#1 ( No.1 ) |
- 日時: 2014/06/21 21:36
- 名前: 春樹咲良
- 参照: http://soukensi.net/perch/hayate/myself/patio.cgi
- ◆◆◆
9月9日17時30分(日本時間23時30分)
「なぁ明智君、スウェーデンってどの辺なんだ?」 大きな窓の向こうで、まさに離陸して行く飛行機が見える。 美希はコーヒーを啜りながら、向かいの席で手帳に目を落とす秘書に声をかけた。 男女共同参画担当大臣として初めての外遊先であるスウェーデンに向かう途中、乗り換えのために降り立った某国の空港。 当初は短時間で乗り換えを行うはずだったのだが、乗る予定の飛行機にトラブルが見つかったらしく、ここでしばらく足止めを食らっていた。 もう小一時間ほどは、このトランジットルームで待たされている。 明智は顔を上げると、先ほどの美希の質問に対して、極めて事務的に、そして実にふざけたことを言い放った。 「幸いにも地球上ですよ」 この男の一足飛びの冗談のテンポに、美希もいい加減に慣れてきた。 仕事の点ではほとんど非の打ち所がないほどに頼りになる秘書だが、それ以外の会話では基本的に美希をからかうことに生き甲斐を見出しているとしか思えない軽口ぶりで、美希は毎回いいように言いくるめられている。 「そりゃ大臣の外遊先が宇宙だったら凄いけどさ」 呆れたように美希が答えると、明智はなおもふざけた話を続ける。 「天空の城的な意味で言っても、残念ながら地上にある国ですね」 「飛行機で行くからには海底ではないだろうと思っていたけど、そうか、地上か。安心したよ。地上のつもりで荷物を準備してきたから」 最近は同じノリで冗談に冗談を言い返せるようになってきた。 しかし、真面目な顔で放たれる明智の冗談に付き合っていると、いつまで経っても本題に入らない。 「で、この地上のどの辺に位置する国なんだ」 「ヨーロッパの北の方です。首都はストックホルム。面積はおよそ45万平方キロメートルで、日本よりちょっと広いくらいですかね。 どの辺に位置するかについてもう少し詳細に知りたければ、緯度と経度まで細かくお伝えしましょうか」 手帳を開いてページをめくり始めた明智を制して、美希は言った。 「どうせ聞いても分からないから、結構だよ」 いつも彼が開くのは何の変哲もない普通のスケジュール帳のはずだが、明智の手帳なら何でも書いてありそうな気がする。聞けば何でも答えが返ってきそうな、魔法の手帳。 「まぁそう言うと思って、僕もそんな細かいところまで調べていないんですけど」 「おい」 思ったそばから台無しにされてしまった。
冷めかけているコーヒーを一口含んでから、美希は再び窓を見やる。 駐機している機体を見るたびに、どうしてこんな鉄の塊が空を飛べるのかが疑問に思えてくる。 美希が知らないだけで、実は反重力エネルギーのようなものが既に実用化されているのではないか。 しばらく飛行機の行方を見守ってから、腕時計を見つめていた明智にそんな疑問をぶつけてみた。すると明智は呆れた声で 「飛行機が落ちない理由ですか? ――お客様の笑顔に支えられているからですよ」 などとぬかした。 ――明智がふざけた答えを返すのはいつものことだ。しかし美希はそんな明智の様子から、いつもと違う、いつもよりも僅かに投げやりな空気を、敏感に感じ取った。 問いに答えるまでの僅かな間。 美希をからかうつもりで言っているだけではない声のトーン。 他者に向けた侮蔑的なニュアンスをも含ませるような物言い。 しばらくすれば忘れてしまうような、些細なことだったかも知れない。 しかし、顔を上げずに答えた明智の言葉は、妙なしこりとなって美希の心の隅に残った。
それからさらにしばらくの時間が過ぎた。飛行機のトラブルは相変わらず解消の目処が立たないようで、結局代替便を用意する方向で話がまとまりそうだという。 一日目の到着が大幅に遅れることは確実になったため、夕食を摂りながら、以降の日程の調整を同行のスタッフを交えて話し合った。 今後のスケジュールが決まり、スタッフが席を外してから、二人だけになった部屋で明智が再び端的に説明してくれる。 食事をしながら重要な打ち合わせをするのは苦手なのだ。 「というわけで、元々そんなに多くなかったので、一日目の予定はほとんど次の日やその次の日に振り替えができました」 「その分、二日目以降が結構忙しそうだけどな。予定のキャンセルが無いのは良かったな」 「いえ、正確に言うと一日目夜の夕食会はキャンセルですね」 明智によると、飛行機の遅れで宿泊先への到着が夜遅くになるため、二日目の朝からの予定が詰まっていることを考慮した、やむを得ない判断らしい。 先方の大臣夫妻との会食が予定されていたそうだが、経済や外交のように国際協力関係の構築が大きな重要性を持つ分野というわけでもないので、実害はないだろうと美希は考えた。 どのみち、向こうの大臣とは翌日も会うことになっている。 「まぁ、確かにそうですね。夕食会のごちそうを食べ損なったくらいですかね、残念なこととしては」 「スウェーデンの料理って何か美味しいものはあるのか?」 明智がまた手帳を開きながら澱みなく答える。 「基本的には色々なスープが重要な位置を占めるらしいですよ。ニッポンソッパとか」 事前のリサーチが万全なことには感心しか覚えないが、いよいよ何が書いてあるのか分からない手帳である。 それにしても聞いたことのない妙な料理の名前だ。 「何だそれ。日本蕎麦?」 「ニッポンソッパ(Nyponsoppa)です。ローズヒップのスープですよ」 明智によると、北欧の言葉は独特の響きで、日本語に近い発音の単語も多数あるらしい。 「スウェーデンまで行って蕎麦を出されるのかと思ったよ」 「まぁ、いずれにせよ夕食会は中止なのでその心配は無用でしたが」 手帳を鞄にしまうと、明智が話を切り上げて立ち上がった。それに合わせて美希も荷物をまとめる。そろそろ代替便の搭乗準備が始まる。 「せっかくですから、二日目のお昼にでも取り寄せて食べてみますか?」 「何だっけ、ニッポンソッパ?」 「いえ、日本の蕎麦を」 「何でだよ」
◆◆◆
今回はここまで。
ちなみに、この物語の設定は2025年です。
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#2 ( No.2 ) |
- 日時: 2014/06/24 00:11
- 名前: 春樹咲良
- 参照: http://soukensi.net/perch/hayate/myself/patio.cgi
- ◆◆◆
9月15日21時40分
「はい、もしもしー?」 見覚えのない番号からかかってきた電話を取ると、これまた聞き覚えのない男のかしこまった声が電話の向こうから聞こえてきた。 『もしもし、夜分遅くに恐れ入ります。瀬川泉さんでいらっしゃいますか?』 「そうですけど、どちらさま?」 泉が怪訝そうな声で尋ねると、かしこまった声の男が次のように名乗った。 『突然お電話してすみません。明智と申します。花菱美希議員の秘書を務めております』 「秘書さん……? あぁ、ミキちゃんの秘書さんかー! はじめましてー!」 電話の相手が親友の秘書だということがわかると、急に親近感が湧いた。 そう言えば、この前に美希と電話した時にも話題に上がった。 美希の語る様子からすると、意外と愉快な人物のような印象を受けたものだが。
