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キュートな会社の作り方

天誅の行方編(第33〜40話)

初出 2003.02.03〜2003.02.11
written by 双剣士 (WebSite)
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登場人物紹介入社初出勤小さな魔法美少年の事情才女の憂鬱せつない想い天誅の行方悪魔の計略幸せの広め方巻末クイズ


【33】 2003.02.03

 雲ひとつない青空が、東京上空を染め上げていた。
 その空を割くように駆け抜ける茶色の点があった。点は森に近づくにつれて大きくなり、茶色と白の羽毛が交じり合った鳥の姿へと変わっていった。鳩や雀といった類ではない。遮るもののない大空を我が物顔で飛び回る空の王者。都会には似つかわしくない誇り高きハンター。人はそれを鷹という呼称で呼ぶ。
 鷹は一直線に森の中央へと向かった。そして森の中央にそびえ立つ天守閣の前で羽を羽ばたかせると、そこに立っていた青年が差し出す腕へと舞い降りた。天空の王者は誇り高き翼をたたむと、飼いならされた猫のように青年の手から餌をついばみ始めた。
「でかしたぞ、ジミー」
 鷹を止まらせた青年は眼鏡の奥の目を輝かせると、鷹の足につけておいた微細な発信機が無くなっているのを認めて満足そうにうなずいた。するとタイミングを計ったかのように1人の忍者が青年の背後に降り立ち、小声で青年にささやきかけた。
「……ふむ、そうか。発信機の置き場所が探知できたか」
 眼鏡の青年は小さくうなずいて忍者を下がらせると、眼下に広がる街に向かって胸を張り、高らかに声を張り上げた。
「ようやく見つけたぞ、綾小路……この御手洗大を甘く見るでない、わーっはっはっはっはっ」

                 **

 それから数日たった午後。てひひ商事の看板のかかったマンションの一室を、見知らぬ少女が訪れた。
「は〜い、いらっしゃいませ……あの、ご用件は?」
「御社に入社させていただこうと思いまして、参上いたしましたの。上がってもよろしいかしら?」
「は、はい、こちらへどうぞ……」
 現れたのはまだ幼い印象の残る、巻尺の髪飾りをつけた少女であった。慇懃無礼で押しの強いその態度に、気の弱い紫亜が抵抗できるはずもない。のっしのっしと廊下を歩いてきた少女が応接間につくころ、紫亜に促された美紗が姿を現した。
「初めましてっス、私が社長で、美紗って言うっス。よろしくダス〜♪」
「御手洗薫と申します。よろしくお願いいたしますわ」
 少女は完璧な礼儀作法にのっとって一礼した。ちょっと精神的に押された美紗はきょろきょろと辺りを見渡したが、頼りになる者は誰もいない。今は昼間で、早紗とその部下の2人は営業に出てしまっているのだ。
「てひひー、えっと、今日はどういうご用件で……?」
「御社で雇い入れていただきたいと思いますの。わたくしこう見えても会社経営には自信がありますし、人脈も広うございますから」
 美紗は思わず紫亜と顔を見合わせた。新入社員の募集をしたつもりは……ない。
「てひひー、あのっスね、いまのウチは、新人を採るつもりはないっスけど……」
「どうしてですの? 有為な人材がわざわざ出向いてきたんですのよ、経営者たるものは機を見るに敏でなくてはならないと思いますけど」
 アポなしで乗り込んできたにもかかわらず、少女の態度は氷山のように大きかった。自分の能力が通用すると信じて疑わない目。こういうときに難癖をつけて追い返すような行動パターンは、美紗の頭にない。
「うにゅ〜、すごいっスね……だけどっスね、いきなりそんなこと言われても、お返事は出来かねるっスけど」
「あなた社長でしょう? どうしてこの場で決断できませんの、飛躍のチャンスが目の前に転がっているというのに」
「でもっスね、私1人で会社やってるわけじゃないっスから、みんなと相談してから……」
「相談しなくても結論は決まっていますわ」
 傲慢な少女はソファから立ち上がると、腰に手をあてて胸をそらした。
「いきなり重役にしろとは申しません。事務でも経理でも、何でもこなして御覧にいれますわ」
「だけどっスねぇ……」
「わたくし自信がありますのよ。そうですわね……少なくとも、読み書きも満足に出来ない名ばかりの秘書さんよりは」
 びしっと黒髪の女性を指差す少女。その刺すような視線におびえた紫亜は、細い身体を震わせながら瞼を閉じた。




