まもって守護月天! SideStory  RSS2.0

わたしの Sweet Lady

初出 1999年07月20日
written by 双剣士 (WebSite)
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第1幕・お嬢様召来!

 1999年の7月。
 世紀末の太陽が、じりじりと地球の氷を溶かして行く。溶けた氷は海面を持ち上げ、世界の主要都市のいくつかは水没の危機にさらされると言われている。
 おりしもオゾン層破壊により、肌に有害な放射線が遠慮仮借なく降り注ぐ今日このごろ。人々の心はささくれ立ち、回避したと思っていた大戦争の足音もいつのまにかすぐ近くに聞こえてくる始末。昔の有名な予言者の言葉を借りるまでもなく、人類の危機は刻一刻と迫りつづけている。
 加えて、いつ終わるとも知れぬ日本の不況。人々は財布の紐を引き締め、贅沢を敵とし、家族や友人たちによるたまの旅行もこじんまりした日程で済ませる始末。自己防衛が金の巡りを悪くし、より一層の不景気を招くと分かっていても背に腹は替えられない。
 二度と巡ってこない青春の日々を、こんな不幸な時期に費やさなければならない若者こそ哀れむべし。若い体に溢れかえるエネルギーも、先立つものがなければ雨の日の花火と同じ。ぱぁっと弾けるきっかけを持てないまま、ぷすぷすと燻りつづけるのみ。

