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キュートな会社の作り方

入社編(第1〜4話)

初出 2002.12.10〜2002.12.13
written by 双剣士 (WebSite)
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登場人物紹介入社初出勤小さな魔法美少年の事情才女の憂鬱せつない想い天誅の行方悪魔の計略幸せの広め方巻末クイズ


【01】 2002.12.10

 とある高層マンションの最上階。チーンと言う音とともに到着したエレベータが、若々しい1人の青年を吐き出した。決意に満ちた青年の表情はわずかに引きつっていた。
「もう時間がない……ここで決めないと」
 世の中が不況に陥り、就職を望む若者たちにとって氷河期と呼ばれる出口の見えない時代が続くようになって久しい。就職せずに親の庇護やアルバイトで食い繋ぐことも珍しくはなくなり、それが社会現象のひとつとして呼ばれることすらある昨今の社会状況。
 だがこの青年……綾小路天の事情はより過酷であった。衣食住に困っているわけではない。就職を周囲から急っつかれているわけでもない。それどころか就職など必要ないと高笑いされる始末……そんな周囲の反対を押し切ってようやく手に入れた、今日と言う1日。彼の人生を変えるといっても過言でない貴重な1日であった。収穫の無いまま戻れば『それ見たことか』と嘲笑され2度とチャンスは訪れないであろう。退路なき就職活動に挑む青年の表情が固くなるのも無理からぬところ。
「2612……2612、と……」
 真っ赤に染まった夕日を浴びながら、メモを手にした天はマンションの廊下を歩きはじめた。即決採用、住込み可、経歴不問……かつて優秀な成績を修めたとはいえ見るべき学歴を持たない綾小路天にとって、越えなければならないハードルは低いものではなかった。彼にもっとも不足しているのは時間とコネであり、その欠落が彼に多くの妥協を強いていた。これから訪問する会社は、そんな彼にも手の届きそうな数少ない蜘蛛の糸であった。
「……『てひひ商事』、ここだ」
 2612号室の表札の前で立止まり、震える指でチャイムを押す。それに呼応して足音が近付き、眼前の扉が開いた。そして……出迎えてくれた黒髪の少女を見た瞬間、綾小路天は自分の選択が間違っていなかったことを確信した。そして目の前の少女の傍らで、社会生活の礎を築いていこうと心に決めた。
「はい……ああ、綾小路さんですね。ようこそいらっしゃいました、中へどうぞ」

 小奇麗に片付けられた応接間のソファには先客がいた。自分と同じ年頃の青年を横目に見ながら、綾小路天はゆっくりと腰を降ろした。
「えっと、もう少しだけお待ちくださいね。樋口さん、綾小路さん」
 黒髪の少女の紡ぎ出す鈴のような声が2人の耳を優しく撫でる。恍惚とした面持ちで扉へと消える少女を見送った天は、隣でパンフレットを食い入るように見つめている先客へと首を向けた。
「君も……入社希望?」
「うん、僕あんまり頭良くないから……ぎりぎりまで頑張らないと」
 そっけない態度。しかし就職という人生のハードルに向かって全力を傾けている同年代の青年に、天はかすかな好感を持った。そして隣の青年が読んでいる会社のパンフレットに目を落とした。
「会社の歴史とか業績とか……知ってないと、やっぱりまずいかな?」
「よく分からないけど、知らないよりは……面接で聞かれたら困るし」
 当然の危惧といえる。しかし隣の青年が凝視しているパンフレットに書かれている会社の歴史は、たったの2行しかなかった。

    会社略歴
      ××年△△月 会社設立
      ××年▲▲月 チョベリグな即戦力の美少年入社

(……今日って××年▲▲月だったよな……)
 かすかな違和感を感じながら反対のページをみる。そこには業務内容の説明があった。こちらは1行だけ、跳ねるような丸文字で元気一杯に書かれてあった。

    業務内容
      みんなのことを、いっぱいいっぱい幸せにするっス〜(はぁと)