【34】 2003.02.04

「ただいま……」
「どうしたのよ美紗、緊急で会議やるから戻ってこいだなんて」
 社長から急に呼び出されてマンションに戻ってきた営業部の3人。疑問符で頭をいっぱいにしていた面々はマンションの扉を開けた途端、空気の違いに気づいて一斉に口をつぐんだ。そこにあるのはお昼寝をしたくなるようなほんわかしたいつもの雰囲気ではなかった……そう例えるなら戦場跡のような、殺伐としつつも緊張を緩められない張り詰めた雰囲気。
 3人は無言で目配せをすると、足音を殺して廊下を進み応接間へと続くドアをそっと開けた……。
「おかえりなさいませ、綾小路さま!」
「…………!!!」
 そこにあるのは見慣れた応接間……てひひ商事のメインオフィスであったが、そこに広がっていたのは通常の世界ではなかった。中央のソファでは見慣れない少女がうるうると眼を輝かせながら手を胸の前で合わせていた。そして彼女の向かい側に泣きそうな表情の美紗、その後ろに沈んだ様子の紫亜が立っていた。3人を迎える言葉を最初に口にしたのはその見慣れない少女のほうであった。
 そしてそれを耳にした瞬間、綾小路天の全身は瞬間冷凍されたかのように一瞬にして硬直した。早紗が妹へ、湖太郎が黒髪の秘書へと駆け寄って慰めようと動く中、綾小路天はドアを抜けたところで立ち止まったまま一歩も動くことが出来なかった。目の前の光景はモノクローム映画のように色あせ、スクリーンの中の出来事のように現実感を失っていき……天の視界の中で色彩と立体感を伴うのは瞳うるうる少女の姿だけとなった。2人きりの世界を作ろうとしたわけではない、ヘビに睨まれたカエルの心境というのはこういうものなのだ。
「綾小路さま、長かった苦難の日々もここまでですわよ。今日からはこのわたくしが、影のように寄り添って綾小路さまをお支えいたしますから♪」
「…………」
「聞いてくださいな綾小路さま。この方たち、わたくしと綾小路さまとの仲を割こうとなさいますのよ! せっかくわたくしが下手に出て、下積みからでいいから雇ってほしいと頭を下げていますのに、何かと難癖をつけて首を縦に振りませんの」
「……そうなの、美紗?」
「さっちゅ〜ん、何とかしてっス、私の手に負えないっスぅ〜」
 地獄に仏とばかりに泣きつく妹の頭を早紗は優しく撫でた。
「大体この会社、なってませんわ。社長さんのくせに社会情勢には疎いし、キャピタルシートの数字すら暗記していないようですし。そもそもこんな人形を主力製品にしてるだなんてセンスのかけらもないんですから」
 床に転がるコタロー君人形を足で小突く薫。
「でもご安心くださいませ、綾小路さま。聞けば次期商品は綾小路さまをモデルにしたお人形だというじゃありませんの。きっと綾小路さまがボロ舟に軌道修正を図るべく企画した、時代を変えるヒット商品になるのでしょうね。わたくし綾小路さまを全面的にサポートして、綾小路さまの実力を確固たるものに……」
「お黙り、小娘」
 静かな、それでいて重みのある一言がモノクロの世界を現実に戻した。自分と綾小路天の輝ける未来像に水を指された御手洗薫は、横槍を入れてきた魔法少女ルックの女性を不服そうに振り返った。
「あら、どちらさまですの?」
「代表取締役副社長。あんたがウチに入ってきたら上司になるはずの者よ。もっとも、そんな日は永遠に来ないけどね」
「ふふっ、ようやく歯ごたえのありそうな方が現れましたのね」
「許さない……」
 鼻でせせら笑う御手洗薫。早紗は世間知らずの小娘を手厳しく叱り付けようと言葉を繋ぎかけて……そのとき背後から立ち昇る妖気を感じて慌てて振り返った。そこには彼女が見たこともない表情をした、異様な迫力を発する秘書嬢がいた。
「私だけならまだしも、美紗さんやこの会社のことを侮辱するなんて……」
「な、なんですの、なにか文句でもあるって言うんですの?」
「お仕置きです!」
 普段おとなしい黒髪乙女から立ち昇る異様な妖気。美紗と湖太郎は目を真ん丸に開け、早紗は警戒するように眉をひそめた。天は吹き付ける迫力に身体が動かせなくなり、さすがの薫もただならぬ状況に言葉を詰まらせた。そんな一同が注目する中、紫亜は目を細めながら静かに右手を前に上げ……まもなくその右手が薄緑色の淡い光に包まれ始めた。




