まもって守護月天! SideStory
「愛しさが空回り」
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第1章・無力な自分
やわらかい冬の日差し。雲一つない快晴。おまけに北風も冷たくない。2月には珍しい好天気の朝日を受けて、僕たちのクラスは体育の授業を受けていた。
土曜日の2時間目。男子はテニス、女子はバレーボール。冬の日に外に出ることを最初みんなは嫌がっていたが、いざ表に出てみると意外に暖かかったので、冬の運動不足を取り戻すためか全員がきゃっきゃとボールに興じていた。
ぱこーん、ぱこーん。
軽快な音が鳴り響く冬の朝。僕は順番が来るのを待つためにテニスコートの脇でしゃがみこんでいた。もっとも僕みたいに素直に順番を待っている男子はほとんど居ない。コートに入れない他の男子たちは、腕時計を気にしながらテニスコートを離れて、女子が嬌声を上げているバレーボールのコートを見に行っていた。
「何してんだよ乎一郎」
ふと顔を上げると、悪戯っぽい表情が僕を見下ろしていた。この声の持ち主は野村たかしくん。僕の親友だ。頬に付いた赤い痕は、きっとテニスボールに当たった痕に違いない。たかしくんらしいや‥。
「あ‥うん、順番を待ってるんだよ、たかしくん」
「ばっかじゃねーの。手が空いてる奴はみんな女の子を見に行ってんだぜ。うちのクラスは結構レベル高いからな。先生はコートに付きっきりで連れ戻しになんか来ないしさ。俺たちもシャオちゃんを見に行こうぜ」
シャオちゃん。そう、たかしくんは同じクラスのシャオちゃんに夢中なんだ。僕の眼から見ても、シャオちゃんは可愛い女の子だと思う。たかしくんのみならず、クラスの男子や神社の神主さんまでもが眼の色を変えるのも無理はない。
でも、僕は‥僕の憧れの先生は、あのコートに居ないんだもん。
「‥いいよ、たかしくん。行ってきて」
「つれない奴だよな、乎一郎は」
ところが言葉に反して、たかしくんはバレーボールコートに駆け出していかず、しゃがみこんで僕に顔を寄せてきた。
「おい乎一郎、今日の午後、空いてるよな?」
「‥うん」
「実はさ、屋内テニスのジャパンオープンのチケットが手に入ったんだよぉ。シャオちゃんたちを誘ってさ、今日の午後一緒に見に行こうぜ」
「シャオちゃんと、太助くんを誘って?」
「‥心配すんな。ルーアン先生も呼んでやるから」
ルーアン先生! その言葉を聞いて、僕の脳裏にぱぁっと花が咲いた。クラスの担任であるルーアン先生は、僕の憧れの女性なのだ。あの人が一緒に行くんだったら‥。
「うん、行く行く!」
「‥現金なやつだな、お前って」
「でも、たかしくん、シャオちゃんとルーアン先生を連れ出すんなら、太助くんも誘わないと変だよ。太助くんが行かないと、ルーアン先生たち承知しないんじゃないかな」
そう。守護月天のシャオちゃんと慶幸日天のルーアン先生は、共に太助くん‥たかしくんと僕の共通の親友である七梨太助くんを主人と仰ぐ精霊なのだ。二人は太助くんを守り、太助くんを幸せにすると言う使命が有るから、おいそれとは太助くんを置いてテニス観戦に行こうとはしないだろう。
「心配すんなよ。太助も連れてく。そして、太助のお守りもな」
たかしくんが笑みを浮かべた。せっかく一緒に行っても、シャオちゃんとルーアン先生がずうっと太助くんの世話を焼いていたのでは、僕やたかしくんは面白くも何ともない。どうやらたかしくんは太助くんを誘った上で、別の相手に太助くんの世話を押しつけるつもりみたいだった。となると人選は絞られてくるが‥。
「ちゃあんと手は打ってある。で、行くんだな、乎一郎?」
「う、うん‥」
「よおっし、これで役者は揃った。楽しみにしてろよ乎一郎、この俺の『恋のドロップショット作戦』で、今日はばっちりと決めてやるからな」
たかしくんは元気な声を上げると、立ち上がって女子バレーコートへと駆けていった。その後ろ姿を眼で追いながら、たかしくんが立てた計画って成功した試しが無いんだよね、と僕は思わずため息を吐いていた。
**
その日の放課後。電車を降りた僕たち6人は、競技場までの道を歩いていた。
僕たちの後ろを歩くのは太助くん。その左右にシャオちゃんとルーアン先生が並んでいる。ルーアン先生が太助くんの左腕を抱きかかえ、それを反対側を歩くシャオちゃんが微笑みながら見守るという普段どおりのフォーメーションだ。そしてその2メートル手前を歩くのが僕たち3人。僕とたかしくんと、ひとつ年下の愛原花織ちゃん。言うまでもなく、たかしくんが言っていた「太助くんのお守り役」とは彼女のことだ。