                 **

「うおおぉぉ〜っ、夏だあ! 夏休みだあ、青春の日々だあ! 夏と言えば海、海と言えば水着! 暑い日差しの照りしきる砂浜で、おれのハートは燃えるのさ! 見てろよシャオちゃん、今年のおれは一味違うぜ!」
「(ふぁさっ)シャオさん‥今日のあなたは一段と綺麗だ。実はお誘いに来たんです。南の海でのクルーズの旅、ご一緒いただけますか?」
「ねぇねぇ七梨先輩、もうすぐ夏休みでしょぉ? あたし、いろいろ考えて、あたしたちにぴったりの旅行プランを見つけてきたんですよぉ。ねぇ聞いて聞いて、ほら高原のペンション!」
 ‥そんな世紀末とは何の関係もなく。夏休みを1週間後に控えた土曜日の午後、七梨家に集まった面々は今年の夏休みの過ごし方について激論を戦わせていた。応接間に集結したのは太助、シャオ、ルーアン、離珠、たかし、乎一郎、出雲、花織の8人。暑がりのキリュウは人込みを避けて、2階の部屋で扇風機に当たっている。
「たー様ぁん、ルーアン暑いわぁん、脱・が・せ・てぇ〜」
「どわぁ〜っ、くっつくなルーアン、離れろぉ〜」
「あ〜ら、夏は女を大胆にするのよん♪ 真っ赤になっちゃって、たー様かわいいっ」
「いいなぁ‥太助くん」
 ただでさえ暑苦しい応接間が灼熱の空間に変わってしまった。相手の顔を熱くすると言う意味で恋の炎を計るならば、ぶっちぎりで優勝だろうな、この不良女教師ってば。
「あ〜んルーアン先生ずるいぃ〜、ねぇ七梨先輩、このペンションってねぇ、テニスコートがあるんですって! 朝は一緒にお食事して、お昼はお昼寝して、夕方にテニスで汗を流して‥そして夜は花火をしてから、トランプで遊ぶの! ねっねっ、いいでしょう?」
「シャオさん‥コバルト色の海が、私たちを待っています‥あなたの瞳の美しさには及びもつきませんが。一緒に夕日を見ながら、二人の輝ける未来に思いを寄せましょう‥いかがです?」
「何いってんだよ二人とも‥夏と言えば海、去年もその前もそうしてたじゃんか。今年はキリュウちゃんも居ることだし、またひと夏の思い出を作ろうぜ、みんな?」
 提案者全員に下心があるもんだから、激論は一向に収束しない。七梨太助は深々と溜め息をついた。いっそ3個所に順番に行っちまうか‥そんな優柔不断な考えが心に浮かぶ。しかしすぐに彼は、頭を振ってその考えを振り払った。今まで、こいつらの言う通りにしてろくなことはなかった‥。だって‥。
「‥たかし。前に行った夏の海は、そりゃよかったよ‥だけどさ。あんとき俺、すっごく痛い目に会ったような気がするんだけど(コミック5巻)」
「ぐっ‥」
「‥出雲。お前の口車に乗って、こないだは酷い目に会ったんだよな‥幽霊船に乗り込んだりしてさ。もうあんな目に会うのはまっぴらだぜ(アニメ20話)」
「あ、あれは‥その‥」
「‥愛原。誘ってくれるのは嬉しいけどさ、こないだのスキー場みたいな真似はもうごめんだぜ‥もう少しで死ぬとこだったんだから(アニメ13話)」
「そんなぁ‥」
 清い心の持ち主とは思えぬマニアックな突っ込みに、3人は息を呑んだ。3人はそわそわと視線を動かして‥そして同時に顔を上げて叫んだ。事実上の決定権を握っている人物へと。
「シャオ先輩!」
「シャオさん!」
「シャオちゃん!」
 そう。シャオリンが“行きたい”と言えば、それに反対できる者は誰も居ないのだ。たかしは熱い情熱を、出雲は淡い期待を、花織はささやかな打算を胸に抱いて、守護月天の言葉を待ちうけた。太助も不安な面持ちで‥どれかを選んで欲しいような、全てを断って欲しいような複雑な気持ちを抱きつつ、隣に座る美少女の白い顔を見つめた。
