CLANNAD SideStory
気になるあの娘と、晴れた日に
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「お待たせ〜♥」
土曜日の昼下がり。私服に着替えた杏が自分の方に駆けてくるのを、交差点に呼び出された岡崎朋也は複雑な表情で迎えた。軽快そうなパーカーと短いスカートを身にまとい、嬉しそうに手を振りながら笑顔でこっちに向かってくる藤林杏。周りの人から見れば、恋人とのデートに息を弾ませる女の子そのものとしか映るまい。彼女の凶暴な本性を知る朋也の目から見ても、今の彼女が周囲を振り向かせるだけの輝きを持っていることは認めざるを得なかった。
《アレが子犬とかだったら絵になるんだろうが……イノシシじゃ、なぁ》
そんな杏の足下を懸命に追いかけてくる彼女のペットを見ながら、朋也は小さく溜め息をついた。杏が飼っているウリボウ、ボタン。因果なことに、これから朋也が付き合う相手はそのペットの方なのだ。心弾ませる気分になれないのも無理からぬことだろう。
「はぁ、はぁ……ごめん、遅くなって。待った?」
「あぁ、待たされ過ぎて脚が痛くなった。今日はもうどこへも行けそうにないな〜」
「……あのさ、『ううん、いま来たとこ♪』とかいって愛想よく振る舞う気はないわけ?」
「なんでペットの散歩ごときで、そこまでベタベタな展開を期待されにゃならんのだ。デートじゃ有るまいし」
「デートって……そ、そうよね。たかが散歩だもんね」
ぶっきらぼうにも取れる朋也の返答にも、たいして気分を害した様子のない藤林杏。2人の関係はいつもこうだった。いちいち相手の反応を気遣ったりする必要のない、軽口でも冗談でも気軽に言い合える関係。そんな2人を羨ましく思っている女生徒たちは幾人もおり、そのうちの1人は案外と身近にいたりもするのだった。むろん当人たち2人は知らないことであったが。
「それよりお前、なんだよその格好? これから誰かと約束でもあるのか?」
「気になる?」
「…………」
「ま、女の子にはいろいろと有るのよ。そう言うわけで、はい、これお願い」
藤林杏は人の悪い笑みを浮かべると、ボタンを抱き上げて朋也の胸に押しつけた。熱い視線でしばし見つめ合う1人と1匹。そしてすぐにボタンは飛び降りると、ぶひぶひと鳴きながら朋也の脚に身体をすりつけ始めた。
「なついてるわね〜。良かった、あたし以外にボタンの面倒見てくれる人がいて」
「一応言っておくが、俺はこいつの面倒を見るなんて言った覚えは……」
「ここまで来といて説得力ないわよ。それとも、なに、来週あたしの口が軽くなってもいいわけ?」
長い付き合いの奴というのはこれだから厄介なのだった。春原なら何があっても言いくるめられるし、大概の件では春原自身を主犯にできる。だが藤林杏が相手ではそうは行かなかった。彼女は自分や春原からたいていのことは聞き出しているくせに、クラスの委員長を任せられるくらい教師からは信用がある。彼女が脅迫やタカリの常習犯であり校則違反のバイク通学者であることを暴露したところで、本性を知らない人たちからは一笑に付されるだけだろう。校内一の不良と名指しされている朋也とでは最初から勝負にならないのであった。
「狡猾な……」
「ん? 何か言った?」
「……別に」
「それじゃ、ボタンのことよろしくね。ちゃんと夕方になったら自分の家に帰るようにしつけてあるから、散歩の行き先はボタンに任せちゃっていいわよ。危ないところに入ったり、誰かにさらわれたりしないかだけ見ていてくれれば」
「こいつをさらうような奴が居るのか?」
「どこまで本気か知らないけどね、ボタンを捕まえて鍋にするって公言してる、パン屋の不良オジサンがいるんだって」
……朋也には心当たりがないでもなかった。
「首輪と紐をつけといた方がいいんじゃないか?」
「可哀相じゃない、そんなの」
「そのウリボウに半日ずっと付き合わされる俺は、可哀相じゃないのか?」
「どうせ暇でしょ? 陽平のところで漫画ばっかり読んでないで、たまには運動、運動。あーあたしって親切っ♪」
朋也はたった今、はっきりと確信した。藤林の占いは全くもって正しい。俺は今、知り合いの女に絡まれて最悪の土曜日を迎えようとしている。
「それじゃねっ♥」
藤林杏は軽やかに言い放つと、背中を向けて駅の方へと歩き始めた。その3メートル後ろをボタンが嬉しそうに跳ねながら付いて行く。朋也は仕方なく、そのウリボウの後に付いていくのであった。
**
「なぁ、こいつ、お前の後を付いていってないか?」
「そうかしら? 偶然でしょ、あたしは自分の行きたいとこに向かってるだけよ」
「最初からお前がこいつを連れてけばいいだろうが!」
「だから偶然だって。でなかったら、あんたにボタンのことを頼む訳ないじゃない」
**
そして。2人と1匹の奇妙な一行は、遊園地の入門ゲート前へとさしかかった。ウリボウのボタンはこのとき初めて自分の主人を追い抜くと、ささーっと入門ゲートのところに駆けていき、2人の方を振り向いてぶひぶひーっと鳴いてみせた。2人は顔を見合わせた。
「あそこに入りたいのかしら、ボタン?」
「いくらなんでも無理だろ、人間じゃないし」
「う〜ん、そうねぇ……」
藤林杏は難しい顔をしてしゃがみ込むと、手をたたいてボタンを呼び寄せた。そして嬉しそうに飛び込んでくるペットを抱きかかえると、小さくとも鋭い声で命じた。
「ぬいぐるみっ!」
「……きゅっ」
金縛りの魔術にも似たその一言で、ボタンは身体を硬直させたまま動かなくなった。澄んだ瞳まで開いたまま動かなくなる辺りはさすがである。そんなボタンを大事そうに抱きかかえながら、杏は笑顔で振り返った。
「これで遊園地に入れるわよ」
「おい、お前……」
「ま、男のあんたがぬいぐるみを抱いてても気持ち悪いだけだし。あたしが行くしかないわね。とりあえず入門ゲートをくぐるまでの辛抱よ」
杏はさっさとゲート前に駆け寄ると、当たり前のように2人分の入場券を買った。そしてゲート前で振り返り、1人で立ちすくむ朋也の方に手を振った。
「早く来なさいよ〜っ、ボタンの守り役さん」
何の罪もなさそうな笑顔でそう自分を呼ぶ藤林杏。一から十まで掌で踊らされてるなと痛感しつつも、朋也にはいまさら別の選択肢は存在しなかった。
- 筆者コメント
- つーことで、とことん素直じゃないお姉ちゃんの話が再び始まります。この話も残り1話で終われるかどうか激しく不安が……どんどん自分の首を絞めてる気がするなぁ。
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