セイバーマリオネットJ SideStory
かくれんぼ
SSの広場へ/
前編に戻る/
後編へ進む
中編
あれ?
どうしちゃったんだろう。真っ暗でなんにも見えないよ。
ここ、どこ?
ボク、どうしてこんなとこにいるの?
ねぇ小樽、どうなってるの?
・・・・・・・・・
・・・小樽、どこ?
そばに居るんでしょ?
ねぇどこにいるの? 返事してよ!
小樽ぅ!!!
・・・・・・・・・
いないの?
チェリーもブラッドベリーも、花ちゃんも夢ちゃんも、誰もいないの?
ねぇ、だれか返事して!
どうなってんのか教えてよ!
ひとりぼっちだなんて、ボク、いやだよ!
・・・・・・・・・
・・・いやだよ・・・こんなの・・・
こんな暗いところにひとりぼっちだなんて、いやだよ・・・
どうしたらいいの?
どうして、こんなことになっちゃったの?
どっちに行ったら、ボク、小樽のところへ帰れるの?
ねぇ、だれかぁ!
・・・・・・・・・
・・・・あ。
あっちで、なにか・・・・
なんだろ、ちょっとだけ光ってる・・・
出口かな?
あっちに行ったら、ここから出られるのかな?
うん、きっとそうだよ。きっと誰かが、出口を教えてくれてるんだよ。
きゃは♪ よかった、ひとりぼっちじゃなくて。
じゃあ、すぐに行ってみよう!
・・・・・・・・・
・・・・あ、あれ?
どうしたんだろ、なんで立てないの?
う〜〜ん、しょっ、と・・・
・・・変だなぁ、足に力が入らない。
どうしちゃったんだろ?
なんにも見えないけど、何か引っかかっちゃってるのかなぁ?
・・・う〜〜ん。
だめだ、立てないや。
よくわかんないけど、迎えに来てもらうことにしよう。
あっちの光の方にいる誰かに・・・。
・・・・あ、待って!
光がだんだん弱くなってる!
せっかく見つけた出口なのに!
待ってぇ、誰かぁ!
お願いだからボクに気がついて!
こんなとこに、ボクをおいてかないでぇっ!
ひとりぼっちにしないでぇっ!
**
神流山の森の中。激しく降りしきる雨に打たれながら、ライムはゆっくりとまぶたを開いた。
森の下草のきつい匂いが、鼻のすぐ傍から伝わってくる。いつも森の中に響き渡っているはずの鳥や虫の声は聞こえない。その代わり草や葉っぱを打つ雨の音が神流山の森を埋め尽くし、ときおり聞こえるプラズマの音響が雨に負けじと自己主張を繰り返している。
ライムの知ってる楽しい遊び場は、そこにはなかった。まだ真新しい倒木があちらこちらに横たわり、すべての生命の息吹をかき消す雨の音に包まれながらちょろちょろと煙を吐いている。目覚めたライムの眼の前に広がっていたのは、荒々しい雷雨にさらされて震えつづけている暗い森の姿だった。
「ボク・・・どうしたんだっけ・・・」
肘をついて身を起こしたライムの頬から、ぽたぽたと雨の滴がこぼれおちる。変わり果てた光景と冷たくなった身体とがライムの思考を鈍らせる。自分を取り囲んでいる光景が、現実だという気がしない。どこか知らない森に迷い込んじゃったんじゃないだろうか・・・。
ぴぃ。
そのとき、ライムのすぐ傍から小さな鳴き声が聞こえた。とっさに顔を向けると、ライムの顔から50センチほど離れたところに、草を編んで作られた小さな皿が落ちていた。そしてその中には、濡れた身体を縮こまらせて眼をつぶっている鳥のヒナ3羽と、じっとライムに向かって鳴きつづけている活発なヒナ1羽が入っていた。
「・・・あ!」
