タイトル | : アダルト |
投稿日 | : 2008/06/29(Sun) 01:50 |
投稿者 | : ウルー |
「……なんなの、これは」
レース付きの黒い下着である。あだるてぃーな感じだった。
「……お母さん!」
すぐさま犯人に目星をつけ――というか、着替えを用意してくれるよう頼んでいたのである――、ヒナギクは声に若干の怒りを含ませて母を呼んだ。
「はいはい、何かしらヒナちゃん」
そう時を置かず、エプロン姿の母が浴室までやってくる。タオル一枚だけのヒナギクの姿を見て、「あらあら、風邪ひいちゃうわよ?」などと呑気にのたまったのが、さらにヒナギクの怒りを買う結果となった。
「なんなのよ、このヒワイな下着は!?」
「なんなの、って。この前買ってきてあげたヒナちゃんの勝負下着じゃない」
「自分で買うわよ、そんなの!」
「へぇ〜……」
「え、あ……今のは、そのっ。そ、それよりちゃんと説明してよ!」
寝汗をシャワーで流してさっぱりしたと思ったら、母が着替えとして用意しておいてくれたのは問題のヒワイな下着だったわけで。つまりこれを着て学校に行けと言っているのである、この母は。別に誰に見せるわけでもないが、やはり恥ずかしいというのが正直な気持ちだった。
「それがね〜、最近雨が続いてたでしょ?」
「まあ、梅雨だからそれはそうでしょうね」
「それで洗濯物溜めてたら、ヒナちゃんの下着これしか残ってなかったのよ」
言い訳するならもっとうまく言ったらどうなのか、と言ってやりたくなるほどだったが、ニコニコと実に楽しそうにしている母を見る限りは、わかっていてやっているということらしかった。余計にタチが悪い。論破してやるのは簡単だが、それで問題が解決するとも思えなかった。
「ほら、やっぱり愛娘には太陽の光を直接浴びたぽっかぽっかのパンツを穿いてもらいたいじゃない?」
「いい歳して堂々とパンツとか言わないでよ、こっちが恥ずかしくなるじゃない……まったくもう」
ヒナギクは渋々、黒いブラジャーとパンツを手に取る。よく見てみると、確かにアダルトではあるものの、大人っぽさの中に可愛らしさが見え隠れする感じのデザインが割とヒナギクの好みに合っていた。
「……もう一回聞くけど、本当に他のはないのね?」
「うん♪」
「はぁ……」
しょうがない、今日一日の辛抱だ……そうやって諦めたヒナギクは、あることに気付いた。
「ねぇお母さん。スパッツは?」
「ああ、実はね、最近このあたり一帯をスパッツ泥棒が荒らしまわっているらしくてね〜」
「雨続きで下着が干せなかったっていう話と矛盾してるわよ」
「あ、そっか。じゃあ、そうね……ほら、やっぱり愛娘には太陽の光を直接浴びたぽっかぽっかのスパッツを穿いてもらいたいじゃない?」
生徒会室でちょっとした仕事を終え、校舎に向かう途中。普通の生徒の大半はこの時間帯に登校してくるため、人通りも多くなる。そのせいか、ヒナギクは無性に周囲の視線が気になって仕方がなかった。自意識過剰よ私、というか生徒会長なんだからちょっとぐらい注目集めてもおかしくないわよ、などと自分に言い聞かせるヒナギクではあるが、しまいにはヒソヒソ話までも聞こえるような気がしてきたのだから、なかなかの重症だと、本人はそう思っていた。
そんなヒナギクの背後から、声をかける女生徒が一人。
「おはよう、ヒナ」
「きゃっ!? な、なんだ、美希か……びっくりさせないでよ」
「失礼だな。そっちが勝手に驚いたんじゃないか」
美希の言うことは事実であり、やはり過剰に意識しすぎだとヒナギクは反省しかけたが、その美希がやたら神妙そうな顔をしているというか、反対にニヤけているように見えるというか、なんとなく自分は間違ってなかったんじゃないかと思わされてしまうような感じだったので、とりあえず反省は保留にしておいた。
「……なによ?」
「衣替え完了って先週だったっけ?」
「そうだけど……」
「夏服って生地薄くて涼しいのはいいんだけど、色々透けちゃうのが問題よね」
雷が落ちた。
ような気がした。
「な、なななな」
慌てて両腕で背中を隠そうとするヒナギクだったが、身体の構造的に当然不可能である。どうしてこんな当然のことを失念していたのか、ヒナギクは自身の間抜けさを呪った。
「……まあ、ヒナだっていつまでも子供じゃないものね」
「ちょ、ちょっと」
「ヒナが本気だって言うなら、私は……」
「ねぇ、何言ってるのよ美希?」
「……ハヤ太くんと仲良くね」
「だから何の話なのよーっ!?」
美希は答えることなく、およよと涙を流しながら走り去ってしまった。
(うう……どうしよう……)
事実を突き付けられたことで、どうしようもなく恥ずかしさがこみ上げてくる。感じる視線も、聞こえるヒソヒソ話も、自意識過剰でも勘違いでもなかったのだ。そりゃ普通、こんな下着を着て堂々と学校にやってくる高校生なんていないだろうから、当然のことだ。
(それに、このまま教室に行ったら……ハヤテ君が……)
想いを寄せる少年執事の笑顔が脳裏を過ぎると、ヒナギクの顔は途端に真っ赤に染まった。ハヤテ君に見られたら、なんて思われるだろう。ふしだらな女の子だなんて思われたりしないだろうか。それで、軽蔑されたりしないだろうか。
恋する乙女の思考がマイナス方向に暴走し始めたちょうどその時、再びヒナギクの背後から声をかける女生徒が、今度は二人。
