セイバーマリオネットJ SideStory
胎動
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第2幕.女優
視界いっぱいに広がる、抜けるような青い空。
そよぐ風が肌を心地よく撫でて行く。
小川のせせらぎと小鳥の鳴く声が、早い春の訪れを感じさせる小春日和。
そんな清々しいお天気のもとで、ある式典が執り行われた。
「おめでとう!」
「いよっ、この幸せもん!」
「綺麗だぜ、二人とも!」
二人が2階のバルコニーに姿を現した瞬間、テラツー歴史資料館の前の広間に集まっていた群衆は、惜しみない拍手と声援を贈った。テレビを通してその光景を見ていた人たちも、晴れやかな二人が映った途端に万歳三唱を始めた。彼らのなかには、テラツー始まって以来のこの種の式典に疑義を唱える者も居たが、式典の主役二人の表情を見た途端に逡巡は消し飛んだ。誰もが心の底から祝福したくなる、そんな雰囲気を持っていたのだ。このテラツー最初の夫婦の姿は。
金髪の背の高い青年と、その隣に寄り添う美しい女性。彼らはいずれもジャポネスの生まれではなかったし、いま彼らが纏っている服装もジャポネスの伝統に反するものであった。しかしそのことに違和感を覚えるものは誰も居なかった‥金髪の二人にはその服装がしっくりと似合っていたし、何より人生最大級の催しの衣装としてはどんなに着飾っても派手すぎることはなかったから。
「お姉ちゃん‥綺麗‥」
源内じいさんの肩に乗せられて彼ら二人を見上げていたチェリーは、思わずそうつぶやいていた。花嫁の神々しいばかりの美しさは、3歳の女の子の眼から見ても羨望に値する姿として映ったらしい。
「はっはっはっは‥チェリーよ、よく見ておくがいい。お前さんもいずれ、ああいう舞台に立つかも知れんのじゃからの」
「ええ‥あぁ、小樽様ぁ‥わたくしもいつか、小樽様と並んであそこに‥あぁん‥」
愛情あふれる源内じいさんの言葉を受けて、早くも妄想モードの片鱗を示すチェリー。そうした微笑ましい光景の3メートル後ろでは、間宮小樽を愛する二人による骨肉の争いが繰り広げられていた。
「小樽‥待っててくれよ、あたし、すぐに大きくなって、小樽を幸せにしてやるからね‥」
「うっるさぁ〜い、黙らんかぁこのくそチビがあ! おったる君を幸せにできるのは、世界中でただ一人、この花形美剣だけだぁっ!」
「暴れるなよ花公」
「げふっ‥こ、このブラブラベリーめがぁ! 人がせっかく肩車してやってるってのに、その僕の胸を蹴飛ばすとは、何たる躾の悪いガキだぁ! こーしてやる、こーしてやるぅ」
「わ、きゃ、きゃっ‥振り回すなよ、危ないだろ花公‥」
ブラッドベリーを肩に乗せたまま、その場をぐるぐると回ってみせる花形。まったく3歳の女の子相手に大人げない‥そう思った人たちが身を引いたため、結婚式を見に集まった群衆でごった返す資料館前広場に、花形を中心とした半径2メートルの穴がぽっかりと空いた。そして‥数十秒後、眼を回して倒れ伏した花形は、肩から降りたブラッドベリーに容赦なく踏みつけられていた。
そして、3歳の女の子二人から「将来の花婿」と目されている少年は、彼女らと正三角形をなす位置で、末娘を肩に乗せていた。
「わぁっ! ねぇねぇ小樽、あれローレライだよね! すっごく嬉しそうだね、いいなぁ」
「こらこら、『小樽』じゃねぇ『父ちゃん』だろライム。それにローレライのことも呼び捨てにするんじゃねぇ」
「へへへぇ‥ねぇ父ちゃん、ボクも、あそこ登りたい!」
