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< オリジナル小説設定茶会説明 2020年度新春ゲーム大会について>

オリジナル小説設定茶会説明②

by ネームレス
茶会企画 | 2019年11月10日(日)20時25分
こちらはもう一つの小説の設定を公開していこうと思うのですが、文章しか残ってなかったので、途中までしか書いてない小説をそのまま公開していきます。少々長いので時間があるときにお読みください。それでは下記から公開していきます。
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< オリジナル小説設定茶会説明 2020年度新春ゲーム大会について>
コメント
1 | ネームレス | 2019年11月10日(日)20時26分

【魔王の酒場】

「これで終わりだ! “再生の魔王”!」

「ぐっ」

 そこは魔王城玉座の間。そこではまさに、光と闇の決戦が行われていた。
 度重なる激戦で、壁、床、天井に縦横無尽に傷が入っている。いつ崩れてもおかしくはない。

「この負の連鎖、お前を倒して断ち切る!」

 そう叫ぶのは、シンプルではあるがたしかな腕の鍛冶屋が作ったとわかる名剣を持つ青年。歴代最強の“勇者”だ。
 その後ろには数々の戦いを共にした仲間たちが立っている。

「……無駄なことだ」

 相対するは黒い衣服を身に纏う“魔王”。体から放たれるプレッシャーは常人であればすぐさま気絶してしまうだろう。

「なんだと!?」

「魔族とは闘争の中より生まれ、闘争と共に生き、闘争の果てで死ぬ__そういうものだ。ワシを倒したところで一つの災禍が終わるのみ。そしてまた新たな災禍が生まれるだけだ」

「……例えそうだとしても。俺たちは戦わなければならない。この意味なき闘争を終わらせなければ大切なものが失われて行く。例えそれが一時の安寧だとしても、俺たちは俺たちの大切なものを守るために戦うのだ!」

「……良かろう。なら、これで決着をつけよう。我が最大の一撃を!」

「くっ、まだ!?」

 魔王は再び立ち上がる。しかし、動くたびにおびただしいほどの量の血が溢れる。
 まさに次が、死力をつくした一撃となる。
 勇者もそれを悟ったのか、避けるのは不可能とし迎え打たんとする。

「深淵よ。我が狂気より形をなせ。怒り、憎しみ、嘆き、絶望する我が魂を糧とし、断罪の剣よ。今ここに具現せよ!」
「極光よ。我が勇気より形をなせ。許し、慈しみ、喜び、希望する我が魂を糧とし、選定の剣よ。今ここに具現せよ!」

 一言発するたびに空間が歪み、魔王城が崩れて行く。
 しかし、二人の魂は揺るがない。
 最強の一撃を放つために、限界まで魔力を練る。
 そして、時は満ちた。

「《レーヴァテイン》!」
「《エクスカリバー》!」

 黒と白。
 それらが交差した瞬間、空間が爆ぜた。


 ◯


【翼の休憩所】 それがその酒場の名前だった。
 ここを経営するのはとある一家。両親は元高ランク冒険者。今は引退している。息子は幼き頃からこの酒場で育ってきた。

「掃除終わったぜー」
「おう」
「ありがとうね」

 時刻はすでに大分遅い。夜の12時を過ぎていた。店のドアには「closed」の札がかけられている。
 息子の名はアル・ノワール。母親とともに厨房で働いている。父親は接客を主に担当している。

「売り上げ伸びねーな……どうにかなんねーの」
「どうにかって言われてもね〜。あなた。なにかない?」
「看板娘でもいればいいんだがな。うちにいるのは俺と無愛想な息子。唯一の華であるマイスイートハニーは裏方だからな」
「おい」
「あら嬉しい」

 アルは諦めたようにため息をつく。
 こういったやりとりは初めてではないのだ。だから自然と慣れるというもの。
 アルも別にこの酒場を大きくしたいわけではない。しかし、彼もまた年頃の青年。少しくらい給料__もといお小遣いUPをしてもらいたい。そうするには店の売り上げを上げるしかないという考えに至るのは自明の理である。
 しかし、なにかいい考えが唐突に思い浮かぶはずもなく、ただ目の前でイチャイチャし始める自分の親を眺めるしかなかった。

「おい。明日も早いんだからもう寝ろよ」
「そうだな。お前は早く寝ろ。今から一回戦ヤッて看板娘をお母さんに宿すから」
「あらやだ。今日は獣の日なのかしら?」
「息子の前でなんつー会話してんだ!」

 そうやって今日もいつも通りに眠りにつく__はずだった。
 闇が、深くなる。

「なんっ」

 全員が異常に気づく。
 灯りはついている。しかし、部屋全体が異常なまでに「暗い」。

「くくく」
「誰だ!」

 少女のような声が響く。
 アルは叫び、父と母は素早く警戒態勢をとった。

「おいおい。うちに価値があるものはお母さんしかいないぜ」
「ふふ、ありがと」
「こんな時にまで惚気るな!」

 イマイチ緊張感が足りない夫婦に息子も気が抜けそうになるが、頑張って耐える。
 すると。変化に気づく。
 部屋全体に漂っていた「暗さ」が一点に集中し始めたのだ。
 それはやがて、一つの「闇」へと変わり、蠢くように人の形を作っていく。

「……やっとかじゃ」

 少女のような幼さい声だ。同時に、幾つもの修羅場をくぐり抜けた歴戦の戦士のような、そんな響きもある声だ。

「やっとか復活できた」

 その声は歓喜に満ちていた。
 なにに対してかはわからない。
 少女は月のように輝く金色の髪を払い、髪の隙間から見える金色の双眸を覗かせる。
 プレッシャーがアルたちを襲う。

「やっとかこの身になれた。この時を何百年待ったか。ここはどこじゃ? まあ関係ない。……滅ぼすことに変わりはない」

 無茶苦茶だった。
 __なにを言ってるんだこいつは。滅ぼすって、なにを滅ぼすんだ。
 疑問が頭の中で渦巻く。

「アル! 下がって」
「おい! どこのどいつだが知らねえが、人の店で滅ぼすだのなんだの物騒なこと言ってんじゃねえ!」
「……口の聞き方も分からぬ人間が。我が誰かもわからぬか」

 その目を見た。
 その目は絶対的強者の目。否応無く力の差を理解させられる。
 アルの頭に「死」のイメージが浮かび上がる。

「よかろう。ならばこの“深淵より出でし者”が、手始めにキサマらを始末してくれる!」

 魔力が溢れる。
 その濃密な魔力にあてられ、アルは足から力が抜ける。

「アル!」
「か、母さん」
「ちぃっ!」
「弱い! 弱いぞ人間! その程度ならどちらにせよ戦乱の時代を生きられぬ! ならば一思いに……ここで死ねぇえええ!」

 __死ぬ。
 そう覚悟し、強く目をつぶる。
 視界は黒に覆い尽くされた。


「……?」

 なにも起こらない。
 むしろ体が軽くなっている。先ほどまでのプレッシャーが消えた。
 どういうことだと、目を恐る恐る開ける。

「……は?」

 そこに見えた光景は、先ほどまで恐ろしいほどの力を感じさせていた少女が倒れている姿だった。
 どういうことだと混乱する頭をなんとかクールダウンさせようと努力する。__しかし、次の瞬間にはその努力も徒労に終わる。

 ぐー。

「……なんだ今の」
「腹の音?」

 ぐー。

「もしかして……あの娘こから?」

 ぐー。

 三度音が鳴り、一家の視線が少女に集まる。

 ぐー。

「は」
『は?』
「腹が……減った」

 こうして、「謎の少女【翼の休憩所】襲撃事件」は幕が下りた。


 ◯


 〈本当にやる気なの?〉
 声が聞こえる。
 〈ああ。こいつは可能性だ〉
 〈魔王を殺さず生かしておいても、百害あって一利無しだと思うがな〉
 〈そうかもしれない。けど、いつかは変えなきゃいけないんだ〉
 どこかで聞いた声だった。
 奇妙な感覚だ。
 “覚えているだけ”の感覚。
 自分が今、この時、どんな風にこの光景を見ているのか。そして聞いているのか。
 そもそもこれは自分が見て、聞いた光景なのか。
 意識はふわふわとして考えはまとまらないままに彼らの会話は続いて行く。
 〈それでももっと弱い奴でも良かっただろう〉
 〈ただの魔族じゃ数百年後の魔王についてしまう。同格の魔王の存在が必要なんだ。魔族は契約を大事にするから〉
 〈自身が契約した魔王に従うから元魔王には従わない。元魔王も同じ魔王なのに相手側に従うようなこともしない。だから魔族の元には戻れない。だろ。もう何度も聞いた〉
 〈……そうだ〉
 〈でも、仲間の元に帰れないのは流石にかわいそうなんじゃ。ここで殺してあげた方が〉
 〈それじゃなにも変わらない〉
 〈でも……〉
 〈もういいでしょ。どうせこいつは私たちの言うこと聞きやしないんだから。どうせ私たちも死んでるし〉
 〈む、無責任過ぎます〉
 〈死んだ後にまで責任押し付けないでほしいわね〉
 〈そりゃそうだ〉
 〈それにこの方法はこの魔族が“再生の魔王”であることが前提なんだ。他の魔族じゃ生き返れない〉
 〈まあな。……未来まで視野に入れた勇者様に、勇者様のお眼鏡にかかった魔族の王。この二人が出会った偶然が未来にどういう影響を及ぼすか〉
 〈私たちはどうせ見れないんだから気にするだけ無駄よ〉
 〈……いいのかなー〉
 〈俺のわがままに付き合ってもらって済まない。じゃあ、種を蒔こう。この忘れられた土地__“ホロウシティ”に〉


 ◯


「……ん」

 目が覚める。目に入るのは木造の天井。
 なにか柔らかいものに包まれており、すぐに布団だということがわかる。

「……ここは」

 体を起こし辺りを見回す。
 しかし、見覚えがない。
 ここがどこなのかわけもわからずいると不意に声がかかる。

「お目覚めか」
「人間っ!」

 すぐに魔法を放とうと魔力を練り詠唱しよう__としたところで、お腹から「ぐー」と情けない音が鳴り体から力が抜ける。

「は、腹が……」

 極限の飢餓状態であることを思い出した。魔族は人間と違い長期間飲まず食わずでも生きれるのだが、それと空腹はまた別問題である。
 まるで腹が「なにか食わせろ」と訴えるようにきりりと痛む。

「とりあえずそこに寝とけ。いろいろ話すことがある」
「話す、こと? そんなもの、ワシには無い」
「こっちにはあるんだよ。“千年前の魔王”」
「……キサマ。今なんと言った?」

 その言葉を聞き、扉の前にいたアルは魔王に向かい言葉を紡ぐ。

「魔王。俺と契約しろ」


 ◯


「この子。魔族……よねぇ」
「殺しとくか?」

 魔族と人間。それは遥か太古より血塗られた歴史を共に背中合わせで歩み続けた種族。
 ぶっちゃけて言えば、世界規模の“犬猿の仲”なのである。
 生きる意味を闘争の中に見出す魔族はいつしか同種属である魔族相手では満足出来なくなり、契約の元に魔王を選定し人間に戦争を挑むようになった。
 人間も対抗しなければ殺られるため、勇者を選定し魔王を倒さなければ被害が出る。
 どちらが悪いのか、と言われれば明らかに「魔族が悪い」のだが、魔族にその意識はない。ただ戦いたいだけというはた迷惑な思想の元殺しに来るため、人間側も魔族相手に容赦しなくなり始めた。
 魔族の死体を蹴ったり、石を投げたりする子どもも珍しくない。

「でも下手に強い魔族なら中途半端はやばい、よな」
「じゃあギルドに突き出す?」
「それが確実じゃねえかな」
「そうねぇ……あら? アルは?」

 目の前の魔族の処遇について夫婦が考えていると、アルの姿が見当たらなくなっていた。
 耳を済ませると、何かを作る音が聞こえる。

「アルー! なにやってる!」
「そいつ腹減ってんだろ! 飯作ってんだよ!」
「はぁ!?」

 その言葉に言葉をなくす。
 先ほどまで腰を抜かしていた息子が急に魔族に食事を作っているんだからしょうがない。

「バカか! こいつは魔族だぞ!」
「ここは酒場でそいつは腹を空かしてる。なら食わせてやるのが礼儀だ」
「いや、なんでわざわざ人類の怨敵に飯を食わせんだよ」
「なんとなく」
「アホか!」

 そんな風に口論していると、視界の端でそわそわしている人物を発見する。

「……一応聞こう。なんだ」
「あなた。この子とっても可愛いのよ。髪もサラサラ。私、娘が欲しかったのよ」
「お前までなに言ってるんだ! なあ!? そいつ、魔族、敵!」
『起きるまでとりあえず眠らせておこう(おきましょう)』
「おーーーーい!」

 先ほど、魔族と人間は犬猿の仲だと言ったが、個人で魔族の被害を受けていない者はそこまで危機感というものを感じない者もいる。
 その後、父がどうにかして息子と妻を説得しようとするも、失敗。
 妥協案としてねじ込んだのが、「こいつの“名”からこいつの正体を掴むこと。安全が確保されるまで絶対に飯は食わせないこと。危険だと判断したらすぐにギルドに縛って押し付けること」の三つの約束だった。


 その後、魔族は目を覚まさず二階の空き部屋で眠っている。
 本当は今のうちにでもあの魔族について調べておきたいのだが

「アル坊! 酒だ酒!」
「アル坊言うな! 父さんさっさと酒持ってってやれ!」
「あー? 誰に向かって口聞いて」
「あなたー? 今忙しいから急いでねー」
「イエス、マム」

 常連の溜まり場のようになっている【翼の休憩所】は稼ぎこそそこそこだが毎日のように満席である。
 これで客の冒険者などがもっと財布の紐を緩めればいいのだが、彼らは稼ぎの大部分を武装の整備代やら新調するための代金に消える。彼らが湯水のように金を振る舞うのはでかいクエストでも達成した時だ。
 自身の命に関わるものだからしょうがないとも言えるが、アルにしてみれば自由時間も少なく稼ぎも少ない、こんな用事がある時にしてみれば迷惑なことこの上ないのである。

「ったく、たまにはもっと金払えよ! 店の売り上げに貢献しろ! 酒一杯で粘るな!」
「あー、アル坊が不良みたいなことを」
「おっちゃんたち悲しいぜー」
「だったらでかい仕事でも見つけて稼ぎ増やして金遣いも荒くなれ。喜んで迎えてやるよ」
「こんな辺境にでけえ仕事なんてねえよー」
「このっ」
「アル、手元注意ね」
「おっと」

 こうなったら父に頼んでみるかとも思うが、あの父は元々反対派。しかも自身の頼みを聴くはずもないとアルは選択肢から消す。
 誰かカウンターにでも座ればいいのだが「アルがうるさい」とみんなカウンターから離れたテーブルに座るのだから自業自得とも言える。
 アルの最後の望みとしては、こんな荒くれ者ばかりの酒場に時間が空けば来てくれる物好きな客の到来を待つばかりである。
 そんな考えが通じたのか、扉が開いた。

「やっほー! 元気やってるー?」
「相変わらずうるさいねーここ」
「あら。ニーナちゃん、リーナちゃんいらっしゃい」
「いらっしゃい」

 物好きな客、ニーナとリーナ。アルの待ち人である。
 思わず笑いそうになるのを堪え、聞こえるように少し大きめの声で挨拶。
 彼女らは一般の女性でありながらここに来る変わった人たちだった。同時に最後の良心とも言えるが。
 彼女たちは野太い歓声に軽く応えながらカウンターに座る。

