まもって守護月天! SideStory  RSS2.0

わたしの Sweet Lady

初出 1999年11月09日
written by 双剣士 (WebSite)
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第4幕・夏色の鳥肌(下)

 舞台は代わって山野辺家の応接間。壁に背をもたせかけつつ苦虫を噛み潰したように斜に構える山野辺翔子に対し、向かい側のソファに座った母親は首を傾けながら、楽しくて仕方が無いといった風情で娘の視線を受け止めていた。一人娘に注いできた愛情の量では誰にも負けない、と自負している彼女にとって、娘と面と向かい合うことが嬉しくないはずがなかった‥たとえ娘が素直な愛情表現の仕方を知らないとしても。
 応接間を、重苦しい沈黙が支配した。
 険のある視線を投げかけつつ母親の腹を探ろうとする翔子。彼女の気迫に押されて、入るに入れずドアの外で立ち尽くす使用人の女性。しかし渦中に居るはずの女社長は相変わらずにこにこと微笑みながら、辛抱強く娘の言葉を待っていた。彼女が地球の裏側から一夜にして飛んできたのはそのためだったから。子供子供だと思っていた愛娘が自分の後継者たるべき素敵なレディに脱皮する、そんな瞬間をひとめ見るために帰ってきたのだから。
《翔子ちゃん‥さぁ、ママの胸に飛び込んでいらっしゃい!》
 今の山野辺真砂子にとって、待つことはちっとも苦痛ではなかった。さなぎから蝶に変わる瞬間を静かに見守る梢の下の朝露のごとく、真砂子ママはきらきらと輝く瞳で娘が口を切るのを待っていた。
「‥はぁっ‥」
 今度ばかりは相手が悪い。根競べしても無駄だと悟った翔子は、とりあえず先にカードを切ることにした。嫌々ながらも。
「‥で?」
「うん、なぁに?」
 翔子ちゃんが、やっと先に口を開いてくれた! 幸福感いっぱいの真砂子ママは、慈母神の如き寛大さで、娘に先の言葉を促した。
「‥今日は何しに帰って来たんだよ」
「翔子ちゃんに会いに♪」
「‥‥???」
 翔子はかすかに眉をひそめた。今ごろ何を言ってるんだ‥そんな思いが胸の奥から込み上げてくる。だがすぐに翔子は感情の爆発を鎮め、心のガードを固め直した。気まぐれでお袋がこんな事を言うわけない‥心当たりならある。昨日の和津絵さんとの話だ。
「‥‥和津絵さんからのメール、読んだのか?」
「翔子ちゃんがママにお願いがあるって書いてあったから、予定キャンセルして帰ってきちゃった♪」
 あまりにも脳天気に発せられた返事を聞いて、脚の力の抜けた翔子はずるずると背中を壁に擦り付けた。
「そ‥そんなに簡単に仕事キャンセルしてきていいのかよ!」
「いいのよ♪ 翔子ちゃんにあんな風にお願いされたの初めてですもの、南米の大富豪との会食とどっちを取るかなんて、考えるまでも無かったわ♪」
 真砂子ママは胸の前で手を組み合わせながら、うっとりとつぶやいた。天にも昇る気持ちとはこのことだった。母親の自分に対しておねだりをほとんどしてこなかった翔子から初めての電子メールが届いた‥その知らせを秘書から聞いた瞬間、真砂子ママの母性本能に火が点いたのだ。ちなみに彼女は、昔まだ部下が少なく電子メールも普及していなかった頃のことなど、とうの昔に忘れ去っている。
「‥‥‥」
 複雑な表情で身を起こす翔子。その心中に渦巻くものを喜びの奔流と解釈した真砂子ママは、さっそく本題に入った。
「で、翔子ちゃん。ママにお願いって、なぁに?」
 翔子が豪快にソファの背に顔を突っ込ませるのを、真砂子ママは不思議そうに見つめていた。