【35】 2003.02.05

 差し出された紫亜の腕を中心に、部屋中の空気が轟音とともに渦を巻き始める。飛ばされそうになる身体を支えながら一同は渦の中心を仰ぎ見た。紫亜の瞳は真っ赤に染まり、口元からは日本語ではありえない意味不明の呪文が漏れ聞こえてきていた。
「み、美紗、何とかしなさいよ!」
「知らないっスよ、しあちゃんが怒るとこなんて見たことないっスから!」
「だ、だけど、こんなとこで……」
 唇を噛む早紗。自分の知る天界の力とはまったく異質の魔力が目の前で展開されようとしていた。下手に対抗魔法を繰り出せば魔力がぶつかり合い、この部屋もろとも吹き飛ばしかねない。
 一方、思いもよらず魔力の奔流にさらされた人間たちの動揺は早紗たちの比ではなかった。
「…………うぅっ、頭が……」
「……しあ、さん……」
 激しい頭痛を覚えてうずくまる湖太郎、呆けたように立ちすくむしかない綾小路天。そして……。
「な、なんですの、何が起こるというんですの……」
 紫亜の赤い瞳に射抜かれた御手洗薫の声は震えていた。御手洗家は陰陽道の流れを汲む家柄であり、彼女自身も退魔術の心得がある。物の怪の類など恐れはしないと日頃から自負している彼女であったが……いま突きつけられている妖気は悪霊や妖怪の類とはレベルがまるで違っていた。捕食されるものとしてDNAに刻み込まれた恐怖が薫の足をすくませ、全身を震わせ、頭の回転を凍りつかせる。逆らうことも逃げることもかなわぬまま、ただ現実を否定する言葉だけが御手洗薫の脳裏で明滅していた。
「……行きます」
「ひぃっ!!!」
 低いつぶやきとともに薫の目の前に瞬間移動する紫亜。そのあまりの速さに薫は反射的に目をつぶってしまった。身をすくませる少女の咽喉元へ紫亜は顔を近づけた。その口元に光る鋭い牙が、御手洗薫の記憶に残った最後の光景であった。
《きぃやああぁあぁーーっ!!!!》


「美紗さん……ごめんなさい、私……もう、だめです」
「しあちゃん、しっかりするっス!」
 そして次の瞬間。白目を向いて気を失った御手洗薫の傍らでは、消耗しきってソファに倒れ伏した紫亜を美紗が必死で抱き起こしていた。部屋を吹き荒れた猛烈な妖気は既に消えうせ、湖太郎たちの呪縛も解かれていた……薫の目の前へ瞬間移動するところまでが、紫亜の体力の限界だったのだ。
「はぅっ……」
「紫亜さん、大丈夫ですか?」
「今日の……おやつは……戸棚の奥に、ありますから……(がくり)」
「しあちゃん?! 死んじゃダメっス、しあちゃん!」
 美紗と湖太郎が見守る中、紫亜はがっくりと脱力し……すーすーと規則正しい寝息を立て始めた。やれやれ、とばかりに早紗は胸をなでおろすと、ただ1人立ち尽くしたままの綾小路天へ声をかけた。
「さて、と……この子、外へ放り出してきてくれるかしら、綾小路くん」
「お、オレがですか?」
「そーよ、綾小路くん」
 いまだ泡を吹いたままの生意気な小娘に向かって顎をしゃくる早紗。その態度に天はどこか薄ら寒いものを感じた……さっきから彼のことを『美少年』と呼ばないこともその一端にちがいない。
「あなたの知り合いなんでしょ、早く行ってきなさい……また面倒なことにならないうちにね、綾小路くん」
 いまの綾小路天に、拒否権など存在しなかった。かろうじて投げかけた疑問すら、にべもなく突き帰されてしまうのが現在の彼の立場というものだった。
「あの、部長、さっきの紫亜さんの力は……」
「忘れなさい、業務命令よ。あなたの事情も訊かないでおいてあげるから」


「さっちゅん、しあちゃんは……」
「大丈夫よ、疲れて寝てるだけだから」
「違うっス。このまま夜まで目を覚まさなかったら……今夜の晩御飯、どうなるっスか?」
「……あんたの心配はそれかいっ!!」




