど、私も野暮な男ではない。 手のひらに乗ったハート形を眺めていると、少しだけ口の端が綻んだ。綾崎の手作りというのはもちろんだけれど、お嬢がくれたということが何だか無性に照れ臭くも嬉しかった。 「あっ、珍しい! 虎鉄くんが普通に笑ってる!」
世にも珍しい私の普通の笑顔に喜びの声を上げるお嬢。そんな彼女に向かって、私もお返しに一言贈ってやった。
「泉も、誕生日おめでとう」
私の不意打ちに少々驚いたらしいお嬢は、先ほどの私と同じく目を丸くしていた。けれど、さすがはお嬢。すんなりと私の言葉を受け入れて、綻んだその口元により一層笑みを浮かべた。 えへへと小さく笑い声をあげた後、クッキーを一つ摘まんで口の中に放り込んだ。サクサクと軽い音を響かせながら、わざとらしくくぐもった声で。
「ありがとね、虎鉄くん」
わざと食べながら話すのはお嬢なりの照れ隠しだろう。少々お行儀は悪いが、その可愛らしい妹の行動を前に怒る気などなれず。 もふもふと口を動かしながら嬉しそうに、幸せそうに笑うお嬢を暫く眺めた。そして掌のクッキーの存在を思い出し、私はお嬢に負けじと口元に笑みを浮かべた。 薄いピンク色のクッキーを見つめる。お嬢と綾崎からだと思うと、何というか、らしくもなく、自分が幸せ者であると感じてしまう。 何だか幸せボケしている自分がおかしいやら恥ずかしいやらで、せっかくのクッキーを徐に口の中に放り込んだ。それに、ハート形だし丸ごと一気に食べたほうが良いような気がしたのだ。 口の中でふわりと広がる苺の甘酸っぱさ。これはあれだ。多分、これは。
「うん、愛の味……というか綾崎の味がする」
そうぽつりと呟いた私を見つめるお嬢の顔は、やっぱり苦笑いというか、あからさまに引いていた。先ほどまでの和やかなやり取りがあっただけに、少しばかり傷ついた。
「まあ、それでこそ虎鉄くんだよね」 呆れたように、けれど酷く優しい声色でお嬢が言う。少し大人びたように聞こえるその口調は、もしかして誕生日を迎えたからなのだろうか。 そしてお嬢はにっこりと笑顔をこちらに向けたまま、私に問いかけた。
「虎鉄くん、誕生日ってなかなか良いものでしょ?」 「……そうだな。あと、綾崎からこう、あーんってしてもらえたら言うことなしだ」 「もー、虎鉄くんのわがままー」
口ではそう言いながらもどこか満足げに笑うお嬢の顔を見て、私の照れ隠しは無駄だったということを悟る。 綾崎にあーんとかして貰いたいというのは、紛れもない本心なのだが。
「お嬢、来年はここで綾崎にケーキを作ってもらおう。私頑張って結婚するから」 「うわー、ハヤ太君逃げてー。ちょー逃げてー」
残り少なくなったクッキーを二人でもぐもぐやりながら、他愛もない会話を交わす。 日常と何ら変わりない光景だが、何故だか妙に暖かく感じられるのは、きっと今日が私と泉の誕生日だからだろう。 長らく忘れていた『楽しい誕生日』の感覚を思い出させてくれたお嬢と綾崎に、心の中でこっそりと礼を言った。 願わくば来年も再来年も、これから先もずっと、お嬢がこうして笑っていられる誕生日が訪れてくれればいいなと思う。ついでに、私も。
できれば来年は綾崎が体にリボン巻いて、いやいや全裸とかじゃなくてもいいからとりあえず可愛い格好してだな、それからこう上目使いでわたしを見上げry
【ちょっと幸せな日】
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(多分)意味のないデートを繰り返す二人。 ( No.56 ) |
- 日時: 2013/06/24 18:15
- 名前: 餅ぬ。
好きだと言ったこともないし言われたこともない。並んで歩いたことは数あれど、指を絡めたことは一度もない。 甘い雰囲気に包まれたことも、甘い言葉を囁いたり囁かれたりしたこともない。唇を触れ合わせた記憶もない。 無いこと尽くしの僕らの関係は、何ともじれったくて奇妙な背徳感を醸し出していて、とてもじゃないが気分の良いものではない。 けれどこうして何度もデートを繰り返すのは、多分、彼女の誘いを断れない僕がいるからだと思う。 「いいですよ」の一言で、彼女は滅多に見せない女の子みたいな笑顔を見せるのだ。多分きっと、僕はその笑顔に弱いのだろう。 だから、僕と彼女の無意味なデートは、何の進展もないまま回数ばかりを重ねていく。多分、これからも、この先も、変わることなく。
今日の彼女はどうやら海へ行きたいらしい。 連絡を受けた僕はお嬢様に「少し出かけてきます」と一言告げて自転車に跨る。事情を知っているのか知らないのか、お嬢様の小さなため息が僕を見送った。 呆れられているのだろうか。それとも週に一、二度ふらりと出かけるようになった僕を怪しんでいるのだろうか。どちらにせよ、良い感情は抱かれていないように思う。 ダメな執事でごめんなさいと心の中で謝って、僕はペダルを踏んだ。そして罪悪感から逃げ出す様に、彼女との待ち合わせ場所であるいつもの公園へと向かった。 僕を迎える彼女はきっと、いつものニヤけ面を顔に張り付けていることだろう。心の底から満足げに。
【あの娘のシャンゼリゼ】
自転車をこぎ始めて十分弱。ゆっくりと進んでいたつもりなのだが、予定よりも十分ほど早く着いてしまった。 マイペースな彼女のことだからまだ来ていないだろうが、一応公園内を見回す。すると、意外なことにブランコにお行儀よく座っている彼女を発見した。
「あ、いる」
名前を呼ぶより先に、思わず本音がポロリ。その間抜けな声をしっかりと拾ったらしい彼女は、公園の入り口に立つ僕と自転車を見た。そして口の端をにやりと釣り上げる。
「そんなに驚くなよ、ハヤ太君。ああ、いや、ハヤテ君」
いつも学校で呼んでいるあだ名から、本名へとわざとらしく言い直すその様は、なんだか小憎たらしい。彼女曰く、こういう時くらい雰囲気を出したいそうで。 ブランコの前に立ち彼女を見てみると、その頬には薄らと汗が浮かんでいる。穏やかとは言いづらい初夏の日差しの下、彼女はどれだけ僕を待っていたのだろうか。
「待たせてしまいましたか?」 「いやいや、今日は暇だったから早く家を出ただけだからな。ついたのはほんの三十分前だ」 「三十分!? ほんのじゃないですよ! 連絡くれればもう少し早く――」 「ふふん、私だってな、君の時間をこれ以上奪うほど無粋な女じゃないのだよ。それに待つのもデートの内さ」
そう言って偉そうに笑う彼女は少し満足げで。
「さて、ハヤ太……じゃなくてハヤテ君。今日の目的地なんだがな」 「海、じゃないんですか?」 「まあ、海と言えば海なんだが、正しくは海の近くにある喫茶店だな」 「喫茶店?」 「うん。なんか海の見えるレトロな喫茶店があるらしいんだ。今日はそこ行きたい」 「場所分かりますか?」 「ん、地図」
印刷してきたらしい地図を受け取り、僕はそのレトロな喫茶店とやらの道のりを確かめる。少し遠いけれど、まあ夕飯の仕込までに帰ってこれない距離ではない。 僕は地図をポケットにねじ込んで、ブランコに座ったままの彼女を見た。そして、いつものようにニコリと笑いかける。
「いいですよ、行きましょう」
そう言うと、彼女はどこかほっとしたように顔を綻ばせた。らしくない、全く彼女らしくない、優しい笑みを浮かべて見せた。 多分、僕はこの笑顔が見たい一心で、彼女のワガママに付き合ってきているのだと思う。それは愛しいという感情というよりも、ちょっとした特別感が大きいような気がする。 こんな風に彼女を笑わせることが出来るのは、きっと僕だけだという、意地汚い優越感。
「んじゃ、出発するぞ! ハヤテ君!」 「はいはい、早く行きますよ」
そう言って彼女に手を差し出す。彼女はその手を握ることなく、自分の力でブランコから立ち上がった。行き場を無くした己の手が、なんともまあ物悲しい。 振り返ることなく自転車へと向う彼女の後ろ姿を見ながら、埋まることのない距離を見せつけられた気分になった。彼女は自転車の後ろに乗るとき以外、僕にあまり触れようとしない。 その理由を、僕は知っている。 二度目のデートのとき、まるで世間話でもするかのように、飄々とした口調で彼女が語ってくれたのだ。
――どうやら彼女には、キスを交わした相手がいるらしい。それは、まあ、言わずもがな、そういうことで。
そういう相手が居ながら、彼女は構わず僕を連れ回す。それに付き合ってしまう僕は、その相手から見れば、考えたくもないけれど、立派な間男というやつで。 しかし彼女は僕をデートに誘いながらも、頑ななまでにそれ以上へ進もうとはしなかった。ただ一緒に出かけて、世間話をする。ただそれだけの関係だ。 彼女がこれをデートだと呼ばなければ、友人と遊びに出かけているのと何ら変わりないのだ。しかし、彼女はこれをデートだと主張して聞かない。 しかしその意味のないデートを繰り返しながら、彼女はしっかりと例の相手に躁を立てているわけで。そんな彼女の真意など、僕に分かるはずもなく。
「おーい、何ぼーっとしてるんだ?」
呼びかけられて我に返ってみれば、自転車に向かって行ったと思っていた彼女が隣に立っていた。そこで初めて気づいたが、今日の彼女は妙に身長が高い。 彼女の足元を見てみれば、七センチ近くはありそうなヒールのついたサンダルを履いていた。長身を気にしているくせに高いヒールを履きたがる彼女は、意外と女の子だった。 緑色の奇抜なサンダルだって、何処で買ったのか分からない真っ赤なビロード生地のバッグだって、彼女が身につければ立派なお洒落なのだ。
「お、そう言えばなんかハヤテ君小さくないか?」 「あなたが大きいんです!」 「む、女の子に大きいとは失礼だな」
そう言って彼女は眉をしかめて見せるけれど、勝ち誇ったように口元を歪めている。それを少々上目づかいで見上げなくてはいけないのが、少し癪だった。 たった一センチしか変わらない身長は、ヒールを好む彼女のファッションセンスによって常に追い抜かれていた。もう慣れたけれど、男としてのプライドは少し傷つく。 けれどそんなことを気にも留めていない彼女は、再び自転車に向かって駆けて行き、我が物顔で自転車の後ろへと座った。
