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「愛しさが空回り」

初出 2000年05月03日
written by 双剣士 (WebSite)
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第3章・宿命の螺旋

 あのあと、ルーアン先生と別れて家に帰った僕は、自分の部屋でずっと膝を抱いたまま夜を過ごした。ルーアン先生の言葉が頭の中でぐるぐる回っていて、とても布団に入る気分にはなれなかったから。

 遠藤くんも分かってるわよね。たー様が、シャオリンのことを好きだってこと。
 たー様の望む幸せが、シャオリンと共にあると言うのなら、あたしは他に望むことなんて無いわ。
 あたしは、たー様に怒られてばっかり。たー様の役に立てるのはシャオリンばっかり‥。

 ルーアン先生がこんな事を言うなんて。でも、これは昨日の一件があって初めて気づいたわけじゃないんだろう。普段の先生はいつも暑苦しいくらいに太助くんにくっついて、いつだって太助くんに迷惑がられている。くよくよ悩んだりせず、羨ましいくらいに楽観的で、 見とれてしまうくらいに行動的だ。それなのに心の奥では、太助くんの心がシャオちゃんの方に傾いていることに、とっくに気が付いていたんだ。

 もちろん、あたしは今でも諦めてなんか居ないわよ。
 あしたからは元どおりのあたしに戻れると思う。

 それでも、先生はくじけない。シャオちゃんに譲るのは今日だけで、明日からは太助くんの心を引き寄せるべくアタックを再開するらしい。本当に心の強い、意志の強い先生だ。あのパワーはどこから来るんだろう。幸せを与えるという精霊の使命はそれ程に重いんだろうか。それとも、誰かを心底好きになった女性というのは、みんなあんな風に強くなれるものなんだろうか。

 遠藤くん、あなたには感謝しているわ。

 僕は、先生のために何かをしてあげたい。
 先生は僕と一緒になることなんか微塵も考えていないし、これからも振り向いてはくれないだろう。先生が僕を見てくれる時は、何らかの理由で太助くんを見つめることが出来ない時だけだ。ルーアン先生が太助くんを諦めて僕の方を向いてくれることを夢想するのは、先生の努力が無駄に終わることを期待しているようなものなんだ。
 僕は先生のことが好きだ。でも先生の気持ちを知ってしまった以上、何も知らなかった頃のようにルーアン先生の背中を見つめ続けることは出来ない。
 そう、これは僕が大人になるためのステップなんだ。ルーアン先生のことを本当に好きなのなら、ルーアン先生の望みがかなうよう応援してあげるべきなんだ。今まで考えたことも無かったけど、これからは無邪気な教え子として先生を追いかけるんじゃなくて、先生のために自発的に行動しなければならないんだ。
 僕は変わらなきゃいけない。何をやったらいいのか分からないけど、これから自分で考えて、先生のために行動しなけりゃいけない。
 だけど‥‥僕に、何ができるんだろう‥。

