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「いぶの夜」

初出 1998年12月25日/最終更新 1998年12月27日
written by 双剣士 (WebSite)
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第4幕・ゆるして慶幸日天

 愛原花織は、七梨太助の家を見上げていた。
 一見、何の変化も無い‥見慣れた、七梨先輩のおうち。
 白い壁に囲まれた2階建ての一軒家。玄関の真上にベランダが有って、そこの窓を開ければ七梨先輩の部屋。
 明かりが点ったその部屋に、七梨先輩が居る。さっき一瞬だけだけど、中に人がいたのが見えた。
 七梨先輩がそこに居る。
 七梨先輩が、あたしが来るのを待ってる。
 七梨先輩、いま行きますからねっ!

                 **

 花織は立ちあがってお尻に付いた泥をはたくと、目の前にそびえたつ一軒家を睨み付けた。
 いつもだったら、「こんばんわぁ〜」とチャイムを鳴らせば済む。そうすれば七梨先輩かシャオ先輩が出てきて、笑顔で玄関の扉を開けてくれる。
(こんばんは、おそくなってすみませんでした)
(やぁ愛原、良く来てくれたな。遅いから心配してたんだぜ)
(ごめんなさい‥)
(いいんだよ、さぁみんなが待ってるぜ)
 そういって手を差し出してくれる七梨先輩。あたしはその手に‥七梨先輩の手につかまって、あとを着いていけばいい。
 いつもだったら‥。
 ばたっ。
 びくっ。
 我に返った花織が眼の焦点を合わせると、さっきまで閉じていたはずの七梨家の玄関の扉が開き、ぎいいぃっと耳障りな音を立てて揺れていた。
「‥‥」
 扉が開いた以上、誰かが居る。声を掛けるか、玄関に入るかすれば反応が来るはず。ここは来慣れた七梨先輩の家。今夜はパーティ。なんにも遠慮することなんかない。
 それなのに、咽喉が震えて声が出ない。足が竦んで動かない。
 どうして?
 理性とは別の何かが、花織の身体を縛っていた。いや‥ついさっきまでの戦いで目覚めた花織の勘が、踏み出すことの愚を彼女に知らせていた。
 七梨先輩の家に居る精霊は3人。いずれ劣らぬ魔女揃い。
 塀を守るシャオ先輩は、あたしと野村先輩に星神を容赦無く放ってきた。どさくさに紛れてこうして玄関前まで入れたけれど、ほかの二人が自分を温かく迎えてくれるとは思えない。ううん、それどころか‥。
 あんなに優しかったシャオ先輩ですらあの豹変ぶりだもの。何を考えてるか分からないキリュウさんや、普段から敵対関係にあるルーアン先生が、おそらく家の中にいる。あの二人のことだから‥本性をむき出しにして襲い掛かってくるのは火を見るより明らか。
 しかも‥扉が内側から開かれた。あたしが玄関前に居るのを知っているかのように。
 行っちゃいけない。
 でも、逃げ出すなんてできない。あそこに七梨先輩が居るのに。
 立ちすくむ花織の前で、扉の揺れが次第に止まっていった。そして玄関から漏れる明かりを背に、縦長の影がおぼろげに浮かんできた。
「‥‥‥」
 人型だった。身長はそんなに高くない。花織とそんなに変わらない。少なくとも、ルーアン先生の影じゃない。
 一瞬安堵した花織であったが、しだいに逆光に眼が慣れてきて人型が見えてくるにつれて‥唇が凍り付き、手ががくがくと震え出した。
 その影は‥その人型は、何かに濡れてテカテカと光っていた。丸い眼鏡とその奥の虚ろな瞳‥濡れて頭にへばり付いた髪‥ボロボロに破れた服‥あちこちが黄色に染まった身体と脚‥ときどきよろけて身体を揺らしながら、でも着実にこちらに近づいてくる。腕をだらんと垂らし、ゆっくりと頭を左右に振りながら、一歩一歩あるいてくる。
「‥‥‥‥‥‥」
 あれは、あれは‥昔ホラー映画で見たことある、墓場から起き上がってくる‥あれに、あれに、そっくり‥。
 金縛りに会ったかのように立ちすくむ花織に向かって、その人影は歩いてきた。人影が歩いた後には、ずるっずるっと言う音と、テカテカ光る液体が広がっていた。その人影は花織から2メートルくらいのところまで近づいてきて‥。
 そして。
 そ‥そして、右手を花織に向けて伸ばし、花織の良く知っている人の声でつぶやいた。
「か‥花織‥ちゃん‥」
「ひ‥ひやぁぁーーー!」
 その一言が、花織の金縛りを解き放った。花織はひきつった顔で奇声を上げると、目の前の人型‥遠藤乎一郎の姿をしたゾンビから飛び離れ、鳥居に向かって突進した。そして‥あの、眼に見えない壁に向かって手を伸ばした。

