昼休み明けの眠気が懐かしい。 ( No.50 )
日時: 2013/05/24 15:27
名前: 餅ぬ。

 そのクソ真面目な教師の授業は非常に退屈で、それも内容が古典ときたもんだ。現代人の私には何を言ってるかさっぱりわからん。
 雪路みたいに愉快な話でも織り交ぜてくれれば、この眠気も紛れるのに。昼休みを終えてお腹いっぱいになっている私には、単調な教師の口調が子守唄にしか聞こえない。
 いつものように眠ってしまえばいいのだけれど、さすがに三日連続居眠りで説教されるのは私とて恥ずかしい。一応女子だし。
 何か退屈と眠気を紛らわせるものはないかしらんと周りを見渡す。ほとんどの人間は生真面目に黒板に書かれた文字をノートに写している。眠たくなる光景だ。
 二つ隣の席に座る美希を見れば、彼女もまたシャーペンを握り締めてノートを伏し目がちに見つめていた。けれどその手は全く持って動いていない。
 じっくりと観察してみれば、肩が規則正しく上下している。薄らと開かれた目をよく見てみれば、どこかよく分からないところを見つめているようだ。
 美希のやつ、目を開けて寝てる。その判断を下すのに、大して時間はかからなかった。

 眠っている美希を観察していても面白くないので、私は右斜め前の席に座る泉へと視線を移した。
 泉の手元は忙しなく動いている。泉がノートを取るなんて珍しいこともあるもんだ、と思わず感心した。
 しかし彼女の視線は黒板ではなく、全く別のものに注がれているわけで。
 泉の視線は私の席の二つ前に座るやつ、泉から見て左斜め前の席に向けられている。
 そこにいるのはもちろん、泉がほんのり恋するあの人だ。

(ハヤ太君の観察か)

 真面目にノートを取っていると思われるハヤ太君は、泉の視線に気づくわけなどなく。
 それを幸いと思っているのかいないのか、泉は見てるこちらが笑ってしまうほどハヤ太君をじっくり見つめている。
 ハヤ太君をじぃと観察しては、いそいそとノートに何か書き込んでいるようだ。ちらりと見える素早いシャーペンの動きから、文字ではなく絵を描いていると見た。

(ふむ、似顔絵ねぇ)

 らしくもなく真面目な顔をしてハヤ太君の似顔絵をノートに書き込む泉。それは何ともおかしくて、微笑ましい光景だ。
 もしも泉が真正面の席に座ってたのなら、ちょっかいの一つでもかけられるのだけれど。斜め前となればそう簡単にはいかず。
 ならば今回は趣向を変えて、泉ではなくハヤ太君にちょいと悪戯してみよう。正面のやつには悪いけど、多分失敗はしない、我慢してもらおう。

 使っていた消しゴムの角を二センチ角程度に千切りとって、二つ前の席に座るハヤ太君に狙いを定めた。
 そして前の席の男子がノートを取るため身を屈めた瞬間、私は構えていた消しゴムの欠片をハヤ太君に思い切り投げつけた。
 空を舞った消しゴムの欠片は綺麗な弧を描いてハヤ太君の後頭部へ。さすが私、なんというコントロール。甲子園も夢ではない。

 意外と外部の刺激に敏感なハヤ太君は、後頭部の違和感にさっそく気づき、軽く首を傾げながら周りを見渡している。
 そんなハヤ太君の様子をニヤニヤと眺める。ちなみにこれは虐めではないぞ、全てはこれから起こる泉の可愛らしい反応を観察するためだ。

 そして泉は泉で私の期待を裏切らない。
 いきなり辺りを見回しだしたハヤ太君に驚いた泉は、びくりと肩を震わせてあたふたとノートを腕で隠しだした。ノートを閉じるという判断を下せないほど焦っているようだ。
 斜め後ろから覗き見る泉の頬は若干赤い。微かに開かれた口からは「ふえぇ」という小さな悲鳴が漏れている。期待以上の反応に、私は思わずほくそ笑んだ。
 可愛いやつめとニヤついていると、焦った泉は私の予想を遥かに上回る自体を引き起こした。
 ハヤ太君が泉の方を見た瞬間、焦りが頂点に達したようで、慌てふためいた彼女は腕を滑らせて隠していたノートを筆箱共々落としてしまったのだ。

 静まり返っていた教室にガシャン! と騒がしい音が木霊する。そうなれば、教室中の視線は自然と音源である泉に集まるわけで。

「にゃーっ!」

 恥ずかしさと焦りから泉が素っ頓狂な悲鳴を上げる。
 ハヤ太君もいきなり泉が暴れだしたものだから驚いたようで、きょとんと目を丸くして一人パニックを起こす泉を見ていた。