『はじめまして、明智です。いつも花菱さんがお世話になってます』 「いーえー、こちらこそ。それで、ミキちゃんの秘書さんが、私に何かご用事?」 『ええ、はい。今度の白皇の同窓会の件なのですが――』 白皇の同窓会は週末の金曜日に予定されている。 先日美希に電話したのもその同窓会の件だったが、何かあったのだろうか。 もしかして、急な予定で都合がつかなくなってしまった、などという連絡だろうかと思って尋ねると、 『あ、いえ、出席は今のところ問題なくできそうです』 と明智は答えた。 「なんだ、そっかー。安心したよ」 『ただ、会自体の規模を考えると、あまりご友人とゆっくりお話をする時間なんかはなさそうでして』 「あー、総会はねぇ。色々なところの偉い人がたくさん来るし、ミキちゃんも現職の国会議員だしねぇ。 それも大臣になったばかりだから、総会に出ても挨拶とかで引っ張りだこかな」 泉も流石にこの歳になると、社交界の何たるかをおおむね理解してきていた。 こういった大人の付き合いというのは、どんなに面倒に思っても、いい顔をしていなければ後々の面倒が増えるようにできている。 『そういうことです。それで、総会自体は割と早い時間で解散になるみたいなので、その後の二次会をうまいことセッティングして、そこでご友人との時間をとれないかと』 だから、明智の提案はある程度、泉の方でも考えていたことだった。 「うんうん、いいんじゃないかな。みんな喜ぶと思うよー。 よかったらお店とか、私の方で探しておこうか?」 『そうして頂けると、とても助かります。自分も出来る限りお手伝いします。それで、もう一つご相談がありまして』 「ん、なあに?」 というより、これが本題なのですが、と前置きしてから明智はこんなことを言った。 『こないだの9日が、花菱さんの誕生日だったじゃないですか。 実はあれが、ちょうど外遊と被っちゃいまして。しかも飛行機トラブルのゴタゴタで、お祝いとかそういうの、何もできなかったんですよ』 出発が9日の午前中で、到着も現地時間で夜のかなり遅くになったのだという。 予定されていた夕食会は、飛行機の遅れでキャンセルになってしまったのだと明智が説明した。 「そうだったの。じゃあ、今度の二次会で、ミキちゃんの誕生日をお祝いしようってことだね?」 『ええ、話が早くて助かります』 さらに明智はつけ加えてこう言った。 『それで、出来ればこれ、花菱さんには内緒で準備したいんですが』 「あ、サプライズパーティーだねー? なるほどー。いいねぇ、ミキちゃんきっと喜ぶよ」 『だといいですけど。花菱さん、ちょっとひねくれ者ですからね』
ここから、明智は細かい打ち合わせをテキパキとこなす。 『二次会の話を僕から花菱さんに出すわけにはいかないので、明日の午前中にでも瀬川さんの方から、花菱さんに電話で提案してもらえますか。 パーティーの準備は私に任せておいて、みたいなことまでは伝えていただいて大丈夫です。 花菱さんのスケジュールは元々僕が管理しているので、電話口で花菱さんが僕に都合を確認して、出席の返事をすることができますから』 「えーと、うん、分かった。とりあえず明日、ミキちゃんに電話すれば大丈夫だね」 立て続けの説明にややついていけなくなりそうになりながら、泉は最低限自分がしなければならないことを確認する。 『お手数をおかけします。それでよろしくお願いします。くれぐれも――』 「サプライズがバレないように、ね。大丈夫だよ、任せといて」 これからの打ち合わせは明日以降、同じ時間に電話するということにして、通話を終えた。
◆◆◆
投稿してから誤字に気づくパターンが多すぎて。
茶会でも泉の将来は話題になりましたが、37歳になった泉が何をやっているのか私もあんまり決めていません。
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Re: 離れていても働くチカラ ( No.3 ) |
- 日時: 2014/06/24 00:36
- 名前: 壊れたラジオ
- どうも初めまして
ここのサイトで小説を書かせてもらっている壊れたラジオです。
早速ですみませんが、感想を書いてもよろしいでしょうか。
始めに、会話表現などの間にある間が自分にとっては非常に読みやすかったです。 なんといえばいいのかは語彙が少ない自分ではよく分かりませんが、流れが非常に自然と言えばいいのでしょうか。
私の場合、結構行間を開けてしまうタイプなのですが、ここではあまり行間がなくても読みやすい感じがして、なんとなく小説と言うものはこう言ったものを言うのかなとなんとなく思いました。
自分の感想は非常に拙く、他の人に比べれば稚拙もいいところですみませんでした。
これからの展開を期待しています。
では。
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Re: 離れていても働くチカラ ( No.4 ) |
- 日時: 2014/06/24 03:21
- 名前: プレイズ
- 初めまして。プレイズといいます。
恐れ多いですが、小説を読んだ感想を書かせていただきますね。
実は前作の花菱美希議員の憂鬱も読んでました。
春樹さんの、美希のキャラが良く感じられる腕利きな文章が好みです。
そしてオリキャラの美希の執事、明智君の冷静で秘書として優秀でいながらユーモアのあるところも好きです。
二人の間柄、やり取りが自分的にはかなり良いですね。
最新話で、前回美希が明智君の意味深な態度を感じてた理由がわかりましたね。 缶詰の機内で調度美希の誕生日だったとは、そのゴタゴタでお祝いが出来なくてだから明智君がああいう投げやりな空気を出していたのか、なるほどと納得しました。
あと、今回泉が大人として年齢を重ねた事で、社交界の事情を理解してる事が表されてる部分が何か良かったです。 あの泉も社交界でのうんぬんとかを理解するようになったっていうのが、ちゃんと大人になってるんだなって、何か良い意味で意外でしたw
次回の更新も楽しみにしています。
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コメント返信 ( No.5 ) |
- 日時: 2014/06/24 15:33
- 名前: 春樹咲良
- 参照: http://soukensi.net/perch/hayate/myself/patio.cgi
- >>3 壊れたラジオさん
初めまして,コメントありがとうございます。
個人的に力を入れているつもりの点を評価していただき,嬉しく思っています。 私はまず会話のやり取りだけを書き,その間の描写を肉付けする形で執筆しているのですが, 場合によっては「改行が少なく読みづらい」と受け取られがちなので,そのように言っていただけると大変励みになります。 自然な会話描写については手探りでやっている部分ばかりですが,色々と試行錯誤を重ねていきたいなと考えています。
私の方もまだまだ至らないところが多いですが,これからもよろしくお願いいたします。
>>4 プレイズさん
初めまして,コメントありがとうございます。 そして,前作からお読みいただいているとのことで,本当にありがとうございます。とても嬉しいです。
前作を書いた時から,美希と明智君のコンビを書くのが我ながら楽しくなってしまい,新しい話を書くことになりました。 議員と秘書,というだけの関係を超えた二人の距離感を描いていけたらと思っていますので,よろしければ今後の展開にもご期待ください。
明智君の意味深な態度については,もう少し先で詳しく取り上げられたらと思っています。 大人になった泉……というか,37歳になった泉という設定を自分で作っておきながらやや戸惑っているのですが, 彼女もそれなりの立場で,それなりの成長をしているのではないかなぁ,と考えている次第です。 いくつになっても変わってないところは,変わってないんでしょうけれどね。
まだまだ精進が足りませんが,これからもよろしくお願いいたします。
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#3 ( No.6 ) |
- 日時: 2014/06/26 01:33
- 名前: 春樹咲良
- 参照: http://soukensi.net/perch/hayate/myself/patio.cgi
- ◆◆◆
9月19日20時35分
白皇学院の同窓会総会は、白皇出身の各界の著名人も数多く出席する中で、盛大に行われた。 美希は現役の閣僚ということもあって、壇上でのスピーチを依頼されるわ、企業の重役との挨拶やら何やらが続くわで、普段以上にてんてこ舞いといった状態で、気づけば総会はあっという間に終了していた。 予想以上の忙しさに、美希は「これでは公務と大差がないな」と、隣に控えていた秘書にこっそりと、しかし何度も愚痴をこぼした。 明智の携帯電話が着信を知らせたのは、そんな慌ただしかった総会をようやく終え、二次会へと移動を始めたときだった。 以前から泉たちと計画していた仲間内だけでの二次会――ここからが実質的な同窓会になるだろうというタイミングでの着信。 そして電話の画面に表示された着信元を見た明智の表情から、美希はこの先の展開をある程度予感してしまっていた。 「はい、明智です。……ええ、はい。今ですか? えーっとですね――」 少し離れたところでやり取りする明智の電話の様子からすると、二次会は諦めなければならないかも知れない。 ――それを楽しみに、堅苦しく退屈な総会をやり過ごしてきただけに、残念な気持ちが募る。
