偽花嫁、請け負います
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天気は快晴。旅立ちには絶好の朝だった。外へ飛び出せば素敵な1日が待っている……そんな期待を抱かせる清々しい朝。しかし向かいの家の軒先で立ち尽くす20歳の青年は、そんな天気とは裏腹にイライラと額に青筋を立てていた。
「楓音ぇ、いいかげんにしろ、遅れるぞ!」
「う〜ん、もうちょっとぉ」
玄関前からの怒鳴り声に、2階の一室から返事が戻る。理不尽だ、と青年……今泉(徹(は思った。いつもなら朝寝坊するのは俺の役目で、楓音のほうがたたき起こしにくるんじゃないか。幼なじみの楓音と俺の関係は今までずっとそうだった。なんで今日に限って、俺がイライラしなきゃならないんだ。
「服なんてどうだっていいじゃねえか。お前が結婚するわけじゃあるまいし」
「そうはいかないわよ! 千彰(さんとカズの門出を見送りに行くんだから」
「千彰さんは普段着でくると思うぞ、俺は」
「……ま、まさか、そんなわけないでしょ!」
「何だよ、今の一瞬の間は」
服にこだわる女の情熱は、男には永遠の謎である。いったい着替えに何十分かければ気が済むんだか……そう心の中でつぶやいたとき、ふと徹のスケベ心にスイッチが入った。
《楓音は着替え中……そうだよな。いつもはあいつのほうが俺の部屋に乗り込んで来るんだ。ぐずぐずしてる楓音の部屋に俺が乗り込んで行って、何が悪い》
不純な動機に理論武装を施す。こういうことになると彼の脳細胞はフル稼働するのであった。徹はポケットに手を突っ込むと、ニヤリと笑みを浮かべながらカプセルを口にほうり込んだ。
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「……徹の鈍感」
自分の部屋で色とりどりの服を見比べながら、葉賀(楓音(は小さくため息をついた。
今日はバイトに行くのとは違うんだから。千彰さんたちが新婚旅行に行くのを、事務所のみんなで見送りに行くんだから。あたしは徹と……こ、恋人の徹と並んで、晴れの門出を見送ってあげるんだから。普段着ってわけにはいかないじゃない。
楓音らしくもない乙女ちっくな発想である。3週間前の披露宴会場で浮きまくってしまった自分と徹のいでたち。あんな恥ずかしい思いを繰り返すわけには行かなかった。普段から着飾ることをしない彼女だけに後悔は強烈だった。それが彼女をして、友人を見送るという何でもない状況に意地を張らせる理由となっていた。
「でも……そろそろ決めないと、間に合わなくなっちゃうわよね……」
そうやって堂々巡りに終止符を打つ決心を固めたとき。楓音の首筋に、ちりりと焼けるような感覚が走った。何度も覚えのある感覚。楓音は素早く傍らの目覚まし時計に手を伸ばすと、背後の扉に向かって振り向きながら投げ付けた。
「バカ徹っ!」
「ぐはっ!」
目覚まし時計はドアの隙間……なにもないはずの空間……に跳ね返され、ガチャリと音を立てて床に転がった。手を腰に当てて仁王立ちした楓音は、目覚まし時計を跳ね返した空間に向かって大声を張り上げた。
「徹っ、あんたに懲りるとか学習するとかって言葉はないわけ?」
「か、楓音……毎度ながら、なんでそんなに勘がいいんだ……」
「あんたと20年も付き合ってればこうなるわよ、このドスケベ!」
何もないはずの空間から徹の情けない声が発せられる。実はこの徹、製薬会社の新薬実験のバイトをしたときに全身が透明になり、そのまま透明人間として数ヶ月を過ごしたことがあるのだ。バイト先の便利屋事務所にいる某発明家のお陰で元に戻る薬を手に入れた彼であったが、便利屋という職業柄なにかと便利だということで、現在では透明化薬と解除薬を常に持ち歩いている。
もっとも透明になった彼のすることなどこの程度のものだったし、幼なじみの楓音にだけは不思議なことに簡単に見破られてしまうから、ホラー映画のような大事件は起こらないのであった。もちろん普段と変わらず接してくれる楓音のお陰で、異常な身体になってショックを受けていた徹が当時どれほど救われたかは論を待たないのだが。
「いやぁ、あんまり遅いから、選ぶの手伝ってやろうかと……」
「いいわよこの格好で。ほら時間ないんでしょ、さっさと行くわよ!」
頭に血が上ると楓音の行動は単純になる。これまで悩んでたのはどこへやら、手近な服をつかんで一瞬で身支度を整えた楓音は、慣れた手つきで徹の腕を……見えない腕をいとも簡単に……掴んで階下へと引きずり下ろした。そして玄関でふと足を止め、もんどり打って倒れる徹の方に振り返る。
「徹、あんた服は?」
「服? ああ、玄関の外に脱いであるけど」
透明人間のお約束として、今の徹は素っ裸なのだった。それがどうした? と見えない眉をひそめる彼に、幼なじみの怒声が飛ぶ。
「千彰さんの見送り、どうすんのよ!」
「……あ」
透明な身体に普通の服を着て出歩いたら、それこそホラー映画である。
「解除薬は2時間ぐらい間を空けて飲むようにって、由宇子ちゃん言ってたっけ……」
「例の格好で行くしかないでしょ、ほらさっさと着替える!」
向かいにある自分の家へとすっ飛んで行く徹。残された楓音は頭を抱えながら、数分前に同じ場所で相棒が漏らしたのと同じ台詞をつぶやいた。
「ああっもう、世話が焼けるんだから!」
**
舞台は変わって便利屋HELPS事務所。創設以来の有能な所員・小野阪(千彰(が新婚旅行に旅立つ朝とあって、所員の大半は見送りのために出払ってしまっている。そんな閑散とした事務所に、けたたましい爆発音と悲鳴がとどろいた。
どぉおぉ〜〜ん!!
