ハヤテのごとく! SideStory(桂雪路のお誕生日記念SS)  RSS2.0

ぷらいすれす(下)

初出 2007年11月19日
written by 双剣士 (WebSite)
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 この作品はゆきヤミに寄贈しました。



************* 下編 *************

 飲まずには居られなかった。
 公衆電話から吐き出されたテレカをズタズタに破り捨てた私は、その足で近くのショットバーに飛び込んだ。有無を言わさぬ口調で貸し切りを宣言し、舎弟たちにお金を持ってこさせる。ケチで有名な雪路姐さんのおごりと聞いて馳せ参じたチンピラたちは、口々に私の武勇伝を誉めそやしながら飲みまくり騒ぎまくった。下心を隠そうともせずに私のグラスにお酒を注ごうとする連中が次から次へと押し寄せた。その全てを一息で飲み干す私を見て連中の意気はますます上がった。
 そんな喧騒に包まれながら当の私はというと。
『お姉ちゃん……お姉ちゃんまで、いなくなっちゃうの?』
 ヒナの声が頭から離れない。忘れたいのに、酔いつぶれたいのに、私の身体はちっとも意識を手放してくれなかった。周囲の連中とバカ話をしながらも頭はますます冴え渡り、壊れたビデオのようにヒナとの思い出ばかりを再生する。両親の分まで妹のことを守ると誓った私に対する、これは罰だ。私の背中を一生懸命に追いかけてくれた小さなヒナの手を、よりにもよって私の方から離してしまった。私はその十字架を一生背負い続けていかなきゃならないんだ。
『私がヒナのこと置いてく訳ないでしょ? ヒナは世界一大切な私の妹よ、これからもずっと』
 こんな言葉を口にしたのはどのくらい前だったろう。妹のためにと思って頑張って、他人を傷つけてまでお金を貯めたって、そんなの今となっては何にもならない。ヒナを手放して何を守るって言うんだろう? やっぱりこんな、極道の世界なんかに身を落として借金を返そうとしたのが間違いだったのかしら。たとえばお金持ちのお嬢様を誘拐して身代金を取るとか、ファミレスに強盗に入って売上金を奪うとか、そういう手っ取り早い方法のほうが良かったのかしら。
「……最低。完全にチンピラの思考回路になってる……」
 まんじりともせずに朝を迎えた私は、周囲に寝転がってる連中のお腹をヒールの踵で踏みつけながらまぶしい店外へと歩き出したのだった。

 その日から私は借金を返すのをやめ、稼ぎの全てを飲み代に当てた。どうせ返済完了してもヒナの所に行けないのなら、せっせと返す意味なんかない。守るものの無くなった私は以前よりずっと冷酷な振舞いで破壊工作や脅迫に勤しみ、いつしか『銀髪の悪鬼』という有難くもない異名で呼ばれるようになっていた。そして一仕事終えるたびに酒場に繰り出してパーッとお金を使い切る。手元に残しておいたら《もっと早くこの札束を手にしていたら》と後悔ばかりしてしまう気がして、私は敵を振り払うかのように派手にお金をばら撒いた。直属の舎弟たちはもう私の相手にもならなかったから、同門の組織や馴染みの悪党たちにも声をかけて酒場に誘い出して一晩中飲み明かす。いつになったら私を酔いつぶしてくれる奴が現れるのかしら、そうしたら何もかも忘れて甘えられるのに……そんな自暴自棄な望みを胸に抱きながら、私は連日連夜にわたって飲み続けた。でも神様の罰だろうか、私の希望をかなえてくれる男はいつまでたっても現れなかった。


