CLANNAD SideStory  RSS2.0

気になるあの娘と、晴れた日に

初出 2004年06月23日
written by 双剣士 (WebSite)
SSの広場へ杏3へ

杏4

 頭が痛くてふらついて、朋也の肩に掴まって一緒に歩きまわらされる杏。早くどこかに座って落ち着きたいような、ずっとこのままで居たいような……複雑な気持ちにとらわれた彼女は、頭痛が治まった後も黙って顔を伏せたまま朋也の隣で歩き続けていた。そのため朋也に呼ばれるまで、自分がどこをどう歩いたかも分からない有様だった。
「そら、ついたぞ」
「……ありがと」
 ようやく差し出されたベンチに腰をおろし、お礼を言って顔を上げようとした、まさにその瞬間……小さな機械音とともにベンチが揺れた。向かい側には朋也がニヤニヤしながら座っている。そして彼の背後の景色が、ゆっくりと下の方に降りて行く。
「こ、ここ観覧車の中じゃないの?!」
「ご名答」
 ずいぶん歩き回されるわけである。貨車に乗り込むまでそのことに気づかなかった恥ずかしさも手伝って、杏の声は思わず大きくなった。
「なんで勝手にこんなとこに! 観覧車ってのはねぇ、帰る間際に、夕日が射す頃に2人きりで乗るのが……」
「ほぉ? そりゃ知らなかった。あらかじめ『順番』が決まってたなんてさ」
 余裕の表情で平然と聞き返す朋也。今回のが計画的であることを図らずも白状してしまった杏は、口をもごもごさせながら顔色を赤へ青へとめまぐるしく変化させていたが……やがて我慢の限界に達したように、目をつぶったまま早口でまくし立てた。
「そ、そうよ! 最初からそのつもりだったわよ、ボタンのことはただの口実! あんたと遊園地に来たかったの、一緒に観覧車に乗りたかったんだってば!」
「やっぱな」
「こ、これでいいでしょ!」
 顔を真っ赤にして本心を吐き出す杏。彼女にとっては屈辱の告白であった。なんだかんだと理屈を付けながらも優位に立って朋也を引きずり回していた彼女が、ついに奈落の底へと転落した瞬間だった。もう朋也の顔なんてまともに見られない、この先どんな顔していいか分からない……そんな軽いパニックに陥った彼女にたいして、少年は予想もしない言葉を掛けてきた。
「じゃ、さ。ここから先は俺、ボタンの後について行かなくても良いんだな」
「あ、当たり前でしょ!」
「なら聞くけど、この先はどういう予定だったんだ?」
「よ、予定って……」
「一緒に観覧車に乗って、何をする気だったかってことさ」
「そ、そりゃあ……」
 危うく誘導尋問に引っかかりかけた杏は、真っ赤な顔をますます紅潮させて口をつぐんだ。上目遣いにちらちらと見上げる少年の顔は、腹が立つほどに平然として見える。普段とはちがう絶対的劣勢に立たされた藤林杏は、沸騰しそうな脳細胞の奥で返す言葉を探し回っていたが……やがて、絶妙の切り返しを思いついた。
「あ、当ててみなさいよ」
「当てる? 予定をか?」
「そう」
「そんなの分かる訳ないだろ」
「分かるでしょ、この鈍感。もし外したら百科事典で殴り殺す」
 見晴らしの良い観覧車の中で、若い男女が交わす物騒な会話。だが先刻の告白シーンに比べれば、はるかに彼ららしい会話といえた。そして幸いなことに、この会話を痴話喧嘩と呼ぶ第三者はこの場には誰もいないのであった。
「あんた男でしょ。ここからどうするかなんて、いちいち聞いてんじゃないわよ」
「ほう、じゃ俺が男らしく決断をすれば、女らしく言うこと聞くってんだな、お前」
「……(こいつ、いちいち癪に障るったら!)……」
 このあたしが、なんでこんなに好き放題に振り回されなきゃならないのよ! 憤りが頂点に達し、肘鉄でも食らわしてやろうかと身構えた杏であったが……朋也が自分の顔をじっと見つめ、自分の両肩に大きな手をがっしりと掛けたことに気づいた途端、水が流れるように怒りが足下から地面に抜けて行ってしまうのであった。
「と、朋也……」
「黙ってろ」
 別人のような顔で迫ってくる朋也。金縛りにあったように動けなくなった杏は、ゆっくりと瞼を閉じた。互いの息づかいが次第に近くに聞こえるようになる中、2人の関係を決定的に変える瞬間がいよいよ目前に迫って……
「ぶひ、ぶひひー」
……来なかった。
「悪い、ちょっとこいつ黙らせておいてくれないか。ムードぶち壊しだ」
「う、うん……」
 足下から彼らを見上げる小さな観客。照れたように鼻の頭を掻く朋也に対し、ボタンの飼い主はしゃがみ込んで七つ芸の1つを命じようとして……大事なことに気づいた。ここで「ぬいぐるみっ!」とボタンを沈黙させたら、それは『この先に進んでOK』と朋也に返事しているも同然だと言うことを。
《それは、いくらなんでも……》
 素直じゃない彼女の本性が頭をもたげる。寂しいような勿体ないような気はするけれども、一度熱病から冷めてしまった彼女はもう朋也まかせの展開に戻ることは出来なかった。少し迷った後、意地の悪いひらめきを思いついた杏はペットに命じた。
「枕っ!」

                 **

「なぁ、あんなの有りか、おい」
 どこか不満そうに観覧車を降りる朋也とは対照的に、藤林杏の表情は底抜けに明るかった。
「照れない、照れない。貴重な体験だったでしょ」
「なにが悲しくて、イノシシとキスしなきゃならんのだ。反則だろ、あれは」
「そりゃ、ボタンはあたしのボディーガードだもの。主人の貞操のために身体を張ってくれたのよ♪」
 目を開いた先にボタンの顔があったときの、朋也の顔ったら……思い出し笑いに口元をゆるめながら、全てのわだかまりを吐き出した杏は元気よく振り返った。
「さっ、次いこ次。まだ時間はたっぷりあるんだから」
「……ナーバスな男心をもてあそんでおいて、元気だな、お前」
「なに小さいことに拘ってるのよ。また帰りに来ればいいじゃない、観覧車ぐらいさ」
 なにげに大胆なことを言いながら杏は朋也の手を引っ張った。2人の姿が傍目からはバカップル状態以外の何者にも見えないことに、彼らはもちろん気づいてはいなかった。

Fin.

筆者コメント
 お待たせしました、杏ルートの完結編です。当初の計画では甘い甘いハッピーエンドにするはずだったんですが、さすがは藤林杏、思惑通りには進んでくれませんでした。しかしまぁ、これもキャラが立ってきた証拠だと思えば悪い気分ではありません。めでたしめでたし。


SSの広場へ杏3へ