これまでの出来事がものすごい勢いで蘇ってくる。ライムの頭を覆っていた薄い霧がさぁっと晴れた。ライムは鳥の巣を拾い上げるために身を起こそうとして・・・そして、さっきまで頬をつけていた水溜まりに再び顔を突っ込ませた。
ぴしゃっ。
「あ、あれぇ・・・」
起き上がろうとしたのに身体がいうことを聞かない。お尻を持ち上げることができない。後ろを振り返ったライムの視界に異様なものが飛び込んできた。自分の太股の上に、自分の胴より何倍も太い倒木が乗っかっている。痛みはまったく感じないが・・・倒木に挟みつけられたお陰で、下半身がまるっきり動かせない。
ようやくライムは自分を取り巻く状況とその理由について思い当たった。そう、ボクは倒れてきたこの木からひなおたちを守ろうとしたんだ。そしたら身体が急に痺れて、足が滑って巣を蹴飛ばしちゃって・・・それで巣を拾おうとして、気を失っちゃったんだ。そして・・・たぶん、あのあとボクは倒れてきたあの木の下敷きになっちゃったんだ。
「こんなもの!」
ライムは倒木をどかすべく全身に力を込めた。胴より太い木といえども、ボクにとっては何ほどのこともない・・・巨象を傘の上に持ち上げたこともある怪力のライムは、最初はそう確信していた。しかし倒木はぴくりとも動かない。
「あれ・・・?」
いくら力を入れても駄目だった。背中の上ならまだしも、太股の上に乗ったものを持ち上げるようにはマリオネットの身体はできていない。それなら、と思って身体を捻り、手を使って倒木を転がそうと試みるライム。しかし踏ん張りの効かないまま背後のものを押すという体勢では、彼女の平素の力の1割も出すことができなかった。
「困ったなぁ・・・」
下半身を地面に押し潰されるという状況でありながら、のんきな表情で困惑するライム。幸運なことに、マリオネットであるライムは痛みを感じることもなく、また雨に打たれて体温を奪われるということもなかった。しかし・・・。
ぴぃ。
ひなおの鳴き声によって、ライムはふと我に返った。ボクはともかく、この子たちは雨に濡れたままじゃ凍えちゃう・・・ライムは巣の方に向き直るとうつ伏せの姿勢のままで手を伸ばし、ぎりぎりで鳥の巣を手元にたぐりよせた。生まれたばかりの4匹のヒナは、濡れた羽毛を逆立てながら小刻みに震えていた。ライムは肘を立てて身体の下に空間を作ると、鳥の巣をそこに入れて雨が当たらないようにしてあげた。そして巣の中から1羽ずつヒナを取り出し、濡れたヒナの身体を袖の布で丁寧に拭ってやった。
「だいじょうぶ・・・お母さん鳥が来てくれるまで、ボクがみんなを守ってあげるからね」
**
「ライム〜!!」
「ラーイムぅ〜、どぉこぉ〜?」
そのころ。豪雨を恐れて動物たちが身を潜めた神流山の森の中を、声を限りに絶叫しながら歩き回る間宮小樽と花形夢二の姿があった。小樽はなんど駆け出したい衝動に駆られたか知れない。しかし雨で滑りやすくなっている森の地面と、まだ子供の夢二を迷子にするわけには行かないという責任感が、小樽に慎重な行動を取らせる鎖となっていた。
「ライムぅ・・・」
夢二の顔面は雨と涙でびっしょりと濡れていた。ライムが本気で隠れたらどんな事になるか、夢二は身に染みて分かっていたはずだった。マリオネットと人間の子供では身体能力に差がありすぎる。最初の頃、ライムを最後まで見つけられずに半べそを掻いたのは自分ではないか。だからライムと遊ぶときには隠れる範囲にハンデをつけてもらい、かくれんぼの終わりを告げる笛を使うことになったのだ。それなのに・・・。
小樽兄ちゃんが鬼をやるんだからって、安心した僕がばかだった!