「ハヤテくーん! さっさと自転車乗れー!」
無邪気に僕を呼ぶ。呼ばれるがまま、僕は彼女の元へと足を進めた。
* * *
彼女の行きたがっていた喫茶店に着いてみれば、それはレトロとは名ばかりな古びた喫茶店だった。けれど、それでも店内を眺める彼女はどこか楽しげだ。 窓の外に見える海は、遺跡の残骸みたいなテトラポットががたがたと並んだ、ばしゃばしゃとうるさい波の音が響く何処にでもある狭い狭い都会の海だった。 大した会話も交わすことなく、そんな海を僕と彼女は眺めている。彼女が頼んだオレンジジュースの氷が解けて、静かな店内にちりりと響く。 水泡はグラスのふちまで上がって消えた。忙しないなあと彼女の方にちらりと視線を向けると、ストローでぶくぶくと泡を立てるお行儀の悪い彼女と目が合った。 彼女はストローを咥えたまま、器用に口の端をにやりと持ち上げる。
「一口飲むかい?」
ストローを口から引き抜いて、僕の方に向ける。 反応できない僕を見て、彼女はいたずらに笑う。
「冗談冗談」
そう言ってストローを咥え直した彼女は、僕がこういう冗談にうまく乗れないことをよく知っていた。乗らないことを知っていた。 再びグラスの中を満たし始めた水泡をため息交じりに眺めながら、僕は外に視線を向けている彼女に声をかけた。
「……朝風さん」 「あ。ハヤテ君、名前」
したり顔でにまりと笑う。
「……お行儀悪いですよ」 「……つれない男だなぁ、君は」
名前を呼んでくれない僕に対して、つまらなさそうに不貞腐れて見せる。ぴょこんとグラスから飛び出したストローの先から、二、三滴オレンジ色の粒が落ちた。 テーブルに落ちたそれを見て、彼女は気まずそうに笑った。お行儀が悪いという言葉は、意外と彼女の心に届いていたらしい。一応、彼女も箱入りのお嬢様なのだ。
学校のこととか、クラスのこととか、僕の最近とか、彼女の最近とか。他愛もないことを話し合った後、少し傾き始めた太陽を見て「そろそろ帰ろう」と彼女が言った。 時計を見れば午後四時を少し過ぎた頃。夕飯の仕込にはなんとか間に合いそうだと、少し安堵する。眉尻が下がっているであろう僕の顔を、彼女の鋭い瞳が見ている。
「間に合いそうか?」 「あ、え?」 「ナギちゃんたちのご飯に」 「え、ええ……。なんとか」 「それなら良かった。んじゃ、さっさと帰るぞ」
彼女は僕より先に席を立ち、軽快なヒールの音を響かせて喫茶店の出入り口へと歩いて行った。その背を目で追った。 彼女が外へ出たのを見送った後、僕は視線をテーブルに落とした。半分近く残っている薄くなったオレンジジュースと目が合った。 綺麗に平らげられたガトーショコラと並んだ姿が、少しだけ可哀想だった。
外へ出ると彼女が海を見ていた。ぼんやりと何も考えていなさそうな間抜け面は、常に何か企んでいそうな顔をしている彼女の結構貴重な表情である。 間抜け面の彼女の隣に立って、一緒に海を眺めてみた。やはりお世辞にも、綺麗だとは言えなかった。それでも、それを見る彼女の瞳は、とても綺麗で。
「……よし、満足した! 今日も楽しかったぞ、ハヤテ君」
猫みたいに目を細めて笑う彼女は、その言葉の通り満足げだった。
「帰るぞ! ほら、乗った乗った!」
早く乗れと急かされて、僕は再び彼女を後ろに乗せて走り出した。来る時よりも少し速めのスピード。強めの風が僕と彼女の髪を揺らす。 腰に回された彼女の腕に力が入った。彼女の細くて長い指が、僕の服をわずかに握り締めている。彼女が僕に触れるのは、唯一この時だけだった。 ちらりと後ろを振り返ると、流れる景色を眺める彼女の横顔があった。髪が目に刺さって鬱陶しいのか、とても渋い顔をしている。
「……なあ、ハヤテ君」
ずっと黙りこくっていた彼女が、名前を呼んだ。彼女の口から放たれる自分の本名は、未だに少し聞き慣れない。 返事を返す前に、彼女は静かな声で言葉を続けた。
「キスしたことあるっていっただろ? あれさ――」
静かな静かなその声は、隣を通り過ぎた車のエンジン音と車内から溢れてきた大音量の音楽によって掻き消された。 未だに遠くから聞こえてくるその曲は、随分と昔に流行った洋楽だった。
「朝風さん、今なんて……」 「あ、今の曲、私結構好きなんだ」
聞こえなかった言葉の続きを問いかけても、当の彼女の興味は完全に先ほどの洋楽へ移ってしまって全く答える気がないようだった。 洋楽の特徴的なワンフレーズを口遊む彼女の声をBGMに、僕はひたすらペダルを漕いだ。彼女の言葉を、何故か懸命に忘れようとしていた。
「なんかこの曲聴くとさ、外国に行った気分になれるんだよ」 「そうなんですか」 「うん、そうなのだ。ハヤテ君も、そう思うだろ?」
弾んだ口調で話す彼女の顔を、もう一度ちらりと盗み見た。先ほどの言葉などなかったかのように、楽しそうに景色を眺めている。 既に海は姿を消し、辺りはよく見る景色に変わっていたけれど、それでも彼女は楽しそうに。僕の背に頬をくっつけて、僕の服をぎゅっと握りしめて。
「私、次は水族館行きたいな」 「……水族館ですか」 「海見てたら、行きたくなった。来週行こう」 「相変わらず急ですねえ」 「だって、ハヤテ君とのデートは楽しいからな」
余りにも彼女が弾んだ口調で言うものだから。 視界の隅で、無邪気に笑うものだから。 さらに強く、腕に力を入れたものだから。
「……そうですね、来週、行きましょう」 「お! やった!」
来週のデートは水族館。 意味のないデートは、意味のない関係は、多分、これから、この先も、変わることなく。 彼女が楽しければ、それでいいのだ。
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元ネタはサイハテ。ボカロはあまり知らないけど歌詞が凄く好き。 ( No.57 ) |
- 日時: 2013/06/30 15:44
- 名前: 餅ぬ。
【最果て】
不幸体質な人だった。 トラブルには必ず巻き込まれるし、怪我だってよくしていたみたい。それでもあの人はいつだって笑っていたから、私は彼は別に不幸なんかじゃないと思っていた。 美希ちゃんから聞いた彼の過去はまさしく不幸そのものだったけれど、今はこうしてナギちゃんみたいな優しくて可愛いお嬢様に拾ってもらえて、学校にも通えて、皆と仲良くなれて。 あんまり難しいことは分からないけれど、守らなくてはいけない大切な人が傍にいて、笑い合える人がいるっていうのは、とっても幸せなことじゃないかなあと、私は思う。 私たち三人組にからかわれて困ったように笑うあの人の顔は、不幸なんかじゃなかったよ。運は悪いけれど、彼は一生懸命楽しく過ごしていた。生きていた。 不幸と不運は違うのだ。色々な事件やトラブルに巻き込まれながらも、最終的にはニコリと笑って見せる彼は、不幸体質なんかじゃなくて不運体質なのだと、思っていた。 ハヤ太君は運が無いだけ。そう思っていた私は、多分、彼のことを何も知らなかったんだろうね。運の無い故に、彼はいつもすれすれのところで生きていたんだね。 この日を迎えて、やっとわかったよ。
白い着物に身を包んだ彼の姿は、酷く見慣れない。だっていつも私が見ていた彼は、皺ひとつない真っ黒な執事服をちょっと不器用に着こなしていた。 固く目を閉じた安らかな顔も、やっぱり少し違和感を醸し出していて。胸の上で組まれた真っ白な手も、眠る彼の周りを取り囲む色とりどりの花々も、見慣れることはない。 涙で滲んだ視界でいくら彼を眺めても、指先一つ動いてくれやしない。細い体はすっぽりと白い棺の中に収められて、脂肪のない薄いお腹は二度と上下することはない。 組まれた彼の手にそっと触れてみた。家事をしているとは思えない滑らかな肌は、ひんやりと冷たい。何度か私の手を握ってくれた愛しいその手に、かつての暖かさは感じられなかった。 つい先日まで、軽く手が触れあっただけで、私は嬉しくて恥ずかしくて顔が真っ赤になっていたのに。今こうして強く彼の手を握っても、私の顔は僅かな熱も帯びることなく。 流したくもない涙をボロボロ零して、嗚咽を漏らさないように唇を噛みしめて、こっちの気も知らず眠るハヤ太君を見つめた。 ナギちゃんは声を上げて縋りついているし、それを慰めるメイドさんも鼻を真っ赤にして懸命に涙を堪えている。いつも気丈なヒナちゃんだって、肩を震わせ小さな嗚咽を漏らしていた。 美希ちゃんも理沙ちんも、歩ちゃんも、みんなみんな、二度と目を覚ますことのない彼を想って泣いている。女の子をこんなに泣かすなんて、酷い人だね、ハヤ太君。
ねえハヤ太君。ここはひとつ、みんなを慰める為に起き上がってみてはどうでしょうか。 いつものちょっと困ったような笑顔を浮かべながら「生き返っちゃいました」なんて、明るく気まずそうに言ってみてはどうでしょうか。 泣いていたみんなを、驚かせてみてはどうでしょうか。笑わせてみたくはないでしょうか。ご主人様やヒナちゃんなんかに、いつものように怒られてみたくはないでしょうか。 ハヤ太君は優しい人だから、みんなを泣かせたままなんて嫌でしょ? だからほら、起き上がって笑って見せて。そしたら、私もまた、いつもみたいに笑えると思うから。 ――ねえ、ハヤ太君ってば。
「……そろそろ、お時間です」
静かな声でそう告げたのは、彼を焼く人。火葬場の職員の人だった。優しげな眼差しをした初老の男性だ。
「皆様、最後のお別れを」
男性はそう言って、私たちの輪から二、三歩遠のいた。私たちは誰に指示されるでもなく、順々に彼に別れを告げていく。 一番初めはナギちゃん、その次はマリアさん。その二人が別れを終えた次からは並んでいた順番で、眠る彼に思い思いの言葉をかけていく。 ハヤ太君の顔を覗き込んだヒナちゃんは耐え切れなくなってその場に崩れ落ちて、美希ちゃんと歩ちゃんに支えられながら懸命に言葉を紡いでいた。 嗚咽交じりの舌足らずな言葉は、いつもの凛としたヒナちゃんからは想像もできないほど弱々しかった。
「……好きだった。ハヤテ君、私、あなたが大好きだった」