                 **

 天陰に蹂躪され、七梨家の塀の外にうち捨てられていた野村たかしが意識を取り戻したのはそのときだった。
 たかしは顔をねじり、鳥居の方向に眼を向けた。
 すると鳥居の間の幻の壁から、小さな白い手が2本、生えてきた。
 そして何かを掴もうとばたばたとしてから‥地面に向かって急落下。そして再び、鳥居の向こうへと吸い込まれていった。その手は吸い込まれまいと必死で地面に爪を立てようとしていたようだが、地面に浅い溝を掘っただけで報われることなく、肘、手首、そして指先の順に鳥居の中に消えていった。
 その一部始終を見届けた野村たかしの体内に火がともった。彼は傷を感じさせぬ素早さで直立すると、くるっと回れ右して、クリスマスイブで賑わう街へと‥いや、七梨家から遠ざかる方向へと去っていった。

                 **

「花織ちゃぁん、来てくれたんだねぇ。ほらぁ、中においでよ‥」
「ひぃっ!‥あ、あ、あ、脚に、脚にしがみつかないでぇ!」
 花織は半狂乱になりながら、脚にしがみついて引きずり込もうとするゾンビを振り払おうとした。空いた脚がゾンビの顔に当たり、丸縁の眼鏡がはじけ飛ぶ。それでもゾンビの力は一向に緩まない。
 華奢な花織の身体はずるっ、ずるっと玄関に向かって引っ張り込まれていく。さっきまでとは心境が一変していた。今の花織にとって、七梨家の玄関は魔界への入り口以外の何者でもなかった。燃え盛る乙女心は、生理的嫌悪感と恐怖の前にすっかり沈黙してしまっていた。
「花織ちゃぁん、仲間になろーよぉ‥」
「ひっ、ひぃっ、ひゃっ、いやあぁぁっ!」
「‥ああっ、もうっ、うるさいっ! 陽天心召来っ!」
 甲高い女性の声。それとともに玄関から黄色くて大きな布が飛び出して、花織の身体に向かってきた。そして‥まるで意志が有るかのように‥花織の両手と胴体を簀巻きにすると、余った部分がテニスボール大に固まり、花織の口に飛び込んだ。
「‥んーっ!‥んーっ!‥」
 身体の動きをカーテンに封じられ、口も塞がれ、両足を乎一郎に押え込まれ‥絶体絶命の花織。唯一自由になる首をちぎれんばかりに振ることが、彼女にできる唯一の抵抗だった。
 花織の眼は血走り、頭の中は恐怖一色に染め上げられた。狂乱と言う言葉が形容詞でなく事実と化すまでに、それほど時間は掛からない‥そんなヒロインの危機を救ったのは、簀巻きにされた身体を抱え込んでくれたある女性の登場であった。
「ようこそ、愛原さん‥ちょっと遠藤君、もういいわよ離してあげなさい。怖がってるじゃないの」
「‥はーい、ルーアン先生」
 そう、この女性こそがルーアン先生。花織やたかしや乎一郎が通う中学校の教師であり、その正体は主に幸せを与えるという太陽の精霊・慶幸日天である。こちらもシャオリンと同様に七梨太助と同居していて、太助を「たー様」と呼びずっと彼の傍にくっつきまくっている。豊満なボディで場所柄もわきまえず太助にアタックし、あまりのしつこさに太助が逃げ回っているほどの熱情家。中学校教師の籍に就いているのも太助のそばに居る時間を増やすためであり、当然ながら彼女の授業は太助以外の生徒を完全に無視したものとなる。
 太助の彼女を自任(?)する花織から見れば、ひたすら鬱陶しい存在である。シャオリンと違って太助の心を握っているわけではないが、とにかく隙あらば太助と二人きりになって「大人の魅力」を振りまこうとするので、花織と衝突したことも一再ではない。ただし彼女にもわずかな良識は有るようで、花織に対して直接攻撃に出たり太助の意志に反して既成事実を作ったりといったシャレにならない行動だけは控えてきた。
 そう、昨日までは。
 花織は口を封じられたままで、ルーアン先生の顔を見上げた。その眼には恋のライバルに対する対抗心は微塵も無く‥ただただ恐怖と不安の色だけが映っていた。今の花織はまな板の上の鯉‥生かすも殺すも、ルーアン先生の意志次第。物に命を吹き込み自在に操る能力を持つ太陽の精霊に対し、今の花織は抵抗はおろか逃げることすらできない。
「ふふふふふ、おびえちゃって‥かわいいっ」
「‥‥」
 この状況が楽しくてたまらないとばかりに微笑むルーアン先生と、その対極にある精神状態の愛原花織。花織の心中は恐怖で凍り付いていた。逃げることも助けを呼ぶことも今の花織には思い浮かばなかった。
 だから、ルーアンのこの言葉も最初は花織の頭でただ空しく反響するばかりであった。
「ねぇ愛原さん、あたしと、組まない?」