                 **

 わずか1分の間に体力の1/3を消耗した山野辺翔子であったが、その灰色の脳細胞は母親の言葉を猛スピードで解析していた。お袋はひょっとして、あたしが書いた内容を知らない? まさか‥。
「な、なぁお袋‥和津絵さんからの電子メール、なんて書いてあったんだ‥?」
「なんてって‥あれ、翔子ちゃんが書いてくれたんでしょう?」
 書いたよ。書きましたよ。仕方なくね。
 翔子は夕べの出来事を渋々ながら思い起こした。やっぱり別荘へ行くことにしたよ‥そう告げたときの和津絵さんの表情は、今でも忘れられない。そして自分の書いたメールの下書きを一読したときの、喜びと落胆の入り交じった複雑な表情も‥。
 けど、ああ書くのが一番平和になれるんだ。友達のことを否定すれば和津絵さんの妄想は暴走するけど、ある程度は肯定したうえで無難な方向に誘導すれば、それを否定できる材料を和津絵さんは持ってない。今回は自分やお袋の出る幕じゃないって思ってくれれば、それでいいんだ。やっぱり人間は、立場をわきまえて行動すべきなんだよ。
 そういうふうに思わせられるよう、うまい言い訳を書いておいたはずだったんだが‥。
「‥そうだよ。たいしたことじゃないだろ? 一言OKって言ってくれれば済むことなんだから」
「まぁ、用件なんて書いてあったかしら?」
「あ、あのな‥」
「翔子ちゃんが『大切なお願いがあるの。大好きなママへ』って書いてくれたもんだから、わたし嬉しくって、すっとんで帰ってきちゃった♪」
 ふたたび手を合わせてウットリと眼を閉じる真砂子ママをよそに、山野辺翔子はカクーンと顎を落とした。まぁったく、和津絵さんときたら‥あたしはそんなこと書いた覚えはないぞ。でも問い詰めたら堂々と言うんだろうな、『翔子お嬢様の胸のうちを代筆してさしあげました』って。
「ほ、本当に‥?」
「そうよ、やっぱり母と子の交流はじかに会って話すのが一番よね。小さいときから傍に居てあげられない悪いママだったけど、やっと翔子ちゃんに頼ってもらえるようになったのね♪ ママとっても嬉しいわ‥‥それで、お願いってなぁに?」
 心の底から嬉しそうに微笑む真砂子ママ。その視線を浴びながら、翔子は冷静に現状を分析した‥お袋が来るのは予想外だったけど、考えてみれば、チャンスだ。和津絵さんの余計な妄想をまじえることなく、直接お袋に別荘の件が話せるんだから。どうせ忙しいお袋は別荘の準備や管理を使用人たちに任せっきりにするんだろうし、ここをうまく乗り切ればシャオたちのことに首を突っ込むことも無いだろう。
「‥いやぁ、別にたいしたことじゃないんだけどさ‥」
 山野辺翔子は精一杯の作り笑いを浮かべながら、世界でただ一人の母親に向かって手を合わせた。

                 **

「まぁ、文化祭で劇をやるの?!」
 照れくさそうに話を始めた娘の言葉を聞いて、真砂子ママは声を弾ませた。
「ねぇ、ねぇ、翔子ちゃんも出るの?」
「う、うん‥まぁ、ね‥」
「きゃーっ、素敵っ!」
 真砂子ママは狂喜の叫びを上げた。翔子のこめかみに浮かんだかすかな皺には気付くことなく。
「すごいわ翔子ちゃん! ママ嬉しい‥ママが居ないせいで言葉や服装が乱暴になって、一時はどうなることかと思ってた翔子ちゃんが、すっかり大人になって‥ぐすっ」
「お、お袋、別に泣くことないだろ‥それでさ、文化祭が9月の半ばだから、夏休みのうちにみんなで集まって練習しよう、ってことになって」
「ママ手伝う!」
 真砂子ママは反射的にそう答え、らんらんと輝く瞳で愛娘を凝視した。ソファから立ち上がる母親の勢いに翔子は一瞬身を引いたが、すぐに体勢を立て直すと申し訳なさそうに母親から眼を逸らした。