「アダルティな黒いパンツが丸見えの生徒会長さん、おはようございます!」
「ダメよ文ちゃん、パンツ丸見えなんて嘘を大声で言っちゃ。おはようございます、アダルティな黒い下着の生徒会長さん」
ギギギ、と動作不良を起こした機械かのような動きで恐る恐る振り向いてみれば、そこには今春からの新入生である文とシャルナがいた。
「お……おはよう」
できるだけにこやかに言ったつもりだったが、小動物のごとき素早さでシャルナの後ろに隠れた文を見る限り、それは失敗に終わったらしい。
「シャ、シャルナちゃん。私、なにかアダルティな黒いパンツが丸見えの生徒会長さんを怒らせるようなことを言ってしまったのでしょうか……?」
「パンツ丸見えだなんて嘘を言うのがいけないんじゃない?」
二人とも、悪気があって言っているわけではない。と、信じたい。
何より痛いのは、今日に限っては文の言うこともあながち間違いではないというか、パンツ丸見え以外は全て事実であるという点だった。なんにせよ、これ以上関わればろくなことにはならないと、ヒナギクの勘がそう告げていた。
「あ、あなたたち。早く行かないと、遅刻になっちゃうわよ? だから……」
「はっ! シャルナちゃん、なにやら向こうからやたら騒がしい人たちがやってきます!」
「ねぇちょっと、どうしてそんなタイミングよく聞く耳持たずなの!? わざとなの!? ねぇってば!」
「ですが、騒がしいのは本当のようです」
「さぁ綾埼、おとなしく俺のモノになれ! ふははははっ!」
「なに朝っぱらから理不尽かつ気色悪いこと言ってんですか、あなたはぁああぁあああっ!!」
(ああ……最悪……)
少年漫画で多用されるような効果音を撒き散らしつつ、おおよそ人間とは思えないような、それこそ少年漫画みたいな戦いを繰り広げながら、少しずつこちらに近づいてきている二人は、問題の綾埼ハヤテと、同様に今年からのクラスメートである瀬川虎鉄だった。
内心、ナギの引きこもりに付き合って休みだったりしないかな、などといつもの生徒会長らしくないことを考えていたヒナギクだったが、世の中そううまくはいかないものなのだった。
ヒナギクが絶望している間にも、ハヤテと虎鉄の攻防は続いていた。お互いに跳躍し、飛び蹴り――ほんの一瞬の交差、互いに決定打を与えることもできず、再び地に足をつける。ヒナギクにとっては良いのか悪いのか、ハヤテが着地したのは、彼女ら三人のすぐそばだった。
「まったく、変態のくせに戦闘力だけは無駄にあるんですから……」
「俺がなぜこんなに強いのか知っているか、綾埼。それはな、おまえを守るためさ」
「だったら手出ししないで突っ立っててくださいよ。泣いて謝るまで殴るのをやめませんから」
「ふふ……そういうプレイがお望みなら、最初からそう言ってくれればいいものを」
「いやもう、ホントいい加減に……って、おや?」
ハヤテが、背後で自分を見上げるキラキラした瞳に気付いた。文のものである。
「す、すごいですシャルナちゃん! 文、すごいものを見てしまいましたっ! これが、これが……っ!」
「文ちゃん、落ち着いて」
「これが、大人の世界なのですねっ!?」
「え? 人間離れした戦いのほうに感動してたんじゃないの?」
思わずツッコミを入れてしまうヒナギクだったが、そのせいでハヤテに気付かれる羽目となってしまった。まあ、この状況では遅いか早いかの違いでしかないのだが。
「あ、おはようございます、ヒナギクさん」
「お、おおおおはよう、ハ、ハヤテ君」
虎鉄の時とは打って変わってにこやかに挨拶するハヤテだったが、ヒナギクは嫌な汗をかきっぱなしだった。ちなみに、汗をかくと余計に透ける。
(ど、どどどどうしよう!? 気付かれてはいないみたいだけど……)
それは、ハヤテがヒナギクたちに応じながらも虎鉄への警戒を怠っていないからであり、いつもならヒナギクもむっとしていたりする場面なのではあるが、今はそれどころではない。
「……さて、早いとこケリをつけたほうが良さそうですね。お嬢さまとも早く合流しなければなりませんし。放っておいたらまたどこでサボることやら」
「あんな引きこもりの軟弱オタなどどうでもいいではないか。それより、俺と一緒にネバーランドで愛を語り合おう、綾埼」
「……お嬢さまを侮辱することは許しませんよ?」
ヒナギクがあーだこーだと悩んでいる間に、超人執事二人は再び戦闘態勢に入っていた。ハヤテはその言葉通りにさっさと決着をつけるつもりなのか、深く呼吸し、全身に力を巡らせていく。
「皆さん、スカートをしっかり押さえててくださいね。まあヒナギクさんはスパッツですから大丈夫だと思いますが」
「へ?」
よく分からないながらも、言われたとおりにスカートを押さえる文とシャルナの横、一人悶々としていたヒナギクは、ハヤテの言葉を聞き逃してしまっていた。
「いきますよぉ……!」
「ふっ……! 前からでも後ろからでも、来るがいい綾埼! しっかりと受け止めてやる!」
「ええい、もうくたばりやがれこの野郎! 必殺! ハヤテの、ごとく――!!」
ぶわ。
「へ?」
「ああ、こういうのを嘘から出た真と言うんですね。ひとつ勉強になりました」
「そ、そんなっ! 前に見た時よりもアダルティですっ!?」
決着がついた。いろいろと。