 そんな自堕落な日々がどれくらい続いただろう。
 それは馴染みのお店を追い出されて開店したばかりの安酒場に乗り込んだ日のことで、そろそろ日付が変わるくらいの時間帯だった。いつものように醒めきった頭で底抜けの胃袋にお酒を流し込んでいた私の耳に、聞きなれた、2度とは聞けないはずだった甲高い声が飛び込んできた。
「お姉ちゃん!!」
 嘘だ、ヒナがこんなところにくるはずない。これは幻覚だわ、とうとう地獄からお迎えが来たんだわ……のろのろと脳味噌の回線をつなぎ直していた私は、強烈な痛みとともに現実に引き戻された。
「痛っ!!」
「お姉ちゃんのバカ、お姉ちゃんのバカぁっ!!」
 椅子から転げ落ちた私に容赦のない竹刀の攻撃が叩き込まれる。小学生とは思えないパワーと正確さで、ヒナの操る竹刀は喉元や脇腹や脳天を直撃した。背中を丸めて逃げ回っても、小さな足音と甲高い打撃音はどこまでも追いかけてくる。
「このガキ、姐さんになにを……」
「手ぇ出すな!」
 いきりたつチンピラたちを制止しようと片手を上げた途端、竹刀に足をすくわれて私は仰向けに横転した。その隙を見逃さず、ヒナは私に馬乗りになって上から打撃を振り下ろす。
「バカ、バカ、バカ!! お姉ちゃんのバカ!」
 ちょ、ヒナ、ミニスカートのくせにマウントポジションなんかやるんじゃない……腕でガードしながら私はそんなピンボケなことを考えていた。強烈な打撃が一瞬途切れ、その直後に鳩尾への突きが振り下ろされる。おもわずガードを下げてしまった私の首元に小さなグラップラーは覆いかぶさってきた。フロントチョーク?! とか思ったのもつかの間、
「お姉ちゃん、お姉ちゃん、わああぁぁ〜〜」
 ……回避不能なクリティカルヒット。腕の力も闘争心も、ヒナの泣き声を聞いたとたんに根こそぎ洗い流されてしまった。首にしがみついて泣きじゃくる妹の頭からはミルクの匂いがする。荒事の世界では縁のない匂いであり、たまらなく懐かしさを感じさせる匂いだった。こんな感情が私にもまだ残ってたんだ……そんな感慨を抱いたとき、もう1人の懐かしい声が頭上から降ってきた。
「探したぞ、雪路」
「……どうしてここが?」
「薫くんから連絡があった。ずいぶん前にジャズバーでお前を見かけてからずっと気にかけてくれてたそうで、ようやく見つけたって電話をくれたんだ」
「あの、バカ……」
 私は妹の背中に手を回して、そっと抱きしめた。ずいぶん以前に無くしたものをようやく取り戻せた、そんな実感があった。