「ありがとう‥だけどさ、実はやる内容、クラスのやつが考えたオリジナルなミステリー劇なんだよ。だから上演の日まで、誰にも練習風景を見られたくないんだ」
 なーんだ、とつぶやきながら、がっかりしたようにソファに腰を下ろす真砂子ママ。
「それでさ、お願いなんだけど‥いま言った事情で、学校の体育館とかで練習するわけには行かないんだよ。部活とかで夏休みに登校するやつ、結構居るからさ。それで、あの避暑地にあるうちの別荘、しばらく使わせてもらえないかな〜って思って」
「別荘? どうして、そんなところで練習するの?」
「ちょっと広い場所が要る劇でさ、誰かの家ってわけにもいかないんだよ。それにせっかく夏休みに集まるんだから、涼しいところに行こうってことになって‥みんなが行きたいって言うから、断れなくってさ‥」
「まぁ‥翔子ちゃん、頼りにされてるのねぇ‥」
「いや別にそういう訳じゃ‥ただ、一応あたし、主役だし‥」
 顔を真っ赤にしながらつぶやいた翔子の言葉を聞いた途端、真砂子ママは一足飛びに一人娘の前にジャンプした。そして力いっぱい愛娘を抱きしめた!
「翔子ちゃん! ああっ、わたしの自慢の翔子ちゃん!」
「い‥痛い、よ、お袋‥」
 苦しみながらも満更でなさそうな声を上げる翔子の鼓動を胸に感じながら、真砂子ママは至福の喜びを噛み締めていた。そうよ劇! 煌煌とスポットライトの当たるステージで、わたしの翔子ちゃんが踊る、語る、輝く‥あぁっ! わたしの可愛いレディの鮮烈デビュー!
「任せておいて翔子ちゃん! そういうことだったら、ママなんでも協力するわ! 大道具でも衣装でも何でも揃えてあげる! そうね、じゃ仕事なんか全部キャンセルして、別荘でみんなのお世話をしてあげなくちゃ!」
「だ、だから‥ミステリーなんだよ。筋が分かっちゃったら面白くなくなるだろ? 別荘だけ貸してくれればいいんだってば」
「だったら部外者でなくなればいいのよね? それじゃママも友情出演するってことで‥」
「だめ! 中学生の文化祭に母親が出てくるなんて聞いたことないよ。あたしに恥をかかせる気?」
 真砂子ママは一層強い力で翔子を抱きしめた。《あたしに恥をかかせる気?》‥あの翔子ちゃんがこんな事を言うなんて! 大人になったのね、頼もしくなったのね!
「親父もお袋も、今回は遠慮してよ。あたしの晴れ姿を見たいだろ? 上演のときにはスポンサーってことで、一番いい席を取っといてやるからさ。楽しみに待っててよ」
 真砂子ママは腕の力を緩めると、膝を折って翔子と同じ高さに顔を合わせてきた。
「わかったわ‥翔子ちゃんがそこまで言うのなら、ママ、我慢する‥翔子ちゃん、もう大人だものね。安心してちょうだい、ママの代わりに、和津絵に翔子ちゃんのお世話をしてもらうから‥」
 なぜか全力で首を横に振る山野辺翔子。
「どうして? 和津絵だったら部外者じゃない、翔子ちゃんたちの邪魔はさせないから‥」
「だめだよ、和津絵さんがお袋に隠しごと出来るわけないだろ。それにこっちは『夏山のキャンプ』って醍醐味も兼ねてんだからさ。本当に場所だけ貸してくれればいいんだよ。料理作れるやつは居るし、車で運んでくれるおにーさんも居るし」
「そう、なの‥」
 先ほどとは一転して、捨てられた子犬のような眼で真砂子ママは翔子を見つめた。娘が独り立ちしようとするのが嬉しいような寂しいような‥そんな母親の表情を見て、山野辺翔子は交渉の成功をほぼ確信した。これで別荘を使わせてもらえる、お袋や和津絵さんの干渉無しに‥。文化祭のことなんかは、後でうやむやにすればいいんだ。
 そのとき。応接間の扉を開けて、使用人の一人が顔を覗かせた。
「あのぉ、翔子お嬢様‥お客様が‥」
「あたしに?」
「それが‥さきほどまでお屋敷にいらしてたはずの方が、また玄関から‥」
 それは、翔子の策略を根底からつくがえす悪意なき爆弾の到来を告げる声であった。

