ピュアピュアないいんちょさんとちょっと嫉妬深いハヤテ君 ( No.34 )
日時: 2013/03/17 00:26
名前: 餅ぬ。

【だって、大好きなの!】



 生徒会のお仕事は大変だし、日誌を書くのは少し面倒くさい。でも最近ちょっと好きになった。理由は簡単、大好きな人と二人きりになれるから。
 私の好きな人はびっくりするほどお人好し。美希ちゃんと理沙ちんに置いて行かれて、一人仕事に追われる私を見かけると必ずと言っていいほどお手伝いをしてくれるのだ。
 クラスメイト達は帰宅したり部活へ行ったりして、教室からどんどん姿を消していく。最後に残るのは、もたもたとお仕事を片付ける私と、そんな私を優しい笑顔で見守る彼。
 お日様が傾いて少しだけ暗くなった夕暮れの教室の中で、私と彼だけが息をしていた。他愛もない会話も、会話が途切れた沈黙さえも、彼に恋する私にとっては堪らなく幸せな瞬間だった。
 ふと目が合って、にははと笑う。ハヤ太君もつられてちょっぴり照れくさそうに微笑む。この笑顔の交換に、確かな愛情は含まれていないけれど、ほんのり甘い恋の味がした。
 彼は鈍感さんだから、私が想いを告げない限りは何の進展もないのだろうなぁ、と笑い合いながらいつも考えていた。でも、そんな鈍感な部分も私が好きになった彼の一部だから、特に不満は感じなかった。
 ずっと続く片想いだと思っていたし、片想いでも良いと思っていた。けれど、もしも願いが叶うなら、難しいことだと分かっていても、やっぱり彼と両想いになりたかった。
 高望みしすぎだよね、片想いで十分幸せだよ、と自分に言い聞かせて、私は揺れる恋心の真ん中でゆらりゆらりと漂い続けていた。甘くて苦い恋の旅は、ほんのちょっぴり苦しかった。
 ビターチョコみたいな恋心を胸に秘めてこれから先も彼を見つめ続けていくのだと、告白する勇気のない私は、ずっとそう思い込んでいた。



 だからね、いきなり好きだと言われたときは、それこそ比喩ではなく、驚きと嬉しさと幸せで、私は死んでしまいそうになったんだよ。



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 いつも彼女の仕事を手伝っていた。色んな意味で要領のいい花菱さんや朝風さんは、仕事があると察するや否やいつもすたこらと何処かへ行ってしまうので、彼女はいつも一人で仕事をこなしていた。
 例の二人とは違いあまり要領がよろしいとは言い難い彼女が、懸命に仕事や日誌に向かう姿を見ていると、どうしてもついついお節介をかけてしまうのだ。
 お手伝いしますよ、と僕が話しかけると、彼女は心の底から嬉しそうな笑顔を向けてくる。一種の幼ささえ感じさせる純粋なその笑みは、知らず知らずのうちに僕の心の深い部分を照らしていった。
 クラスメイト達が誰一人としていなくなった夕暮れ時の教室で、他愛もない会話を交わす。時折訪れる沈黙も何故だか酷く心地良く、気まずさはなかった。彼女の笑顔がいつだって、教室中を満たしていたのだ。
 ふと目が合って、瀬川さんがにははと笑う。その屈託のない笑顔を間近で見て、ついつい照れくさくなってはにかんだ笑顔を浮かべる。細やかな笑顔の交換に、ほんのりと甘い何かを感じ始めたのはいつからだろうか。
 お嬢様は相変わらず学校へ中々行こうとせず、来たとしても何かしらの理由をつけて早退することが多い。だから放課後は、僅かな僕の自由時間になることが多かった。
 その放課後の半分近くを瀬川さんに費やしていることに気付いたとき、漠然とだが、自分の気持ちに感づいた。多分、僕は瀬川さんが好きである、と。
 気付いた当初、片想いで済ますつもりだった。告白したところで生来の不幸体質から叶う気はしなかったし、何より僕はお嬢様に遣える身。勝手な行動は憚られた。
 しかし、彼女の笑顔を見るたびに、日誌を書く真面目な横顔を見るたびに、あやふやだった気持ちは少しずつ形を確かにしていく。情熱家というわけではないが、この衝動を抑えるのは日に日に難しくなっていった。