「ちぇっ、ここも行き止まりか・・・」
小樽がふと足を止めた。眼の前には倒れたばかりの大木が横たわり、2人の行く手を遮っている。乗り越えられない高さではないが、プラズマの直撃を受けて幹のあちこちがくすぶっている以上、子供連れでよじ登るのは危険だ。
「仕方ねぇ、また迂回するか」
「ごめんなさい小樽兄ちゃん・・・」
しょんぼりと下を向く夢二。さっきから何度も繰り返している仕草だった。小樽はそんな夢二の方に向き直ると、しゃがみこんで視線を同じ高さに合わせた。
「なぁ、さっきも言ったけどよ・・・夢二、おめぇはもういいから、電車に乗って街に帰んな。あんまり遅くなると花形が心配するからよ」
「嫌だよ! 僕だけ、そんな・・・」
「心配すんなって。言ったろ、俺はライムのすることなら何だって分かるんだ。俺はライムを見つけてすぐ帰るから、夢二、おめぇは先に帰って、兄貴やチェリーたちを安心させてやんな」
冷え切った頬を弛めてこわばった笑顔を作りながら、小樽は優しい眼で夢二に語りかけた。夢二の気持ちは小樽にも分かる。自分だって夢二の立場なら、一人で先に帰ろうとは思わないだろう・・・それでも説得しなければならなかった。夢二自身のためにも、ライムを一刻も早く見つけるためにも。
「ぐすっ・・・僕、足手まとい・・・なの・・・?」
「そんなわけねぇだろ。役割を分担しようって言ってんだ。チェリーたちを安心させるのだって、立派な男の役目なんだぜ」
「だったら小樽兄ちゃんが先に帰ってよ! ライムとかくれんぼしてたのは僕なんだから。僕の方が、この森のことは良く知ってるんだから」
「かくれんぼの鬼は、この俺だ」
我ながら理不尽だと思いつつも、小樽は頑として撥ねつけた。
「なぁ夢二、俺だっておめぇくらいの頃はこの森で遊んでたんだぜ。心配いらないから、言う通りにしてくれよ」
「嫌だよ!」
頑固者2人の争いは、プラズマの雷鳴がすぐ近くに響いてくるまで続いた。
**
4羽のヒナたちの世話を終えてから、ライムはふところに手を差し込んだ。
「よかった、壊れてない」
そぉっと取り出した手のひらの上には、小さな鳥の卵が載せられていた。生まれるのがすこし遅れていたため、ライムが自分で暖めてあげようと鳥の巣から出して袖の中に入れておいた卵である。転落のショックで割れたかも、という心配は杞憂であった。ライムはその卵を丁寧に磨くと、再びそれをふところに入れた。
「もうすぐお母さん鳥が帰ってくるからね、頑張ろうね」
胸の下に囲い込んだ4羽のヒナを見つめながら、ライムは眼を細めた。
「だいじょうぶ、絶対みんなを迎えに来てくれるよ・・・もう少しの辛抱だからね」
ヒナたちはまだ寒いらしく、眼をつぶったまま巣の中で震えていた。それを見たライムは、頭を逆さにして鳥の巣に顔を近づけると、はぁ〜〜っと暖かい息をヒナたちに向かって吹きかけた。
「どう? 気持ちいいでしょ?」
しばらく続けていると、ヒナたちの震えが徐々に収まってきたように見えた。ライムの暖かい息を受けて、濡れた羽根がだんだん乾いていく。最初に眼を開けたのは元気者のひなおだった。ひなおはお礼をするかのように“ぴぃ”と鳴くと、身体を半回転させて濡れた側の羽根をライムの方に向けた。そして他の3羽も次々とそれに倣った。
「あはは♪」
・・・そして、身体を乾かしたヒナたちが気持ち良さそうに眠ってから。ライムは顔を上げ、周囲の木々の枝の上を見渡した。親鳥は自分の巣が木から落ちたことを知らない。その面倒をライムが見ていることも知らない。自分の巣が無くなっているのを見て、きっとびっくりして探し回るだろう。
《絶対お母さん鳥を見つけて、この子たちを返してあげるんだ》
肘を立てた姿勢のままで顔を上げて、ライムは親鳥が帰ってくるのを待った。豪雨は前にもまして激しさを増している。空のあちこちで閃光が走り、数瞬おくれて腹の底を揺さぶるような音響がこだまする。こんな空を飛び回ろうとする鳥など1羽もいない。それでもライムは、親鳥がすぐに飛んでくると信じて疑わなかった。