                 **

 母親を応接間に残し、山野辺翔子は玄関に向かった。そしてそこには、彼女の想像通りの人物が待っていた。
「またお邪魔します、翔子さん」
 ぺこりと下げた頭を上げて、にっこりと微笑む守護月天シャオリン。何の悩みもなさそうなピュアな笑顔が、今の翔子には眩しかった‥そしてシャオリンが輝いて見える理由は、それだけではなかった。
「翔子さん、どうですか?」
 スカートの裾をつまんで半回転してみせるシャオリン。そう今度のシャオリンは、今日デパートで買ったばかりのワンピースのドレスを身に纏っていた。シンプルなデザインながら薄い桃色でシックにまとまった、露出度の高い夏向きのドレス‥自分でも愛原でも着られないだろうと思った清楚なドレスが、線の細い美少女には完璧に似合っていた。
 言うまでもなく、翔子の選んだ七梨太助悩殺アイテムのひとつである。
「ああ、すごく似合ってるよ‥七梨もきっと、誉めてくれると思う」
「わーっ、太助様が喜んでくれるんだ〜」
 破顔するシャオリンを見やりつつ、翔子はすぐに表情を引き締めた。いつもならこの後の手順を事細かにレクチャーしてやるところだが、今はタイミングが悪い。今はお袋が家に居るんだぞ。あたしの『一生のお願い』はどうなったんだ?
「‥で、シャオ。なにか忘れ物でもしたのか?」
 思惑以上に冷たい言葉。シャオにはこんな言葉聞かせたくなかったのに、と翔子は口に出してから後悔したが、シャオリンのハートはたいして傷ついた様子もなかった。
「‥あ、いえ、忘れ物をなさったのは翔子さんの方です」
「えっ?」
「さっき帰るときに、翔子さんの荷物、瓠瓜のなかに入れっぱなしにしてたでしょう? 私、家でこの服を着てみてるときに気が付いて‥それで、すぐお返ししなきゃって思って」
 シャオリンはそういうと、玄関先で立ったまま支天輪をかざした。翔子は仰天した!
「ち、ちょっと待て、こんなとこで星神を出したら‥」
「来々、瓠瓜!」
 翔子の制止も空しく。玄関のマットレスに煙が立ち昇り、その中から座り込んだ瓠瓜が姿を現した。鳥と兎をミックスしたような愛らしい容姿の星神。口の中に異次元空間を持ち何でも飲み込んでしまえる星神。それが瓠瓜。
 それを見た途端‥。
「きゃーーーっ、可愛い〜〜っ♪」
 かいぐり、かいぐり。
 瓠瓜を抱き上げてキスと頬擦りの嵐を浴びせ始めたのは、一瞬で応接間から玄関まで瞬間移動してきた真砂子ママであった。瓠瓜は満更でもなさそうに真砂子ママの胸でされるがままになっていた。抱きしめたり、撫で回したり、持ち上げて一回転したり。真砂子ママは人目もはばからず、初めて見る愛らしい小動物を全身全霊を込めて可愛がりつづけた。真砂子ママの視界には瓠瓜しかなく、瓠瓜の視界にも真砂子ママしかなかった。見つめ合う一人と一匹は、前世からの熱愛を確かめるかのように、長い時間を掛けて互いの肌の温もりを確かめ合った。
 ‥そして、その周りでは。山野辺翔子は瓠瓜に手を伸ばした姿勢で硬直していた。シャオリンはポケポケとその光景を見守っていた。そして真砂子ママと瓠瓜のダンスが一段落した頃を見計らって、シャオリンはぺこりと頭を下げた。
「初めまして、私、守護月天のシャオリンと申します。翔子さんにはいつもお世話に‥」
「まぁ! なんてお行儀のいいお嬢さんかしら。ごめんなさい挨拶が遅れて、わたし翔子の母親で、真砂子と申します。よろしくお願いしますね」
「わぁ、それはどうも。こちらこそよろしくお願いします。シャオと呼んでください」
 顔を上げたシャオリンは、心の底からの笑顔を見せた。シャオリンは一目で真砂子ママが好きになっていた。真砂子ママもシャオリンが気にいった。
《翔子さんも那奈さんもあんなにいい人なんですもの、瓠瓜を好きになってくれる人に悪い人は居ないですよね》
《こんなに物腰が丁寧でドレスの似合うお嬢さんが、翔子ちゃんのお友達に居たなんて‥想像以上だわ。さすがはわたしの翔子ちゃんね♪》
 一人の人間と一人の精霊は、心を込めた微笑みを交わし合った。互いのことをもっと知り合いたいと思った。数瞬の沈黙の後、きわめて自然にこの言葉が口を突いて出てきた。
「ねぇシャオさん、良かったら上がってくださらない? 美味しいお菓子でも食べながらお話ししましょ」
「はいっ♪ お邪魔します」
 瓠瓜を抱いたまま、シャオリンを応接間に誘導する真砂子ママ。だがそのとき、真砂子ママの袖を何者かが引っ張った。振り向いた真砂子ママは、身体を小刻みに震わせる一人娘の存在を視界の端っこに認めた。屋敷の使用人に新しいお友達を案内するよう命じると、真砂子ママは瓠瓜を抱いたまま振り向いた。
「どうしたの? 翔子ちゃん」
「お袋‥」
 弱々しい声を絞り出す翔子。さすがの彼女も、この矢継ぎ早の展開に際しては脳細胞がパニックを起こしていた。帰れ、とも、家に上がるな、ともシャオリンに向かって言えないまま硬直しているうちに最悪の日曜日のファンファーレが鳴り始めてしまった、そのことだけを翔子の身体の奥が感じていた。
「ほら翔子ちゃん、せっかくお友達がいらしたんだから、一緒にお話ししましょう?」
「ちがうんだ‥シャオは‥」
 なんと言っていいか分からず、混乱したままの翔子は血走った眼で母親を見上げた。まずい、まずい、まずい‥と頭の奥で何かが叫んでいた。止めなきゃ、とにかく止めなきゃ‥彼女らしくもなく説明に窮した山野辺翔子は、母親の袖を握る力を一層強くした。
 だが。真砂子ママは艶やかにウインクをすると、錯乱状態の一人娘に止めを刺した。
「だってあの子、翔子ちゃんの義妹になる子なんでしょう? 仲良くしておかなくっちゃ」






























 ・・・山野辺翔子が意識を取り戻したとき、玄関には母親も親友も残っていなかった。立ち尽くす翔子の傍にはひとりだけ、濡れタオルを持った使用人が翔子の顔の汗を拭っていた。
 そして感覚が戻ってくるにつれ、からっぽだった頭の中に憤怒の念が浮かび上がってきた。
《‥お袋に、かつがれた‥》
 徐々に血液が身体を循環し始める。歩き出せるまでに数分を要した山野辺翔子は、顔を真っ赤にしながら荒々しい足音を立てて応接間に向かった。

                 **

 のっしのっしと応接間に歩を進めながら、山野辺翔子は頭の中を整理していた。
 もう間違いない。お袋は和津絵さんからのメールで、昨日の顛末と和津絵さんの妄想を聞いてたんだ。なのに『内容は読んでない』なんてとぼけて、あたしが最初から説明するのをニタニタしながら聞いてたんだ。
 昨日シャオたちが来たときに和津絵さんが聞いた話は、『夏休みにみんなで遊びに行こう』って範囲だけだから、今のところあたしがお袋に話した嘘がバレたわけじゃない。だけどシャオがお袋と話をするなら別だ。劇の練習なんかやらないと知ったら、お袋も和津絵さんも遠慮なんかするもんか。
 早く二人の話をやめさせないと!