                 **

 花織を落ち着かせて‥正確には、乎一郎が持ってきたコップの水を花織の顔にぶっ掛けただけだが‥ルーアン先生は説明を始めた。
「だいたいたー様が急に部屋に閉じこもるなんて言い出すからいけないのよキリュウのやつときたら嬉しそうに部屋の前で見張ってるしあたし何が何だか全然わかんないシャオリンや離珠には言えてあたしには言えないってのたー様そんで部屋追い出されたら次から次へとお客さんが来てたー様に会わせろって言うからシャオリンに追っ払ってもらってたー様に誉めてもらおうと思ったらあの根暗娘あたしにまで通さないなんて言い出すもんだから冗談じゃないわよって上がっていこうとするとキリュウのやつあんなものまで巨大化しちゃっていくらあたしでもゲロゲロって感じなもんだから外から行こうとすると今度はシャオリンが邪魔するし仕方ないからあたしが通れるようにしてもらおうと思って遠藤君に来てもらったんだけど全然うまく行かなくって愛原さんにも協力してもらいたい訳わかったねぇどぉ?」
「????」
 花織は首を横に振る。もっとも簀巻きにされ口に布を突っ込まれたままの状態ではそれ以外のリアクションの取りようが無いのだが。
「ルーアン先生、早口すぎますよぉ。花織ちゃん、ぼくから説明するね」
と乎一郎。コップの水を汲む時に顔を洗ったらしくゾンビ顔が乞食顔にまで回復してきていた。ちなみにこの遠藤乎一郎は七梨太助と野村たかしの親友であり、ルーアン先生の親衛隊を自任するお姉様キラーの童顔中学生である。まぁ今の彼を見たら百年の恋も醒めるだろうが‥。
「えっとね、何だか理由は良く分からないけど、太助君が2階の部屋に閉じこもってて、その部屋に誰も近づけないように、入り口から階段までの間にキリュウさんがトラップを張ったみたいなんだ。それも最初のうちは丸い石とか包丁とかが出てきたり階段が伸びたりする程度だったらしいんだけど、いつのまにか巨大クモは居るわ、巨大ゴキブリは居るわ、大蛇は居るわでエスカレートしてきて‥さすがのルーアン先生もさじを投げたんだって」
「ちょっと遠藤君、あたしに怖いものなんか無くてよ。ただ気持ち悪くて近づきたくないだけなんだから、誤解しないでちょうだい」
「ご、ごめんなさいルーアン先生‥それでね花織ちゃん。男の子ならそういうのに耐性あるだろうって思って、ぼくを呼んでくれたんだよ。ルーアン先生が困っている時にお手伝いできるなんて、ぼく感激でさぁ。すぐに引き受けて、さっきから7回ほど挑戦してるんだけど‥さすがキリュウさんだね、まだ1回も通してもらってない」
「‥‥‥‥?」
「ああ、この格好? クモの巣をかいくぐって、蟻の酸を浴びて、ゴキブリにボディプレスを食らって、大蛇に締め付けられて‥てなことを何回か繰り返してるうちにこうなったんだ。ごめんよ驚かせて」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
「でもよかったよ、花織ちゃんが来てくれて。本当言うと、ぼく一人じゃ無理なのかなぁって思ってたところなんだ。二人でルーアン先生のために力を合わせれば、きっと突破できるよ」
「‥‥(ぶんぶんぶんぶん、と首を横に振る)‥‥」
「先生うれしいわ、愛原さん。あたしとたー様のために、身を粉にして働いてくれる教え子が二人も居るなんて‥」
「もう大丈夫ですよルーアン先生。ぼくたち二人で、きっと道を切り開いてみせますから」
「待っててたー様、ルーアンが助けに行って差し上げてよ‥」
「ルーアン先生!」
 瞳に星を浮かべて悦に浸るルーアン先生めがけて、感極まって飛びつく乎一郎。しかしルーアン先生は直前でさっと身を躱し、乎一郎は花織の身体を飛び越えて地面に頭から突っ込んだ。
「や、やぁねぇ遠藤君。あたしの身体はたー様のものよ。ゴキブリの粘液なんかが着いたら、たー様が嫌がるじゃないの」
「そ、そうだったね、はははは‥」
 打たれ強い乎一郎。見てて哀れになってくる‥とまぁ美しい師弟愛が繰り広げられている時に、われらがヒロインの花織ちゃんはと言うと‥。