「はははは‥そうだな。もうちょっと大きくなって、あそこに連れてってくれる男を見つけたら、な‥」
「うん! ボク、大きくなる! そんで、あそこに登るんだ! 小樽と一緒に!」
苦笑する小樽の肩の上で、小さなライムは上機嫌だった。そして、そうした観衆の表情がバルコニーの上の二人には手に取るように分かった。
「ふっ‥なかなか気恥ずかしいものだな。総統として畏れられていた頃の方が、まだ気楽だったかもしれない‥」
タキシードに身を固めた花婿‥ゲルハルト・フォン・ファウストは、隣の女性にだけ聞こえる小さな声でつぶやいた。自分をかつて包んでいた畏怖と追従の視線とはまったく違う感触。無垢なる賞賛と憧れを浴びせられた旧ガルトラント帝国総統は、この日のために練習した式典用スマイルを顔に浮かべつつ、妻と握り合った手を小刻みに震わせていた。
「そういうこと言わないの。これからの貴方と私は、みんなのお手本にならなければならないのよ」
妻の方はすでに肝が据わっていた。惑星テラツー唯一の女性として降臨した彼女は、自分の細胞をクローンとして提供して以後も、自分の一挙手一投足が注目の的とされることを覚悟していた。今日の結婚式は愛する夫との新生活のスタートであると同時に、男しか居ない植民惑星テラツーにおける夫婦生活・親子生活の最初の一歩であるのだ。
異文化の導入。テラツーの誰一人として経験したことの無い風習を、人間の正常な営みとして定着させること。贖罪意識の強いローレライにとって、残された生き方はそれしかなかった。
「‥後悔、してる?」
「‥まさか。私はこの日を300年も望みつづけてきたのだぞ」
ファウストはローレライの手を強く握り返すと、手を離して前方のマイクへと歩み出た。結婚した二人の最初の言葉‥総統としての演説とは全く別種の緊張がファウストを包み込む。
「わ、私は‥」
場内の喧燥が収まり、群集の眼がファウスト一人に注がれる。くじけるな、とファウストは心の中で自分を叱咤した。無様な姿は見せられぬ‥自分に続く花婿たちを花嫁の尻に敷かせるわけにはいかないのだ。
「私、ゲルハルト・フォン・ファウストは、本日この女‥ローレライを妻とした。今日よりのち、病める時も健やかなる時も、妻と共に支えあって生きて行くことを、ここに誓約する‥」
話しながら血が顔にのぼるのを感じたファウストであったが、群集たちは食い入るように彼の言葉を聞いていた。それを見たファウストは、この式典の意味を悟った‥今の自分は、将来の彼らに他ならないことを。自分は決して一人ではないということを。
「私と妻の歩く道は、皆にとって奇異に映ることもあるかもしれない。だが私はここに約束しよう。愛する男女が共に暮らすことの素晴らしさを‥互いを高めあい、独りでは出来ないことをやり遂げながら、人間としての幸せを育くむことを。そしてその幸せを次の世代に受け継いで行くことの大切さを、生涯かけて実証してみせることを」
ファウストが言葉を切ると、静寂が場内を包んだ。少し風呂敷を広げすぎたかもしれない‥そうファウストが自戒したとき、小さな拍手の音が観衆の中央から聞こえた。ファウストは思わずそこに眼をやった。
「間宮、小樽‥」
かつてファウストと死闘を繰り広げた少年は、堂々と顔を上げて手を打ち鳴らしていた。そして少し遅れて、彼の肩に座った少女が真似をして手を叩き始めた‥輝くばかりの笑顔を浮かべて。そしてチェリー、ブラッドベリー、花形の順にそれに続き‥やがて全ての観衆が、テラツー最初の花婿に拍手を贈っていた。心を込めて。
「よく言ったぁ!」
「頑張れよっ!」