「アールーくーん。元気足りないぞー?」
「お姉さんたちが来たんだからもっと喜びなよー」
「じゃああの掃き溜めに行ってこいよ。喜ぶぜ」
『それはごめん被る』
「ひでえぜ二人ともー!」
「そうだそうだー!」

 そんな声にも軽く手を振って返すニーナとリーナ。
 男臭い【翼の休憩所】ではアイドル的存在である。二人が人気なのは容姿が優れるというよりは圧倒的なコミュ力の存在のおかげだろう。

「注文は?」
『お酒ー!』
「まだ昼時だぞ」
「酒飲まなきゃやってらんないわよー。おばさん酒ちょーだい」
「はいはい」
「アルくん適当に見繕ってー」
「そういう注文が一番面倒なんだよ」

 と言いながらも適当に見繕って出してやる。
 お酒も出され早速飲み始める二人を見て若干の呆れの色を出すアル。

「いいのかよいい年の女が」
「いいのいいのー」
「ここでぐらい自由にさせてよー」
「男の一人でも捕まえたらどうだ」
「はっ」

 その言葉が引き金となり、ニーナは表情に影を落とす。

「私の小さな網じゃどんな男も捕まえられないわよ」
「もうこんな餌わたしじゃ誰も釣られないし」
「甲斐性がなさ過ぎんのよ」
「草食系多過ぎー。冒険者じゃ収入不安定だし条件のいい男とか選んでるともう誰も彼も捕まってるし」
「最近は恋愛が軽いのよ。私の両親がいったいどんだけ時間かけて付き合って結婚したと思ってるのよ」
「お試しで恋愛とかふざけんなっての」
「あー、もーうーやーだー」

 触発されたようにリーナまでも騒ぎ立てる。
 まだ酔っ払ってないはずなのだが今にも泣き出しそうである。
 アルも地雷を踏んだと気づき話題転換も兼ねて本来聞きたかったことを聞くことにした。

「あー、そういやさ。二人は“深淵より出でし者”って知ってるか?」

 その言葉に延々と愚痴りあっていた二人は言葉をピタッと止め、アルに向き直る。
 その目には僅かな驚きが見えた。

「あれー? アルくんって英雄譚とか興味あったっけ?」
「いや。特に」
「そーなのよー。この子ったらやっとか男の子になってねー。昔なんか「冒険なんて危険な真似できるか!」なんて言ってたのに成長したわー」

 矢継ぎ早に紡がれる母の言葉は完全にアルを封殺。
 なにすんだよ! と目を向けるがそれを完全に無視して話を進める。

「ふーん。意外ねー。でも、男の子なら誰しも一度は憧れるものだもんねー」
「そうなのよねー。だから知ってるなら教えてあげて欲しいのだけれど」
「ま、いいよ。深淵より出でし者でしょ? それなら有名よ」
「有名?」
「ええ。だって、歴代最強の魔王、と謳われる最恐の魔王だもの」

 思わず手元で忙しなく動かしているフライパンを落としそうになってしまうぐらいには動揺。

「っぶねー」
「どうしたの?」
「なんでもねーよ。続き聴かせてくれ」
「? いいけど」

 笑顔で何事もない風に対応するものの、その内心は混乱している。
 昨日__というよりは今朝、かるーい気持ちで保護した魔族が、もしかしたらとても危険な奴なのでは? という自覚が今更になって出てきた。
 隣では母も笑顔が引きつっていた。

「あ、でも深淵より出でし者ってのはあくまで魔族、身内からの呼び名らしくて人間側からは“再生の魔王”って呼ばれてたわよ。こっちは知名度の高いから知ってるんじゃない?」
「あ、ああ」

 再生の魔王。
 それは人間側に知られている名前だ。
 曰く、彼の者は倒れず
 曰く、彼の者は闇である
 曰く、彼の者は最恐である
 曰く、彼の者は再生者である
 腕を斬り落とそうが、心臓を潰そうが、首を斬り落とそうが、頭蓋を踏み砕こうが、瞬時に再生する。得意とする闇魔法は膨大な魔力と高い技量により人知を超越する魔法である。
 人々は恐れおののき、彼の者をこう呼んだ。
 再生の魔王__。
 アルでさえ知ってる一般常識であり、とにかく“めちゃくちゃ強い”とイメージすればだいたい合ってると言われるような伝説である。
 そこまで思い出した時点でアルは思考を放棄しようとした。

「でも驚いたー。深淵より出でし者なんてマイナーな名前、どこで聞いたの?」
「逆になんで知ってんだよニーナとリーナは」
「その筋じゃ有名だからねー。絶対無敵と呼ばれた歴代最強、再生の魔王。それを打ち倒した同じく歴代最強と謳われる勇者パーティ。神のいたずらか、歴代最強がいろいろと更新された時代なのよね」
「様々な魔法陣を用いて戦った魔陣の勇者。最も多く闘技場で勝ち続けた滅拳の拳闘士。勇者を唯一倒したことがあると言われる烈風の狩人。多くの知識で皆を導いたとされる最賢の魔法使い。聖女の生まれ変わりである極光の僧侶」
「他にも王様とか騎士とか鍛冶屋とか、今もなお手本とされてるものの殆どがあの時代だし。凄かったらしいわよ」
「……とりあえずなんで彼氏が出来ねえのかはわかった」

 怒涛の勢いで列挙されていく言葉に必要以上の情報を覚えてしまい、なんとなしにそんな言葉を吐く。
 それが地雷とも知らずに。

「なぁあああんですってええええーーーーーー!?」
「好きなものを好きって言ってなにが悪いのよこのマザコンがぁあああああーーーーー!」
「誰がマザコンだ! あ、いや、すいません! 許してください! 店の中で魔法を使うなあああああああーーーーーーーーー!!!」


 その後も適当に会話を交わしつつ、情報を集めて行く。
 その魔王はすでに千年以上も前の存在であること。
 その魔王は小指一つで再生できるということ。
 その時代の戦争は最も長く続き、甚大な被害を残したということ。
 それを聴くたびに顔が真っ青になる思いだが、それもこれも全部あの魔族が起きてからだとアルは仕事に専念。母も顔色を変えず料理を作り続けていた。
 父は冒険者たちに混ざり酒を飲んで酔っ払っていたところをアルによって裏口から叩き出されたが。

「じゃーねアルくん」
「結婚出来なかったら私たちが貰ってあげるね。ハーレムだぞ喜べ」
「そん時は嘆いてやる」

 そして、夜遅くにニーナとリーナの二人を帰らせる。足取りは危ないが、お付きにシラフな冒険者をつれているので大丈夫だろう。
 こうやって冒険者が毎度交代で送り届けるのも毎度の風景である。
 そうして、全ての客がいなくなったところで店の扉に「closed」の札をかける。

「さて。母さんはどう思う? あの魔族」
「そうねー。とても強い力は感じたけれど、伝説ほどじゃないと思うわ」
「もしかしたら弱体化してるのかもしれねーな。千年間死んでたんだろ? あいつが本当に再生の魔王なら」
「それもありえるわね」

 どうにも扱いに困ってしまう代物である。

「母さんならどうする?」
「うーん。やっぱり殺した方がいいのかしら」
「……」

 アルはなんとも言えない自分に違和感を覚えながらも考える。
 これまでの情報が頭の中で浮かんでは消えていく。
 少しして、意を決したかのように話す。

「……説得するか」
「……アル。本気?」
「いや。いけるって多分。きっと。奇跡的に」
「そんな砂漠の中から一粒のなにかを見つけるような確率にかけるようなら普通に殺した方が早いと思うのだけれど」
「いや。そうなんだけど。なんつーかな」

 いまいち煮え切らないアルを見て訝し気な母だったが、不意に目を見開く。

「もしかして……一目惚れね!」
「はぁ?」
「きゃー! 一目惚れよ! 人間と魔族の愛入れぬ種族間での禁じられた恋! 再開したら敵同士! 交わすのは愛の言葉ではなく血濡れの剣! 最後まで愛と秩序を貫く悲恋物語!」
「か、母さーん?」
「行きなさいアル! お父さんは私に任せて! しっかり口説き落としなさいよ! 例え失敗して世界が滅ぶことになっても私はあなたの味方だからね!」
「無駄にプレッシャーかけるな! あと一目惚れでもねえ!」

 あと、「スケールもでけえ!」と言おうとしたが伝説通りならあながち不可能とも言い切れないため言わない。
 母のせいで自分が今、どんな無茶を犯そうとしているのか否応無く理解させられてしまう。理不尽に睨むが母は慣れたもので適当に受け流す。

「ま、適当にやりなさい。応援してるわよ」
「いいのかよ世界の命運をバカ息子に任せて」
「ノワール家の家訓は「例え世界を滅ぼそうと、面白そうな方向に全力で取り組む」だからね」
「初めて聞いたぞ」
「今考えたのよ」

 いい笑顔を見せる母にもはやなんの言葉も出ないが、幾分か緊張もほぐれる。
 魔王のことをどう口説き落とすか考え、その日を終える。


 魔王が目覚めたのは、それから三日後のことだった。


 ◯


 自分の気持ちはわからない。
 なぜ自分があそこまであの魔族を気にかけているかも。
 相手は魔族。しかも、想像以上に危険な存在だ。
 母さんも「娘が欲しかった」と言っていたが、あれは言い換えれば「奴隷が欲しかった」という意味だ。
 母さんと父さんは昔はかなり強い冒険者__本人たちが言ったものなのでどこまで正しいかはわからないが、冒険者の客との会話を聴く限りそれなりに有名であったらしい__だったらしいから、普通の魔族なら抑え込めると思ったのだろう。
 人間は魔族に容赦はしない。その逆があり得るように。だから俺の想像もだいたい合ってるはずだ。
 しかし、物事は意外と大きくなってしまうもので、魔族は魔王の可能性が出てきた。
 すぐに殺すべきだ。ラッキーなことに、相手は弱っている。
 だけど、俺の中に「殺す」という選択肢はなぜか無かった。
 もしかしたら、母さんの言うとおり一目惚れしてしまったのかもしれない。
 襲撃から三日。
 魔王を寝かしている部屋の扉を開ける。
 目が覚めていた。
 あの時はただただ恐ろしく、眠っている間は気にも留めない。だが、こうやって見ると相手が恐るべき美少女であることを否応無く理解させられる。
 白い肌を隠すのは黒い衣服。輝く金髪に神々しい金眼。黒い衣服と合わさり、夜空に浮かぶ月を彷彿とさせた。

「お目覚めか」

 そんな味気ない言葉をかける。
 即座に警戒をするも、よほど腹が減っているのか力を出せずにいる。
 最初の頃の威圧感も何処かに消え、今ではまるで猫のようだ。
 さて、本題はこれからだ。
 二、三言葉を交わし、歴史において邪法と言われる「悪魔召喚」を行った者もびっくりな提案を告げてやる。

「魔王。俺と契約しろ」
2 | ネームレス | 2019年11月10日(日)20時27分

「契約、じゃと?」
「ああ」

 __正気か?
 先ほどの口ぶりからして、魔王はすでに自分のことはある程度調べがついていることがわかっていた。
 つまり、目の前の少年はその上で魔王たる自分と契約しようとしている。
 この少年がどんな意図を持って自分と契約したいというのか、少なからず興味はそそられるものの呆れの感情の方が大きかった。
 いや、それだけではない。
 少年は魔王にとって聞き逃すことのできない情報を言っていた。
 “千年前の魔王”。
 再生してすぐは気にしなかったものの、自分はどれだけの期間死に続けていたのか。魔王に若干の焦りが生まれる。
 __どうする。
 まず何から聞き出すべきか。今の自分のコンディションでは下手に騒げば殺されてしまい、再生も出来ないようあらゆる手段をとられるだろう。
 そもそもなぜ自分を生かし、契約などとふざけた事を抜かすのか。あらゆる面で謎ばかりの状況である。魔王は知らず知らずのうちに混乱していた。

「……キサマ。契約というのが魔族にとってどういうものを示すのか、わかった上で言っているのか?」

 まずは目前の問題からと結論出し、なるべく高圧的に返す。
 しかし、残念ながらというべきか当然ながらというべきか、今の自分では大した効果は得られなかった。

「いや全く」

 そして、特に考えることもなくそう答える少年。
 それどころか「なおさら都合がいい」とでも言うような表情をするのだから手に負えない。思わず天を仰いでしまった。

「……キサマがどういう考えを持って契約などと抜かすかは知らぬが、魔族にとって契約とは崇高なものよ。話を聞く気にもなれんな」
「そう言うなよ。場合によっちゃあお前を逃がしてやってもいい」
「……正気か小僧」

 何か考えがあってのことか。それともただのバカか__。
 目に見えるのはただただふてぶてしい態度の少年だけ。

「そう気張るなよ。聞くだけタダなんだから」
「わからんな。我を魔王と知ってなお、なぜ生かす?」
「死ぬ間際の奴だから危険だってこともある。再生の魔王なら生命力も高そうだしな」

 特段おかしいところは無い。
 だが、どうしてもわからないのはなぜ「ただ逃がす」のか。
 契約さえすれば逃がす。なら契約の内容が特殊なのか? 魔王たる自分にしか出来ないような、そんな……。

「……ただでは契約出来んな。こちらからも条件がある」
「どうぞ」
「こちらの知りたいことを教えろ。契約は聞いてから判断する」
「いいぜ。別に困りゃしない」

 余裕だった。
 なら本当に簡単な内容なのか? 自分を逃がすにはあまりにもリスキー過ぎないか? それともただ過小評価しているだけ?
 しばらく考えるが答えは出ない。なら考えるだけ無駄だと口を動かす。

「今は何年じゃ」
「二八九◯年」
「な……」

 魔王がいた時代はおよそ一八◯◯年ほど。
 魔王が魔王として存在していた頃からすでに千年以上もの時が経っていた。

「……魔王はいるのか」
「目の前に」
「そういう意味ではない」
「わかってるよ。もちろんいる」

 魔族は契約に乗っとり強さに関わらず現在魔王である魔族に忠誠を誓う。目の前の少年は知らずとも、魔王は理解していた。
 だからこそ、歴代最強という肩書きはあれど、すでに別に魔王がいるのであれば自分に帰る場所はない。魔族の一員として加わればいいのだが、そこからはプライドの問題だ。
 そして残念ながら、プライドはとても高かった。

「……最後じゃ。この街はなんと言う」
「ホロウシティ」
「ホロウ……」

 どこかで聞いた覚えがあるような、そんな感じがした。
 しかし、例え知っていたとしても人と魔族ではところどころ同じものでも呼称が違う場合がある。
 一瞬、なにかがよぎったような気がしたが尻尾を掴む前に逃げられ、それ以上思い出せそうに無かった。

「他には?」
「……」
「なら、こっちの話も聞いてもらえるか?」
「……」

 もしかしたら嘘をついているのでは?
 そういう淡い希望もあった。ただ、今の自分には嘘かどうかを見極める力はない。いや、正確には“失われた”か。
 __ 魔法極意マスタリースキルが失われている。想像以上に弱っているか……。
 これ以上考えても仕方ないと腹を括り、せめて魔王としての矜恃を守ろうと決める。

「よかろう」
「じゃあ……誰も傷つけずにこのままどっか行ってくれ」
「……は?」

 思考が放棄される。
 自分が悩んでいたことが全てバカらしく感じてしまうほど、その要求はぶっ飛んでいた。
 頭が空白に染まって数秒間、我に返った魔王は顔色を怒りに染める。

「き……キサマ! 我を愚弄しておるのか! 我を誰だと思っている! 万の魔族の軍勢を率いて人間どもの骨の髄まで恐怖を覚えさせ、歴代最強とまで称されるほどの実力を持つ最強の魔王“深淵より出でし者”であるぞ! そ、それをただ出て行け!? ふざけておるのか!」

 そこまで言ったところで腹に痛みが走る。腹が減っているだけといえど、魔王の力を根こそぎ奪って行く。

「お、おい」
「触れるな!」

 心配し駆け寄るアルの手を払う。
 その目には、弱々しくもたしかな怒りが浮かんでいる。

「我に同情したか!? かわいそうだと思ったか!? 最強と言えどただの空腹でダメになってしまい自分たちと同じなんだとでも思ったか!? ふざけるでない! 例え恥も外聞もなくそうと、魔族として、魔王としての誇りまで捨てた覚えはない! 侮るなよ人間!!!」

 空気が張り詰める。
 アルはただ驚いたかのように目を見開く。
 魔王は残った力をかき集め、魔力を練り上げる。
 一触即発の空気。
 静寂を破ったのは__

 ぐー

「あ?」
「っ」

 __腹の虫だった。

「今のって」
「〜〜〜〜ッッッ!!!」

 魔力は一気に拡散。
 張り詰めた空気もどこかに行き、魔王は真っ赤になった顔と先ほどまでの事実を隠すように布団の中に隠れた。
 先ほどまで強く出ていた分、格好がつかない。

「……ぷっ、ははははは! こ、このタイミングで腹の虫なるかよ!」
「わ、笑うなぁ!」
「いや……くくく、悪い」

 目尻を濡らしながら笑みを隠そうともしないアルに殺意を抱くものの、今の自分では何も出来ないとさらに怒りを溜める。
 __全盛期であれば息をするに等しいレベルで瞬殺できるものを!