 ところが。しばしの沈黙の後、シャオリンの口から出たのは意外な言葉だった。
「‥翔子さんは」
「えっ?」
「‥翔子さんは、どこがお好きでしょうか‥皆さんに連れて行っていただいた場所、考えてみれば翔子さんはご存知ないんですよね‥」
「あっ‥」
「そういえば‥」
「そう、でしたっけ‥」
 そう。意外なことに、シャオリンの親友を自負する山野辺翔子はこの手の旅行に縁が薄い‥最近は特に。まぁ翔子はシャオと太助の仲を取り持つ立場なので、下心を持った面々は暗黙のうちに彼女をリストから除外していたのだが‥そんなことをシャオリンの眼の前で口に出来るわけもなかった。
「翔子さん、可哀相です‥いつも仲間はずれで」
「シャオ‥」
「今年は、翔子さんもぜひご一緒に‥一緒に、楽しい夏を過ごして欲しい‥我が侭、でしょうか‥?」
 細い声でつぶやくシャオリンに対して、首を横に振れる者は存在しなかった。七梨太助は優しい瞳で、隣に座る美少女に笑顔を向けた。彼とてどこかに出掛けたい気持ちはあったので、シャオリンが納得する形で行き先が決まることに異存はなかったのだ。山野辺翔子自身がトラブルメーカーであると言う一点に、そこはかとない不安を感じてはいたが‥。
「電話してみなよ、シャオ。山野辺のうちにさ」
「‥はい、太助様」
 廊下に出て電話を掛けるシャオリンを、一同は固唾を飲んで見守った。短いコール音の後、受話器を取るかすかな音が聞こえて‥。
「あの‥私、シャオリンと申しますが‥山野辺さんのお宅でしょうか‥」
「はい、こちら山野辺家でございます!」
 突然響いてきた中年女性の大声に、一同は仰天した! 受話器から七梨家全体に響く大声に、離珠は思わず耳をふさいだ。
「翔子お嬢様のお友達の方ですか? 翔子お嬢様に御用ですね? はい、今お呼びしますので、少々お待ちくださいませ!」
 ‥まもなく、その元気な声がオルゴールの小さな音に切り替わった。魂を抜かれたように呆然と思考を止めた全員の脳裏に、「エリーゼのために」の旋律が静かに染み渡ってきた。受話器から紡ぎ出される古今の名曲は、凍りついた一同の脳細胞を優しく撫でながら、右の耳から左の耳へと抜けて行った‥オルゴールが止まり、聞き慣れた少女の声が聞こえてくるまで。
「はい、もしもし‥翔子だけど」
「‥あ、翔子さん! 私、シャオリンです」
「‥え、シャオ?!(どたどた)ま、まじかよ‥電話する時は、あたしの携帯の方に掛けろって言ったじゃんか」
「‥あ、ごめんなさい」
「‥ま、いいさ今更。でもまさか、今時分に電話してくるなんて思わなかったよ‥どうしたんだ?」
「あ、あのぉ‥夏休みの、旅行の件で‥相談が‥」
《まぁ素敵! 翔子お嬢様にもご旅行に誘ってくださるお友達がいらっしゃったんですね!》‥ごめん、ちょっと今取り込んでんだ‥あとで、こっちから掛け直すから。ごめんな、じゃあ(がちゃっ‥つーっ、つーっ)」
 電話が切れて、受話器が置かれて。七梨家に集まった面々は、しばらくの間ぽかぁんと口を開けていた。そしてその口元が徐々に緩み‥肩が小刻みに震え始めた。彼らは思いがけぬ場面に遭遇したのだ‥あの山野辺翔子が、慌てふためいて取り繕うという珍場面に。
「みんなっ、すぐに不良じょーちゃんのところに行くわよっ!」
「「「「おーっ!」」」」
 ルーアン先生の声を起点として、シャオリンを除く一同の右手が高らかに突き上げられた。

