そんな自分のスタイルが、『ひなゆめファンの止まり木』の開設を境に一変します。
自分のサイト運営に対しては上記のような枷をはめていた私でしたが、個人としては各ジャンルのコミュニティサイトに参加して小説を投稿したり掲示板やチャットで話したりと言った活動をしていました。「月天召来!」「私立寺通学園」「まじかるリーフ」「美紗FC 舞い降りた天使」などジャンルが変わるごとにコミュニティサイトを切り換えて活動してきましたが(こうして名前を挙げるだけで皆懐かしい……)、そのひとつである「ひなたのゆめ」が2012年10月15日に予告なく突然消滅したのです。
当時そこの「ハヤテのごとく!小説掲示板」は(投稿量としては)ジャンル最大手を誇っていて、毎日複数本の新作や続編小説が投稿される場でしたので利用者の阿鼻叫喚は相当なものでした。当時の私は小説投稿者として関わる傍ら、毎日膨大な量にのぼるスパム投稿や荒らし行為をブロックするために掲示板運営形態に意見を出したり対策スクリプトを制作して提供する立場でしたので、小説掲示板に限っては「ひなたのゆめ」と同じルール/形態の掲示板を作ることができる唯一の立場にありました。あれだけ熱かった投稿者の火を消すのはもったいないと考えた私は、あくまで一時避難所のつもりで『止まり木』を立ち上げたのです。(10月19日という開設日が畑健二郎先生の誕生日と被ったのはあくまで偶然です。本当ですよ!)
約半月後に「ひなたのゆめ」管理人さんは戻ってきてくれたのですが、1年前のバックアップしか取ってなかったため新作小説の大半は消滅しており、管理人さん自体も熱が冷めてしまったのかスパムの掃除をしてくれないまま1年後に再消滅してしまったため、一時避難所だったはずの『止まり木』がいつしか後継サイトのような立ち位置になってしまいました。もちろん「ひなたのゆめ」の利用者全員が『止まり木』に居ついてくれたわけではありませんし、『止まり木』になってから新たに来られたファンの方もいらっしゃるわけですが……ともあれ思わぬ形で「コミュニティサイトの管理人」という立場が私の元に転がり込んできたのです。
「新作を生み出し続けない自分には価値はない」と考えていた私にとって、それは荷の重すぎる立場でした。おそらく運営下手な管理人に落胆して多くの方がサイトを離れてしまうだろう、「ひなたのゆめ」消滅の衝撃をソフトランディングさせるのが自分にできる精一杯のことだと本気で考えていたのです。もちろん当時はおくびにも出しませんでしたが。
私の予感は的中しました。「ひなたのゆめ」最盛期の勢いを『止まり木』は引き継ぐことが出来ませんでしたし、当時の小説板ユーザーの多くが『止まり木』には定着せず姿を消してしまいました。ツイッター上で決別宣言をして去って行かれた方もいらっしゃいました。
しかし予想外の方向に『止まり木』は進化することになりました。小説板利用者が思うように伸びないことを懸念した私や当時の利用者たちが、これまで月1回だったチャット会を週1回に増やし、うち最終週以外のチャット会ではテーマを決めてお喋りするという方向性を打ち出したところ、そちら目当ての利用者が集まるようになったのです。「ハヤテのごとく!ファン同士が、同じ場所で同じテーマについてお喋りをする」「次週のテーマを投票で決める」「その時のチャットログは当日の参加者にしか見えない」という新スタイルは波及効果は低くとも定着率は高かったようで、最盛期には20人近い利用者が毎週土曜夜にチャットルームに集まるようになりました。そこで集まった方からの勧めでゲーム大会やクイズ大会をしたり、同人誌を出したりもしました。
そして『止まり木』の運営に忙殺される中、『支天輪の彼方で』の更新はピタリと止まることになりました。当時の私は認めたくなかったのですけど、おそらくこれは「新作を出し続けなくても自分の居場所がある、期待してくれる人がいる」という状況になったことで、以前ほど新作執筆に関する切迫感を感じなくなったのが原因なのでしょう。
そして一度サボる理由が出来てしまうと、元の習慣を取り戻すことは難しいことです。創作意欲がなくなったわけではないし脳内でキャラたちが動いてもいます(現に合同小説本というきっかけがあれば幾らでも新作SSを書けます)。しかしSSという形で表に出すのは今でなくていい、というか久々の新作になるのだから中途半端なものは出したくない……と脳内で勝手にハードルを上げてしまってサボる理由にしてしまうようになりました。認めたくはないですけどハッキリ書きましょう、サボり癖が付いてしまったのです。
私が開設25周年を単純に喜べない理由はここにあります。そしてこの総括文を通じてケジメをつけたいと考えた理由も。