「‥で、野村先輩。どんな仕掛けが有るんです?」
太助くんに聞こえない距離まで離れたのを見計らって、花織ちゃんが半身になってたかしくんに話し掛けてきた。
「花織ちゃん声を落とせよ‥大丈夫、任せとけって。こーして歩いてるのだって、作戦のうちなんだからさ」
「‥このまえ海に行った時みたいな失敗は嫌ですよ。七梨先輩とシャオ先輩を二人っきりにしないために部屋割りをくじ引きで決める作戦だったのに、しっかり墓穴を掘ってたじゃないですか、先輩ったら」
「ふっ、『男子三日会わざれば割目して見よ』っていうだろ? 俺は成長したのだよ花織くん。大船に乗った気で任せておきたまえ」
腕を組んで鼻息を荒くするたかしくんだったが、その仕草は以前と全然変わってない。案の定、花織ちゃんは半眼でたかしくんを見上げて、
「野村先輩の船に乗るんだったら、出発する前に総点検しておかないと。底に穴が空いてたり、地図を忘れてたり、燃料がちょっとしか無かったり‥野村先輩ならやりかねないもん」
「そ、そこまで言うか花織ちゃん?」
「七梨せんぱ〜い! あたし野村先輩とジュース買ってきますから、遠藤先輩と一緒に先に行っててもらえますかぁ?」
花織ちゃんは後ろを振り向いて、太助くんに声を掛けた。
「あ、ああ」
「さ、いきましょ野村先輩」
「‥しょーがないなぁ」
花織ちゃんはたかしくんの手を引いて、道の脇にある自動販売機に向かって駆けていった。僕はぽけ〜っと二人のあとを眼で追っていた。
きっとたかしくんの作戦とやらをチェックするために、花織ちゃんは太助くんに声が届かない場所までわざと離れたんだろう。でもあの二人、息は合うし利害も一致するのに、どうしてああ言い争ってばっかりなんだろうね?
「乎一郎さん、行きましょう」
「置いてくわよ、遠藤くん」
「え‥あ、はい、ルーアン先生」
いけない。ぼぉーっとしているうちに太助くんたちに追い抜かれてしまった僕は、視線を戻して太助くんの後を追って歩き始めた。たかしくんたちのことは気になるけど、僕が今からたかしくんに着いていったら不自然だ。一人で歩いても仕方ないので早足で太助くんたちに追いつくと、振り向いた太助くんが僕に話し掛けてきた。
「なぁ乎一郎、たかしたち二人、最近仲がいいよな」
「‥‥‥」
どんな反応をしていいのか、僕は表情に困った。だが太助くんがすぐに首を前に戻してくれたおかげで、僕はほっと安堵の息を付くことができた。
**
うふっ。
うふふーうっふふーっ。
僕の心はうきうきとサンバを躍っていた。念願かなって、僕はいまルーアン先生の隣に座っているんだ。
ルーアン先生の方はというと、ぶすーっとした表情で頬杖を突いている。ルーアン先生が見つめているのは隣の僕でも、眼の前で繰り広げられているテニスの試合でもない。でも、ま、いいんだ。ルーアン先生と僕は“約束”によって結ばれた仲なんだから。
背が高くて、すらっとしたルーアン先生。
その先生のすぐそばに、僕はいま居る。こんな近くから先生を見つめていられる。それは神聖なる“約束”に記された、僕だけの特権。
「‥‥う〜っ」
ルーアン先生の唸り声。それを聞いているのは、世界中で僕一人だけだ! だって、太助くんたち4人はずっと離れた席に座って、別のテニスの試合を見て居るんだから。
「‥あーもぅ、ったく‥」
「る、ルーアン先生、ほら見て見て、すごいショットだったよ今の」
「‥なんであたしが‥シャオのやつぅ‥」
怒ったルーアン先生の表情も素敵!
「ねぇ見て見て先生、あそこで試合してる二人って、世界ランク3位と11位なんだってさぁ。しかもあの青い縞の服を着た選手って、全豪オープンのチャンピオンだよ。世界4大タイトルのひとつを、世界1位の選手を破って初めて手に入れたんだって。すごいよねぇ」
「‥たー様ぁ‥」
パンフレットを差し出す僕の説明を全然聞いてくれないルーアン先生。両手を口元に持ってきて、眼をうるうるさせながら細かく震えている。こういう先生もいいなぁ。見てて飽きないや。
「‥たー様ぁ‥ルーアン、さみしいわぁ‥」
「先生、先生、僕がついてますよぉ。ほらせっかく来たんだから、試合見ましょ試合」
「‥シャ・オ・の・や・つぅ‥」
いけない、我慢の限界かも。僕は立ち上がって、ルーアン先生の眼の前に顔をかざした。
「あーん、ちょっとどいてよ遠藤くん。たー様が見えなくなるでしょぉー」
「ルーアン先生、“約束”でしょ」
やっと先生の震えが止まった。ルーアン先生は、恨めし気な瞳をゆっくりと僕に向けた。うふふっ、この瞳は僕だけのもの!
