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めいどさん☆すぴりっつ(下)

初出 2005年12月14日
written by 双剣士 (WebSite)
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 この物語は、連載58話および単行本3巻末のおまけ漫画をモチーフにしています。未読の方でも意味が通じるように書いたつもりですが、なるべく上記作品をご覧になってからお読みになることをお勧めします。

************* 下編 *************

「……はあぁっ」
「ずびばぜん……」
 もはや何度目か数える気すら起こらない、深い深い溜め息をつくレイ婆ちゃん。孫娘の成績は惨憺たるものだった。食器片付け200セット、鉄アレイ往復400回、白無垢での滝登り50往復……獅子のあなの地獄メニュー、そのどれひとつとして二十歳のポンコツメイドはクリアできなかったのだ。それも制限時間が短いとか回数が足りないのなら向上の余地もあるだろうに……不肖の弟子ときたら1回目をこなす以前に、転んだり滑ったり溺れたりしているのだから話にならない。
「ほとほと愛想が尽きたよ。さっさと出てお行き」
 と普段の貴嶋レイならば言うだろう。だがしょげかえっている孫娘に対してそんな冷たい言葉は吐けなかった。なんだかんだ言っても相手は可愛い孫なのだ。
「……どうするね、サキ? ワタル坊ちゃんのとこに帰るかい?」
「……帰れません、若の元になんて……このままじゃ」
「それでもね、あんたが獅子のあなをクリアするころには、あたしゃお迎えがきてる気がするよ」
「はうぅ……」
 見るも無残にうなだれる貴嶋サキ。こりゃ技能向上以前に自信回復が先かねぇ、と悟ったレイ婆ちゃんは優しく語りかけた。
「どうだいサキ、初心者コースからやり直してみる気はないかい?」
「しょ、初心者コースがあるんですか?」
「獅子のあなの入門編として、ねこのあなってのがあるにはある」
「な、なぁんだ、だったら最初からそっちを勧めてくれても……」
「でもこれは、無能なメイドが無駄と分かっていても一応再教育を受けるためのコースだからねぇ」
 期待に膨らんだサキのハートは、レイ婆ちゃんの容赦ない言葉の槍にズタズタに切り裂かれてしまった。自覚しているつもりではあっても、他人にあからさまに言われると涙が出ちゃう。女の子だもん。
「でもさっきの有様を見る限り、ねこのあなですら合格に何年かかるか」
「そ、そんなぁ!」
「ちなみにその下となると、ハムスターのあなっていう寝ぼけても通れるコースになるね。もっともこんなのクリアしたところで、カラー扉絵に顔を出す権利すら手に入らない程度の代物だが」
「……ねこのあなでいいです」
 サブヒロインとしての意地が、彼女に身の程を超えた修行コースを選ばせた。しかし200セットを4セットに減らしたところで、今のサキに合格する見込みがあるとは思えない。レイ婆ちゃんの気苦労はまだまだ続きそうだった。