                 **

 10分後。万難地天キリュウを加えた一行9名は、狂ったように照りつける夏の日差しの下を、わいわいと騒ぎながら歩いていた。
「さっきの叔母さん、一体誰だったんだろうね。山野辺さんのお母さんかな?」
「何いってんだよ乎一郎。母親があいつのことを『翔子お嬢様』なんて呼ぶわけないだろ」
「あっ、そっかぁ‥」
「そういや、山野辺のうちってすっげぇ豪邸なんだよなぁ‥きっとあれ、お手伝いさんか何かじゃねぇか?」
「有りえますね。翔子さんは何も言いませんけど、あれで結構いいとこのお嬢さんのようですから‥」
「クーラーがあると、嬉しいのだが‥」
「あたしぃ、山野辺先輩のうちって、行ったことないんです! そんなに大きなおうちなんですか、七梨先輩?」
「あ‥ああ、すっごい家だよ‥けど、あんな声を出すお手伝いさんに会ったことなんて、ないよなぁ」
「私も、です」
「ちょっとシャオリン、あんたあのお嬢ちゃんのうちにしょっちゅう泊りに行ってるじゃないの。あんたが知らないわけないでしょ?」
「そうですけど‥あれ、私‥翔子さんのうちで、翔子さん以外の誰かに会ったこと、ありません‥」
「「「ええっ?!」」」
 シャオリンの爆弾発言に、一同の足が止まった。シャオリンと翔子の仲の良さは誰もが認めるところ。その彼女が知らないと言うことは‥山野辺家の実態を知るものは、一同のなかには誰一人としていないことになる。もう何度も夏休みやクリスマスを共に過ごした仲間だと言うのに!(あれっ?)。
「‥ふ、ふ、ふ、燃えてきたわ。今日という今日こそは、あの不良娘の正体を暴いてやるわよ!」
「‥燃えるのならよそに行ってくれ。暑い」
「山野辺先輩って‥自分のこと、何にも話してくれない人ですもんねぇ」
「うおおぉ〜っ、なんてこったクラスメイトのこと何にも知らなかったなんて! 野村たかし一生の不覚!」
「‥俺たち、今まで気づきもしなかったもんな‥あいつのこと、心のどこかで線を引いてたのかもしれない‥」
 妙な盛り上がりを見せつつも、一同の脚は再び山野辺家へと進み始めた。期待と好奇心を膨らませて‥だがその群れから離れ、俯きながら立ち止まる少年が一人居た。
「‥? どうしたんだよ、乎一郎」
「遠藤先輩、置いてっちゃいますよぉ」
「‥やめようよ、みんな」
 心優しい少年のかすかなつぶやきに、一同は再び足を止めた。
「乎一郎、お前‥」
「やめようよ、可哀相だよ‥シャオちゃんにも話してないってことは、知られたくない事情があるんだよ、多分。山野辺さんきっと寂しいんだ。うちにお父さんもお母さんも居なくて‥きっと、だから、あんな風になっちゃったんだ‥」
「乎一郎さん‥」
「よそうよ、そっとしておいてあげようよ‥後で電話するって、山野辺さん言ってたじゃない。それを待ってようよ‥太助くんの家で」
 乎一郎の悲痛な叫びは、さすがの野村たかしをも黙らせてしまった。ルーアン先生はぷいっと横を向き、太助とシャオリンは顔を見合わせた。そしてしばしの重い静寂の後、この場の最年長(?)の青年が乎一郎に歩み寄った。
「‥出雲さん、僕‥」
「‥優しい人ですね、あなたは‥見直しましたよ。浮かれてた自分が恥ずかしいです」
「‥‥」
「しかし!」
 宮内出雲はむんずと乎一郎を小脇に抱え上げると、ずかずかと山野辺家の方角へと歩き出した。さすがのキリュウも呆気に取られるほどの力強い足取りで一同を追い越し、後ろ手で手招きをする出雲‥これが、年長者の決断力なのか?
「い、出雲さん‥だめですよぉ」
「い〜え、問答無用です! ここまで来たら行動あるのみ!」
「いずピー‥」
「す、すげぇ‥」
 自信に満ち溢れた出雲の姿に、一同も思わずつられて歩き始めた。ずんずんと山野辺家への道のりを縮める美貌の神主‥その胸に去来するものは何か?
「出雲さん‥よしましょうよ、興味本位で人の秘密を覗くの‥」
「遠藤君の気持ちは良く分かりますがね、物事はもっと、広い眼で見なきゃいけませんよ」
「広い眼って?」
「私たちは翔子さんを疎遠にしすぎた‥さっき皆さんがおっしゃってたじゃありませんか。恥じるべきはそのことであって、それ以外ではありません。遠藤君の言うことは、翔子さんのことを思いやっているようで、実は全く逆の意味を持つ行動なのですよ」
「‥そ、それは‥そのぉ‥」
「私たちは翔子さんのことを知る必要があるんです。もっと深く踏み込んで、彼女を受け入れてあげられるようにならなきゃいけないんです‥たとえ彼女が現時点でそれを望まなくてもね。これが本当の優しさと言うものですよ」
「‥そう、かなぁ‥」
 さっきまで下心満載のリゾート提案をしていた男とは思えぬ台詞。
「それに遠藤君。もっと大事なことを、忘れていませんか?」
「ま、まだあるんですか?」
「そうですよ。我々は立ち止まってはいけないんです。こんなところで立ち止まっていたら‥」
「‥いたら?」
「お話が進まないじゃないですか!」
 出雲についてきた面々が、この言葉で豪快にずっこけた。出雲に抱え上げられたままの乎一郎も顎を“かくーん”と落とした。そんな彼らを尻目に、自分の言葉に酔いしれた宮内出雲は山野辺家に向かう最後の曲がり角を右折し‥ようとして。
 どがべしゃ、ぐわっ!!!
 ‥これまた豪快に地面に顔を突っ込むことになった。
「‥まぁったく、こんな事じゃないかと思ったら‥」
 そこには、腕組みして塀にもたれたまま、片足を突き出した山野辺翔子の姿があった。