「すみません、官邸からでした」 覚悟していたこととはいえ、戻ってきた明智の一言に、美希は「やはり」といった様子で一瞬表情を曇らせた。 しかしそれも僅かの間のこと。ため息一つ吐くこともなくすぐに頭を切り替え、頬を引き締める。 「――緊急か」 ひとたび仕事モードに入ると、いつもの美希の子どもっぽさは影を潜め、凛々しさすら感じさせる顔つきになる。 美希の短い問いに、明智は頷いて答える。 「閣僚が揃い次第、臨時閣議だそうです。詳細は移動しながらお伝えしますが、割と一大事ですね」 「……そうか。至急、車の手配を――」 「もうやってます」 流石に手回しが早い。いつだってこちらの要求を先読みするのが明智という男だ。やはりエスパーなのではないかと、最近美希は本気で考えている。 美希は頷くと、続いて今度は、10メートルほど先を歩く集団の中にいる泉の方に呼びかける。 「おーい、泉ー」 「はーい。何とかだいじーん、置いてっちゃうよー?」 今日の総会の挨拶でも、自分の役職名が長すぎるので「何とか大臣」を自称している、と言って会場には随分とウケたのだが(「マスコミに取り上げられて問題になったら後々面倒なので、今後は自重してください」と後で明智に叱られた)、元はと言えば最初に美希をそう呼んだのは泉なのだった。 呼び止められた泉は、振り返って楽しげに手を振っている。 美希は、なるべく軽い調子で泉に向かって言った。 「いやぁ、すまん。今日はここで帰る」 「ええっ?」 驚きの表情を浮かべながら、泉がこちらに駆け寄ってきた。 「何とか大臣は、急な仕事が入ってしまったんだ」 「そんな、でも――」 狼狽した様子の泉はそこで一旦言葉を切ると、美希と明智、二人の顔を交互に見た。 そして、俯いて消え入りそうな声で呟いた。 「……そう。そっか、仕方ないよね。大事なお仕事だもの」 「……本当にすまん。折角の機会だったのに私も残念だ。この後のことは、任せていいか」 僅かに残る未練を断ち切るように言いながら、美希は明智を横目で見やった。 明智は大きくため息をついてから、頭を掻きつつこう言った。 「やれやれ。こういうのがうまくいかない星のもとに生まれてきてしまったということですかねえ」 まるで自分に言い聞かせるような明智の物言いが、美希は妙に引っかかった。 「二次会くらいで大袈裟だな」 「花菱さんも楽しみにしていたでしょう? ここからが同窓会の本番みたいなものですし」 明智の指摘はまさにその通りだが……何にしても今は緊急招集だ。些細なことを気にしている場合ではないので、美希はそこで話を切り上げた。 「――まぁ、そうだな。よし、行こうか」 これでも一応、国民の代表として国を背負って働く立場の人間だ。 この程度のプライベートの犠牲は、最初から仕事のうちに入っているのだと覚悟している。 「それじゃ泉、またな。また今度、ちゃんと時間を作るよ」 「その時間を作るのは僕なんですけどね」 早くも泉に背を向けて歩き始めている美希を追いながら、明智は泉の方を振り返って「また電話する」という旨をジェスチャーで伝える。 泉は黙ったまま頷き、二人を見送った。
◇◇◇
20時49分
「あー、ところで、花菱さん」 泉と別れて歩き始めてから数分経ったところで、先を行く美希に明智が声をかけた。 「何だよ。緊急なんだろ」 美希は足を止めずに振り返って答える。早歩きの美希を大股で追いかけながら明智が言う。 「ええ、そうなんですけどね」 「だから車まで頼んだじゃないか」 「ですから、それなんですけど」 どこか要領を得ないやり取りに美希は苛立ち、その場で立ち止まった。 追い付いた明智を見上げて、美希が問いただす。 「何だよ」 「車はあっちなんですよ」 そう言って明智が指差したのは、今まさに美希たちが歩いてきた方向だった。 「……それを早く言ってくれよ」 緊急招集だということで気持ちが急いでいたことに加えて、一刻も早く泉たちのところから離れたくて、よく考えずに歩き出していたのだった。 二次会に対する未練を断ち切りたい一心から無意識にやっていたことなのだろうが、官邸とは逆方向だったらしい。 「いや、ずっと言おうと思ってたんですけど、凄い勢いで歩いていらっしゃったので」 少し、焦りすぎていたのかも知れない。そんなことを美希が考えていると、 「大丈夫ですよ。もうすぐこっちの方に車が来てくれます」 と明智が言った。ちょうどそのタイミングで、車のヘッドライトがこちらに迫ってくるのが見えた。 相変わらず、手回しのいい男だ。
◆◆◆
議員の不祥事がニュースになってると、なんとなく複雑な気持ちになる今日この頃。
車は美希が気づかない間に、明智君が携帯で合流場所の変更を伝えておきました。
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#4 ( No.7 ) |
- 日時: 2014/06/28 23:43
- 名前: 春樹咲良
- 参照: http://soukensi.net/perch/hayate/myself/patio.cgi
- ◆◆◆
9月20日0時12分
「いやぁ、それにしても長引きましたね。もう日付変わってるじゃないですか」 閣議を終えた美希は明智と共に官邸を出て、内閣府の庁舎へと戻るところだ。 明智の言うことに頷きながら、流石に疲労の色を隠せない美希が愚痴をこぼした。 「あのハゲジジイがグダグダと非生産的なことを言わなきゃ、会議の時間はこの半分で済んでたと思うんだけどな」 2時間を大きく超える長い閣議を終え、張り詰めていた緊張も解けてしまった様子の美希に、明智がいつもの軽口を叩く。 「不毛な議論ってところですか。ハゲだけに」 「まったくだ。ハゲだけに」 あまりにも古典的な冗談だが、それにしても誰かに聞かれていたら大問題になりそうな会話だ。 「まぁ、大臣というのは得てして、自分のところの利害関係がまずは気になる生きものですから」 よくよく聞くと何のフォローにもなっていない明智の発言に、美希が軽い抗議の声を上げる。 「それ、大臣を前にして秘書が言うセリフとは思えないな」 明智と会話していると、時々議員とその秘書という立場関係を忘れてしまいそうになる。 もちろん、分かっていてわざとやっている部分が多いのであるが。 「大臣らしい言動をしてから言ってください」 美希の抗議をあっさりと受け流す明智に対して、美希は何の抑揚もつけずに答えた。 「誠に遺憾であるー」 「マスコミ向けのコメントをしろとは言ってないですよ」 どこまでも辛辣な男である。
◇◇◇
9月15日22時13分
明智との電話を終えた泉の携帯電話が、間髪を入れずに再び着信を知らせる。 思わず携帯電話を取り落としそうになりながら、画面に表示された着信元を見て、泉はさらに仰天した。 なんと、美希からだ。 「あ、あの、も、もしもし?」 『もしもし、泉か。今ちょっと大丈夫か?』 くれぐれもバレないように、という会話をしたまさにそのターゲットから、こんなタイミングで電話がかかってくるとは、予想外にも程がある。 明智の方で早くもバレてしまった、などということでもあったのだろうか。 「えーと、うん、大丈夫。ミキちゃんから電話がかかってくるなんて珍しいね。お仕事、忙しいんじゃない?」 『あぁ、いや、別に。今日は外遊から帰国したばかりで、官邸で報告だけして早めに家に戻ってたんだ。 お前こそ、さっきかけたら通話中だったけど、何か忙しかったのか?』 どうやら明智との通話中にかけていたらしい。 二人して同じタイミングで自分に電話をかけてくるなんて、一体何が起こっているのだろうかと思いながら、この場は適当に誤魔化す。 「あ、ううん、大丈夫。もう終わったから」 『そうか。いや、今度の同窓会なんだけどさ』 「えっ、ど、同窓会? うん、来るって言ってたよね」 明智の方でバレたわけではなさそうだが、なぜか先ほどと話の展開が全く同じである。 美希の意図は不明だが、ここで明智の計画に勘付かれてしまうと、いきなり全てが水の泡だ。何とか頭をついていかせなければならない。 『ああ、行くよ。それでな、もし時間があればなんだけど、その後で二次会みたいなパーティーって出来ないかなと思って』 「えっ、パーティー? う、うん、いいんじゃないかな、二次会。二次会ね……あ、ほら、あれでしょ、総会の方は、挨拶とかで忙しくなるかも知れないしね」 頭を整理しながら、やはり先ほどと同じ展開になる会話に困惑する。 『あぁ、それもあるか……やっぱり面倒だな、大臣って。 