人目も憚らず絞り出すような声でそう告げたヒナちゃんは、彼の冷たい頬を撫でた後、歩ちゃんの肩に縋りつくようにして嗚咽を漏らし始めた。 それを慰める歩ちゃんもまた、ヒナちゃんの前に眠るハヤ太君に想いを告げている。大好きな人を亡くした二人は、お互いを強く抱き締め合って懸命に前を見ようとしていた。 悲しい光景だけれど、二人らしい、すごく強い姿だと思った。私も、前を向かなくちゃいけない。
順番は回って、とうとう別れを告げる時が来た。彼の足元に立っていた私は、微かに震える足を引き摺って彼の隣へと向かう。 そのときハヤ太君の左隣に立っていたナギちゃんが、泣き腫らした目で彼を悲しげに眺めている姿が視界の隅に映った。血が出てしまうのではないかと思うほど噛みしめられた唇が痛々しい。 その唇が微かに開かれて「ハヤテ」と彼の名前を呟いたナギちゃんを見て、彼女はまだ彼とのお別れが足りていないのだと気付いた。 私は大きな瞳から涙を零しそうになっているナギちゃんに笑いかけた。しっかり笑えていた自信はないけれど、一番傷を負っている年下の可愛い友達を見過ごしたらいいんちょさんの名が廃る。
「ナギちゃん、お先にどうぞ」 「え?」 「ナギちゃんはハヤ太君のご主人様だもん。みんなよりたくさんたくさんお別れしないと、ね?」
そう言って手招くと、ナギちゃんは少し戸惑いながらもマリアさんに背中を押されて私の前に立った。そして真っ赤になった目を細めて私を見た。 歪んだ口元も悲しげに潜められた眉も、少しやつれて涙に濡れた頬も、決して笑っているとは言えなかったけれど、ナギちゃんは懸命に私に笑いかけてくれていた。
「……ありがとう」
静かな声でそう告げたナギちゃんは、ヒナちゃんたちもに負けないくらい強い女の子だと思った。引きこもりだったハヤ太君の大切なお嬢様は、すごく立派になっているよ。 私に背を向けてハヤ太君と向き合ったナギちゃんは、こちらにはほとんど聞こえないような小さな声で何か語りかけている。 唯一聞き取れた言葉は、たった二つ。
「今まで、ありがと。ハヤテ、大好きだぞ」 言葉を紡ぎ終えた後ナギちゃんは浅く息を吐いて、ハヤ太君にそっと唇を寄せた。彼の頬に触れるだけのキスをしたナギちゃんは、一言「つめたい」とだけ残してマリアさんの元へと戻って行った。 マリアさんに肩を抱かれて「ハヤテの頬が冷たい。暖かくない」と泣くナギちゃんを、私はただ眺めていた。今慰めるには、私は少し役不足すぎる。 再び泣き出してしまったナギちゃんを見ていると、ふいに肩を叩かれた。振り向くと、そこには美希ちゃんと理沙ちんの姿があった。
「次は泉の番だぞ」 「ちゃんと悔いのないようにな。泉」 「……うん。きちんと、お別れしてくるよ」
本当はお別れなんてしたくないけれど。つい二、三十分前まで彼がいつもの笑顔で起き上がってくれる夢なんて見ていたけれど。 逃げ出したくなる現実と泣き叫びたくなる感情を受け入れて別れを告げたみんなの姿を見ているうちに、私も夢など見ずに彼を見送ってあげようと思えるようになっていた。 かつて彼が素敵だと言ってくれた笑顔で、いつもの明るい私で、彼の旅立ちを送ってあげたい。
「……ハーヤ太くん」
彼の隣に立ち、その穏やかな顔を覗き込む。組まれた手が乗っている胸は、どこまでも静かに、静かに。
「ねえ、ハヤ太君。学校は楽しかった?」 「……そっかそっか。楽しかったなら良かったのだ。いいんちょさんは大満足」 「いっつもハヤ太君にはお仕事とか報告書とか手伝ってもらって、本当に助かってたんだよ。そのお手伝いが無くなっちゃうと思うと、なんだか悲しいな。……すごく、寂しいな」 「……えへへ、しんみりしちゃだめだよね。私は明るいいいんちょさんのまま、ハヤ太君に、お、……お別れするって、決めたんだもん」
口調と口と目元だけは一生懸命いつもの瀬川泉を装った。でも溢れてくる涙と嗚咽は、どうしても止められない。 問いかけても問いかけても、ハヤ太君は一言も返してくれやしない。笑いかけてもくれない。今更ながら、泣き崩れてしまったヒナちゃんの気持ちが痛いほどわかる。 多分、ナギちゃんたちに比べたら、それはとても小さくて穏やかなものだったかもしれない。それでも、私はナギちゃんたちと同じく、彼に細やかで確かな恋心を抱いていた。
「ねえ、ハヤ太君……。むこうにいっても、ハヤ太君は楽しく過ごせるかな」 「ナギちゃんも、ヒナちゃんも、私たちもいないけど、ハヤ太君は楽しく過ごせるかな」 「……ごめんね、なんか心配になるようなこと言っちゃって。でもね、むこうはどんなところなのかなって、思って」 「……ハヤ太君、私ね、お手紙書いてきたの。……お返事用の便せんも一緒に入れておくから、むこうに着いたら、できれば、できればでいいから、お返事欲しいな」
そう言って私はポケットにしまっていた手紙を、彼の懐にそっと滑り込ませた。あの手紙はいつか渡せたらいいなと思いながら、ずっと机の引き出しの奥にしまっていたものである。 書いただけで満足してしまった私はもういない。やっと渡せたのだ。お返事がもらえないとしても、やっと、想いを手渡すことが出来たのだ。 手紙を入れたところに手を添えながら、私は眠ったままのハヤ太君に微笑んだ。唇の震えが止まらないから、酷く歪な笑顔になっているだろう。 それでも、私は笑ってハヤ太君を見送りたい。
「またいつか、絶対にいつか会えるから。その時にお返事、ハヤ太君の口から聞かせてね」
いつの日にか出逢えると信じて、彼から返事をもらえると信じて、私はこれからの日々も変わらず過ごしていく。 学校に行って、理沙ちんたちと笑って、時々ハヤ太君のことを思い出して、暖かで小さな恋心を思い出して、私はその日が来るまで生きていく。
「……ハヤ太君」 「……その日まで、さよなら」
好きだとは告げられなかった。告げてしまえば、お手紙の意味が無くなってしまうような気がした。 ――むこうでお手紙を読んだハヤ太君が、私の気持ちに驚いてくれるといいな。
最後にもう一度ハヤ太君の手を握りしめた。固くて冷たい彼の手は、握り返してくれることなどなくて。 それでもその女の子みたいな滑らかな肌は、私が大好きだったハヤ太君の手だ。 手紙を隠した部分に溢れた涙が一粒落ちた。
私の順番が終わって、理沙ちんがハヤ太君にお別れを言って、次に美希ちゃん、その次、その次――。 たくさんの人がハヤ太君に別れを告げて、とうとう最後の一人が言葉を終えた。とうとう本当のお別れの時が来た。
「それでは……」
遠くにいた男性がこちらに戻ってきて、ハヤ太君の棺に蓋をした。顔だけを見せる形で棺に収まったハヤ太君は、相変わらず気持ちよさそうに眠っている。
「……扉をお閉めしますね」
男性がそう言うと同時に、ゆっくりとハヤ太君の顔が隠れていく。ああ、本当に、これで、これが、ハヤ太君の最後――。 ぱたん、と観音開きの小さな扉が閉まって彼の顔を完全に隠した。目の前にあるのは横たわる彼ではなく、彼の入った棺になった。 彼の頭の先にあった鉄の扉が、重々しい音を立ててその口を開いた。この中に入って、鉄の扉が再び閉まれば、彼は。
男性が何かを言った。もう何を言っていたのか、理解することは出来なかった。ハヤ太君の入った棺を、目に焼き付けていた。 ゆっくりと棺が動いて、ゆっくりと、ゆっくりと、頭から鉄の扉の向こうに吸い込まれていく。そして足の先まですっぽりと収まった時、鉄の扉は再び重々しい音と共に口を閉じていく。 私はその様を唇を噛みしめて見つめていた。見ていた。見ていることしか、出来なかった。
「泉、泣いとけ」 「やだ」 「理沙の言うとおりだ。もう、ハヤ太君には見えないさ」 「……やだ」 「……ちなみに私は泣くぞ」 「……美希と同じく。というかもう既に私は泣いてるぞ。だから泉も、な?」
理沙ちんが私の肩を抱いて、美希ちゃんが私の頭を優しく撫でた。その手があまりにも暖かくて、さっきのハヤ太君の手とは比べ物にならないほど柔らかくて。 ハヤ太君を送る火をつけるボタンが押されたとほぼ同時に、私は張り付けていた歪な笑顔をはぎ取って、理沙ちんと美希ちゃんに抱き着いた。
「ハヤ太君、ハヤ太君、ハヤ太君……っ……!」
彼の名前を繰り返して、私は耐え切れなくなった涙をボロボロと零した。 美希ちゃんたちに縋りついて、子供みたいに泣きじゃくって泣きじゃくって、我に返ったときには私たちは火葬場の外に出ていた。
火葬場の駐車場から空を見上げた。季節は初夏で、空は果てしなく青い。彼の髪の色に、よく似ている。少し強めに吹いている涼やかな風も、まるで彼のようで。 それはまるで彼のために用意されたような、悲しいほどのお別れ日和で。
「あ。美希ちゃん、理沙ちん」 「ん?」 「ハヤ太君だ」
そう言って私が指差したのは、火葬場の煙突から上がった白い煙。風に吹かれてゆるゆると空へと昇って行くあの煙は、きっとハヤ太君だ。 三人で昇る煙を呆然と眺めていた。青い空に吸い込まれるようにして伸びていくその様は、皮肉なほどに爽やかだった。
「私、好きだったよ」
呟いた声は誰に拾われることもなく、風に流されて消えて行った。出来ることならこのまま風に乗って、煙になったハヤ太君に届けばいいなあ、なんて。 楽しくもありふれた日常を、赤く色づけてくれたのは間違いなくハヤ太君だった。燃え上がるとまではいかずとも、心に小さな恋を灯してくれたのは彼だった。 ――それはとても細やかで、たおやかな恋でした。
「大好きだよ」
最果てへ向かう君へ、
「さよなら」
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二本立てその1。居眠り泉と悪戯っ子理沙ちん。 ( No.58 ) |
- 日時: 2013/07/11 18:23
- 名前: 餅ぬ。
忘れ物をしたことを思い出して教室に戻ってくると、夕日の差し込む教室で泉が眠りこけていた。 観察しようと近づいてみる。どうやら日誌を書いていた途中で睡魔に襲われたらしく『今日は』とだけ書かれた真っ白の日誌が、泉の腕の下に広げられていた。 規則正しく響く寝息を聞いているうちに悪戯心が芽生えてきた。何かしてやろうと企んで泉の顔を覗き込むと、そこには想像以上に幸せそうな寝顔があった。 やんわりと微かに開かれた口からは、はしたないけれどちょっとだけ涎が垂れている。日誌に少し垂れているのは、まあご愛嬌だ。 そのあんまりにもあんまりなリラックスした寝顔に、私の悪戯心の黒さが少しばかり薄れた。顔に落書きは勘弁しておいてやろう。