「姉ちゃん幸せにしてやれよっ!」
ファウストの胸を、心地よい興奮が吹き抜けた。300年に渡る苦労が、ようやく報われた気がした。ファウストは誇らしい笑顔を浮かべて花嫁を手招きし、そして花嫁の腰を抱いて、長い長い接吻をかわした。
場内の興奮はこの瞬間に最高潮に達した。
**
「‥‥! 私ったら‥」
記録映像はそこで終わっていた。ルクスはヘッドセットを外し、椅子にもたれて深い息をついた。
ここはジャポネス城の中央コンピュータルーム。ルクスはここから全テラツーのコンピュータにアクセスをかけて、女性の出産に関する情報を掻き集めていた。断片的でも良い、ローレライの役に立ちそうな情報なら何でも‥ひょっとしたらメソポタミア号にアクセスするコードが残っているかもしれないし。
どんなに可能性が低くても、今のルクスに出来ることはそれしかなかった。ローレライのため、ひいてはファウスト様のため‥そう自分を励ましながら探索を続けるルクス。しかしどこのコンピュータも、『女性』というキーワードから浮かび上がってくるのはローレライのことであり、2年前の結婚式の記録映像であった。
ファウストとローレライの結婚式はテラツー6カ国の報道陣に囲まれる中で行われたので、いずれの映像も微妙な違いがある。解説の内容となればなおさら‥そこに活路を見出し、わずかでも情報を得ようとしたのだが、今のところそれは徒労に終わっていた。結婚の後に出産があるという当たり前の事実すら、報じていない解説がほとんどだったから。
「結婚、か‥」
そして、繰り返しその映像を見ているうちに。自らを解析マシーンとして律する裏側で、ルクスの感情には暗いよどみが生じていた。
《妻と支え会って生きて行く》
まぎれも無く、彼女の主人の口から出た言葉。かつて自分たちセイバードールズや部下たちを駒のように扱い、自身の野望のために邁進していたファウストの口から出た言葉。ガルトラント帝国なき後、彼を支えるのは自分たちだけだと思っていた‥だが彼は言ったのだ。ローレライを支え、ローレライに支えられて生きてゆくと。
《愛する男女》
《人間としての幸せ》
ファウスト様は何も間違っていない。これがファウスト様の望んだこと‥そう思いつつも、ルクスの心は晴れなかった。こんな言葉、以前のファウスト様は決して口になさらなかった。だから自分たちはファウスト様にお仕えすることを幸せと思っていられたのだ‥ファウスト様が変わられた今、自分たちの役目はなんなのだろう。そしてテラツーの人間全てがファウスト様のように考えるようになったら‥自分たちマリオネットの居場所はどこにあるのだろう。
《次の世代に受け継ぐ》
‥そう。マリオネットと人間の女性の、最大の違いがこれ。人間の女性は子を成し、新しい時代を育てることができる。だが自分たちマリオネットにはそれが出来ない‥死ぬことがない代わり、何かを生み出すことも出来やしない。
これまではそれで良かった。クローニングと記憶操作により何代にも渡って再生を続けてきたファウスト閣下に付いて行くには、いつまでも生き続けるマリオネットであることは幸運に思えるほどだった。だが‥ファウスト様が子を成すことを望んだとき、自分たちとの繋がりは切れる。そして次に生まれるのは、ファウスト様とは別の誰か。
「‥だ、駄目よ、考えちゃあ‥」
ルクスは耳を押さえてうずくまった。眼から滴る涙が、いつしか膝を濡らしていた。そしてほどなく、巨大コンピュータルームに鳴咽が響き渡った。
**
ちょうどその頃。ローレライと小樽たちの団欒からそっと抜け出したティーゲルは、大広間を出たところで思いがけない相手と再会した。