                 **

 眠らなくても朝は来る。お腹は空くし、学校は始まる。何の結論も出せないままベッドに座り込んで朝を迎えた僕は、いつもより少し遅れて家を出て、学校への道をとぼとぼと歩いていた。通い慣れた道をあまり意識もせずに進み、交差点の角を曲がったところで自分を呼ぶ声に気づいた。
「遠藤先輩、おはよーございま〜す!」
「‥おはよう、花織ちゃん。今朝も元気だね」
 力なく振り向いた僕の眼に、元気いっぱいで駆け寄ってくる花織ちゃんの姿が映った。
「先輩先輩、今日はねぇ、七梨先輩にお弁当作ってきたんですよぉ。あたし早起きして頑張ったんだ! 今日こそはこの花織スペシャルお弁当で、七梨先輩を唸らせてみせるんです!」
「花織スペシャル‥」
 なんだか、いや〜な既視感が僕の脳裏をよぎったような気がしたが、気のせいだろう。
「ねーねーそれより、今日は七梨先輩と一緒じゃないんですかぁ?」
「‥ちょっと寝坊してね」
 ルーアン先生のことで朝ご飯を食べるのが遅れた、と正直に言うのも癪な気がしたので、僕は事情を四捨五入して答えた。だが花織ちゃんはそれほど気にした様子も無く、なぁんだ詰まらない、と正直な感想を返した。
 花織ちゃんのこういうところが羨ましい。花織ちゃんはシャオちゃんに向いている太助くんのハートを掴むべく力いっぱいアタックしつづけている。ある意味で僕やルーアン先生と似た境遇にありながら、うじうじ悩んだりしていない。いつだって一直線だ。
「ねぇ、花織ちゃん‥」
 花織ちゃんがどうしてそんなに強くいられるのか、年下とはいえ聞いてみたい気もする。思考の袋小路に差し掛かった僕は、ふとそんなことを考えて声を掛けた。だがその前に、花織ちゃんは求める相手を見つけたようだった。
「七梨せんぱ〜い!」
「やあ、おはよう愛原、乎一郎」
「おはようございます、乎一郎さん、花織さん」
 花織ちゃんが駆け出した先には、一緒に登校する太助くんとシャオちゃんの姿があった。そして太助くんの身体の陰には、例によって例のごとく太助くんにしがみつきながら歩くルーアン先生の姿も見えた。
「あぁもう、愛原さんこっちこないで! たー様が嫌がってるでしょお!」
「ああん、ルーアン先生ずるいですぅ! あたしだって、七梨先輩とくっつきたぁい!」
「だ〜め、ここはあたしの指定席なんだから」
「こら〜、くっつくなって言ってるだろ2人とも!」
「くすくす」
 いつもと変わらない、大騒ぎの毎日がそこには有った。約束通り、いつも通りの先生に戻ってくれたルーアン先生を見て、僕の心は少しだけ和んだ。だが同時に、それをただ眺めているだけじゃ駄目なんだ、という夕べの決意が僕の胸の中で叫び声を上げ、形を取らないさまざまな思いが頭の中をぐるぐると駆け巡った。
「‥どうしたんだよ、乎一郎」
「乎一郎さん?」
「遠藤先輩?」
 ‥ふと我に返ると、立ち止まった太助くんたちが後ろを振り返って、僕のことを呼んでいた。いつのまにか道端に立ち尽くしてしまったらしい。僕は無理に笑顔を作ると、太助くんたちを追って始業間近の学校に駆け込んだ。