「……いーずみー」
静かに声をかけてみるが、泉はすやすやと夢の中。もー食べられないー、と今時アニメでも言わない寝言を舌足らずに言った後、にへへと幸せそうに顔を綻ばせた。 何を食べているのか定かではないが、その表情から察するにきっとそれはそれは美味しいものなのだろう。それじゃあ、涎が垂れても仕方がない。
しばらく泉の寝顔を眺めていると、僅かに桜と若草の香りを含んだ風が私と泉の間を通り抜けた。 今まで爆睡している泉に気を取られて気づいていなかったが、教室の窓はすべて開け放たれていた。カーテンが風を受けて膨らんでいる。 まさかと思い床を見渡せば、そこらじゅうに桜の花弁がちらほらと落ちていた。一目見た限りでは、結構な量である。泉め、掃除が大変だぞ。 しかし教室が花弁でいっぱいになっていることなど泉本人は知る由もなく、相変わらず気持ちよさそうに小さな寝息を立てている。
「お」
もう一度吹き込んできた風に乗せられて、桜の花びらが一枚こちらに向かってひらひらと舞って来た。私はそれを見上げる。 ゆらゆらと空中で漂った後、その花弁はまるで狙ったかのように泉の頭に着地した。花弁を頭に乗っけて眠る泉の姿は、なんとも間抜けで可愛らしい。 鞄の中からカメラを取り出して、ぱしゃりとフィルムに収める。明日あたり美希にでも見せてやろう。きっとノリノリで恥ずかしがる泉を私と共に弄ってくれるだろう。
カメラを鞄に片付けて、私は再び眠る泉と向き合った。そして耐え切れずに吹き出した。ほんの僅かな時間目を離した隙に、何故か泉の鼻頭に花弁が一枚乗っていた。 ピンク色の花弁で鼻を飾った泉。可愛いけれど、なんともまあ間抜けな姿である。誰もいない教室で一人、私はささやかな幸せに浸りながらくすくすと笑っていた。 さすがの泉も鼻に何かが乗っている違和感には気付いたようで、少し眉を潜めて迷惑そうな顔を浮かべている。ああ、カメラ仕舞わなければよかった。
唸る泉を堪能した後、そろそろ起こしてやるかなと彼女の肩に手を伸ばした。けれど私の手は本能を優先したようで、肩ではなく花弁の乗る鼻へと伸びていく。 親指と人差し指で泉に気付かれないようにゆっくりと花弁を摘まむ。花弁を退かしてやると、泉は少しすっきりしたのか皺の寄っていた眉間を綻ばせた。 再び幸せそうに眠り始めた泉。その寝顔は、陽だまりの中で眠る猫とよく似ていた。すなわち猫好きとしては、手を伸ばさすにはいられない寝顔というわけで。 「……えい」
小さな掛け声と共に、私は泉の小さな鼻を摘まんだ。
「……むー……」
泉の口から不服そうな寝言が漏れた。思わず口元がにやける。ふにふにとした泉の鼻の柔らかさが心地良かった。 しかしここで予想もしていなかった悲劇が起きた。寝苦しそうに眉を潜めた泉は顔を少し上げて私の指から逃れ、何故か私の指に狙いを定めて大きく口を開いた。 ヤバいと察した瞬間と泉の口が閉じたのはほぼ同時で、私は泉の奇襲を避けきれず、そのまま思いっきり、ガブリと人差し指を噛まれた。
「いたたたっ!! ちょ、泉! 痛い痛い痛い!!」
悲鳴を上げると、その騒がしさでやっと泉は目を覚ました。噛みつく力が緩んだ隙に、指を泉の口から引き抜いた。 そんな悲劇が起こっていたとは知らない泉は、のんびりと寝ボケ眼を擦りながら、私を見て緩く微笑んだ。
「んあ……おはよー、理沙ちんー……」
口の端に涎の跡を残しながら、泉は呑気に挨拶をする。春の陽気によく似合う微睡んだ声に、私も痛む指先を摩りながらも思わず微笑んでしまった。
「あれ? 理沙ちん、指どしたの?」
私の異変に気付いた泉が首を小さく傾げる。一瞬お前のせいだ! と怒鳴ってやろうかと思ったが口を噤んだ。泉に悪気はないのだ。というか、私が十割方悪い。 ジンジンと痛む歯形のついた指を隠しながら、私は出来るだけ穏やかに言葉を返した。
「あー、ちょっと猫に噛まれてな」 「え? 猫さん?」 「うん、寝てる猫に悪戯したら噛まれた」
更に首を傾げる泉だったが、私は別に嘘はついていない。
「猫さんが居たの?」 「ああ。さっきまでな」 「えー! 見たかったなぁ。もう、起こしてよ理沙ちん!」
怒ったふりをしながら笑う泉は、その猫の正体が自分だとは全く気付いていないようで。 私もそれに合わせて笑いながら、あえて今まで一言も触れていなかった教室の惨状を泉に伝えてみた。
「で、泉。この教室を見てどう思う?」 「ん?」
私の問いかけに、泉が教室を見渡す。泉の目に飛び込んでくるのは、桜の花びらが一面に広がる美しい光景……もとい、花弁がそこら中に散らばる荒れ果てた教室。 泉の顔が一瞬引き攣った。そしてゆっくりと私に視線を戻しながら、少し歪んだ口元でこう返した。
「……すごく、ピンク色です……」 「だろ?」
にこりと笑ってやるや否や、泉は私の腕にしがみ付いた。そして懇願するような瞳で私を見上げる。
「……理沙ちーん」 「私は窓全開で昼寝してた泉が悪いと思う」
わざと冷たく返事を返すと、泉の瞳がうるりと揺れた。私の心の中に潜むサディスティックな部分と、友達思いでハートフルな部分が葛藤を始める。 噛まれた仕返しに何も手伝わず帰ってしまうのもありだが、それではさすがに友達甲斐が無さすぎる。窓が開いているのに気づきつつ、閉めなかった私にも非があるわけだし。 手伝ってくださいと目で訴える泉に折れて、私は一つため息を漏らした。
「仕方ない。優しい朝風さんがお掃除を手伝ってあげよう」 「ホント!? ありがと理沙ちーん!」
一気に顔を輝かせる泉。本当に単純な奴だと思う。そこが何とも子供っぽくて可愛らしいのだけれど。
「あ、そうだ! 手伝ってくれる理沙ちんにお礼の品を……」
私の手を握って喜びに任せてぶんぶんと振っていたかと思うと、泉は何かを思い出したかのようにいきなり鞄の中を漁り始めた。 しばらくもそもそと鞄を漁った後、あった! の声と共に泉は顔を上げた。そして私の前に嬉々として差し出されたのは、可愛らしいクマさんが描かれた絆創膏だった。 先ほどの猫に噛まれたという話を本気で信じているようだ。やっぱり単純な奴だなぁ、なんて顔をほころばせた瞬間、泉は言った。
「さっき思わず噛んじゃったからねー」 「……ん?」
まさかの泉の発言に、私は笑顔のまま固まる。当の泉も相変わらずの笑顔のまま、私の手に絆創膏を握らせて言葉を続けた。
「にははー、実は気付いていたのだ☆」
わざとらしいほど語尾が明るい。
「……泉、お手伝いの話はなかったことに」 「ダメだよー。女に二言はないのだ!」 「それは私が決めることだろ!」 「もう報酬は支払ったもーん。お手伝いよろしく! 理沙ちん!」
そう言って泉は一際良い笑顔で親指をグッと立てた後、箒を取りに席から立ち上がった。その背中を見送りながら、もう泉も子供じゃないんだなぁなんて感慨に耽った。 やっぱり私たちと付き合っている以上、人並みの悪知恵はつくということか。それはそれでなんだか切ない。子供の成長を垣間見た親の気分である。 小さなため息をつきながら歯形が残る人差し指に絆創膏を巻く。泉のやつ、結構本気で噛みついたようだ。少しばかり腹が立ったが、クマさんの笑顔で緩和された。
絆創膏を貼り終えて視線を上げれば、私を騙せたという達成感からかルンルンと箒を抱えてこちらに戻ってくる泉が見えた。 その姿を見ながら、とりあえず仕返しとして涎の跡は言わないでおこうとひっそりと心に誓った。
【陽だまりの猫と放課後】
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二本立てその2。一途な花菱さん。 ( No.59 ) |
- 日時: 2013/07/11 18:24
- 名前: 餅ぬ。
珍しく用事が重なった理沙と泉が私を置いて先に帰ってしまったのは、もう十分ほど前のこと。一人きりの自由な放課後はとても貴重な時間なのだけれど、如何せん暇である。 困ったことにすることがない。本当は宿題とか補習の課題とかあるんだけれど、提出期限はまだまだ先だし、貴重な自由時間を裂いてまでやることはないだろう。 しばらく教室でぼんやりと時間を無駄にした後、私は本能の赴くまま歩き出した。足は自然とあの人へと向かって行く。暇を持て余す私とは対照的に、今も仕事に追われているであろう、彼女の元へと。
生徒会室へと辿り着くと、私は何をするでもなくソファに座って仕事をテキパキとこなすヒナを眺めていた。文字を書いたり、判子を押したり、時折書類を睨みつけながら悩んでみたり。観察していて飽きることはない。 見ているだけなら何か手伝いなさいと、言われる覚悟はしていたけれど、どれだけ待ってもヒナの口からそんな言葉は出てこない。多分、見た目ほど忙しくはないのだろう。それか私に任せるには少し不安な難しい仕事をしているのか。 仕事をしろと言われないのは嬉しいけれど、構ってくれないとなると少し寂しい。ヒナが私を見たのは、生徒会室に入ってきた瞬間、その一度だけである。 とりあえず存在感をアピールしてみようと、ヒナの真正面に立ってみる。しかしヒナは一向に顔を上げないので、彼女と視線を合わせるべく私はしゃがみ込んで机に顎を乗せて生首状態になってみた。 上目づかいにヒナの表情を覗き込んでみると、少しだけ彼女の唇が弧を描いたのが見えた。あ、私を見て笑ってる。そう思うだけで、私の寂しさは一気に紛れた。我ながら単純である。
「待ってるの?」
書類から目を離さずに、ヒナが言う。人の目を見て話しなさいと小さい頃に習っただろうに。
「待ってるの」
ヒナが私を見ないから、私も彼女の手元に視線を置いたまま返事をする。くすりとヒナの口から小さな笑い声が漏れた。
「暇でしょ、待ってなくてもいいのよ」 「やだ。待ってる」
駄々をこねる子供みたいにそう言うと、ヒナはやっと私の方を見てくれた。少し困ったように笑っている。この困り顔が、私は大好きだ。
