メソポタミア号から降り注ぐ雷撃。火に包まれるジャポネスの町並み。ガルトラントの侵攻とは比較にならない、惑星テラツー滅亡の危機。
みんな何も知らずに死んでゆく。どこに逃げればいいかも分からず、どこに逃げても助からない。
ぼくたちは知っている。テラツーを救うたった一つの方法を。どこに行き、何を差し出せばいいのかを。そして小樽くんがそれをためらう理由も。
「お兄さま、テラツーはもう終わりって本当?」
「えっ?」
「ぼくたちみんな死んじゃうって、本当なの?」
弟の夢二がふるえている。嘘だと言ってやりたい。でも目の前に破局が迫っている現状で、そんな気休めは何の役にも立たない。
夢二は死ぬのか。ぼくも死ぬのか。小樽くんも、3人のセイバー娘も、長屋のみんなも、みんな死んでしまうのか。
「そんなことないさ、そうだよね、小樽くん!」
「‥‥」
「小樽くん、勝手な言い草なのは承知だ。ぼくのことを一生恨んでもかまわない。殴りたきゃ、殴りたいだけ殴っていい。頼むよ、夢二に明日をあげてくれぇ! 未来をあげてくれぇ!」
「‥花形」
「小樽くぅん!」
ぼくは卑怯者だ。自分の大事なものを守るために、小樽くんの大事なものを捨てさせようと言うのだから。
そして、心の底では分かっていた。小樽くんが、ぼくの愛する小樽くんが、引き受けてくれるわけが無いことを。小樽くんはそういう人だ。あれだけ大事にしていたライムたちを、死地に追いやることができるものか。
「小樽、ぼく、いくよ」
「ライム?!」
「わたくしも」
「あたしもいくよ」
「だって、 ぼくたちが行けば、テラツーが、みんなが助かるかもしれないんでしょ?」
ぼくは顔を上げられなかった。ぼくらのために死んでくれるというのだ、この娘たちは。その決意をさせたのはぼくだ。彼女たちと小樽くんの仲を引き裂こうとしているのは、メソポタミア号とこのぼくだ。
「追いてくるんじゃねぇ。 もし追いてきたら俺は、俺はおめぇらを、でぇっ嫌れぇになるぜ!」
そう言って小樽くんは、一人でジャポネス城に走っていった。テラツー救済の鍵となるはずのセイバーたちを残して。
「お兄さま、小樽兄ちゃん、大丈夫だよね? ぼくたち助かるんだよね?」
「‥当たり前じゃないか。あの小樽くんが戦ってくれるって言うんだ。できないことなんかあるもんか」
他に何が言えよう。ぼくは無力だった。小樽くんが体を張って無謀な戦いに赴こうというのに、 ぼくはここから立ち上がることすらできないのだから。
「泣かないで、夢ちゃん」
「そうよ。 テラツーはきっと救ってみせるわ」
ぼくが言いたくても言えないことを口にして、夢二の頭をなでてくれるチェリー。
「‥行こうか。 小樽をひとりで死なせるわけには行かないよな」
「‥ええ」
「うん」
立ち上がるライムたちと、それを見上げる夢二。ぼくは見上げる勇気が無かった。彼女たちが何をしようとしているかは痛いほど分かる。自分の無力さを呪いつつも、ぼくが言えたのはこれだけだった。
「‥すまない」
**
その日の夜。天から降る剣と雷の光が止まった。源内じいさんたちは胸をなで下ろしつつ、避難所から出て消火作業の手伝いを始めた。ぼくと夢二も手伝った。じっとしていると、胸がつぶれそうな気分だった。
ふと見上げると、もうもうと燃え盛る煙の向こうに、ちいさな流れ星が見えたような気がした。
**
数日後。小樽くんが帰ってきた。ぼろぼろの服と、死人のような顔色をして。
「小樽くん! よかった、怪我はない?」
「‥ばっかやろう‥」
電撃に触れたかのように、 小樽くんに伸ばしたぼくの手が凍り付いた。
「ちくしょう‥あいつら‥約束を破りやがって‥」
何も目に入らないかのように、小樽くんはつぶやきながら歩きつづけた。出迎えに来た長屋のみんなも、無言のうちに道を開けた。金縛りにあったぼくの前をすり抜けて、小樽くんは自分の部屋の前に立ち、そこで歩みを止めた。
誰も、何も言わなかった。小樽くんの背中は全てを拒絶していた。小樽くんはうつむいたまま、震える手を長屋の扉にのばし‥触れる寸前に、はじかれたように手を引いた。何度も何度も、小樽くんは手を伸ばしては引き、伸ばしては引く動作を繰り返した。
小樽くんの気持ちはぼくにも良く分かった。長屋のみんなも分かるみたいだった。小樽くんは恐いのだ、部屋の中で待っている現実が‥誰も待っていないという、現実が。
**
‥陽が暮れてきても、小樽くんはそこから動かなかった。長屋のみんなも誰一人として身動きしようとしなかった。ぼくの手に掴まっている夢二も、一言も発せずに小樽くんを見つめていた。
小樽くん!
