CLANNAD SideStory
気になるあの娘と、晴れた日に
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美佐枝3
翌日の昼前。ゴミ溜め部屋の掃除に加えて落書き消しと壁紙の貼り替えを押しつけられた岡崎朋也は、好天の日曜日にもかかわらず汗だくになって室内で奮闘していた。とはいっても所詮は他人の部屋、目に見えない部分では適当に手を抜いていたが。
《美佐枝さんは跡形もなく消すように言ってたけど……どうせ壁紙を貼れば隠れるんだし、分かりゃしないよな》
シンナーで油性マジックを落としていたのは最初だけ。壁に書かれた相合傘をそのままにして朋也は上から壁紙を被せていった。もともと元の部屋主の気持ちに共感を覚えていたせいもあり、罪悪感は微塵もない。そりゃ美佐枝さんは次の学生に綺麗な部屋を準備する義務があるんだろうけど、俺にはそんなの無いもんな。とりあえず隠しとけば一宿一飯の恩返しくらいにはなるだろ……そんな軽い気持ちで。
「お疲れさま。岡崎、ちょっと休んだら?」
「ああ、さんきゅ」
ところが、麦茶を運んできてくれた美佐枝が部屋の中に入ってきた途端に、朋也の甘い期待は打ち砕かれる。くんくんと鼻を鳴らした寮母は鋭い突っ込みを入れた。
「……ねぇ岡崎、壁の落書き、消してくれるよう頼んだよね?」
「ああ、ちゃんと消しておいたぜ」
「その割にはシンナーの臭いがしないんだけど」
「……ああ、窓を開けてるせいじゃない? ほら、シンナーって中毒になるらしいし」
「なめるんじゃないっ! あたしが何年、この仕事やってると思ってんのよ!」
急に声を荒らげた美佐枝は突然立ち上がると、手近な壁紙をつかんではがし始めた。貼ったばかりの壁紙がめりめりと引き裂かれていく情景に朋也が絶句する中、壁紙の下からは相合傘の黒い断片が姿を現し……それをみた美佐枝は怖い目をしながら振り返った。
「なにか言いたいことは?」
「い、いやその、あのさ……」
襲いかかられてドロップキックか、それとも人間風車か……豪快なプロレス技を覚悟して身を固くする朋也。だが予想に反して、美佐枝は溜め息をつくと顔を伏せてその場に座り込んだ。
「あたしがこういうの嫌いだって、ゆうべ言ったよね……」
「い、いや、でもさ」
「まぁ、男のあんたに頼んだのが間違いだったわ。まったく……黙ってこの寮を出て行っといて、後からこういうの見せつけられる女の気持ちになってみなさいってのよ」
壁にこつんと頭を付けた姿勢で、ふと愚痴をこぼす寮母の美佐枝。その言葉に一般論以上のなにかを感じ取って、朋也はごくりとつばを飲み込んだ。
「まったく、男なんて勝手なんだから……勝手に好きになって、勝手にどこかに行っちゃって、あっちじゃまた別の誰かを好きになって。気持ちだけ残されたって女にとっては迷惑なのよ」
「…………」
「どうせ卒業したら、高校のことも寮のことも思いだしゃしないんだから。後始末もしないで、みんな放っぽりだして出て行って。手紙の1つもよこさないに決まってる。これ見よがしにこんなもの残さなくたって」
「それは違う、美佐枝さん」
この部屋の持ち主とは何の面識もない。なんで弁護じみたことを言う気になったのか、朋也自身にも良く分からなかった。とにかく目の前の女性が絶望と自虐に沈んでいくのを放ってはおけなかったのだ。
「たとえ学生時代のことだけだったとしても、今は忘れちゃったことだとしてもさ。ここの人、本気で美佐枝さんのこと好きだったみたいだぜ。部屋中を見て回った俺には良く分かるんだ。本気だった気持ちの証を、そんなに毛嫌いしないでやってくれないかな」
「……だから消さずに残しておいたとでも言いたいわけ?」
「そうじゃない。だけど、そいつにとっては真剣だったし、終わったこととはいえ大切な思い出なんだよ。美佐枝さんがそんなに迷惑がってたら、そいつの立つ瀬がないじゃないか」
「やっぱりあんたも男よね、岡崎。恋心を思い出にして折り畳んで、大事にしながら忘れたふりが出来るんだ」
美佐枝は壁際から部屋の中央に戻ると、麦茶のコップをぐいっと一気飲みした。そして少し残念そうにつぶやいた。
