ねこねこファンディスク SideStory  RSS2.0

ガリバーの陰謀(後半)

初出 2002年04月01日
written by 双剣士 (WebSite)
SSの広場へ前半に戻る
 これは、ねこねこファンディスク所載の「名探偵・片瀬健三郎」を元ネタとしたB級パクリ小説です。そのため元ネタを知らない読者に対してはネタバレになるうえ、何が面白いのかさっぱり理解できない可能性があります。ご注意ください。


後半

「ついたぞ」
「えっ、ここって……」
 おチビちゃんが驚くのも無理はない。敵の本拠地へと向かっていた俺が愛車GT2000を停めた場所は、おチビちゃんの家の正面だったのだから。おチビちゃんは驚きの声をあげた後、ニヤリと人の悪そうな笑みを浮かべた。
「はは〜ん、あんた意外と優しいんじゃない……敵の本拠に踏み込む前に、か弱い女の子を安全な場所に移しとこうってわけね。しょうがないわね、残念だけどここはあんたの顔を立てて……」
「気の毒だがそうじゃない。裏組織の本拠地が、ここなんだ」
「なんじゃそりゃあ!」
 俺はおチビちゃんをポケットに入れたまま、慎重に門の前に歩を進めた。見た目はごく普通の一軒家。家族団欒、人畜無害、品行方正、千客万来、交通安全(?)を地でいくような2階建ての建て売り住宅。だが俺の勘が頭の中でサイレンを鳴らしていた。平穏な空気に潜む数ppmの危険の微粒子を感じ取り、俺は全身の神経を針のようにそばだたせていた。
「な、なにマジになってんのよ。あたしの家に用があるんなら、さっさと入ったらいいじゃない」
「あら、清香ちゃん、探偵さん、お帰りなさい。お夕飯にします?」
 緊張感ゼロのおチビちゃんのつぶやきに注意力の一片を奪われたその瞬間、玄関の前から温厚そうな声が投げかけられた。見ると玄関の扉の前で、エプロンを付けた三つ編みの女性が嬉しそうに微笑んでいる。今朝この家で出会った、おチビちゃんの身内らしい主婦然とした女性だ。
 ……だが、いつの間に? 扉を開けて外に出て扉を閉める、数秒は要するはずの動作を俺が見逃すはずはない。あの女性は煙のように忽然と姿を現したとでも言うのか? 莫迦な、一瞬だけ気を逸らしたとはいえ、俺の背後のみならず正面まで易々と取るとは……。
 彼女との距離はおよそ5メートル。撃たれてから身をかわすには近すぎる距離と言っていい。門扉をくぐる前ならばすぐ脇の塀に隠れることも出来たが、今となっては間に合わない。俺の背中を冷たいものが走った。
「どうしました?」
「なにやってんの、さっさと歩きなさいよ」
 笑顔を浮かべながら玄関を開ける三つ編みの女性と、鈍感すぎる依頼人の少女。俺は小声でおチビちゃんに問いかけた。
「あの人は……味方、なんだろうな」
「はぁ? なに警戒してんの。平気よ平気、あたしの家なんだから」
「あなた、ごはんにします、お風呂にします? それとも先に……」
 三つ編みの女性の言葉の罠に、ぐらぐらと揺らされる俺の心。だが危険の微粒子はますます俺の鼻孔を刺激してやまなかった。俺は自分の勘を信じる。状況が何であろうと信じざるを得ぬ。なぜならそれが、今日まで俺が生き延びてこれた理由だから……。
「あの……何か、失礼でもございましたか?」
「あんた、なにぐずぐずしてんの? ちゃっちゃと入りましょうよ、お腹空いちゃったわ」
 俺は俺の勘を……。
「……(ぐすっ)……」
「さっさと中に入りなさい、最優先事項よ!」
 ……まぁ、ときには妥協も必要か。依頼人の命令でもあることだし。
 俺は表情をゆるめると、軽く会釈をしながら足を前に進めた。扉の脇でにこやかに微笑む女性に全身の神経を集中させ、わずかな仕草も見逃さぬよう注意しながら玄関に上がる。そして彼女に背中を見せないよう気を配りながら、靴を脱いで廊下に上がって……。