「ほら先生、みんなで約束したじゃないですか、三つのコートの試合を、二人ずつ3組に別れて別々に見ようって。そして1時間経ったら集まって、くじ引きのやり直しをするってね。先生、あと50分したら太助くんに会えますから、それまで辛抱ですよ」
「あ、あと50分もあるのぉ〜?」
泣きそうな顔でハンカチを噛むルーアン先生。僕の胸の奥がちくりと痛んだ。でもいいんだ、こうなることは分かってたんだから。
「あとたった50分ですってば‥正確には、52分かな‥」
「ひどいわぁ〜っ」
あーあ、本当に泣き出しちゃった。僕は50分どころか一日中でもこうしていたいんだけど、先生には長すぎる時間なんだな。
こういうときは!
「だ・か・ら、ちょっとの辛抱ですよ先生。せっかく来たんだから、楽しまなくちゃ損でしょう? ほら先生、ポップコーン買ってあるんですよぉ。一緒に食べよ、ねっ?」
「‥ぐすっ‥」
あれっ、食べ物で釣る手が効かない? 思ったより重傷なのかな?
「‥遠藤くん、お願いがあるんだけど‥」
「はい、はい、何ですか? 僕にできることなら何でも」
「‥もう泣かないって約束するから、そこをどいてちょうだい。せめて遠くからでも、たー様の姿を見ていたいの‥」
僕はルーアン先生の隣に座り直した。こんなに先生に想われている太助くんが羨ましい、と心底思った。ルーアン先生にとって僕は、太助くんの姿を遮る壁に過ぎないんだ。
‥なに沈んでるんだ僕は。そんなこと分かってたことだろ?
僕は気を取り直して、ルーアン先生が見つめている先を辿った。屋内テニスの競技場は、3面のコートを横に並べた長方形状をしている。僕とルーアン先生は第1コートの側面、太助くんとシャオちゃんは第3コートの側面に座っているから、僕たちの席と太助くんたちの席とはテニスコートの横幅3つ分の距離を挟んで向かい合っていることになる。
ちなみにたかしくんと花織ちゃんは、第2コートの後方‥つまりぼくたちから見て左手側の長辺の中央に座っていた。二人は組み合わせを決めるくじを引いた時に眼と口を真ん丸に開けて驚いていたが、いざ試合が始まると二人とも立ち上がりながら応援している。手前側の選手がパッシングを決めると手を取り合ってはしゃいでいる。僕らの中で一番テニス観戦を楽しんでいるといってもいいかも。
ルーアン先生の視線は、当然ながら真っ正面‥つまり太助くんとシャオちゃんが並んで座っている席に向けられていた。二人は肩を寄せ合って、何かを覗き込んでいた。近眼の僕には覗いているのが何なのかは見えない。でも、楽しそうな雰囲気になっていることは容易に想像が付く。
たかしくんたちも太助くんたちも、それなりにうまくやっているみたい。よーし、僕たちだって‥。
「先生、先生、これ食べませんか?」
「‥ありがとう遠藤くん。泣いてなんかいないわよ、平気だからね‥」
ちょっと気持ちが落ち着いてきたみたい。ルーアン先生は僕の声に返事をすると、眼を正面に向けたまま左手でポップコーンを掴み取り、丸ごと口の中に押し込んだ。あーあ、はしたないよ先生‥でもワイルドで素敵っ!