まぁ、それもそうなんだけど、ちょっと折り入って泉に相談っていうかさ』 思わず会話を先取りしてしまったが、美希はそこまで考えていなかったようだった。 「相談……パーティーのことで? うん……何かな」 話の展開がここまで同じだと、次に美希が言いそうなことが何となく想像できてしまうのだが、それにしても美希が自分の誕生日を祝うパーティーを相談するとは思えない。 やや腑に落ちない思いを抱きながら聞いていると、美希がこう続けた。 『こないだ電話したとき、うちの秘書の話をちょっとしたじゃないか。有能だけど毒舌の』 「うん、明智君がどうかした?」 『あれ、名前まで紹介してたっけ』 しまった、と思った。ついさっきまで電話していたせいで何気なく名前を口に出してしまったが、美希からはまだ「有能だが毒舌の秘書がいる」としか紹介を受けていないのだった。 「えっ、うん、まぁ、いいじゃない。あの、それでその明智君がどうしたの?」 冷や汗をかきながら無理やり話を本題に戻す泉の態度を訝しみつつも、美希は話を続ける。 『……まぁいいか。その明智君なんだけど、実は今度の20日が誕生日なんだよ』 「へー、誕生日……えっ、誰の?」 『だから明智君だ。今言っただろ』 これは泉にとっては予想外の展開だった。先ほどの電話では、明智はそんなことを一言も話さなかった。いちいち言わなかっただけかもしれないが。 ことここに至って、明智と美希が別々に泉に電話してきた理由がようやく見えてきた。
「――そっかー、誕生日……。20日ってことは同窓会が19日だから、次の日か。 じゃあもしかして、そのお祝いをしようって話?」 『あぁ、そう、そうなんだ。本人は自分のことには無頓着なタイプだから、多分自分の誕生日のことなんて忘れてるだろうし、そこで祝ってあげたら面白いかなぁと思ってさ。だから』 「つまり、サプライズパーティーで驚かせたいんだね?」 泉が続きを引き取る。大体の状況が把握できて、泉も落ち着きを取り戻す。 それと同時に、この状況がいかに面白いことになっているかに気づいて、可笑しくなった。 『どうしたんだ泉。今日はいつになく察しがいいな。まぁ、話が早くて助かる。 普段は明智君に全部の手配を任せるところだけど、今回はいつものお返しに、驚かせてやろうと』 「ふふーん。なるほど、『いつものお返し』ねぇ。ミキちゃんも粋なこと考えるねぇ」 ニヤニヤしているのが向こうにも伝わるような言い方に、美希はややムキになって答える。 『言っとくけど、「いつものお返し」っていうのは感謝じゃなくて復讐のニュアンスだからな? いつもいつも秘書とは思えないくらい容赦なく毒舌を吐きやがってな』 「ははーん。分かった分かったー。えへへへへー。うん、いいことを思いついたよ。 この計画はぜーんぶ、私に任せてくれるかな」 『なんだよ、しどろもどろになったり、急に笑い出したり。変な奴だな』 親友に対して随分ひどい言い様である。 毒舌の秘書にこんなところで影響されているのではないかと思えてきて、泉は余計に可笑しく思った。 『まぁ、お前がそう言うなら任せるよ』 「任されたー。サプライズのこと明智君にバレないように気をつけないといけないね」 『別にお前が明智君と連絡するわけじゃないだろ』 「そ、そっか。そうだね」 実際には店の予約等を打ち合わせなければならないので、明日の夜にも明智と連絡を取らなければならない。 そして、並行して美希とも打ち合わせをする必要が出てきた。 これで泉は、同時に二つのサプライズを管理しなければならなくなってしまったわけである。 『当日会ったときに不審な素振りを見せなきゃ大丈夫さ。気をつけないといけないのは私の方だ。 まぁ、そこのところは心配ない。上手くやるよ』 自分には少し荷が重いかもしれないと思ったが、他ならぬ美希のためだ。 必ずうまくやり遂げると、泉は心に誓った。
◆◆◆
最初だけだと短すぎるので、今回は少し長めです。
明智君の誕生日は、前作でもプロフィールに書いてあります。
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#5 ( No.8 ) |
- 日時: 2014/06/30 23:19
- 名前: 春樹咲良
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- ◆◆◆
9月20日0時31分
「そうだ、なぁ明智君。今日は何の日だ」 大臣室で今後の予定を簡単に確認し終えた後で、美希が口を開いた。 「何ですか、藪から棒に。サラダ記念日か何かでしたか」 「……そうだっけ?」 あまりに予想外の答えが返って来たのか、素で聞き返してしまった美希に明智が答える。 「いえ、自分で言っておいて何ですが、たぶん違います」 「何だよ、それは」 呆れた表情を見せた美希は「ふっ」と笑って、気を取り直してから得意気にこう言った。 「まったく、適当な奴だな君は」 「あなたが言いますか、それを」 いつもの調子でさらりと返す明智。しかし、それに続く美希のセリフは、彼にとって完全に予想外のものだったはずだ。 「そんな適当だから、自分の誕生日を忘れるんだ」 「いやいや、そんな……って、えっ? 何ですって?」 いつだってこちらの行動を先読みしている明智が、こんな風に驚いた様子を見せるのはかなり珍しい。 「誕生日だよ、君の誕生日。やっぱり忘れてたんだな」 そんな明智の様子に満足しながら、美希が続ける。 「実は、二次会のときに泉たちとお祝いしてやろうって準備してたんだよ――君を驚かせたくてな」 「……そうだったんですか」 本当に意外そうな顔をしたあとで、明智は口に手を当てて小さくこう呟いた。 「それじゃ、瀬川さんは――」 「ん? 泉がどうかしたか?」 少し考え込むような明智の仕草が、美希はまたしても引っかかった。ここ数日、こんなことばかりのような気がする。 迂闊な泉の素振りから何か思い当たる点があったのかとも思ったが、二人は今日が初対面で、会話らしい会話をしていた様子もなかったはずだ。 訝しむ美希に対して、明智は何事もなかったかのように取り繕って答えた。 「いえ、瀬川さんがあんなに残念がっていたのも、もしかしてこのことだったのかと思いまして」 その答えになおも釈然としない様子の美希がさらに考え込む前に、「それにしても」と明智が続けた。 「流石の僕でも、これには驚きですよ」 「自分で言うのか、それを」 思わず呆れる美希に、明智はしれっとこう言った。 「意表を突くのは僕の専売特許のつもりですから」 「最近は意表を突かれ過ぎて、普通に来られた方が意外性を感じる気がするよ、私としては」 「ほう、それはそれは。これからはちょっと攻め方を変えた方がいいかな」 「攻め方って、君な……」 どこまでも美希をからかうことに力を注ごうとする姿勢に、色々と通り越して答えも浮かばなくなってしまった。 いつの間にか、また明智のペースで会話を支配されている。
「いやぁ、こうなると、パーティーが流れてしまったのがとても残念です。 誕生日を大勢に祝ってもらえる機会なんて、なかなか無いですから」 「まぁ、君の言った通り、そういう星のもとに生まれてきてしまったんだよ。私としても残念だった」 毒舌な秘書をみんなに紹介する機会だったのにな、と美希は付け加えた。 それは、彼女なりの照れ隠しだったのかもしれない。 「花菱さん……」 「……少し予定は狂ったけど、結果的にちゃんと誕生日に渡せてよかったよ。ほら、これを渡そうと思ってな」 美希がバッグから、リボンで丁寧にラッピングされた細長い包みを取り出して、明智に差し出す。 「ん? 何ですかこれは」 「誕生日なんだからプレゼントに決まってるだろ。プレゼントのない誕生日なんてな、アレだ、えーと……」 「思いついてないなら無理にかっこいいこと言おうとしなくて大丈夫ですよ」 「……君なぁ、色々台無しだぞ」 美希の抗議を軽く聞き流しながら、明智はそれを両手で丁寧に受け取った。 「いやぁ、すみません。せっかくなので、今開けてもいいですか」 「あぁ、構わんよ。大したものじゃないんだけどな」 慎重に包装を解くと、中から出てきたのは濃い青のネクタイだった。控えめに入ったストライプと、全体的に細めのつくりが、明智によく似合いそうだ。 「日頃の感謝を込めて、徐々に首を絞める呪いとかかけてやろうかと思ったんだけど」 「うわぁ、そんな重たい感謝はちょっと御免被りたいですね」 思わず首のあたりに手をやる明智に、美希が追い打ちを掛ける。 「週刊誌の記事になりそうだな。”大臣の秘書、怪死の真相”」 それに乗って明智が、さらにキャッチーな見出しを提案する。 「”首に絡まる呪いのネクタイ”――いやいや、勝手に殺さないでくださいよ。仮にも誕生日ですよ?」 そこで美希は思い出したように 「ふっ……そうだ、まだ言ってなかったかな」 と言って、一呼吸おいた。