 ばりっ。

 足元で嫌な音が鳴った瞬間、俺は自分の判断ミスを後悔していた。これまでに体験し切り抜けてきた数々のピンチが、走馬燈のように脳裏を駆けめぐった。

                 **

 我が身を取り巻く暗黒の空間。頭上の穴から漏れるわずかな光。穴までの高さは8メートルはあるだろうか。
「お怪我はありませんかぁ〜〜、簡単に死なないでくださいよぉ〜」
 頭上から三つ編みの女性の声が聞こえる。口調は相変わらずの賢母ぶりだが、その響きには邪悪な何かが混じっているように俺には思えた。ポケットに入ったまま俺と一緒に転落したおチビちゃんが気丈に言葉を返す。
「あんた、いったい何のつもりよ!」
「オホホ、清香ちゃん、私をお母さんって呼んでくれたら、助けてあげても良いわよ〜」
「まっぴら御免だわ!」
 俺は手探りで、自分が落ちた落とし穴の中を探った。土を掘って作ったらしい穴の内面は突き固められた跡があり、道具のない今の状況で登る足がかりを作ることは難しい。広さはおよそ3メートル四方、扉や鉄格子の感触はない。どうやら上からロープでも降ろさない限り、脱出することは出来なさそうだ。
「オホホホ、探偵さん、清香ちゃん。あなたたちは知りすぎてしまったわ。私の愛に包まれて、あの世に旅立ちなさい」
「うぅうぅ、だいたいあの女は最初から気にくわなかったのよ! お母さんが居なくなったこの家にずかずかと上がり込んで、毎日ニコニコとあたしの世話ばかり焼いて!」
 ……おチビちゃんの怒る理由がよく分からないが、とにかく彼女はおチビちゃんの身内というわけではないらしい。
「どうも怪しいと思ってたけど、やっぱり悪人だったんだわ! きっとこの落とし穴もあいつが掘ったのよ、この家に来てから時間はいくらでもあったもの」
「なんだと?!」
「うふふ、その通りよ」
 さっきまでの警戒心ゼロは何処へやら、おチビちゃんはここぞとばかりに思いの丈を吐き出した。だが俺まで熱くなるわけには行かない。俺はこめかみに指を当てて、現在の状況を整理した。
「あの気配のなさ……背の縮む薬……GT2000の爆発……アサミの情報……進藤博士の暗殺……あゆあゆ、うぐぅ……」
「どうしたの? 脱出するいい方法でも見つかった?」
「ちょっと時間をくれ」
 おチビちゃんは黙った。さすがに暗黒の中では心細いのか、震えながらも期待を込めて俺に視線を向けてくる。奇妙な静寂が7秒ほど続いた後、俺はカッと眼を開いた。頭上から見下ろす三つ編みの女性をぴしっと指さす。
「そうか、そうだったのか!」
「わかったの?」
「おまえ、悪人だな!」
 胸元で何かが転がる感触がしたが、今の俺はそれどころではない。
「ふぉーっ、ふぉーっ、ふぉーっ、さすがは健三郎、よくぞ見破ったわね」
「当たり前だ、俺の目は節穴じゃないぜ!」
「それ、あたしが先に言ったのに……」
 誰かが小声でつぶやいてるようだが、無視無視。
「くっ、まさかとは思うが、この罠もお前の仕業か!!」
「さすがだな、健三郎」
「うぅ、あたし無視されてるよぉ……」
 ふうっ、危ない危ない……俺でなければ罠と気づかなかった。さすがは悪者、卑怯な真似をしてくれる!
「ふぉーっ、ふぉーっ、ふぉーっ、片瀬健三郎、もはやあなたもここまでよ」
「なぁにぃっ!! 俺はここまでだと!!」
「あなたさえ居なくなれば、ガリバー計画に障害はなくなるわ……総統さまのご指導のもと、この小野崎ゆかりが全世界を征服するのも、いまや時間の問題よ!」
「なにぃ、世界を征服するだと!! おのれ悪人め、そんなことは正義を愛し平和を守る、この俺が許さん!!」
「あ、あのぉ……あんたたち、なんか別の世界に入っちゃってない?」
 妙な突っ込みが聞こえる気もするが、熱く燃える俺のハートはそんなものでは止められない!
「来い悪人め! 尋常に勝負しろ!」
「ふぉーっ、ふぉーっ、ふぉーっ、まんまと罠にはまっておきながら、何をほざくか」
「おのれぇ、卑怯者! だが……俺は負けるわけには行かない! 世界の平和が、人類の未来が、この俺の双肩にかかっているのだ!」
「ふぉーっ、ふぉーっ、ふぉーっ、今のきさまに何が出来るというのだ、さっさと死ぬがいい」
「ふっふっふっ、俺をただの私立探偵だと思ったら、大間違いだぜ!」
「なんだとぉ?!」
「いくぜマザー、いまこそ変身だ! チェ〜ンジ、ソルジャー……」

