「支天輪の彼方で」5周年記念総括文  RSS2.0

3.総括文の存在意義について(下)


Since : 2003.10.14
written by 双剣士
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 ここまで読んだ方の中には「自分はそんな葛藤なんて感じなかったよ?」という幸運な方がおられるでしょう。予想外の反応が得られたり次々と新しいネタを織り込んでいくのが純粋に楽しい、と感じられる方は抵抗なく先の段階に進むことが出来ます。しかし本章の目的は『双剣士が総括文を書く理由を述べること』なので、とりあえずこうした問題はあるものとして以降の文章をお読みください。


 さて、先に述べたサイト思春期に直面する障壁によって、多くのWebサイトが閉鎖や休眠を余儀なくされます。幼年期とちがってある程度の読者数やリンク先を確保した後で起こることだけに、ショッキングに感じる読者も多いでしょう。アクセス数の捏造や他サイト掲示板への宣伝書き込みなどの方法で悪あがきをしたくなるのもこの時期です。かくいう私も『新作を公開したらメールで知らせるから、メールアドレスを登録してください』という行動を起こしかけたことがあります。
 私はこの障壁を極めて重大だと考えています。なぜならこの障壁に破れてサイトを閉鎖した人は、閉鎖理由の中で『もう新しいサイトは作りません、メールアドレスも公開しません』などという過剰防衛とも言える姿勢をとることが多いからです。楽しむために入ってきたはずのネットの世界なのに、苦しみと辛さと後悔を背負って去っていく多くの人たち……そんな思いをするくらいならWebサイトなんか開かないほうがマシです。
 この頃の私はサイトをやってみたいという初心者に対して『何がやりたいの? 道は険しいよ?』と冷淡な態度をとっていました。『Web運営は一種の才能』という言葉もこの時期に編み出しました。そんな答えを初心者が求めていないことは承知していましたけれども、しかし『ホームページは簡単に作れる』という無責任な風潮に乗せられたまま障壁にぶつかって潰されていく、そんな循環の後押しをしたくはなかったのです。誰かに否定的予測を述べられたくらいでサイト作りを諦めるようなら将来はおぼつかないですし、反対を押し切ってサイト運営をはじめるくらいの覚悟がないと思春期を乗り越えることは出来ないと思っていましたから。


 こうした思春期の壁を越えると青年期、すなわち“無限の可能性”を捨てて自分の歩む道を選び取る段階に入ります。ここでどんな道を選び取ったかを述べるのが総括文の目的であり、次章からのテーマであるわけですが……その前に思春期の障壁に対して、どんな解決策があるのかを説明しておきましょう。

A.自分の好きなようにやれればいい、読者に振り回されるのは沢山だと達観する
B.自分のやってることは間違っていないか、より良い方法は何かを改めて問いかけ直す
C.自分1人が頑張るのではなく、読者にサイトを育ててもらうために環境を整える

 むろん解決策はこの3つだけではありませんし、これら3つが両立不可能というわけでもありません。しかし私自身が経験していないことについて物知りげに語るのは不誠実だと思いますので、あえて上記3つを別個のものとして解説することにします。


 方針AをとっているWebサイトは数多く存在します。極端な例では掲示板を置かないうえにメールアドレスを非公開にし、サイトの文中でも『俺は俺の好きにやってるんだ、嫌なら見るな』と公言したりもします。確かにこうすることで得体の知れないプレッシャーからは開放されるでしょうし、『自分の個性の詰まったWebサイト』というアイデンティティを確立することも出来るでしょう。『読者に媚びるためにやってるんじゃない、自分で楽しむためだ』という言い分は一見なるほどと思わせます。
 しかし私としては、これはすごくもったいない運営方針だなと感じるのです。読者からの反響や意見に耳を貸さないということは、ただ自己満足のみを目的としていることになります。だとしたらそれは、作った何かを自室の押入れに積み上げる行為と何がちがうのでしょう。ゴミ箱に放り込む行為との相違はなんでしょう。『ネットの向こうには分かってくれる人が少しは居るかもしれない』? 笑止ですね。そんなのはUFOが全人類の代表としてあなたを招待してくれる可能性と同様、皆無ではありませんが確認も証明も出来ない空想上の産物ですよ。全てを飲み込んで何も変化をよこさないブラックホール、この方針を取っている方にとってのWeb空間のイメージとはまさにこれです。そんなもののために労力とお金、そして2度と取り戻せない人生の一部を費やすのですか? 一時の平安のためにもっと大事なものを失っているとは思いませんか?
 もちろんここまで極端な運営方針を取っているサイトは少数ですし、読者に媚びていると思われないためにあえて方針Aを装っているサイトも存在するでしょう。運営者の本当の心まで推し量ることは私には出来ません……しかし私自身が方針Aを採用しない理由としてはこれで十分です。『支天輪の彼方で』は読者の意見をいつでも歓迎しますし、それが手厳しい批判であっても門戸を閉ざすことはしません。いただいた意見の全てを採用するわけではありませんけれども。


 方針Bは思春期に感じた葛藤を全て自分の努力不足・才能不足に還元する方法です。体育会系のアプローチと言えるでしょう。思春期の苦悩をただ引き延ばしているようにも見えるでしょうがそうではありません。読者からの反響や訪問数の増減はここでは予想外の障壁ではなく、取り組むべき課題となるのです。それを克服すること自身がサイト運営の目的となるのです。
 ただし“底なし沼”にも似た更新の日々というのは続くことになります。これを乗り越えるためには目標と達成度評価が必要です。体育系の部活動が○○大会優勝などを目標に掲げ、大会や発表会などを目指して練習しその成果に一喜一憂するように、Webサイトにも『達成したいこと』『目標とする姿』がありその達成度合いを測る方法が必要なのです。
 読者の皆さんはもうお気づきでしょう。この『支天輪の彼方で』は方針Bに基づいて運営を続けているのです。そして過去の評価と次なる目標の提示をするために1年毎の総括文が存在し、評価するための指標としてアクセス解析やメール投稿欄を設けている訳です。私は楽なほうに流れやすい性格なものですから、サイトで公言することによって自分自身の甘えを抑える、という意味もありますしね。


 さて最後になりますが、方針Cは私が憧れていながら果たせないでいる方法です。自分が必死に頑張らなくてもサイト内容が成長していき読者が集まってくるから楽だという面もさることながら、不特定多数に対して開かれたメディアというWebサイトの特長をこれほど活かす運営方法はないでしょう。Web運営の楽しさ(と難しさ)というのは本当はこういうところにあるのかもしれない、そんなことを感じさせる選択肢なのです。
 しかしこの道で成功する人は多くありません。読者は同好の士が多数集まっているところに通いたがりますから、栄えている大手サイトはますます栄え、人の来ないサイトはどんどん寂れていくというシビアな現実が待ち受けているからです。ともすれば運営者の努力よりも“先行したこと”が重みを持つという現実……しっかり覚悟をすれば済むという問題ではありません。自分の才能や努力とは異なるところで下される評価……いやそれも才能や努力のうちといえばそれまでなんですけれども、SS創作をメインとしている当サイトでそうした頭の切り替えをするのはなかなか厳しいものがあるようです。


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