《絶対に戻ってくる・・・小樽だって、そのうち来てくれるに決まってるんだもん》
**
その頃。プラズマ放電によって運行停止している山越え電車の線路の上を、真紅と桜色の竜巻が猛然と駆け上がっていった。そして竜巻は「ポンタくんの里」駅で速度を緩め、風速を弱めて2体のマリオネットへと姿を変えた。彼女らの名は言うまでもなかろう。
「小樽様、だいじょうぶかしら・・・」
「だいじょうぶに決まってるだろ、あたしの小樽がどうにかなったりするもんか!」
弱気な言葉を吐くチェリーをブラッドベリーは一喝したが、それは彼女にとっても確信でなく願望に過ぎなかった。近来まれにみる豪雨と急発生したプラズマ雲。小樽がライムを迎えに行ったあと長屋で暇を潰していたブラッドベリーは、テレビの緊急警報をみて腰を抜かした。それでもすぐに2人が帰ってくるだろうと信じ、神流山に駆けつけようとするチェリーを引き止めていたのだが・・・豪雨が現実のものとなっても、小樽たちは一向に帰って来なかったのである。
「もう、こんなことならもっと早く探しに行けば良かったわ・・・」
チェリーの心配は、そのままブラッドベリーの後悔でもある。しかもチェリーの傷心にはもうひとつの理由があった。惑星テラツー全域をカバーするはずのチェリー自慢のセンサーシステムが、プラズマ磁気嵐の影響で完全に効力を失ってしまっていたのだ。人間である小樽ばかりでなく、同じ乙女回路を共有するライムの位置情報まで見失ったときのチェリーの落胆ぶりは、とてもじゃないが正視に堪えない・・・強引にでも行動を起こすのが、今のブラッドベリーにできる唯一のことだった。
「・・・どうだい、チェリー?」
「だめ、なんにも見えない! 小樽様・・・ライム・・・どこに行ってしまったの?・・・」
「泣いてたって始まらないさ。あたしらはやれることをやろう。じゃあたしは小樽を探すから、チェリー、あんたはライムを頼むな」
「そうね、それじゃ・・・ち、ちょっと待って!」
さっさと仕切って駆け出そうとしたブラッドベリーをチェリーは慌てて呼び止めた。ほっぺたを風船のようにぷっくらと膨らませながら。
「ブラッドベリー、どさくさに紛れて小樽様をとらないでよ! 小樽様を見つけるのは、わ・た・く・し・よ!」
「言い争ってる場合じゃないだろ。ライムのことが心配じゃないってのかい?」
「だったらあなたがライムを探してちょうだい! ああ、可哀相な小樽様はきっと雨に濡れて震えてらっしゃるんだわ、わたくしが暖めてさしあげなくては!」
「・・・濡れた顔に洗濯板を押しつけられる小樽の身にもなってみれば?」
「なぁんですってぇ!!!」
2体のマリオネットの視線の間に火花が散った。数秒間のにらみ合いの後、両者は同時に地を蹴ってダッシュ・・・しようとした瞬間。
ばきばきばき・・・どおぉぉ〜ん。
両者のちょうど中央に倒れてくる大木。チェリーとブラッドベリーは度肝を抜かれて、しばし身動きも忘れてたたずんだ・・・そして、やがて同じタイミングで不敵な笑みを浮かべた。
「・・・ちょうどよかったわ」
「この木のこっち側があたし、そっち側がチェリー、な」
「小樽様がどちらにいるかは、運次第・・・」
「先に見つけた方の・・・」
「・・・勝ちよ!」
2人はくるりと回れ右をすると、ふたたび竜巻と化して走り去った。そして両者の距離があの程度まで離れたころ、真紅の竜巻がポツリとつぶやいた。
「せいぜい頑張りな・・・くよくよしてるあんたが相手じゃ、張り合いが無いからね・・・」
**
「・・・遅いなぁ・・・」
どれほどの時間が経っただろう。雨は一向に止む気配が無く、森は沈黙を続けていた。森の下草を包む水位が徐々に上がり、水溜まりから浅い河へとその姿を変えて、意志を与えられたかのようにライムの身体の脇を通りすぎて行く。背中を叩く雨粒が心なしか痛くなってきた気がする。
どうしちゃったんだろう?
この子たちのこと、忘れちゃったのかな?