 そしてその日が来た。いつものように彼女の仕事を手伝っていると、偶然沈黙が訪れた。僕と彼女の呼吸音だけが教室を満たす。相手の鼓動さえ聞こえてきそうな静寂の中で、僕はじっと彼女の笑顔を見ていた。
 小首を傾げて照れくさそうに笑う彼女が愛らしくて、思わず、ぽろりと秘めていた気持ちが口から溢れた。
 

「好きです」

  
 その言葉を発した途端、彼女の笑顔がどんどん強張って、大きな丸い瞳をさらにまん丸く見開いて、見る見るうちに耳の先まで顔を真っ赤に染め上げた。
 戸惑っているのだろうな、と自分の発した無責任な言葉を後悔していると、彼女が俯く僕の手を強く強く握りしめてきた。顔を上げると、そこには目一杯にキラキラ輝く涙を溜めて、一際素敵な笑みを浮かべる瀬川さんの顔。
 そして、僕の手を両手で強く優しく握りしめながら、涙を頬に伝わせながら、


「ありがとう、ハヤ太君。……私も大好き」


 そう、優しい声で告げたのだ。



 嬉しくて死んじゃう。涙ながらに呟いた彼女のその笑顔を見て、僕も胸をギュウと絞めつけられて、それこそ比喩ではなく、死んでしまうそうになったのです。




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 彼が告白してくれたその瞬間から、その一瞬で、世界が変わった気がした。それが気のせいでないと気付いたのは、次の日の朝。いつも見ている朝日が、この上なく美しくて。
 一日の始まりがいつも以上に楽しく感じて、笑顔も自然と溢れてきた。告白されちゃった! と独り言を呟くと、その気恥ずかしさと嬉しさに心をやられて、思わず布団に顔を押し付けて身悶えた。
 学校へ行く。彼と目が合う。にっこりと微笑みかけてくれた。私もそれに笑顔で答えて、ひらひらと手を振る。ちょっとだけハヤ太君の顔が赤く染まったのを見て、私も少し耳のあたりが熱くなった。
 隣でその様子を見ていた美希ちゃんと理沙ちんが、何かを察したらしく、私の肩を二人同時に力強く叩いて、意味深な笑顔を向けてきた。

「おめでと、泉」
「よかったな」

 たった二言だったけれど、二人の優しさがじわじわと身体中に広がった。ポカポカしてきた身体と心を持て余して、その衝動を二人に抱き着くことで発散した。
 照れくさそうにしながらも抱き返してくれる美希ちゃんと理沙ちんの手がまた暖かくて、昨日みたいに泣き出しそうになってしまった。
 幸せ、幸せ! みんながみんな、日常風景の全てがきらきら綺麗に輝いて見えて、何もかもが愛おしくなった。


 ちょっぴり不幸体質で、お人好しで、面倒事をすぐに背負ってしまうハヤ太君。そんな彼と行く道はきっと大変なのだろうけど、きっと私は大丈夫。そんな根拠のない自信が私の中で芽生えていく。
 これから起こることも、彼のことも、どんなことも、すべてを受け入れて、この愛しい世界を彼と共に歩いていくのだ。



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 彼女に好きだと告げたその日は、お嬢様の元に戻ってからもぼんやりとしたままだった。何もかもがふわふわと、まるで彼女の笑顔のように美しく見えた。
 これが幸せなのだと感じる。思わず顔が綻んだ。ニヤけ面をマリアさんとお嬢様に目撃されて、訝しげな視線を顔面に受けた。しかし顔を引き締めようにも、どうしても口元が緩んでしまう。
 しかし、きっとこれから大変なのだ。執事という身の上でありながら、恋愛ごとに現を抜かしてしまったのだから。もしかしたら、お嬢様にお暇を出されてしまうかもしれない。
 悪い考えが頭を巡る。すぐにネガティブになってしまうのは僕の悪い癖だ。緩んでいた口元も自然とギュッと引き締まっていた。輝いていた世界が、少しずつ現実に戻っていく気がした。
 それでも、僕の脳裏の片隅には涙を溜めて満面の笑みを浮かべる愛らしい彼女の顔がある。それをふと思い出すだけで、暗くなっていた心は一瞬で照らし出されるのだ。

