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キュートな会社の作り方

小さな魔法編(第8〜12話)

初出 2002.12.19〜2002.12.23
written by 双剣士 (WebSite)
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登場人物紹介入社初出勤小さな魔法美少年の事情才女の憂鬱せつない想い天誅の行方悪魔の計略幸せの広め方巻末クイズ


【08】 2002.12.19

 入社初日にして早くも上司に見捨て……いや置き去りにされ、秋葉原ゲーマーズで実地研修に励むことになった樋口湖太郎。だがゲーマーズでバイトする少女たちの反応は、いたって冷淡なものであった。
「背広なんか着てお店に立たれたってむさ苦しいだけにょ! それにコタローなんて名前じゃ、人気商品のイメージが台無しにょ! さっさとどっか行くにょ!」
「でじこ、そんな言い方したら可哀想じゃない。そうねぇ、それじゃお客さんの目に付かないように、奥のほうで資材整理でもやってもらおうかしら?」
「うさだ、全然フォローになってないにゅ」
「でじこお姉ちゃん、そんな奴ほっといて、一緒に新作アニメのリハーサルをやるぴょ〜!」
 いきなり上司に命令されただけで何の準備もできていない。取り立てて接客やレジ打ちの技能を持ってるわけでもない。そんな新参者を開店直前に放り込まれたってゲーマーズの側も困るのだった。
 やがて開店の時間。店員たちは営業スマイルを浮かべながら慌ただしく働き始めた。そんな彼らに構ってもらえなくなった湖太郎は、肩を落としながら店の奥の倉庫へと向かった。
「僕、やっぱりダメなのかな……」
 足取りが次第に重くなる。入社初日に突きつけられた社会の現実、これっぽっちも役に立たない今の自分。もしテンちゃんが僕の立場だったら、とふと彼は考えた。きっとお店の人とも仲良くできて重宝がられるんだろうな、と。
「……仕方ないよね、こんな僕じゃ……」
 これといった取り柄もなく、『普通』であることを自他共に認めている樋口湖太郎。上司の早紗が優秀そうな同期生のほうだけを連れて行ったのにも納得がいく。自分には不満を言う資格なんかない……与えられたことを精一杯やるしか。
「…………」
 湖太郎は倉庫の扉を開けた。ついさっき商品を運び出したばかりの倉庫は、品切れになりやすい売れ筋の商品は手前側に、そうでない商品は奥の側にと整然と並べられていた……お店のことを良く知らない者が勝手にいじったら、きっと迷惑が掛かるだろう。倉庫の中を見た湖太郎は、ついそんなことを思った。
「仕方ない、別のところへ行こう」
 ……そして数分後。湖太郎は埃だらけの古びた一室にいた。ブームを過ぎた古いグッズが雑然と放り込まれた、滅多に人が来ないようなお店の奥の倉庫室。きれいに整理する必要があるとも思えないが、素人の自分にはかえって都合がいい。誰もしたがらない仕事をするくらいしか、今の自分には出来ないだろうから。
「……寒い、なぁ……」
 空調のない寒さ。人の気配のない寒さ。きっとその両方だろうと湖太郎は思った。このときの彼は気づいていない。子供の頃から霊感の強かった彼だけが感じる、独特の寒気が古びた倉庫を覆っていたことに。
「……それにしても、知らないグッズばっかりだなぁ……」
 そうつぶやいて棚だらけの倉庫を見渡した、ちょうどその時。
「しくしくしく……ぐすっ、ぐすっ……」
「……?」
 誰もいないはずの倉庫の奥から、小さな女の子の泣き声が聞こえてきた。見ると長い棚の向こうに隠れるように、小さな女の子がこっそりと湖太郎のほうを覗き込んでいた。年の頃は3歳から5歳頃。ひとりでゲームショップに遊びに来るような年齢ではない。
「……ど、どうしたの?」
 だが湖太郎が声を掛けると少女はおびえたように身を隠してしまった。そして再び響き渡る少女の泣き声……放っておくわけにも行かない。もし迷子になってここに迷い込んだんだったら、親御さんのところへ連れて行ってあげないと。
「ぐすっ、ぐすっ……ひ、ひうぅ……」
 湖太郎は泣き声を頼りに少女の後を追った。だが狭い倉庫の中だというのに、湖太郎はなかなか少女を捕まえられなかった。しかし息を切らして立ち止まって見ると、いつも物陰から少女は湖太郎のほうを覗き込んでいるのだった……。  そんな追いかけっこがどれほど続いただろうか、ついに湖太郎は両足を投げ出すと、埃まみれの床に背広のまま大胆に座り込んだ。
「まいったよ、降参、降参……はぁ、はぁ……」
 息をつきながらわざとそっぽを向く。もう君を捕まえたりしないよ、と全身で表現したつもりだった。すると泣き虫の女の子は涙をこすりながら、おそるおそる湖太郎の方に近づいてきた。湖太郎はわざとそちらを向かずにいた……そして少女の気配がかなり近づいてきた時点で、顔を背けたまま世間話をするように口を開いた。
「お兄ちゃん、もうクタクタだよ……お嬢ちゃん、かくれんぼ上手なんだね」
「…………」
「ねぇ、お兄ちゃんとお友達になってくれるかな……かくれんぼの続きをしようよ」
「……ほんとぅ? 遊んでくれるのぅ?」
 少女を驚かせないように、湖太郎はゆっくりと首を少女のほうへ向けた。少女はべそを掻いてはいたが、今度は湖太郎の視線を受けても逃げ出したりはしなかった。くりくりした瞳が可愛らしい、甘えん坊な少女のように湖太郎には思えた。彼は笑顔を浮かべながら右手を少女に差し出した。
「僕のことは、コタロー兄ちゃんって呼んで……お嬢ちゃん、お名前は?」
「しの……紫乃って、いうのぅ……」

