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キュートな会社の作り方

才女の憂鬱編(第18〜23話)

初出 2003.01.11〜2003.01.16
written by 双剣士 (WebSite)
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登場人物紹介入社初出勤小さな魔法美少年の事情才女の憂鬱せつない想い天誅の行方悪魔の計略幸せの広め方巻末クイズ


【18】 2003.01.11

 クリスマスイブが終わると、その1週間後には大晦日とお正月が訪れる。そんな新しい年の移り変わりを、綾小路天は例年とは異なる清々しい気分で迎えていた。
 命からがら逃げ出したテンレンジャー潜入失敗事件以来、御手洗家からの連絡は途絶えたまま。そのおかげで綾小路天は、同じ部屋に暮らしている同僚の樋口湖太郎、隣人で毎日一緒に食卓を囲んでいる紫亜と美紗……親切で暖かい仲間たちに囲まれた年越しの日々を過ごすことが出来た。御手洗城の華やかで悪趣味な牢獄に閉じ込められる日々が何年も続いていた彼にとって、それは久しぶりに訪れた心躍るエキサイティングな日々と言えた。
 大掃除や注連しめ飾りの準備をし、コタツに入りながらお雑煮をすすり、紅白歌合戦や隠し芸大会に歓声を上げる。皆で迎える初日の出、朝焼けに染まる愛しい少女の笑顔。そして初詣の喧騒とお正月のテレビ番組視聴。楽しげな笑い声に彩られたこれらの思い出は、どれもこれも天にとっては忘れられない1シーンとなった。世の中にはこんなに楽しいことがあったんだ、と思わず涙がこぼれそうになり慌てて目をこすったことすらあるほどだった。


 しかし。そんな暖かい思い出の中にかすかな違和感があることに、あるとき綾小路天はふと気づいた。それが何であるかに気づいた彼が軽い気持ちで疑問を投げかけたのは、お正月番組が幕を引き始める1月3日の夕方のことだった。
「あの……部長は、早紗さんは、今頃どうしてるんでしょうか……?」
 何気ない一言。少なくとも天はそのつもりだった。美紗さんのお姉さんで5人しかいない会社の一員なのに、一度も顔を見せないのは変だと思って……だがその一言が引き起こした部屋の雰囲気の変化は、あまりにも劇的だった。
 笑顔を消してうつむく美紗、顔を青ざめて目を伏せる紫亜、空気の変化にきょとんとする湖太郎。
 いきなり隙間風が吹き込んだかのようなマンションの一室にしばしの沈黙が満ち……やがて紫亜の口から、悲しげなつぶやきが洩れた。
「ごめんなさい、私のせいで……」
「し、しあちゃんのせいじゃないっス! あの、ほら、さっちゅん(早紗の愛称)って、その……こういうの苦手みたいっスから……」
「そういえば変ですよね……あの、ひょっとしてどこか、旅行にでも行ってるんですか?」
「そ、そそ、そうっスそうっス、そんな感じっス。てひひー」
「…………」
 湖太郎の助け舟に慌てて飛びつく美紗。もちろんその言葉を鵜呑みにする天ではなかったが、それ以上を問いただすのはさすがに憚られた。早紗さんと美紗さん。性格が正反対な姉妹のあいだには、きっと複雑な事情があるんだろう……確かにあの早紗さんの性格なら、一家団欒の雰囲気に馴染めないのも分かる気がする。それにしても、こんなに美紗さんたちが動揺するとは……。
「そうですか、余計なこと聞いてすみません……あ、凄いですよこの番組! ほらほら!!」
 天はわざと快活な声を上げてテレビを指差した。せっかくの暖かい雰囲気にひびを入れてしまった責任をとるために。そして彼の声に引きずられるように、場の雰囲気は明るさを取り戻した。