「‥‥んーっ(ぶんぶんぶんぶん)、んーっ(ぶんぶんぶんぶん)‥‥」
 ‥全身をつかって嫌々をしていた。
「さ、愛原さん、同志の誓いを交わしましょう」
「えいえいおー、って言うんだよ花織ちゃん。さぁ‥」
 そう言って口からカーテンを抜き出した途端、花織の口から絶叫がほとばしった。
「いやいやいや、ぜぇったい、いやあぁぁぁ!」
「‥おかしなこと言うのね愛原さん。たー様を救い出すために協力しようって言ってるのよ。たー様のことが心配じゃないの?」
「‥うぅっ‥で、でもでも、そんな、ヘビだのゴキブリだのクモだのの居るところに飛び込んでいけなんて、あんまりです! あたし、そんなとこ、ぜぇったいに行きません!」
 ‥うんうん、気持ちは分かるぞ花織ちゃん。やっぱり乙女は怖がりでなくっちゃね。
「そんなこといったって、しょうがないよ花織ちゃん。気持ちは分かるけどさぁ‥」
 本当にわかっとるのか乎一郎?
「そんな、だいたい、ルーアン先生が行けばいいじゃないですか。ルーアン先生はキリュウさんと同じ精霊なんでしょう。どーしてあたしや遠藤先輩を楯にしようとするんです?」
「あら、だってぇ‥たー様に会う時は、綺麗綺麗な姿で、思いっきり抱き付いてあげたいもの‥」
 くねくねと品を作るルーアン先生。そして懐からコンパクトを取り出すと、じっくりと中の鏡に見とれ始めた。
「あぁ‥凛々しいたー様‥頑張ってらっしゃるのね。お待ちになってて、今あたしが幸せにしてあげてよ‥」
「‥そのコンパクトは!」
 そう、ルーアン先生のコンパクトは、別の場所の様子を映し出すことができるのだ。
「見せて、見せてぇっ! ルーアン先生、七梨先輩が見えるんでしょぉっ! お願いっ! あたしにも、見せてぇっ!」
「‥そ・お・ねぇ‥愛原さんがあたしに協力してくれるってんなら、ちょおっとだけ見せてあげてもいいけど‥?」
 魔女の微笑と言うのは、まさに今のルーアン先生にふさわしい言葉である。飴と鞭の連続攻撃に、花織ちゃんのプライドは崩壊寸前。
 このまま堕ちてしまうのかぁっ?
 だめだぁっ花織ちゃん、ルーアン先生の走狗と化した花織ちゃんなんて見たくないっ! 耐えろぉっ、堪えるんだぁっ!
「‥何か言った、遠藤君?」
「いいえ、ぼくは何にも」
 ‥地獄耳ルーアンめ。筆者の絶叫が聞こえるとは、侮りがたし。
「‥でも、嫌です。ヘビの居るところに飛び込むなんて‥」
 お、偉いぞ花織ちゃん。
「‥だいたい、なんでわざわざ、キリュウさんが仕掛けた罠に飛び込まなきゃいけないんです?」
「たー様がそこに居るからよ。決まってるじゃない」
「他にも行き方は有るじゃないですか。さっきベランダから覗いたら、七梨先輩の影が見えましたよ。なにも家の中を通らなくても、あっちから行けばいいじゃないですかぁ」
「でも、窓から行こうとしたらシャオリンが‥あ、そういえば愛原さん、さっき軒轅に乗って飛んでたわね。シャオリンはどうしたの?」
 失敗に気づいた花織が蒼ざめるのと対照的に、ルーアン先生はにやりと笑みを浮かべた。
「そおかぁ‥シャオリンは居ないのねぇ‥じゃあ、遠慮することないわね。陽天心召来っ!」
 ルーアン先生のかざした黒天筒から光が放たれる。それとともに、命を吹き込まれた七梨家の家具が玄関からぞろぞろと歩いて出てきた。そして太助の部屋のベランダの前にどんどん積みあがっていく。花織が唖然としている間に家具たちはルーアン先生を乗せた下駄箱を頂点として、4メートルの高さにまで積みあがった。
「ほーっほっほっほっほっほっ。愛原さん、いいこと教えてくれてありがと。あなたの分まで、あたしがたー様を幸せにしてあげるからねっ」
「すごいや、ルーアン先生」
「‥ず、ずる〜い‥ルーアン先生卑怯ですぅ!‥はやく、このカーテンをほどいてぇっ!」
 歓喜の声を上げる乎一郎と、陽天心カーテンに巻かれたまま蓑虫のようにのた打ち回る花織を尻目に、ルーアン先生は潤む瞳で窓越しのカーテンに映る太助の影を見つめた。