                 **

 その頃のゲーマーズ店内では。
「さっきの人、戻ってこないわね……倉庫の整理、1人で大丈夫なのかしら」
「涼しい顔で何いってるにょ、うさだが行けって言ったくせに。あいつ、今頃はおしっこちびってるに違いないにょ」
「あら、どうして?」
「お店の奥には、幽霊が出る古い部屋があるんだにょ。1人でいると女の子の泣き声が聞こえるんだにょ……そんなとこに行かせるなんて、うさだは悪いやつだにょ」
「し、知らないわよ、そんなこと!」




【09】 2002.12.20

「おにいちゃん、おにいちゃん、こっち、こっちぅ〜」
「はぁ、はぁ……し、紫乃ちゃん、ちょっと……待って……」
 狭い倉庫で延々と続けられる、2人きりの鬼ごっこ。ようやくここに来て湖太郎も、目の前にいる少女がこの世の存在でないことに気がついていた。最初は普通の子供に見えた紫乃という少女は、倉庫に置かれている荷物や棚がまるで障害にならないかのように、簡単にすり抜けて駆けていってしまうのだ……逃げる側がこれでは、入り組んだ倉庫の中で彼女に追いつくことは不可能。
「ち、ちょっと休憩……はぁ、はぁ、はぁ」
 着ている背広は汗と埃でとっくに汚れきっている。もはや体裁を繕う余裕もなく、湖太郎はその場に座り込んで荒い息をついた。くすんだ空気を胸一杯に吸い込む。会社に入って、まさか子供と追いかけっこをすることになるとは思わなかった……1人っ子に生まれたから、妹や親戚の子と遊ぶ機会もなかったし。
「おにいちゃんぅ……?」
 小首を傾げながら、紫乃はすたすたと歩み寄ってきた。もはやすっかり警戒心を解いた少女に疲れている様子は微塵もない。大きな瞳を輝かせた紫乃の表情には、もっともっと遊ぼうよ、と書いてある……無理もない、滅多に人の来ない古倉庫で、今日までずっと1人ぼっちだったのだから。
 湖太郎は荒い息をつきながら紫乃が近づいてくるのを待った。本当はとっくに呼吸は収まっている。それでも疲れて動けない振りをしているのは……。
「捕まえたっ……あっ!」
 すかっ。
 紫乃が十分に近づいたのを見計らって湖太郎は身を翻した。壁抜けのできる紫乃ちゃんを捕まえるにはこれしかない、そう思って仕掛けた罠……だが湖太郎の腕は紫乃の身体をすり抜け、むなしく空中をかき抱いた。びっくりして立ちすくんだ紫乃の眼にみるみる涙が浮かんできた。
「うぅ……ぐすっ、しくっ、しくしく……うわぁーんぅ〜」
 騙されたことに傷ついて泣き出したのではない。せっかく友だちになれたはずのおにいちゃんの腕が、自分をすり抜けてしまったことへの涙……湖太郎は悟った。目の前の少女は、きっと誰にも抱きしめられたことがなかったのだと。湖太郎はあわてて少女に謝った。
「ごめん、ごめんね紫乃ちゃん……ほら泣かないで、笑って……おにいちゃんまで悲しくなっちゃうから」
「ぐすっ、ぐすっ……ひぅっ、う、うん、ごめんなさいぅ……」
 無理して笑顔を作ろうとする紫乃の仕草に、湖太郎の胸は締めつけられた。独りぼっちなだけじゃない。たまに来た人には怖がられ、気づいてくれた人にも抱きしめてもらえない……そんな風にしてこの子は暮らしてきたんだ。古い人形やおもちゃが倉庫に沢山あるというのも、こうなるとかえって残酷とも言える……だってこの子は、そのどれひとつとして手にとって遊ぶことが出来ないんだから。
「……紫乃ちゃん、今度はおにいちゃんと、にらめっこしようか?」
「にらめっこぅ?」
「そう、こうやって向かい合って変な顔をするの。先に笑った方が負け……じゃあ行くよっ」
「うん……きゃはは、変な顔ぅ〜」
「はい、紫乃ちゃんの負け〜」
 紫乃ちゃんをいつまでも泣かせてはおけない。同情や哀れみを顔に出してもいけない。湖太郎に出来ることは、身体の接触を必要としない遊びを色々と教えてあげることだった。紫乃の機嫌もようやく直ってきた。