「誕生日おめでとう、明智君」 「はい、ありがとうございます」
らしくない「まとも」なやり取りが逆に可笑しくなって、わざとらしく美希が訊ねる。 「……それで、いくつになったんだ?」 「二言目にそれですか。最初から知ってるくせに」 うんざりした様子の明智というのも、なかなか新鮮なものだった。
◆◆◆
この掲示板に小説を投稿し始めてから1年経ちました。 何だかあっという間ですね。
ちなみに、ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、サラダ記念日は7月6日です。
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#6 ( No.9 ) |
- 日時: 2014/07/03 17:43
- 名前: 春樹咲良
- 参照: http://soukensi.net/perch/hayate/myself/patio.cgi
- ◆◆◆
9月20日0時47分
色々と予定外のことが続いてしまったが、やはりこのタイミングを逃すのは得策ではないと、明智は判断した。 このままでは完全に機を逸してしまう。 美希にもらったプレゼントを自分の鞄にしまいながら、明智が切り出す。 「そういえば、僕も花菱さんにお渡しするものがあるんですよ」 「ほう、何かね」 上機嫌で答える美希に、鞄の中で動かしていた手を止めて、わざとらしく微笑んでみせる。 「おお、今のはなかなか大臣っぽい物言いですね」 「いちいち茶化すな。本当に首を絞めるぞ」 「すみません、どうも癖になってましてね」 首筋を再びさすりながら、目当ての物を鞄の中で探り当てる。 「難儀な奴だな、君は、本当に」 「花菱さんには負けますよ」 鞄の中に目を落としながら、あくまで何気ない様子で続ける。 きっと、次に出てくるものを美希は予想出来ていないだろう。 「この前の外遊のときの埋め合わせを、ずっとしなきゃと思っていたのですが」 鞄から、こちらもラッピングの施された小箱を取り出す。 今度は美希が予想外といった顔をする番だ。 「なかなかお渡しする機会がなくて、このタイミングになってしまいました。 ――本当は、二次会のときに渡せたらと思っていたんです」 言葉を失っている美希の目の前に、そっと小箱を置いた。
「お誕生日おめでとうございます、花菱さん」 「ああ、うん……」
しばらく呆気に取られていた美希が次に口に出したのは、負け惜しみの悪態だった。 「……ちぇっ、結局おあいこか。今回こそは勝ったと思ったんだけどな」 「何と勝負してるんですか。要らないなら回収しますよ?」 手を伸ばして本当に取り返そうとする明智から逃れるように、美希は両手で小箱を胸の前に抱えてそっぽを向く。 「いや、要る。もらう」 そして、消え入りそうな声で俯き呟く。 「……がと」 「えっ、何ですか?」 「……ありがと」 「よく聞こえなかったのでもう一回」 わざとらしく聞き返す明智を、頬を膨らませてキッと睨みつけ、顔を真っ赤にした美希が怒鳴る。 「ありがとうって、言ったんだ!」 明智はそれに、大袈裟なリアクションで応える。 「おお、一回でいいところを三回も言ってもらえるとは。秘書冥利に尽きますね。時間を作って選んだ甲斐がありました」 「最初から聞こえてるんじゃないか!」 「はっはっは。まだまだ引き続き、37歳児の相手を務めることになりそうですね」 興奮して椅子から立ち上がり、握りこぶしを振り上げている美希と、それを笑いながらなだめる明智という構図は、やはりどこからどう見ても兄妹のようである。 「なんだよ、君ももう三十路のくせに」 再び椅子に腰掛け、拗ねたように美希が言うと、明智は 「そうですねぇ。じゃあここはひとつ、三十代同士仲良くしましょうよ」 と冗談めかして提案する。 「いやだよ、お断りだ」 にべもない返事をする美希の方をまったく見ずに、帰り支度をしながら明智は答える。 「おや、それは残念です」 「ちっとも残念そうに聞こえないぞ」 そこで明智は、美希の方を見て、抑揚をつけずにこう言った。 「誠に遺憾ですー」 「馬鹿にしてんのか」 「バレましたか」 舌を出しながら頭を守る体勢に入った明智に、美希はお望み通り、立ち上がってポカリと握りこぶしを見舞った。
◇◇◇
0時55分
まもなく1時を指そうとしている時計を見やってから、明智が宣言する。 「明日からまた忙しいですよ。早いとこ帰って寝ましょう」 「誕生日なんだから、お祝いにケーキくらいは欲しかったかな」 ここぞとばかりにわがままを言い出す美希を、明智が窘める。 「この時間にケーキなんて食べたら太りますよ?」 「そんなこと言わず、こないだみたく帰りに寄ってさぁ」 就任会見をした日の帰りに、クレープを買って帰ったことを持ち出す美希に、 「この時間に開いているケーキ屋なんて、いくら僕でも心当たりがないですよ」 と明智が答える。そして、ダメ押しのようにこう付け加えた。 「お忘れかもしれませんが、今日誕生日なのは僕の方です」
◆◆◆
ハヤヒナ短編で今までに書いた分量を既に超えている気がします。
ちなみに、明智君からのプレゼントの中身はネックレスです。
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#7 ( No.10 ) |
- 日時: 2014/07/08 16:13
- 名前: 春樹咲良
- 参照: http://soukensi.net/perch/hayate/myself/patio.cgi
- ◆◆◆
9月20日1時23分
事前に「何時になってもいいから」とメールをもらっていたとはいえ、この時間に電話をかけるのはいささか気が引ける。 『もしもしー?』 そう思いながら明智は携帯の発信ボタンを押したのだが、相手は待ち構えていたかのように即座に電話に出た。 「もしもし、瀬川さんですか? 夜分遅くにすみません。明智です」 『明智くーん。お疲れさまだったねぇ。お仕事いま終わったの?』 「ええ、まぁそんなところです。さっき花菱さんを送ったところで」 あれだけ言っても最後までケーキにこだわる美希に、結局明日買ってくるという約束をする羽目になったが。 仕事以外の点ではどこまでも子供っぽさを感じさせる雇い主である。 「それで、今日は本当にすみませんでした。せっかく色々と準備していただいたのに」 『ううん、大丈夫だよー。大事な仕事だものね、えーと、あの……なんだっけ』 相変わらず美希の役職名を覚えていないらしい泉のために、明智が続きを引き取る。 「何とか大臣です」 『そう、それ……って違うでしょー?』 ここ数日間、電話のやりとりをしながら、明智も少しずつ遠慮のない発言をするようになってきた。 「実は僕もよく分かってなくてですね」 美希と同じように、泉の扱い方も覚え始めた明智に、泉が笑って言う。 『もー、二人して私を馬鹿にするぅ』
『パーティーは主役が欠けちゃって残念だったけど、まぁ元々二次会だったからねー。 私たちだけで楽しませてもらったから、また今度、ちゃんとお祝いしようね』 「何から何までお世話になって、本当にありがとうございます」 『いいってば。そーれーよーりー。ふふーん、プレゼントの受け渡しはうまくできたのかにゃ? お・た・が・い・に』 多少お酒が入っているからなのか、いつもよりややテンションが高めの泉の質問に、明智は歯切れの悪い返事をする。 「あー、ええ。まぁその、はい。帰りがけに花菱さんの方からいただいて。 僕の方は、もうタイミングがなければ今日じゃなくてもいいかと思ってたんですけど」 慣れないことをするものではなかった、という気持ちも若干にじませながらした明智の答えに、泉は少し意外そうな声を上げる。 『へえー、ミキちゃんの方から。まぁ、明智君の驚く顔が見たかったんだろうね、きっと』 「まぁ、その点に関しては見事にしてやられました。 ていうか瀬川さん、全部知っててやってたんですね。そのことの方にまずは驚きですよ」 『にはははは。いやー、似た者同士なんだなぁって思ったよ。面白いからそのまま黙っておこうって、思いついちゃって』 思いついても、二人相手に口裏を合わせるのは、実際には相当大変なことだっただろう。明智も素直に感嘆の言葉しか出ない。 