(なんなんだ、こりゃ?)
 こんないい加減な会社があるとも思えない。これはオレたちの反応を試すテストなのか……そう思って隣人の様子を伺う綾小路天。だがもう1人がパンフレットを凝視する目は、いたって真剣であった。
「……こんなのが面接で聞かれるかな?」
「こんなのって……君、もう覚えたの? 頭、いいんだね」
 天は隣人に気付かれないように息をつきながら、心の中でガッツポーズをした。悪いけど受かったも同然かも……少なくともこいつには余裕で勝てそうだし、会社も切れ者ぞろいというわけではなさそうだ。入社したら自分を重く用いてくれるかもしれない。そうすればあの黒髪の可愛い子も振り向いてくれるかも知れないし……いろいろ辛いこともあったけど、ようやくオレにも運が向いて来たかな。
「お待たせしました。樋口さんと綾小路さん、面接をしますのでこちらへどうぞ」
 程なくして呼びにきた黒髪の少女に従って、2人の青年は隣の部屋へと歩み寄った。そしてドアを開いた瞬間、彼らは腹部に強い衝撃を受けた。
「コタローく〜ん!!」
「激ビバ! 美少年〜!!」
 室内から飛び出してきた女性たちの猛タックルを受けた2人の青年は、女性たちにしがみつかれたまま部屋の反対側まで吹っ飛ばされた。危うく失いかけた意識を取り戻した綾小路天が見たものは、自分にしがみついている金髪色白な少女の姿と、彼女が自分に向けてくる笑顔……思わず尻込みしたくなるような、迫力のある満面の笑顔であった。
「いらっしゃい美少年、歓迎するわよん♪」
「……よ、よろしく……」
 そんな彼らを黒髪の少女は暖かく見守っていた。驚いた様子など微塵もない、天使のような優しい笑顔を浮かべて。




【02】 2002.12.11

「それじゃあ、自己紹介から始めてもらおうかしら」
「はい、綾小路天と申します。元気と体力なら自信があります。よろしくお願いします!」
「樋口……湖太郎です。あの……僕、あんまり取り柄とかなくて……」
「コタロー君っスか〜、私は美紗って言うっス。私と付き合ってくださ〜い!」
「あんたはいいのよ!(ぺしっ)」
 天たちの入社面接は、あたかも集団デートのようなノリで始まった。長テーブルのこちらには入社希望の青年2人が並び、向こう側には少女が3人。中央に位置する元気すぎる少女を右側の少女がたしなめ、左側の少女はにこやかに見守ると言う構図。
 天たちの気持ちを見透かしたか、右側の少女が説明を加えた。
「まぁ……見て分かると思うけど、真ん中にいるのが社長の美紗。こう見えてもウチの会社のボスなのよ。そして私が専務・兼・営業部長の早紗。あっちにいるのが秘書の紫亜」
「よろしくダス〜」
「よろしくお願いします(ぺこり)」
 広げた扇を両手で振り回す美紗と、かわいらしくお辞儀をする紫亜。会社トップという威厳など微塵もない、ごく普通の……もとい、かなり普通でない少女たちのように天には感じられた。もっとも経営陣たちのこの邪気のなさが、会社を急成長させた要因かもしれないのだが。
「それじゃ美紗、さっさと質問いきなさい」
「えぇ〜、もう面接なんて要らないっスよ。コタロー君に決めたっスから」
「なに言ってんの、ちゃんと面接するってさっき約束したでしょ! それにそんなこと言ったら、こっちの美少年のほうが断然……」
 子供レベルの喧嘩をする2人と、それをにこやかに見守る紫亜。だが面接を受けるほうの青年たちにとっては笑い事ではなかった。どうやら彼女らの話からすると、採用されるのは自分たちのどちらか片方だけらしい。社長と部長の意見が割れているとすると……。
「……はい?」
 2人の青年の熱い視線を受けた紫亜は、すこし恥ずかしそうに小首を傾げた。そして見当違いの答えを返した。
「あぁ、気にしないでください。とっても仲のいいお2人ですから……早紗さんは、美紗さんのお姉さんなんです」
「さっちゅ〜ん(涙目)」
「えぇ〜い、その目で見るなってのっ! ほら面接ちゃんとしないと、コタロー君に笑われるわよっ!」
「てひひー、そうっスかね〜?」
 さほど応えた様子もなく、コロコロと表情を変えながら社長の美紗は青年たちへと向き直った。
「それじゃ質問っス〜。《幸せ》って何だと思うっスか?」
「えっ?」
 就職面接での質問については想定問答をいろいろ用意していた綾小路天であったが、美紗の質問は完全に予想を越えていた。だが倍率2倍を勝ち抜くための分岐点、うかつな答えは出来ない……熟慮のすえに天はこう答えた。
「幸せ……人それぞれ違うとは思いますが、やはり自分の好きなことを精一杯やることではないでしょうか。辛いことや苦しいことがあっても好きなことなら我慢できますし、自分の人生を豊かにするためにがんばることが、家族とか周囲の人たちを幸せにすることにつながると思うんです」
「うんうん偉いわねぇ。美少年のくせして社会人の自覚が出来てるわ。うちの会社を選んだのも、人生を豊かにする一環というわけね?」
「はいっ!(晴れやかな笑顔)」
「パーフェクト、激ハンサム! どう美紗、私の目は確かだったでしょっ」
 偽善者丸出しの天の答えを聞いて、腰に手を当てながら鷹揚にうなづく早紗。だが肝心の代表取締役社長は天の言葉など聞いてはいなかった。キラキラと瞳を輝かせながら美紗は湖太郎の方へと身を乗り出すと、いかにも楽しそうに質問を繰り返した。
「ねぇねぇコタロー君、コタロー君の幸せって何っスか? ぜひ教えてほしいっス」
 そして一同の注目のなか、黙りこくっていた湖太郎がようやく口を開いた。