                 **

 だが、楽しい時間は長くは続かない。
「こら、いつまで油売ってるにょ! お店が忙しくなってきたにょ、すぐに倉庫から商品を持ってくるにょ!」
 扉越しのアルバイト少女の声で、樋口湖太郎は現実に引き戻された。そう、いつまでも幽霊の少女と一緒にいるわけには行かない。自分は仕事でここに来ているのだから……別れ際に紫乃は泣いた。せっかく仲良くなれたおにいちゃんと離れたくないと大声で泣いた。湖太郎は後ろ髪を引かれる思いで、古びた倉庫を後にした……。
 そうして店に戻った湖太郎は、品切れになったコタロー君グッズを今朝搬入した倉庫からお店に運びこむことを命じられた。コタロー君の手帳、キーホルダー、クリアファイル……なんでこんなものが売れるんだろうと疑問に思いながら湖太郎は倉庫とお店とを往復した。その4往復目のことだった。
「おにいちゃんぅ! 一緒に行くぅ、1人は嫌なのぅ〜」
「う、うわわぁっ!!!」
 それは突然の呼びかけだった。まさか新倉庫を出た途端に紫乃が現れるとは思ってなかった湖太郎は、驚きのあまりバランスを崩して抱えていた荷物を放り出してしまった。倒れる湖太郎の視界に下からせり上がってくる紫乃の姿、そして空中から降ってくるコタロー君のぬいぐるみがスローモーションのように映った。
「紫乃ちゃん、よけてっ!」
 だが声の甲斐もなく、ぬいぐるみの1つが紫乃の頭にぶつかった。倒れ込んだ湖太郎が再び身を起こしてみると、床に散乱するぬいぐるみの真ん中で、尻餅をついた紫乃は惚けたように頭に手を当てていた。痛がっているというより当惑しているような彼女の表情。柔らかいぬいぐるみだったのが不幸中の幸い……少しだけ安堵しながらも、湖太郎は紫乃の頭に手を伸ばした。
「大丈夫、紫乃ちゃん? 怪我はない?」
 しかし彼の手は空気のように紫乃の頭をすり抜けた。一瞬パニックになりかけた湖太郎の脳裏に、さっきまでの古倉庫での出来事が思い浮かんできた。そういえば紫乃ちゃんの身体は……あれ、だとすると?
「これ……」
 しゃがみ込んだ紫乃は、地面に転がっているコタロー君ぬいぐるみをつんつんと指でつついた。ぬいぐるみは当たり前のように押された部分を凹ませた。続いて紫乃はぬいぐるみに両手を伸ばした。ぬいぐるみは……それが当然のように……紫乃の手に感触を伝え、抱き上げられて紫乃の胸に納まった。
「わあぁぅ……」
 紫乃の表情が、みるみる輝いてきた。湖太郎はその様子を呆然としながら見下ろしていた。