「自分で言うのも何ですが、今回ばかりは完全に意表を突かれました」 『きっと、明智君の驚く顔を見られたってだけで、お腹いっぱいだったんじゃないかな。ミキちゃん的に言うと』 先日美希に電話でからかわれた時の物言いを引き合いに出しながら、泉はそう分析した。 「そんなもんですかね。僕の方からのプレゼントを受け取った時は、何かちょっと悔しそうでしたけど。『おあいこか』とか何とか」 『負けず嫌いだなぁ、ミキちゃんは』 誰に似たんだかねぇ、と泉が小さく呟くのが電話の向こうから聞こえた。 『ちょっと違う形になっちゃったけど、これは私からお二人さんへのサプライズプレゼントということで』 「お二人さんだなんて、そんな、よしてくださいよ。でも本当に、重ね重ねになりますが、色々とありがとうございました。 この件はまた、必ず機会を作ってお返しをします。ドタキャンした埋め合わせも必要ですし」 先程来ずっと恐縮してばかりの明智に、泉は笑いながら答える。 『えへへー、私は、仲のいい二人の様子が見られただけで、お腹いっぱいだったけどねー』 「……参ったな。瀬川さんにはかないませんね」 『またまたー。お上手なんだからぁ』 「いやいや、本当に。今日はこの辺で勘弁してください」 この手のことでからかわれ続けると妙に居心地の悪い気持ちになるので、そろそろ切り上げようとする明智に、泉は打って変わって真剣な声で言った。 『あのね……ミキちゃんには、明智君みたいな人が必要だと思うよ』 「……そんなもんですかね」 『そうだよ。そうに決まってる。だから、そばにいてあげてね』 断言する泉とは対照的に、明智は先程とは違う理由で、歯切れの悪い返答をするしかなかった。 「……僕に出来る限りのことは、させてもらうつもりです」 本当は、「秘書として」という一言を入れるべきだと思った。今の自分の心境を正確に表現するなら、そう言うべきだっただろう。 『うん、頼んだよ。私の親友を』 そしてそれは、恐らく泉の求めている答えとは違うのだろうということも、明智には分かっていた。
◇◇◇
1時53分
電話を切ってから、ソファに寝転んで天井を見つめる。 泉との電話の最後で、答えを濁したことが、自分の中でぐるぐると渦を巻いていた。 自分が美希のそばに、秘書としての立場以上に近づくことは、許されるのだろうか。 たとえ周りの多くがそれを望んでいるのだとしても、周りからどのように見えているとしても、美希と自分の間には、未だに縮まらない距離が確かにあるのだ。 それは、お互いに原因があることなのだと明智は分析していた。
この距離を縮めないままでいる方が、お互いに幸せなのかも知れない。 美希のことは大切に思っている。それは、雇い主として以上の感情でそう思っているだろうことを、自分の中では認めなければならない。 ただの雇い主のためにサプライズパーティーを用意してやるほど、自分はお人好しではない。 客観的に見れば、何らかの下心があると考えるのが普通であろうと自分でも思う。 しかし、実際に自分が考えていることは、そう簡単なものではないのだ。 今の自分は、秘書という立場があって美希と関われている一方で、秘書という立場に縛られることで美希に近づき過ぎないでいられる。 近づき過ぎてはいけないのだ。他人に、近づき過ぎてはいけない。 それが、この数年間自分に課してきた戒めだった。 今、美希を相手にその壁を越えるべきか、越えざるべきか? この問いにぶつかったとき、明智の中でそれに答えを出すことは極めて困難だった。
これ以上近づいても、遠ざかってもいけない、そんな身動きの取れない気持ち。 明智は漠然と、美希も同じことを考えているような気がしていた。 美希は美希で、自分との距離を測りかねている。この距離感にまごついている。 こんな言い方をするのも何だが、自分が美希を必要としているのと同じように、美希は自分を必要としているだろう。 泉の言う通り、自分たちは「似た者同士」なのかも知れない。二人とも口に出さないだけで、同じ感覚を共有している。そんな気がする。 しかし、磁石の同じ極同士のように、近づこうとするほど、離れようとする力が働くようにも感じられるのだ。 求めるほどに遠ざかる。あるいは、これ以上近づくと全てを失う気さえする。
二人の間のこんな距離感にも、いつか何らかの形で終わりが来るのかも知れない。 いつか突然来るのかも知れない終わりの瞬間を、なるべくいつも通りに、早くやり過ごせるように―― そうやって、誰かと深く関わり過ぎるのを避けるようになって、もう何年経つだろうか。 そう、自分の抱えている秘密も、いつかは打ち明けなければならない。 恐らく美希は、薄々勘付いている。分かっていて、踏み込めないでいるのだ。 深みにはまったら、後戻りはできない。それをお互いに恐れている。 それでも、そう遠くないうちに―― カレンダーを見つめながら、ざわつき始めた心を静めるために、コーヒーを淹れようと腰を上げた。
◆◆◆
体調不良などもあって少し間隔が空いてしまいましたが、その分だけ長めの更新です。
内容的にはここまでが前編といったところ。後編は少し更新のペースが落ちると思います。
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#8 ( No.11 ) |
- 日時: 2014/08/26 18:06
- 名前: 春樹咲良
- 参照: http://soukensi.net/perch/hayate/myself/patio.cgi
- ◆◆◆
男女共同参画担当相が福岡入りへ 2025.9.25 17:21 与野党の新人3氏で争われる福岡県知事選(10月5日投開票)では、事前の調査から与党の苦戦が見込まれている。粂田幹事長はてこ入れのため、花菱美希内閣府特命担当大臣(男女共同参画担当)を現地入りさせる方針で、人気の高い同担当相を中心に、選挙戦後半での巻き返しを図る構えだ。花菱担当相は28日に福岡入りし、福岡市中心部で応援演説を行う予定。
◆◆◆
9月28日11時27分
「なんでわざわざ縁もゆかりも無い土地の県知事選に私が駆り出されるんだ」 大阪発博多行きの新幹線の車内で駅弁を箸でつつきながら、美希が文句を言う。 「美味しそうな唐揚げですね」 それを完全に無視して、明智が向かいに座った美希の弁当から唐揚げを掻っ攫った。 「聞けよ」 「代わりにこのハンバーグあげますから」 「そもそも同じ弁当だろ。唐揚げ返せ」 「どうせ揚げ物苦手だとか言って残すでしょう?」 前職が不祥事で辞職したのに伴って急遽行われることになった県知事選に、応援演説のために動員されて移動中の美希は、相変わらず秘書と兄妹じみたやり取りをしている。 到着後のスケジュールなどを確認していたら、ちょうど昼食の時間が近づいていたので、こうして向かい合って、今朝大阪駅を出る時に買った駅弁を食べ始めたのだった。 仕方なくハンバーグと、ついでに目を盗んで卵焼きも明智の弁当から奪う。 「党としても力を入れているんですよ。大事な選挙になりますからね」 唐揚げを頬張りながら、明智が先ほどの美希の話に今更のように答える。聞いてはいたらしい。 明智の様子からは深刻さが全く伝わってこないが、内閣改造後最初の選挙戦が、前職の不祥事というハンデを背負って行われることになった痛手は大きい。 政権にとって一つの試金石となるであろうこの戦いには、美希の他にもこれから現職閣僚が次々と応援に送り込まれることになっている。 「そんな中で真っ先に駆り出されたのは、ひとえに人気があるからだと思いますよ。 お飾り大臣の面目躍如じゃないですか。しっかり働いてください、花菱先生」 「はぁ……」 まったく、自分の雇い主を本人の眼前でお飾り大臣扱いする秘書なんて聞いたことがないぞ、と思いながら美希は黙って弁当の残りを口に運ぶ。 いずれにせよ、ここで美希が深刻な顔をしたところで何か状況が改善するわけではないので、明智の態度はある意味で正解なのかも知れない。 「あれっ、僕の卵焼き食べました?」 「知らんよ。足でも生えて逃げ出したんじゃないか」