ふと浮かんだ想像を、ライムはぶるぶると首を振って追い払った。胸の下にかくまったヒナたちは、元気を取り戻してぴぃぴぃと鳴いている。お母さんなら、こんなに可愛いヒナたちの声が聞こえないはずがない。
すぐ近くにいるはずなんだ。
それなのに・・・。
「だ、だいじょうぶ、心配しなくていいからね。お母さん鳥はちょっと遅れてるみたいだけど、きっと小樽が探しに来てくれるから」
ヒナたちに向けられた言葉は、くじけそうになる自分への励ましでもあった。小樽はボクを、お母さん鳥はひなおたちを、きっと必死になって探してくれてる。それまでの辛抱。そう言ってライムは自分を奮い立たせた。だんだん冷たくなっていく身体の中にあっても、赤々と燃えさかる灯明。小樽を信じる気持ちはまさにそれだった。もうじき来てくれる小樽の笑顔を心の拠り所にして、ライムは雨の中、じっと待っていた。
だけど・・・来ない。
小樽も、親鳥も・・・ずっと待ってるのに。
「もう20分、経ってるよね・・・」
かくれんぼはもう終わったよね・・・ふと不安に駆られたライムはそう自分に言い聞かせ、片手を口の脇に当てた。
「小樽ぅ〜!」
小樽ぅ〜!
小樽ぅ〜!
小樽ぅ〜!
小樽ぅ〜!
ライムの絶叫は神流山の森の中に吸い込まれ、やがて雨音に埋もれていった。自分の思いが雨に押しつぶされる様を見たライムの胸に、雨粒よりも冷たくプラズマよりも痛い何者かが忍び込む。
「小樽ぅ〜!」
小樽ぅ〜!
小樽ぅ〜!
小樽ぅ〜!
小樽ぅ〜!
ひょっとしたら、もうここには小樽もお母さん鳥もいないのかもしれない。
ボクたちはこのまま、誰にも見つけてもらえないかもしれない。
「小樽ぅ〜!」
小樽ぅ〜!
小樽ぅ〜!
小樽ぅ〜!
小樽ぅ〜!
身体の奥から沸き上がってくる何かをかき消すように、ライムは声を限りに叫びつづけた。動くもののない森の中を駆け抜けて行くマリオネットの悲痛な叫び。いつしかライムの頬を濡らしている、雨以外の何か・・・しかしそのどちらも、この豪雨の前にはあまりにも弱々しくか細いものだった。
「お、小樽ぅ・・・はやく来て・・・」
・・・叫び疲れたライムが、つい弱気になりかけたその瞬間。
ライムの頭上から、がさがさという枝の音と針のように鋭い鳴き声が・・・。
「ぴぃ〜〜っ」
「あ、来てくれたの!」
顔を上げたライムの眼に、すぐ前の木の枝に止まってこちらを見下ろす1羽の鳥の姿が映った。雨に濡れて重くなった羽根の毛繕いをしながら、視線だけはこちらにじっと向けている小さな鳥が。ライムの表情が弾けるようにほころんだ。
「やっと来てくれたんだね、待ってたんだよ・・・ほらこっち、みんな元気だから!」
巣が雨に当たるのも構わず、ライムは大喜びで鳥の巣を差し出した。急に雨にさらされたヒナたちは、文句を言うようにぴぃぴぃと泣き出し始めた。親鳥は毛繕いを止め、その光景を首をかしげながら見つめた。
「ほら、みんなを迎えにきてくれたんでしょ? 返すよ、ねっ?」
親鳥が警戒してると思ったライムは、巣を身体からなるべく離れたところに置いて、親鳥に向かって手を振ってみせた。ヒナたちは寂しそうにライムを見つめながらぴぃぴぃと鳴きつづけた。
それなのに。
親鳥は降りてこない。巣の中に雨が溜まり、ヒナたちの鳴き声が悲鳴に変わってきたというのに、親鳥は一向に降りてこない。相変わらず枝の上から、ヒナたちとライムを交互に見つめつづけている。
ライムは一生懸命に親鳥を誘った。身動きのできない身体でありながら、巣から出来るだけ離れてみたり、大声で呼びかけたり、逆にそっぽを向いてみたり・・・しかし何をやっても駄目だった。親鳥はヒナたちの巣の方に降りてこようとはしなかった。
そして・・・雨が溜まって杯のようになった鳥の巣から、1羽のヒナが流されて押し出された!