「はぁ……もう、そんな風に鳴かれちまったらなんか出してやらねえとな」
「こ……殺すっ!」
「はいはい。とりあえず飯でもどうだ?」
「ふざけるな! 人間の施しなど」

 ぐー

「……」
「など、なんだ?」
「……我は契約を了承したわけではないぞ。力が戻ればすぐにでもキサマを殺す。本気だ」
「わかったわかった」
「わかってない!」

 目の前の人間はなにもわかっていないかのように魔王の言葉を流す。それが魔王をさらに苛立たせる。

「さ、一名様ご案内だ」


 ◯


 __怒らせてしまった。
 アルというのは、良く言えば潔く、悪く言えば諦めが早い人間だった。
 アルは幼き頃から荒くれ者が集まる酒場で育った。ガッハッハと大笑いしたり酒をがぶがぶ飲んだりとにかく喧嘩だなんだと暴れたり、そういう光景を目にしながら育ったのだ。
 そして、ある結論に辿り着いた。
 __冒険者、無理。
 と。
 その頃から、両親に文字や計算などという一般教養をなどを習うも、魔法や実戦訓練などの練習からは逃げるようになった。
 そのために、口こそ荒いし冒険者たちのノリにも乗っかってはいるが、“諦める”ことが驚くほど早い。
 だからこそ、今回魔王に対し「誰も傷つけずにこのままどっか行ってくれ」と言ったのも、初対面の時に鮮烈に脳裏に焼き付いた“死”のイメージを拭うことができなかったからだ。
 あの時、あの瞬間、誰よりも早く生きることを“諦めた”。だからこそ、そんな絶対的な存在に死んでほしくないと思った……かもしれない。
 そういう意味では母が言った一目惚れという言葉はあながち間違いではなかった。アルは魔王のその力に、間違いなく魅了されたのだから。
 しかし、そんな余計な気遣いが魔王を怒らせてしまいアルは後悔していた。
 流れで食事をさせることになったものの、その後はどうするか全く考えていない。
 もうなるようになれとヤケになりながら。魔王を引き連れて下へと降りて行った。

「おー。アルか。さっさと飯に……」
「あら……」

 そして降りると、当然だが両親に見られる。
 母はともかく、父はそれはもう面白いくらいに驚いていた。

「まあ、なんだ。こいつも飯食うことになったから」
「ふん」
「……っ! おいきらバカ息子! ちょっとこっちに」
「最後の晩餐になってもいいよう腕によりをかけて作るわね」
「よろしく」
「母さーん!?」
「あなた。感じるのよ」

 それだけ言って母は厨房に引っ込んだ。あまりにも動じない妻と息子に「自分がおかしいのか?」と疑問を持ち始めた父はもうなにも言わずに席についた。
 アルと魔王もそれに続く。

「とりあえず自己紹介でもするか」
「自己紹介? こんなところでやったらこんな建物壊れてしまうぞ」
「魔族の自己紹介ってどんなんだよ……」

 さらっと告げられた店破壊発言に魔族と人間の違いを再確認されながらも、アルは続けた。

「自己紹介ってのは自分の名前や好きなものとか、趣味とか、そういうのを紹介しあうもんだ」
「なんじゃそれは。聞いたこともない」
「魔族式はどんなんだよ」
「魔族は相手を強さで認識する。故に自己紹介も自分の得意魔法や戦術など、自身の実力を見せつけることにある」
「まとめると?」
「決闘じゃな。ソフトな決闘」

 若干、聞かなきゃ良かったと後悔する。

「人間じゃそんな物騒なことはやらん。最初は言葉で、だ」
「お主らのルールに従う気はない」
「弱ってるくせによく言うぜ」
「……」

 魔王は睨みつけるが効果はない。
 アルは軽くスルーしながら強引に進めた。

「俺はアル・ノワール。ここで働いてる。で、目の前に座ってるのが俺の父さん。あっちで料理作ってるのが母さんだ」

 奥の方から「よろしくねー」と声が聞こえる。
 それらの言葉を興味なさげに魔王は聞いていた。反応はなく、アルは肩を竦める。
 しばらく無言の時間が続き、そして、口を閉ざしていた父が話しかける。

「なあアルよ。父さん理解できねえぜ。なんで魔族__しかも魔王相手にそこまで普通でいられるんだ?」
「なんでって……」

 少し考え、隣に座る魔王を意識しながら答えた。

「一度死んでるから」
「……は?」
「いやな。もし、魔王が本調子なら確実にあそこで死んでたんだよ。魔王はいつだって俺らを殺せる。遅いか早いかの違いだけっつーか……だからかなー?」
「……いやいやいや。だからこそ弱ってるうちに始末しねえと危ねえだろって話だろうが!」

 アル自身、自分の気持ちをどう説明したもんかと悩んでしまうのだが、父の言葉に素直に賛成出来ない自分がいるのも確かだ。

「始末などと聞くと虫唾が走るが、そこの男の言うとおりだぞ小僧。なぜ我を生かす? 言っておくが、我は本来ならすぐにでも行動したいのだ。しないのはそれだけ絶不調であるということ。なのに飯まで食わせてその上逃がすなどと……お前は人間を滅ぼしたいのか?」

 逃がす、という部分に父がさらに反応するが、無視。
 考えれば考えるほど頭痛がする。そもそも、考えるのはあまり得意ではない。

「っだあああああ! もう、うっぜえな! いいだろ! うちは飯屋だ。飯屋が飯を食わせてなにが悪い! そんなに死にたいなら他所で死ね!」
「なっ……キサマ! 我に死ねだと!? ふざけるな!」
「ふざけてんのはどっちだ! 誇りがなんなのって、千年前のもんだろうが! それこそ埃かぶってるだろうが!」
「我を……魔族をバカにしたな小僧。今すぐ殺してやろうか」
「同情するなとかなんとか言って、死ねって言えばすぐこれだ。わけがわかんねーよ! 死にたいのか生きたいのかどっちだよ! 間抜けな人間で良かったとかそんぐらいに捉えりゃいいのに自分の首締めてんのは他ならぬてめえだろうが!」
「それがいらぬ世話だと言うのだ! わざわざ殺せる魔族を前にして殺さず世話してさらに飯を食わすなどキサマ狂っておるのか? そもそもキサマなどに殺されたとしても、この“深淵より出でし者”はそう簡単にくたばりはせぬわ!」
「なにおう!?」
「やるか雑魚が!」
「いい加減にしろやッ!!!」

 耐えきれなくなった父が止めるが、二人の空気はまさに一触即発だった。
 まさにその時__

「出来たわよー。はいラーメン」

 __母が夕食を持ってきた。

「……おい」
「なにかしら」
「らーめん? ……これが人間で言う最後の晩餐か? 言っておくが、我は本気で殺すぞ?」
「今から手の込んだ物もめんどくさいのよね。だからこれが最後の晩餐よ」
「こんなものがか?」
「まあまあ」

 母はさらっと流してみんなを席に座らせた。
 先ほどまでの空気はどこかへ散ってしまったかのようだ。

「じゃあいただきます」
『いただきます』
「い、いただきます?」

 魔王が戸惑うように合わせる。そんな様子に先ほどまでの事を忘れ苦笑してしまうアル。
 目の前の母特性のラーメンにがっつく父に習い、自身もがっつき始める。
 しかし、その手はすぐに止まった。

「どうした魔王」
「あ、いや、その……」

 少し視線を泳がす魔王に不信感を覚えるものの、その手を見てすぐに気付いた。

「箸。使えねえのか?」
「っ!」

 羞恥のせいか顔を真っ赤にする。その手には箸が力強く握られていた。
 もちろん、動かせるはずもない。

「……ったく」
「お、おい?」

 アルは厨房へと引っ込む。
 少しして、手に物を持ちながらやってきた。

「ほれ。フォーク」
「ふぉーく?」
「これなら使えるだろ」
「……」

 残念ながら反応はよろしくない。
 アルは無言でその手からフォークを取り、ラーメンの中に入れて回す。取り出すと麺が絡まっており、アルはそれを魔王に出す。

「ほれ。あーん」
「……」
「冷めるぞ」
「あ、あーん」

 それを微笑ましく眺める母と苦々しく眺める父を背景に、魔王は恐る恐るといった感じでラーメンを食べる。
 そして__

「っ!」
「おわっ」

 __アルからフォークを奪い取っては一心不乱に食べ始める。
 あまりのことに呆然とする一家。ただ魔王が猛スピードでラーメンを平らげるのを見ていた。
 そのうち魔王は回すのも面倒になったのか、きちんと巻き取らずにすくっては口に含み、ずずずっと音を立てながら食べる。
 アルたちはそれを見て、自然と笑みが零れていた。
 自分たちを殺す魔王。もしかしたら自分たちにとって最後になるかもしれない光景。
 だというのに、ただ笑って、自分たちのラーメンを食べ始める。


 ◯


「……」
「おーい」
「…………………………」
「ダメだこりゃ」
「敵である人間の手料理を一心不乱に食べちゃったから食べ終わった後で羞恥心が襲ってきちゃったのねー」
「本当に魔王か? 警戒してた俺がバカみたいじゃないか」
「我は魔王じゃ!」

 それは重々承知している。
 腹が少なからず満たされたおかげか、魔王の魔力や迫力が強くなっていることを肌で感じていた。
 しかし、絵面だけで見ると小さい女の子がお腹いっぱいラーメンを食べたという微笑ましいものでしかない。

「……お前らのとこでは料理はないのか?」
「……ない。正直な話、こんな美味しい食い物は初めてじゃ」
「どういう食生活だ……」

 呆れの色を出すアル。
 もはや強く出ることすらできないのか、トーンの下がった声で答えた。

「魔族にとって娯楽とは戦闘じゃ。食い物なぞ適当に魔物を魔法で焼いて腹に詰めておった。脆弱な人間と違って魔族はそれで十分生きられる」
「父さん。魔物を食うって」
「人間ならNGだな。死ぬ」
「魔族って凄いわねー」

 魔物とは動物が変異し生まれたものである。凶暴であり他種族を襲う。そのため一箇所に固まる人間などは
 よく標的にされる。
 体内は強力な毒素があり、処理さえすれば武器や日常品の素材になったり食べることも可能。だが、そのまま食べると人間であれば死ぬ。
 同じ毒素を体内に持つ魔物ならともかく、そういうわけでもない魔族が処理せず魔物を食べても平気というのは、それだけ生命力が高い証に他ならないのだ。

「お主らが脆弱なのじゃ」
「……その脆弱な人間の食べ物を美味しそうに食ってたくせに」
「そんなに死に急ぐならそう言え人間」

 目にも留まらぬ速さでアルの顔面を掴むと魔王は魔力を集中させていく。

『あ』

 両親が揃って声を上げる。
 それも当然だとも言える。
 なぜなら、アルは戦闘技能をびた一文上げていない。基本的には引きこもり体質で店の外にはあまり出ない。
 当然、かなり弱い。料理で鍛えた体力、器用、筋力こそあれど、魔王なんかが魔力を強く当ててしまえば結果は見えてしまうのだ。

「……ぅ」

 アルは意識を一瞬にして落とし、その場に崩れ落ちた。



「……弱過ぎではないか?」
「ま、バカ息子だからなー」

 __理由になっていない。
 しかし、彼奴の中では十分に理由になっているらしくそれ以上なにも言わない。男はアルとかいうガキを連れて上の方へ消えた。
 女の方も全く慌てていなかった。
 本当に、どうして目の前の人間は我を前にしてこうも平然としてられるのか。

「で、魔王ちゃんはどうするのかしら」
「ちゃん付けするでない。どうするとはどういうことだ」
「この街を滅ぼすのか、黙って出て行くのか」
「決まっている。滅ぼすのだ」

 これは決定事項だ。
 なのに__なぜこうも、躊躇するのか。

「じゃあ、その時まで魔王ちゃんとお話してようかしら」
「説得する気か? あとちゃん付けするな」
「説得ねー。説得と言えばそうなるのかしら。私はただ話したいだけだけれど」

 本当に、不思議な人間だ。私が知るどの人間とも違う。

「もし、私たちのことを「他の人間と違う」と考えているのなら、それは間違いよ」

 一瞬、心を読まれたのかと思った。
 だが、すぐにそんなわけは無いと改める。心を読めるとしたら特殊な魔眼か、闇の魔法極意マスタリースキルでご擬似的な読心を使うしかない。目の前の女からはそんな気配はない。
 つまり、表情から読み取った。大した洞察力だ。侮れぬか。

「間違いとはどういう意味だ」
「そのままの意味よ」
「敵である魔族を保護し飯まで食わせるのが普通だとでも?」
「……冒険者にはね。みんなに共通した思想があるの」

 雰囲気が変わる。
 それは我が今まで殺してきた、戦士の空気だ。

「“明日生きるために今を生きろ”。冒険者に豪快な人が多いのは今を全力で楽しむ人が多いからなの。私も昔は結構やんちゃしててね。そして、その考えは引退した今でも持っているわ。だから私は、したいようにした」
「それが、我を助けることか?」
「だって……あなた凄く可愛いんだもの! 言うなれば私が欲しかった娘の理想像と言っても過言じゃないわ!」
「か、可愛い? て、誰が娘じゃ! 我は一◯◯年は軽く生きておる! お主ら人間とは違うのじゃ!」

 他の魔族に比べれば一◯◯年という時はあまりにも短い。しかし、人間と比べればとても長い時だ。

「あら、そうなの。でも、気に入ったものはしょうがないじゃない。例え相手が魔族でもね」
「それでお主らの明日が消えてもか?」
「そうよ」

 即答。
 あまりにも矛盾してるような回答だ。
 此奴らはなにを考えている?