                 **

 愛する人が、そこに居る。待ってて、今行くわ!
 ルーアン先生は胸で両手を組んで幸せを噛み締めると、ゆっくりとベランダの手すりに手を伸ばした。そして指先が手すりに触れた途端。
 ひゅ〜〜っ。ごすっ。
 反射的に手を引いたルーアン先生の視界に、包丁が‥刃渡り1メートルはあろうかと言う巨大な出刃包丁が、手すりに突き立っている姿が映った。ちょうど彼女の手が触れていた個所を狙って。
「‥キリュウっ!」
 その言葉が合図であるかのように、天から巨大包丁が降り注ぎ始めた。急いで陽天心家具を動かし身を守るルーアン先生‥だが、キリュウの目標はルーアン先生ではなかった。
 刃渡り1メートルの包丁が、次々と洋服箪笥やテーブルやソファーに突き刺さる。命を持った家具たちが悲鳴を上げる。家具たちの絶叫と、秩序の崩壊‥そう、4メートルまで積み上げた家具の城があっという間に崩れ始めたのだ。
「ルーアン先生っ!」
 ‥そう、そこから先は、花織の眼には全てがスローモーションのように映った。
 家具の城から投げ出されるルーアン先生。
 それを受け止めるべく、駆け出す乎一郎。
 背中から、庭の植え込みへと落ちていくルーアン先生。
 それを受け止めようと、落下点で立ち止まって両手を差し出す乎一郎。
 乎一郎の腕の中へと、背中から飛び込んでいくルーアン先生。
 そして。
 崩れた化粧机が、乎一郎の膝の裏に衝突。
 後ろへよろける乎一郎。
 ルーアン先生の腰を背後から抱え込んだまま、後ろへ倒れる乎一郎。
 ルーアン先生は後頭部から落下する形になり‥。
 そして。
 化粧机の角に、ルーアン先生の後頭部が激突。
 化粧机の足に、乎一郎の後頭部が激突。
 そして。
 どどーんという音が静まった後、七梨家の庭で動いているものは、誰も居なかった‥。

                 **

「ルーアン先生‥遠藤先輩‥」
 花織がつんつんとほっぺたをつつくが、二人とも失神したまま目を覚まさない(よく失神するだけで済んだものだが‥)。
 とにかく、ルーアン先生は倒れ伏してしまった。それとともに陽天心カーテンの呪縛が解け、花織は自由を取り戻した。
 自由になった花織は、真っ先に二人の様子を見に駆け出した(いい娘だ‥)。そして気を失っているだけだと分かると、顔を上げて太助の部屋を見上げた。
 一見して隙がありそうに見えるところが、実はもっとも防御が固い。
 万難地天キリュウの意志を、花織はまざまざと感じ取った。やはり家の中から上がっていくしかないのか‥でも、行きたくないなぁ‥。
 珍しく逡巡する花織。
 そこへ、新たな登場人物の声が掛かった。
「おーい、愛原ぁ。どうなってんだ、これぇ」
「‥! 山野辺先輩!」
 たかしやシャオリンの同級生、山野辺翔子が鳥居を平然とくぐって姿をあらわした。胸にはお気に入りの瓠瓜をしっかり抱いている。まだ泡を吹いたままだが。
 その翔子と瓠瓜を見て、花織はふと思い出した。
「そういえば、シャオ先輩‥どこまで吹き飛ばされたんだろう‥」