                 **

 その日の昼休み。授業終了のチャイムが鳴ると同時に、黄色い声の竜巻が僕の両脇を走り抜けた。
「七梨先輩、お弁当いっしょに食べましょう!」
「シャオリ〜ン、お腹すいちゃったぁ!」
「はい、ルーアンさん」
「あんがと‥‥さぁたー様お昼よぉ、ルーアンが食べさせてア・ゲ・ル‥‥って、何やってんのよ小娘!」
「七梨先輩、あたし今日は先輩のために頑張ってきたんですよ、はい、あーんしてください」
「どきなさい愛原さん! たー様の向かいに座るなんて1千年早いわよ!」
「い〜っ、だっ! 真心を込めた手作りのお弁当を作れない先生なんかに、言われたくないです!」
「何いってんのよ、真心ならこれから込めてあげるわよ‥‥陽天心召来っ!」
「あ、愛原も‥‥ルーアンも、やめろよ‥‥」
 毎日のように繰り返される、大騒ぎのひととき。ルーアン先生と花織ちゃんとシャオちゃんに囲まれて、泣き笑いを浮かべる太助くん。だけど教室のみんなはもう慣れっこになってしまって、あの4人を横目で見ながらがやがやと席を移動し始めた。
「たー様ぁ、あたしの陽天心エビフライ、食べてぇ〜」
「七梨先輩、あたしのイチゴジャム入り特製ハンバーグ、食べてくださいっ」
「あんたいい加減にしなさいよ、そんなのがたー様の口に合うわけないでしょ!」
「ふ〜んだ、勝手に飛び跳ねてるようなエビフライなんかより百倍ましですっ」
「くすくす‥‥はい、どうぞ太助様」
「ああ、ありがとうシャオ」
 一番乗りをねらって言い争いを続けるルーアン先生と花織ちゃん。その脇からそっとお弁当を差し出すシャオちゃんと照れくさそうに受け取る太助くん。いつものメンバーによるいつも通りの光景が、僕の席から6メートルほどしか離れてないところで繰り広げられていた。たったそれだけなのに、僕にはずいぶん遠い距離に感じられた。
 ‥‥あの輪の中に居るのが僕だったら、迷ったりなんかしないのに。
「シャオちゃんの手作り弁当かぁ‥‥いいよなぁ太助のやつ。それどころか家でも毎日シャオちゃんの手料理が食べられるんだろ。世の中って不公平だよなぁ」
 あの光景を遠巻きに見つめている僕の友達がそうつぶやいた。僕とは見ている相手が違うのだろうけど。
「‥‥たかしくん」
「ああやって見てるとさ、やっぱシャオちゃんって可愛いよなぁ。夜空に浮かぶ月のように、ずっとあなたを見守っています、ってやつ? 周りで何が起ころうと、さりげなく傍に居てくれる、そんな感じだもんな」
「‥‥そうだね」
 でも柔かい月の光よりも、温かい太陽の日差しを望む人だって居る。それに太陽だって、何の考えも無しに燃え盛ってるわけじゃないんだ。
「それにしてもさ、太助があそこまでやるとは思わなかったよなぁ」
「‥‥笛のテストのこと?」
「そうそう。太助が下にいるなら安心だ、と俺なんか思ってたんだけどさ。いっぺんに上達してんだから驚いたよ。いつのまに腕を上げたんだ、あいつ?」
「‥‥さぁ」
 シャオちゃんの徹底指導の賜物か、3時間目の音楽の時間で、太助くんは完璧に近い演奏をしてみせた。唖然とするクラスのみんなを尻目に、演奏を終えた太助くんは一礼すると力強く頷いてみせたんだ、胸の前で手を組んで祈っていたシャオちゃんに向かって。
「音楽の腕を上げる星神をシャオちゃんに出してもらったのかな? どう思う、乎一郎」
「‥‥そうかもね」
 言わぬが花、ということもある。僕は話題をシャオちゃんから引き離すことにした。
「たかしくんは歌が上手いんだから、いいじゃない」
「そうそう、分かってんじゃん乎一郎。やっぱり男はマイクを握ってこそ華ってもんさ。音楽の点数、カラオケマシーンで採点すればいいのにな」
「‥‥いつも40点台を出してるのは誰だっけ」
「ちっちっちっ。所詮そこらのゲーム機に俺の魂は理解できないのさ。やっぱりプロ用のマシーンでないとな。そう、採点するなら音程うんぬんじゃなくて、リズム感とハートと声の大きさで‥‥」
 自分の世界に入ってくれたたかしくんから視線を外して、僕は太助くんの方を振り返った。お弁当ウォーズはすでに終盤に移り、太助くんはルーアン先生と花織ちゃんに両脇から挟まれながら4本の箸に責め立てられていた‥‥太助くん本人の箸はシャオちゃんにもらった中央の弁当箱に向けられていたけれど。
「たー様ぁ、どう、この生きた昆布巻き! たー様に食べて欲しくてうずうずしてるのよぉ?」
「先輩、あたしのお料理は美味しくないって言うんですかぁ? 食べてみてください、明太子入りのロールキャベツ!」
「い、いや、その‥‥俺さ、もうお腹いっぱいなんだ。また今度、今度な‥‥ありがとうシャオ、美味しかったよ」
「はいっ♪」
「ええぇ〜」
「そんなぁ‥‥」
 いつもながらいつものように、落ち着くべきところに落ち着いたようだった。がっくりと肩を落とす花織ちゃんとは対照的に、ルーアン先生は堰を切ったようにお弁当を頬張りはじめた。先生のお弁当は普通の人の2人分あるのだが、先生はそれを5分足らずで平らげてしまうのだ‥‥校庭に出ていく太助くんを追いかけるために、大急ぎで。
 ‥‥そう、これがいつもの光景。ルーアン先生たちがいくらアタックしても、太助くんのお腹に収まるのはシャオちゃんのお弁当。あの2人の熱意はいつだって太助くんには届かない。太助くんが見ているのはシャオちゃん1人、そのことは端で見てる僕にだって分かる。ルーアン先生はもちろん、花織ちゃんだって気づいてないはずがない。
 ‥‥あれ?
 いつもだったら羨ましいとだけしか思わない僕。だけどルーアン先生の話を聞いた今の僕には、その光景は他人事には思えなかった。3人の女の子に囲まれているようで、実は1人しか見ていない太助くん。僕の好きな先生は、余った2人のうちの1人。