「……」
「別に難しいことじゃ無いのだけれど……。私はね、明日を生きるつもりよ?」
「ここで死ぬのにどうやって生きる」
「そうねー。そこまではっきり言われると諦めるしかないわねー」
「そんな簡単に諦められるものなのか?」
「そういうんじゃないの。なんと言えばいいのかしら……今を生きれずに明日は生きれない。だから、今を生きて明日が消えるのであれば、結果として明日が来なくなってしまうのなら、それは本望なのよ」
「……我には、主らがなにを言ってるのかわからん」
「そうね。じゃあ生きてたらいつかもっと詳しく話してあげる」
「そう言って生かしてもらう気か?」
「バレた?」

 我が本気ではないと高を括っておるのか? それとも、これが此奴らの言う「今を生きる」ということなのだろうか。
 ……馬鹿馬鹿しい。

「お主らが他と変わらぬというのなら、人間は揃いも揃って馬鹿ばかりじゃ」
「そうかもしれないわね」

 無言の時間が始まる。
 途中で男の方が帰ってくるもなにも言わずに席に着く。
 女はただただ微笑みながらこちらを見てくる。
 男は呆れたように女を眺めていた。
 __自然体。
 そう思った。
 我が見てきた死ぬとわかった人間は、泣き叫ぶか抗うかのどちらかだ。
 目の前の人間はそのどちらでもない。
 静かだった。
 そうやっていると思い出すのは、先ほど食べたらーめんとやらの味。
 素直に美味しかった。
 また食べたい、とも思う。
 __しかし、人間は敵だ。
 魔族と人間は長い間戦い続けてきた。今更和平などありえない。
 なぜなら__なぜだ?
 人間は敵だ。長年の間そうであった。しかし、別に人間に対しこれといって恨みはない。ないのだ。どんなに自分に問いかけても、ない。
 では、なぜ戦っていた? それは戦いたかったからだ。
 魔王として勇者どもと戦うのは人生で一番楽しかった。
 死がすぐそこにあるという緊張感。全力で戦える相手。罠もなにもない真っ向勝負。
 その上で負けて我は……勇者になにを思った?
 __見事。
 人の身でありながら魔王たる我に近づき、打ち倒した者への純粋な敬意。
 混乱する。
 ここまで自分の心を見つめ直すということはしないせいか、人間に対し抱いていた感情がぐらつき始める。
 おかしい。こんなのはおかしい。

「ねえ」
「な、なんじゃ」

 また表情を読まれたのか。あまりにもいいタイミングで声をかけられたために動揺が表に出てしまう。
 しかし、次に発せられた言葉は、そんなものもどこかへ吹き飛ばしてしまう。

「魔王ちゃん。うちで働いてみない?」
「……………………………………………………は?」

 女の隣で頭を抱える男の姿が妙に印象的だった。
3 | ネームレス | 2019年11月10日(日)20時28分

「……頭が痛え」

 昨日……いや、店をたたんだ後だから今朝か? まあいいか。
 魔王の奴に魔力当てられたせいで気絶してしまったようだ。……なんか軽くトラウマなりそうな勢いで死ぬかと思った。

「うーん……ん?」

 ベッドの上で伸びをしたところで、気づく。
 __朝?

「……生き残れたのか」

 別に魔王が嘘をついていたとは思わない。その上で判断した。後悔のないように。
 しかし生きれてる。心変わりか?
 まあ、助かったか。良かった良かった。
 ……ああ、でも。

「あいつは、帰ったか」

 いや、この場合は「帰った」は変か? あいつに帰る場所はねえし。
 ……弁当の一つぐらい持たせてやるべきだったか。

「……なんで魔族に入れ込んでるんだが」

 昨日は少しおかしかった。うん。そういうことにしとこう。
 女の影が無かったからつい見た目美少女にくらってきただけ。そういうことにしよう。
 いつもの服に着替えて下へと降りる。

「おはよ」
「きゃー! あなたこの子可愛い!」
「おお! 娘ができたみたいだ!」
「ええーい! 離せキサマらー!」
「う……」

 ……。

「なんだ夢か。もう一眠り」
「助けんかキサマー! 殺すぞ!」

 これ現実なの? どういうことなの?

「……えっと、母さん。そろそろ店の準備」
「あらそうね。じゃあ今日はこれまでね」
「ちっ。邪魔すんなよバカ息子」
「殺すぞテメエ」

 息子に唾かける親が人としていいのだろうか。
 ……さて。

「で、なんでいるんだお前」
「……うるさいわボケ」

 ……。

「出てけ」
「アールー。ダメよー。魔王ちゃんとは“契約”したんだからー」
「は? け、契約?」

 えっと、つまり、俺が昨日こいつにやられた後に母さんが……?

「フレイの奴に丸め込まれたのじゃ。今では死ぬほど後悔しておる」

 思い切り苦々しい表情で魔王は言った。
 ……なにがあったんだ。というか母よ。自己紹介してたのか。

「……案外ちょろいのなお前」
「闇よ。塗りつぶせ。《ブラックポイント》」
「そぉおい!?」

 寒気が体に走った瞬間、全力で前に飛ぶ。
 先ほどまで俺の顔があった場所がそこだけ光をくり抜かれたかのように真っ黒になっていた。
 ……空間が歪んだように見えたのは気のせいだろうか。

「ちっ」
「……」

 なにこいつ怖い。

「今は契約に従い店の不利益になるようなことはなるべくせん。しかしな小僧。あまり我を怒らせぬ方がいいぞ?」

 ……魔王め。


 ◯


 ランド・ノワール。
 フレイ・ノワール。
 そう自己紹介された。
 魔族は名を持たぬゆえ、こちらからは“深淵より出でし者”と返したが、そもそもなぜこうなったのか。
 気の迷い。そうとしか例えれない。

「……なぜこんなものを」

 でなければ、こんなフリフリしたものなど着ない。

「売り子としてあるべき姿よ!」
「絶対に違うであろう!?」
「なにが違うの! メイド服は給仕する者としての正装よ!」
「めいどふくとは何かは知らぬが少なくともこの店で着るものでは無い!」
「需要があるのよ!」
「知らぬわ!」

 我が了承した契約はあくまでこの店で働くというもの。
 着せ替え人形になるためではない。

「しょうがないわね。あなた!」
「合点!」
「っ! 闇よ。塗りつ」

 闇属性の中でも基本中の基本。《ブラックポイント》。効果は簡単に言えば空間の上書きである。本来は少し視界を暗くするぐらいだが我ぐらいになると頭ぐらい簡単に潰せる。
 のだが、やはり体は鈍っていた。
 とっさの反応が遅れ、ランドの行動を許してしまう。
 まずいっ!

「メイド服で「お帰りなさいませご主人様♡」ってやってください!!!」

 両膝を折り、正座。背筋を伸ばし、その状態のまま上半身を折り両手は地面に置きで額の位置で綺麗に重ねる。
 上から光でも当てられそうなその姿。そう、土下座。
 ……。

「死ねぇ!」
「ありがとうございます!」

 顔面を全力で蹴る。
 しかし、全盛期の頃と比べ身体能力は著しく低下している。魔法も大分勘を取り戻したが、まだ魔法極意マスタリースキルが戻っていない。
 ……千年のブランクは痛いか。

「はぁ、はぁ」
「しょうがないわねえ。じゃあ、はいこれ」

 今度渡されたのはシンプルな給仕服。
 ……。

「まあ先ほどのものよるなら」

 働くと契約した以上、あまり店の不利益にならぬよう行動しなければならない。
 制服があるにであればなるべく着た方がよかろう。……先ほどのは絶対に着ないが。
 というわけでその場で服を脱ぎ始める。

「ひゃっh」
「火よ。爆ばぜよ。《ボム》」
「目がああああああああーーーーーーーー!」

 火の基本中の基本である《ボム》。その名の通り小さな爆発を起こす魔法。
 それがランドへ向けて放たれた。

「もうダメじゃない。女の子が野郎の前で着替えるなんて」
「別に気にせん」
「なぜメイド服はダメなのかしら……」

 その言葉を無視し着替える。
 ……微妙にサイズが。まあいいか。

「きゃー! あなたこの子可愛い!」

 ぬおっ!?

「おお! 娘ができたみたいだ!」

 もう起きたのか!?
 そう思っているとフレイが我に抱きついてくる。
 くっ、契約さえ、契約さえ無ければ……!

「ええーい! 離せキサマらー!」

 そこで、今目覚めたのか小僧の姿を見つける。

「なんだ夢か。もう一眠り」
「助けんかキサマー! 殺すぞ!」

 あっさりと現実逃避した小僧に一括。
 その後は小僧のおかげで場は収まる。た、助かった。
 もう疲れた。やめたい。契約破棄したい。しかし魔族としてそれは出来ぬ。
 ……朝からこんな調子で大丈夫だろうか、我。


 ◯


「ぬわぁっ!?」

 がっしゃーん

「ぬぉっ!?」

 ぱりーん

「ちょわぁ!?」

 ばっしゃーん

「ちょっと来いやお前ぇえええええええええ!!!」

 開店十分。
 家兼酒場【翼の休憩所】から、食器が激減した。



「なぁ。なぁお前わざとなの? 恨みでもあるの? なあ」
「恨みなんぞいくらでもある。魔王たる我をこんな契約で縛りおってからに」
「了承したのはお前だろ!」
「むぅ」

 開店直後。
 いつものようにクエスト前の景気づけ、もしくはクエスト帰りの冒険者たちが一斉に【翼の休憩所】に流れ込んだところ、魔王は一躍人気者となった。
 もちろん魔王であることは教えてないが、最近拾っては給仕として働くようになったと適当に説明。細かいことは気にしない冒険者はすぐに受け入れた。
 しかし、そこで問題が出てきた、
 魔王が本当に魔王なのか疑うレベルで失敗しまくったのだ。
 すかさずアルがフォローに入り、今は倉庫で事情聴取中である。

「……出来ないなら最初からそう言ってくれ」
「べ、別に出来ないわけではない。まだ慣れておらぬだけだ」

 魔王は気まずげに顔を逸らす。アルはしばらく睨み、ため息をついた。

「……とりあえず今日は父さんの仕事を見学だ。これ以上失敗されでもしたら敵わない」
「つ、次は出来る!」
「その不確かな次をやらせてまた失敗でもされたらたまんねーつってんだよ!」
「なんだと!?」
「契約したんだってな。この店で働くって。だけど今のお前が働くと店の不利益にしかならねえ。今日は黙って父さんの仕事ぶりを見てろ!」
「っ!」

 魔王は耐えれなくなり、アルの髪を掴み力任せに壁に叩きつけた。
 どん、と強い衝撃が背中に走る。

「っ。……なんだ。また魔力でも当てるか。それとも殺すか。気に入らなければ力で脅すか」
「矮小なだけの人間か。力も無いくせに吠えるか」
「力が無いならなんだ。力があれば偉いのか。ただお前は力で解決する以外の方法を知らねえだけだろうが」
「……どちらが上かわからせてやろうか」
「殺すなら殺せ。あーあ、お前を助けた俺がバカだったよこのクソ魔族!」
「なら自分を呪いながら死ね!」
「やめなさい!」

 魔王が魔法を放つ__その瞬間。
 扉の方向から声が響く。

「……母さん」
「フレイか」
「二人とも。帰りが遅いからなにかと思えば……」

 フレイは頭が痛いとでも言うようにこめかみを抑えた。そして。いつになく厳しい口調で話す。

「アル。魔王ちゃんを必要以上に煽るのはやめなさい」
「うぐっ」
「魔王ちゃん。アルは一応店の厨房担当だから、殺すのは店の不利益__つまり契約違反よ。魔族って言うのは契約を簡単に破るのかしら」
「ぬぅ」

 まさに一刀両断。
 魔王も腕から力を抜きアルを解放した。二人は互いに苦々しい顔つきになっている。

「アル。最初はこんなこともあるわ。だから大目に見なさい。先輩でしょう」
「だから見学してろと」
「本人にやる気があるならやらせます」
「……はい」
「幸いこのぐらいで怒るような器の小さい人もいないし、失敗から試行錯誤した方が成長するわ」
「それが成功に繋がるとは限らないだろ」
「アル」

 強い口調で言葉を遮られる。普段の柔らかい雰囲気とはまるで違うフレイの雰囲気に呑まれ、アルは黙った。
 フレイは次に魔王を見る。

「魔王ちゃん。なんだか流れでこうなっちゃったから、不本意なのはわかるわ。やめたいならいつでもやめていいのよ。でも、やってくれるならなるべく失敗しないよう気を付けてね」
「……ここまで失敗しておいて、中途半端な形で契約を反故するような真似はせん」
「そう……。はい! じゃあ終わり。さあ二人とも。店に戻って」
『……はい』

 最後にいつもの笑顔を見せ、フレイは戻って行った。
 後には微妙な空気を残した二人だけが残る。

「……先行けよ」
「なんでじゃ」
「やることがあるんだよ」
「なんじゃ」
「絶対教えねえ」
「……勝手にしろ」

 そう言ってアルは立ち去る。

「……くそが」



「うぎゃあ!」
「大丈夫かぁっ!?」

 今日だけですでに両手じゃ足りないほどの失敗を繰り返した魔王。
 人手は増えたはずなのに、ランドはいつも以上に忙しなく動いている。
 さすがの冒険者たちも、少し引き気味だ。

「うぐぐ……なぜ出来ぬ」

 周囲からしたら「それはこっちが聞きたい!」なのだが、本人にもわからないのならどうしようもない。
 そこにアルが来た。

「またやってんのか」
「今までサボってた奴になにか言われる筋合いは無い!」
「はいはい。いいからすっこんでろ」
「うぐぐ」

 失敗している以上、大きなことを言えないのは魔王も同じ。
 仕方なく下がり、アルたちのやり取りを見守る。

「……いな…………で」
「…………に……いうことも…………」
「まあ……分俺らの……はただただ………………だが」
「ああ。…………てる。それでちょっと…………なんだが」
「なんだいアル坊」
「しばらくは………………だから、出来ればこのまま………………頼んでくんねーかな」
「……はぁ?」
「アル坊。幾ら………………ねが」
「…………ある」
「……おい。こりゃあ」
「…………それも……に」
「ずっと前から…………は……てきた。まあ少しは……でも使う…………な。俺ルールで毎月…………は……でこんだけ」
「……まあ……しなけりゃ」
「でも…………一週間だぜ。俺らだって飲みてえし」
「むしろ…………持つなら上々。…………がここで…………ならこっちも……見なきゃな」
「…………さんになんか…………たろ」
「なっ……」
「わかりやすいなー……。いいぜ。俺……冒険者。…………受けた」
「サンキューな」
「いいっていいって。その代わり、……は…………をくれや」
「あと……酒な」
「うちの…………はいつだって……えよ。んじゃ作業に戻るわ」
「おう」

 話を終え、アルが戻ってくる。

「なにを話しておったのじゃ」
「教えねえよゔぁーか。さっさと仕事してこいボケ」
「っ! き〜さ〜ま〜」
「注文いいかー!」
「こっちもー!」
「ほれ仕事だ」
「ちっ! 覚えておれ!」

 すぐに「忘れてやる」と決意し、厨房へと戻り、魔王も注文を受けに向かった。

「ふぅ」
「ふふ」
「……なんだよ」
「いーえー。フォローよろしくね」
「父さんの仕事だろ」
「いいじゃない。案外相性は悪くないと思うのよね」
「最悪だよ……」

 思い切り脱力し肩を落とす。
 アルとしてはあの魔王と相性は悪くないと言われたところで嬉しくもなんともない。
 このままこれ以上の問題がでないことを祈るばかりである。