 学校へ行く。お嬢様は何やら朝からご機嫌斜めで今日もお休みだ。彼女が教室に入ってきた。にっこりと微笑みかける。彼女も笑いながら手を振る。いつも見ている彼女のしぐさが、妙に可愛らしく見えて少し顔が赤くなった。
 しばらくすると瀬川さんの元から離れた花菱さんと朝風さんが僕を取り囲んだ。そして意味深な笑顔を浮かべながら、僕の肩を二人同時に力強く叩いた。

「大切にしろよ、ハヤ太君」

 そう言ったのは朝風さんで、心底嬉しそうな顔をしていた。あまり感情を表に出さない印象の彼女だが、そのニヤついた顔からは幼馴染の恋を祝福する彼女の心が見て取れた。

「罪な男だなぁ。ハヤ太君は」

 そう言ったのは花菱さん。嬉しそうな顔をしてはいるが、朝風さんと比べて少しばかり複雑そうな印象を受けた。それでも、滅多に見せない花菱さんの笑顔は、本物だった。


 きっとこれからたくさんのことが起こるだろう。僕の体質的にも、立場的にも。けれど、彼女とならどうにかなるような、そんな根拠のない自信が僕の中で芽生え始めた。彼女がいれば、きっと大丈夫。
 根拠のない自信を抱いたその時、ほかのクラスメイトに微笑む彼女の横顔がふと目に入った。その瞬間、今までに抱いたことのないヘンテコな感情が心の中にもやりと広がった気がした。



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 彼と付き合いだして暫く経った。ハヤ太君じゃなくて、ハヤテ君になった。「た」を「て」に変えるだけなのに、こんなに恥ずかしいなんて。
 でも照れながらも名前で呼んだ時、「はい!」って元気よく返事してくれたハヤテ君が面白くて可愛くて、思わず笑っちゃった。
 彼のあの嬉しそうな顔、多分一生忘れない。


 
 彼女と付き合いだして暫く経った。瀬川さんじゃなくて、泉さんになった。下の名前で呼ぶだけなのに、意識してしまって妙に照れ臭かった。
 遠慮がちに彼女の名前を読んだとき、僕よりも照れくさそうに「はーい」と笑顔で答えてくれた泉さんが堪らなく愛おしかった。
 この笑顔を、僕だけのものにしたいと、はっきり思った瞬間だった。



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 目の合う回数が増えた。会話をするとき以前よりも、顔を近づけて話すようになった。私が何か失敗すると、手を差し伸べるだけじゃなくて、頭を撫でてくれるようになった。
 彼の笑顔がちょっと私に似てきた。彼が私にだけ、少し不満げな顔を見せてくれるようになった。少しだけ、彼が我が侭を言ってくれるようになった。
 愛してる、ってたくさん言ってくれるようになった。
 


 目の合う回数が増えた。彼女をもっと近くで見たくて、会話のとき顔を以前より近づけるようになった。慌てていたり困っている彼女を見ると、つい頭を撫でてしまうようになった。
 花菱さんたち曰く、笑顔が彼女に似てきた。他の人に笑顔を向ける彼女に、少し焼きもちを焼くようになった。もっとそばに居てほしくなった。独りが、怖くなった。
 愛しています、ともっとたくさん伝えたくなった。



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「ねえ、泉さん。僕の愛は重いでしょう?」

 私のお仕事をいつものように手伝いながら、ハヤテ君が悲しげにそう言った。だからついつい最近の彼の癖を真似して、俯いた彼の髪の毛をもしゃもしゃと乱暴に撫でてあげた。
 水色の髪の毛は意外と柔らかくて、私の指の間をするりと通り抜けていく。その心地よい感触とハヤテ君の照れくさそうな困り顔も相まって、少し癖になってしまいそう。
 ハヤテ君もこんな気持ちで私の頭を撫でていたのかな、と考えると少し嬉しくなった。そして、頭を撫でながら彼の問いに答えてあげる。