【36】 2003.02.06

「物の怪の巣窟でしたわ、えぇ、あそこは!」
 その夜、御手洗城に帰還した薫は昼間の様子を兄に報告した。それを聞いた御手洗大は鷹揚に頷いた。
「そうかそうか、そういうことだったのか。綾小路のやつ、物の怪に取り憑かれておったのか!」
「さようですわ。きっとあの魔性の女にたぶらかされているのです! あぁ、お可哀そうな綾小路さま!」
「そうだろうな。俺があんなに目を掛けてやっているというのに、ちっとも顔を見せに来んから妙だとは思っておったのだ。いつものあいつなら、俺に対して礼を失することなどあろうはずがないのだからな!」
 兄妹の妄想はどんどん膨らんでいった。元々自分たちの都合のいいようにしか世の中を見ることが出来ない2人である。人外の魔物たちに取り囲まれているうちに魔族の女の虜にされてしまってそこを安住の地と勘違いしている哀れな綾小路天、というイメージが2人の心にしっかりと根を下ろした……皮肉にも今回に限り、それはまんざら間違いでもなかったのだが。
「おのれ物の怪どもめ、俺の腹心の部下に手を掛けるとは! 天誅を下してくれるわ!」
「お待ちくださいませ、お兄様」
 椅子から立ち上がっていきり立つ御手洗大。居並ぶ側近たちもそれに唱和した……だがそれを制止したのは、さっき視察報告をしたばかりの当主の妹であった。
「物の怪を退治するなど、いつでも出来ること。しかし綾小路さまはどうなりますの? 物の怪に心奪われている今の綾小路さまの目の前で、わたくしたちがあの連中を消滅させてしまったら……最悪、綾小路さまは廃人になってしまうかもしれませんわ」
「ぬうぅ、しかし物の怪退治という崇高な大義の前には、やつ個人の感情など……」
「わたくしに時間をくださいませ。まずは綾小路さまをやつらから引き離すのが先です。わたくしの愛で、綾小路さまを立ち直らせて御覧に入れますわ!」

                 **

 翌日。営業先のゲームグッズ販売店を回っている綾小路天の前に、黒服を着た男たちが現れた。天は思わず息を呑んだ。
「お前たち……」
 先日のように薫と偶然に出会ったのとは訳が違う。勤め先を把握され、営業先まで押しかけてくるようになっては綾小路天に逃げ場はなかった。早紗部長が傍にいなかったことをせめてもの慰めとしながら、天は黒服の男たちに促されてベンツに乗り込んだ。


「えっ……い、今なんと?」
 綾小路天は思わず耳を疑った。ウ○コ戦隊ダイレンジャーの出撃。いきなり呼び出されたときからこうなることは覚悟していた……だが隊長から聞かされた今夜のターゲットは、あまりに意外なところであった。
「そうだ。業界の革命児と呼ばれるほどの急成長を遂げた会社だと聞くぞ。きっと悪辣な手段で金を溜め込んでいるに違いない」
「そ、そんなこと……」
「それに貴様、あの会社に勤めているというではないか。ならば内情にも詳しかろう。会社の者たちも、お前には心を許しているようだしな」
 てひひ商事。御手洗大が指令した今回の現金略奪先は、そこだったのだ。お金なんか問題じゃない、こいつらはオレのオアシスを破壊する気だ……天は底意地の悪い御手洗兄妹の策略に戦慄した。
「し、しかし、あそこはそんな……悪どいことなどしていませんし、小さな会社ですからお金もたいしてありません。私が保証します」
「可哀そうに……すっかり騙されているのだな、綾小路」
 御手洗大は一転して哀れむような表情を見せると、天の前にしゃがみこんで視線を合わせた。
「お前は優しいやつだものな、疑う気になれぬのも無理はないが……俺は嘘は言わん。悪い奴らに利用されているのだよ、お前は」
 悪い奴らはどっちだ!……天は心の中で毒づいたが、むろん言葉に出せるわけもない。言葉に出したところで意見を翻す相手とも思えなかった。
「分かっている、分かっている……向こうでは言いたいことも言えぬのだな。首領様万歳と叫ばないと日々の食事すら事欠く有様なのだな。安心しろ、俺たちが本当の自由というものに目覚めさせてやるから」
 いかにも人格者のように御手洗大は天を励ますと、ロビーの後ろのほうに顎をしゃくった。そこでは綺麗なドレス姿に着飾った当主の妹が、両手を広げて綾小路天のことを待ち受けていた。