「いい加減にしろぉっ!」

 どこからか降ってきた銀色のタライが、俺の頭を直撃した。

                 **

(ハードボイルド、再開)


 俺は落とし穴の底で懐を探った。針金、磁石、ピンセット、テグス……どれも穴からの脱出には役立ちそうにない。拳銃は落ちるときのショックでどこかに行ってしまった。真っ暗な穴の中で見つけるのは容易でない。
「ふっ、安心しな、おチビちゃん。この程度のピンチは何度もくぐってきてるからな」
「……いまいち信用できないけど、期待しててあげるわ」
 ポケットの中から素っ気なく言い返す依頼人の少女。もう少し可愛げのある返答ができれば、清香SSの執筆も夢ではないのだが。
「誰のせいよ、誰の!」
「突っ込むなら口に出した台詞だけにしてくれ、頼むから」
 深刻だが非建設的な言い争いをしている俺たちの頭上から、細かな何かが降ってきた。毒物かと警戒して身を引く……だが俺の手に伝わってくるのは、さらさらとした気持ちの良い感触だった。
「これ……まさか?」
「うふふ、清香ちゃん、一緒に砂絵遊びしましょうねぇ〜」
 三つ編みの女性……ゆかりさんは優しい母親の表情をしながら、片手の拳をふるふると左右に振っていた。その拳からパウダースノーのような細かな粒が落ちてきて、落とし穴の底に溜まってゆく。さほど勢いのある降らせ方には見えないのに、細かな粒は早くもくるぶしまで積もりつつある。
「これ! 砂絵に使う砂だわ!」
「砂か、それは好都合だ。床に敷き詰めていけば、そのうち落とし穴も浅く……」
「なに言ってんの。砂絵の砂ってのは乾燥させてあってね、足で踏んだりしたらすぐ穴が空いちゃうのよ! あの人、あたしたちを生き埋めにするつもりなんだわ!」
「なにぃ!! そうなのか!!」
「ふぉーっ、ふぉーっ、ふぉーっ」
「……もう1回死んでみる? あんたたち……」