実際のところ、美希が人気の高い政治家であることは事実だ。しかしそれは、決して若い女性の大臣だからというだけが理由ではない。 元首相の孫という血筋に加えて、毅然としてものを言う姿勢、凛とした立ち居振る舞いに、一種のカリスマ性を感じている有権者は多い。 さらには、その政治的手腕への評価も、若くして非常に高い(この点については、明智のお膳立てによるものも多いが)。 わが国初の女性首相が誕生するとしたら、それは恐らく彼女だろうと巷間言われているほどである。 だから、明智の「お飾り」という発言は、全くもって本心では言っていないのだが、美希は美希で周囲からの評価については基本的に無頓着なので、明智が「お飾り」と言うならそうなのだろうと勝手に考えていた。 元々が世襲議員なので、自分の能力に大きな期待がかけられているとはあまり思っていないのだ。 まぁ、人気が役に立つのならそれもよかろう、程度には美希も考えているので、「なんでわざわざ」という文句もただのポーズのようなものである。
……それにしても。 「では、ちょっとあっちの車両に、僕の卵焼きが歩いて行ってないか探してきますね」などと言って明智が席を立っている間(たぶん用を足しに行ったのだろう)、美希は一人で考え込んでいた。 何かがおかしい。ここ一ヶ月ほど、常にその感覚がまとわりついている。 元々、美希を煙に巻くような言動の多い秘書ではあるが、それにしてもここ最近の明智の様子は、どこかいつもと違う感じがするのだ。 例えば、今回の福岡行きの件についても――そんなことを考えているところに、ちょうど明智が戻ってきたので、美希は思い切って、かねてからの疑問をぶつけた。 「なぁ、なんで移動が新幹線なんだ? 飛行機ならもっと早いだろうに」 移動手段の選択に合理性が感じられない、という趣旨で投げた質問に対して、腰を下ろした明智は、お茶を一口飲んでからその質問に答えた。 「基本的に、鉄道の利便性は侮れないんですよ?」 その上でいくつか理由を挙げますと、と言って、明智は指を三本立てる。 「まず、空港と大阪都市圏の間のアクセスは良いとは言えません。 次に、移動中の打ち合わせが沢山できます。 最後に、美味しい駅弁が食べられます」 一つ一つ指を折りながら理由を並べてきたが、いつもと比べて説得力に欠ける説明だった。明智のことだから、わざとやっているのかも知れないが。 「まぁそうなんだけど、そもそも大阪に寄る必要があったのか?」
福岡で応援演説をする予定が入ったのは、4日前の話だ。 「こんな形で里帰りすることになるとは思いませんでしたね」 と明智が話すのを聞いて、そういえばこの男は福岡の出身だったかということを美希も思い出したのだが、その日のうちに明智が出してきた旅程表は、何故か前日に大阪を経由して福岡へ向かうというものだった。 昨日のうちに大阪入りして、やったことといえば党の大阪本部への顔出しと、あとは地元議員の講演会に来賓として出席しただけである。 通信技術の進歩した現代において、地方本部との連絡会合など、必要ならいつでもどこでも出来る話だ。 講演会の方も特に重要な会というわけではなかったし、本当にただ座っているだけで、実に退屈だった。 その上で今朝新幹線で大阪から博多へ移動するくらいなら、羽田から飛行機に乗るのと時間的な差は無い。 交通費の節約になるわけでもないどころか、一泊した分だけ余計に費用がかかっているくらいだ。 さらに言えば、福岡空港からであれば中心街へのアクセスは全く問題にならない。
それらを踏まえて美希は訊ねたのだが、明智は一言でこう切り返す。 「ちゃんと足を運んで顔を見せないと、政治家は務まりませんよ?」 「いや、まぁそうなんだけどさ……」 「スケジュールに余裕もありましたし、たまにはいいかなと思ったんですよ」 何やらうまく誤魔化されてしまったような気がするが、結局それ以上は何も言えなかった。 やはり、何か様子がおかしい。 ここ最近、ずっとそんな感じがしているが、本人に直接聞くこともできないまま、もやもやとした感じを抱え続けていた。
◆◆◆
ハヤヒナ合同本企画、無事に公開までこぎつけました。ご協力に感謝いたします。
随分と間が空いてしまいましたが、ここから後編を始めていきます。よろしければお付き合いください。
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#9 ( No.12 ) |
- 日時: 2014/10/03 16:49
- 名前: 春樹咲良
- 参照: http://soukensi.net/perch/hayate/myself/patio.cgi
- ◆◆◆
16時18分
「どうやったら自党の候補者の名前を間違うんですか。それも七回ですよ、七回」 怒る気すら失せたというような呆れ声で、明智が美希に言う。 予定より遅れて、15時過ぎから始まった美希による応援演説は、日曜の昼下がりの繁華街ということもあって多くの人を集めた。人気の高い美希をひと目見ようと訪れた有権者も多かったことだろう。 持ち前のユーモアで聴衆の注目を集めながら、美希は隣に立つ自党からの知事候補、西原氏の名前を演説の間中ひたすら間違え続けたのだった。 その回数、明智のカウントによれば実に七回、ということである。 「数えてたのか。暇な奴だな、君も」 全く意に介さない様子で答える美希に、明智も諦め顔をするしかない。 暇とかそういう問題ではなく、完全に「始末書もの」の事案なのだ。彼女の放言で余計な仕事がこれ以上増えてはかなわないので、いつもより厳しく言い聞かせた方がいいだろうかとも考えたが、あまり効果がありそうには思えなかった。 「印象に残らない名前だったから、ついな」 「つい、じゃないですよ。候補者の名前がでかでかと書かれた選挙カーに乗っといて何言ってるんですか」 「選挙カーの上からじゃ、書かれた名前なんて見えないだろ」 こういう時に限って、美希は屁理屈めいた言い逃れを次々と繰り出してくる。ある意味では才能すら感じさせるが、特に意味はない。 「隣に候補者本人がいるのに間違える人がどこにいますか。 最後の方はもう、やけになってわざと間違えてたでしょう」 「引っ込みがつかなくなったんだから、仕方ないだろ。 都度、本人が訂正してたんだからいいんだよ。むしろ名前が印象に残ってよかったじゃないか」 「選挙のときに間違った名前で書かれた無効票が増えたらシャレにならないんですよ」 こうした手合いに、正論で返しても効果がないことは明智も感じとってはいたが、それでも一応、建前というものがあるので反論を加える。 しかし、美希はそれを非情にかわしてくる。 「候補者の名前がでかでかと書かれた選挙カーがあったから大丈夫じゃないか?」 「……大丈夫じゃなかった人がそれを言ってどうするんですか」 明智もいよいよお手上げといった感じで言葉を搾り出す。 「対立候補の得票が伸びるわけじゃないからいいんだよ」 「あー、この件についてはもういいです……」 勝ち誇ったような顔をした美希の前で、明智はがっくりと肩を落とした。 実に不毛な会話をしてしまった疲労感が、どっしりと肩に降りかかってきたようだった。
◇◇◇
17時11分
「西村氏の計らいというのはありがたいが、何でまた美術館なんだ」 「西原だって言ってるじゃないですか」 予定の日程を終えた二人は、県の美術館に車で向かっていた。 ちょうどリニューアル記念の印象派展が行われる直前だったので、報道向けのプレオープン後に特別に貸し切りで見せてもらえる手配がされているとのことだった。 今回わざわざ出張ってもらったお礼ということらしい。 「県職員を務めていた頃に、文化財の保護とかを担当する部署にいたそうですよ」 「へぇ、あの西川氏が文化財保護ねぇ。ちょっと想像つかないな」 「意地でも正しく名前を呼ぶ気がないんですね……」 西原氏があまりそうした文化系の人間に見えないことについては明智も否定しない。 どちらかと言うと体育会系の暑苦しい人物だったので、それも仕方のないことかも知れない。若くてエネルギッシュな点は、有権者に与える印象として、そうマイナスではないと思っているが。 「で? 西森氏が案内してくれるわけか」 「いえ、仮にも選挙戦の真っ最中ですからね。僕たちだけでどうぞ、ということだそうです」 「まぁ、たまにはそういうのも悪くはないか。西本氏にはあとでお礼を言っとこうか」
「なぁ、ところで印象派って何なんだ? 印象に残った風景でも描いてるのか?」 美術館の入口に立てられた大きな看板を前にして、美希が尋ねる。 「……もうちょっと教養のありそうな発言をしてくれますか」 呆れた表情で明智が答えた。 「うるさいな」 さり気なく美希に教養がない前提で話している点には、この際目をつぶる。 「お金持ちはこういうのを集めるのが道楽なんじゃないんですか。ご実家にもあるでしょう、高価な名画の一つや二つ。いくらするのか分からないくらいのが」 わざとらしく偏見に満ちた嫌味を言う明智を、美希は軽くいなした。 「さぁ、どうだったかな。興味がなかったもので、芸術を解する心は養ってこなかったんだよ」 「仕方のない人ですね。いいですか、印象派というのはですね……」