「理沙と泉は?」 「用事があるからって、先帰った」
不貞腐れたように言ってみる。実際のところ、別に不貞腐れてなどいない。けれど、こう言った方が彼女がちょっと困ってくれると知っているから、わざと子供じみた行動をしてみるのだ。 案の定私が置いて行かれて寂しがっていると勘違いしたヒナは、また困り顔の中に笑みを浮かべた。けれどヒナは笑っただけで何も言わず、再び書類に視線を戻した。
「……ヒナ、終わりそう?」 「うん。もう少し」
心なしか文字を書くヒナの手つきが、少しばかり速くなった気がした。私を待たせているという焦りからだろうか、と思うだけで何とも言えない幸福感に包まれる。ついでに、ヒナを独り占めしている書類の山に対して優越感も抱いた。 きっとヒナは私が退屈していると思っているのだろう。しかしそれは大きな間違いで、私はこうしてヒナを時折困らせつつ眺めているだけで、十分に楽しかったりする。 私のために早く仕事を終わらせてくれるのは嬉しいけれど、(私だけが)のんびりとした二人きりの時間が終わってしまうのは少し名残惜しい。構ってほしいくせにこの時間が続いて欲しいだなんて、我ながらワガママである。
「ね、美希」 「んぁ?」 「これ終わったら、どこか行こっか」 「え? どこか連れてってくれるの?」 「時間も時間だから、遠くまでは無理だけどね」
まだ明るいし、美希の行きたいところに連れてってあげる。 そう言ってヒナは私をしっかり見据えて笑った。思わず机に乗せていた顔を引っ込めて、ヒナに見えないように両手で頬を包み込む。じんわりと熱い。仕方ない、これはヒナが悪い。
「さて、と。そろそろ終わりそうね」
そう言ったヒナはラストスパートと言わんばかりに、ペンの動きを速めた。再び訪れた静寂の中で、私は未だに熱を帯びている頬を懸命に手の甲で冷やしながら、この後どこへ連れて行ってもらおうかと思案する。 この前駅前の少し入り組んだところで発見した小さなカフェにでも行こうか。泉たちとよく行くジェラート屋さんにでも行こうか。それとも、ヒナに全て任せてみようか。 言ってしまえば、どこでもいいのだ。結局は彼女が居れば私はもうどこだって。こうして考えを巡らせるだけ無駄なのだ。それでも一応考え込むふりをする。迷う私を見て、ヒナが楽しそうに笑うのを知っているから。 彼女の前で、私はどこまでも健気だった。気付かれないように、こっそりと。
【空が青い日の放課後】
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Re: 生徒会三人娘と仲間たちによる短編集。(理沙泉・ヒナ美希小話) ( No.60 ) |
- 日時: 2013/07/11 21:26
- 名前: 原宿の神
初めまして!今日一気に全部読み直しましたので、お初に感想かかせていただこうと思います。
とりあえず読んでみて思ったのは、その場その場の情景描写が神がかってるなということです。
読んでるだけで、実際に登場人物たちがどういう場所にいて、どういう表情で話しているのかが鮮明に思い描けました。
キャラそのものの掛け合いも、コミカルだったりシリアスだったり、各キャラごとの個性を殺さずにそれらの起伏を
表現されているのは、脱帽の一言に尽きます。
特に理沙なんて・・・原作では3人組の中でも1番陰が薄い存在なのに・・・よくもまあここまではっきりとした特徴を掴んで
表現できるなと感心しました。
これらの小説の中で自分的にお気に入りなのは・・・「意味のないデートを繰り返す二人」と「最果て」ですかね。
「最果て」はぶっちゃけ泣きました笑 久しぶりに二次創作で泣かされました。お見事です。
長々と語ってしまいましたが、正直読者としてだけでなく、一人のSS書きとしてもマジでリスペクトです。
これからも楽しみにしてますので、がんばって下さい^^
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Re: 生徒会三人娘と仲間たちによる短編集。(理沙泉・ヒナ美希小話) ( No.61 ) |
- 日時: 2013/07/15 17:37
- 名前: 餅ぬ。
>>原宿の神さん
初めまして、感想ありがとうございます! この長い短編集を一気に読んで下さるとは、嬉しいやら恥ずかしいやら……(笑 そして勿体無いほどのお褒めの言葉、本当にありがたいです。すぐに怠けてしまう性分なので、このようなお言葉が向上欲を持続させる為の何よりの糧になっております。 読み手の方をドキドキハラハラさせるような急展開が中々書けないということもあり、心理描写や掛け合いはできるだけ細かく書くようにしています。なので、原宿の神さんの頭の中でキャラが鮮明に動いてくれたのならば、それはもう何よりも嬉しいことです。 時々細かく書きすぎてまどろっこしくなったり、やたらと文章量が多くなってしまったりするのですが……。
泉よりも少々キャラが掴みづらい理沙、美希に関してはかなり私の脳内イメージが入っていますw 特に理沙なんかは一番好きなキャラということもあり、脳内での脚色も一入なのですが、それほど違和感を感じられていないようでよかったです(汗 また『最果て』と『あの娘のシャンゼリゼ』、お気に召して頂けたようで何よりです! 最果ては原曲を聞いた勢いのままプロットもなしで書き殴ったものだったのですが、その勢いが逆に功を制したようで……(笑 リスペクトだなんて、もう光栄極まって恐縮してしまいます……。 小説の書き方スレをこっそりと拝見しているのですが、原宿の神さんの向上心にこちらこそ尊敬の念を抱いていたり。 私自身、好きなものを好きなように書くという気楽な姿勢でSSを書いているため、議論スレには中々顔を出せないのですが、原宿の神さんを初めとして皆様の議論がとても良い刺激になっております。 ……なんだか自分語りになってしまいましたね、申し訳ありません(汗
それでは、感想ありがとうございました!
(7月15日追記) 原宿の神さんのお名前を間違えていたようで……。申し訳ありません、大変失礼致しました!;;
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Re: 生徒会三人娘と仲間たちによる短編集。(返信とお知らせ) ( No.62 ) |
- 日時: 2013/08/02 22:44
- 名前: きは
- こんばんは、きはです。
前口上は抜きにして、感想に移らせて頂きます。
>あの娘のシャンゼリゼ
ハヤテの一人称で話が進んでいることに、恐ろしいぐらいもどかしさを感じています(笑) 例えば、帰りの道中におけるこの一文。
僕の背に頬をくっつけて、僕の服をぎゅっと握りしめて。 (中略) 余りにも彼女が弾んだ口調で言うものだから。 視界の隅で、無邪気に笑うものだから。 さらに強く、腕に力を入れたものだから。
……ハヤテは鈍感なんだなぁとつくづく感じてしまいました。 こんなことされたら「気があるのかな」と感じるのが、普通の男の子であるはずなのに……。
それに、ハヤテの情緒が小学生並だと感じたモノローグがありました。以下の部分です。
――どうやら彼女には、キスを交わした相手がいるらしい。それは、まあ、言わずもがな、そういうことで。 (中略) しかしその意味のないデートを繰り返しながら、彼女はしっかりと例の相手に躁を立てているわけで。
……「キスを交わす=今も付き合っている」という構図になるのが、いかにもハヤテらしいなぁと感じました。 ちなみに、理沙は「キスしたことあるっていっただろ? あれさ――」と呟いています。完全にハヤテの拡大解釈ではないかと私は捉えていたりします。 どうやらこのお話は、綾崎ハヤテという鈍感をフィルターに通している限り、理沙の真意を汲み取れそうにないと感じました。 そりゃ、作品のレスの題名に(多分)なんて付くはずだよ……。
というわけで、きはが考察という名の妄想で補った理沙視点のお話を、書いてみようと考えているのですがいかがでしょうか。 たぶん、復活の一作目になると思います。更新停止しているのは、もう少しかかりそうなので(汗) 不躾なお願いではありますが、検討していただきたいと願っています。
乱文失礼しました。パソコンの調子が良くなることを祈っています。
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Re: 生徒会三人娘と仲間たちによる短編集。 ( No.63 ) |
- 日時: 2014/02/15 17:38
- 名前: 餅ぬ。
>>きはさん
お久しぶりです。そして返信が大変遅くなってしまい申し訳ありません……。 PCはすぐに治ったのですが、リアルで心身ともに色々とありすぎてサイトには来れても書き込みできない日々が続いておりました。 なんとか落ち着いたのである程度の更新頻度を保ちつつ、残り四話、完結まで書き切りたいと思います!
>あの娘のシャンゼリゼ
書いた本人も後から読んでもどかしさにもにゃっとした作品です(笑 こう、ミステリアスというか自由気ままな理沙ちんが書きたかったはずなのですが、どうしてこうなったのか。 少し鈍感にしすぎたかもと思っていましたが、ある意味小学生並みの情緒が醸し出せてよかったのかもしれません(笑 しかしキス=付き合っているの方程式は自分にも当てはまることなので私も小学生並みなのか!? と少し衝撃を受けていたり←
そしてまたしても嬉しいご依頼が……! それはもう是非とも読ませて頂きたいです!! しかしもう半年近くも前のことになってしまうので、もしかしたらきはさんの事情も変わっているかもしれませんし、無理なさらず「出来れば」ということでお願い致します。 こんな大切なお願いをされているのに、ずっと返信が出来ず本当に申し訳ありませんでした……。
近々更新できれば、と考えていますので今後も亀更新を長い目で見守っていただけたら嬉しいです。 それでは、感想ありがとうございました!