 私はそのまま安酒場を連れ出され、桂家の応接間に正座させられていた。泣き止んだヒナは今でも私の首根っこにしがみついたまま。手を離したら私がまたどこかに行ってしまうとでも思ってるんだろうか。
「まずこれにサインしろ」
 神妙に身を縮こまらせる私を座らせたまま、目の前のテーブルに桂先生は2枚の紙を置いた。どちらも養子縁組の申請書。一方はヒナの分、そしてもう一枚は……え、私?
「ちょ、これ、どういうこと?」
「今回の件で、お前がコドモだということがよく分かった。放っておいたらとんでもない方向に暴走するやつだとな。保護者が必要だろ」
「あ、いや、私もう二十歳超えてるし、保護者の要る歳じゃ……」
「お姉ちゃん!!」
「……はい」
 背後からのプレッシャーに逆らう術はない。私はのろのろとボールペンを動かした。一枚は保証人欄に、もう一枚は本人欄にサインする。借金を抱えた私がご迷惑をかけるわけには、などと反論できる空気ではなかった。なんとなくシャクだった私は、先生の約束不履行をぶちぶちと小声でつぶやいたのだけど。
「ヒナの分、まだ役所に出してくれてなかったんだ……」
「当たり前だろ。お前とヒナちゃんの縁を切るようなことを、俺がすると思うか」
「先生は言ってたよ。お姉ちゃんが私をおいて外国になんか行く訳ないって」
「うぐ……」
 当たってるだけに反論できない。お釈迦様の手のひらに乗せられてるような敗北感を感じながら、私は朱肉に指を押し付けて書類に母印を押した。つづいて桂先生と奥さんが判子を押して書類は完成。先生は楽しそうに顔を上げた。
「よし、できた。これでお前は俺の娘だ、雪路」
「……そうね」
「じゃこれが、父親としての初仕事だな」
 そういうが早いか、私の頬に拳骨が飛んできた。ヒナの竹刀なんか比較にならないパワーに吹っ飛ばされた私が顔を上げると、先生は……もとい、くそ親父は嬉しそうに胸を張って宣言した。
「立て! ヒナちゃんの分、薫くんの分、そして俺たちが心配した分を思い知らせてやるから」
「ひどい、児童虐待だわ! 教育委員会に訴えてやる!」
「うるさい、出来の悪い娘を父親が殴ってなにが悪い!」
「そ、それが言いたくて養子にしたわけね……」
 くそ親父は私の傍にしゃがみこむと、今度は平手で何度も何度も私の頬を打った。ヤクザどものパンチに比べればスピードも切れもなかったけど、なぜか避けちゃいけない気がして私は往復ビンタをおとなしく受け止めた。するとじきにヒナの竹刀攻撃第2章も加わって……どっちにしろ避ける術のない私は、ズタボロに叩きのめされる羽目になってしまった。
 痛いけれど嬉しくて、苦しいけれど胸が熱くて。心地よく意識を手放せそうになった、その直前。
「雪ちゃん、私からもお仕置きよ♪」
「あ、いや、お義母さん、ちゃん付けされる歳じゃ……」
「なにか言った?」
「……いえ、雪ちゃんでいいです」
「責任持って、お料理を全部平らげてちょうだい。残したりしたら承知しないわよ」
 応接間から食卓に連れてこられた私の眼前には、贅を凝らしたパーティ用料理の山が並べられていた。涙をグジグジと流しながら頬張ったお料理は、とても暖かくて柔らかくて、でもちょっぴり塩味が強かった。


                 **


 それから先は、これまでの苦労は何だったのよって言いたくなるくらい、トントン拍子に進んだ。
 まずヤクザから足を洗う件については、向こうの方からクビ宣告されるという予想外の展開が待っていた。『銀髪の悪鬼』と恐れられていた私が小学生の女の子にフルボッコにされたという噂は一夜にして関東を駆け巡ったそうで、お前なんかを荒事に投入したら敵味方の双方からナメられちまうと直属の兄貴は呆れ顔で私に言った。もうヤクザとしちゃ使い物にならん、さっさと家に帰ってホームドラマやってろ、と。
「で、でも、借金が残ってるままで足抜けしたら……」
「これのことか?」
 引き出しから札束を取り出して机に積み上げる兄貴。姐さんの稼ぎのほとんどを飲みまくったのは俺たちだ、こういうときに借りを返さにゃ男がすたる……昨夜の一件のあとで舎弟たちがカンパ金を集めたところ、関東全域からお金が集まってきたそうだ。その額およそ700万円、借金を利子つけて返しても半分ちかく余る。取り立てる残金額より餞別せんべつのほうが多いなんてマンガにもならん、と兄貴は苦笑しながら漏らした。
「おっと、あいつらに礼なんか言うんじゃねーぞ。俺たちのことなんか忘れて堅気になれ。お前には守るものができたんだろ」
 私は深々と頭を下げた。
 過去を清算して桂家に帰ると、今度は中堅企業OLの臨時募集の職が待っていた。正直こんな過去を持った女はまっとうな勤め先なんて無いだろうと思ってたのに、学校教師を父親に持つという信用度は世間では思いのほか大きかったらしい。嘘でしょと思わず言ったら義父さんに殴られた。家族に対する責任ってのはこういうことを言うんだ、よく覚えとけと義父さんは誇らしげに私に言った。その様子にちょっと腹が立ったけど、おめでとうと抱きついてくるヒナの笑顔を見たら複雑な思いなんて吹き飛んだ。
 こうして、朝陽を浴びた桂家から妹と手をつないで出勤し、日の当たるオフィスで新しい友達と談笑し、陽が暮れたらご馳走の待つ我が家に帰るという生活が始まった。無くしたと思ってた平凡な幸せが戻ってきた。お給料は極道時代の10分の1以下になってしまったけど、お金で買えないものを手に入れた私は夢の中に居るみたいに幸せだった。