「ひなろう!」
ライムは慌てて手を伸ばし、ヒナを右手で、水に溢れる寸前の鳥の巣を左手でしっかりとつかんだ。ヒナが落ちないように気をつけながら巣に溜まった水を抜き、ひなろうを巣の中に戻す。そして再び親鳥を見上げたとき・・・。
「ぴ、ぴぴぃいぃ〜っ!」
親鳥がついに枝を蹴り、空中に飛び出した。そしてライムたちの方に降下してきて・・・ライムの頭上で2度ほど輪を描くと、そのまま森の奥へと飛び去ってしまった。
「あっ、待ってぇ!」
とっさに手を伸ばすが親鳥には届かない。ライムは顔をくしゃくしゃにしながら、親鳥が飛び去った方向に鳥の巣を差し出した。
「行かないで! みんな居るんだよ、キミを待ってたんだよ! 置いていかないでぇっ!」
・・・親鳥は戻ってこなかった。親鳥の姿とライムの声を吸い込んだまま、神流山の森は不気味に沈黙していた。
「うそ、でしょ・・・」
呆然と、気の抜けたようにつぶやくライム。だが、雨にあたって震えているヒナたちの鳴き声が彼女の意識を引き戻した。ライムは急いで鳥の巣を胸の下に戻すと、濡れたヒナたちをまた1羽ずつ丁寧に拭ってやった。
「だ、だいじょうぶ・・・心配しなくていいよ。お母さんちょっと機嫌が悪いみたいだけど、もうすぐ小樽が来てくれるから・・・小樽ぅ!」
ふたたび森の奥へ大声を投げ始めたライム。しかしその声は、さっきまでとは明らかに違っていた。もはやその声に不安を追い払う力はなかった。ぐす黒い恐怖に心を犯され、隅っこに残ったわずかな白い部分が上げる、痛々しい叫びがライムの口を借りて神流山の森を震わせた。
「小樽・・・小樽・・・ねぇ小樽、ボクここだよ・・・小樽ぅ!」
**
「ん・・・?」
ブラッドベリーは足を止め、森の奥に向かって耳を澄ました。全身を打ちすえる雨の音。さっき来たときにも増して、小樽たちを探すのは難しくなりつつあった・・・その中で聞こえたかすかな声。そう、注意してみれば、もっとはっきりと・・・。
「小樽ぅ!」
「ライム? ライムか?!」
ブラッドベリーは声のする方向に向けて誰何の声を返した。そして数瞬後、よりはっきりとした声が彼女の耳を打った。
「ブラッドベリー!」
「やっぱりライムか! 探したぜ、ほらこっちにおいでよ!」
しかし、続いて聞こえてきた返事は彼女を驚かせた。
「助けてぇ!」
「・・・どうかしたのかぁ〜い?」
「ボク動けないの・・・ブラッドベリー、お願い、早く来てぇ!」
なにか容易ならぬ事態が起きているらしい。聞きたいことは山ほどあったが、彼女はそれをまとめて飲み込んだ。
「わかったよ、いま行くから待ってな!」
ブラッドベリーは声のする方向に向けて駆け出した。木々を掻き分け、岩を砕き、何度もライムに呼びかけながら一直線に進むブラッドベリー。だが・・・運命は非情だった。彼女の行く手を遮るように、幅が広く真新しい地割れが眼の前に横たわっていたのである。
「こんなもの!」
ブラッドベリーは数歩バックすると、地割れを飛び越えるべく全力で駆け出した。みるみるうちにスピードが上がる。数メートルの地割れを飛び越えるくらい、彼女には難しいことではない・・・だが踏み切る瞬間、雨で濡れた地面が“ずるっ”と滑った。
《やばいっ!》
初速のついた身体を止めるだけの余裕は既に無かった。ブラッドベリーの身体は上方への勢いをつけられぬまま、地割れの中へと放り出され・・・そして、向こう側の岩壁がみるみる彼女に迫ってきた・・・。
前編に戻る
後編に進む
SSの広場へ