                 **

 翔子は初めから好戦的だった。意識もうろうとした出雲と乎一郎を曲がり角の向こうに押し戻すと、追いかけてきた一同の前に仁王立ちしたのである。その無言の気迫は、あのルーアン先生ですら太助の背中に隠れさせるほどの迫力。一同は一瞬にして、夏の暑さを忘れた。彼女が正真正銘の本気だということを、浮き浮き気分で歩いてきた一同は冷や汗と共に思い知らされたのだ。
「嫌な予感がしたんで待ってみたら、案の定‥あんたら、なぁ‥」
 拳を震わせる翔子。何にそんなに怒っているのかは定かでない‥はずなのだが、胸の奥に邪な好奇心を抱いていた面々は否応なく受け身の立場に立たされた。
「ち、ちょっと待ってくれよ山野辺‥おれたちは、さぁ‥ただ、そのぉ‥」
「や、山野辺先輩‥違うんです、あ、あの、あたしたちは‥あのぉ‥」
「お、お嬢ちゃんったら‥や、やーねぇ、なに怒ってんのよ‥あたしたちは、ちょっと、ほんのちょおっとだけ、遊びに来ただけじゃないのぉ‥」
「遊びに、だってぇ!」
 翔子の叫びが雷鳴のように鳴り響き、怯える一同はひくっと首を震わせた。なんで、なんでこんな目に会わなきゃいけないんだろう‥頭ではそう思いつつも、そうと口に出せない張り詰めた雰囲気が、彼らの身をよりいっそう縮こまらせていた。
「なんだよ! 言いたいことがあったらはっきり言え!」
「し‥翔子さん。私たちは、ですねぇ‥」
「なんか、言ったか!」
「ひうっ‥」
 二十歳の神主も完全に気迫負け。
「山野辺、あのさぁ‥」
「あん? 七梨、お前もか? 雁首そろえて何の用だ!」
「い、いやその‥シャオ、頼む」
 ‥情けないぞ、主人公。あ、このお話では違うか‥。
「あの、翔子さん?」
「‥何の用だよシャオ」
「さっきお話した、夏休みの旅行の件です。翔子さんも誘って行き先を決めようって、みんなで相談しまして‥」
 ‥さすがはシャオリン、この状況下でも動じずにマイペースを保つとは。相も変わらぬポケポケぶりに、翔子の眉が少しだけ緩んだ。
「‥そのことなら、後で電話するって言ったろ」
「でも、こういうことは一緒に相談して決めないと‥翔子さん、お忙しそうだったから。私たちの方からお邪魔しようかと」
「そ、そうなんだよ山野辺。もうすぐ夏休みだしさぁ、早いとこ予定を決めないと」
 シャオリンの尻馬に乗って反撃を繰り出すたかし。シャオリンの言葉はそれ自身が矛盾しているのだが、家を出る時にルーアンが言った口実をそのまま信じてしまうところは、さすが不動のヒロインと言ったところか。翔子はかすかに青筋を立てたが、ほけほけと見つめ返してくるシャオリンの笑顔を見て、ほうっと肩の力を抜いた。
「‥わーったよ。あんたらに任せる」
「しょ、翔子さん、そんな‥」
「行き先はあんたらに任すよ。決まったら電話くれ。あたしは休みの間ずっと空いてるから‥行けるかどうかはすぐ返事できると思うよ」
「山野辺、さん‥」
「あ、それからシャオ、これからはあの電話に掛けてくるなよな。前に教えた、あたしの携帯電話に掛けてきてくれよ‥短縮登録してさ、いつでも簡単に掛けてこられるように。シャオの相談なら、あたしはいつだって大歓迎だぜ‥さ、用件は終わったろ。行った行った」
 けんもほろろに追い返そうとする翔子。さすがのたかしたちも、ここに至って翔子の真意を知り得た。鬼のような形相で睨みつけてくる理由も‥だがその視線に射すくめられると、分かってはいても身体が勝手に震え出す。問いかけの言葉は咽喉の奥へと押し戻され、操り人形のように脚がもと来た道へと戻ろうとする。
「‥はい、ではまた」
 今の翔子に物が言える唯一の少女は、あっさりと身を翻した。もともと山野辺家を暴くつもりなど彼女の脳裏にはない‥その他の一同は、不承不承ながらも彼女を見習うしかなかった。シャオリンと並んで一礼し、一緒に回れ右して‥七梨家へ戻る第一歩を踏み出そうとする一同。
 いや。
 翔子の必殺視線に動じない‥というか、それ以上の苦悩を抱えていた人物が、この息詰まる展開に一石を投じた。
「‥翔子殿、済まぬが‥暑くてたまらぬ。少しでいい、涼ませてくれるとありがたいのだが‥」
「‥キリュウ?」
「‥後生だ。目眩がする、咽喉が痛む‥頼むから‥」
 すっかり病弱少女と化した万難地天に対して、さすがに鬼気を向けるわけには行かない。翔子の気合が一歩だけ後ずさりした‥その瞬間、一同の呪縛がぷつっと解けた。
「そ、そうだぜ、せっかく来たんだ、休ませてくれよ!」
「や、山野辺先輩、お願いです! すぐそこが先輩の家なんでしょ? ちょっとでいいですから」
「計画を説明するにも、電話じゃ分かりませんよ‥やっぱり、お部屋にお邪魔するのが一番でしょう(ふぁさっ)」