そう口にできたら、どんなにいいか。だがぼくの体と喉は、ずっと凍り付いたままだった。小樽くんが苦しんでいるのにぼくは何もできない。いちばん辛いときに、声をかけてあげることもできない。 そばにいてあげることもできない。
しかしぼくは、こうなった責任を取らなければならない。小樽くんもライムたちも逃げずに戦っている間、ぼくは震えて隠れていた。戦いが終わった今、傷ついた小樽くんに何一つしてあげられないのなら、ぼくは生き残る資格なんか無い。
ぼくは動かない体に鞭を打って、夢二の手を放した。小樽くんに伸ばしたままの右手と同じ高さまで、左手を持ち上げた。手を開き、小樽くんに向けて開いた。後は脚が前へ進んでくれれば‥。
「おた‥」
「小樽!」
背後からかかった鋭い声が、小樽くんの震えを止め、前進しかけたぼくを地面にディープキスさせた。 こんな鋭い声を出せる人をぼくは一人しか知らない。
「‥師範‥」
「小樽」
振り向かずに立ち尽くす小樽くんに、師範はするすると歩み寄った。そして肩に手を乗せて、
「‥よくやったな小樽。お前はテラツーを救った。誰にもできないことをやり遂げたのだ。胸を張るがいい」
「そうじゃよ小樽」
「そうだ」
「お前たちのおかげだぜ」
時間が動き始めた。小樽くんを見守っていたみんなは、口々に小樽くんを励ます声をかけ始めた。
ああっ、夢二までぼくより先に小樽くんのほうへ!
「よくやった、ぼくは誇らしいよ、小樽く‥」
「うるせぇ!」
小樽くんが振り向きざまに放った手刀を食らって、ぼくは10尺も飛ばされてしまった。そしてぼくが起き上がる間に、小樽くんは長屋の扉を開き、ぼくたちの前から姿を消してしまった。
「小樽くん‥」
三度歩み寄るぼくの脚を止めたのは、部屋から漏れてくる泣き声だった。魂を絞るような号泣。決して大きな声ではないが、聞いたみんなの胸から永遠に離れないであろう深い深い悲しみの咆哮。
マリオネットのために泣くなんて、とは誰一人思わなかった。それどころか聞いた全員が涙を流していた。もちろん夢二も、ぼくも。
「‥思う存分、泣かせてやろう。今夜は」
「‥そうじゃな」
鼻を啜りながら、一人また一人と去って行くみんな。
みんなが去り、夢二が去り、小樽くんの部屋の前に残るのはぼく一人になった。こんな小樽くんをどうして一人にしておくことができよう? だが今夜この部屋に入れば、小樽くんから絶交を言い渡されるのは確実だった。進むことも退くこともできず、 ぼくは夜風の吹き抜ける中、小樽くんと一緒に泣いていた。
**
「ひぇっくしゅん! ひぇっくしゅん!」
「お兄さまは寝ててよぉ、小樽兄ちゃんには、僕が持っていくから」
「い〜や、黙って‥ひぇっくしゅん!黙って、いろ、夢二。これは、ぼくが、持っていくんだ‥ひぃっく! 持っていくんだから」
翌朝。小樽くんの部屋から声が聞こえなくなったのを確認したぼくは、朝ご飯を作るために自分の部屋に戻った。小樽くんは欲しがらないだろうしぼくも食欲は無いが、食べさせなければ小樽くんは駄目になる。怒鳴られようが殴られようがかまうものか。小樽くんを立ち直らせることが、セイバー3人娘たちへのぼくからの感謝であり、小樽くんへの贖罪なのだ。