 俺の意識はハードボイルドに引き戻された。

「うむ、穴に落としてから砂をかぶせる……なんて隙のない攻撃だ」
「感心してる場合じゃないでしょっ!」
 早くも砂は俺の膝の辺りまで達していた。ポケットの中は既に砂だらけで、おチビちゃんは俺の左肩に移動している。
「ピンチよピンチ! あんた名探偵なんでしょ、なんとかしなさいよ!」
「騒ぐなおチビちゃん。ヒーローはな、いつだって切り札を用意しているものなのさ」
 俺は平然と切り返した。おチビちゃんの瞳が輝く。
「ほ、ほんと?」
「名探偵には相棒が付きものなのさ。カモォン、ロシナンテ!」
 ヒーローもののお約束。どんな状況でも助けに来てくれる、忠実にして頼りになる俺の相棒。万能クルーザー、それがロシナンテ! そら、今にもあいつの頼もしいエンジン音が……。
 ……しかし、周囲にはさらさらと砂の降り積もる音が響くのみだった。俺の相棒のエキゾースト音は、数分経っても一向に聞こえてこなかった。
「ロシナンテ?!」
「うふふふ、掛かったわね片瀬健三郎」
 ゆかりさんの勝ち誇ったような笑い声が響く。
「幾多の難事件を切り抜けてきた片瀬健三郎。仲間たちがあなたの前に倒れていった原因を、調べずにいると思っていたの? 意志を持つクルーザーの存在は最初から計算に入っているわ」
「莫迦な? 倉庫でもビルの屋上でもジャングルの奥地でも、どこにでも現れるロシナンテが……」
「いくら非常識なクルーザーでも、地中を掘って進むことは出来ないわよね?」
 読者のために言っておくが、これはギャグでもなんでもない。俺の愛用クルーザー・ロシナンテは不可能を可能にする船なのだ……少なくとも、この片瀬健三郎シリーズの中では。
「あんた、誰に向かって説明してるのよ?」
 おチビちゃんの突っ込みに答えている余裕はない。積もった砂は股下に達しようとしていた。いつもの脱出パターンが使えないとなると、奥の手を出すしか……って、奥の手?
「……ない」
「へ?」
「変身を封じられ、ロシナンテとの連携を断たれた今、もはや打つ手はない」
「あ、あんた正気?」
 ……厳密には手がなくもないのだが、考えるだにおぞましい。
「ちょっとぉ、なんとかしてよ。こんなところで死にたくないわ!」
「……ふっ。俺もいよいよ年貢の収め時か……願わくば、傍らにいるのが絶世の美女なら良かったんだが……」
「何しんみりと回想モードに入ってんのよ!」
 俺の頬をぺたぺたと叩きながら喚き散らすおチビちゃん。
「こんなところで諦めるつもり? 少しは困った顔をしたらどうなのよ?」
「ば、莫迦!」
 慌てておチビちゃんの口を塞いだが遅かった。“困る”……そのキーワードを聞いた途端、落とし穴の底にいる俺たちの脇にいきなりスポットライトが射す。おチビちゃんは何事かとそちらに首を向けたが、俺は反射的にその反対側を向いた。悪人の罠にはまった名探偵の危機、というシチュエーションが音を立てて崩壊する、その様子から眼を逸らすように。
「お困りですかぁ〜? そんなときには、わたしにお任せ〜♪」
 ……ああ、やっぱり。

                 **

「はぁい、まじかる☆ひよりんだよぉ♪」
「…………」
 おチビちゃんの目は点になっていた。ゆかりさんの目も点になっていた。俺は首を反対側に向けていたが、何が起こっているかは手に取るように分かった。スポットライトの下にいるのはフリフリの赤い服を着た巨乳の少女。ピンクの髪をツインテールにし、手には魔法のステッキを持ち、聞く者を脱力させるような情けない声を放つ、この場には明らかに不似合いなポンコツ幼なじみ。
「……あのぉ、もしもし?」
「……何やってんの、日和ひより? そんな恥ずかしい格好して」
 ようやく意識を取り戻したらしいおチビちゃんが、開口一番もっともな質問を発した。
「にゃうぅ、は、恥ずかしくなんか、ないもん。それにわたし、日和じゃないよぉ、ひよりんだよぉ」
「ひよりん?」
「……一応、忠告しておくが」
 俺はおチビちゃんをつんつんと指でつついた。
「……とりあえず、逆らわない方がいい」
「……なんなの、あれ?」
「非常識の塊だ。これまで積み上げてきたものを全てぶち壊す、作者の妄想と悪ノリの産物だ……お前が呼んだんだぞ、責任をとれ」
「そ、そんなこと言ったって」
 あまりと言えばあまりの展開に硬直するおチビちゃん。気持ちは分かる。いくらピンチでも、俺もこいつにだけは頼りたくない。
「はうぅ、相手してくれないよぉ〜〜、ぐっすん」
 腰まで砂に埋まりながら、ポンコツ魔法少女はつぶやいた。落とし穴の底、砂に埋もれつつある狭い空間。そんな環境にピーピー泣きだす役立たずが加わるというのは、絞め殺したいほどにうっとうしい。
「けんちゃ〜ん、清香ちゃ〜あぁ〜ん、ぐっすん」
「……分かった、分かったわよ。相手したげるから……あ、あんたも落とし穴に落ちちゃったの?」
「えへへへ♪」
 混乱のあまり聞かずもがなな問いを口にするおチビちゃんと、話し相手ができて破顔する魔法少女。俺が自分のアイデンティティを維持するのに必要なのは、ただ沈黙のみだった。
「ちがうよぉ、困ってる声が聞こえたから、お助けしに来たの♪」
「えっ、じゃここから助け出してくれるの?」
「えへへ、よく聞いてね」
 思わず身を乗り出すおチビちゃんに、非常識の塊は高らかに宣言した。
「わたしは、魔法の国からやってきた、まじかる☆ひよりんだよぉ〜♪」
「……はい?」
「まじかる☆ひよりんだよぉ〜♪」
「…………」
「……OK?」
「うん…………」
 もはや突っ込む気力すら失い、哀しいモノを見る眼で溜息をつく俺の依頼人。そんな視線を鈍感に受け流して、魔法少女は堂々と胸を張った。
「魔法の力はすごいんだよぉ〜。清香ちゃん、ここから出られればいいんだよね?」
「……まぁね……」
「だ〜いじょうぶっ、わたしにお任せよ♪」
 魔法少女に当たるスポットライトの色が赤に変わった。狭い落とし穴の中に脱力ものの音楽が流れる。その音楽に乗ってポンコツ魔法少女はステッキを振りかざした。ふと見ると、穴の上でゆかりさんがラジカセをかざしているのが見えた。意外とサービスのいい人らしい。