                 **

 それから数日後。仕事から帰った天と湖太郎がいつものように紫亜たちの部屋のドアを開けると、その瞬間、部屋の奥から姉妹喧嘩の大声が飛び出してきて彼らの耳を打った。
「なに考えてんのよ、美紗! そんなこと出来るわけないでしょ!」
「さっちゅぅ〜ん……」
「えぇい、そんな顔したってダメ! まったくロクなこと考えないんだから、アタシは絶対反対よ!」
 湯気が頭から上がる様子が目に浮かぶような早紗の大声。熱しやすく冷めやすい彼女の性格を知っている2人の青年は、毎度のことだろうと顔を見合わせたのち玄関に上がろうと靴を脱ぎ始めた。だがその手が急に止まった……部屋の奥から玄関に向かって、怒りの表情を浮かべた早紗が大股で歩み寄ってきたからである。
「美少年、ちょっと一緒に来なさい! 不思議少年は美紗のお守り!」
「え、あの、部長……?」
「いいから来るの!!」
 どうやら相当にご機嫌斜めらしい。肩を怒らせて歩きだす早紗に手を引かれた綾小路天は、両頬に疑問符の大群を浮かび上がらせたまま、さっき出てきたばかりのマンションのエレベーターへと向かった。




【19】 2003.01.12

 職場からの帰り道。いつものようにマイカーを運転していた中年男性は、走行中の車が突然左側に引き寄せられるのを感じて驚きの声を上げた。
「なんだ、横風か?」
 しかしここは東京の路上、車が流されるほどの強風が吹くような要素は何もない。不審に思いながらハンドルを戻す彼であったが……何の抵抗もできずに車は路肩へと引き寄せられて行った。それだけではない、エンジン回転もどんどん低下し車のスピードが勝手に落ちて行く。明らかに自分以外の何物かによって、車のコントロールが奪われてしまっている。
「わっ、うわわぁっ!!」
 追突される! そう恐怖して顔を上げた彼は……前後の車もまた同様に速度を落としながら左に寄って行くさまをみて愕然とした。見えない力に操られたように自動車の列が左脇に揃って行く。対向車線の車はその逆側へ、あたかも道路の中央で割れるかのように。
「な、なにが起こっているんだ?」
 UFOや心霊現象など信じない彼であったが、もはやその認識は過去のものになりそうだった。そんな彼の耳に後方から爆音が飛び込んで来て……振り返る間もなく、真っ赤なフェラーリが横をかすめて走り去って行った。見たこともないスピードで一瞬のうちに、中央に空いた車の列の間を通って。


 それから十数分後。都内を250キロ超のスピードで走り抜けた真紅のフェラーリは、とある高級ホテルの駐車場に滑り込んで停車した。そして運転席の扉から、魔法少女ルックを身にまとった勝ち気そうな金髪の少女を吐き出した。
「到着っと! さぁ、行くわよ美少年!」
 元気そうな金髪少女とは対照的に……助手席のドアから転げ落ちるように降りてきたスーツ姿の青年は、真っ青な表情で目を白黒させていた。常識外れの猛スピードで振り回され続けたことに対する疲労だけではない。サーキットでも高速道路でもない一般車両だらけの路上をノンストップで走り抜けてゆく恐怖に、彼の忍耐力は摩耗しきっていたのだ。
《も、もし一度でも対向車が目の前に現れたら……偶然、青信号ばかりが続いてくれてなかったら……》
 生きた心地のしなかった青年は、いま自分の命があることを思わず神に感謝した。それがドライバーの卓越した運転技術のお陰でないことは明白だった……なぜなら彼が隣で見る限り、少女はアクセルをベタ踏みしたまま最後まで緩めなかったし、交差点以外では一度もハンドルを動かそうとしなかったのだから。
「なに、ぼーっとしてんのよ。ほら腕だして、こういう所では女性をエスコートするもんよ」
「こ、ここ、どこなんです?」
「知らないの、とびっきりの超高級レストランがあるのよ。今夜はアタシがおごってあげるから、つきあいなさい」
 少女は優雅な手つきでフェラーリのキーをホテルマンに渡すと、青年の腕を引きずるようにしてホテルのフロントへと足を向けた。そして、
「あ、そうそう忘れるとこだったわ」
 青年から離れてフェラーリに駆け戻ると、その鼻先に突き立ててあったステッキを抜き取った。ハート形の飾りの付いたそのステッキは、彼女の手に移った途端にするすると大きさを変え、少女の袖へと滑り込むのだった。




