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偽花嫁、請け負います

初出 2002年07月08日
written by 双剣士 (WebSite)
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 出航の15分前。清水しみず和宏かずひろ千彰ちあき夫婦の乗ったオープンカーが港に到着したのは、そんなギリギリの時刻であった。主役の到着をじりじりと待ち侘びた見送りの面々は、わらわらとオープンカーへと駆け寄った。
「カズ!」
「和宏、こんな時間まで何やってたんだよ!」
「悪い悪い。これには色々と事情が……」
「まあ、皆さんお揃いで。おはようございます」
 鬼気迫る表情で詰め寄る徹たちと受け身に回る和宏。そんな緊迫した雰囲気の間に、切迫感ゼロの天使の笑みが割り込んだ。勢いをそがれた男たちの言葉を女たちが引き継ぐ。
「ちーちゃん、呑気にあいさつしてる場合じゃないってば!」
「恵さん、何をそんなに慌ててるんですか?」
「時間だよ時間! 乗船手続きをする時間、もうほとんど残ってないよ!」
「まあ、それは困りましたね〜」
 ニコニコしながら頬に手を当てる千彰。全然困っているふうには見えない。
「それで、皆さんはどうしてここに? ここで何かお仕事でもあるんですか?」
「千彰さんたちの見送りに来たんですよ! あ〜もう、この忙しい時に! 早く手続きに行きなさい、カズ!」
 千彰のペースに合わせていたら日が暮れてしまう。そう思った楓音は強引に会話を打ち切ると、乗船カウンターを指さしながら和宏に向かって唾を飛ばした。