「ピンプル、パンプル、ロリポップン、マジカルマジカル……うわぁ〜ん、けんちゃ〜ん。砂に埋もれちゃってステッキが振れないよぉ〜」

 ポンコツな呪文の詠唱は本人の泣き声によって中断された。おチビちゃんと俺は顔を見合わせてこっそりとつぶやいた。
「聞きしにまさるポンコツぶりね」
「仕方ない、日和なんだから」
「わぁ〜ん、けんちゃんってばぁ〜」
「……どうする?」
「行くとこまで行くしかないだろ、こうなったら」

 俺は貴重な体力を削って砂をかき分け、日和のほうに歩み寄った。日和にバタ足をさせながら腰を持ち上げる。胸まで埋もれていた日和の上半身を、そうやってどうにか砂の上に浮き上がらせることができた。
「うわーい、けんちゃんに抱っこしてもらっちゃった♪ るんらら〜♪」
「はいはい、いいから、わかったから」
「早く済ませてくれ」

「ピンプル、パンプル、ロリポップン、マジカルマジカル、るんららぁ、そ〜れっ、出口ひらけ〜、にゃう〜ん♪」
 聞き慣れた……これだけは聞き慣れたくなかった呪文の声が、穴の中で反響する。ポンコツなBGMが鳴り響き、くるくる変わるライトの色が異次元の悪夢を彩った。そしてやがて音楽が消え、スポットライトの明かりが小さくなると……まじかる☆ひよりんは落とし穴の壁に向き直り、ステッキを放り出して両手で壁をぽかぽかと叩き始めた。
「……開けてよぉ〜、暗いよぉ〜〜〜」

「だぁあああああ!」
どんがらがっしゃん!