【03】 2002.12.12

「ねぇコタロー君、幸せってどんなことっスか?」
「幸せは……」
 全員の視線がうつむく新入社員候補に集中した。ごくりと息を飲む音が静寂の中で妙に大きく響いた。そして張り詰めた空気に終止符を打つように、湖太郎が出した答えは、
「……よくわかりません」
「だあぁぁっ!」
「おいおい……」
 緊張の糸を切られてずっこける早紗と天。しかし美紗と紫亜は笑ってなどいなかった。自分ひとりで一生懸命に答えを探そうとしている湖太郎を2人は固く信じ、難しい答えをつたない言葉で表そうとしている彼の様子を辛抱強く見守っていた。そんな彼女らの視線に背中を押されるように、湖太郎はポツリポツリと言葉を継いだ。
「幸せって……なんて言うか……いや、むしろはっきり言うものじゃないっていうか……」
「…………」
「…………」
「何となく嬉しいような……心があったかくなることが……『幸せ』かな、とか……」
「…………」
「……すみません、うまく言えないです……」
 深々と頭を下げる湖太郎。ぜんぜんダメじゃない、と言いたそうに妹のほうに視線を移した早紗は、テーブルの上でヘッドスライディングをしながら湖太郎にしがみつく美紗を見てあんぐりと口をあけた。
「……ぐすっ……すごいっス、コタロー君がんばったっス……分かるっス、コタロー君の気持ちよく分かるっス」
「あ、あの……」
「安心するっス。私も頑張るっス……コタロー君のこと、いっぱいいっぱい、幸せにしてあげるっスから……」
「み、美紗……」
「決めたっス。コタロー君に来てもらうっス。もーバッチリっスよ〜」
 湖太郎にしがみついたまま美紗は高らかに宣言した。紫亜も涙をぬぐいながらコクコクと頷いた。だが残る1人は当然ながら納得がいかない。
「何いってるの美紗、これはお見合いじゃないのよ! 人助けでもないの! バリバリ働いてくれるのがこっちの美少年だってこと、分かってるんでしょうね?」
「でもコタロー君っス。コタロー君は、私がずっとずっと探してた人だから、絶対絶対、幸せにしてあげるっス。私もう決めたっス」
「美紗!」
 声高に怒鳴りつける早紗と、涙目ウルウルで対抗する美紗。一歩も譲る様子のない2人の口喧嘩を見て、天は危機感を覚えた……この勝負こっちに分が悪い。社長のほうは論理抜きでアイツに執着してるようだから最後まで折れそうにない。逆に部長のほうは何だかんだと言っても、最後には妹さんに譲ってしまうような気がする……以前から妹のわがままに振り回されてきたお姉さんみたいだし、性格的にも瞬間湯沸かし器に似たところがありそうだし。
 まずい。
 かといって、あの綺麗な人は中立……いやアイツのほうに肩入れしてるように見える。優しそうな人だから守ってあげたくなるタイプには弱いんだろうし、現にさっき泣いてたし……。
 まずい、まずい、まずい。オレにはもう後がないってのに。
 作戦を間違えた。面接を始める前の応接間の時点で風変わりな会社だと思ったのなら、有能さをアピールする普通の面接要領が通用しないことも気がついて当然じゃないか。このままじゃあの場所へ帰らなきゃならなくなる。生涯たった1日の自由も、とうとう終わってしまうのか……。
「あの……」
 このとき、天の焦燥を見越したかのように黒髪の乙女が口を開いた。
「あの……私、思うんですけど……」
「秘書のあんたは引っ込んでなさい!」
「いいっス。しあちゃんもお仲間なんだから遠慮いらないっス。どうしたっスか?」
 紫亜の参入に抵抗する早紗と、笑顔で歓迎する美紗。彼女らにも紫亜の気持ちは伝わっているのだろう。時間の進みが遅い。ひたひたと死神の鎌が迫ってくるかのように、天は全身から脂汗を流した。そんな彼の耳に次の瞬間、死神を追い払う女神様にも似た涼やかな声が聞こえてきた。
「こうなったら、お2人とも入ってもらったらどうでしょう……」