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どんなに成長しても三人揃えばバカに戻るといい ( No.64 ) |
- 日時: 2014/02/15 23:09
- 名前: 餅ぬ。
正面に座る泉の手元には飲みかけのストロベリーシャンパン。 最後の一口が進まないようで、グラスに浮き上がった水滴を指先で弄んでいる。水滴のついた指先で火照った頬を冷やすしぐさに、可愛らしさと何処か泉らしからぬ色気を感じた。 そんな泉の隣に座る美希は、一人涼しげな顔でウーロン茶をちびちびと啄んでいる。 大人な私は深酒なんてしないのさ、とクールぶっていたけれど、ヒナと飲むたびに毎度彼女が泥酔状態になっていることを私も泉も知っている。情報提供者は元担任の酒豪だ。 変わったようで変わっていない二人を眺めながら、私はジョッキの底に僅かに残っていた生温いビールを一気に飲み干した。この苦味の虜になったのは、さていつからだっただろうか。
私がいつの間にやらビールを好むようになったように、変化なんて時間が過ぎれば多かれ少なかれ起きるものだ。私も彼女たちもそれを分かっていた。 変わっていく世界の中でも変わらぬものがあると知っていたから、私たちは移りゆく日々を楽しむことが出来たのだ。 いつも一緒だと思っていた。大学を卒業して離れ離れになった後も、こうして集まってお喋りできればそれでよかった。 大人びていくようで、実際は何も変わっていないお互いを見て笑い合うのが、何よりも楽しかった。就職をしても、結婚をしても、子供が出来ても、泉は泉で美希は美希。私は私のままだった。 大企業の社長令嬢という名を背負いながら、社会人兼最愛の旦那の嫁を立派に努める泉。 のらりくらりと政治家の妻としてと過ごしていると思いきや、いつの間にか自身も政治の世界に片足を突っ込んでいた美希。 そして悠々自適に専業主婦をしている私。私だけスケールがやけに小さい気がするが、唯一子育てをしてるという点で忙しさは二人には負けていない……と思う。
変わらないお互いを知るための小さなお茶会……もとい飲み会は、全く違う道を進み始めた私たちが集うことのできる数少ない大切な手段の一つだった。 月に一度、泉や美希の仕事次第では二月に一度になってしまうが、大学を卒業してからずっと変わることなく続いてきた飲み会だ。 懐かしい思い出話から昨日のドラマの話まで、他愛もない会話を交わす。泉を美希と二人で弄ったり、時々大人な顔をして社会を語ってみたり。 学生時代とは全く変わってしまった私たちの世界だけれど、この飲み会の時だけは認めたくないけれど一番楽しかった「三バカ」時代に戻る事が出来るのだ。 今の環境が嫌だという意味ではない。むしろ、新しい世界は学生時代よりもずっと深くて味わい深い。けれど、変わらない私たちの根本は、やっぱり三バカであることを望んでいるようだった。
月に一度のささやかな集い。ずっと続くと思っていた。お婆ちゃんになって孫の自慢話が出来るような時代まで、ずっと続くものだと疑っていなかった。 けれど、この飲み会は私たちのように、永遠に変わらないものではなかったらしい。どれだけ大切に思おうとも、時の流れには逆らえなかったのだ。
大切な大切な三人きりの小さな飲み会。それは多分、今日で最後になるのだろう。
【変わる世界と三バカ】
「……今日で最後なんだねぇ」
ふいに泉が呟いた。シャンパンの水滴を突くその顔は酷く穏やかなのに、言葉尻には隠しきれない寂しさが滲んでいる。
「最後とか言うなよ。それにもう会えないわけじゃないでしょ」
らしくもなく落ち込む泉に、らしくもなく美希が慰めの言葉をかける。「うぅー」と唸り声をあげて机に突っ伏してしまった泉を横目で見ながら、美希は私に小さく笑って見せた。 丸くなった泉の背中を撫でながら、また会えるさと何度も繰り返す。その言葉は無論私にも向けられているようで、美希と泉の姿も相まって、年柄もなく熱くなった目頭を抑えた。
「……そうだぞ、泉。ずっと会えないわけじゃない。どこぞの執事みたいなお人好しで頼りない旦那さんなんだから、泉がちゃんと支えてやらないと。 それに私たちは泣く子も黙るセレブだ。海外転勤なんかになっても、太平洋くらい自家用ジェットで一っ跳びだろ?」
懸命に平静を装い、いつものようにふざけた口調で泉を慰める。しかし目頭を押さえて斜め上を向く私の姿を見て美希がにやりと口元を歪めた。 一人だけ余裕ぶっているようだが、微妙に瞳がうるんで鼻頭が赤くなってきている。しかし美希本人は気付いていないらしく、彼女のいつも通り振いがさらに私の涙腺を刺激した。 年を取ると涙もろくなっていけない。三年前の同窓会で雪路が言っていたことが、今になって身に沁みた。
「うん……うん……。そうだよね、また、すぐ会えるもんね……。美希ちゃんも、い、忙しいの終わったらまた、いつも通り会える、よね……?」
グズグズになった鼻を啜りながら泉が泣き腫らした目で美希を見た。至近距離で泉と目が合った美希は、思わず視線を泳がせた。 ただ泣きじゃくる泉を直視できないだけなのか、はたまた泉の問いに答えることが出来ないのか。真相は多分、どちらも正解なのだろう。
「ああ、暫くは忙しくなるだろうが、泉が落ち着く頃には私も落ち着いていると思う」 「そっか、良かった……。政治家ってね、なんだか忙しそうだから、もうこうやって飲みに行けないかなって……でも、大丈夫なら、良かった……」
酔いのせいもあるのか、泉は舌足らずにそう言って美希に寄り掛かった。美希の言葉を信じて「にはは」と懐かしい笑みを浮かべる泉。 それを無言で見つめる美希は、私と同じように目頭を強く抑えている。薄く開かれた唇から掠れた声で「ごめん」と紡がれた瞬間を、私は見逃さなかった。 政治の事にはとんと疎い私だが、かつて美希に聞いた政治家の世界とやらはとても複雑で忙しそうだった。今のように月一で、お気楽な居酒屋で集うなんてことは多分――。
「あのねー、私の引っ越しと美希ちゃんのお仕事が落ち着いたら、またみんなで飲み会しようねぇ。それまでに外国の居酒屋さん調べておくのだー」
ふにゃふにゃと笑いながら泉は言う。
「外国に居酒屋さんはないだろ」 「んー……なかったら作る!」 「お、それはいいな。私も協力するぞ、理沙も」 「うむ。お寿司とかおでんとか適当に日本っぽいものメニューに入れとけば外人さんにもバカ受けだろう」 「よーし! あっち行ったら三人で居酒屋さん作るのだー! おー!」
泉の掛け声に合わせて私たちも元気よく拳を天に突き出した。満足げに微笑む泉の目じりに、じわりと小さな涙の粒が浮いてきたけれど、あえて見てないふりをした。 夢物語を語るときはいつだってバカみたいに前向きじゃないといけないのだ。現実を見据えて泣きながら語る夢なんて悲しいだけじゃないか。 美希も私と同じ気持ちらしく、私が手の甲で乱暴に涙を拭う動きに合わせて、小さな嗚咽を漏らしながら悲しい顔をお絞りで覆った。
泉の酔いが程よく醒めるのを待って、私たちは店を後にした。 数年前から贔屓にしているこの居酒屋は、高層ビルの中にあった。十階建のビルの七階にあり夜景を望みながらお酒が飲める小洒落た店だ。本来はダイニングバーと呼ぶべき場所らしい。 まだ少し足取りの覚束ない泉を支えながら、私はちらりと泉の腕時計に目をやった。時刻は十時を回っていた。 そろそろ帰らないと、休日出勤らしい旦那を起こせなくなるかも、なんて考えてしまうあたり、私も随分と家庭に毒されたものだと感じる。 そんな私の焦りを感じ取ったのか、泉は私の顔を覗き込みながら少し寂しそうに笑った。
「理沙ちん、明日も早いの?」 「んー、まあ、なんとかなる。まだ大丈夫だ」 「無理しちゃだめだよー。今日は遅いし、二件目はやめておこう?」
本当は誰よりもまだ一緒に居たいと思っているはずなのに、泉はいじらしくも私を気遣う。そんな可愛らしい泉の頭をわしわしと撫でながら、私は明日を捨てる覚悟をした。
「遠慮なんて泉らしくもないぞ! 本当は一緒に居たいくせにぃ!」 「きゃー! あはははっ理沙ちんやめてー!」 「……そうだぞ、泉、理沙。今日はまだ返すわけにはいかない」
子供のようにじゃれ合う私たちを少し遠巻きで見ていた美希が、妙に真面目ぶった口調で私たちにそう告げる。 私と泉の視線が自分に集まったところで、美希は得意げに口の端を吊り上げながら人差し指をピンと立てて天井を指差した。泉と同時に天井を見上げる。
「……天井がどうかしたの?」 「天井じゃない。屋上だ、屋上。暫くはこうして集えないだろうからな。せっかくだからちょっと特別なことをしようと思って」 「特別なこと?」
首を傾げる泉に、美希は悪戯っぽく微笑みかけた。
「ここ屋上、いつも鍵がかかってるだろう? でも、毎週土曜日だけ鍵が開いてるんだ」 「……で、あれか。忍び込もうってことか」 「ご名答。さすがは理沙、悪知恵は私と同レベルだな」 「うっせい。でも、なんか楽しそうだな」
にやりとした笑みを交換した私と美希は、同意を求めるように泉の顔を見た。きょとんとしていた泉の顔が、少しずつ口元と目元がふにゃりと歪んで私たちとよく似た笑みを浮かべた。
「うん! 楽しそう! それになんだか、昔思い出すねぇ。 ほら、小学生の時、高等部の生徒会の人から美希ちゃんと理沙ちんが時計塔の鍵くすねてきてさー」 「人聞きの悪いこと言うな! あれはちゃんとお願いして借りたんだって何度も言ってるだろ」 「理沙が「生徒会役員に兄弟が居て時計塔に忘れ物しちゃったから取りに行かないと!」って嘘ついてな。 あの時頼み込んだ副会長さんがとんでもなくお人好しで騙されやすかったから出来た芸当だな」 「理沙ちん、そんなことしてたの……」 「……あの時の私は若かったからなあ」 「若さに逃げるなよ。中学も高校も大して変わらなかっただろ?」
人の黒歴史を嬉々として掘り返す美希をじろりと睨みつける。そんな私を見て美希は大層楽しげにふふんと鼻を鳴らした。 こんなやりとりも、昔から何も変わっちゃいない。そして再びどこぞへ忍び込もうという美希の思考回路も、時計塔に忍び込んだ小学生の時から大して変わっていないのだ。 言い訳になるが時計塔に忍び込む計画を嘘をついて実行したのは私だが、計画自体は美希が立てたものである。私だけを悪者にしないでいただきたい。 そして酷く緩い不穏な空気を一刀するかのように、泉がうっとりとした声で私と美希に語りかけた。