「よぅ、ティーゲル」
「‥パンター!」
セイバードールズの3人目、パンターがそこに来ていた。だがパンターは、ローレライの面倒を見ているティーゲルとルクスに代わって、諸国を回っているファウストの警護を一手に引き受けていたはず。その彼女がジャポネス城に来ているということは‥。
「安心しろ。ファウスト様はお元気だ。今は西安の復興に力を注いでおられる」
ティーゲルの心配を見越して、パンターはあっさりと手を振ってみせた。
「ならば、なぜ‥」
「ファウスト様のご命令を受けてな。まぁ、読んでみてくれ」
パンターは白い紙を胸の谷間から抜き出し、ティーゲルに差し出した。そこにはファウスト直筆の文字で、自分の状況と今回の命令がつづられていた。
「取材? ローレライ、にか?」
2年前の結婚式と機を同じくして、ジャポネス以外の5カ国にも毎年決まった人数が寄贈されることになった、ローレライの女児クローン。愛らしい彼女らは各国のアイドルとして扱われ、その母親であるローレライの人気も急上昇していた。それに伴って、旧ガルトラント崩壊の戦犯として国際手配されていた彼女の夫も公式な歓迎を受けるようになったのだが‥その反面、彼ら夫婦の全てを知りたい、という報道陣が、ジャポネス外からも頻繁に訪れるようになったのである。
「ファウスト様は、取材を受ける方向でローレライと相談するように、と言っておられる」
「馬鹿な!」
ファウストとローレライは、取材を断ったことは一度もない。好奇の眼にさらされる覚悟はとうに出来ている二人であったし、そうすることで夫婦生活を親しみやすいものとするのは彼らの使命でもあった。ジャポネス政庁はそんな彼らを尊重していた‥だが、外国の取材陣は遠慮がない。食事時でも押し掛け、望遠レンズで観察し、二人の家に盗聴機を仕掛けたりするのは決まって外国の記者であった。ローレライの妊娠に伴って彼女をジャポネス城に軟禁したのは、母体の安全を図る目的と共に、そうした取材攻勢を撥ね付ける目的も有ったのである。
「今のローレライは、大切な身体なんだぞ‥」
「分かっている。だから私が派遣されたのだ」
パンターは胸を張って見せた。
「ティーゲルとルクスは、これまで通りローレライを頼む。取材陣の監視と制止は私がやる‥それがファウスト様のお考えだ。勝手に動かれてはかなわぬので、私が5カ国の記者の代表20人を引率する形で、さっきここに着いた」
ティーゲルの難しい表情をいぶかしみながら、パンターは言葉を継いだ。
「もちろん今すぐとは言わない、ローレライの都合の良いときで‥ローレライが嫌だといえば、連中は私が追い払ってみせる。ローレライは中に居るのか?」
「‥今は入るな」
さっそく大広間に向かおうとしたパンターを、ティーゲルは腕を掴んで制止した。
「なぜだ?」
「ローレライは貴重なひとときを過ごされている‥邪魔をするな」
「‥ははぁ、間宮小樽たちが来てるんだな。ライムたちに会うのも久しぶりだ。どれ、大きくなったか見てやろう‥」
「‥よせ。私たちの入り込む余地など、無い」
ティーゲルの重い口調に、パンターは眼を丸くした。しかし『どうした?』と気遣うことなど、パンターの行動様式にはない。
「し、しかし‥記者たちにとりあえず、取材を受けるかどうかだけでも伝えないと‥」
「あとで私からローレライに聞いておく‥心配するな。あのローレライが断るわけが無かろう」
ティーゲルはそういうと、ジャポネス城の廊下を歩き始めた。パンターは渋々その後に続いた。