**
わずかながらも、ルーアン先生は僕の方に注意を向けてくれるようになった。僕はそれが嬉しくて、いろんなことを話し掛け、眼の前の試合について説明をしてあげた。先生は「ふ〜ん」とか「へぇ〜」とか、それなりに返事を返してくれるようになった。
そこで止めておけば良かったのかも。しかし調子に乗った僕は、ルーアン先生のためにある物を買って渡してあげた。それが崩壊のきっかけとなった。
「‥‥‥」
テニスの試合が良く見えるようにと、売り子の人から買った安物のオペラグラス。僕はそれを眼に当てて、手の届くところにいそうな一流プレーヤーの姿を堪能していた。そして「とっても面白いですよ」と言って、それをルーアン先生に貸してあげた。
‥うっかりしていたんだ。ルーアン先生が、テニスプレーヤーの方を見てるわけが無いのに‥。案の定、先生はオペラグラスを太助くんたちの方向に向けて‥そして。
次の瞬間。先生は急に立ち上がると、オペラグラスを地面に叩き付けた。がちゃん、と音を立ててレンズの破片が飛ぶ。唖然としたぼくの意識が一瞬ルーアン先生から離れた。そして見上げた時には、ルーアン先生は手に黒い筒を握っていた。
「陽天心、しょーらい!」
漫画を見てるみたい。僕はそう思った。3つのコートで軽快な音を立てていたテニスボールが、ネットの脇に控えている人が持っていたボールが、選手のポケットに入っていたボールが‥一斉に飛び出すと、客席のある一個所に向かって飛び掛かった。確かめるまでもない、向かい側のあの席に。
「太助様っ!」
シャオちゃんの背中が太助くんを覆い隠すのが見えた。そしてそのシャオちゃんの背中に、陽天心テニスボールが次々とぶつかっていった。ラケットで打つ時のぽおーん、ぽおーんという軽快な音じゃない。ぼかっ、ぼかっと言う鈍い連続音が、遠く離れた僕の耳にまで届いてきた。
ぼくの脳裏に、今朝たかしくんのほっぺたに付いていた青い痣が浮かんできた。しかも今度は中学生の打つボールじゃない。ぶつけられているのは、腕白で知られたたかしくんじゃない。
「やめてください、ルーアン先生!」
僕はルーアン先生の腕に飛びついた。すると意外に抵抗無く、黒天筒を握った腕の力が抜けて垂れ下がってきた。全身で先生の腕にしがみついた僕は、うっかりと尻餅をつきそうになった。
姿勢を立て直した僕から見上げたルーアン先生の表情には、怒りも悲しみもなかった。またやっちゃった、という唖然とした表情が、さっきの行動が衝動的なものであったことを物語っていた。
**
「‥たー様に、叱られた‥嫌われちゃったぁ‥」
「先生‥」
あの事件の直後、シャオちゃんは医務室に運ばれていき、花織ちゃんが付き添いに行った。太助くんの怒りは尋常じゃなかった。たかしくんもシャオちゃん擁護側に回ってルーアン先生を糾弾した。僕は必死でとりなしたのだが、ルーアン先生はしょんぼりと俯きつつも決して謝ろうとしなかったから、太助くんの怒りは和らぐことが無かった。そして‥。
「たー様が‥出てけって‥おまえなんか出てけって‥あんな事、言われたこと無かったのにぃ‥」
「せ、先生‥元気出してよ‥太助くんはきっと、テニス競技場から出てけって言っただけですってばぁ‥先に家に帰ってましょ、ねぇ先生」
競技場から追い出されたルーアン先生は、駅とは反対の方向にとぼとぼと歩いていった。もちろん僕は先生に付いていった。先生を見捨ててテニスを見ていられるわけ無いじゃないか!
「たー様‥あんなに怒ること、無いのに‥シャオリンが図に乗るから、ちょっと懲らしめただけじゃない‥」
ルーアン先生は言い訳をしなかったが、何が原因かは手に取るように分かった。きっとシャオちゃんと太助くんが仲良くしているのに嫉妬して、つい“かっ”となってやってしまったんだ。太助くんだってそのことは分かってるだろう。太助くんはルーアン先生の気持ちを、ひょっとしたら僕以上に分かっているんだし。
「先生‥僕が付いてるから‥きっと、明日になったら太助くん許してくれるから‥元気出して、先生‥」
「‥あーん、たー様ぁ‥」
僕の慰めの言葉など先生の耳には届かない。先生は往来の真ん中にもかかわらず、しゃがみこんで号泣を始めた。そんな先生の背中をさすりながら、僕は自分の無力さを噛み締めていた。先生が傷ついている時に、慰めることも元気付けることもできない。太助くんの怒りから先生を守ることもできなかった。それどころか、僕の言葉は先生の心に触れることすらできない。
ルーアン先生は僕の憧れの偶像じゃない。血の通った、生きた人間‥いや精霊なんだ。
ただただ、先生のそばに居られればいい。そう思っていた数十分前までの自分が、限りなく子供に思えてきた。先生の力になりたい、と僕はこのとき痛切に思った。
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次回予告:第2章フラッシュバック
「はぁ? 乎一郎、なーにをやってたんだ、お前」
「あーもう、くっつくなよルーアン!」
「‥はーあ、あたしって駄目な精霊‥ちっともたー様に近づけやしないなんて‥」
「先生、僕がいけないんですか?」
次回、第2章『先生の憂鬱』
「‥ばかね、遠藤くん」
02月21日加筆:
プロットの変更に伴い、サブタイトルと次回予告の一部を変更。
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