文章チェックフォーム 前画面に戻る

対象スレッド 件名: 報われない百合っこが愛おしい
名前: 餅ぬ。
誤字を見つけたら
教えてください

悪戯を防ぐため
管理人の承認後に
作者に伝えます
誤った文字・語句 
          ↓
正しい文字・語句 
【参考】対象となる原文

報われない百合っこが愛おしい
日時: 2012/12/07 23:52
名前: 餅ぬ。

 真っ白な世界に美希は居た。上下左右、見渡す全てが純白で、その眩しさに目が眩んだ。
 床も天井もないから、自分が今立っているのか浮いているのかさえ分からなかった。けれど純白に包まれたこの空間は、フワリフワリと心地よい。
 呆然と立ち尽くしていると、目の前にぽつんと桃色の点が浮かんできた。その桃色は少しずつ大きくなって、いつの間にか一人の少女になった。

 ――ヒナ。

 目の前のヒナギクに声をかけるが、自分の声が聞こえない。それでもヒナギクには聞こえているようで、微笑みながら、美希の手を優しく握った。
 暖かな手だった。その掌の優しさに誘われるかのように、美希はヒナギクの両手を取り、自分の頬に触れさせた。ヒナギクは嫌がる様子もなく、美希に従った。
 ヒナギクの暖かくて華奢な指が、美希の頬を這う。仔猫を愛でるように、優しく優しく何度も美希の頬を撫でた。その微笑みは、純白のこの世界で一際輝いて見えた。

 ――美希。

 ヒナギクが美希の名前を呼んだ。鈴の鳴るような心地よい声に、美希はうっとりと目を細めた。

 ――美希、私ね。

 何か言いたげに口ごもるヒナギクを見て、美希は首を小さく傾げて見せた。そしてヒナギクは美希の頬から手を放し、そっと美希の耳元に口を寄せた。
 美希の心臓が大きく跳ねたが、あくまで冷静を装う。そんな美希の気も知らないで、ヒナギクは耳元で何やらコソコソと話し始めた。しかし、声が小さすぎて聞き取れない。
 けれど一言だけ確かに聞き取れた。それは、美希にとってあまりにも甘い言葉で。

 ――好きなの、

 そのあとに何か言葉が続いたが、聞き取れない。少しずつ美希の意識がフェードアウトしていく。ヒナギクの声も、どんどん小さくなっていく。
 やがて声は聞こえなくなった。無音の世界で、美希は鼻をくすぐる彼女の香りと肩に寄り掛かる温もりだけを感じながら、ゆっくりと目を閉じた。





【泡沫の夢を見た】




 
 その日の朝、美希はご機嫌だった。少々不思議ではあったが、あんなに甘い素敵な夢を見て顔が綻ばないわけがない。
 上機嫌のまま教室に入る。機嫌に任せて早めに登校したせいか、まだ泉と理沙の姿はなかった。話し相手がいないのは少々寂しいが、夢の余韻に浸るにはもってこいの状況である。
 美希は席に着くなり、頬杖をついて目を閉じた。夢から覚めてすでに二時間近くが経過していたが、ヒナギクの手の温もりは鮮明に蘇ってくる。
 ふいに目覚める直前に聞いたあの言葉を思い出して、頬が熱くなった。思わずにやけそうになる口元を押さえつけ、美希は机に突っ伏した。
 あり得ないことだとは分かっている。それでも嬉しくなってしまうのは、美希が彼女に仄かな愛情を抱いてる何よりの証拠だった。

「ま、あり得ないんだけどな」

 変に希望を見出しかけていた自分を窘めるように呟く。
 ヒナギクにはもう好きな人がいるのだ。クラスメイトの、自分もよく知るあの執事。

「羨ましいぞ、ハヤ太君」

 突っ伏したまま、憎らしげにぽつりと小言を零した。勿論それは羨ましさにも似た嫉妬であり、ハヤテ自身を憎んでいたり妬んでいるというわけではない。
 何しろハヤテおかげで、今まで見たこともなかったヒナギクの表情や行動を見ることができるのだ。動画研究部的に感謝こそすれど、恨む筋合いはない。
 けれど、只々羨ましかった。



 ぼんやりとしているうちに、徐々に教室内に人が増えてきた。しかし、いつも遅刻直前に登校してくる泉と理沙の姿は当然の如く無い。
 早く来い、といつもの自分を棚に上げ、心の中で二人を叱咤する。夢の余韻も冷めてきて、美希は少しずつ暇を持て余してきているようだった。
 余りにも暇なので額を机に押し付けて、ひんやりとした感触を楽しむことにした。妄想しすぎて煮え立った頭を冷やすには、ちょうどいい温度である。
 机の冷たさに身を委ねて、ぐったりしていると、美希の後ろで話していた男子たちが急に大声を上げた。

「え!? それってマジかよ!」
「マジだって。部活の先輩が帰りに見たって言ってたんだよ」
「うわー、それ、かなりショックなんだけど……」

 ワイワイと騒ぎ出した男子たちの会話が気になった。暇つぶしにはなるだろうと、美希はこっそり男子たちの話に聞き耳を立てた。
 しかし、それが間違いだった。

「な、俺もショックだったわ。まさか生徒会会長がなぁ……」
「だよな。会長の告白シーンに出くわすとか、先輩もかなりダメージ食らってた」

 胃の奥で何かがひやりと凍りついた気がした。耳を塞ごうにも、気になってしまった会話はさらに鮮明になって、美希の耳に入り込んでくる。

「で、相手は誰だったんだよ? その羨ましいやつは」
「そうなんだよ! 相手が本当に意外でさ!」

 相手の想像は容易に出来た。今までもその想像は何度もしてきた。覚悟もしてきたつもりなのに、急に訪れたその展開に美希の心臓は悲鳴を上げる。
 そんな美希の気など知るはずもない男子たちは、相手の名前を口にした。