**
その翌日。ジャポネス城の一室で、"聖母"ローレライの記者会見が行われた。
かつて将軍徳川家安が座っていた謁見の間。記者たちが注目する壇上にはひとふりの長椅子が置かれ、ローレライは優雅に、パンターは堂々とそこに腰を下ろしていた。記者たちの席とは5メートルほどの間隔が置かれ、不届きな記者がローレライに近づこうとすれば脇に控えた梅幸たちがそれを阻む、という布陣が敷かれた。
ティーゲルとルクスは、謁見の間の後方でローレライを見守ることになった。二人にしか聞こえない声で、ルクスが問い掛ける。
「何だかおかしいわ‥ローレライ、疲れているんじゃなくて?」
高性能なセンサシステムを備えたルクスの眼には、服の下を伝う汗、化粧に隠された肌の荒れなどが映っていた。今日のローレライは体調が良くない。ルクスの五感全てがそう告げていた。
「‥仕方が無かろう。ローレライは、言い出したら聞かない人だから」
ルクスに言われるまでもなく、ティーゲルはそのことを知っていた。ローレライの化粧と着付けを手伝ったのは彼女なのだから。にもかかわらず、ティーゲルの再三の制止を振り切ってローレライはここに来たのだ。
そしてローレライは言った‥このことは、誰にも言わないで、と。
笑顔を浮かべたローレライに、まずは無難な質問が投げかけられた。
「ローレライさん、今のご気分は、いかがですか?」
「順調です。この子にも、お城の皆さんにも本当に良くしていただいて」
ちらっとパンターの方に眼をやりながらローレライが答える。だがパンターの方は、仁王像のように記者たちに睨みを利かせていた。
「それは、妊娠した女性は周りの手を借りないと暮らしていけない、ということでしょうか?」
「いいえ。妊娠することは病気とは違いますから‥でも、何しろ初めての経験ですし。そばに誰かが居てくれる方が、心強いことは確かですね」
「自分の身体の中に別の生命があるというのは、どんな気分ですか?」
「とても幸せに感じています。何て言うのかしら、夫と私の気持ちが、形になって育っていくみたいで」
終始笑顔を絶やすことなく、質問に答えて行くローレライ。妊娠は怖いものじゃない、おめでたいこと、素晴らしいこと‥そしてごく普通のこと。そういう思いが、彼女の言葉の端々に込められていた。その思いは記者たちを安心させ、気持ちを楽にさせる効果があった。
「ちまたでは、あなたがいくつの卵を産むのかで賭けが行われているようですが」
「‥卵、ですか‥」
ローレライは口元に手を当てて少し迷ったそぶりをしてから、小さくウィンクをしてみせた。
「その賭け、参加なさらないことをお勧めしますわ」
「じ、じゃあ、答えはもう決まってるんですか?」
「人間は卵を産まないんです‥二人以上がいっぺんに生まれることはあるけれど、卵の個数で言えば、答えはゼロ。私が保証します」
記者たちは一斉にメモにペンを走らせた。
‥そんな軽口も交えながら、記者会見は順調に進んだ。そして後半に差し掛かったころ、ついに質問は核心に迫ってきた。
「生まれたお子さんは、これまでのようにジャポネス育児施設で育てられることになるのでしょうか?」
‥これまでクローンによって子供を作ってきたテラツーでは、引取り手が現れるまで施設で養育するのは当然のこと。よってこの記者の質問も、何ら悪意の無いものであった‥しかしローレライにとっては、これは改めるべき慣習に違いない。彼女は表情をやや固くして答えた。
「いいえ。施設には預けません。夫と私の手で育てます」
「そ、それは、どういう‥」