「……しらふでこんな話をすることになるとはね」
「…………」
「女にはね、恋心のアルバムなんてないのよ。一番好きな人の思い出が胸の奥にどーんと居座ってて、目をつぶるなんて出来ないの。その人に振られるか別の誰かを好きになるまで、どんなに古ぼけても手放せなくて」
「……美佐枝さん」
「だからね、1番になる気のない男の思い出なんて、ただ目障りなだけなのよ。せめて告白でもしてくれれば対処のしようもあったでしょうけど、こいつはもう寮には戻ってこないしね……だから消すの。無かったことにするの」
美佐枝の胸の奥に住むのが誰なのか。それを突っ込むのはさすがの朋也にもはばかられた。そしてそこに踏み込めない以上、美佐枝を翻意させることは朋也には不可能と言うしかない。疑問や異論はあっても彼女の意志を尊重するしかなさそうだった。
「ごめん、美佐枝さん」
少年は素直に頭を下げた。放課後に少女たちが美佐枝に相談しに列を作る気持ちがほんの少しだけ分かったような気がした。単に面倒見がいいだけじゃない。こういう等身大の心境を言葉に出来るところが、思春期の少女たちに受けているのだろう。
「別にいいわよ。本当は部屋の掃除、あたしがやらなきゃいけないんだしね」
柄にもないことを喋りすぎたと思ったせいだろうか。美佐枝は案外あっさりと朋也に許しを出すと、尻をはたきながら立ち上がり、朋也の貼った壁紙をはがし始めた。そして手伝おうと立ち上がった朋也に意外な言葉を投げかけた。
「あっ、そうそう岡崎。この部屋の掃除はもういいわよ。後はやっとくから、あんたは外に出て行きなさい」
「え……?」
「いい若いもんが、日曜の昼間から部屋に閉じこもってるんじゃないの。さっさと外に行って、アクシデントとやらに会ってきなさいよ」
「あ、あの美佐枝さん、たしか昨日はアクシデントをかわすために、協力してくれるって」
「気が変わったわ」
美佐枝はにっこりと魔女のように微笑みながら、楽しそうに少年にエールを送った。
「誰か、女の子と会うってことになってるんでしょ? あんたがここに閉じこもってたら、その子が行き場のない思いを募らせることになるしね……槍でも鉄砲でもどーんと受け止めてあげなさい、それが男の甲斐性ってもんでしょうが」
**
「……ったく、いきなり手のひらを返しやがって」
ぶつぶつと文句を言いながら岡崎朋也は寮の外の道を歩いていた。正直言って外を歩きたくはなかったが、美佐枝に睨まれたとあっては管理人室にも春原の部屋にも逃げ込めない。しぶしぶ寮から追い出されるしかなかった。
「自分にとっての1番、か……」
あの部屋の住人にとって、それは美人の管理人さんだった。管理人さんにとっては別の誰かだった。ままならぬ浮世の恋模様の片鱗を覗いたばかりの朋也であったが……さて自分にとっては誰なのか、本人にもよく分からなかったりする。とりあえず困ったときに頭に浮かんだのは年上の寮母さんであったが……彼女に思い人が居ると聞いてもさほどショックがないと言うことは、“気になる異性”というのとは違うのかもしれない。たしかに汚い部屋で一泊させられはしたけれど、アクシデントと言うには程遠いものだし。
そんなこんなを考えながら脚を進める朋也。通い慣れた自宅への道を歩く彼に、周囲に注意を払う余裕などあるわけがない。曲がり角の陰から近づいてくる少女の足音も右の耳から左へと通り抜けていたのだった。
そして、お約束の展開が次の瞬間に訪れる。
「わっ!」
「きゃっ!」
ぶつかって尻餅をついた少女は、朋也が学園で始終顔を合わせている女の子であった。少年にとって受難続きの日曜日は、こうしてようやく幕を開けたのだった。
Fin.
- 筆者コメント
- お待たせしました、美佐枝さんルート完結です。当初は○○くんがもっと絡んでくる話にするつもりでしたが、ゲーム未プレイの読者にとって理解不能になるなと考え直して10日間もこねくり回した結果、こういうエンディングになりました。ま、こういうのもある意味で美佐枝さんらしくていいでしょう。
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