「さっさと道を開けて、冷たい飲み物とお菓子を出しなさい! 担任教師の命令よ!」
 形勢逆転。4方からの集中砲火に思わず身を引いてしまった翔子は、気持ちを奮い立たせて反撃を試みた。
「だ、だめだだめだだめだ! お前ら、ずーずーしいにも程があるぞ! さっさと帰って、七梨とこで涼めばいいだろ!」
 だが、キリュウの青白い顔が視界に入ってしまった以上、往時の迫力は戻らない。それにもはや、攻撃陣は翔子を相手にする必要すらなかった。体力の限界に近づいたキリュウが、最後の力で短天扇を広げ、宙に舞いあがろうとしていたから。
「すまぬ、翔子殿‥この詫びは後でする。塀越えさせてもらうぞ」
「あっ、おれも!」
「あたしも!」
 身の軽い3人を乗せた短天扇は、翔子が止める間もなく山野辺家の塀を飛び越えて敷地内に入って行った。そして翔子の注意がそれた間に、ルーアンと出雲は彼女の脇を駆け抜けて門へ‥そして、玄関の方から彼らの声が聞こえてきた。
「こんにちは〜っ、翔子さんの友達の野村で〜す。扉を開けてくださ〜い」
「こんにちは〜っ、あたし愛原っていいます。山野辺先輩の後輩で〜す」
 そして‥翔子のもっとも恐れていた事態が、野太い女性の声となって襲い掛かってきた。
「いらっしゃあい、まぁなんて可愛らしい子たちなんでしょう‥翔子お嬢様のお友達ですって?」
「はいっ」
「そうで〜す」
「クーラー‥」
「まぁなんてお行儀のいい子‥どうぞ、入って入って。翔子お嬢様、ついさっきまでここにいらっしゃったんですけれどね。中に入って待っててちょうだい、いま探してきますから‥ケーキはお好き?」
「「大好きです!」」
「クーラー‥」
「あのぉ‥私、翔子さんと良く話をする、宮内神社の神主ですが‥」
「あ、あたしは山野辺さんの学校の教師です‥この門を開けてくれません?」
「まぁま、ごめんなさい、いま開けますわ‥今日はとってもめでたい日ね、翔子お嬢様のお友達がこんなにいらっしゃるなんて‥翔子お嬢様、きっと大喜びするわ♪」
「お邪魔しますよ」
「はぁ〜い、よろしくぅ」
「さぁさぁ、お二人とも奥へどうぞ‥翔子お嬢様、すぐに呼んでまいりますからね‥翔子お嬢様ぁ、どちらに行かれましたかぁ?
 ‥電話口から聞こえたのと同じ声が、山野辺家の周囲に響き渡った。塀の外に居た太助とシャオと乎一郎と離珠は、眼の前の不良少女が‥あの勝ち気な少女の顔色が、みるみる紙のように漂白されて行くさまを信じられない思いで見つめていた。
「‥山野辺、呼んでるぜ」
「‥ああ」
「あの、翔子さん‥やっぱり、ご迷惑でしたか?」
「‥そうだって言ったら、引き返してくれるのかよ」
 翔子の憎まれ口には力が全くこもっていなかった。彼女の顔には深い深い徒労のしわが刻まれ、一気に30年は老けたかのような印象を見る者たちに与えた。
「山野辺さん‥あの‥ごめんなさい、僕たち、そんなつもりじゃ‥」
「うるさい!」
 思わず謝ってしまった乎一郎を一喝し、不良少女は残った4人に背中を向けた。
「‥で、どうする?」
「えっ?」
「あたしは家に戻らなきゃならない。あんな声を上げさせたままじゃ近所迷惑になるからな‥それに、もうこうなったら、あいつらを追い返すのも無理だろ。あとはお前らだ‥ここから帰るなり、あたしに着いてくるなり、好きにしろよ」
「‥いいのか、山野辺?」
 山野辺翔子は表情を隠したまま、なんとか身を起こして家路への第一歩を踏み出した。
「シャオは紅茶でいいよな‥七梨と遠藤は、どうする? ミルクと砂糖は要るのか?」

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次回予告:

「ちょっと待てよ、何なんだ一体? うちの別荘へ避暑に行くなんて、何でそんな話になるんだよ! これというのも和津絵さんがいけないんだ、連中におだてられて調子に乗るから‥こうなるのが嫌だから、あたしはあいつらをうちに入れたくなかったのに」
「ええ〜っ、どーしてですか、いいじゃないですか。涼しい避暑地で、プールにテニスコートに乗馬場完備、大きなお風呂にご馳走までついて、しかもタダ! ケチケチしなくてもいいじゃないですかぁ」
「ケチで言ってるんじゃない! だいたいあんなもの、うちのお袋が頼みもしないのに勝手に作ったやつで、あたしは一回も行ったことないんだぜ。それがこういうことになっちまったら‥お袋に頭を下げなきゃならないじゃんか、このあたしが!」
「試練だ、耐えられよ」
「ああぁぁっ! こんな事になるくらいなら、空から包丁が降ってくる方が、何万倍もましだぁ!」

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