「それって、絶対結ばれないような気がしませんか?」

 花織ちゃんが太助くんの家に押しかけた日の夜、シャオちゃんと太助くんの関係を評して花織ちゃんはそう言ったらしい。だけどこれはルーアン先生にだって当てはまる。ルーアン先生だって精霊なんだから。先生は太助くんとも、もちろん僕とも決して結ばれることはないんだから。
 ルーアン先生は、こうなることが分かっているのだろうか? 先生はいったい何を思って、太助くんへのアタックを繰り返しているんだろうか。いや、これまで仕えてきたご主人さまたちに対しても、ルーアン先生は同じことを続けてきたんだろうか。
 ‥‥いや、同じじゃない。これまでのご主人さまはルーアン先生と結ばれることは無かったにせよ、少なくてもルーアン先生のことだけを一心に見つめてくれたんだろう。慶幸日天である先生を呼び出せるのは心の清い人だけだって、先生が言ってた。あんな素敵な先生が傍に居てくれたら、僕だったらきっと浮気なんてしないもの。いずれ死に別れるにせよ、それまでの間ご主人さまとルーアン先生は幸せに暮らしたことだろう‥‥でも、太助くんは違う。太助くんはルーアン先生のことを見ていない。ルーアン先生たちをあしらうことに慣れてきた太助くんは、ますますシャオちゃんへの眼差しを強くしてきている。
 ‥‥だからこそ、ルーアン先生は必死なのだろうか。これまでご主人さまを虜にし続けてきたルーアン先生にとって、これは屈辱であり全力で挑戦するに値する難関なのだろうか。相手がこれまで敵同士だったシャオちゃんだってこともあって、引くに引けない気分になっているのだろうか。
 だとしたら、先生が可哀相だ。決して勝ち目のない、仮に勝てたとしても将来のない恋の勝負に、意地になって立ち向かう先生が‥‥太助くんだって可哀相だ。自分の気持ちははっきりしているのに恋の鞘当ての対象として扱われているんだから。花織ちゃんも可哀相だ。初恋は実らないって言うけれど、それに自分で気づく暇すら与えてもらえないんだから。そしてそんな3人に囲まれてるシャオちゃんは‥‥いったい何を思っているんだろう?
 決して交わることのない4人の想い。こんなことがいつまで続くんだろうか。もはやクラスに溶け込んでしまったこの喧燥が、来年も、再来年も続くのだろうか。そのことをルーアン先生はどう思ってるんだろうか。
 ‥‥もしかしたら花織ちゃんなら分かるかもしれない。精霊の宿命はともかくとして、恋の障害に対して闘志を燃やす点ではあの子も似たような心境にあるのだろうから。
 僕はそれを知らなきゃいけない。きっとそれが、ルーアン先生に僕がしてあげられる何かを見つけるきっかけになるはずなんだ。
「花織ちゃん!」
「は、はいっ!」
 眼を開いた途端、僕の顔を覗き込む花織ちゃんとたかしくんの表情が飛び込んできた。花織ちゃんと僕はびっくりして互いにのけぞった‥‥その瞬間、花織ちゃんの手元から何かが僕の口の中に飛び込んだ。
「‥‥▲○☆§※Å!!!」
 僕はそのまま、気を失った。