「そう、今日も翔子ちゃんにお付き合いしてお買い物に行ってくれたの‥うちの翔子ちゃんがお世話になってるみたいで、どうもありがとう」
「いいえ、私のほうこそ翔子さんにはお世話になりっぱなしで‥」
「あらぁ、本当におしとやかで‥よく出来たお嬢さんねぇ。うちの翔子ちゃんはどうも気難しくて、今までお友達を家に連れてきたことなんてなかったのよ。わたしもあまり構ってあげられないし、気に病んではいたんだけれど‥」
 山野辺家の応接間にて。世界を駆け回る敏腕女社長と、数千年の時を越えてきた月の精霊は、紅茶を手にしながら和やかでアットホームな会話を交わしていた。そんな意外な光景に、応接間に駆け込んだ社長令嬢は毒気を抜かれてしまい、どなりちらす気力が萎えてしまった。
 しかたなく、山野辺翔子はぎこちない表情を浮かべながらシャオリンの隣に腰を下ろした。あたかも爆発寸前の時限爆弾の傍に身を置くかのように。
「あなたのような気立てのいい子に会えて、本当に良かったわ。翔子ちゃんと、これからもいいお友達でいてあげてね」
「こちらこそ、翔子さんとお友達になれて良かったです。翔子さんって、とっても優しくて思いやりがあって、いろんなことを教えてくれますから」
「まぁ、なんて嬉しいことを‥」
 翔子の母親こと山野辺真砂子は、懐からハンカチを取り出して眼を拭った。
「あ、あら、わたしったら自分ばっかり喋っちゃって‥ごめんなさいね。シャオさん、ゆっくりしてらしてくださいな。いまお菓子を持ってきますからね」
 そういって真砂子ママは席を立ち、応接間の扉へと向かった。にこやかなシャオリンの笑顔と、ひきつった翔子の表情とに見送られて。
「‥‥ふうっ」
 真砂子ママが扉の向こうに消えた途端に、山野辺翔子は大きな溜め息をつき全身の力を抜いた。
「優しそうなお母さんですね、翔子さん」
「‥まぁな」
 嬉しそうに話すシャオリンに、翔子は生返事を返した。まさかあんなに賢母ぶりが板に付いているとは思わなかった。どうも調子が狂う。あんな感じで話ができるんだったら、お袋をあたしの友達から遠ざける必要なんて無かったかも‥。
 ‥と、そうじゃなくて!
「なぁシャオ、シャオは知らないだろうけど、お袋の田舎には妙な風習があるんだよ」
 頭をフル回転させた山野辺翔子は、真剣な面持ちで親友に忠告した。
「風習、ですか?」
「ああ。長居して欲しくないお客に対して、遠まわしに『帰れ』って言うときのやり方でさ。お菓子をばらさないで箱のまま持ってきたら、その合図なんだよ」
「えっ、そうなんですか?」
 表情を曇らせるシャオリン。翔子の胸の奥がちくりと痛んだ。
「あ、古い風習でさ、あたしたちは真似しなくていいんだけど‥とにかくそうやって箱ごと持ってきたら、お袋はそういうつもりだって事なんだよ。そのときは『まぁ結構な品を、私にはもったいないですわ』って言って、余計なことを喋らずに帰らなきゃいけないんだぜ。お袋はゆっくりしてけって一応は引き止めるだろうけど、格好だけだからな。シャオの方が気を利かせなきゃいけないんだ」
 心の中で親友に手を合わせながら、翔子は口からでまかせを言った。傍目から見ても気の合っている二人が余計な話を始めないうちに、何とか二人の仲を引き裂かなきゃならない。決して自分の保身のためじゃない、と翔子は自分に言い聞かせた。疑うことを知らないシャオを、お袋の害毒から守ってやるためなんだ。
 許してくれ、シャオ。
 真剣な翔子の視線を、シャオリンは悲しそうな瞳で受け止めていた。いかに遠回しな表現だろうと、意味するところは同じだった。突然たずねてご迷惑だったんでしょうか、あの優しそうなお母様もそう思ってらっしゃるのかしら‥まだ真砂子ママが戻ってこないうちから、すっかり気落ちしてしまったシャオリン。そんな親友の姿に申し訳ないと心の中で頭を下げながら、あのお袋のことをこんなにストレートに信じられるなんて、と翔子はちょっと悔しいような気持ちを感じていた。
 ごめんな、あたしのせいで。
 だが翔子は、真砂子ママが箱ごとお菓子を持ってくることに確信があった。今までいつもそうだったから。娘の好みを何も知らず、それでいて嵐のように訪れて去って行く多忙な翔子の母親。世界中からかき集めたお菓子の箱を娘の前に並べ、翔子が‥渋々ながら‥指差したお菓子の封を切る、というのがいつもの真砂子ママのパターンだったから。
「おっ待たせ〜♪」
 そのとき、楽しそうな声と共に応接間の扉が開いた。シャオリンは顔を上げてその声の主を見つめ‥そして満面の笑みを浮かべた。心から安堵したかのように。
「ごめんなさいね、この子がこのお菓子とっても気に入ったみたいだったから、シャオさんもお好きなんじゃないかと思って‥あら、翔子ちゃんどうしたの?」
 翔子は天井を向いたまま痙攣していた。瓠瓜を肩に乗せ、山盛りのビスケット皿を両手に持った真砂子ママの足元で。