我ながら麗しい愛情‥と言いたいところだが、夜風に当たって夜を過ごしたせいか、体の調子が良くない。風邪をこじらせたに違いない。肝心なところで、なんて締らないぼくなんだ‥小樽くんに風邪を移すわけには行かないので朝食作りは夢二に手伝ってもらったが、せめて小樽くんに手渡すくらいは、自分でやりたい。
「無理だよお兄さまぁ、40度も熱が有るじゃない、じっとしてないと」
「うぬぬぬ‥な、なんのこれしき‥ひぇっくしゅん!」
頭が重い。お盆が重い。今日のぼくはどうしたって言うんだ‥。
仕方ないのでお盆を背中に乗せ、蛇のように這いながら外に出て、小樽くんの部屋の前に進んだ。いつもなら壁を一枚ぶち破れば済むことだが、今日はそんな気力はなかった。
「おっ樽くぅん、あーさ御飯だよぉ。一緒に食べよ〜およぉ」
‥返事はない。
「お兄さまぁ、きっと小樽兄ちゃん、眠ってるんだよぉ。邪魔しちゃだめだよ」
「い〜や、ぼく‥へっくしゅん! ぼ、ぼくには分かる。小樽くんは夢に逃げる人じゃない。心を‥へっくしゅん! 心を閉ざしているだけだ」
小樽くんの心を開けるのは、ぼくだけだ!
ぼくは声を限りに小樽くんに呼びかけた。頭がぼぉっとして何度呼びかけたか分からなくなったが、それでも呼び続けた。身体が痺れて、背中のお盆の重さすら感じられなくなってきたころ、待ち望んだ返事がついに返ってきた。
「‥帰ぇってくれ、花形」
「小樽くん! 朝ご飯を、も、持ってきたよぉ。一緒に‥」
げほん、げほん。
「‥一緒に食べてくれなくていいからさぁ、食べてよ小樽く〜ん。元気ださなくっちゃぁ‥」
「しつけぇぞ花形、だいたいてめぇは‥」
ガラッ。小樽くんが開いた扉と擦れて、ぼくの鼻から煙が立った。小樽くんはぼくに文句を言おうとして絶句し‥ぼくが足元に這っているのを見て、苦しそうにつぶやいた。
「‥気持ちはありがてぇけどよ。今は一人に‥ひとりに、しておいてくれねぇか」
「だめだよぉ小樽くん、せっかくぼくが、小樽くんのために愛情を込めて‥」
「いいかげんにしやがれ!」
そう言ってお盆ごとぼくを蹴り出そうとした小樽くんだったが、お盆を見て、ぴたっと足を止めた。
「これは‥チェリーの糠漬け‥」
「そ、そうだよぉ小樽く‥ふ、ふぁっ、ふぁっ‥」
「危ねぇ!」
今世紀最大のくしゃみがぼくを襲う‥その直前に小樽くんは背中のお盆を取り上げると、ぼくを思いっきり蹴り飛ばした!
これがブラッドベリーの蹴りならぼくは宙を飛んでいるはずだが、小樽くんの蹴りはぼくを向かいの長屋の扉にめり込ませるのが精々で‥くしゃみを終えたぼくの目の前に広がっていたのは、何かに吹き飛ばされた茶碗たちと、鬼のような形相の住人たちの顔だった。
「余計なこと‥しやがって」
みんなに足蹴にされながらも、ぼくは幸福だった。小樽くんがそうつぶやいて、朝ご飯を持ったまま部屋に入った音が聞こえたから。
後半へ、続く