【04】 2002.12.13

「ここか……待望の新生活が、ここから始まるんだなぁ。よろしくな、樋口」
「う、うん……綾小路くん」
 その日の夜。新入社員の彼らに社宅として提供されたマンションの一室……とはいっても、面接会場であった2612号室の2つ隣の部屋だが……に足を踏み入れた綾小路天は、感慨深げに部屋の中を見渡した。
 そう、採用が決まって以来というもの、彼は傍目にも気味が悪いくらいに機嫌が良かった。一度はダメかと思った新しい生活が目の前にある。あの美人秘書と毎日顔を合わせる生活がこれから始まる。しかもあの秘書嬢が、自分の入社の後押しをしてくれたとあっては! 明るい未来の到来を予感せずにいられる男性が、この世に1人でもいようか。
「紫亜さんか……名前もいいよなぁ。物腰もおしとやかだし、控えめでおとなしそうだし」
「あ、あの……綾小路くん、気を悪くしないでね。僕は別に、その、そういうんじゃないから……」
「うん?」
 舞い上がる天とは裏腹に、湖太郎の言葉は沈みがちだった。もともと快活なタイプには見えない青年だったが、天と2人きりになった途端おどおどと顔色を伺うような仕草をする同期生。天はいぶかしげに湖太郎に視線を移した。
「どうしたんだ? 2人とも無事に入社できたんだから、いいじゃないか」
「でも、本当はこの部屋は綾小路くんの部屋で、僕が勝手に割り込んだわけだし……」
 新人用に用意されたマンションの部屋はただひとつ。もともと1人しか採用する予定がなかったのだから仕方ない。見知らぬ男との共同生活を突然に強いられることになった2人であったが……天のほうは別に気にしていなかった。ともかくも無事に採用されたことが第一である。
「そんなこと気にするなよ。入社できちまえば関係ないさ。オレのほうこそ、自分が落ちるんじゃないかって冷や冷やしてたんだし」
「でも……綾小路くん、僕のことをずるいとか、思わなかった?」
「へ? 何が?」
「社長と僕とのこと。信じてもらえないかもしれないけど、本当に僕とあの人は今日が初対面だったんだよ。あんなふうにベタベタ抱きつかれるなんて思いもしなかったし……本当なんだ。だからさっきの面接、申し訳なくって……綾小路くんのほうが絶対優秀なのに、僕がコネでもって綾小路くんの邪魔をしようとしてる、そんな風に思われたんじゃないかって」
「……」
 そう思わなかったといえば嘘になる。あれが初対面だったなんて、どう考えても眉唾ものである。
 しかしこれまで学歴やコネのなさを理由に採用を断られ続けてきた天にしてみれば、そんなことで相手にいちいち腹を立ててもいられない。結果として不採用になったのなら恨みもしただろうが、無事に採用されたのだから御の字であった。だから天は、目の前の同期生を責めようとは微塵も思わなかった。
「……そんなことを気にしてたのか」
「うん」
 目の前で頭を下げ続ける青年が、いっそ気の毒に思えてきた。せっかくのルームメイトにこうも卑屈にされると居心地が悪い……綾小路天は再び偽善者の仮面をかぶると、うつむく湖太郎の肩をポンポンと叩いた。
