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気になるあの娘と、晴れた日に

初出 2004年06月14日
written by 双剣士 (WebSite)
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草サッカー編8

「ボール止めるのって気持ちいいですっ。なんだかユウスケさんに言われたとおりにするのが快感になってきそうですっ。ああっ、イケナイ気分になってきました。ユウスケさんはおねぇちゃんのものなのに、風子、ユウスケさんを好きになっちゃうかもしれないですっ! そこの人、大好きなおねぇちゃんとの仲にヒビが入るときの辛い気持ち、分かりますよね?」
「……と、とりあえず……」
「わかってくれるんですかっ! そうですよね、辛いですよね、これっていけないことですよね……でも風子の人生は1回しかないし、ユウスケさんを2つに分けることもできないし……そうです、風子がこんなに苦しむのもユウスケさんのせいです。悪いのはみんなユウスケさんです、エッチですっ」


 ……意味不明な妄想と罵声を漏らしながら身悶えするゴールキーパーのことは無視して、ボールは祐介→朋也→智代→芽衣→杏と順調に前線まで運ばれていった。芽衣ちゃんに回すんだったら智代にパスした意味無いじゃん、と喉元まで出かけた朋也ではあったが、バックパスされるよりはましなので何も言わなかった。
「さぁて、今度はどうしてやろうかしら……」
 ボールをキープしながら敵陣を見渡す杏。彼女にタックルを仕掛けてくる相手は極端に減ったが、その代わりゴール前は隙間無く固められているような感じで狙い場所に困る。点数でリードしているサッカー部は守備を犠牲にして攻撃陣を厚くする必要がないので、守備固めに専念することが出来るのである。
 通常なら横への揺さぶりやミドルシュートで体勢を崩すのが定石。杏もさっきから何度か試みているのだが、いかんせん思った方向に行かない彼女のパス精度では堅陣に傷を付けることすら出来ずにいたのだった。
「こらーっ、藤林杏、僕を無視するなっ! ここに上げろ、華麗なボンバヘッを決めてやるから!」
《あーもう、芽衣ちゃんでも坂上さんでもいいから早く上がってきてよっ》
 悔しいが秋生の指示は正しいと言わざるを得ない。藤林杏の役割はフォワードとして点を取ることではなく、前線でボールをキープしながら中盤の人たちの上がりを待つことなのだった。どうしても中盤が薄くなりがちな古河ベイカーズにとって、こういう時間を稼げる選手の存在はきわめて貴重だと言うのが秋生の主張であり、そのことは杏だって納得したつもりだった。
 ……だが実際に前線でボールを持ってみると『待つ女』に徹してはいられない。それもまた藤林杏の個性ではあるわけだが。
《打ちたい打ちたい打ちたい打ちたい打ちたい打ちたい打ちたい打ちたい打ちたいっ!!!!》
「こらぁ何してる、僕に回せば勝てるんだ、早くしろぉっ!」
「えぇえぇぇーーいっ!」
 我慢しきれなくなった杏は、ゴールに向かって大きく振りかぶった。ヘタレ陽平にボールを渡すという選択肢は最初から彼女には存在しない。不甲斐ない自分が、やかましいばかりの陽平が、ひたすら腹に据えかねる。不満とイライラと燃えあがる怒りを右脚に込めて、力の限りにゴールに向かって振り抜く。
 ぶぉん!……ピピーッ。
「ゴールキック!」
「この下手くそ、どこへ蹴ってるんだ、僕が呼んでるのが聞こえないのか!」
 杏の蹴ったボールは狙いとは90度離れて、誰もいないゴールラインを転々と超えていった。ボールに込めたつもりだったイライラは相手選手にかすることすらなく、即座に藤林杏の胸に引き戻されてきた。そこへ陽平の罵声が追い打ちをかける。
「このヘタレ! 役に立たない凶暴女! チャンス潰し、歩く不良債権!」
「……なんですって……」
 悲惨な結果にうなだれていた杏はゆらりと立ち上がった。後半が始まって以来実に初めて、藤林杏は陽平の方をまともに見た。つきあいの長い陽平はデンジャラスな空気を感じて、思わず後ずさる。こういう場合は次の瞬間に、英和辞典や金属製のペンケースが飛んでくるもの……だが杏から投げかけられたのは、頼もしいような怖いような、何とも不気味な一言であった。
「……い、いいわよ……そこまでいうんなら、やってやろうじゃない……」