【37】 2003.02.07

 御手洗家での拷問、もとい『愛の鞭による洗脳からの解除術』は熾烈を極めた。
 大と薫は綾小路天を縛りあげて身動きできなくすると、東洋の悪霊退散の術からから西洋の悪魔払いの儀式まで、ありとあらゆる退魔術を彼の身体に試みた。呪文をひたすら唱えるもの、全身に文様を施すもの、血染めの聖なる布で呼吸器を覆うもの、そして肉体的刺激や温度差を与えるものなど方法は多岐に渡った。死なせたり不治の怪我をさせては元も子もないと合間合間に体力回復の時間は与えられたが、それは苦痛の日々をむしろ長引かせる効果しかもたらさなかった。
 自分は洗脳も誘惑もされてない、亡霊や悪鬼に操られてもいない……もちろん当初の綾小路天は頑強に抵抗した。だが抵抗すればするほど御手洗兄妹の使命感が倍加されて“より深い愛情”をもって施術を施されることが分かってくると、天とて命は惜しい。ときおり従順な振りをして2人を喜ばせる言葉を吐くくらいのことは甘受せざるを得なかった。
《綾小路、俺は心の底からお前のことを心配しているのだ。本当に悪魔どもとの縁を切る決意が出来たのなら、奴らの隠し金を盗み取るなど造作もないことだろう。これは紛れもなく正義の行いなのだぞ》
 偽りの洗脳解除が進むにつれ、御手洗大はそう言って天に踏み絵を迫るようになった。こればかりは首肯できるわけもない綾小路天はあらゆる言葉を使って翻意を促したが、大の返答はより過酷な退魔術の導入であった。『恩を仇で返すわけには行かない』という綾小路天の胸の奥の決意は、拷問の日が進むにつれて『オレが折れてしまったら紫亜さんたちが路頭に迷ってしまう』という使命感へと替わっていった。
 そして……1週間後。出口の見えなかった精神と肉体の相克は、ようやく1つの区切りを迎えた。ただしそれは天にとって不本意な形での決着であった……そのきっかけは、来る日も来る日も続く儀式に疲れ果てた御手洗兄妹が漏らした、この一言であった。
「これほどやっても洗脳が解けぬとは……悪魔どもの術は相当に根深いものとみえるな」
「こうなったら綾小路さまに術を掛けた者どもを、私たちの手で倒すしかないかも知れませんわね」

                 **

「まぁ……綾小路さん、お帰りなさい」
 1週間振りに見る紫亜の笑顔。痛む身体とズタズタの心を抱いてマンションに戻ってきた綾小路天は、それをみた瞬間に安心して全身の力が抜けてしまった。その場に崩れ落ちる彼の元へ黒髪の乙女はあわてて駆け寄ってきた。
「だ、大丈夫ですか?」
「あ、ああ……平気です。心配かけて済みませんでした、紫亜さん」
 顔を合わせて彼女の名を呼ぶ、それだけのことがこれほど幸せなものだとは天はいままで知らなかった。自分の中で彼女の存在が極めて大きくなっていることを、この瞬間に天ははっきりと自覚した。そして自分の運命を呪った……明日からはもう、この笑顔を見られなくなると言う運命を。
「良かったです……帰ってきてくれて。みんな心配してたんですよ」
「紫亜さんも、ですか?」
「もちろんです。さぁ、立てますか?」
 思わず口を衝いて出た質問にためらわず答えてくれる紫亜。天は胸を熱くしながら紫亜の肩を借りて立ち上がった。久しぶりに触れる彼女の身体は、柔らかくしてとてもいい匂いがした。身近に彼女を感じた天は、改めて決意を固めた……この女性を悲しませるなんて、オレには出来ない。
「美紗さーん、樋口さーん、綾小路さんが帰ってきましたよ!」
「(ぱたぱた)お帰りっス、テンちゃんお帰りっス。よく帰ってきてくれたっス〜」
「みんな心配してたんだよ。でも……本当に良かった」
「どこをほっつき歩いてたんだか……連絡くらい入れなさいよね。早く部屋に入りなさい、お説教してあげるから」
 それぞれの言い方で天の帰還を喜んでくれる会社の人たち。この人たちの、どこが物の怪だって言うんだ……久しぶりの穏やかな気持ちに浸りながら、天は心の中でつぶやいた。疫病神から逃げ出すつもりで選んだこの会社が今ではかけがえのない存在になっていることを、天は改めて胸に刻んだ。
《だけど……どうすればいいんだ? オレが金庫の金を盗んで戻ってこなかったら、あいつらは総攻撃を掛けると言ってる。御手洗財閥の手から逃れられる所なんてどこにもないし、もちろんその時はオレの家族も無事には済まない……》
 自らの正義を盲信している彼らがどれだけ残酷になれるか、綾小路天は嫌と言うほど知っていた。しかも以前に紫亜たちは薫と一悶着を起こしているし、薫たちの方は相手を人間だと思っていない。どう考えても平穏な結末は迎えられそうになかった。
《すべてを話そう……どんなに罵られても仕方ない。オレのせいでみんなに迷惑を掛けるわけには行かないんだから》
「綾小路さん? どうしたんですか、難しい顔をして」
 思索に耽っていた綾小路天は紫亜の声で意識を引き戻された。目を開いたすぐ先には、鼻先を摺り合わせんばかりに接近した紫亜の顔があった。どぎまぎした天は顔を赤く染めながら慌てて手を振った。
「い、いや、大丈夫です。なんでもないですよ」
「…………?」
 小首を傾げながら顔を離す紫亜。全てを話したりしたら、オレは紫亜さんになんて思われるんだろう……天の精神的なハードルは思った以上に高いようだった。