                 **

 眼を覚ましたとき、真っ先に映ったのは白い天井だった。教室とは明らかに異質な薬品の匂い、身体を包む柔かい手触り‥‥僕はどうなっちゃったんだ?
「あ、乎一郎さん、気がつかれましたか」
 聞き慣れた鈴のような声が僕の耳を打った。ベッドの脇に顔を向けると、椅子に腰掛けたシャオちゃんが優しい表情で僕を見つめていた。
「どこか痛いところはありませんか?」
「何で、僕、いったいここって‥‥?」
「たかしさんの話によると‥‥花織さんのお弁当に入ってた兎さんリンゴが、乎一郎さんの口にひとりでに飛び込んだんですって。花織さんはルーアンさんの陽天心のせいだって言い張ってましたけど」
 リンゴをむいただけでこの破壊力‥‥花織ちゃん恐るべし。今朝の予感は伊達じゃなかった。
「それで、しばらく保健室で休んでもらったほうがいいって、ルーアンさんが」
「シャオちゃんは、どうして?」
「‥‥保健委員ですから」
 シャオちゃんはにっこりと微笑んだ。
「ずっと僕のそばに付いててくれたの?」
「ええ、私、保健委員ですから」
「ありがとう。気分が良くなったら教室に戻るよ。シャオちゃんは先に戻ってて」
「いえ‥‥私、保健委員ですから。教室までお供します」
 ありがとう。
 僕はシャオちゃんにそう言ってしかるべきだった。普段の僕ならためらいなくお礼が言えたと思う。だけどこのとき、僕の心にはシャオちゃんの繰り返す言葉が刺のように引っかかっていた。言えばきっとシャオちゃんを傷つけるに違いない。そう分かっていながらも、僕はこの言葉を押し留めることができなかった。
「‥‥太助くんの傍に居るのも、守護月天だからなの?」
「はい?」
 言ってからすぐに後悔した。僕の馬鹿、馬鹿。シャオちゃんがいま僕に付いててくれるのは、保健委員だから。そんなの当たり前じゃないか。それ以外の何を期待してるって言うんだ?
 第一、僕と太助くんを比較すること自体、むちゃくちゃな話じゃないか。シャオちゃんにとって、保健委員であることと守護月天であることが同じ意味であるわけないじゃないか。僕と太助くんが、シャオちゃんにとって同じ重さなわけないじゃないか。
「‥‥そうです」
 えっ?
 僕は謝るタイミングを逸してしまった。まさかシャオちゃんが肯定すると思わなかったから。シャオちゃんは僕から眼をそらし、うつむきながら慎重に言葉を絞り出した。
「そうです。私は守護月天で‥‥太助様をお守りするために、ここに居るんです」
「シャオちゃん‥‥それでいいの? 本当に、それだけなの? ルーアン先生も‥‥」
 謝らなきゃいけないのに、こんな言葉を吐いてしまった僕。胸の奥がちくちくと痛むのを感じる。だが滅多に差し向かいになることのないシャオちゃんとの会話から、シャオちゃんの気持ちが聞けるチャンスかもしれない‥‥そんな自分勝手な好奇心が、このときの僕の口を支配していた。
「太助様は、私の大切なご主人様です。ルーアンさんにとってもそうだと思います。太助様のお傍でお守りする、それが私の役目ですから‥‥」
「太助くんは、そんなふうには思ってないよ。あくまでシャオちゃんのことを、大切な‥‥大切な、家族としてみてると思うんだ」
 『大切な女の子』と言いかけるのを危うくこらえる。
「私も、太助様のような優しいご主人様にお会いできて良かったと思ってます。こんなに平和な世界で、ルーアンさんとも争わずに済んで‥‥乎一郎さんやたかしさんのような方々とお友達になれて、私は幸せです」
 顔を上げたシャオちゃんは優しげに微笑んだが、とても笑顔を返す気にはなれなかった。
「そうじゃなくて‥‥」
「もう少し横になっていた方がいいですよ、乎一郎さん」
 分かってない。シャオちゃんは自分の立場が分かってない。太助くんの視線の意味が分かってない。ルーアン先生や僕がやきもきしてる理由が全然分かってない。
「いつかは大人になって‥‥誰かを選ぶんだよ、太助くんだって」
「‥‥!」
 シャオちゃんは一瞬はっと顔を強張らせて、そしてすぐに顔を横に向けた。僕に見えるのは、シャオちゃんの震える肩だけになった。いくらなんでも言い過ぎた‥‥そう後悔した僕が謝ろうと口を開きかけた刹那、シャオちゃんの辛そうな声が僕の耳に響いた。
「それでも‥‥私は、守護月天だから。太助様が必要とする限り、太助様の傍にお仕えするのが私の役目だから。太助様がどんな人生を選ぼうとも、それを見守ってさしあげるのが私の務めだから」
「‥‥」
 掛ける言葉が見つからない。シャオちゃんは何かを抑え込むように、自分の胸に手を当てていた。そして、しばしの沈黙が流れ‥‥それを破った僕の声を機に、シャオちゃんは立ち上がった。
「ごめん、シャオちゃん‥‥もう」
「ごめんなさい、私‥‥失礼します!」
 シャオちゃんは僕の方を見ないまま、逃げるように保健室を飛び出していった。後に残された僕は、自分の投げかけた波紋の大きさに唖然としながら、シャオちゃんの言葉の意味をしみじみと噛み締めていた。