                 **

 その後。美佐枝の背後を通されるオフサイドぎりぎりのパスによって1点を失った古河ベイカーズは、センターサークルから攻撃を再開することになった。ボールを芽衣の方に軽く蹴り出した陽平は、まっしぐらに敵陣にダッシュしながら背後に向かって声を掛けた。
「いいか、勝ちたきゃ僕に合わせるんだぞ! 僕が本気を出せば、4点差なんてすぐだからねっ」
「……わかってるわよ……」
「お、お姉さん、なんか怖い……」
 いつもなら冷ややかに無視するはずの陽平の言葉に応える藤林杏。芽衣はその後ろ姿を見て背筋を凍らせた。見てはいけない幽鬼が兄を追って前方に駆け込んでいく。できればあの人には回したくない……彼女らしくもない弱気に小さな胸を揺さぶられた芽衣は、規格外パワーではあるが常識人には違いない年上の少女にパスを回した。
「はい、坂上さんっ!」
「よし、そらっ……はは、私もうまくなったな。ちゃんと返せるようになったぞ」
 送られてきたパスをそのまま送り返して、智代はご満悦。だが別の誰かに前線に運んでもらいたかった春原芽衣は、結局自分がやるしかないのかと深く溜め息をついた。もっともそれも一瞬のことで、きりっと前を向いてドリブルを始める。春原陽平の妹として生を受けて以来、期待通りに行かないことは慣れっこであったから。
「頑張って、なの」
 反対サイドからことみのエールが届く。前進を始めた芽衣に襲いかかろうとしたサッカー部の選手たちは、その声を聞いてあわてて脚を止めた。うっかりファールでもしようものなら、せっかく入れた追加点がふいになる……そんな思いが選手たちの脚を縛る。サッカー部に移りかけたゲームの流れを引き戻した意味で、ことみのエールは効果絶大といえるだろう。
「芽衣〜、こっちだ、僕にパスをくれ〜っ」
「こっちに渡しなさい、でないと鼻の穴から脳味噌つかんで握りつぶす!」
「ひ、ひいぃっ!」
 選択というより脅迫によって、芽衣のボールは藤林杏のもとに送られた。杏は持ち前のフットワークで相手選手たちをかわしながら敵陣深くに侵攻し、ぎろりとゴール前の陽平をにらみつけた。目が血走っているのが陽平にも分かる。自分で言い出しておきながら春原陽平は狼狽した。僕はひょっとして、虎の尾を踏んじゃったんじゃないだろうか……。
「行くわよっ、陽平!」
「ち、ちょっと待て、心の準備が……」
 力強くセンタリングを放つ杏。陽平はゴール前で競り合うどころではなく、頭を抱えて後方に逃げ出そうとした……ところが狙い通りに行かないはずの杏のキックは、寸分違わずに逃げ腰の陽平に向かってすっ飛んでいった。そして陽平の尻に激突した!
「ぶはっ!」
「あ、あれっ?」
 中腰になったところで尻に強い衝撃を受け、受け身も取れずにピッチの砂をかむ春原陽平。そんな彼のもとに、芽衣とことみが駆け寄ってきた。僕を助けに来るなんて珍しい、と陽平がぼんやり思っていると、芽衣は嬉しそうな顔をしながら兄の自分に抱きついてきた。
「やったやった、おにいちゃん、ゴールだよっ」
「……マジ?」
「綺麗じゃないけど、ゴールはゴールなの。ナイス・ヒップなの」
 振り返った敵陣ゴールには、確かにボールが入っていた。尻でボールの軌道を変えてもむろん反則にはならない。待ちに待った初ゴールに陽平は狂喜し、ガッツポーズをしながら自陣に駆け戻って殴る蹴るの手荒い歓迎を受けた。そんななか、歓迎に参加しない武闘派の2人が、期せずして同じつぶやきを漏らした。
「そうか、陽平を狙えば……」
「春原を狙えば、ちゃんと当たるのか……」
 杏と智代であった。

+----------+ ____________| | |____________ | | | _杏 | | | | | __--^^ | | | | 陽平^^ | | | +------------------------+ | | 芽衣 | | ことみ | |-------智代-----------------------| | | | 朋也 | | | | +------------------------+ | | | 美佐枝 渚 椋 祐介 | | | | | | |____|_______ 風子 _______|____| | | +----------+ 後半12分 古河 鬼畜 ベイカーズ VS サッカー部 4 − 7 1分 秋生 2分 部員A 11分 ことみ 7分 部員B(PK) 24分 ことみ(FK) 12分 部員C 32分 陽平as杏 14分 部員B 17分 部員C 19分 部員D 30分 部員A as○○は、アシスト者の名

                 **

 ……ここから先の春原陽平の活躍については、詳述する必要もないであろう。
 彼は前線の標的として、杏・智代・ことみ・芽衣からの集中砲火を浴びることになった。あれほどコントロールに苦しんでいた杏と智代の放つボールは1本残らず陽平の顔面や鳩尾に命中し、非力さが弱点となっていたことみと芽衣のキックも轟音をあげて陽平の背中や後頭部に吸い込まれていった。陽平は派手に吹き飛ばされながらもボールの軌道を予想外の方向に変え続け、11本のうち3本を相手ゴールに突き刺すことに成功した。そしてゴールをあげる度に陽平はチームみんなからの祝福とおだてを受け、ボロボロの身体を引きずって最前線へと送り出されていくのであった。


 そして終了まで2分を残すところで、点差はついに1点にまで縮まっていた。


筆者コメント
 皆から祝福と励ましを受け続ける春原陽平……うるわしい光景ですなぁ、それと便座カバー。


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