【10】 2002.12.21

 夕刻、学校帰りのお客さんでごった返すゲーマーズ店内。平日の営業時間の中では最も売り上げの上がる時間帯であり、お店の側としては猫の手も借りたくなるほどの忙しさに包まれる数時間であった。アルバイトの少女たちは今朝がたの冷たい態度など宇宙の彼方に放り出して、埃まみれの背広青年が運んでくる補充用の商品を今か今かと待っていた。
「遅いにょ! お客さんがお待ちかねだにょ、100メートルを5秒で走って持ってくるにょ!」
「えっとね、その人形はここと、ここと、ここに……それが終わったら、次はマグカップを30個ね、コタロー君の」
 ところがコタロー君人形のパックを抱えた青年の足取りは遅々としたものだった。青年は右手にコタロー君ぬいぐるみの1つをぶら下げ、左腕で残りの人形を山のように抱えたまま、危なかしい姿勢でふらふらとゲーマーズ店内のコタロー君グッズコーナーに歩み寄った。そしてコーナーの傍でしゃがみこみ、左腕の人形の束を崩すように床に広げた後、左手だけで1つ1つ陳列台に並べていった。右手はあくまで、コタロー君ぬいぐるみの1つをぶら下げたまま動かさなかった……そんな彼の要領の悪さに店員たちは苛立ちを隠さなかった。
「そんなんじゃ遅すぎるにゅ。両手使ってテキパキやるにゅ」
「ああもう、なんでお店の床に広げちゃうわけ? お客さんの邪魔になるじゃない」
「まったく、使えない男だにょ」

《……そんなこと言われたって》
 湖太郎とて効率が悪いのは分かっていた。だが今の彼は、商品を並べるのに右手を使う訳には行かない事情があった……なぜならぬいぐるみから手を離した途端、幼女の謎の泣き声によって店内がパニックになることは明らかだったから。
《おにいちゃんぅ……》
 小さな女の子にとってぬいぐるみを抱くことは特別な意味を持つ。まして物に触ることの出来なかった幽霊の紫乃にとっては、触って抱きしめることの出来るコタロー君ぬいぐるみは初めてのおもちゃといって差し支えないものだった。紫乃がぬいぐるみを抱きかかえ、そのぬいぐるみの手を湖太郎が持つ……間接的とはいえ『おにいちゃんと手をつなぐ』方法を覚えた彼女は、あのあとニコニコしながら湖太郎の傍をついて回っていたのである。
 そしてこれが、当の湖太郎にとってはありがた迷惑に他ならなかった。紫乃は初めて覚えた『触れ合い』に執着し、湖太郎のほうから手を離すと大声で泣き喚いた……仕事中の湖太郎が右手を彼女に占有されている理由はここにある。しかも紫乃の姿が湖太郎以外には見えていないらしいことが彼の混乱に拍車をかけた……紫乃が抱きしめているぬいぐるみの手を握っている彼の姿は、ただぬいぐるみを片手でぶら下げているだけにしか見えないのである。
「紫乃ちゃんごめん、おにいちゃん忙しいから……ちょっと手を離させてくれないかな」
「……うぅ……」
 小声でそう頼んだ途端、少女の大きな瞳は堤防決壊寸前になる。口元が歪み身体が小刻みに震えだす。そうなると湖太郎には、もうどうすることも出来ないのだった。

 だが湖太郎の要領の悪さにイライラを募らせていたのは、ゲーマーズの店員たちだけではなかった。
「これ、売り物ですよね?」
 早く買わないと売り切れる。人形が棚に並ぶのを待ちきれない女子高生たちは、床に広がったままの人形パックを直接拾ってレジへと持ちさって行き始めた。1人がそれをすると他の子たちも我先に人形に手を伸ばした……そして女子高生の1人が、湖太郎の右手のぬいぐるみに目をつけた。
「あ、あの、これはちょっと……」
「あなた、お店の人でしょう? いいじゃないですか」
 女子高生にはぬいぐるみを抱いている紫乃の姿は見えない。伸ばした手を何者かに振り払われた女子高生は、あらためてぬいぐるみを掴もうとした……その瞬間だった。
「嫌ぅ〜、これはダメなのぅ〜!!」
「きゃあぁぁーーっ!!!」
 奇声をあげながらぬいぐるみは女子高生の手をすり抜け、そのまま店の奥へと逃げ出していった。いきなり走り出したぬいぐるみに店内は軽いパニック状態に陥った。湖太郎は思わず天を仰いだ。