【20】 2003.01.13

「それじゃ、美少年の輝ける未来に乾杯!」
「は、はぁ……か、乾杯」
 あれよあれよという間に超高級な西洋風レストランに連れ込まれた綾小路天は、向かい側に座った上司に誘われるまま、ワイングラスを宙へと掲げた。すると途端に不満そうな上司の声が飛んできた。
「何やってんのよ美少年。せっかくこういうお店に来てるんでしょ、『あなたの永遠の美しさに乾杯』とか、しゃれた台詞のひとつも言ってくれたらどうなのよ!」
「あ、す、すみません……」
「まったく気が利かないんだから。せっかく二枚目に生まれたんだから、こういうゴージャスな雰囲気での作法ってのも覚えとかなきゃダメよ」
 ぶつぶつ文句を言いながらワイングラスを傾ける早紗。そんな彼女を見つめる綾小路天は……早紗が思うほどには戸惑っても迷ってもいなかった。早紗は知る由もないことだが、こういう店なら御手洗家の令嬢に強引に連れてこられたことが何度かある。もっとも楽しいとか美味しいとか思ったことは一度もないが。
 天が気になっていることは別にあった。ここは神妙に振る舞った方がいいと察した彼は、なるべく早紗の機嫌を損ねないよう注意しながら、おずおずと話しかけた。
「あの、部長……?」
「? あーその呼び方、良くないわね。今は仕事中じゃないんだから、可愛く“さっちゅん”って呼んでくれて良いのよ」
「い、いやそれはちょっと……あの、お聞きしたいことがあるんですが。どうしてオレを、いきなり誘ってくれたんです?」
 当然の疑問。しかし早紗にとっては意外だったらしく、ナイフを持つ手が止まり表情が凍りつくという、なんとも居心地の悪い数秒間が2人の間に流れた。そして数秒後、早紗は痛いところを突かれたかのように相好を崩した。
「それはその……あ、あなたも頑張ってくれてるみたいだから、たまには贅沢させてあげようと思って。感謝してちょうだいよ」
「そうですか……」
 さっき美紗さんと喧嘩してた件と関係あるんですか、と問い質したいのは山々だったが、綾小路天はそれを必死で我慢した。まだ早い。いろいろ事情があるらしい目の前の女部長から、当人が隠したがってる話を聞き出すには……もう少し彼女の口が軽くなってからでないと。

                 **

 そして。高級料理に舌鼓を打っている間、早紗はほとんど一方的に喋り続けた。もっとも彼女自身のことには全く触れず、美少年として振る舞うための心得とかエチケットなどを先入観のままに押しつけてくるばかりだったのだが……その風向きが変わる瞬間がようやく訪れたのは、メインディッシュが終わってデザートが運び込まれるのを待っている時間帯であった。
「だからねぇ、あなたはもっと自信を持って、堂々と振る舞っていいって言ってるの」
「はぁ、しかし自信には実績の裏付けがないと……」
「そんなこと言ってたらお爺さんになっちゃうわよ。やり遂げたことをどれだけ大きく見せるかってのも、腕のうちなんですからね」
 浴びるようにお酒を喉に流し込みながらいつものようにお説教モードに入っていた早紗は……ここで突きつけた指先を降ろすと、自嘲するように溜息を吐いた。
「……って偉そうなこと言ってるアタシだって、威張れる実績があるわけじゃないのよねぇ……しょせんはゲームグッズ、オタク相手に小銭をかすめ取る商売だしさぁ」
「早紗さん?」
「ねぇ、一度聞きたいと思ってたんだけど……あなた、どうしてウチの会社に入ったの? もう気づいてると思うけど、ウチの会社、完全に美紗の趣味よ」
 早紗はとろんとさせた瞳のままで、机に顎を載せながら天のほうを見あげた。こんな扇情的な仕草を見せる上司を見たのは、綾小路天にとって初めての経験だった。
「あの子たちは好きでやってるからいいけど……以前にも言ったわよね、あなたみたいな美少年は、こんな雰囲気に染まらない方がいいって。アタシの見込み違いだったかしら?」
「そういう早紗さんは、どうなんです?」
 チャンス到来。綾小路天はドキドキしながら女上司の方へと矛先を向けた。それを聞いた早紗はスッと視線を逸らすと、手にしたフォークをくるくると回しながら絞り出すような声で答えた。
「アタシだって……好きで、こんなことやってる訳じゃないわよ……」