「でも、初めて見た時計塔からの景色、綺麗だったなぁ……。 小さかったせいもあるかもしれないけど、高校で生徒会に入ってから見た時よりも、ずっとずっと高く見えて……。なんだか空を飛んでるみたいだった」
言われてみれば、確かにそんな気がする。 思い出補正というものもあるのかもしれないが、幼い私たちが見渡した憧れの時計塔からの景色は、当時見たどんな世界遺産よりも美しかった。 夕暮れの中、遠くに見える大都会は灯りだしたネオンで明るく輝いていて。あの頃の私たちは、そんな街の中に自分が溶け込むなんて思ってもいなかっただろう。 高いオレンジ色の空に、濃い群青色を照らす色とりどりのネオン。忘れられないほど美しい景色だったのに、どうして今まで忘れていたのだろうか。
「ああ、確かにすごく綺麗だった。……なんで今まで忘れてたんだろうな」 「私も今思い出したよ。ついでに理沙、忘れてたのは多分景色よりも忍び込んだ後、先生に死ぬほど怒られた方が印象に残ってるからだと思うぞ」 「……あーー。お前、ホントやめて。せっかく感慨深く昔を懐かしんでたのに……」
頭を抱えた私の顔を覗き込みながら、泉はにははと笑い声をあげた。「えー? 怒られたっけ?」などと呟きながら、先生の怒号を思い出して顔をしかめる私を楽しげに見つめてくる。 同じ思い出でも印象に残る部分は三者三様らしい。だからこそ、三人で語る思い出話はいつだって新鮮味に溢れているのだろう。 泉の一言で蘇った遠い日の思い出に暫し浸った後、私が落ち着いた頃を見計らって美希が再び屋上を指差した。
「じゃあ、そろそろ行くか。屋上」 「わーい! 行こう行こう!」 「……怒られないだろうな?」 「理沙、何弱気になってるんだ。らしくない。大丈夫、先生はもういない! 怒られるとしても警備員くらいだ!」 「そっちの方が怖くないか!?」 「冗談だ、冗談。それに屋上に入っても私が居れば多分怒られないぞ。このビル、うちの父のらしいから」
さらりとそう言ってのけて、美希は私に寄り掛かっていた泉の手を引いて泉を元気よく歩き出した。確かに身内のビルなら安心だ。だがスリルが減ってしまったのが悔やまれる。 しかし現在の美希の立場上、ちょっとした悪ふざけも出来ないのだろう。当たり前のことだけれど美希も変わったなぁなんて悲しくなる自分が、少しばかり嫌になった。
美希と泉の三歩ほど後ろを歩いていたが、未だに時折足元がふらつく泉を体の小さな美希が支えるのは少々辛そうで、気付けば私も泉を支える為二人と並んでいた。 泉を真ん中にして下らない会話を交わしながらエレベーターを目指す。エレベーターまではほんの僅かな距離なのに、会話は途切れることを知らない。 最後だからと無理に話を広げているわけではない。終わってしまう今日を名残惜しんでいるわけではない。ただただ三人が楽しいだけなのだ、と、自分に言い聞かせた。 せっかくの飲み会、それも久しぶりに美希の突拍子もない計画を実行している最中だ。センチメンタルな気分になんて浸りたくはない。
エレベーターに乗り込むと泉がすかさず九階のボタンを押した。そういえば生徒会室へ行くときも、エレベーターのボタンを押すのはいつも泉の役だった。
「えへへー、ボタンを押すのは私のお仕事だからねー」
ほんのりと赤い頬で笑いながら、泉は小さく胸を張る。呆れたように笑う美希はそうだったな、と優しく一言だけ呟いた。 そんなやりとりを見ていただけなのに、私は再び喉の奥からせりあがってくる嗚咽と戦う羽目になった。本当に涙もろくなったものだ。寄る年波には勝てないということなのか。 九階で止まったエレベーターを降り、美希に先導されるまま屋上に繋がる階段へと向かう。展望台になっている九階は人の気配も音も無く、足音だけが痛いほどに響いた。 心配していた泉の酔いは随分と醒めてきたらしく、しっかりとした足取りで私の隣を歩いていた。これなら階段も何とか上れそうだ。 暫く歩くと屋上へ続く階段の前に辿り着いた。非常灯だけがぼんやりと階段を照らし出しており、なんとも不気味である。先ほどまで柔らかく綻んでいた泉の顔も少し硬くなっている。
「……それじゃ、行くか」
意を決したようにそう言うと、美希は足が竦みかけていた泉の手を引き階段を上りだした。空いていた左手で私を手招きながら暗闇へと溶けていく。 少々戸惑ったが「ひえぇ」と泉の情けない悲鳴を聞いた途端怯えている自分が馬鹿らしくなって、年甲斐もなく駆け足で美希たちの後を追った。 二つほど階段を上り終えると、弱々しい蛍光灯に照らされた緑色の重たげな扉が私たちを待ち構えていた。 暫しドアを眺めた後、一歩前に出た美希が錆び付いたドアノブを躊躇なく握り、軽く捻った。がちゃりと重たい音を響かせて、緑色のドアが開く。 ドアの隙間から吹き込む風に髪を乱されながら、美希は得意げに私たちを見下ろし、にやりと笑った。
「ほら、開いてるだろ」
そう言った美希は扉を勢いよく開いた。吹き込んできた強風に思わず顔を背けたが、扉の向こうに立つ美希を目がけて、私と泉はほとんど同時に残り二段の階段を駆け上がった。
屋上に出てみると、当たり前だがそこには都会の夜景が広がっていた。いつも七階で見ている景色よりも遥かに高くて、ネオンも遠い。 濁った空に星なんてありゃしない。星は全て下に落ち、ギラギラと下品なほど鮮やかに夜の街を彩っている。正面を見れば、同じ背丈の高層ビルが視界を遮った。 ため息が出る程美しい夜景なんて、ここにはなかった。しかし、地上で見れば煙たいだけのネオンを素直に綺麗だと思えたのは、いったいいつぶりだろうか。 かつて時計塔で見た夕暮れは、それはそれは美しくて、幼い私たちに空を飛べると夢を抱かせてくれるほど優しい景色だった。遠くで灯るネオンも大人への憧れの象徴となった。 しかし大人になって忍び込んだ先に見た光景は、昔のように夢を抱かせてくれるというわけではなく、ただただ現実の違った側面を見せてくれるだけだった。
それでも十分に満足してしまうあたり、私たちはとっくの昔に夢なんて見れなくなっていたのかもしれない。 先ほどセンチメンタルにはならないと誓ったはずなのに、ついつい物悲しい気分になってしまった。綺麗だと素直に騒げなくなった私は、自分が思っていた以上に変わって――。
「うわー! すごい、すごいね! 美希ちゃん、理沙ちん! ほらほら、下に夜空があるみたい!」 「あああ!! 泉! フェンスから乗り出すな! 落ちるぞばか!」 「にははははっ! だいじょーぶ! 心配性だなぁ美希ちゃんはー」
遠くで大人げなくはしゃぐ二人の声が私の纏っていた大人の雰囲気をぶち壊した。酔っ払いのにはははー! という高笑いと美希の本気の焦り声が耳をつんざく。 本当は昔のようにバカ騒ぎする二人の様が嬉しいくせに、認めるのが気恥ずかしくて、誰も見ていないけれど眉をしかめて二人を見る。 そこには子供のようにフェンスの下を覗き込む泉と、長い髪を振り乱しながら懸命に泉を羽交い絞めにしている美希が居た。思わず吹き出した。 その笑い声で一人安全地帯で安らぐ私を発見した美希が、必死の形相と叫び声で私を呼びつける。
「理沙ああっ! 笑ってないで泉を止めろ! この子まだ酔っ払ってるぞ!」 「だって楽しいんだもーん! 空が下にあるから飛べるのだー!」 「飛ばせてたまるか! 早まるな!」 「あいきゃんふらい!」
はたから見ていればしっかりフェンスを握る泉に飛び降りる気が全くないのは明白だ。それを戯言だと流せず本気で心配する美希の姿は日頃の冷静さも相まって妙に可愛らしかった。 堪らず二人の元に駆け寄って、私も美希ごしに泉の腰に抱き着いて止めるふりをした。私と泉の間に挟まれた美希から「うぎゅっ」と苦しげな声が漏れた。
「にははっ理沙ちんも来た! ほら、見て見て! お星さまが下にあるのだー!」 「おー、本当だな。これなら私も飛べる気がする!」 「理沙、泉を煽るな! 本当に飛ぶぞこの酔っ払いは!」 「泉ー! 飛ぶときは私たちも一緒だぞー!!」 「わーい! うぃーきゃんふらーい!」
大人三人が高校時代……否、小学生でもおかしくないようなじゃれ合いを繰り広げる。笑い声も歓声も叫び声も、全てが夜に溶けていく。 美希と泉の肩ごしに見る真下の夜空は、先ほど一人で眺めていた時よりもずっと美しくて。思わずため息が漏れた。 そうだ。きっと、どんなにありきたりな景色でも、この二人が居れば素晴らしいと思えるのだろう。思える日が来るのだろう。
「すごいなぁ、泉、美希ー」 「うん、すっごく綺麗! すごいねぇ、すごいねぇ!」 「な、すごいだろ? 綺麗だろ? 私に感謝しろよ二人とも」
すごいと綺麗だけが繰り返される語彙の少ない感嘆の声。しかしお互いに感動を伝えあうには、それで十分だった。 小さな子供のように三人でぎゅっと肩を寄せ合い抱き合って、一緒に空を見下ろすだけで全てが伝わるような気がした。
「ねぇねぇ、美希ちゃん、理沙ちん。私、遠くに行っても絶対戻ってくるからね。そしたらまた、ここに忍び込んじゃおう」
無邪気な口調で泉が言う。後ろからその横顔を覗き見ると、唇を噛みしめて今にも泣きだしそうな泉の姿があった。 美希ごしに泉の肩を抱きしめて「絶対にまた来よう」と独り言のように呟いた。真ん中に挟まれた美希は無言のまま小さく震えている。
「な、美希もすぐに暇になるよな? 面倒くさいの嫌いだし」 「……当たり前だ。面倒くさいのはゴメンだからな。すぐ……すぐに、また、こうして、皆で……」
ずず、と鼻を啜りながら美希は泣きっ面を隠すように泉の背中に顔を押し付ける。多分、泉の背中は大層大変なことになっているのだろう。 かくいう私も涙と鼻水の嵐に見舞われているのだが、彼女たちを後ろから抱き締めている側なので二人が振りかえらない限り顔を見られる心配はない。 それを良いことに私はぐずぐずと嗚咽を漏らし始めた二人に、まるで泣いていないようなふりをして優しく語りかけた。