「子供は両親の分身。だから、父親と母親が協力して、自分たちの手で育てるんです。生まれた子供は夫婦の家に連れて帰って、一緒に暮らしながらいろんなことを教えるんです」
「はぁ‥しかし、ですねぇ、小さい子供というのは何かと手が掛かりますし、失礼ながら素人同然のご夫婦には、荷が重いのでは‥」
「子供は、その子を一番愛してくれる人の元で育てるのが自然なのです‥親の方だって、自分の子供を他の子とまとめて扱われることには耐えられそうにありません。皆さんも、ご自分の子供を持てば私たちの気持ちがきっと分かります‥」
ローレライは毅然として宣言した。
ローレライのこの言葉は、記者たちに衝撃を与えた。だが最も大きな衝撃を受けたのは、記者の向こうに座っている二人のマリオネットだった。
《子供は、その子を一番愛してくれる人の元で育てるのが自然なのです》
「やはり私の出番はない‥ファウスト様の和子の養育に私は必要ない」
そうティーゲルは思い、表情を暗くした。
《子供は両親の分身。だから、父親と母親が協力して、自分たちの手で育てるんです》
「いくら望んでも自分には決して出来ないこと‥そして今後、人間たちが当然のようにやっていくこと。私の居場所は、どんどん無くなってゆく」
そうルクスは思い、張り裂けそうな胸を押さえつけた。
「それじゃあ、ローレライさん、立ってみていただけませんか」
記者会見の最後に、ある記者がそう要求を述べた。妊娠した女性の身体のラインを撮影する‥それがいかに失礼なことかを彼らは知らない。いや世界中の誰一人として知らないだろう。そして周知のとおり、ローレライはそれを拒否できる立場に無かった。
「はい‥」
笑顔で答えるローレライ。だが彼女は、すぐには立ち上がろうとしなかった。笑顔を浮かべたまま、長椅子に座りつづけるだけだった‥そのときになって初めて、パンターはローレライの首筋に浮かぶ大粒の汗に気が付いた。
「ローレライ‥」
「しっ」
気遣って身体を寄せてきたパンターの声を、ローレライは短く制止した。そして小声でつぶやく。
「‥すこし、手を貸してちょうだい。なるべくさりげなく、片手を私の背中に当てて‥私を、立たせて」
「‥立てないほど辛いのか‥」
「‥言うとおりにして。お願い‥」
パンターでも分かる大量の発汗。それでもローレライの笑顔は崩れなかった。もちろん怪力を誇るマリオネットのパンターにしてみれば、女性一人分の体重など片手で十分。
「‥はい、どうぞ‥」
立ち上がって微笑むローレライに、カメラの砲列が浴びせられた。幾重ものフラッシュの中で立ち尽くす聖母‥女性の神秘を体言する、それは生きた偶像であった。だがその偶像が一本の機械の腕で支えられていることを、この場に居る二人だけが知っていた。
《なんて、人だ》
パンターは隣の女性を見上げた。こんな身体で、それでも表に出さずに‥ずっとそばに居ながら今までローレライの体調の異変に気づかなかった自分が、どうしようもなく間抜けに思えた。そして、自分の主人が妻に選んだ女性の魂の強さに圧倒された。フラッシュを浴びた彼女の姿が、神々しいまでに美しく思えた。
《‥かなわない、この人には‥》
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次回予告:
わたくしチェリーでございま〜す!
お買い物に行っていたら、ルクス姉さんがとぼとぼ〜と歩いていましたの。
お城で何かあったのでしょうか‥。
今夜お夕飯にお誘いしたら、元気になってくださるかしら?
次回、第3幕『苦悩』
お父様、だ〜い好きですっ!