【38】 2003.02.09

 1週間ぶりの5人での夕食。紫亜がご飯をよそい、美紗が湖太郎に抱きつき、早紗が黙々とおかずを口に運ぶ、普段どおりの食卓風景。
 綾小路天は潤む瞳を見られないよう、鼻をかむ振りをして何度も顔に手をあてた。こんなに温かい団欒を壊したくないと思う一方で、自分がここにいては明日にも御手洗家デビルバスターズが押し寄せてくるという悪夢の未来図が、彼を板ばさみにしていた。いっそ全てを白状してみんなと逃げてしまおうか、とも考えたが、それは御手洗家の系列病院にいる彼の両親を見捨てることでもあり簡単に決断できるわけもなかった。
《どうする……どうすればいいんだ、オレは。あいつの言うとおり会社の金を盗み出して呪縛から解けたと思わせておいて、あいつがこの会社から興味をなくすのを祈るしかないのか?》
 自分が犠牲になれば、という美名の元にそんな考えが頭をよぎる。しかし頭の隅では『そんな身勝手な自己犠牲があるか』ともう1人の自分が警鐘を鳴らしていた。『悪の成金』だと勝手に思い込んでるあいつを納得させられるだけの金額を盗み出せば、この会社は確実につぶれる。それだけじゃない、帰ってきたばかりの社員に裏切られたと分かれば、ピュアな美紗社長は落胆するだろう。紫亜は暗い顔をし、早紗は自分のことをお人よしだと責めるだろう。御手洗家が手を下すまでもなく、『夢を売るてひひ商事』は資金面/精神面の両方から崩壊するに違いない。
「美少年、ドライブに行くから付き合いなさい」
 懊悩したまま口数の少なくなった天のことを、他の4人は心配そうに見つめていた。そして夕食が終わって部屋に戻ろうとする天を呼び止めたのは、彼の直属上司に当たる魔法少女ルックを身にまとった女性であった。

                 **

「……そう。辛かったんでしょうね、あなたも」
 真っ赤なフェラーリで夜の街を流しながら、早紗は助手席の綾小路天に事情を話すよう促した。天はとぼけた振りをしたが、『紫亜の聞いてるところでは話しづらいことなんでしょ?』という上司の言葉に心の堤防を突き崩され、洗いざらい全てを白状した……そして彼の話を聞き終えた上司の最初の言葉が、この一言であった。
「すみません、オレのせいで……部長、オレをクビにしてください! オレなんかのために皆さんにご迷惑をかけるわけには行きません」
「そうは行かないわ。あなたをモデルにした新商品を出そうって時期に本人に辞められちゃ、会社のイメージダウンになるからね」
 早紗は前を向いたままで部下の申し出を却下した。お前はもう自分のものだ、勝手なことは許さない……かつて御手洗大に言われたことと同じニュアンスでありながら、なんと温かく響く言葉だろう。綾小路天は心の中で上司に手を合わせた。
「それに今さら手遅れでしょう。その御手洗財閥とやらの妹さんと、あんなことがあった後じゃ」
「そんな……」
「それにあんなことを言いふらされちゃ、こっちとしても困るしね……」
 早紗は小声で溜め息をつくと、励ますように助手席の青年の肩をたたいた。
「まぁ、まずは美少年のほうを何とかしないとね。明日までに金庫のお金を持っていけば、少しは時間稼ぎになるんだっけ?」
「でも、そんなわけには……」
「3000万円もあれば、足りる?」
 こともなげにそう言い放つと、早紗は高速を降りる道へとハンドルを切った。

                 **

 そして数十分後。自動車ディーラーの事務所から出てきた魔法少女は、外に立っていた綾小路天にVサインをすると、札束の入った茶色い紙袋を手渡した。
「3600万円。返済は出世払いでいいからね。これ持って御手洗家とやらに戻って、ほとぼりが冷めるまで神妙に振舞ってなさい。美紗たちにはアタシからうまく話しておくから」
「受け取れません……だってこれ、部長が大事にしてたフェラーリを売って……」
「いいのよ。最近はストレス解消する機会も減ってるし、そろそろ2人乗りの車にも飽きてきてたしね」
 早紗はそういって軽やかに笑った。それは自嘲をごまかす笑いではなく、吹っ切れたような清々しい笑顔だった。ここ数週間で彼女が見せるようになった、憂鬱を払いのけた者だけが持つ透き通るような表情であった。
「……すみません、オレなんかのために」
「言っとくけど、出世払いで貸してあげるだけだからね……だからいつか、必ず帰ってくるのよ。あなたには、やってもらいたいことが山ほどあるんだから」
 天は札束の袋を胸に抱いて、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます……このご恩はきっと……」
「いいから、早く行きなさい」
 天はもう一度頭を下げると、笑って手を振る早紗に背を向けて駅へと歩き出した。そして少ししてから立ち止まると、何かを思い出したように早紗のほうを振り返った。
「部長、ひとつだけ訊いてもいいですか?」
「なに?」
「本編では出番少ないのに、なんでこのSSでは美味しいとこばっか持ってくんです?」
「……目からびぃむ」
 綾小路天は這々の体で退散した。