「ぜーんぜん。むしろちょっと重いくらいじゃないと、いいんちょさんは信用しませんぞ」

 ふざけた口調で言ってみたけれど、実はほんの少し本心が入っていたりする。ハヤテ君は女の子に人気があるから、彼女の立場として心配の種が尽きないのだ。
 いくら鈍感さんでも、彼はびっくりするほどお人好しで優しいから、押して押して押されまくったら、もしかして、なんてこともあるかもしれない。
 信用していないわけではないけれど、やっぱり少し心配してしまう。だからこそ、彼が重いというその愛が、とても心地よい。安心する。

 私の答えを聞いたハヤテ君がくすりと笑う。そしてお返しと言わんばかりに、私の頭をくしゃりと撫でた。さすが撫で慣れているだけあって、私の髪を乱さない見事な手さばき。
 そして二、三度髪を指にからめた後、彼は私の頭から手を離し、ペンを握っていた私の手をそっと両手で包み込んだ。
 そして、何故だか泣きそうな顔をして、幼い子供みたいな顔をして、私に言う。


「これはわがままかもしれません。でもね、僕は、同じ重さの愛が欲しいんです」


 貴女に愛してほしいんです、と、ハヤテ君は泣き出しそうな声で呟いた。
 まるで子供が親に縋るように、私の手をぎゅっと握りしめながら俯いてしまったハヤテ君の手に、そっと唇を寄せた。ちゅ、と小さな音が教室に響いた。
 そして空いている左手で、先ほどの彼の手つきを真似するように優しく優しく、彼の髪を梳いてあげた。



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「ねえ、泉さん。僕の愛は重いでしょう?」

 いつものように彼女の仕事を手伝いながら、前々から思っていたことを口にした。出来るだけ自然を装ったのだけれど、口にした途端何故だかとても悲しくなって俯いてしまった。
 俯いた僕の髪を、泉さんがもしゃもしゃと撫でる。彼女の頭を撫でられたのはこの時が初めてだった。慣れていない彼女の手つきは乱暴で、少し痛かった。
 髪の隙間からちらりと垣間見た泉さんの顔は、どこか満足げで、人の頭を撫でる心地よさを感じているようだった。彼女と心が繋がったような気がして、少しだけ口元が緩んだ。

「ぜーんぜん。むしろちょっと重いくらいじゃないと、いいんちょさんは信用しませんぞ」

 ふざけた口調で泉さんが答える。けれどその顔に浮かんだ笑みは少しだけ真剣みを帯びていて、いつも明るい彼女が秘める心配ごとの鱗片を感じさせた。
 重たいぐらいがちょうどいい、というのはきっと彼女の本心だろう。けれど、他の人に向ける笑顔にさえ嫉妬していると知れば、きっと彼女は困ってしまう。
 人懐っこい猫みたいな彼女はいつだって自由でいてほしかった。誰にでも天真爛漫な笑顔を向けて、皆を明るく照らすいいんちょさん。それが僕の大好きな泉さん、のはずだったのに。
 僕の本心を知らないまま、にこりと笑う彼女が愛しくて、切なくて、思わず彼女の頭に手を伸ばして髪を撫でた。気持ちよさそうに目を細める泉さんは、まさに仔猫のよう。

 僕にだけ笑いかけてほしい。僕のそばにいてほしい。僕だけを、見ていてほしい。初めて抱いたやりようの無い独占欲を、彼女に向けるのが恐ろしかった。
 重たいくらいがいいのだと明るく言う彼女だが、きっと実際に醜い独占欲を見せつけてしまえば、離れていってしまうような気がした。
 どうしようもなくて、悲しくなって、泣きたくなる気持ちを押さえつけて、彼女に一つ我が侭を言った。同じ重さの愛が欲しいのだ、と、彼女の小さな手に縋るようにして呟いた。
 そして、彼女は少し困ったような、けれどとびきり優しい笑顔を浮かべて、俯いた僕に言う。


「いくらでもあげるのに、それを信じないのはハヤテ君の方だよ」


 いくらでも愛してあげるよ、と心の底から慈しむ優しげな声で呟いた。
 そして彼女の手を包み込んでいた僕の手に、酷く暖かで柔らかなものが触れた。ちゅ、と小さな音が教室に響いた。
 唯一自由である左手で、彼女が僕の髪に触れた。先ほどのような乱暴さはなく、まるで僕の手つきをまねるように、優しく優しく髪を梳いてくれた。