「なあ嬢ちゃん。そういや名前はなんて言うんだ?」
「ん? 我か? 我は魔王だ」
「へ? ま、魔王?」
「マオー!!!」

 アルは鬼の形相でダッシュで魔王の元へと駆け寄る。必死すぎるその表情に魔王も引いた。

「な、なんじゃ? それにマオとは? 我は魔お」
「おいマオ! 雑談なんかする前にまずは注文を取ろうか! おめえらも先に注文しろ注文!」
「いやじゃから我はマオという名ではなくて魔お」
「母さんちょっと休憩だ! マオのこと連れてくぞ!」

 魔王は目を白黒させ動揺し、アルはそのうちに強引に引っ張って引っ込む。
 冒険者たちは突然のことに「なんのこっちゃ」という表情をしていたが、全てを察したフレイは「分かったわー」とだけ答えた。
 魔王がいなくなった後、皆から注文を受けるために働くランドは客からのブーイングに少し泣いた。



「なに正直に答えてんだテメエは!!!」
「悪いか!」
「悪いわ!」

 価値観の違いはここでも災いする。

「なあ。少しは考えて動けよ。お前は普段どういう風に生きてるんだ?」
「矮小な人間と一緒にするな。適当に生きてても闘争に生きる魔族は生きていける」
「……」

 闘争の中、生きるか死ぬかの刹那のやり取りの中で生きる魔族は基本的に深く考えずに行動する。
 だからこそ、力で差があっても人間側が全戦全勝というちょっと目を疑うような結果があるのだが。もちろん、人間側も勇者いての勝利ではあるのだが、魔族は基本的に負けから学ばないのである。
 そして、魔王もまた例外ではない。

「それより先ほどの“マオ”とはなんだ」
「お前の名前だよ!」
「な__」

 一瞬、驚愕に目を見開く。
 直後に、烈火のごとく捲し立てた。

「__ふざけるな! 我を誰と心得る! 深淵より出でし者として恐れられ、敬われた魔王であるぞ! 人間の悪しき風習に我まで巻き込むな!!!」
「悪しき風習ってなんだ悪しき風習って」
「そうやって名をつけることじゃ! そもそもなぜ名などつける? 他に判別方法が無いからじゃろう! 魔族は違う。魔族は名など無くとも判別できる! 魔族よりなにもかも劣る人間の風習を悪しき風習と言ってなにが悪い!」
「……」

 アルは顔を真っ赤にして激情に駆られ口を開き__そして閉じた。

「……なにも言い返せないか?」
「……もういい」
「なに?」
「お前がなんと言おうとお前は“マオ”だ。店の不利益はしないんだろ? だったら、下手に自分の身元バラして混乱を招くようなことはしないでくれ。お願いだから……」

 それは懇願だった。
 怒りを抑え込もうと無理やりに耐えていた。その上で、魔王に懇願した。
 そして魔王も予想外だったのか、それ以上言葉を紡げずにいた。

「……ぁ」
「先戻る」

 力なくそう呟くと、アルはそのまま厨房へと戻った。

「……なんなのじゃ!」



 価値観が違う。
 その言葉を上辺だけで理解した気になっていた。
 俺はなにもわかっていなかった。
 話が全く通じない。
 こちらのルールを教えても、魔王には理解できないのだ。
 あちらのルールがこちらには理解できないように。
 魔王をマオと呼び、とりあえずは収まるかと思ったが魔王はこれを強く拒んだ。
 悪しき風習。名前をつけることが、だ。
 他にも違うところはあるだろう。
 なら、あいつらと分かりあうことは無理。絶対無理。
 これ以上まともに関わったらこっちが疲れるだけ。
 ……もう諦めるか。



「マオちゃーん! こっちビール追加ー!」
「……」

 むすっとした表情で給仕としての仕事を果たして行く魔王。
 今だに「マオ」と呼ばれることに不快感を持っているのか、表情は不機嫌そうだ。しかし、仕事は最初と比べ「なんでもかんでも失敗する」から「食器を割らないが失敗はする」までランクアップしたので、アルたちもとくに文句は言わなかった。冒険者たちからのクレームも特にない。
 アルももう、必要以上に気にすることなく料理を作っていく。

 __そして、アルたちにとって長い一日が終わる。



「だぁああああああ! めんっっっっっっっど〜〜う、くさい! のじゃ!」
「無理に語尾つけんなよ……」

 客がいなくなったテーブルに座りながら二人は話していた。

「ふん。どうしいうが我の勝手じゃ」
「そうだな。悪かったよ」
「……ちっ!」

 アルは魔王に噛み付くのを諦め、魔王はそんなアルの態度にイライラしていた。
 前の一触即発の空気とは違う、全く別種の重い空気が漂っていたところに、扉に「closed」の札を掛けてきたフレイが来た。

「はいお疲れ様。マオちゃん。初仕事どうだった?」
「我をその名で呼ぶではない」
「私、結構いい名前だと思うのだけれど」
「そういう問題ではない。仕事では仕方なくその名を使うが、我は魔族。人間とは混じらん。今は仕事外なのだからその名で呼ぶではない」
「頑なねー……」
「ふん。そもそも、お主らの方がおかしいのじゃ。魔王に名前をつける? そんなことをやるぐらいなら、いずれ自分たちを滅ぼすかもしれない者のご機嫌取りでもしたらどうじゃ」
「なら、せいぜい長く働いてもらうためにもこの店を守らなきゃね」
「ふん。せいぜい頑張るのじゃな」
「じゃあ晩御飯作ってくるわね」
「っ!」

 一瞬。
 ほんの一瞬だが、魔王は目を輝かせたところをフレイは見逃さなかった。

「価値観は違っても“美味しい”って気持ちは同じなのかしら?」
「なにか言ったか?」
「なんでもないわ」

 そう言ってフレイは厨房に入り、入れ替わりでモップを持ったランドが席に着く。

「あー、掃除疲れた。マオちゃんはともかく、バカ息子は手が空いてるんだから手伝えよ」
「やだよめんどくさい」
「我をその名で呼ぶな」
「……こいつらめんどくせー」

 結局、会話は終わりフレイの料理を黙って待つ三人。
 時計がゆっくり時を刻んで行く。

「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……だぁあああああ! なんか喋ろぉ!」
「うっせえ黙れよ父さん」
「ランドよ。静かにせい」
「こんな時だけ息合うな! ああもうお前ら飯抜きにするぞ!」
「なにぃ!?」

 すると、「飯抜き」という言葉に魔王が反応した。
 アルとランドはキョトンとした顔で魔王を見る。

「それは困るぞ! あんだけこき使われて飯抜きじゃと!?」
「こき使われてって、お前の今日の働きは損失の方が多いだろうが」
「う、うるさい! というかなんでお主はそんなに落ち着いてられるのじゃ!」
「俺は自分で料理作れるし」
「……」
「そう、俺の英才教育のおかげでな」
「父さんが俺がなにかやらかす度に飯抜きにするからしょうがなく自分で作らなきゃいけなくなったんじゃねーか!」

 今のアルを作り上げたのはランドなのかもしれない。

「バカ息子がなにかやらかすからだろう」
「てめえが倉庫から肉を盗み食いしてるのを母さんに報告しただけだろうが」
「……うわぁ」
「マオちゃん。そんなゴミを見るような目で俺を見るな。お願いですから」
「ざまあ」

 流石の所業に魔王も引いた。主にしょうもないという理由ではあるが。
 ついでに、フレイがランドの「飯抜き」に付き合ったのは、アルにも料理を覚えて欲しかったからであり、真の黒幕はフレイなのかもしれない。

「あと魔王。お前は一日二日食わんでも生きてけるだろうに」
「うぐっ。……あ、あれじゃ。魔力回復のためじゃ。今は少しでも栄養のあるものを食わぬとな!」

 余りにも苦しい言い訳であったが、アルは「あっそ」とだけ言い、それ以上の追求はしなかった。
 その態度に先ほどまで冷めていたイライラが再点火された。

「……キサマ……文句があるなら言えばよかろう!」
「あぁ? 特に無えよ」
「ならさっきからその態度はなんじゃ!? イライラするんじゃよ!」
「だったら勝手にイライラしてろ。何言っても通じない相手に言うだけ無駄だしな」
「っ。キ〜サ〜マ〜!」

 ランドが二人を止めようとするが、すでに言って聞くような状態ではない。
「もうどうにでもなれ」と匙を投げ、全てを流れに任せようとし__

「できたわよー」

 __フレイが料理を持ってきた。

「ナイスタイミングだぜマイエンジェル!」
「あらあら。もっと褒めてもいいのよ?」
「これはなんじゃ?」
「いただきまーす」
「こーら。勝手に食べない」
「マオちゃん。これはピザだ」
「ぴざ? あとその名前で」
「うちってピザ釜まであるんだよなぁ……」
「いいじゃない。使わせてもらいましょ」
「とりあえず食べるか」
「う、うむ……」
「……ついでにこれ、手掴みだからな」
「そうか! あ、いや」
「それじゃ両手を合わせてー」
『いただきます』
「い、いただきます」

 こうして、魔王が働き始めてから一日目の夕食が始まった。すでに夜遅くはあるが。
 アルはまだ熱いのか、ゆっくりと食べている。ふと視線を前にやると、

「おっ、とっ、おっ!?」

 チーズに悪戦苦闘する魔王の姿。

「お前……なにやってんの? 芸術でも作ってんのか? どうやったらそんな芸術的な絡まり方できんの?」
「うるさい! 慣れておらんのだ!」

 チーズはとても長く伸びており、それがどうやったらそうなってしまうのか、魔王の体に絡みついていた。服の下やら背中やら、少し常識では考えられない巻きつき方をしている。

「母さん。チーズなんか変なの使った?」
「使ってないはずだけれど……おかしいわねー」
「これは……エロい!」
「……。焰よ。我が意思は曲がらぬ槍。形を持って敵を討つ。《フレイムラ」
「フレイさん! ストップ! ストーップ!」

 横では炎と爆音が光と音の見事な共演を描いていた。
 当然アルは「いつものことだ」と無視するが、魔王は呆気に取られている。

「……あやつらは夫婦、なのか?」
「そうだな。じゃれあってるだけだから気にすんな」
「……随分刺激的だな」
「魔族は結婚とかしないのか」
「せんな。人間との長い歴史において、人間の世のルールはいくつか知っているがその殆どがわけがわからぬ。結婚もその一つ。なぜ愛し合うのに証がいる? 結婚などと名前など付けなくとも、惹かれあえば一緒におればよかろう」
「随分と情熱的なんだな」

 チーズを体から引き剥がし、やっとのことでピザを口に含む。
 表情の変化こそ無いものの、目が輝くのは見てわかった。

「……人間は魔族のルールなんてわからねえのにな」
「はふっ、はふっ、ん?」
「人間が魔族でわかるのは、文化やルールじゃない。弱点、避けるべき状況、魔族の思想、戦闘の特徴、……そういった戦うための情報だ」
「むぐっ、ん。良いではないか」
「は?」
「魔族は強く、人間は弱い。強き者には余裕があり、余裕があれば余分な情報を集めれる。余裕が無ければ余分なものなど切り捨てなければならぬ。それが世の常よ」

 アルは少なからず驚いていた。意味もなく、ただ人間を襲う魔族。闘争に生きる種族。その頂点に立っていた魔王の口から理解ある言葉が出たことに。
 同時に、「そこまでわかっていながらなぜこんな無意味なことを?」と思わずにはいられない。

「……なんで」
「ん?」
「なんで、こんな無意味な争いを好むんだ。殺すとか、殺されるとか、そんな」
「……決まっておる。それしか無いからじゃ」
「それしか……」
「うむ」

 その言葉は、誇りと悲しみが混じる言葉だった。

「魔族には力しかない。力は振るうためにある。なら力そのものである魔族はその力を振るおう。死ぬその瞬間まで。それが、魔族だ」
「……他の種族に迷惑をかけてまでか」
「そうだ。魔族は強き者との闘争を望む。強き者を生み出すには死に物狂いで強くなろうとする者を探すしかない。しかし、闘争を楽しむ魔族に死に物狂いの者などいない。だから他種族を襲うのだ。魔族にはそれしかない」

 魔族とはなにか。
 それはよくおとぎ話に登場する“悪”である。
 理由なき暴力を振るい、正義によって倒される。
 シンプルにして単純な、“悪”。
 魔族はどこまでも悪であり、悪こそが魔族なのである。
 そのことをアルは悟る。

「くそ迷惑だ」
「だから死に物狂いになれるであろう?」

 自分の行いに絶対の自信を持ち、魔王は断言した。



 くそ。
 くそ、くそ、くそっ!
 どうでもいいのに、諦めようとしたはずなのに。
 飯を美味しそうに食べながら、「それしか無い」ってなんだよ。
 お前らは戦いが好きだから戦うのか?
 それしかないから戦うのか?
 じゃあ今、その母さんが作ったピザを美味しそうに食べてるお前はなんだよ。
 俺は__



「……決めた」
「はぐっ、むぐっ、ん。なにを決めたのじゃ?」
「お前に戦い以外の楽しみを覚えさせる」
「……はぁ?」

 アルの言葉に呆れ気味の魔王。
 しかし、アルの瞳の奥には決意の意思が見えていた。

「魔族が戦いしかしらねえなら戦い以外のことを教えてやる。人間の世には腐るほど娯楽があるんだ。そん中から気に入るものが少しでもあれば、もう「人間を殺す」発言も出来ねえだろ」
「くだらぬ事を考えるもんじゃ」

 取るに足らぬと切り捨て、ピザを食べ続ける。しかしアルは気にすることもない。

「少なくともこの店が続く限りはお前はここで働くんだろ? ゆっくりやってくさ」
「勝手にやっておれ」
「やらせてもらうよ。“マオ”」
「だからその名で呼ぶなと」

 最後まで聞くこともなくアルは食べ終わり食器を片付け二階へと移動した。
 魔王は嘆息し、残ったピザを口に入れた。
 そして、そんな二人を黒焦げになったランドの横でニコニコしながら、フレイは見守っていた。
4 | ネームレス | 2019年11月10日(日)20時29分

アル・ノワールは悩んでいた。
 先日、「娯楽なんざいくらでもあるんだ」と大見得切ったはいいものの、問題はそのあと。
 今にして思えば、アルが嗜んでいる娯楽など、高が知れていた。
 いや、そもそもの問題である。
 アルにとって娯楽とは、それこそ今の生活そのものなのだ。というより、料理しながら冒険者連中の話を聞いて暴れようものなら怒鳴りつける__そんな日常が好きなのだ。
 朝から掃除や仕込みをして夜遅くまで開店、日々に充実感を感じているアルが少ない時間に外に出てまでなにか娯楽を探すなんてこと、まずしないのだ。
 もちろん、アルもそれなりの年頃だ。欲しいものはそれなりにある。買う時間が無いだけで。
 しかしそれも、娯楽というよりは生活で使う実用品の品々だ。魔王に「娯楽だ」と紹介するには、少々無茶がある。
 それゆえに、悩んでいた。知らなければ教えてやることもできない。
 結局一週間近く、なにもせずに時は経って行った。


 ◯


「マオちゃーん! こっちにビールだ!」
「こっちには焼き鳥ー! 五人前頼むぜ!」
「チャーハンまだかー!」
「ランド失せろ!」
「誰だ失せろつったのはあああああ!」