【39】 2003.02.10

 翌日。大金を手にして御手洗城に戻ってきた綾小路天を、当主の御手洗大は上機嫌で迎えた。
「でかしたぞ綾小路! さすがは俺が目を掛けてやった男だ、これほどの大金を盗み出してくるとはな」
「……恐れ入ります」
 神妙に振舞う綾小路天。彼にとっては正念場だった。早紗の心遣いを絶対に無にするわけにはいかない。
「よく頑張ったな綾小路。さぞ辛かったことだろう、一時とはいえ勤めた会社を欺いたのだからな」
「いえ、それほどでも。お蔭様をもちまして」
 見え透いた誘導尋問に、誠意を込めた虚言で返答する天。
「私がどうかしていたのです。戻ってみてそのことを痛感しました……これからは御当主様のもとで、ご恩返しをしたいと思っております」
「そうかそうか、殊勝なこと。これで奴らを滅ぼすのになんの遠慮もいらんな、わーはっはっはっはっ」
「……えっ?」
 高笑いをする財閥家当主の言葉に、天は耳を疑った。どす黒い悪寒が背中を走りぬける。考えないでおこうと心の奥にしまいこんでいた悪い予感が、目の前を灰色に染め上げていく。思わず大声が口をついて出てしまった。
「な、なんとおっしゃいました?」
「奴らを滅ぼすと言ったのだ。妹の薫に無礼を働いた不逞の輩を野放しにしていては、御手洗家の沽券にかかわるのでな」
「約束が違う!」
「何を言うか。その様子だと、改心したと見えたのもまやかしだったのだな、この嘘つきめ」
「卑怯だぞ○ンコ!」
「貴様、俺をその名で呼ぶなぁっ!」
 もはや演技も作戦もない。立ち上がった綾小路天は御手洗大の胸倉を掴むと、積年の恨みを込めた拳を振り上げた。しかし大の親衛隊がよってたかって天の動きを制止した……そして1分後、歯ぎしりをしながら這いつくばる綾小路天の背中を踏みつけながら、御手洗大は高らかに宣言した。
「正義は我にあり! 明朝、物の怪の巣窟に踏み込むぞ、装備を整えよ! この金を軍資金に使ってな」

                 **

 そして翌日。退魔士の装束に身を包んだ御手洗大と妹の薫、そして親衛隊の男たち数名が、てひひ商事のプレートのついたマンションのドアの前に集結した。ベランダや他の脱出口は別の部下たちに塞がせてある。万一反撃を食らった場合に備えて、脱出用のパラシュートを背負うとともに破邪の呪文を全身に書き込んである。
 そして物の怪の走狗と化した綾小路天は、御手洗城の地下牢に閉じ込めてあった。
「いくぞ、薫」
「はい、お兄様」
 2人は小さく声を掛け合うと、部下たちに目配せをした。錠前破りの技術を持つ部下が一歩前に進み出る……敵に備えの時間を与えないためには、インターホンを押すことなど論外であるから。
 ところがその部下がドアの前にかがみこんだ瞬間、思わぬ方向から声がかかった。
「てひひー、ウチに何か御用っスか?」
「あーっ、あのときの女社長!」
 なんとマンションのエレベータのほうから歩み寄ってきたのは、この部屋の主ということになっている赤い髪をした女性であった。女性は無邪気そうにニコニコと笑いながら大たちのほうに近づいてきた。薫が指差してもひるむ様子すらない。
「あっ、こないだ来てくれた人っスね?」
「なにを、いけしゃあしゃあと……」
「確かテンちゃんのお友達っスよね? よく来てくれました、いま開けるっスから」
 自然と開いた人の列の真ん中を通って笑顔の女性はドアの前に立つと、鍵を取り出して無造作に扉を開けた。そして『しあちゃん、お客さんっスよ〜』と脳天気な声を上げながら部屋の中に入っていった。
「……と、とにかく、手間が省けましたわ。乗り込みましょう、お兄様!」
 あまりに意外で呆気ない展開に一瞬我を忘れかけた御手洗薫。しかし気力を奮い立たせた彼女は、当初の目的を達するべく兄のほうを振り返った。ところが敬愛する当主殿のほうは……妹以上に呆然として、ポケーッと部屋の中に消えていった女性のほうに目をやったまま魂を抜かれたように立ち尽くしていた。
「ど、どうかなさいましたの、お兄様?」
「……なんて綺麗な人だ……」
 デビルバスターズの総帥は夢遊病者のようにつぶやいた。
「さわやかな笑顔、美しい物腰……あぁ、まるで天使のようだ……」