その後の展開(あらすじのみ)
パンターは町外れで、岩を殴りつづけていた。どんなに女性に似せようとも、決して女性になれない自分‥そしてそれゆえに、ファウストをローレライに、そしてその子供に譲らなければならない自分。自分は一体なんなのか、ファウストと同じ時を歩めない自分は‥。
そこへ5歳のブラッドベリーが登場し、真似をして岩を叩き始める。
「よしなよ、ちび。あんたには無理だよ」
そういって止めるパンターだが、並み居る男の子を押しのけて番長格に収まっているブラッドベリーはこうつぶやく。
「父ちゃんも花公も頼りにならないから、あたしがみんなを守ってやらなきゃいけないんだ」
子供の世界で精一杯頑張ろうとする彼女を見て、パンターの心は揺らいだ。そう、転生する前の彼女も、うじうじ悩むより先に行動するタイプだった。間宮小樽との出会いと別れ、苦悩と旅立ち‥いつも躊躇うことなく行動してきて、ついに人間になれた彼女。自分が情けなくなったパンターは悩むのを止め、ちびブラッドベリーに突きの教授を始めるのだった。
ルクスもまた、悩んでいた。子供が産まれた後、ファウストはファウストのままで居られるのだろうか。総統の座を捨て、テラツーを救う旅に出た彼も、妻と子供のために矛を収める日が来るのだろうか。そしてそのとき、自分は彼にとって必要の無い存在になるのだろうか。
茫然と立ち尽くすルクスに、5歳のチェリーが寄ってきた。
「ルクス姉さん、叔父さんたちと、喧嘩でもしたの?」
ふるふると首を振るルクスであったが、チェリーは鋭く突っ込んできた。
「よくわかりませんけど‥わたくしは、お父様とお姉さまとライム、そして長屋のみなさんが大好きです。大好きなみんなと、いつまでも仲良く暮らしていたい。そう、ローレライさんとも、ルクス姉さんたちとも。だから仲直りして、叔父さんたちと」
何度も間宮小樽との別れを経験しているチェリーの言葉だけに、ルクスは反論の言葉を失った。そう、少なくとも自分はファウストに必要とされ、常に傍を離れずに居られた。起きてもいない将来の不安に怯えて立ち止まっているようでは、チェリーたちに笑われる‥。そう思ったルクスは、笑顔でチェリーを抱き上げた。
ティーゲルは、花畑の中に居た。そう、ファウストが子供だった頃、彼はティーゲルだけのものだった。先代も、先々代も‥折々のファウストの成長を見守ってきたティーゲル。花畑を見るとその頃が思い出される。だが、もう次世代のファウストは生まれない。次の次代をになうのは、ファウストのクローンではなくファウストとローレライの子供‥ガルトラント帝国と何の関わりも無い子供。自分は喜んでいいはずなのに‥なんだろう、この一抹の寂しさは。
俯くティーゲルの鼻先に、何かが当たった。眼を開けると、小さなライムが満面の笑顔で、自分で作った花輪をティーゲルに差し出していた。
「えへへ‥ハォッ!」
「ありがとう、ライム‥でも駄目だろう、こんなに花を摘んじゃ」
優しく諭すティーゲルであったが、ライムはにこにこしながら花輪を差し出す。仕方なくティーゲルが受け取って頭に載せると、ライムは背中から次々と花輪を取り出して、ティーゲルの肩や首、背中や耳にかけまくった。そして余った花をティーゲルの頭上に投げ上げると、
「ティーゲル、すっごく綺麗!」
嬉しそうに跳ね回るライムを見て、ティーゲルの表情は和らいだ。子供はいい‥精一杯遊ぶ子供は輝くほどに美しい。なにを迷っていたんだろう。ファウストの子供が自分のものにならないからって、なんだと言うんだ。子供は誰のものでもない、子供の未来はその子自身のものじゃないか。自分がすべきことは、この純真さを大切にして‥ファウスト様のような、洗脳による悲劇を繰り返させないことじゃないのか。
「おいでライム、あっちにもっと綺麗な花があるよ」
「本当? うわぁ〜い♪」
**
それから、少しして。ローレライは臨月を迎えた。とはいっても産婦人科など無いので、自宅でウンウン唸るのをただ見守ることしかできない。出産には介助人が要る、という情報をようやく引き出したルクスは、自分がその役をやろうとするがティーゲルに止められる。
「私にやらせてくれ‥頼む」
ティーゲルの眼の色を見たルクスは何も言わずに部屋を出た。パンターが後に続く。
「ティーゲルは、幼少のファウスト様を見てこられた。その先代も、先々代も‥ティーゲルには、ファウスト様の和子を出迎える資格があるわ」
(以下、クライマックスへ)
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