                 **

「ひっく、ぐすっ、えぐっ……」
 古倉庫の前に座り込んで、紫乃はぬいぐるみを抱えたまま泣きじゃくった。透明な涙が一滴一滴、ぬいぐるみに落ちて吸い込まれていく。紫乃にとっては大切な大切なぬいぐるみだった。誰かに取り上げられるなんて耐えられない。『おにいちゃん』が守ってくれなかったことも、彼女の悲しさに拍車をかけていた。
「う、うわーんぅ〜」
「どうしたっスか? 泣いちゃダメっスよ♪」
 紫乃の涙が3度目の大波を迎えようとした、ちょうどそのとき。思わぬ方向から彼女を気づかう声がかかった。見上げた先には見知らぬ少女が、天使のような笑顔を浮かべながら紫乃のことを見下ろしていた。その少女はしゃがんで紫乃と視線を合わせると、右手を紫乃の頭に伸ばした。
「いい子、いい子っス〜」
 紫乃の頭をなでてくれる、大きくて優しくて暖かい手の感触。紫乃は小さな手を震わせながら少女の手に重ねた。暖かくてスベスベな肌触りを伝えてくる紫乃の指先を、少女は反対側の手で優しく包んでくれた……ぬいぐるみとは別種の暖かさ。紫乃は感極まって少女の胸に飛び込んだ。
「うわーん、うわーん、えぐっ、ひっく……」
「てひひー、甘えんぼさんっスね♪」
 抱きしめて紫乃の背中をなでてくれる少女の手。その少女の頭では、白ウサギの髪飾りが楽しそうに目を細めていた。




【11】 2002.12.22

 お店のパニックをどうにか収めた湖太郎は、紫乃を追って店の奥へと駆け戻った。怪訝な顔をする店員たちには『逃げたぬいぐるみを捕まえてきます』と言い残してきた。おかしな言い訳だと自分でも思うが、幽霊を追いかけると答えるよりはマシだろう。
「紫乃ちゃ〜ん……あっ」
 誰もいない旧倉庫に向かう廊下に駆け込んだ湖太郎は、そこから差し込むまばゆい光に思わず目を覆った。窓など無いはずの廊下から発する白い光。どこでかは思い出せないけれどもずいぶん昔に見たような、懐かしくて暖かい光……そしてその光の中から、1人の少女がゆっくりと歩いてくるのが見えた。逆光に目が慣れてきた湖太郎は、その少女の顔に気づいて大声を上げた。
「美紗さん!」
「しぃーっ」
 後光を背負った美紗は、片目をつぶりながら唇の前に人差し指を当てた。彼女の腕の中には、ぬいぐるみを抱いたまま美紗にしがみつくように眠っている小さな少女の姿があった。それは湖太郎が捜していた少女だった。
「紫乃ちゃん……良かった、美紗さんと一緒だったんだ」
「泣き疲れて、やっと眠ったところっス。そっとしておいてあげるっス……この子、コタロー君のお知り合いの子っスか?」
「ええ、この子を捜してたんです。可哀想な子で、さっきもお店で一騒動……」
 そこまで話した湖太郎は、ふいに言葉を切ると視線を紫乃から美紗の顔へと移した。そして一歩後退すると、震える指で美紗のほうを指さした。
「……って、美紗さんこの子のことが見えるんですか? って言うか、どうして抱っこしていられるんですか、紫乃ちゃんのことを!」
「しぃーーっ!! 大声出しちゃダメっス」
 湖太郎の叫びを制止した美紗は、すやすや眠る紫乃の表情を確認してから、湖太郎に向かって小首を傾げた。
「ところで、コタロー君どうしたっスか? 何か私、おかしなことしたっスか?」