 一方、橘ワタルの方も幸福とは言えない状況にいた。
「……ただいま」
「お帰りなさいませ。お食事になさいますか、それともお風呂をお先に?」
「お前」
「お気遣いなく、わたくしはワタル坊ちゃまがお召し上がりになった後で、別室でいただきますので」
「……やっぱ風呂にする」
「かしこまりました」
 冗談のひとつも言えない堅苦しさ。不機嫌そうなワタルの表情はもう何日も固まったままになっていた。有能なのは認める、言葉遣いも態度もメイドとしては完璧なのだろう。だが彼女はかたくなに持ち場を守るタイプで、笑ったり怒ったりからかいあったり……そういった類の感情を少年と交わし合おうとはしないのだった。
「ふうっ」
 カバンをほうり出して自室のベッドに大の字に横たわる橘ワタル。考えてみれば愛沢家は大財閥、メイドも執事も数え切れないほど抱えてる。そこから来たメイドさんにはきっと悪気などないのだろう、あっちではこういう態度が普通だろうから。
「うちはサクとこみたいに広くないもんな、別にメイドなんか雇わなくたって……」
 強がっては見たものの胸の空虚さは埋まらなかった。独りぼっちは寂しいが、2人で居るのに心が通じないのはもっと寂しい。自分の家なのにそうでないような、妙な感覚に襲われたワタルは小さく身震いをした。それもこれも、今までずっとそばに居た泣き虫のからかい相手がいないせいだった。
「……サキのやつ、いつになったら帰ってくるんだよ……」
「ワタル坊ちゃま、咲夜お嬢さまからお電話でございます」
 独りぼっちの自室でぽろっと弱音を吐いた瞬間、ドアの向こうからメイド少女の呼び声。ワタルは弾けるようにベッドから跳ね上がると、少し赤い顔のままで扉を開けて受話器を受け取った。心に浮かんだ弱気を悟られまいと、わざとぶっきらぼうに言葉を発する。
「おう、サクか、何の用だよ、こっちはもうすぐ風呂に入るとこで……」
「一大事や!」
 電話機から飛び出してきた咲夜の叫び声が、ワタルの余裕を木っ端微塵に吹き飛ばした。
「サキさんが壊されてまう!!」


「あほんだら、サキさんに何ちゅうことさせるんや!」
「お嬢ちゃんは引っこんどきな、修行の邪魔だよ」
 床に座り込んでおろおろと左右に首を振る貴嶋サキの傍らで、世界を股にかけるハウスメイドと世界に羽ばたく(予定の)関西芸人の卵とは険しい表情で向かい合っていた。老メイドの背には獅子のオーラが、若きタイガースファンの背後には虎のオーラが陽炎のように立ち昇っている。猛獣界の頂上対決、そう間単に決着はつきそうにない。
「面白そうやから今まで黙っとったけど、これはあかん! こんなんサキさんにやらす訳にはいかへん」
「世間知らずなお嬢ちゃんだね、このくらい出来ないでどうするんだい」
 3人の目の前にはテーブルに積み上げられた食材と皿の山、そして図解入りのレシピが並べられていた。『時間無制限で指示通りのお料理を作る』サキには内緒でレイ婆ちゃんが差し替えた、ハムスターのあなの最初の試練である。はっきりいって素人の花嫁修業でもここまで親切ではなさそうな、修行というより自信回復のためのメニュー。だが咲夜が気に入らないのはまさにその点だった。
「あかんあかんあかん、なにも分かっとらん! こんなん、サキさんでも出来てしまうやないか」
「それが何か……?」
「サキさんは失敗してナンボやないか!」
 咲夜はびしっと指を伸ばして貴嶋サキのほうを指し示した。あまりといえばあんまりな言い草に、サキとレイ婆ちゃんの目は点になった。
「サキさんは自分の価値がわかっとらん! ドジでポンコツで泣き虫で、それでいて苦労性のメガネっ娘、それが貴嶋サキの存在意義やろ! 少なくとも読者にとっては」
「ど、読者だなんて、いきなり言われても……私は若の役に立ちたくて……」
「有能なメイドのポジションはマリアさんで埋まっとるんや! いまさら劣化版マリアさんなんて目指してみい、人気急降下で出番もウチら以下にされてしまうで」
「……頭に虫でも湧いたのかい、訳わかんないことばかり言い出して」
 読者人気など気にする必要のないレイ婆ちゃんは、あっさりと咲夜の言い分を一蹴した。剣呑な空気が2人の間に流れる。微妙な立場に置かれてしまったサキは、あたふたと火消し役に回るのだが……。
「あ、あの、落ち着いてください。私のために争うなんてやめてください、私なら大丈夫ですから……」
「見てみい、この大根演技! サキさんには悲劇のヒロイン役なんて無理なんや、もうお笑い路線に賭けるしかないやろ!」
「……前半部分には同感だね、不本意ながら」
 ……咲夜とレイ婆ちゃんにネタを提供しただけで終わってしまった。各々で微妙に異なる理想の貴嶋サキ像。もはや2人の対決は、当人の意思など関係ないレベルにまで燃え広がってしまっていた。
「でも、この子は伝説のハウスメイドの孫娘。役立たずのままで終わらせるわけにはいかないんだよ……」
「ふん、単行本3巻のおまけにしか出とらん年寄りのプライドなんか知るかいな。ウチは読者の代表として、天然なサキさんを守ったる!」
「面白い、誰に喧嘩を売ったか教えてやろうか……」
 闘気が渦となって2人を包み、余人の侵入を阻む。2人は戦場をキッチンから外に移すべく、殺気を交し合いながらものすごい勢いで横向きに駆け出した。腰を抜かしたサキは奥歯をがたがたと震わせながら2人を見送ったのだが……そんな彼女の襟首を、突然強い力で引っ張る者が現れた。
「きゃっ……?!」
「いつまで漫才やってんだよ、帰るぞ、サキ」
 ずるずると引っ張られながら振り返ったサキの視線には、見慣れた少年の後ろ姿があった。サキは夢のなかにいるような浮遊感の中で、彼女にだけ許された少年の呼び名を口にした。
「若……」