「湖太郎……そう呼んでいいよな、今日から」
「えっ?」
「せっかく一つ屋根の下で暮らすんだ。苗字で呼び合うなんて堅苦しいのはやめて、名前で呼び合うことにしようぜ。長い付き合いになるんだし」
「綾小路くん、許してくれるの?」
「許すも何もお前は……湖太郎には身に覚えのないことなんだろ? 気にするなって」
「う、うん、ありがとう……たかしくん」
「ストップ」
 綾小路天はあわてて湖太郎の言葉をさえぎった。
「すまん、今ちょっと電波が届いた……大家さんから」
「電波?」
「その呼び方は別の作品の脇役キャラと混同しそうだからやめてくれって……何のことだかオレにも良く分からないけどな。それじゃあ……そうだ、オレのことは『テンちゃん』って呼んでくれ」
「『テンちゃん』って?」
「オレの名前の音読み。昔からそう呼ばれてたんだ。よろしくな、湖太郎」
「うん……テンちゃん」
 2人の青年はがっしりと握手を交わした。男同士の友情が結ばれた瞬間……だがその直後に、思いもよらぬ乱入者がベランダから飛び込んできた。
「コタローく〜ん(抱きっ)」
「うわぁっ!!! しゃ、社長……」
「新人くんの歓迎会をやるっス。コタロー君、こっち来るっスこっち来るっス」
 湖太郎の首っ玉を抱きかかえたまま玄関へと向かう美紗と、ずるずると引きづられていく湖太郎。あっけに取られた天が玄関に視線を向けた先では、いつの間に入ったのか、黒髪の乙女が自分に向かって頭を下げていた。
「ごめんなさい綾小路さん。新人さんの歓迎パーティーの準備をしてたんですけど、2人も入ってこられるとは思わなかったもので……お料理が1人分しかないんです」
「え、それじゃ……」
「てひひー、だから今日はコタロー君の日っス。テンちゃんの分は別の日にやるっスから、今夜はコタロー君を借りるっスよ〜」
「そ、そりゃいくらなんでも……」
 だが引きずられていく湖太郎の瞳を見た瞬間、天は続く言葉を飲み込んだ。湖太郎の目にはさっきと同じ『自分だけひいきされてるようで申し訳ない』という光が宿っていた……それを見てしまった以上、天としては偽善者の仮面を脱ぎ捨てるわけには行かない。
「行ってこいよ、湖太郎」
「テンちゃん……」
「そんな顔するなって。オレのことはいいから、しっかり楽しんで来い」

                 **

 そしてその夜。布団の中でうずくまる天の耳に、隣の部屋から楽しげな声が飛び込んできた。
「てひひー、コタロー君いっぱい食べるっスよ〜。お歌も歌うっス〜。はい、どうぞっス〜」
「樋口さん美味しいですか? さぁもっとどうぞ、はい、アーン」
「い、頂きます、紫亜さん……アーンっ……お、美味しいです……」
「良かった、たくさん食べてくださいね。はい、今度はこっちです、アーン」
 ……そして1人っきりの部屋の中で、綾小路天は唇を噛みしめた。
「湖太郎のやつ……お前にだけは、ぜってー負けねぇっ!!」


……初出勤編へ続く。

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