                 **

「そうだったっスか……可哀想な子っスね」
 廊下に座り込んで湖太郎から事情を聞いた美紗は、紫乃の背中を優しいリズムで叩き続けた。
「こうしてると、まるっきり普通の女の子っスのに……」
 どうやら美紗本人には、紫乃のことが目に見えて手で触れられる普通の女の子に見えるらしい。どうして、と言いかけて湖太郎は口をつぐんだ。自分だって、幽霊のことがどうして見えるの、と普通の人に聞かれても答えようがない。コツや要領があるわけじゃなくて、見える人には見えてしまうものなんだ。きっと美紗さんにとってもそうなんだろう。
「きっと寂しかったっスね……独りぼっちで、暗くて狭いところに閉じこめられて。誰もお友だちが出来なくて……コタロー君について来ちゃったこの子の気持ち、分かるような気がするっス」
 美紗はそうつぶやいて紫乃の髪を撫でた。彼女の言葉に同情以上の重みを感じ取って、湖太郎は返す言葉を見つけられなかった。独りぼっちになる寂しさは、自分だって知ってるはずだったのに……紫乃ちゃんが目覚めたら、精一杯優しくしてあげよう。
「ねぇ、ところでコタロー君、お仕事の方はどうっスか?」
 暗い雰囲気はここまで、と言うように美紗は明るく話題を切り替えた。コタロー君が働いてる様子を見に来たっス、と笑顔で付け加えるのも忘れずに。紫乃のことで頭が一杯だった湖太郎は、相手が雇い主だと言うことも忘れて反射的に返事をしてしまった。
「あ、いえあの、今日はその、ずっと紫乃ちゃんの相手をしてて……」
「そうっスか。良かったっス。紫乃ちゃんきっと嬉しかったっスよ♪」
 口にしてからしまったと思った湖太郎だったが、責めるどころか笑顔で頷く美紗。ちっとも社長らしくないゲーム業界の風雲児は、こともなげに湖太郎の心の暗雲を吹き払ってくれた。
「ウチの会社は、みんなを幸せにするのがお仕事っスからね♪」

                 **

「ちょっとちょっと、早くお店に戻ってきてよ。あのぬいぐるみが大変なんだから」
「えっ、あれからまた何かあったんですか?」
「違うわよ。しゃべって走り出すぬいぐるみの噂を聞いて、ぜひ欲しいってお客さんがお店に……あ、あなたは確か……」
「てひひー、お久しぶりっス。それじゃ社長の私が説明に行くっス〜」
「あ、いやそりゃ、そうしてくれると有り難いですけど……」
 美紗はぬいぐるみを抱いた紫乃を湖太郎の胸に預けると、呼びに来た店員を引き連れてお店の方へと戻っていった。廊下に座り込む湖太郎の腕で紫乃はすやすやと眠り続けていた。ついさっきまで美紗の胸に抱かれていた幽霊少女の身体は、人間の少女のような重さと感触を湖太郎の腕に伝えてきていた。




【12】 2002.12.23

 その日の夜半、秋葉原ゲーマーズの閉店直後のこと。お客さんの居なくなったコタロー君グッズのコーナーでは、てひひ商事の女社長がゲーマーズ視察時の恒例行事を執り行っていた。
「コタロー君、大好きっス〜(ぱさっ)、コタロー君、大好きっス〜(ぱさっ)」
 棚に並ぶコタロー君人形や関連グッズに向かって、愛情を込めながら広げた両手を打ち合わせる女社長。肘を伸ばして大きく広げた両腕を身体の真正面で打ち合わせる姿は、まるで翼をはためかせてコタロー君グッズに風を送っているかのよう。その傍らでは、埃だらけの背広を着た青年が顔を真っ赤にして立ち尽くしているのだが。
「初めは変な人だと思ってたけど、実際あれやると次の日の売り上げがあがるし、なんか見ていて和むのよね〜」
「ふん、おおかたヘロインでも撒き散らしてるに違いないにょ」
「それを言うならフェロモンにゅ。それに早くも効果が出てきたみたいにゅ」
「うにゅー可愛いぴょ、欲しいぴょ買いたいぴょ! なんだかコタロー君のキーホルダーがすっごく買いたくなってきたぴょ!」
「ピョコラさま、先週もコタロー君フィギュアを買ったばかりではありませんか」
「これ以上散財なさると、アナローグ星の財政が底を尽いてしまいますぅ〜」
 様子を見ていたゲーマーズの店員たちは口々に勝手なことを言っていたが、冷やかしたり馬鹿にしたりするものは誰もいなかった。業界の風雲児の振る舞いは奇妙かつ理解不能ではあったが、このおまじないによってコタロー君グッズの売り上げが飛躍的に伸びることは紛れもない事実だったからである。
 しかも、今回はそれだけではない。
 女社長の足元では、今日の話題を一気にさらった『しゃべって歩けるコタロー君ぬいぐるみ』が、ヒヨコのように彼女に付き従っていた。そして女社長がおまじないをする旅に、その真似をするように身体を前後に振っていた。そのユーモラスな動きは見ている者たちに微笑みを浮かべさせるに十分だった。
「それにしてもあのぬいぐるみ、一体なんだったのかにょ」
「あぁ、あれね、あそこの会社の試作品なんだって。しゃべる機能と歩く機能を織り込んだ、ペットみたいなぬいぐるみってことで」
「そんなの今時は珍しくないにゅ」
「そんなこと無いわよ。ほかの電子ペットっていったら、動くこと自体が売りになってる商品ばっかりでしょ? コタロー君ぬいぐるみは、ほら、それでなくたって大ヒットを飛ばしてる訳だし……もっとも、お客さん向けに発売するのは当分先になるみたいだけどね」
「あざとい商売をする奴にょ。でも悔しいけど、きっとお客さんは大喜びで買っていくに違いないにょ……あ、あのぬいぐるみ、あんな器用なことも出来るのかにょ?!」