「きゃーっ!」
事務所に残った唯一の男性は、かすかに眉を動かした。事務所の隣にある実験室から白い煙がもうもうと上がっている。HELPS創設以来、毎日のように繰り返される光景。今では爆発に驚くどころか、爆発音の大きさによって実験の正否をおおかた見積もることが出来るようになってしまっている。所長である彼はもちろん、バイトに来る学生たちも一様に。
「あははは、いい感じ、いい感じ♪ 大輔さん、出来たよ」
やがて白い煙の中から、青い帽子と白いセーターを着た小柄な女性が姿を現した。そして人なつこそうな笑顔をたたえて青年の元に歩み寄った。彼女の名前は倉品(由宇子(、不時着した宇宙船に乗って地球にやってきたネコ耳の宇宙人である。もっともネコ耳は青い帽子に隠されているので、ぱっと見には地球人と見分けが付かないのだが。
「……」
「うん、これで迷子の犬探しも完璧だよね」
「……」
「まぁね、でもネコ探し専門って訳にもいかないじゃない? こんどの装置はワニやチンパンジーのデータも使えるようにしてあるから」
由宇子が話している青年の名は船島(大輔(、便利屋HELPSの創設者にして初代所長であり、倉品由宇子の保護者にして恋人である。大柄な身体と生来の口下手が相俟って、付き合いの浅い人々からは「壁」と呼ばれ畏怖されている。寡黙な彼がどうやって事務所を借りる契約をし、所員たちを集めたのかはHELPSの謎の1つに数えられるほどである。
宇宙人である由宇子は大輔の考えていることを直接読むことが出来たので、この2人が話すうえでは大輔の口下手は何の障害にもならない。そのため大輔はますます寡黙になり、彼らの語らいは第三者には全く理解不能な代物になってしまったのだが……このままでは読者にまで理解不能な光景となってしまい、小説として成立しなくなる。今後この2人が話している間は、大輔の心のつぶやきを便宜的に『』で表すことにするので、ご了解いただきたい。
『ワニか……そういえばペットとして飼ってる人、いるしな』
「うん、ペットのワニはネコさんたちと違って、近所のネットワークを持ってないからね。警察に見つかる前に保護してあげないと、危険動物として殺されちゃうし」
ネコ耳と関係があるかどうかは不明だが、由宇子はネコたちと話が出来るのだ。そのお陰で飼い猫探しの依頼が来たときには、近所のネコに聞いて回ることで効率的に見つけだすことが出来たのだが……ネコ以外のペットには通用しないのが難点であった。だがそれも昨日までのようである。
『明日から広告を出すことにしよう。ところで由宇子、小野阪さんたちの出発には間に合うのか?』
「大丈夫だよ。港へは転送装置で直接行くから」
宇宙船が不時着した際に地球のあちこちに散らばった、地球人には理解不能なテクノロジーの欠片。宇宙船本体が事後報告に飛び去った後、それらのテクノロジーを回収するのが由宇子に与えられた使命であった。もっとも大輔と恋仲になった由宇子には宇宙に帰る気はさらさら無く、現在でも母船には回収未了と報告して引き続き地球に居残っている。
そして現在の彼女は、宇宙船修理の見返りとしてHELPSで家出ネコ探しなどに才能を発揮する傍ら、実験室で怪しげな発明にいそしむことに精を出していた。物質転送装置はそんな由宇子の発明品の1つであり、離れた場所へ物質や生命体をあっという間に送ることが出来る(ただし片道通行ではあるが)。由宇子は千彰たちの出発時間ぎりぎりまで、この事務所で実験に時間を割くつもりなのだ。
『しかし早めに行っておいた方がいいだろう。見送りの連中も心配するだろうし』
「大輔さんは、やっぱり行かないの?」
『事務所を閉めるわけには行かないからな。せめて所長の俺くらいは残ってないと』
「依頼人が電話してきたら、大輔さんどうするんだろうね」
『バカにするな』
くすくすと笑う由宇子に、堅い表情のまま心の中だけで軽く怒ってみせる大輔。恋人同士という事情を差し引いても、端から見れば十分に不気味な光景である。
「ままぁ〜」
『ん?』
「良子ちゃん?!」
ところがそんな2人の間に、思わぬ乱入者が現れた。由宇子をそのまま小さくしたような風貌の童女。白い煙の中から駆け寄ってきた少女のことを大輔たちは知っている。およそ1年後に生まれることになっている彼らの娘、船島(良子(。
「良子ちゃん、またタイムマシンに乗ってきたの?」
「ままぁ〜、ぱぱぁ〜、遊ぼ〜」
甘えたい盛りの6歳の少女にしがみつかれ、由宇子たちは顔を見合わせた。