                 **

 ここで場面は街中へと変わる。
 クリスマスイブで賑わう街の繁華街を、オープンカーで優雅に流す青年の姿があった。
 彼の名は宮内出雲。宮内神社の神主と言う立場でありながら、クリスマスの夜に女性を隣に乗せて「大人の交際場」へと車を走らせる不埒な二十歳の青年である。
 ちなみにいま隣に乗せている彼女は、今夜4人目の獲物だったりする。
「ふっ‥これも人助けの一環ですね。ぼくは聖なる夜に女性の夢をかなえるため、生まれ持ったこの美貌を提供しているだけなんですから‥」
 罰当たり野郎めが。羨ましいぞ(涙)。
「ねぇっ、あの人だかり、何かしら?」
 彼女No.4に言われて車を止める出雲。街の路上に、確かに人だかりができている。車を降りて覗き込んだ出雲は、素っ頓狂な声を上げた。
「シャオさん?」
 道端に倒れて蒼い顔をしているのは、出雲がいつか必ず陥とすと誓った女子中学生、守護月天シャオリンである。辛そうな息を吐く彼女を、取り巻きの連中がぎらぎらした眼で見つめている。
「か、可愛い子だなぁ、おい」
「大丈夫かい、介抱してやろうかぁ」
「静かなとこへ、連れてってやるぜぇ」
「だーっ、どけぇ貴様らぁ!」
 こんなところにシャオリンを放っておけない。
「すみません知り合いの娘なんです。ちょっとお酒を飲ませたらフラっと出歩いちゃって‥ほら、ぼくにつかまって‥」
 ルーアンの陽天心に飛ばされてここに落ちたとは知る由も無い。出雲はシャオリンを抱きかかえて人込みの中から脱出し、自分の車に戻って‥彼女No.4のことを思い出した。
「誰? その娘‥」
 怪訝な表情を浮かべる彼女No.4。
「あ、いやその、親戚の、そう従妹なんですよ、ぼくの。クリスマスではしゃぎすぎたんですかねぇ、具合が悪そうにして、そこに倒れてたんですよ」
「親戚の子ぉ〜?」
 疑われるのも無理もない。顔つきも髪の色も日本人離れした美少女を抱いて戻ってきたのだから。いかにも迷惑そうに、彼女No.4は言い放った。
「ご両親が近くに居るんじゃないの?」
「い、いやいや、ここに置いておく訳には‥そ、そうだ、ぼくこれから、この娘を叔父さんの家に連れて帰らなきゃ。そうだそうだ、こんな寒い夜に放っておく訳にはいきませんね。というわけで、あなた、ここで降りてください」
「えっ? ち、ちょっとちょっと、何よそれぇ〜」
「もはや熱い夜を過ごすどころじゃないんですよ。あなただって、一緒に来て私の叔父夫婦と顔を合わせるつもりはないでしょう? さあ、降りて降りて」
 追い出すように彼女No.4を助手席から降ろし、出雲は車をスタートさせた。荒い息をするシャオリンに上着を掛けてやってから、車を歓楽街へ‥今夜別の女性と入るつもりだったホテルへと向けた。
「シャオさん、可哀相に‥ぼくが介抱してあげますからね」

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次回予告:

 筆者一押しの美少女、翔子ちゃんの協力を得た花織ちゃん。
 いよいよ最後の精霊に戦いを挑む時が来た。
 なんでも巨大化できるキリュウを前に、怖がりの乙女の取る策は?
 花織ちゃん無敵モードの復活はあるのか?
 そして、宮内出雲ついに少年誌のタブーを破るか?
 ああっ、原作コミックファンには辛すぎる展開が‥いま?
 次回、第5幕「とおして万難地天」
「‥‥(離珠、まだ登場してないでしーっ!)‥‥」

12月27日加筆:
 数箇所の語句を修正。

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