 しかしこの光景、樋口湖太郎にはまったく別のものとして見えていた。湖太郎には美紗の傍らで『お姉ちゃん』の仕草を一生懸命真似しようとする紫乃の姿が見える。そして美紗がおまじないを掛けたキーホルダーや下敷きが淡い光を帯び、紫乃の手でつかめる代物になっていくその過程も。
「うわぁあ……(きゅっ)」
 粉雪に包まれたように淡く輝くようになった商品をひとつひとつ手に取り、感覚を確かめるように胸に抱く紫乃。きっと彼女にとっては、どれもこれも初めての体験なのだろう。もっとも傍目には紫乃の抱えているぬいぐるみが勝手に動いて、コタロー君グッズを次々とつかみ取っているようにしか見えないのだろうが。
《紫乃ちゃんがあのぬいぐるみだけに触ることが出来たのは、このせいだったのか。あのとき僕が一時だけ紫乃ちゃんを抱くことが出来たのも……あれ、だとすると今朝ワゴンで運んできたグッズ、あれのひとつひとつに、美紗さんはあんなおまじないを……?》
 湖太郎は冷たい汗を後頭部にしたらせた。マンションの一室で出荷前の段ボール箱に向かって『コタロー君、大好きっス〜』と唱えている美紗の姿を想像して……。
《……考えないようにしよう》
 湖太郎は悪夢を振り払うように首を振った。そんな彼を横目に見ながら、美紗は小声で幽霊少女に語りかけた。
「楽しいっスか? 一生懸命に想いを込めると、相手も紫乃ちゃんのことを大好きになってくれるっスよ♪」
「うん、頑張る……おにいちゃん大好きぅ〜(ぱちん)、おにいちゃん大好きぅ〜(ぱちん)……」

                 **

 こうして、幽霊少女の紫乃は美紗の部屋に引き取られることになった。また古い倉庫で独りぼっちの生活に戻すのは可哀想だと美紗が主張し、紫乃の方も美紗にしがみついたまま離れようとしなかったからである。幽霊と同居するなんて、と湖太郎はいちおう常識的意見を口にしてみたが、ダブルの涙目攻撃に迫られて早々に白旗を揚げざるを得なかった。
《信じられない出来事なら、嫌と言うほど見せてもらったし……今日はもう、どんなことがあっても驚かないぞ》
 ……だがそんな彼の決意は、マンションの扉を開けた直後に脆くも崩れ去った。紫乃を抱いた美紗を出迎えに来た、紫亜の最初の一言によって。
「あら、可愛い女の子ですね……美紗さんと樋口さんのお子さんですか?」
「ういっス!」
「おにいちゃん、大好きぅ〜」
「あ、いやその、これはその、そんなんじゃなくて……」

                 **

「どーなってんのよっ! 得意先を回ってたら、『画期的な新商品にぜひ投資したい』だの『商品化の暁には当店でも取り扱わせて欲しい』だの……ちょっと美紗、いったい何があったわけ?」
 その日の夜遅く。湖太郎が部屋に戻り紫乃が寝静まった後で、営業から戻るなり美紗たちの部屋に怒鳴り込んできた早紗が最初に口にしたのは、この台詞であった。ニコニコしながら事情を話す妹の説明を聞いた早紗は、呆れたように溜め息をついた。
「はぁ……ダメ悪魔を拾ってきたかと思ったら、今度は子供の幽霊? いいかげんにしてよね、ウチは託児所じゃないんだから」


……美少年の事情編へ続く。

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