「あの、若、私……」
「…………」
 なんど途中で立ち止まろうとしたか分からない。だがその度に子供とは思えぬ強い力で手を引かれて、貴嶋サキはとぼとぼと橘ワタルの後をついてきていた。先に立って歩く少年はぐいぐいと手を引っ張るだけで、なかなか表情を見せてくれようとはしない。やっぱり家出したことを怒ってるのかしら、そう危惧したサキは意を決して少年の前に回りこみ頭を下げた。
「すみません、若、勝手に家出なんかして! でももう少しだけ時間をください、若に迷惑かけなくてすむように、私なりに頑張ってる最中で……」
「……いいから来るんだよ」
 少年はサキの謝罪に取り合わず、彼女の手を握りなおして前に進む。やっぱり簡単には許してくれそうにない、帰ったら折檻とかされるのかしら……そんな不安を抱いたサキはうつむきながら声を漏らした。
「そうですよね、独りぼっちにして怒ってるんですよね……分かりました、これからは家で頑張って、少しでも迷惑を減らせるよう……」
「迷惑だなんて思ってねーよ」
 前を歩く少年から、意外な言葉が天然メイドに投げかけられた。それがきっかけだったかのように、表情を髪で隠した13歳の少年はぽつりぽつりと独り暮らしの寂しさを言葉に乗せ始めた。
「なーんか調子でねーんだよな、サキが家にいねーと」
「…………」
「皿を割ったり洗濯物を落としたり、転んで泣いたりする奴がいない家ってのは、妙に静かでさ……帰った気がしねーんだよ」
「……すみません」
「あー、なんでこんな難儀な性格になっちまったんだろな、俺! 親父たちを当てにせずに事業を再建しなきゃならねーってのに、歩く不良債権が傍にいないと落ち着かねーなんてさ!」
 照れくさそうに頭をかきむしる少年を、サキは後ろから優しい表情で見守った。少年の言葉を額面どおりに取るほど彼女も子供ではない。
「……責任取れよな、サキ」
「えっ?」
「別にメイド道なんか極めなくていいからさ、ずっと傍にいろよな、俺の」
 少年はそのまま口をつぐみ、天然な少女の手を引きながら歩く速度を速めた。貴嶋サキはもう立ち止まろうとはしなかった。空いた手で口元を押さえながら、前を歩く少年と自分自身の心にだけ届くくらいの小声で、サキは感謝と嬉しさと決意表明を、ほんの短い言葉に込めた。
「……はい、若」


 そして。固く手をつないだ2人の男女がオフィス街のビデオ屋に戻ってきたのは、すっかり陽の暮れた時分のことだった。
「この部屋、私じゃない女の人の匂いがします……」
「え、あ、いや、そのぉ……」
「まさか若、私がいない間に……えええエッチなことを!」
 こうしてまた新たな修羅場が彼ら2人に襲いかかるのだが、それはまた別のお話。


Fin.

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