                 **

「ところでシャオさん、うちの別荘にいらっしゃるんですって?」
 疲労のあまり言葉少なになった山野辺翔子を尻目に、佳境に入り始めた真砂子ママとシャオリンの歓談。そしてついに、真砂子ママからこの言葉が飛び出した。はっと顔を上げた翔子とは対照的に、ドレスを着た美少女は笑顔を浮かべたままうなずいた。
「ええ、翔子さん快くOKしてくださいまして」
「まぁそうなの‥私もね、ついさっき翔子ちゃんからその話を聞いてびっくりしたのよ。翔子ちゃんって、あんまり友達を誘ったりしない子だと思ってたから」
 真砂子ママの言葉には、翔子ちゃんが動いたのは劇の主役にしてもらったお陰よ、とのニュアンスが込められていた。だがそんな裏の事情を知るよしもない月の精霊は、額面通りに解釈してあっさりと返事をした。
「そうなんです。久しぶりに翔子さんとご一緒できて、私とっても嬉しいんです」
「いつなの?」
「来週いっぱいで1学期が終わりますから、そのあとすぐに」
「まぁ残念‥私もついて行きたいけれど、再来週からは大切な商談があるのよねぇ。シャオさん、翔子ちゃんをよろしくね」
「いえ、こちらこそよろしくお願いします」
 楽しそうに微笑みあう二人の脇で、翔子は滝のような冷や汗を流していた。真砂子ママの『よろしく』には、明らかに劇の練習の意味が込もっている。天然ボケのシャオリンがそのニュアンスに気づかないお陰で平穏なまま会話が進んでいるが、そう長く幸運が続くとも思えない。お袋が別荘に来られないと分かった以上、破綻する前にさっさと会話を止めなきゃ‥。
「なぁお袋、そろそろ仕事に戻った方がいいんじゃないか‥シャオもさ、早く帰らないと七梨が心配‥」
 しかし。
「実はですね、今日買いに行った服も、別荘に着ていくつもりで選んだんですよ」
「まあ、そのドレスもそうなの?」
「ええ、これは明日に着るんですけど、別荘にも持っていくつもりです。翔子さんが選んでくれて」
「素敵ねぇ、良く似合っているわよ、シャオさん。きっと本番では映えるでしょうね」
「はいっ!」
 ‥もはや翔子の制止の言葉など、二人の耳には入らなかった。二人は主人公をほったらかしにして、楽しい会話に頭の先まで没頭していた‥『本番』の意味するものが食い違っていることを双方ともに気づくことなく。
「でもあなたみたいな綺麗な子がいたら、翔子ちゃん目立たないかもしれないわね‥」
「そんなことないですよ。私、翔子さんが居てくれるから頑張れるんです。ついさっきも翔子さんに教えてもらって“練習”してたんですから」
「まあ、そうだったの?」
 矢継ぎ早に繰り出される境界線すれすれの会話。翔子の心臓が早鐘のように打ち鳴らされ、緊張と戦慄が何度も何度も背筋を駆け抜ける。ただ傍に居るだけにもかかわらず、翔子の体力と精神力はあっという間に摩耗していった。あたかも、ゴリゴリと削れていく音が聞こえるかのように感じられるほどに。
 そしてそのことが致命的な判断の遅れを招いた‥普段の翔子なら気づいて止められたはずなのだ。この後に続くであろうシャオリンの爆弾発言に。
「ねぇシャオさん、どんな練習をしたの?」
「あのですね、ベッドで眠ってる太助様に覆い被さって、こうやって顔を近づけて‥」
「わあああぁっ!!」
 あわてて制止したが、もう遅い。自分の言葉の意味を理解してないシャオリンは突然大声を張り上げた翔子をきょとんと見つめるだけだったが、この言葉を聞いた真砂子ママは案の定、眼を閉じてうっとりと小首を傾けていた。真砂子ママの脳裏にラブロマンスの主役を張る愛娘が浮かんでいることは言うまでもない。
「お、お袋。違うんだよ、今のは‥」
「ああっ翔子ちゃん! こんな綺麗な子と競い合えるなんて、さすがに翔子ちゃんはデビューからして派手よね。いいこと、あなただって素材は負けてないんだから、精一杯アピールして皆のハートをわしづかみにするのよ!」
「違うんだってば‥」
 感極まって抱き付いてくる母親のベアハッグを受けながら、翔子は弱々しくつぶやいた。