【21】 2003.01.14

 ……そして数十分後。ぐでんぐでんに酔っぱらってテーブルに突っ伏した早紗の肩を、綾小路天はうんざりした表情で揺さぶった。
「早紗さん、早紗さん、しっかりしてください」
「なによぉ、あなたまでアタシを除け者にする気ぃ〜?……」
「そんなことありませんよ。もう帰りましょう、紫亜さんに電話を入れときましたから」
「嫌だあぁ、アタシ今夜は帰りたくない!」
 取りようによっては色っぽい誘いとも聞こえる台詞。しかし今の天にとっては、酔っぱらいの駄々にしか聞こえない。
「無茶言わないでくださいよ」
 あっさりと振り払いつつ、早紗の腕を取って立ち上がらせる。全身脱力状態の彼女の身体は意外なほど軽かった。彼女に肩を貸しながら天は思った。
《この人も自分で言うほど“ゴージャスな世界”に慣れ親しんでるわけじゃなさそうだ。レストランのワインをがぶ飲みして酔い潰れる様子といい、フォークとナイフの使い方といい……それなのにオレの前だと年上ぶって虚勢を張って。なんだ、結構可愛いとこもあるんじゃないか》
 考えてみれば、思い当たる節はある。いい年していながら子供っぽい服ばかり着て魔法のステッキとやらを振り回していることといい、妹さんと喧嘩したその日にこうして憂さ晴らしに出てくるところといい……いつも口うるさい上司ではあるが、さすがは美紗社長のお姉さん、血は争えないというところか。
《それにしても……あんな与太話を聞かされるとは、思わなかったな》
 期待するところがあっただけに天の落胆は大きかった。ようやく早紗の口から身の上話が出てきたと思ったのに、それは“私の前世はムー帝国の聖戦士でした”と口走る少女の妄想と同レベルの、とうてい聞くに堪えない夢物語だったのだ。天界とか天使試験とか落第者消滅とか下界追放とか、まるっきり現実味のない単語がちりばめられているばかりで……酔っぱらいの戯言を聞かされているうちに天はすっかり酔いから覚めてしまったのだった。もちろん早紗の話した内容などは右耳から左耳へと抜けてしまっている。
《まぁいいか、早紗さんの意外な一面が見られたことだし……》
「申し訳ありませんがお客様、お会計の方を……17万6千円になります」
 愛想が良さそうな店員の声に綾小路天はハッと顔を上げた。さすがは超高級レストランとも言える価格設定だが、もちろん天の懐にそんな大金はない。
「早紗さん、お会計ですって。起きてください」
「……スーッ……」
「こんなときに寝ないでくださいよ!」
 可愛いなんて一瞬でも思ったのが間違いだった……激しく後悔しながら綾小路天は自称・魔法少女の肩を揺さぶった。笑顔を浮かべたまま迫ってくる店員の数が、1人、また1人と増えていく。必死になって上司の名を呼ぶ天の背中を、熱い汗と冷たい汗が同時に流れ落ちた。




【22】 2003.01.15

「だからねぇ、聞いてる美少年? アタシが言いたいのはぁ〜」
「はいはい、わかりましたって。着きましたよ、降りましょう早紗さん」
 超高級レストランでの支払いをどうにか終えて、こんな状態の女性に暴走フェラーリの運転はさせられないからとタクシーを呼んで……長いようで短かったゴージャスな夜がやっと終わりに近づいたと、マンションの前に辿り着いた綾小路天は深々と溜め息を吐いた。
 カードでの支払いを済ませた女性上司はその後もぶつぶつと説教を続けていたが、既に天はそれを聞き流す術を身につけていた。『お伽の国のお姫様』……彼女の本質がそこにあると分かれば、部下として対処のしようもある。要するに逆らわなければ良いんだ。彼女の言い分を否定しなけりゃいいんだ……それが彼が出した今夜の結論であった。