                 **

「太助くん、今日の放課後、屋上に来てくれないか」
 保健室から教室に帰ったとき、僕はある決意をしていた。きっと怖い顔をしてたと思う。太助くんは僕の顔をじっと見て、何も聞かずに肯いてくれた。
 ‥‥そして放課後。
「ルーアンのことか?」
 屋上で先に口を開いたのは太助くんだった。僕が真剣な顔で相談することといったら、それくらいだと思ったんだろう。だから僕の答えを聞いたときの彼は、心底驚いていた。
「違うよ。シャオちゃんのこと」
「えっ?」
 差し出がましいのは分かってる。でもここで黙っていたら、何も知らない昨日までと同じだと思った。慶幸日天の矜持に縛られてるルーアン先生。初恋の情熱に捕われてる花織ちゃん。守護月天の宿命に殉じつづけているシャオちゃん。身動きの取れなくなってる3人に囲まれている太助くんが、のほほんとしていて良いわけがない。
 こんな曖昧な状況を、いつまでも続けてるわけには行かないんだ。状況を打破する鍵を握ってるのは彼しかいない‥‥それに、ルーアン先生には悪いけど、もう太助くんの気持ちは決まってるはずなんだ。
「太助くんはシャオちゃんが好きなんでしょ?」
「‥‥そんなの、お前には関係ないだろ」
「だったら、はっきりさせてよ。君が煮え切らないから、ルーアン先生もたかしくんも花織ちゃんもみんな迷惑してるんだ。僕だって、我慢に限度があるんだよ」

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次回予告:第4章フラッシュバック

「俺だって、俺だってなぁ‥‥」
「こら遠藤、なに言ったんだ、シャオに!!」
「あ〜ら、たー様どういう風の吹き回し?」
次回、第4章『想いの在処』
「先生のためだ。太助くんたちにとっても‥‥これで、いいんだ」

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