                 **

 母親にきつく抱きしめられ呼吸困難に陥った山野辺翔子であったが、このとき心にはかすかに隙があった。とにかく、お袋と和津絵さんが別荘に来られないのは決まったんだ。もう多少ぼろが出たっていい、なんとか今日さえ切り抜ければ‥。
 そう不覚にも翔子が気を緩めたとき。シャオリンは何かを思い出したかのようにぽんと手を打った。後から思うと、これが山野辺翔子に止めを刺す合図になった。
「あ、うっかりしていました。お預かりしていた翔子さんの服、お返ししますね」
 シャオリンがそう言った途端。
「ぐえっ」
 真砂子ママの肩に乗っていた瓠瓜は一声鳴くと、開いた口から服の入った紙袋を次々と吐き出した。
「わああ、やめさせろシャオ!」
 シャオが人間でないことがバレてしまう!
 そう思った翔子は真砂子ママの腕のすきまから絶叫した。だが意外にも、真砂子ママは驚いたふうもなく瓠瓜から吐き出された服を見つめ‥そして羽交い締めにした娘の顔を見下ろした。
「これだけ? ドレスはないの、翔子ちゃん?」
 なんで驚かないんだ?‥翔子が絶句していると、
「駄目じゃないの。将来は社交界の華になろうかって言うレディの卵が、こんな地味な服ばっかり着てちゃあ‥なんたってシャオちゃんと競いあうんですからね。夕子さん、2階から翔子ちゃんのドレスを持ってきて」
「はい♪」
 応接間のドアの向こうから返事が返り、何人かの使用人が階段を上る音が聞こえてきた。そして数十秒後に扉が開き、花柄のドレスが‥じゃない、ドレスを持った使用人の群れが翔子に迫ってきた!
「あ、あたしはいいんだよ、ドレスなんか」
「駄目よ我侭を言っちゃ。ちょっとだけ我慢しててね♪」
「わああ、やめろぉ!」
 翔子の絶叫は、取り囲む使用人たちの壁に阻まれた。いくら暴れても逃れることは出来ない。翔子を生きた着せ替え人形として扱う術は、山野辺家に勤める者たちの必修項目になっていたのだ。
「た、助けてくれ、シャオぉ!」
「お母様、翔子さん嫌がってるみたいですけど」
「大丈夫よ、きっと友達の前で着替えるのが恥ずかしいんだわ。シャオさんだって、翔子ちゃんのドレス姿を見たいでしょう?」
「はい、翔子さんならきっと似合うと思います」
 翔子の唯一の頼みの綱が、この瞬間に切れた。

                 **

 そして、数分後。
「ぴったり‥やっぱり、さすがは私の可愛いレディよね♪」
「とっても綺麗です翔子さん。みんなびっくりしますよ」
「翔子お嬢様、素晴らしいです!」
「お似合いです!」
「素敵ですわ!」
 薔薇の柄のドレスに百合の花をあしらった帽子、真っ白な手袋に真紅のブーツ‥絵の中から抜け出てきたかのような花の妖精の姿が、そこにあった。観衆たちは惜しみない賞賛の言葉を贈った。自分の最高傑作が花開いた姿を前にして、真砂子ママは至福の喜びを噛み締めていた。
 ‥だが、その視線の中心に居た社長令嬢は、おぞましさのあまり鳥肌が立つ思いだった。賞賛されている今の姿が彼女のもっとも嫌いな姿だと言うこともあったが、それだけではない。14歳になっても親や使用人の着せ替えに逆らえない身体だということを嫌と言うほど思い知らされて、彼女の自尊心はズタズタになっていた。それにもまして、今回はシャオの眼がある。素直なシャオのことだ。家に帰ったら、七梨やルーアン先生に今日の顛末を話すに違いない!
「‥シャオ、頼むからこのことは、誰にも言うなよ‥」
「どうしてですか?」
 悲痛な懇願に対してポケポケと答えるシャオリンに、翔子は殺意すら覚えた。
「あ‥あたしは、こんなの‥嫌いだ‥」
 怒りと屈辱に身を震わせながら、それでも精一杯自制しつつ声を絞り出す翔子。いつもなら乱暴にドレスを脱ぎ捨てるところだが、眼の前にドレスを着たシャオリンが居るのでそうもいかない。こんな状況になっても、まだ翔子はシャオリンを傷つけないよう気遣っていた‥ところが。
「まあ、翔子ちゃん‥ママ悲しい‥」
「さっき翔子さん、この格好をしたら太助様が喜んでくれるって言ってたじゃないですか‥」
 まるでシンクロしたかのように、頬に右手を添えて残念がるシャオリンと真砂子ママ。その姿を見て、翔子の中で何かが切れた。
「い‥いい加減にしろ! あたしは玩具じゃない! お袋の言いなりになんかなるもんか!」
「そんなぁ‥」
「そんなぁ‥」

「ハモるなぁっ! だいたい社交界ってなんだよ! あたしはそんなのやらないっ!」
「似合ってるのに‥」
「似合ってるのに‥」

「だああぁっ!」
 もう限界だった。山野辺翔子は片手で眼を覆うと、ドレスのままで応接間を飛び出し、階段を駆け上がった。
「翔子さん !」
「翔子ちゃん!」

 なおもシンクロしたままで、シャオリンと真砂子ママは翔子を追って応接間を飛び出した。翔子を追って、2階に駆け上がるシャオリン。真砂子ママもその後に続いた‥だが何者かが真砂子ママの腕を掴み、2階に登るのを阻んだ。それは女社長お抱えの運転手であった。
「何よ! 邪魔しないでちょうだい!」
「お言葉ですが、社長‥お時間です。もう予定を過ぎております。すぐにヘリにお乗りください」
 ビジネスの世界の非情な掟が、母と子の間を引き裂いた。山野辺真砂子は何度も駄々をこねたが、既に1時間も遅れている、と聞いて娘の説得を諦めざるを得なかった。