【翼の休憩場】は昼からとても賑わっていた。
 しかし、魔王の登場によりランドの存在価値が徐々に消え失せているのが最近の問題で__

「あ、父さん。別に休憩してていいぜ。マオも慣れてきたし」
「そうね。いっそ裏で寝てていいわよ」

 __魔王の登場による問題は特にない。

「お前ら!? 終いにゃ泣くぞ!」
「そうだぞ!」
「ま、マオちゃん……!」

 まさかの自分を肯定する魔王に、思わず感動するランド。

「あいつら食い方がとても汚いのだ! 我はあれに触れたくない! 片付けはランドの役目だからな!」

 ランドは泣いた。

「ひでえなマオちゃん」
「むしろこれが礼儀よ」
「騒ぐのは致し方ない。しかし汚い食い方が礼儀だと言うのならいっそ死んでしまえ。その礼儀を抱えたままな」
「へいへい」
「はいはい」
「ほいほい」
「ひいひい」
「ふうふう」
「最後の二人! 挨拶に紛れて辛さを誤魔化したり冷ましたりしてるでない! 漢ならばくっといかぬか!」

 その後に二人分の絶叫が響いたが酒場ではいつもの光景であった。

「なにやってんだ……」
「いいじゃない。馴染んできて」
「だといいがな」
「あなたも頑張りなさい」
「意外と見つからねえんだよ……」
「あなたお金はあったでしょう」
「使った」
「あらあら。あれだけの貯金なにに使ったんだか」
「……知ってんのかよ」

 こんな時に自分の無趣味さを嘆くばかりである。さらにとある理由で手持ちの金もすっからかんである。
 アルとしてはそんなことより自分の懐事情を把握している母に恐怖を抱くが。

「まあ、でもあなたなら何に使ったかわからなくても信頼できるわ」
「まず把握しようとしないでくれ」
「無趣味だものね。買うとなったら必要なものを買うもの」
「無視すんな」
「マオちゃんの楽しみもちゃんと見つけてあげなさいよ」
「……へいへい」

 最終的に諦めたアルではあるが、最後の言葉には素直に従った。元よりそのつもりだからだ。
 しかし現状に進展はなく、ため息をつき__直後に店のドアが勢い良く開いた。

『ホントにいたああああああーーーーーー!!!』
「ぬわぁ!? な、なんじゃこいつらは!」
「あら。ニーナちゃんリーナちゃん。いらっしゃい」
「今回は時間が空いたな」

 そこには常連である二人の女性がいた。二人はなぜかアルとフレイの言葉にも耳を貸さず、魔王のところに歩み寄ると、抱きつく。

「可愛いーーーー! なにこれ!? お人形さん!?」
「髪の毛キレー。肌もっちもっちー」
「き、キサマら! やめぬか!」

 __契約さえ無ければこんな奴ら!
 魔王は二人をどけようとするも、店の不利益になるようなことを避けてか全力で抵抗出来ずにいる。
 それを眺めていたノワール一家は律儀に契約を守る魔王の姿に嬉しさを覚えるが、揉みくちゃにされていくその光景に複雑な気分になってしまう。

「お、おい。ニーナ、リーナ。そんぐらいにしてくれ」
「あと十__」
「秒でもなんでもさっさと」
「__年」
「今すぐ離せババァ」

 その時、アルの耳に「ぷちっ」という何かが切れた音が聞こえたのは、恐らく幻聴ではないだろう。

『ア〜〜ル〜〜く〜〜ん』
「げっ」
『ちょっとこっちに来なさい!』
「か、母さん」
「行ってらっしゃい」
「ちょっ」
「アル! 助けんか!」
『いらっしゃーい』
「ええい! どうにでもなれ!」

 その後。
 アルは年上のお姉さんの扱い方を小一時間聞かされることになる。アルと交代で解放された魔王は、逃げるように料理を冒険者の元へと運んで行った。



「ったく。酷い目にあった」
「こちらのセリフじゃ」

 二人ともげんなりした様子で休憩していた。というより、フレイが休ませた。
 ついでと言うことでニーナとリーナの食事に付き合うことになり、魔王は警戒しアルを挟んで座っている。

「悪かったわよ」
「でも噂通りの可愛い子だったからついね」
『噂?』
「ええ。いっぱいあるわよ」

 そうニーナが切り出し、リーナが列挙していく。
 失敗ばかりのドジっ子ウェイトレス。老若男女問わず魅了する美貌。ロリコン歓喜。お月様のような輝き。ドM心が刺激されるお姫様。突如襲来した美少女。理想の具現化……などなど。
 アルは「そんな噂流れてたのか」と純粋に驚き、魔王は人間の評価など興味がないのかフレイが作ったチャーハンを食べていた。

「我が美しいのは当然じゃ。今更なにを言うておる」
「おい。都合のいいとこだけ抜き取るな失敗ばかりのドジっ子ウェイトレスさん」
「それは人違いじゃな」

 堂々と否定するその姿に一種の感動を覚えてしまうものの、それ以上はなにか言うこともなくアルもチャーハンを食べて行く。
 しかし、ニーナとリーナはそんな魔王にさらにハートを撃ち抜かれたようで、

『この子ください!』
「ダメよ〜」

 なんてことを平然と言ってくるのだから困ったものである。
 マオ=魔王であることを知るノワール一家としては、冗談でも人に預けることなど出来ない。
 二人も本気で言っているわけでは無いらしく、その後は魔王も(強引に)交えた談笑をしていた。
 不意に、アルは違和感を感じた。

「それにしても」
「ん?」
「なに?」
「いや。珍しいなと思ってさ。愚痴らないなと思って」

 二人が全く愚痴を言わないことである。
 二人は毎回、数日間溜め込んだストレスを【翼の休憩場】で発散、言うなれば羽休めをしに来ているようなものなのだ。
 普段はアルとフレイ相手に酒をちびちび飲みながら社会への不満を言い続けるのだが、今日はそういうことがなぜか無い。

「あぁー」
「まあ、マオちゃんの噂聞いて来たようなものだしねー」
「そうそう。人って楽しみあると苦労なんてものは忘れるものよ」
「ねー」
「そういうもんか?」

 __まあ、楽しそうだからいいか。
 そうアルが思った時

「苦労は忘れてはならぬぞ」

 魔王は否定するようにそう言った。

「マオちゃん?」
「苦労は忘れてはならぬ。苦労を忘れると、喜びも薄れて行く」
「えっと……」
「なにもない平凡な日々が幸せだと言っていいのは、その前になにか取り返しのつかないことをしでかした者のみ。生き物は刺激が無ければ生きていけぬ。精神が磨耗する。なにもしないことで心が欠けていく。刺激を得るには、苦労して喜びを掴み取ることじゃ。特に理由もなく飲む酒と、景気づけや何かをやり切った後の酒では同じ酒でもまるで違う旨さがある。だから、苦労を忘れてはいかぬ」

 魔王が話し出すと、不思議と周囲は静かになっていた。
 静けさという言葉とは無縁のはずの酒場に、その瞬間だけはたしかに静けさがあった。
 誰もが魔王の言葉に耳を傾け、その言葉を聞いた。
 これから冒険に行く者も。
 冒険から帰ってきた者も。
 仕事から解放された者も。
 みんなその言葉を聞いていた。
 魔王はしばらくかちゃかちゃと皿を鳴らしながらチャーハンの残りを減らしていったが、周囲の静けさに気付いた。

「む? どうしたのじゃ?」

 その言葉に、まるで毒気を抜かれたようにまたざわざわと酒場は賑わって行った。

「そっか、そうだね」
「うーん……まさか年下に諭されるなんてね!」

 ニーナとリーナは何かを吹っ切ったように声を上げる。その表情はとても晴れやかだった。
 アルとフレイもどこか安心したようだ。……しかし、魔王だけは少し違った。

「年下? 我はこう見えてひゃ」
「こう見えてマオは結構年あるんだぜ!」

 それに重ねるようにアルは叫ぶ。

「アールくーん。ダメだよ女の子の年齢を叫んじゃ」
「曖昧にしてもアウトだからねー」
「うぐっ」
「いや、我はとくに気にしないのじゃが」
「えー! なんで?」
「信じられない」
「上に立つ者は下にいる者に寛容でなくてはな。この程度で腹も立たん。それに、こやつの無礼は今に始まった事ではない」
『お、大人』

 ニーナとリーナの魔王を見る目が尊敬の域に達しつつあり、アルは恐れおののく。
 魔王の威光は人間にも通用するらしい。

「あー、マオちゃんみたいな上司が欲しかったなー」
「あー! そうだ聞いてよフレイさん! この前職場で」
「あらあら。楽しみがあっても大変なのね」
『とりあえずお酒!』
「あいよ」

 アルは席を立ち、料理で手が塞がっているフレイの代わりに酒をニーナとリーナのジョッキに注ぐ。
 そして、信じられないものを見た。

「ま、マオ」
「ん?」
「今、笑って」
「……」

 魔王が笑っていた。
 あり得ない、とも思った。
 見間違い、とも思った。
 しかし、たしかに笑っていた。
 指摘された魔王は驚きに目を見開き__俯いた。

「……マオちゃん?」
「どったのー?」
「……いや」

 そう言って、魔王は静かに席を立つ。

「済まぬな。少し気分が悪い。休む」
「あ、ああ……」

 どこか悪い様子は無い。
 しかし、その雰囲気はいつもより沈んでいた。

「どうしたんだ、あいつ」



「っ! はぁ、はぁ」

 周囲に誰もいないことを確認し、一気に崩れる。
 やってしまった。
 “楽しい”と思ってしまった。
 人間と語らうことを、楽しいと。

「っ!」

 全身から嫌な汗が噴き出る。
 気持ち悪い。笑ってしまった。心が緩んだ。
 しかし、忘れてはならない。
 我は魔王。史上最強の魔王。
 人類の怨敵。数多の人間を殺し、恐れられ、力を示した。
 人間と交わることなど許されない。
 魔王は強者でなければならない。
 魔王は恐れられなければならない。
 魔王は唯一でなければならない。

「……我は、我だ」

 強く気高く絶対無敵。
 我が我である由縁。

「混じってなどおらぬ」

 思い出すのは、食べたこともない暖かい料理。
 ムカつく小僧。哀れな男。常に笑顔の女。
 魔王城に比べれば馬小屋のような宿に集まる者ども。騒音。似つかわしくない女組。
 たった一、二週間。
 それだけの間に、随分と多くのものが胸に詰まっていた。
 そのことを自覚したうえで、溢れそうになる気持ちを、抑え込む。


 ◯


「おーい。マオ」

 あれから魔王が部屋から出てくることはない。
 寝ているのだろうか? 夕食近いということでアルも呼びかけ続けるのだが、反応はない。

「……寝てんのか?」

 やはり返事はない。

「……また呼びに来る」

 アルは諦めて下へと降りて行った。
 少しして、キィっと開く音がした。



「マオちゃん起きた?」
「全然だ。後でまた呼んでみるけど」
「おいおい。しっかりしろよバカ息子」
「だったらお前が行ってこいクズ」
「ついに親父を付けなくなったか」

 父さんと母さんは四人分の食事を用意しテーブルについていた。

「マオの奴。どうしたんだ」
「やっぱり、人と魔族じゃダメなのかしら」
「やっぱ弱ってるうちに殺しちまった方が」
「お前をか?」
「あなたを?」
「なんで妻子そろって俺を見る!」

 父さんは叫ぶが、俺と母さんはさらっと無視。
 素知らぬ顔で席に着く。しかし、食事に手を付けることはなかった。

「……殺すのは無しだ」
「そうね。触れ合って悪い子じゃ無いと思うし」
「あのなぁ、相手は魔王だぞ? そりゃ、俺だって嫌だよあんな美少女殺るなんて。でも、人類の敵になるっつーなら今のうち殺っちまった方がいいだろ。後で見逃さなきゃよかったなんて言っても意味ねえぞ」

 そんなことは百も承知。
 それでも、俺の脳裏に焼き付いて離れないのはあいつの、マオの笑顔だ。
 敵にならない道だってあるはずなんだ。
 重い沈黙が訪れる。食事は冷めて行く一方だ。
 耐えきれなくなり、なにかを発しようとして__

「なにをしけた面をしておる」

 __話の中心人物が現れる。

「マオ! 遅えぞ!」
「ふん」

 マオはとても不機嫌な顔で立っていた。だが、こちらに歩いてくる様子はない。

「なにしてんだ。飯食おうぜ」
「いらぬ」
「はぁ?」

 素っ気なく返された一言に思わず驚いた。
 短い期間ではあるものの、あんな美味しそうに母さんの飯を食べていた奴がいきなり「いらぬ」と言い出したのだ。

「なんだよまた」
「なんだよではない。むしろ遅かったくらいじゃ」
「なにが」
「“お主ら人間と馴れ合い過ぎたと言っておるのだ”」
「……なに?」

 緩みかけた空気が急速に冷えて行く。
 母さんも父さんも戸惑っていた。

「そこの男の言うとおりじゃ。お主らは我を殺すべきじゃった。なのにそうしなかった。誰がどう見てもこう言うじゃろうな。「なぜ殺さなかった」、と」
「ど、どうしたんだよ急に」

 ずれている、と思った。
 昼間見た笑顔。普段の不機嫌顔。
 そして、今の敵意に満ちた表情。
 一度だけ見た、最初の頃の表情だ。
 まるで時間が巻き戻ったように、マオ__魔王はそこにいた。

「急にでは無い。思い出しただけじゃ」
「なにを」
「我が魔王であることを、じゃ」

 突如、マオの体からとてつもないプレッシャーが放たれた。
 まるで吹き飛ばされるかのように俺の体は椅子から落ちる。しかし、実際はなに一つ飛ばされてないし、それどころか揺れもしなかった。
 息は荒くなり、まるで心臓を握られてるかのような“死”を感じた。
 __勝てない。
 その感情は、最初の頃に感じたものよりも大きいものだった。

「忘れるな、人間。我は“魔王”。マオという名前ではない。“深淵より出でし者”とし、魔族の頂点に立った者よ。この手は何度もキサマ等の同族の血で染めた。今は契約に基づき働こう。せいぜい気をつけることだ。我は、例え魔王城に戻れずとも__キサマ等人間を滅ぼす気なのだから」

 そう宣言すると、マオは部屋へと戻っていた。
 俺たちは動けないでいた。
 まるで、時間巻き戻ったようだった。全てが振り出しに戻ってしまったかのような感覚。
 食事はすっかり冷めてしまった。


 ◯


「ねえアルくん。マオちゃんどうしちゃったの?」
「なにが」
「なにがって……なんだか、急に冷たくなった感じ」

 その日の魔王はいつもと違いミスを犯さなかった。
 どれも完璧にこなし、広がった噂で客は集まって売り上げにも貢献している。
 しかし、最初から来ていた常連客の中には気付き始めている人もいた。
 魔王がまるで、別人のような雰囲気を醸し出していることに。
 そして、原因はわからないが何もかもが変わってしまった事を知っているノワール一家としてはどうしようもないことを知っている。

「……別に変わんねえよ。ミスが減ったんだ。売り上げも上がってるし問題無えだろ」

 __全部変わった。たった一夜で、全部。
 言葉とは裏腹に、心は荒れていた。
 いきなり“魔王”に戻り、縮まったと思っていた距離は開いてしまった。アルからしたらわけがわからない。
 しかし、その理不尽をどうにかできる近くは持ち得ていないのだ。
 アルはただ、時間が解決してくれることを待つしかない。

『問題あるよ』

 しかし、この二人はそんなもの待ってはくれなかった。

「なんだよ」
「おかしいよ。昨日はあんなに仲良さそうだったのに」
「別に良かねえよ。こんなもんだ」
「絶対におかしい」
「っ。なにがわかる」

 元々避けたかった話題ということもあり、ニーナとリーナの追求に思わず強い言葉で返してしまう。
 二人も驚いたように目を見開いていた。

「あ……わ、悪い」
「う、ううん」
「でも、その、いろいろあるんだ」
「……わかった。解決したら、また一緒に食べようね」
「……ああ」
「フレイさん! ちゅーもーん!」
「こっちもー!」
「はいはい」

