25年前の1998年。それはWindows95騒動とその直後のサービスパックによりインターネット接続者が爆発的に増えていた時期であり、雨後のタケノコのようにインターネットプロバイダが乱立し始めていた時期でした。
双剣士としての活動は自作ゲーム掲載誌への投稿から始まっていまして、どちらかと言えば文芸寄りというよりは技術寄りの立場からスタートしていたのですが、当時はその掲載誌も休刊していて情熱のぶつけどころを失っていた時期でした。インターネットへの接続を始めた当初は商業誌では決して触れられない2次創作というジャンルがあることに狂喜してネット上の作品を集めまくり読みふけっていましたけれども、自分がその書き手になることなど想像したこともありませんでした。
Read Onlyだった私が能動的にネットに関わった最初は、サイト開設でもなければ掲示板への書き込みでもなく、かつて雑誌に投稿していたゲームをWebブラウザ用のゲームに作り直してオンラインソフト最大手のVectorに投稿したことでした。派閥抗争をシミュレートする珍しいゲームと言うことで幾つかのサイトから転載依頼の来たゲームでしたが……そんな訳でソフト投稿者という立場を最初に得た私の元に、Vectorホームページサービスの案内が来たのです(メールではなく封書で!)。サイト開設など考えたことも無かった私のところに、わずか5MBとはいえタダで使えるサイトスペースが用意された……今に続く当サイトの端緒は、実はマンガとも2次創作とも関係ない、こんな些細なきっかけから始まっていたのです。
始まりがこうだったので、私にとってWebサイトとはHTMLタグを組み合わせて作り上げる作品のひとつでした。読者を集めようとか楽しんでもらおうなんて意識は最初は全然なくて、とにかく習い覚えたHTMLやJavaScriptのテクニックを片っ端から詰め込んで物珍しい効果を実現しては悦に浸っていました。当サイトの支天輪メニューがやたら凝った作りになってるのはその名残です。
その後いろいろあって2次小説を読むだけでなく自分でも書くようになったわけですけれども、「なにかを作って投稿することで道が拓けた」という原体験は後々まで尾を引くことになります。具体的に言うと「何らかのコミュニティに参加してその一員として楽しむ」という当たり前のことが当時はしっくりこなくて、「なにか新しいものを作って提供し続けないと自分の価値はない」と思い詰めていた面がありました。1周年総括文に書いていたこの文章はその典型です。24年経った今から見ると「何を勝手に悲壮な覚悟を決めているんだ」って感じがしますが、当時の私は真剣でした。当時の読者から寄せられる反応も当然ながら「作品に対する評価」ばかりでしたから、サイトが発展していくたびにこの思いが年々強化されていったのを覚えています。そして思うように作品を書き続けられない自分の不甲斐なさに対する苛立ちも。
こうした思いは『支天輪の彼方で』の方向性を決定づけるとともに、発展性を阻害する枷にもなりました。多くのサイトが日常語りやアニメ感想など「日々継続しやすいコンテンツ」を取り入れる方向に進化していく中、頑なに2次創作サイトとしての本分にしがみつく運営スタイルを生んだのです。それゆえに更新間隔が滞って読者からの反応が激減すると「自分の努力が足りないせいだ」と悩み苦しみ自分の尻を叩く、そんな運営スタイルが長く続きました。9周年総括文や12周年総括文などでは当時の苦悩が生々しく語られています。