                 **

「翔子、さん‥」
 シャオリンは恐る恐る、翔子の部屋のドアを開けた。明かりの点いていない部屋の奥に、ベッドに顔を伏せた山野辺翔子の姿が見えた。翔子が何を哀しんでいるのかはさっぱり分からなかったが、ひどく辛そうな気持ちだけは伝わってきた。シャオリンはささやくような声で呼びかけた。
「入ってもいいですか、翔子さん‥」
「‥‥‥」
「ごめんなさい翔子さん‥私、翔子さんを傷つけてしまったんですよね? 本当にごめんなさい‥私、どうしたら‥」
「‥シャオのせいじゃないよ」
 シャオリンは俯いた顔を上げた。翔子はいつのまにか顔を上げて、ぎこちなく微笑んでシャオリンを見つめていた。翔子の眼は少し赤くなり、頬には涙の跡が残っていた‥だが、もう眼に涙は溜まっていなかった。
「‥いいんだよ、シャオは悪くない‥よくある親子喧嘩だよ。気にしないでいいんだ」
「でも‥」
「ほら、そんな顔するなよ!」
 翔子はベッドから立ち上がると、シャオリンの手を引いて部屋の奥に連れ込み、そこに座らせた。
「シャオは全然悪くない。さっきはみっともないとこ見せたけど、あたしはそんなに弱虫じゃないんだ。あれはあの場から抜け出すための演技、そう演技だよ」
 翔子はそういうと、シャオリンの背中を軽く叩いた。
「ほら元気出して‥そんな顔してたら七梨が心配するぜ」
「太助様が‥」
「そう。それにあたしとしても、今日みたいな格好悪いとこを七梨たちに知られたくはないしさ。今日のことはあたしとシャオの秘密。いいよな?」
「翔子さん‥」
「ほぅら、あたしはもう大丈夫だから!」
 花柄の少女はそういうと、桃色のドレスの少女の手を引いて立ち上がらせた。

                 **

 その頃。山野辺真砂子はヘリコプターに乗って、今夜の会合場所へと急いでいた。しかし彼女の頭は娘のことで一杯だった。
《翔子ちゃん、きっと反抗期なんだわ‥このままじゃ翔子ちゃんが不良になっちゃう。もっと親子の会話の時間を持たないと》
 不良と言う意味では既に手後れだと言うことを、真砂子は知らない。真砂子は手帳をめくって今後の予定を確認した‥5ヶ月先まで一杯。
《このままじゃいけない》
 山野辺真砂子は携帯電話を取り出すと、日本でのスケジュール担当秘書を呼び出した。
「ねぇ、半日でいいから娘と話す時間が欲しいの。時間を都合してくれない?」
「無理です! 今日の南米での会合をキャンセルしただけでも後始末が大変なんですよ。このうえ日本で半日も割くなんて無理です。お嬢さんのことなら誰かに頼んで‥」
 真砂子は乱暴に携帯を切った。あの秘書は有能だけど、母親の気持ちがまるで分かってない。雇い主のために時間を作るのも仕事のうちでしょうが‥そうぼやいているうち、携帯電話が再び鳴った。
「もしもし?」
「社長! 大変なことになりました」
 三船和津絵の声だった。
「A国でクーデターですって!」
「ええっ?!」
「まだ未確認ですけれど、王室は軍部に制圧されたそうで‥どうしましょう。再来週の会合、確かA国の王子様との商談でございましたわね?」
「‥とにかく確かな情報を集めてちょうだい。もしそれが事実なら、商談は中止よ。残念だけど仕方ないでしょう」
 ‥電話の後。山野辺真砂子は再び手帳を開き、再来週の会合の日程を確認した。再来週の予定は、A国への移動と会合で埋まっていた。さっきの情報が本当なら、1週間を要する予定だった超重要会合がつぶれてしまうことになる。社運を賭けたこの商談が流れてしまうのは、あまりにも痛い。
 しかし‥。
《‥もしそうなれば、翔子ちゃんたちが別荘に行ってる間、私と和津絵はフリーになるわね‥》
 こんな事態にもかかわらず、山野辺真砂子はかすかにほくそ笑んだ。ヘリコプターに同乗していた社員たちは、それを女社長の豪胆さと勘違いして胸をなで下ろした。

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次回予告:

「やれやれ、やっと俺の出番か‥4ヶ月も出番が無いもんだから、自分が主人公だってのを忘れかけたぜ」
「そのまま忘れてても一向に構いませんよ。シャオさんは私が幸せにしますから」
「げっ宮内出雲! なんでだ、なんで俺とお前が一緒に予告読みをやるんだ?」
「それに関しては私も不満が有りますがね。大家さんが言うには、次回から始まる別荘編では必ずしも翔子さん視点じゃないそうで‥太助くんと私にも、主役級の出番が回ってくるそうですよ」
「やっと前置きが終わったってところかな。さぁて次回からはいよいよ山野辺の別荘が舞台だ。山野辺はシャオの味方だから、あいつが主催するんなら俺とシャオの仲も少しは‥」
「何を言ってるんですか。何のために4ヶ月も掛けて前置きを書いてたと思ってるんです? 太助くんは別の誰かさんとくっつけばよろしいでしょう?」
「だ‥誰かさんって、誰だよ?」
「さぁて‥ま、私は漁夫の利を狙うとしますかね。あの二人が居る限り、シャオさんは必然的に溢れてくるわけですし‥」
「あの二人って誰だ? おい、いつものメンバーの他に誰か来るのか、出雲?」
「ふふふ・・・(ふぁさっ)」

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