 アルは頭をひやすため一旦下がろうとし、フレイとすれ違う時に耳元で囁かれた。

「二人に感謝しなさいよ」

 それだけ言ってフレイは作業に戻る。
 __わかってるよ。
 心の中で呟き、そしてアルは休憩へと入った。

 事態はなに一つ解決しないまま、数日が過ぎる。


 ◯


 その日はいつも通り時間が過ぎて行きく。
 ただ、いつもと違うところがあるとすれば普段は多人数で囲めるテーブルから動かない冒険者の中から一人、ガタイのいいリーダーのような人物が一人アルの元へと来たことだ。

「よおアル坊」
「んだよロックス。注文なら親父かマオに言え」
「うんにゃ。ただ、無駄金使ったなと思ってよ」
「別に。特に使い道も思いつかんかったからな」

 そんな会話を隣にいたフレイは聞きつける。

「アルがあなたたちになにか?」
「ああ。依頼を受けたね」
「アルの貯金って結構あったはずだけれど」
「母さん」

 アルの懐事情を完全に把握しているフレイは“依頼”について聞き出そうとするが、慌ててアルがそれを止める。
 若干不機嫌そうな表情になるフレイとわかりやすく慌てているアルを見て笑った後、ロックスはアルに助け舟を出した。

「フレイさん。悪いが守秘義務ってもんがあるんだ」
「あら。親に話せない息子の秘密? 尚更聞きたいわね」
「思春期の息子の秘密だ。黙って見守ってやるのが礼儀だろう?」
「あなたにそれを言われるなんてね。歳を取っちゃったわー」
「いやいや。フレイさんはまだお若い」
「あらお上手」

 そんな風にいい雰囲気 になっていると、

「ロックスー! 人の妻口説いてんじゃねー! 世話してやったの忘れたか!」

 テーブルの方からランドの叫び声が聞こえた。

「……はぁ。すっかり流されちゃったわね」
「ま、過保護過ぎるのもいけねえってことですな」
「はぁ?」
「そうね。そうするわ。早く戻りなさい」
「そうしましょう。じゃあなアル坊」

 そう言ってロックスは戻り、そしてランドに突き飛ばされた。

「母さん。過保護ってなんだ」
「あなたは知らなくていいのよ〜」
「……」

 そして、過保護にされた覚えの無いアルだけが納得のいかない表情で作業を続けていた。



「おーい。今代勇者様がイルニス村にて魔族を撃退したってよ」

 冒険者たちの間で話題になっているのは、専ら今代勇者についてだ。
 魔王が現れる度に新たな勇者が選定され、選定方法は機密扱いされている。
 もしかしたら仕事で一緒になるかもしれないし、そうでなくとも荒くれ者が多い冒険者たちにとっては“強い”というだけで注目の人物である。

「おい、イルニス村って……ここの近くの村じゃねえか。撃退ってことは幾らか逃げたんだろ? 大丈夫なのか?」
「大丈夫だろ。なんせここは、“魔陣の勇者が造った町”なんだからな。魔族だってそうそう近づかねえだろ」
「アホか。それはもう千年も前のことだろ。それに、特別結界が貼られてたりするわけでもない。こりゃあ、しばらくはクエストに出ねえで警備に当たった方がいいかもな」
「心配し過ぎだろ」
「冒険者の心得その一。臆病であれ。帰ってきたら町が消えてたなんて、嫌だぞ俺は」
「へーへー。じゃ、しばらくは酒なしか?」
「酔う理由も無いしな」
「うへぇ〜」

 こういった会話が行われるのは珍しいことではない。アルも、昔こそ魔族が来るかもとビクビクしていたが今では慣れたものだ。
 しかし、魔族の話題となると気になるのが魔王の存在である。
 __もしもここが破壊されたら、店が無くなったらマオは本当に俺たちの敵になるのか?
 __だとしたら、絶対にここは守らないと。
 視界の端にいる魔王を見据え、アルは密かにそう決意していた。



 勇者が造った町?
 ここが?
 いつだったか夢に見た最後の決戦。そしてその後。私が死んだ後の光景。
 あれが嘘か本当かはわからない。しかし、あれが死して尚、生き続けている我の一部が記憶していた光景だとしたら、ここは勇者が造った町?
 我を埋めた土地に町を造る?
 どういうことじゃ。わからん。
 ……まあ、すでに死んだ者のことなどどうでもいい。
 魔族が攻めにくるかもしれぬ、か。
 好都合じゃろ。この店が壊れれば、契約もそこで終了。再び魔王として我は立つことができる。
 昔のように戦乱の世に身を委ねることができる。
 この町も、人間らも、世界も、壊して終いじゃ。

 ズキ

 我の手は血塗られておる。
 繋ぐことなど望めはせん。

 ズキ

 我と少なからず交友もあった者たちも千年という時に呑まれておるじゃろう。
 戻る場所も無い。

 ズキ

 躊躇うことなどない。

 ズキ

 なのに、この痛みはなんなのじゃ。
 食事があんなに暖かく、上手いものであったなど知らなかった。
 人と触れ合うことがこんなにも安らぐなど知らなかった。
 自分の中にある魔王としての自分と“マオ”としての自分。
 我はいったい、どちらとしての我になりたいのか。

「マオちゃーん。注文」
「ぬ? ああ」

 今、ここで働いている間は考えずに済む。
 今は、それだけが救いだった。


 ◯


 その時、魔族は飢えていた。
 闘争を楽しむことが魔族にとっての本望だとしても、負けて嬉しいわけではない。
 殺るからには勝ちたい。自分たちから仕掛けておいて、それは少し理不尽だと思わなくはない。
 しかし、魔族たちはどこ吹く風でそんな理不尽を振るう。
 そんな魔族たちは今、逃げていた。
 忌まわしくもあり、同時に嬉しくもある強敵の存在__今代勇者から逃げていた。
 村を襲撃し、暴れ、立ち向かって来る兵を殺戮し、そしてようやく現れた勇者に負けて逃げた。
 魔力は消耗し、疲労によって力も入らない。
 食料を求めた。
 腹いっぱい肉を食い、一日寝て休めば強靭な生命力を誇る魔族であればたいていの傷は治る。
 疲労したとはいえまだ少しは戦える。数もいる。
 どこか、どこか別の村を襲おう。
 そう結論を出すのは当然とも言えた。魔族にとってはそれが普通なのだから。
 そして見つけた。
 そこは「ホロウシティ」と呼ばれていた。
5 | ネームレス | 2019年11月10日(日)20時30分

「……」
「……」
「あなたー。掃除終わったー?」
「おーう。準備完了だぜー」

 二人が奇妙な睨み合いをしている中、大人二人は何時もの調子で開店準備をしていた。
 今日の天気は雨で窓からは薄暗い景色とザーザーと降り注ぐ雨のが見えていた。

「お前らも、いつまでも睨み合ってないで動いてくれ」

 ランドは動かない二人に対してそう訴える。
 しかし、二人は動かない。先ほどからこの調子なのだ。
 何かあったわけでもなく、顔を合わせた途端睨み合い、そのままだ。

「おい」
「あなた」

 ランドは再び声をかけようとし、フレイはそれを止める。

「……はぁ。俺とお前の時はもっと簡単だったと思うんだったが」
「そうだったかしら。これはロックスたちに確かめてみなきゃならないわね」
「やめてくれ……」
「今は言葉が見つかってないだけだろうから、そっとしておきましょう」
「……世話焼ける息子と居候だ」
「魔王に対してそういう態度でいれるあなたも凄いわね」
「ま、マオちゃんだからな」
「それもそうね」

 二人に聞こえないようにヒソヒソと話し、互いに持ち場へと戻る。
 しかし、二人とも直感していた。
 この関係は長くは続かない。終わるにしろ、続くにしろ__。



 朝一番で目を合わせるものの、睨まれたから睨み返すがかける言葉もなくなんとなくでそのままだ。
 いや、睨んだのはこっちからかもしれない。どっちからかはわからない。
 喉の奥まで出かけてる言葉は幾度も形を成しかけ、霧散する。
 居心地の悪い状況が続く。

「…………ふん」
「……ぁ」

 しばらくして、魔王は自分から目を逸らし、作業へと戻った。
 やはり魔王には自分なりの結論が出ているのだろうか。
 だとしたら……悩んでいるのは、自分だけか。


 ◯


「アル坊酒だー!」
「つまみー!」
「飯ー!」
「撫でさせろー!」
「絡ませろー!」
「絡みつくなああああああああああああああああ!!!」

 アルの悩みなどいず知らず、店が始まってしまえば考える時間が消えていく。というか無い。
 どれだけ崇高な悩みを持っていようと、酔っ払いの前では全てが無に還る。そのことを痛感するアルであった。
 そんな風に揉みくちゃにされるアルを傍目に、マオはカウンターに座り優雅に昼休憩である。

「彼奴はいつもあんななのか?」
「そんなに不思議かしら」
「不思議じゃの。聞けば彼奴は冒険者でも無いのじゃろう? 我が知る冒険者とは、周りが思う以上に排他的なところがあったはずじゃが」

 冒険者は依頼の内容にもよるが危険な仕事が多い。上に行けば行くほど危険度は増す。しかし、低ければ死なない、ということは残念ながら無いのだ。
 中級冒険者が魔物の中でも最低レベルに当たるラビット(兎型の小型魔物)に対し、不運が重なって殺されてしまうということも過去に何度かあったぐらいだ。
 そのため、明るく振舞い豪快なイメージが強い冒険者だが本当に大切な部分に他者を招き入れることはしない。自分の奥の手は仲間であっても明かさない場合が多い。
 が、アルと触れ合う冒険者の姿はまるで息子に構う父親のようだった。

「そうねー……私もわからないのよ。アルって諦めが早いし自分の世界を広げようとしないところがあるから。明るく見えて外だと冒険者以外に知り合い一人いないのよ? 学校にも行かないから同年代にも知り合いがいない……そんな社会不適合者がどうやってロックスたちと仲良くなったのかしら」
「お主……自分の息子に対して言い過ぎではないか?」

 そんな魔王の言葉を軽く流し、フレイはランドに目を向けた。

「ほんと〜に、何があったのかしら。ねえ?」
「なぜ俺を見るマイスイートハニー」
「さあ何故かしら」
「俺は何も知らんぞ」
「何も言ってないのだけれど」
「……」

 ランドは逃げるように冒険者の輪に加わった。

「いろいろあるのじゃな」
「本当にね」

 クスッと笑い、視線を魔王に合わせる。

「あなたと一緒」
「……」

 そして、魔王もまた逃げるように接客に向かった。

「誰も彼も秘密主義ね〜……」

 ただ一人、残ったフレイがポツリと呟き、笑いながら作業へと戻った。



 誰にでも秘密がある。抱えているものがある。
 そして、それを誰かに打ち明けるということはできない。
 打ち明けるということは、心を開くということ。
 開いた心は無防備だ。あまりにも弱く、脆い。
 故に、生き物は自身の全てを誰かに打ち明けるということは本能的に避けることだ。
 そしてまた、我も隠している。
 複雑な感情。
 魔王とマオの感情。
 千年前抱いていた感情。
 今に芽生えた感情。
 胸の内に秘める数々の感情。
 それを誰かに打ち明けることなど、絶対にありえない。
 なぜか__恐らくそれが、自身の存在の否定になってしまうから。そんな気がする。
 わかっている。
 千年前の栄光に縋っているだけだということは。
 此奴らが本気で受け入れようとしていることは。
 しかし、それを受け入れると、昔の自分が否定されてしまう気がして……それが恐ろしく怖い。
 だから、吐けず、溜まって行く。

「……ォ。マオ!」
「ん、んぅ? なんじゃ」
「なんじゃ、じゃねえ! 仕事だボケ!」

 溜まる。

「ぼ、ボケとはなんじゃキサマ!」
「ボケはボケだ! 運べ!」

 溜まる。

「なっ……! ビール十個などどう運べと」
「クソ親父なら五十はいける」
「なん……だと……」
「こらぁ! バカ息子! 嘘ついてんじゃねえ!」

 溜まる。

「ランドー。ビール五十追加だー!」
「失敗したらお前持ち、成功したら倍払うぜ!」
「ほれ。試されてんぜ」
「や、やってやんよぉ!」

 溜まる。

「お、おい。無理せん方が……」
「ビール五十よ〜」
「早いの!?」
「やってやるぜー!」
「クソ親父が失敗しますように」
「テメエ!」

 溜まる。

「うぎゃああああああ!?」
「「「「「知ってた」」」」」
「しばらく給料無しね」
「はは、ざまぁ」
「ば、バカ息子ぉぉおおおおお!」

 溜まる。

「おいおい。またやってるぜ」
「放っとけ。いつものことだから」
「翼の休憩所名物、親子喧嘩だ」
「あれ、名物かよ」
「じゃれあいだから心配ねえだろ」
「どうせ最後はフレイさんに__」
「ボム」
「「あぎゃあああああああ!!?」」
「__止められるしな」
「たしかにな」

 笑いが満ちる。
 溜まる。
 __楽しい。
 溜まる。
 __こんなの、知らない。
 溜まる。
 __ずっとここにいられたら。
 溜まる。
 __こんなもの、知らない。

 溜まる。



 がらん、と音が鳴った。

「……マオ?」

 焦げた髪を整えながら、音の発生源であるマオを見る。
 足元にはマオの手から零れたのであろうおぼん。
 だが、そんなことは意識の外だった。

「マオ。どうした」

 マオは、魂が抜けてしまったかのように棒立ちしていた。
 体からは力が抜け、だらんと腕が下がっている。顔は俯き、長い髪が表情を隠す。
 先ほどまでの騒ぎもなりを潜め、皆が心配そうにマオを見つめていた。

「おい、マ__」

 __オ。
 言葉は続かない。

「アル! 伏せろ!」

 ドォオオオオオオオン!!!