 天空から降り注いだアルミのタライの直撃を受けて、俺とおチビちゃんは砂の中へ顔を派手に突っ込ませる羽目になった。
「と、とことん使えないやつ……」
「日和シナリオをやってない読者は、あの子のやってる意味がさっぱり分からないわよね……」
「うわぁ〜ん、けんちゃ〜ん、開けてよぉ〜」
 俺とおチビちゃんの嘆息をよそに、日和はただの土の壁を泣きながらたたき続けた。
「だあぁっ、うっとうしいっ! ここはタンスの中じゃないだろ、だいいち俺はここにいるだろうが!」
「えぇっ、だってぇ、こうすればけんちゃんが開けてくれて……って、あれ? なんでけんちゃん、一緒に中にいるの?」
「それはお前が……」
 ムキになって反論しかけて、俺はふと我に返った。砂は既に首の辺りまで達している。俺たちは頼るべからざるものに頼ってしまった。貴重な時間と体力を費やして、最後の賭けに敗れた……もはや何を言っても手遅れ、争う理由も価値もない。
「……いや、いいんだ。お疲れだったな、日和」
「にゃう? けんちゃんどうしたの、急に優しくなって……」
 きょとんとする日和。俺はそんな彼女の頬に優しく手を触れた。
「何も言わなくていい。せめて最後は、とびきりの笑顔を見せてくれ」
「けんちゃん……」
「だああぁっ! 勝手にメロドラマやってんじゃないっ!」
 ……あ、いたの。
「だいたい日和、あんたなにしに出てきたのよ! さんざん騒いだ挙げ句、何の役にも立たないじゃないの!」
「ぐすっ……清香ちゃん、ひどい……」
 いい雰囲気をぶちこわされた日和は一転して大粒の涙を浮かべた。
「ひどい……ひどいよぉ、せっかくけんちゃんと……」
「せっかく探偵ものやってたのを台無しにして! 絶体絶命のピンチをお笑いシーンにしちゃって! おかげであたしがぜんぜん目立たな……」
 おチビちゃんの罵声が続く。日和は顔を伏せ、肩を震わせながらそれに耐えていた。俺はどう収拾をつけたらいいものか、砂が積もるのも忘れて事態を静観していた……そしてついに、日和のなけなしの忍耐心が底を突いた。
「清香ちゃんの……」
「な、なによ?!」
「清香ちゃんの、莫迦あぁっ!!!」
 日和は……いや、まじかる☆ひよりんは放り出した魔法のステッキを拾い上げると、先端に付いたハンマーをブンブンと振り回した。全身が砂に埋まっている俺には逃げる術はなく、仕方なく落ちていたタライをヘルメット代わりにして身を守る。身体の軽いおチビちゃんはちょこまかと俺の両肩を走り回ってハンマーを避けた……だが、まじかる☆ひよりんの鉄槌の矛先は思わぬ方向へと向かった。
「莫迦あっ、莫迦あっ、莫迦莫迦あぁっ!!!」
 まじかる☆ひよりんの行くところには土煙がたち、通った跡にはトンネルが生まれる。莫迦莫迦と泣き叫びながら漫画のようなスピードで横穴を掘り進んでいく魔法のハンマーの威力に、俺とおチビちゃんは唖然として言葉を失った。前なんか見ちゃいないまじかる☆ひよりんのトンネルは、右に行ったリターンしたりねじれたり……しかし確かに、寄り道しながらも上に向かって進んでいた。
「なんなんだ、このご都合主義な展開は……」
「……あの日和が役に立つとこ、初めてみた……」
 俺たちはぶつぶつ言いながらも、砂をかき分けて日和の後を追った。

                 **

 地上に出て相棒のロシナンテを呼んでしまえば、もはやゆかりさんは俺たちの敵ではなかった。がっくりと膝を着いてうつむくゆかりさんに、俺は甘さを排除した厳しい声で問いかけた。
「さぁ、白状してもらおうか。ガリバー計画とやらを」
「……嫌です」
「世界征服と言っていたな。進藤博士が殺された時点で、ある程度は予想していたが……俺の目を節穴だと思ったら大間違いだぜ」
「だから……あなたを忘れます……名前も顔も声も……そうすれば、こんなところで突っ立っていることもないだろうから」
「……手強いな。ここまできて他社ネタのストックがあるとは」
 俺はやれやれと息を吐いて見せた。言葉にするほど途方に暮れてるわけじゃない。口を割らせる方法はいくらでもある……ただ刺激が強すぎるかも知れない、しばらくおチビちゃんには目をつぶっててもらおう。そう思って小さな依頼人に語りかけると、意外な答えが返ってきた。
「どうだいおチビちゃん、疲れたろう。ロシナンテの中の冷蔵庫に……」
「あたしに任せて」
「……おいおい勘弁してくれよ。こんなときに日和の真似をしなくても……」
「この人に言いたいことがあるの。悪人とはいえ、ずっと一緒に住んでた仲なんだもの……あたしにやらせて」
 おチビちゃんの眼の光が強い。おチビちゃんは俺の手から飛び降りると、俺の返事を待たずにゆかりさんの前に歩み寄った。少し垂れたゆかりさんの瞳に生気が宿る。
「きよか、ちゃん……」
「こんなことになって残念だわ……あんたはお母さんじゃないけど……お母さんだなんて呼べないけど、だけど……」
「…………」
「……ちょっとくらいは、尊敬してたのに。感謝してたのに」
 ゆかりさんの瞳からぼろぼろと涙があふれ出た。さすがはおチビちゃん、第1関門を難なく突破するとは。
「あたしの……独り善がりだったのかな。たとえ今はぎこちなくても、そのうち母娘に……なれるかなって、思ってたのは」
「き、清香ちゃん……」
「あたし、哀しい……哀しいよ。あたしは薬の実験台でしかなかったの? あんたにとってあたしは、それっぽっちの存在だったの?」
「ごめんなさい、ごめんなさい、許して……」
 俺は心の中で舌を巻いた。第2,第3関門を易々と突破。このまま行けば陰謀を白状させるだけでなく、悪事からの更正すらさせかねない。単なる小うるさいチビと思っていたが、なかなかどうして……。
「いいわ。あんたのこと嫌いになりたくないから、答えなくていい。でも1つだけ、1つだけ教えてくれない?」
「ひっく……ぐすっ……」
「あたしのことを、ちょっとでも気に掛けてくれるのなら……」
 おチビちゃんは言葉を切り、大きく息を吸い込んだ。