                 **

「ちーちゃんが一緒なら、大丈夫だと思ってたのに」
「事務仕事はあんなにテキパキこなすのに、自分のことになると恐竜なみに鈍くなるのよね、千彰さんって」
「……聞こえてるぞ、お前ら」
 乗船手続きをどうにか終えて戻ってきた和宏を待っていたのは、悪友たちのひそひそ話であった。内緒話が和宏の耳に入っても臆する様子は微塵もない。
「それになぁ、お前らの言い分じゃ、俺のことはまるっきり当てにならないみたいだろうが」
「反論できる? こんな時間に来ておいて」
「ぐっ……い、いや、これは千彰さんのせいでもあって……ところで千彰さんは?」
「あっち」
 恵が首だけ向けた先では、屈強な男性たち5〜6人が1人の女性を胴上げしていた。胴上げしているのは便利屋HELPSの若手事務員たち。千彰はきゃーきゃー言いながら楽しそうに宙を舞っている。
「あいつら、よくも俺の千彰さんを……」
「まぁ待ちなさいよ、カズ。千彰さんは事務系所員のアイドルだったんだもの、あのくらいは仕方ないわよ」
「そ、それにしても、千彰さんの身体を触り放題にされて……」
「今あそこに飛び込んだら殺されるよ、和君。あそこのみんなが和君のことをどう思ってるか、想像つくでしょ?」
 便利屋HELPSの有能な事務員にして心のオアシスだった小野阪千彰。天然ボケで疑うことを知らない彼女に対し、互いに牽制しあって距離を縮めることの出来なかった若手事務員たち。そんな事務所の華を横からかっさらったのは、プレイボーイとして名を馳せた4つ年下のバイトの学生。事務員たちの心中は察するに余りある。
「ま、諦めなさいって。ほんのちょっと我慢すれば、また千彰さんはカズのそばに戻ってきてくれるんだから」
「しかし……」
「……思えば変わるもんだよな。あのカズがねぇ」
 眼に見えて落胆した和宏をみて呆れ顔でつぶやいたのは、ライダースーツを着た和宏の悪友筆頭、今泉徹であった。彼らはプレイボーイとして浮き名を流していた昔の和宏を知っている。50人の彼女を掛け持ちしていたことにも驚いたが、その全てを捨てて千彰一筋になった今の和宏を見ると、とても同一人物とは思えない。
「まぁ、ものは考えようだよ、徹。これだけ奥さんにぞっこんなら、さすがの和宏も浮気はしないだろうからね」
「……お前にだけは言われたくない」
 温厚に和宏をフォローしようとする拓海に対して、思わず憎まれ口を返す徹。そりゃあ3人同棲をしている本人から浮気だ何だと偉そうな言葉を吐かれては、嫌みの1つも言いたくなるだろう。だが拓海が言い返すより前に、彼の恋人たちが反撃の火花を散らした。
「なに、ボクたちのやり方に文句でもあるわけ?」
「私たちはみんな納得して一緒に暮らしてるんです。いくら今泉さんでも……」
「い、いやその……すまん、拓海」
 少女たちの集中砲火を浴びて、あっさりと白旗を揚げる徹。なにやってんだか、と楓音は呆れ顔で徹を見やってから、本日の主役の方に視線を戻した。
「まぁとにかく、カズ、今の千彰さんはあんた一筋なんだからね。あの人を泣かしたら承知しないわよ。いい?」
「いやいや、なんといっても50人斬りの和君、このままおとなしくしてるとは、とても……」
「やめろ、恵」
 つい漏らした軽口を拓海に叱られ、恵は小さく舌を出した。冗談にも時と場合がある。新婚旅行に旅立つカップルに贈る言葉には似合わない。まんざら嘘でもないだけにシャレで済まないじゃないか。ここは親友を励ます、景気のいい言葉を掛けてやらねば……拓海は気がいいようで、結構シビアな性格だったりもするのだった。
 ……だが、これだけちゃかした後で真面目な台詞を口にすると言うのも、悪友たちにとってはなかなか難しいものであった。出発前に用意してきたお祝いの言葉はとっくに頭から抜けていた。しばしの沈黙が場を支配する。
「……いいさ。お前らからお世辞を言ってもらえるとは思ってなかったよ」
「べ、べつにそういうわけじゃ……」
「和宏さ〜ん、おまたせ〜♪」
 ちょっと落胆した和宏。だがちょうどその直後、愛しの新妻の声と足音が耳に飛び込んできた。和宏はそれを聞いた途端に表情を輝かせた。
「うふふ、仲良しさんだね」
 和宏に駆け寄る千彰の後に付いてきた倉品由宇子は、にこやかに新婚ほやほやの夫婦を見あげた。由宇子は和宏の学友ではないし、さっきまでの重苦しい雰囲気も知らない。和宏のカメレオンのような変わり様に唖然とする悪友たちが口をつぐむ中、由宇子は並んだ若夫婦にお祝いの言葉を述べた。
「えっと、和宏さん、千彰さん。ご結婚おめでとう。3週間前にも言ったけど、もう1回言わせてもらうね……これからいろんなことがあるだろうけど、お互いを信じて支え合ってください。絶対負けないで、きっと大丈夫だから」
「由宇子ちゃん……」
「はい♪」
 じーんと感動する和宏と、ほけほけと笑顔を返す千彰。場の空気が一変し、楓音たちも思わず背筋をピンと伸ばした。だが……。
「あ、それから大輔さんから伝言。仕事のことは気にしなくて良いから、精一杯楽しんでこいって……それと、絶対1週間で帰ってこいって」
「はい?」
「前に言ったでしょ? 千彰さんがいないと、うちの事務所は1週間で潰れちゃうって……もし千彰さんを連れて戻らなかったら、地の果てまで追いかけていくって大輔さん言ってたよ」
「は、はぁ……」
「ぶっ、あはははは〜〜」
 茶目っ気たっぷりの由宇子の言葉に、徹が大声で笑い出した。それにつられて他のみんなも笑い始めた。爆笑の渦の中で和宏は照れくさそうに鼻を掻き、千彰は何がおかしいのか分からぬように周囲のみんなを見回した。
 そして笑いが収まった頃、出航を知らせる汽笛が高らかに鳴り響いた。