 そして2人を乗せたエレベーターがマンションを登り切ったとき。
「お帰りなさい、綾小路さん」
「あ、紫亜さん……すみません、待っててくれたんですか?」
「タクシーが止まる音がしたもので……あの、早紗さん大丈夫ですか?」
「ええ、酔っぱらってるだけですから」
 寒い中をわざわざ出迎えてくれた愛しの乙女の姿に、頬をほころばせる綾小路天。紫亜は笑顔を浮かべながら、手を貸そうと天たちの方へ歩み寄ってきた。だが……。
「ひっくぅ、なによぉ、こっち来ないでぇっ!」
「……!」
「舐めないでよね、アンタの助けなんか借りないんだから……ダメ悪魔のくせに」
 突き放すような言葉の槍が紫亜の胸を打った。紫亜は足を止めて悲しそうにうつむいた。それは正月に彼女が見せた、早紗の話を持ちかけたときと同じ種類の表情だった……天の胸に熱いものが沸き起こる。天はとっさに、壁の方へと女上司を突き飛ばした。
「……美少年……?」
「早紗さん! なんて言い草ですか、迎えに来てくれた人に向かって!」
「あ、綾小路さん、落ち着いてください。私ならいいんです、私は別に……」
「紫亜さんは黙っていてください」
 紫亜の取りなしを振り払うと、天は壁にもたれたまま何が起こったか分からぬふうに目を丸くしている早紗に向かって声を張り上げた。普段の彼は絶対に暴発などしないタイプだったが、この時は言わずには居られなかった。
「いい加減にしてください、訳の分かんないことばかり言って、勝手にエリートぶって! 格好つけるだけならまだしも、他の人を見下すなんて最低です! 謝ってください、紫亜さんに!」
「…………」
「ほら早く! それともそうやって、意地を張ったまま生きていくつもりですか? 誰からも相手にされないままで?」
「あなたなんかに……あなたなんかに、何が分かるってのよぉ!!」
 瞳いっぱいに涙を溜めた早紗は、大声を上げながら綾小路天の胸をどんどんと叩いた。ちょっぴり言い過ぎたか、いやここはきちっと言っておかないと……早紗の肩を掴んで引き離し、頬を叩こうと手を振り上げる。紫亜が傍らで息をのむ。
「にゃっすぅ〜、いったいどうしたっスか……あっ、さっちゅんっス、お帰りっス〜♪」
 だがその瞬間、いかにも嬉しそうな声が紫亜の背後から聞こえてきた。紫亜が振り返って一礼する、天の右手が素早く降ろされる。そしてその間隙を縫って、早紗は天の身体を楯にするように美紗から見えない角度に隠れた。
「み、美紗……ただいま。遅くなってごめんね」
「さっちゅん、さっきはごめんっス。いきなり飛び出して行っちゃうから心配したっスよ」
「いいのよ。美少年につきあってもらって気晴らししてただけだから」
 早紗は顔を隠しながらそう答えると、天を楯にしたままズリズリと自分の部屋の方へと歩き始めた。小さな身体のどこにこんなパワーがあったのか……唖然とした綾小路天が次の行動を決めかねているうちに、早紗は自分の部屋のドアの前まで来ると美紗に向かって小さく手を振った。
「それじゃ、アタシ先に寝るわね……美少年とはもうちょっと話があるから借りてくわ。それじゃ」
「ういっス、バイバイっス〜♪」
「……お休みなさい」


「ごめんね美少年、巻き込んじゃって……紫亜には、後で謝っておくから。アタシたちのことを誤解しないように、ちゃんと話しておくから」
 美紗たちに見送られながらマンションのドアをくぐって、扉を閉めて。早紗は綾小路天を押し込み続けてきた力を抜くと、一転してしおらしい様子でつぶやいた。美紗が現れたときと今回、2度にわたる彼女の豹変振りに天はすっかり毒気を抜かれてしまった。
 玄関で立ちつくす2人、息と息が触れ合う距離。お酒の匂いをさせながら向かい合う2人は、しかし今では酔っぱらい同士でもなければ上司と部下でもなかった。天の胸から涙に濡れた顔を離した早紗は、彼と目を合わせぬまま、ささやくように弁解を続けた。
「だって……美紗にはこんな顔、見せられないんだもの。あの子の前では、アタシは優等生でなきゃいけないんだもの……子供の頃からずっと、そうやってきたんだもの……」
 うつむいたまま言葉を続ける少女。それを見下ろしながら、天はふと、彼女が自分を食事に誘ってくれた理由が分かったような気がした。入社の時にあれだけ推薦してくれていながら『会社には染まるな』と事あるごとに説教する、その理由が分かる気がした。