「会長の告白した相手、綾崎らしいぜ」
「うそ!? このクラスのか?」
「ああ、綾崎ハヤテだってさ。マジ羨ましいよなぁ、綾崎」


 ――ヒナギクがハヤテに告白した。


 その事実を突き付けられた美希は、机から顔を上げることができなかった。目頭が熱くてたまらない。胃の底が氷のように冷たい。
 どうせ知るなら、こんな形で知りたくなかった。泉や理沙から、できることなら、ヒナギク本人の口からその事実を告げられたかった。
 知らず知らずのうちに唇を噛みしめていた。鉄の味がじわりと口内に広がったが、不思議と痛みはない。

「で、綾崎はなんて返事してたんだよ。まさか断ったなんてことないよな?」
「そりゃ断らないだろ。帰り道、手、繋いでたってさ」
「あああ! マジかよ! 羨ましすぎるだろ、綾崎!!」

 ヒナギクは、ハヤテと無事に結ばれたらしい。

「……良かったな、ヒナ」

 絞り出すような美希の声は、教室の喧騒に飲まれて消えた。
 唇がじわりじわりと熱を持ち始めた。唇の熱が増すごとに、涙で視界が滲んでいく。大好きなヒナギクが幸せになれて嬉しいはずなのに、何故か涙が止まらない。
 悲しいのか、悔しいのか、妬ましいのか。感情が入り乱れて、どれが本心なのか分からない。けれど、その感情はどれも重々しくて、喜びとは程遠いものであることだけは分かった。


 ――笑顔でいられると思ったんだけどな。


 もしも目の前に喜びと幸せの満ち溢れたヒナギクの姿があったのなら。その時はきっと微笑んで「おめでとう」と心の底から祝えたはずなのに。
 思い描いていた状況とは違えど、大好きな人の幸せに対して、汚い感情しか湧いてこない自分の心に腹が立った。けれど、それを発散する術はない。
 やりようのない重たい心を抱えたまま、美希は静かに目を閉じた。眠れば、夢の中であれば、この汚い自分から逃げられる。



 そう思った、のに。



            *             *            *            *             *




 真っ白な空間にいた。右も左も上も下も分からないこの空間で、美希は柔らかな香りと温もりに包まれていた。
 目を開ければ、サラリと揺れる桃色の髪が目に入る。ヒナギクにぎゅうと抱きしめられているこの状況に、朝の夢の続きだということは、漠然と理解できた。
 せめてこの空間だけはと、美希もヒナギクを強く抱きしめた。柔らかい。暖かい。けれど、何故か体の奥が寒い。
 
 そして朝の夢のように、ヒナギクが美希の耳元へと口を寄せる。そして、はっきりとこう言った。


 ――好きなの、ハヤテ君のこと。


 今までに聞いたこともないような、穏やかな口調だった。心から愛おしむ、たった一人の人間だけに向けられる信愛の言葉。
 けれど、夢の中でさえ、その言葉を向けられているのは自分ではなかった。
 ぎゅっと抱きしめあったまま、真っ白な空間を二人で漂う。愛されてるのは自分ではないと分かっていながらも、美希は腕を解くことはできなかった。
 夢の中のヒナギクに縋るように、只々強く強く抱きしめながら、何もない純白の空間に呟いた。


 ――私はね、ヒナのことが好きだよ。


 答えは返ってこなかった。





            *             *            *            *             *




「美ー希ちゃーん。寝てるのー?」
「美希やーい。起きろー」

 間の抜けた、けれど心癒される懐かしい声が美希の名前を呼んだ。
 顔を机に突っ伏したまま、目だけでちらりと上を見ると、そこにはいつものように笑う二人がいた。
  
「なんだ、美希。寝不足なのか?」

 机から顔を上げようとしない美希を見て、理沙が珍しく心配そうに肩を叩く。心配させては悪いと思い顔を上げると、二人はさらに心配そうな顔になった。 

「ちょ、美希!? 唇やばいぞ!? 血まみれ!」
「美希ちゃん!? どうしたの!?  それに、目が真っ赤になって……」
「泉! とりあえずハンカチかティッシュ!」

 美希を心配してわたわたと動き回る二人を見て、自然と顔が綻んだ。
 大丈夫。ヒナがいなくても私にはこの二人がいるじゃないか。と自分を慰める。こんなにも心配してくれる友人が、自分には二人もいるのだ。
 それでも、溢れる涙は止まらない。

「おめでとう、って言えばよかったのかな」

 ――おめでとうって、言ってほしかったのかな。
 
 先ほど見た夢を思い出し、美希はポツリと呟いた。
 もしも、あの夢の中で「おめでとう」と微笑んでいたのなら、彼女は返事を返してくれたのだろうか。
 問えども問えども、美希の中で答えは出ない。掌に残るヒナギクの温もりが、愛おしくて憎らしかった。



 泡沫の夢は、甘い余韻と残酷な現実だけを残して、消えた。