「だ、大丈夫ですか? 泉さん」
「大丈夫! 大丈夫だから気にしないで! 見ないでハヤ太くんーっ!」

 心配したハヤ太君が散乱したペンを拾おうと近づくや否や、泉が涙目でハヤ太君を制止する。
 その騒がしさに教師の広い額に青筋が一つ浮いたのを見た。ああ、泉、すまん。怒られるっぽい。

「瀬川、騒がしいぞ」
 
 教師の静かな、けれど確かな怒りを含んだ声に一喝されて、泉は再び涙目で「うー……」と小さな唸り声を上げた。
 そして泉が教師に気を取られている隙に、間が良いんだか悪いんだか分からないハヤ太君は、泉のノートを拾い上げてしまったわけで。
 開きっぱなしのノートの中身が自然と目に入ってしまったハヤ太君。その顔は少し苦笑気味だ。そりゃそうだ、自分の似顔絵が描かれているノートを見れば誰だって……。

「瀬川さん、はい、ノート」
「えっ、あ、ありがと……。って、ハヤ太君! 中、見ちゃった!?」

 顔を真っ赤にしたり冷や汗を垂らしたりと忙しない泉の横顔を眺めながら、私もハヤ太君の様子を伺う。
 ノートを受け取りながら恥ずかしそうに目を伏せる泉に、ハヤ太君は、鈍感執事はこう言った。

「少しだけ見えちゃいました。何というか、その、不思議なネコ……、いやクマ……?の絵ですね」

 おいまて。自分の似顔絵を見てネコかクマってどういうことだ。
 まさかの反応を受けて泉も泉でポカンと口を開けている。そしてアホ面のままノートを受け取り、泉は大人しく席に座った。
 そして自分のノートをまじまじと見つめながら、不服そうに眉を潜めている。

「……ねこ……?」

 その時ちらりと見えた泉のノートの中身。
 そこには耳の生えてないネコのような……いや、クマ……あれ、サルか? とにかくなんだかよく分からない生物が大量に描かれていたわけで。
 そう言えば泉の画力は何とも言えない代物だったなあ、なんてことを思い出す。さながら画伯レベルである。

「……くまー?」

 納得いかないといった様子で首を傾げる泉に、堪らず笑いが込み上げてくる。
 一人で肩を震わせてクスクスと笑っていると、どこからともなくククッ、と吹き出す声が聞こえてきた。
 音源を辿ってみれば案の定笑っていたのは美希だった。先ほどまで目を開けて寝ていたのに、いつの間に起きたのだろうか。
 同じく肩を震わせる美希を見ていると私の視線に気づいたのか、彼女も私の方をちらりと横目で見てきた。
 そして二人で顔を見合わせて、多分よく似ているであろう不敵な笑みを、ほぼ同時に浮かべた。

(休み時間、楽しみだな)
(うむ、からかい甲斐がありそうだ)

 視線だけでそんな会話を交わしている私たちのことを、泉は知る由もなく。

「……ハヤ太君なのにー……」

 頬杖をつきながらそんなことを呟いたであろう泉の横顔を見ながら、私は休み時間にどうからかってやろうかと夢想する。
 ストレートに似顔絵を指摘してやろうか、それともあえて気付かないふりをして何を暴れてたんだと問い詰めてやろうか。
 どちらにせよ泉はきっと私と美希の期待に応えてくれるだろう。真っ赤な顔をして、でも心なしか嬉しそうに「やめてよー」なんて言ってくる姿が目に浮かぶ。
 ニヤけてしまいそうになる口元を懸命に噛みしめながら、私は黒板の上に時計を見た。気付かぬうち、時間は随分と流れていたようだ。
 
 授業終了まであと二十分。机の上に置かれた、何も書かれていない純白のノートの眩しいこと。
 ……さて、誰にノートを写させてもらおうか。
 我に返ってそんなことを考えた瞬間重たくなる瞼は、なんとも現実逃避がうまい。
 微睡む眼で最後に見たのは黒板でもノートでもなく、性懲りもなく再びノートに絵を描きだした泉の後ろ姿だった。
 アホだなあなんて考えてるうちに、私の意識はぷつりと切れた。

 十分後、めでたく三日連続居眠りで叱られることになるのだけれど、そんなこと、今の私には知ったこっちゃなかった。




【微睡む午後の一コマ】