 途方もない光と音が辺りを蹂躙する。
 日常が、一変した。


 ◯


 その街は嵐に包まれていた。
 それも自然的なものではない。あくまで人為的な……いや、“魔為的”な魔法によって作り出されたものだ。
 街中は混乱に包まれ、人々の悲鳴が響いていた。

「おらぁ! てめえら出番だ!」

 その中で大きく声を上げる存在がいる。
 恐怖を慎重さに、怒りを原動力に変え、理不尽なまでの力に抗わんとする人間__冒険者だ。
 その声に続くように、次々と自身の獲物を抜いて行く冒険者たち。
 そして__

「さ、誰が一番人間を殺すか勝負な」
「えー、俺腹減ってんだけど」
「一番殺した奴が肉総取りな」
「肉は山分けだろ!」

 __まるで遊びに来たような調子でこの状況を作り出した四体の魔族。
 背中から生えた漆黒の翼を使いこの嵐の中を悠然と空を飛ぶ。冒険者たちは忌々しげにその光景を睨んだ。

「魔法班、やれぇー!」

 掛け声とともに火が、水が、風が、岩が、氷が、雷が、致死の威力を持って魔族へ奔る。
 魔族はそれに対し、避ける素振りすら見せず、直撃。

「やったか!?」

 誰かが叫ぶ。
 攻撃の余波による煙で視界が遮られる。
 終わったのか。
 そうでないのか。
 静寂が場を支配する。
 そして、その場にいる全員の緊張が高まり、限界まで張り詰めた__瞬間。

「いっちばんのりー!」
「ぐぁあ!?」

 高速で突進してくる魔族に誰も反応出来ず、冒険者が一人攫われる。

「ドルド!」
「ぅ……ぐ、あ……」
「あはは! 人間弱いよ!」

 魔族は先ほどの攻撃などまるで無かったかのように騒ぐ。
 煙も晴れ、残りの魔族も姿を表した。
 __全員無傷で。

「いてて。全く、無駄な力使わせんなよな」
「避ければよかったろう」
「冗談。あの程度避けるわけないでしょ」
「おい、先こされてんぞ」

 友人との会話に花を咲かせるように、こちらを歯牙にも掛けないその態度は人々に恐怖を与える。
 絶対的な存在。
 圧倒的な力。
 恐怖が心を縛る。

「ねえ、もういいよね」
「な、なにを」
「決まってるだろ。“食うのさ”」
「っ!?」

 魔族はその口を大きく開ける。
 __本気で食うつもりだ。
 そう理解した時、脳がそれ以上の思考を止める。
 これから起こる悲劇も、痛みも、全てないものとし、この現実から逃れるために、身体の機能を全て止める。

「いっただっきまー」

 巨大に開けられた口。尖った牙。強靭な顎は人の骨すら容易に砕く。
 そして__

「《フレイムランス》」

 __その顔面に寸分違わず焔の槍が突き刺さる。

「あっづぁあああああああ!!?」
「のわぁ!?」

 絶叫する魔族。その腕から半ば投げ出されるように放り出されたドルドという名の冒険者は上空から落下して行く。
 飛ぶすべのない人間が上空から落ちた場合、それは死を意味していた。
 しかし、この場合においては状況が違っていた。

「魔法班! 水柱!」
「《カラムオブウォーター》」

 複数人で制御、作り上げられた魔法は柱のように地から空へ伸び、落ちてくるドルドをキャッチする。
 顔を焼かれた魔族は憎々しげに睨み、他の魔族も楽し気に笑う。

「ほう。人間たちにも少しは骨のある奴が」
「大地よ。天地を揺るがす神の一撃」
「いっ!?」
「ちょっ」
「はぁっ!?」
「《ガイアインパクト》ォオオオオオオオオ!!!」

 ドゴォオオオオオオン!!!

 文字通り、天地を揺るがす一撃が三体の魔族を襲う。
 その魔族に混じるように落ちてくる一人の人間。

「マイスィイイイイイトハーーーーーーーニィイイイあづぁあ!?」

 ランドだ。
 ただ、直後に炎に包まれてしまったが。
 空中に赤い軌道を残しながら墜落して行くランドを尻目に、魔族に《フレイムランス》を放った女性、フレイが皆を指揮していた冒険者ロックスに歩み寄る。

「ロックス。手伝いなさい。二人で片付けるわよ」
「い、いいんですか? ランドさん」
「ロックス。訂正よ。二人と一つで片付けるわ」
「あ、物同然なんすね」
「ロックスぅううう!」
「……なんで俺が怒られる」

 物凄い音を立てて着地(墜落)したはずなのにところどころ火傷で済んでるだけのランドの耐久力に周囲が驚くものの、フレイだけが動じずにいた。
 もう前線から退いて長いはずなのだが、衰えを感じさせない夫婦に昔一緒に活動していたロックスは感動にも似た驚きを抱いていた。

「っつぁあ! くそ、なんだあの人間!」
「そこらへんのとは違うってことか!」
「殺す! 絶対殺す!」
「おら落ち着け」

 魔族が集結する。先ほどまでとは打って変わってフレイたちは鋭い視線を空に浮かぶ魔族へ向ける。

「ランド。ロックス。行けるわね」
「俺はな」
「俺もですよ」
「先手必勝よ。ロックス!」
「しくじんなよ!」
「誰に言ってるんですか! 岩石よ。固き意志、敵を砕く。《ロックキャノン》」

 ロックスは地面より岩の砲台を作り出す。それを合図にフレイとランドも動きだし、魔族は空中で散開する。

「ローックス!」
「ショット!」

 狙いを一体の魔族たちに向け、岩石を放つ。

「そんなもの当たるか!」
「かも〜ん」
「へ?」
「どっせえええええええい!!!」
「ごふぉお!?」

 ランドが魔族に拳を叩き込む。
 他の魔族も離れて過ぎたためになにが起こったか確認できずに戸惑った。ただフレイとロックスのみが状況を理解している。

(久しぶりにやったけど機能してる。後は)

 フレイは目を空中から地上へ向け、冒険者たちに向け声を出す。

「今のうちに住民の避難を再開。逃げ残ってる住民がいないかの確認も。魔族は私たちが引き付ける」
「わ、わかりました!」

 フレイの指示を受け、多くの冒険者がやるべきことへ向かう。それに魔族たちが気付いた。

「させるか!」

 一体の魔族が魔法を放つ。が、

「させません」

 その魔法をフレイの放った火が呑み込み、燃やし尽くす。いや、それだけでは終わらない。火は勢いをそのままに魔族へと伸びる。
 咄嗟に回避し、火は嵐の壁にぶつかったあともしばらく燃え続け、消えた。

「隙を少しでも見せなさい。消し炭にしてあげる」
「ちっ」

 フレイは睨みを効かせて周囲の魔族への牽制を続ける。
 ランド、ロックスの二人もまた魔族と“空中戦”を繰り広げていた。

「な、なんだこいつ!?」
「魔法を足場に!?」
「地上の男か!」
「ふはははは! 日々の鬱憤を晴らさせてもらうぜ!」
「これじゃあどっちが悪者なんだか……」

 ロックスはランドの放つ《ロックキャノン》を足場に空中で魔族をひたすらに殴り続けていた。
 しかも、ただ動くだけでなくロックスがフェイクを撃ったり、ランド自身も不意を付く動きで翻弄するため魔族も対応出来ずにいた。

「ちぃっ!」

 魔族は苦し紛れに魔法を放つ。しかし、そんな魔法はランドに擦りもしない。

「これでっ」

 魔法を放った魔族相手にトドメの一撃をお見舞い__しようとした、その時。

「うわぁ!」

 どこか遠くの方で聞き慣れた声が悲鳴となって上がった。
 一瞬思考停止になり、ランドはその声に該当する人物を頭に浮かべた。

「アル!」

 フレイとロックスが目を見開くのがわかった。同時に、自分が犯したミスも。
 悲鳴の方向にあったのは「翼の休憩所」だった。だが、かろうじてそれがわかる距離であり、アルの様子は伺えない。そして、その時だけは魔族はランドの意識の外にいた。いてしまった。
 強烈な死の予感。
 自分の犯したミスに歯噛みする間も無く攻撃は行われる。


 ◯


 __店を守らなきゃ。
 ただその一念で動いていた。
 周囲の人の流れに逆らい、避難命令を無視し、店にとどまり続けた。
 店の窓から外での激戦の様子を眺め、不安で震えそうになる足を必死になだめる。

「あれが、魔族」

 魔王以外だと初になる魔族。肌が浅黒く、全体的に鋭いフォルムちなっている。背中からは翼が生え、自由自在に空を飛んでいた。

「ま、お前からしたらあの魔族がこの店を壊してくれれば万々歳なんだろうがな」

 何でもない風を装ってこの場にとどまっているもう一人の存在である魔王に話しかける。
 しかし、表情は以前として魂が抜けたような表情だった。

「マオ。お前、さっきからどうしたんだ」
「……知らぬのじゃ」
「知らないって……何を」

 マオの目は焦点があっていなかった。まるで、ここではないどこかをみるように。その目は、千年前を見ているのだろうか?

「知らぬのじゃ。こんな感情。こんな浮つくような感情。ふわふわするような感情。熱くなるような感情。全く知らぬのじゃ。なんなのじゃこれは。溜まって行く。どんどん溜まって行く。でも、その感情を知ってしまったら我は」

 __我でなくなってしまようで、怖い。
 空気に溶けるように囁かれた言葉は、たしかにアルの耳へと届いた。
 マオはいったいどんな景色を見ているのだろうか。
 マオはいったいどんなことを考えているのだろうか。
 アルにそれを知る術はない。しかし、このままではダメだと思った。
 何かを言わなくては。何か行動しなくては。でも、アルの中には言うべき言葉も、やるべきことも思いつかない。
 ただ気持ちだけが先行する。

「……っ。マオ」

 その名を呼んだ。
 今、なにを言おうとしたのか、自分でもわからない。
 ただ、わかることがあるとすればそれは。

 それは、魔族の放った魔法が近くに着弾したということ。

「うわぁ!」

 その余波で、店内は大きく揺れ、窓にヒビが入る。棚に入っていた調理器具や調味料も幾つか落ちた。
 アルも思わず叫んでしまった。ただ、マオだけは微動だにしなかった。

「ってぇー……なんだよ今のは」
「逃げろ」
「は?」
「逃げろ。今ので気づかれた。ここを攻撃されるぞ」
「はっ!?」

 その時、アルの頭に過ったのは、自分の命やこの店のことでなく、目の前のマオのことだった。
 この店が破壊されたら、マオはどうするのだろう。契約が終わり、本当にこの世界を滅ぼすのだろうか。それとも、自分たちの前から忽然と姿を消すのだろうか。
 __嫌だ。
 その思いだけがアルの中に浮かんだ。

「……逃げねえ」
「は?」
「逃げねえ。この店を護る。お前こそ逃げろよ」
「な、なにを言っている。我は魔王だぞ。逃げなくとも死にはせん。しかしお前は」
「元々この店を護るために残ったんだこんなところで逃げれるかってんだ」
「正気か!? お主、本気で死ぬのだぞ! 意味がわかっているのか!? 死ぬというのは自身の思いが全て消えるということだぞ!? 何も残せない、未来も消える、周りの者も置いて行ってしまう……そういうことだぞ!? それでもいいのか!?」
「俺は死なねえから関係無えな」
「たかが人間風情が不死身にでもなったつもりか! 逃げろ!」
「逃げねえ! この店は護る! でねえとお前が__」

 言葉は届かない。
 先ほどのものとは比べものにならない衝撃が体を襲った。
 魔法が、直撃した。


 ◯


「ハハハッ! 脆弱な人間どもが! 魔族に逆らうからそうなるんだ!」
「その割りにはかなりダメージを食らってるようだが」
「うるせえ! テメエもだろ!」

 空中に浮かび続ける魔族。その表情には披露の様子が伺えるが、それでも傷跡はほとんど無い。その強靭な肉体の硬さを伺える。

「くそっ。本調子だったらこんな傷……」

 その言葉を聞いた時、幾人かの冒険者は愕然とした。
 これで本調子でない。なら、本来の実力であればどれだけのものなのか。できるなら、お目にかかる機会は欲しくない。

「くっそがー……。あいつら」
「ランド。動かないで。今下手に動いたら死ぬわ」
「相変わらず強いなー……。ランドさん、老けました?」
「うっせえ! げほっ、げほっ」
「動かないの」

 人間側の主戦力である三人は現在戦える状態ではない。
 全体に漂う悪い空気は加速的に充満していく。
 フレイが回復魔法をランドにかけるが、本来フレイは回復術師ヒーラーではない。効果は薄く、前線から離れていたこともあってランドの傷は一行に治らない。口では平静を保ちながらも、焦りは胸に溜まって行く。
 そもそもアルがいるかもしれない方向に攻撃が放たれている。本当なら、今すぐにでも安否を確かめに行きたいところなのだ。声が聞こえた、ということは恐らく大丈夫だ。魔族の魔法を食らい悲鳴などあげられない。あげる前に消し炭だ。
 しかし、そうだとしても不安は消えない。

「……あ、そうだ」

 一体の魔族が呟いた。

「さっき、人間の声がしたよな」
「ああ、そういや」

 フレイとランドが目を見開く。
 その先の言葉が想像できてしまったから。

「なーんだかんだで、俺らまだ一人も人間殺してないよなぁ」
「そういや」
「予想以上の抵抗を見せられたからな」
「意外と骨もあったし」
「だからさぁ」

 魔族がその口角を上げる。口は歪み、言葉は紡がれた。

「殺すか」

 一言。
 なんでもないように。気軽に、 あんの重みも感じさせずに、言った。

「やめなさいっ!!!」

 フレイが叫んだ。
 回復も止め、一転攻勢の構えを取る。
 アルがいる。恐らくは生きている。大馬鹿なことに店に残ったのだ。確信した。そして、魔族はアルを殺そうとしている。
 止めようとした。持ちうる限りで最強も手札を出そうとした。サポートではなく、自らが前に出て、魔族を殺すべく最大の魔法を放とうと。

「ぱぁん」

 しかし、魔族は地面の石ころを蹴るかのような軽さで、簡単に人を死に追いやる魔法を放った。
 指を向けただけだ。そこから、無詠唱で大質量の魔法を放った。 膨大にある魔力にものを言わせた魔法とも言えない魔法だった。しかし、魔族がやれば、それは容易に人を殺す。
 届かない。間に合わない。
 フレイも、ランドも、ロックスも、他の全ての冒険者も、ただ見ていることしかできなかった。

「やめろぉおおおおおおお!!!」

 フレイの叫ぶ。しかし、声は直後の爆発に呑まれ、消えた。

「ははっ。こりゃ死んだな」

 軽く、そう言った。
 一つの命を奪ったことに対する感想がそれだった。
 フレイも目の前で人が死ぬのは幾らでも経験してきた。そして全て飲み込んできた。感情がコントロールできないものは、死ぬからだ。
 だが、今死んだのは自身の息子だ。許せるはずがなかった。
 ああ、殺してやろう。同じように、軽く殺してやろう。キサマたちの命を蹂躙し、その上で同じ言葉をキサマたちの亡骸に浴びせてやろう__

「フレイ。待て」
「待たない」
「感情的になった奴から死ぬぞ」
「死んだっていい。アルを殺したあいつらを殺せるなら」
「冷静になれ!」
「あいつらは! 私たちの息子を__」

 __その時だ。

「わからぬ」

 どすん、とその場にいる全員に重い重圧がのしかかった。

「な、なんだ!?」

 魔族たちも戸惑っていた。当たり前だ。こんな人間の集まりの中で、魔族である自分たちを“威圧”できる者などいるはずがない。
 しかし、その重圧は一行に収まる気配はない。むしろ、どんどん重くなって行く。
 それはまるで、格の違いを思い知らせるかのように。

「こ、これは……」
「マオちゃん、なの?」

 ランドとフレイはすぐに正体に気付いた。初対面の頃に受けたそれに酷似していたため、すぐにわかったのだ。
 しかし、その時とはまるで様子が違う。

「わからぬ」

 呟いた。
 それだけで、場の重圧はさらに重くのしかかる。

「なぜ我は人間を護った。なぜ我はこんなにも苦しい。なぜ我は契約を破棄するチャンスをむざむざ自ら捨てた」

 __わからぬ。
 重圧が増す。

「だ、誰なんだよてめえ!」
「我、か。そうか、わからぬか。我が」

 悲しそうに、呟いた。
 声の主はその身を高く、遥か上空へと踊らした。
 まるで、全てを見下ろすように。

「我は“深淵より出でし者”。千年前、魔王としキサマ等魔族を従えた者じゃ」

 高らかに宣言した。
 フレイとランドに、ロックスに、冒険者に、魔族に、全ての存在に理解させるように。

「さあ“元”同胞よ」

 重圧の質が変化する。
 それはただの威圧ではなく、“殺気”。明確な“殺す”という意思表示。

「キサマ等を殺せばわかるのか?」

 戸惑いに満ちた殺意は、眼下の魔族へと向けられた。
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