「月に一度の飲み会が無くなっちゃうだけだ。私たちは何にも変わらないよ。 半年後でも、一年後でも、何年後でも、またこうして集まればいつもの私たちなんだからさ。 飲み会が無くなろうが、会える回数が減ろうが、一緒に過ごした思い出は変わらないだろう?」
振り向いた二人の少し驚いた瞳が、我ながららしくもなく良いことを言ってしまった私を見つめる。少し照れくさくなって視線を逸らすと、美希と泉が同時にクスクスと笑いだした。 人の顔を見て笑うとはなんて失礼な奴らだ。そんな思いと今さら込み上げてきた気恥しさを込めて、再び二人をきつく抱き締めた。また挟まれた美希がぐえ、と呻き声を上げる。
「人が良いセリフ言ってるのに笑うなよ」 「だって理沙ちん、顔ぐっちゃぐちゃなんだもん。どんな涼しい顔してるのかと思いきや!」 「うるさい。お前らが泣いてるのに私だけが泣かないわけがないだろ!」 「それに理沙は気づいてなかったみたいだけど、完全に涙声だったからな。こっちの涙が引くほど後半とかもうボロボロだった」 「そう言うことは泣きやんでから言え。美希だって泉の背中で鼻かんでたくせに」 「えっ!? うそ! 美希ちゃんマジで!?」 「すまん、マジだ」
いやー! と叫び声をあげる泉を見て私と美希は満足げに微笑み合った。別の意味で泣き出した泉とにやにやと笑う美希の姿は、本当に何も変わっちゃいない。 月に一度の大切な飲み会は、今日で終わってしまうけれど。泉も遠くへ行ってしまうけれど。美希も私たちには想像できない多忙な世界へ行ってしまうけれど。 何気ない夜景に無邪気に夢を抱ける時代はとうの昔に過ぎ、それと同時に三人で思い出を重ねる時代も終わってしまって。 けれど、この先何十年経っても、幼い頃から交わしているこの馬鹿げたやり取りだけはきっと変わる事の無いままで。
いつか再び集うときは、成長してきた部分を全て投げ捨てて馬鹿な三人でまた会おう。 夜空を見下ろして小学生みたいに飛べる飛べるとふざけ合った今日を、思い出話に出来る日は、きっとそう遠くないはず。
変わらない私たちは、バカみたいに真っ直ぐに、そう信じている。
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とんでも設定。三人揃わないと絶対嫌なワガママ娘たち ( No.65 ) |
- 日時: 2014/10/25 13:37
- 名前: 餅ぬ。
クーラーの設定温度は二十八度とちょっと高め。一昨年から出しっぱなしの扇風機を部屋の隅から引きずり出して回す。 やたら埃くさい風が汗で張り付いたTシャツと肌の間を通り抜けていって、なにやらバタバタと騒がしい。 しかし風を浴びてもなびく髪が無いというのは、案外少し寂しいものだ。長年伸ばしていた髪を気まぐれに切り落としたのはつい先日のことだった。 短く切りそろえた髪を指先で弄りながら、私は埃くさい風を顔面に浴びる。首元は涼しいのだが、初めて作った前髪が非常に鬱陶しい。 鬱陶しさに耐えかねて、テーブルの上に無造作に放り出してあった長年愛用のカチューシャを装着する。当たり前だが、実によく馴染む。
額に浮かぶ汗をシャツの肩口で拭って、風に吹かれてパラパラとジッとしていないもみあげを耳にかける。 その動作を三度繰り返したらやっと汗も心も落ち着いて、私は部屋の隅に居座る彼女を見た。
汗なぞ一つもかいていないコイツは前にここで死んだらしい。
そのときは今みたいに夏ではなく、まだ暖かくなり始めた春先だった。だから彼女はいつだって、厚手のカーディガンを身に纏っている。 夏はきらいだな、早く春になってほしい。そう呟くと、彼女は彼女らしからぬ穏やかな笑みを浮かべた。
「ん? 理沙。お前、昔はそんな風に笑ったか?」
夏の亡霊は私の声なんて届いていないように顔を伏せ、きっちり足をそろえてお行儀よくソファに座っているままだった。 彼女は目の前に現れてから一度も私の問いかけに返事を返してはくれない。姿はここにあれど、やはり彼女は彼岸の人というわけか。
私はこの人生になる前の人生を知っていた。前世、というものではなく、ひとつ前の世界とでも言った方がいいかもしれない。 胡散臭いことこの上ないが、私は一度目の人生を順風満帆に終えてからずっと、二十数年間をループしているのだ。 そして幾度どなく繰り返してきた短い人生の中で、たったの一度も理沙と泉に出会ったことはない。たとえどちらかに運よく出会えても、そのうち一人は必ず欠けていた。
一人ぼっちはいやだった。二人ぼっちもいやだった。三人一緒がよかったのだ。 きっと一度目の人生の記憶が無ければ、こんな苦しみを感じることなんてなかったのだろう。 しかし私の脳は彼女たちと笑い泣き、ともに息をしていた日々を色鮮やかに覚えているわけで。 あの美しい日々を、もう一度過ごしたかった。 しかし目の前の亡霊は前の世界の姿のままで、新しい人生を与えられることはなかったのだ。この世界で三人が揃うことは決してない。 形だけが存在する彼女は、もしかしたら前の記憶なんてないのかもしれない。唇を噛む私とは対照的に、穏やかに目を細める彼女の顔がそう物語っている……気がする。 目の前の彼女は単なる幻影で、虚像で、大好きだったのだけれど、私のため息と共に揺れて消えた。 彼女が居た場所を、なぞるように見つめる。もう一度小さなため息をついた。 それとほぼ同時に、傍らに置いてあったスマホがぶるりと震える。ゆっくりと画面を開くと、そこには思った通り、泉からのメッセージが表示されていた。
『今回は理沙ちんがいなかったね。それじゃあ、先にいってます』
ああ、と返事とも嗚咽とも分からぬ声が漏れた。先にいった泉を想って、私はスマホの画面を手のひらで優しく撫でた。 そして再び視線を彼女のいたところに戻し、薄らと作り笑いを浮かべて見せた。誰も見てはいないのだけれど。
「ねえ、理沙、泉。あと何回繰り返したら一緒になれるんだろうね。……ねえ」
ただ私たちは、また三人で一緒に笑いたいだけなのに。
その日私は首を吊る。 希望への自殺を繰り返す。 今回の人生でも、泉以外で唯一仲良くしてくれた桃色の髪の想い人にごめんなさいと心の中で謝った。 叶わぬと分かっている恋よりも、私は彼女たちとの美しい日々を選んだ。これはもう、毎度のことである。
「逢いたい、逢わせて」
書き殴りの遺書にはそう書いた。それだけだった。
○ ○ ○
肌寒い日々が続いている。三月だというのに、春はまだまだ遠い。 愛用のカーディガンを未だに脱ぎ捨てられずにいる私の目の前には、季節外れの薄いTシャツ姿の親友とワンピース姿の親友がお行儀よく並んで座っていた。 見慣れた懐かしい笑顔と、見慣れぬ懐かしい笑顔を見て、私は一人呟いた。
「ん? 美希。髪切ったのか」
返事は返ってこなかった。まあ、亡霊が返事をするわけなんてないのだけれど。
「……また、逢えなかったなあ」
ゆらりと消えた二人を見送った後、そうひとりごちて、私はその日首を吊った。 次こそは、また、次こそは。それだけを願って、私は一人ぼっちで死んだ。
【いつか、また】
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Re: 生徒会三人娘と仲間たちによる短編集。(とんでも設定鬱話更新) ( No.66 ) |
- 日時: 2015/02/11 10:11
- 名前: 明日の明後日
- ぎゃぁああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!←餅ぬ。さんが旧ひなゆめの某書き手さんであったことを知ったときの心の叫び
こんにちは、明日の明後日です。「初めまして」というべきか否か少々迷いましたが、ここはあえて「お久し振りです」と言わせてもらいます。 旧ひなたのゆめでは数度に渡って感想のやりとりをさせて頂きましたが、覚えておいででしたら光栄です。 チャットルームで餅ぬ。さんが旧ひなゆめの某作家さんだという情報を聞きつけ、ここの掲示板で検索を掛けたところ闇鍋劇場がヒットしまして確信しました。 更に本短編集の目次に目を通したところ再録ということで見覚えのある名タイトルが4つほど見られて確信度が加速しました(意味不明
大急ぎで、という訳にはいきませんでしたが旧作含め、本掲示板上にあるお話は全て読ませて頂きました。 一言で表すとするならばやはり『さすが』としか言いようがありません。 表現力、発想力、展開力(?)、どれをとっても段違いと言えるレベルの差を感じさせられました。書き方議論スレで偉そうに持論を展開したことが恥ずかP>< 餅ぬ。さんと言えば鬱SSがやはり印象的ですがその実、感動系、ハートフル系、ギャグ系、日常系、と何でもござれな書き手さんだったと記憶しています。 本短編集ではそれらに加えて新たに変態系SS(>>55の虎徹)にまで範囲が拡大されたようで、驚嘆を隠し切れません(笑
本短編集は生徒会三人娘が中心であるということで、その性質故か顕著に感じたのが、餅ぬ。さんの人物の動かし方の上手さ。 三人娘中心という性質上、人物が三人以上登場するお話がザラですが、登場人物の各々がきちんと役割を振り分けられており、かつそれを予定通りに適切に消化していけるように文章やお話の展開が構成されているように思えました。監督の指示通りに選手が動けば作戦は成功するとはよく言ったものです(笑 私はココ最近は一つのお話の中に主な登場人物は二人までのお話しか書いていないのですが(昔はそうじゃなかったとは言ってない)、その主たる理由は人物が増えるとそれぞれの動き(心理的にも物理的にも)の制御・管理が難しい、というところにあります。 そこをサックリとクリアしてしまうあたり、餅ぬ。さんはやっぱりすごいな、と思う訳です(もちろん、じっくりと推敲して文章その他諸々を練り上げた結果なのだとは思いますが)。
心理描写やら情景描写やら各話への感想やら、他にもいろいろと書きたいことはたくさんありますが、まとまりを欠くことになりそうなのでこの辺で。 各話への感想は後日、改めて送らせて頂こうと思います。
では失礼します。明日の明後日でした。
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