《寂しかったんだ……この人》




【23】 2003.01.16

「…………」
「……ねぇ、そろそろ……自分の部屋へ、帰ったら?」
「あ……はい、そうですね……」
「今夜はありがとね、つきあってくれて」
 しばらく玄関でたたずんだ後。2人は早紗の部屋の玄関先で、ぎこちない別れの言葉を交わすこととなった。双方ともに激情の波は通り過ぎていたのだが、酔いの醒めた早紗はそれから一言も言葉を発しなかったし、天の方も彼女に掛ける言葉を見つけかねていた。
《エリート意識を捨てろって、言葉で言うだけなら簡単なんだろうけどな……曲がりなりにもこれまでの早紗さんを支えてきた自意識だし。自縄自縛に陥っているからと言って簡単には捨てられやしない。それにその後の彼女を支えてやれない自分に、そんな偉そうなことを言える資格があるんだろうか……オレには他に好きな人がいるのに》
 なまじ早紗の本心を見てしまっただけに言葉に困る綾小路天。このまま別れてしまえば彼女はまた出口のない迷路をさまようことになる。そうは思うのだが、いつまでも玄関先に立ちつくしていられないのも事実だった。
「あ、あの……」
「……何?」
 カラカラに渇いた口からは気の利いた台詞は何も出てこない。天は軽い自己嫌悪に陥った。早紗はそっと瞼を伏せると、ゆっくりと扉を閉めようとした……そしてドアが天の目の前を遮ろうとする寸前になって、ようやく彼の呪縛が解けた。
「あの! オレ……」
「…………?」
「オレ……この会社に入って、良かったと思ってます」
 脈絡など何もない。生き方を変えろなんてこの人に言えるわけもない……でもこの人には伝えておきたかった。壁を1つ乗り越えさえすれば、すぐそばに温かい仲間がいるんだってことを。寂しがることなんてないんだってことを。
「……そう」
「オレ、本当言うと最初、変な会社だなって思ってました……でも今は、すごく気に入ってるんです。仕事の中身だけじゃなくて、あったかい雰囲気とか、夢を売る楽しさって言うか」
「……アタシに会えたことも?」
「…………!」
「うそうそ。ちょっとからかっただけよ……それじゃ、ね」
 ささやかな逆襲をしてから、早紗はドアを閉じた。その表情は悪戯っぽいいつもの彼女のものだった。

                 **

 そして翌朝。どんな顔で早紗さんに会おうかと迷いながら、いつものように紫亜たちの部屋に来た綾小路天は……意外な光景に目を丸くした。
「あっ、テンちゃんおはようっス〜♪」
「おはようございます」
「おはよ」
 なんとそこには、大盛りのごはんを掻き込む早紗の姿があった。これまで一緒に朝食など食べようとしなかった、あの彼女の姿が。どういう風の吹き回しか?
「あの、これは……」
「なによ、そんなに意外?……仕方ないじゃない。夕べ豪遊したせいで、今月の食費、無くなっちゃったんだから」
「てひひー、さっちゅんが来てくれて嬉しいっス〜」
「い、言っとくけどこれは非常事態なんだからね。交際費を出してくれない会社が悪いんだからね!」
「はい早紗さん、おかわりです♪」
 照れくさそうに文句を言う早紗とは対照的に、美紗と紫亜はとても嬉しそうだった。先に来ていた湖太郎も、ごく自然の光景としてこの雰囲気を受け容れていた。綾小路天にも思わず笑顔が浮かんだ。
《そうだよな、これでいい。少しずつでいいんだ》
 一気に何もかもが変わるはずもない。でも天は、こういうささやかな変化が嬉しかった。昨夜のことは無駄なんかじゃなかったと信じたい、そう思った。いつか早紗さんも気づいてくれるだろう……完璧に仕事をこなすことだけが、彼女の存在意義じゃないってことを。
「何よ美少年、ニヤニヤして……あ、そうだ美紗、昨日の件のことだけど」
 ところが、温かい朝食の雰囲気はここから反転する。天が席に着くのと同時に、営業担当部長が投げかけたこの一言によって。
「うにゃ?」
「あれ、進めていいわよ」
「えっ、さっちゅん本当っスか?」
「アタシはまだ、イメージに合わないって思うんだけどね。本人がいいって言ってたから」
「良かったですね、美紗さん」
「やったッス〜、じゃさっそく製作に取りかかるっス〜」
「あれ、何の話です?」
 勝手に盛り上がる雰囲気についていけない綾小路天。すると隣に座った湖太郎から、小さなパンフレットの下書きが差し出された。そこにはてひひ商事の新商品の名前が書かれてあった。

シリーズ第2弾、テンちゃん人形!!

「オレまでショタコン共の玩具にするつもりですかぁ〜〜!!」
 天の抗議がにこやかに無視されたことは、言うまでもない。


……せつない想い編へ続く。

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