【40】 2003.02.11

「申し訳ない」
 それからしばらくして。てひひ商事の応接間において、嫌がる妹の頭を押さえつけながら御手洗大は平伏していた。目の前にはニコニコと笑う美紗と冷たい目をした早紗、そして訳が分からぬ様子できょろきょろしている湖太郎がいる。ちなみに紫亜と紫乃は、早紗の計らいで部屋の奥に隠れさせてある。
「知らぬこととはいえ、大変失礼な真似をするところでした。こんな美しい方のことを、物の怪と勘違いするとは」
「勘違いじゃありませんわ、現にわたくしは……」
「黙れ、薫。お許しいただきたい、これというのも綾小路のバカが勝手なことを言い出したせいで……」
「てひひー、気にしてないっスよ、こうしてお友達になれたっスから」
「……そのことなんだけど」
 依然として冷たい表情をした早紗が、腕組みをしながら財閥家当主を見下ろした。
「その綾小路くん、昨日の朝から行方不明なのよね……何か知らない? 仲のいいお友達なんでしょ」
「は? い、いえそのぉ……ご、ご安心くだされ。配下の者たちに探させますほどに」
 御手洗大は顔をあげて振り返ると、背後に控える部下の1人に耳打ちした。部下は無言のうちにうなずくと、他の部下たちを引き連れて部屋を飛び出して行った。

                 **

 それから30分後。城の地下牢から引きずり出されマンションに連れてこられた綾小路天の前には、信じられない光景が広がっていた。
「あっ、綾小路さま!」
 てひひ商事の応接間で談笑する大と美紗。そして大の隣で泣きそうな顔をしていた薫が、天の姿を認めて立ち上がった。そして駆け寄って天の胸を揺さぶる。
「聞いてくださいませ、お兄様が魔物の虜になってしまいましたの! わたくし、どうすればいいのか……」
「失礼なことを言うな薫! このどこが魔物の巣窟だというのだ、お前の目は節穴かっ!」
「ひどいですわ、お兄様!」
 目の前で起こっている事態が信じられず、天は救いを求めるように早紗のほうに目をやった。早紗は小さくウインクをすると、親指を下に向けて上下に手を振った……GOのサイン。
「ここには魔物なんかいないよ、薫ちゃん」
「あ、綾小路さままで……」
「そうとも綾小路。お前からも言ってやってくれ、俺とお前が如何に親密な間柄なのかをなぁっ!」
 御手洗大は上機嫌で天に声をかけた。何を今さら……と反発しかけて天はその場の空気に気づいた。どうやら御手洗大は良い格好をしたいらしい。何がどうなっているのかは分からないが、千載一遇のチャンス。
「そういえば御手洗さん、綾小路くんのご両親の面倒を見てくれてるんですって?」
「はっはっは、実はそうなのですよ。綾小路とは俺お前の間柄で、子供のころからの大親友でして……」
「そうっスか〜、大ちゃんって偉いっスね〜」
「ははは、いやぁそれほどのことでも」
 照れたような笑顔を浮かべる御手洗大。早紗に目配せされた天は、ここぞとばかりに畳み掛けることにした。
「そうなんですよ、こいつは入院してるオレの両親の面倒をタダで見てくれてて、もうすぐ退院させてくれるって言うんです。それも3600万円もの見舞金をつけてくれるそうで」
「きっ貴様っ……あは、いやぁ、あはははは」
「そうっスか〜、羨ましいっス。大ちゃんはきっと、すっごく心が綺麗な人なんスね〜♪」
「あは、あはは、そう、そうなのですよ。我が御手洗財閥の力を持ってすれば、そのくらいのことを親友にしてやるのは造作もないことでして、わははは」
「ありがとう。薫ちゃんにも感謝してるよ」
「い、いやですわ綾小路さま……別に、わたくしは大したことなど……」
 憧れの男性から優しい言葉をかけられた御手洗薫は、思わず頬を赤らめた。


 そして1週間後。天の両親はマンションの別の部屋に移り住み、近くの公立病院に通院するようになった。長年にわたる綾小路天の呪縛は、こうしてついに解かれた。


……悪魔の計略編へ続く。

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