 ……でも、極道時代の負債が完全に拭い去れたわけじゃなかった。
 ガバガバと豪快に飲み食いする私のことをお義母さんは最初はやさしく見守ってくれてたけど、そのうちにお酒を控えるよう私に文句を言い始めた。理屈では分かってるけどいまさら無理。だって私は毎晩のように飲み歩いたあの年月のせいで、アルコールを分解してエネルギーにするように身体が出来上がってしまったんだもの。パンとか御飯とかのレベルじゃなくて、空気を吸うくらいの感覚でお酒を飲んでないとやって行けなくなっちゃったんだもの。
 じきに義父さんからのおこずかいも貰えなくなって、エンゲル係数……じゃない、飲んげる係数は50%を軽々と突破するようになっていた。いくら怒られてもやめられない。だって飲んでないと辛いんだもの。ヒナを捨てちゃったあの日々がふと頭をよぎると、お酒で紛らわすしかなくなっちゃうんだもの。
 ヒナにもよく怒られるんだ、今はいつだって会えるんだから飲まなくてもいいでしょって。でも理屈じゃないのよねぇ、パブロフの犬状態っていうか何ていうか、もう理性でどうにかなるレベルじゃないのよ。桂雪路はこういう女なんだって、まるごと認めてもらうしかないわけ。
 でもね、問題はそれだけじゃないの。お酒の量もそうだけど、先立つものが足りなくなってきちゃったのよね。OLのお給料なんて雀の涙だし、転職したあとの収入も昔とは程遠いし。だから……。



「……っていう話をしたわけなんだけど……ヒナ?」
「……よ、よくもまぁ、ポンポンと口からでまかせを……」
 我が愛しの妹は、私の前で拳を震わせていた。今の私は白皇学院の世界史教師、ヒナはそこの生徒であり生徒会長。姉としても教育者としても、私はヒナより目上の立場に居るはずなんだけど……なんでだろ、あの日以来ヒナには叱られてばっかり。
「おっかしいなぁ、この話をしたら、商店街のおじさんとかは気持ちよくお金を貸してくれるのに」
「なに言ってんのよ! 知らない人はともかく、お義父さんや私がこんなのを信じると思ってんの?!」
「だからヒナたちには回りくどいことしないで、ストレートに頼んでるじゃない。お金をください」
「より悪くなってるわーっ!!」
 そういえばケンカだって、ヒナには一度も勝てなくなったような気がする。まぁそれはいいわ、腕力に物を言わせてた時代は過去の話。当面の問題はお金よ、お金!
「だいたい私たち、なんで喫茶店の持ち主ってことになってるわけ? 借金に追われた日は住む家も無くなって、公園で凍死しかけたのを忘れたの?」
「あ、いやぁ、こういう場合はケナゲっぽい脚色ってありだと思うし……それに冬の公園で死にかけながらも生き延びたなんて、そんなたくましいエピソードを入れたら同情してもらえなくなるじゃない……」
「とにかく! もうお姉ちゃんにはお金なんて1円も貸しませんから! さっさと出て行きなさい!」
 恩知らずで薄情な妹に怒鳴られて、私は生徒会室から何の手土産もなく放り出されてしまったのだった。


 えっ、今の話のどこまでが本当で、どこからが嘘なのかって?
 やぁねぇ、私はおおざっばで有名な美しき世界史教師よ? 昼メロや朝ドラでやるみたいな、お涙ちょうだいな過去なんてある訳ないじゃない。
 でも全部が嘘とは思えないって? そう……じゃ、信じてくれてもいいわ。女は少しくらいミステリアスな方が魅力的って言うしね。でも同情してくれるんなら……ちょっとでいいからお金貸して? 今月マジでピンチなのよ〜〜、お願いっ!!


Fin.

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