「背が高くなれる薬の在処を、さっさと言いなさいよっ!!!」

 俺とゆかりさんは豪快にずっこけた。

                 **

 そして、あれから数日後。俺はロシナンテの船内で、優雅に朝食後のコーヒーを楽しんでいた。
「世はすべて事も無し……平和な朝に乾杯……」
「ちっとも良くなあぁぁい!!」
 ……またか。
 俺の正面には、頭から湯気を上げたおチビちゃんが座っていた。身長は146センチに戻り、風車リボンを付けている。もはやポケットに入るサイズではなくなっていたが、彼女の呼び方は未だに「おチビちゃん」だった……本人は怒るが、今でもそう呼んでおかしくない身長ではあるわけだし。
「冗談じゃないわよ! こんなのってあり?」
「……俺も納得はいかんが、君が選んだことだ」
 背の高くなる薬を渡す代わりに、ガリバー計画のことは聞かずに見逃して欲しい。それがゆかりさんの提示した条件だった。平和を愛する正義の熱血ヒーローとしては頑として跳ねつけるべき交換条件であったが、私立探偵としては……しかも他ならぬ依頼人の少女が涙を浮かべながら懇願する状況では、首を横に振ることは出来ない。男は優しくなければ生きていく資格はないのだ。
 ……こうして、この事件は解決した。世界征服をもくろむ陰謀に踏み込めなかったことは残念だが、俺は危険の女神に愛された男だ。いずれ別のやっかい事として関わることもあるだろう。ここは依頼人の身を守り抜いたことで、良しとしなければ。
「納得行かなあぁぁいっ!」
 だがいちばん不満なのは、この選択をさせた当人のようだった。今朝もいきなり現れたと思ったら、優雅な朝食を楽しむ俺の目の前でぐちぐちと文句をこぼしている。聞けば彼女は身長を高くする薬が欲しかったのであって、元に戻すだけでは不十分だというのだ。そう言えば最初からそんなことを言っていた気もするが。
「粗悪品よ、粗悪品! あいつ出来損ないの薬を押しつけて逃げ出したんだわ、許せない!」
「……でも元の身長には戻れたんだろう?」
「1センチ足りないのよ、これでも!」
 悲痛にして切実な叫びであった。だが俺にとっては、もはやどうでもいい叫びであった。彼女はもう依頼人ではない。
「ねぇ、お願いだから、本当の薬を取り戻すのを手伝ってよ!」
「……前の件の依頼料は?」
「なによぉ、美少女の依頼は只で引き受けるのが、名探偵ってもんでしょ!」
 俺は静かに目を閉じた。心地よい揺れに身を任せる。おチビちゃんの叫びを打ち消すかのように、ロシナンテのエキゾースト音がひときわ高く響き渡った。


「こうして今日も、まじかる☆ひよりんは大活躍です♪ 魔法のハンマーで、何でも粉砕だよ、えへへ♪」
 ……余計な雑音が聞こえたような気もするが、気にしない気にしない。

前半に戻る

SSの広場へ