しばらくの間、明智の解説が展開されながら二人は美術館の展示を見て回った。 元々それほど規模の大きな館ではないので、30分もかからずに回り終えてしまった。 その間、明智は印象派の歴史的展開や、作品が展示されている画家のエピソードなどを、面白おかしく教えてくれた。 その澱みない解説は、まるでその道の専門家のようで、美希は思わず引き込まれてしまった。 「このように、光の表現を追究し続けたのが印象派だったというわけです。 僕の個人的な見解でざっくりまとめると、『水面に反射する光フェチ』ですね」 「フェチって君な……」 まぁ、専門家はこのような乱暴な要約はしないのだろうが、横で聞く分には変に堅苦しくなくて助かる。 だいたい、美希のような人間が芸術の類を苦手とする理由は、妙に肩の凝る堅苦しさなのだ。 「相変わらず何にでも詳しいな。まるで学芸員みたいだ。 君がどんなことを知ってても別に驚きはしないが。」 何の気なしに感心の言葉を述べた美希は、隣を歩いていた明智の表情がやや固くなるのを見逃さなかった。 「……美術に詳しい同級生が居たんですよ。その受け売りです」 「ふーん……そうなのか。まぁ、西なんとか氏の名前よりは”印象に残った”よ」 ついに苗字の形にもならなくなった西原氏の呼び方に突っ込みを入れることもなく、明智は取ってつけたようなことを言った。 「……今の時代、知りたいことは何でも、ネットで検索でもすれば案外すぐに分かるものですよ」 わずかな間。その場は軽く流したが、二人の間の空気が微妙に騒ついているのを、お互いが感じ取っていた。
◇◇◇
20時37分
宿泊先のホテルにチェックインを済ませ、エレベーターに向かう道すがら、明智が切り出した。 「明日一日、お休みを頂けますか」 明日は飛行機で東京に戻る予定になっているはずだ。 「ん、どうかしたのか」 秘書と言っても四六時中美希の傍にいるわけではないが、明智が改まってこのように切り出すのは何か事情があるのだろう。 改まって切り出した割に、明智は存外軽い調子で答えた。 「花菱さんには縁もゆかりも無いかも知れませんが、一応僕の地元ですからね。 久しぶりに帰ってきたし、あまり来る機会もないので、ちょっと済ませておきたい用事があるんですよ」 「ふーん、用事ねぇ。まぁ、構わんが」 どうも内容をぼかしてくる辺りに込み入った事情を感じ取りながら、美希は明智の申し出を了承する。恐らくは、ここ最近の違和感と関係していることなのだろうが、それについてここで即座に考えを巡らせるほどの余裕は無かった。 ボタンを押してエレベーターが来るまでの間の短い沈黙の後、扉が開くと同時に明智が言った。 「……いや、それとも、一緒にいらっしゃいますか」 少し間を空けて聞いてきた明智の真意を美希が測りかねていると、明智はこう付け加えた。 「いい機会です」
◆◆◆
例によってご無沙汰しています。また随分と間が空いてしまいましたが、何とか終わりにこぎつけられるように頑張ります。
美希が西原氏の名前を覚えられなかったのは、最初に「西沢じゃなくて…」という覚え方をしてしまったからです。 ちなみに演説中の7回も全部違う名前で呼び間違えました。西で始まる苗字って沢山ありますよね。
何やら思わせぶりで見え見えの伏線を沢山張ってしまっていますが、次回以降で何とか回収に持っていければと思っています。 よろしければ、お付き合いいただけると幸いです。
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Re: 離れていても働くチカラ ( No.13 ) |
- 日時: 2014/10/03 20:51
- 名前: 明日の明後日
- こんばんは。
初めまして、明日の明後日という者です。 以前、ひなゆめのサブの方で活動していまして、つい最近復帰しました。
親レスのリンク先の小説を拝見しまして、
> 恋に敗れた者同士の傷の舐め合いってとこかな
という一文、そして原作よりも未来を描いた作品ということに先日私が投稿した短編集と同じような匂いを感じ取り、感想の方を送らせていただいた次第です。
一通り読み終えたところでの感想としましては、無駄のない洗練された文章だなぁ、というところでしょうか。 私なんかは文章にいちいちゴテゴテした飾りを付けたくなってしまう性質なんですが、そういう無駄に婉曲だったり格好つけたような言い回しがなく、スルスルと読み進めることができました。 非常に読みやすかったです。
それから、明智君がいいキャラしてます。大好きですこういう人。 間を置かずにポン、と軽口や冗談を出せる人に憧れます(笑)
ついぞ、正しい呼び方をされることのなかった西原氏の活躍を祈りつつ、この辺りで失礼したいと思います。
それでは。
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Re: 離れていても働くチカラ ( No.14 ) |
- 日時: 2014/10/03 22:01
- 名前: プレイズ
- こんばんは。
お久しぶりですが、プレイズです。
美希と明智君のやり取りが相変わらず面白いです。 ユーモアに溢れていて、本当に二人とも良いキャラしてますね。
それと、少し前の話ですが二人のサプライズ計画を並行して取り持った泉もとても良い味をだしてました。 にはにはしていながら、二人の間を(少しドジを踏みつつも)上手く取り持つ泉が意外とやり手に思えてきたりw
最新話の感じでは、この後明智君の秘密がわかりそうですね。 意味深な態度のわけもわかりそうで、気になります。
美希と明智の関係がどうなっていくのか楽しみにしています。
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コメント返信 ( No.15 ) |
- 日時: 2014/10/05 01:41
- 名前: 春樹咲良
- >>13 明日の明後日さん
こんばんは、こちらでは初めまして。春樹咲良です。 先にチャットの方でご挨拶することになりましたが、こちらでもよろしくお願いいたします。
明日の明後日さんが投稿されていた三人娘の短編集には、実は私の方も同じ匂いを勝手に感じていました。 早速のコメントを頂き、ありがとうございます。 美希の「恋に敗れた」云々については、また別の機会に書ければと思っているのですが、目下作者に余裕がないので、たぶんもうちょっと先になりそうです。
文章表現については常に試行錯誤が続いているのですが(油断すると不必要な修飾が増えるのは私も同じです)、ある程度のカッコつけた言い回しはキャラクターのセリフの部分で昇華しようとしているのがここ最近の方針です。 ちまちまと書き溜めたメモを軸に何度も読み返しながら表現を削ったり付け足したりしていると、自分なりのリズムができ始めるのかも知れないなと感じています。
明智君のように「会話の展開を先取りするような」発言ができる人というのは、こうしたフィクションならではだと思っているので、個人の趣味を結構突っ走らせてしまっています(笑) 作者自身の理想を詰め込んだ「大人っぽい会話のやり取り」がそれなりにコンセプトになっているので、それが表現できるように今後とも精進していきたいところです。 よろしければ、これから先もお付き合いいただけると幸いです。
(本編を書いている途中で、西原氏の名前を一瞬本気で忘れてしまっていたのは秘密です(笑))
>>14 プレイズさん
こんばんは、お久しぶりです。春樹咲良です。 こちらも久しぶりの投稿になってしまいましたが、コメントを頂きありがとうございます。
上の返信でも書いていますが、二人の会話のやり取りについては、完全に自分の趣味全開で書いています(笑) これからも明智君は美希をからかい続けるし、美希は訳の分からない屁理屈を言うと思いますが、そこも含めて彼らのコンビネーションをお楽しみいただければ、基本的には作者としての願いはほぼ叶えられています。
泉については、本編では書いていませんが、たぶん当日までにもそこそこ危ういドジを踏みつつ、何とかバレずにやり遂せたのだろうと思っています。 その結果が思った通りに報われなかったのは、彼女にとっては残念この上ないことだったでしょうが、美希と明智君の二人のためということでいつも以上に頑張れた泉は、やっぱりこの20年間で大きく成長したのでしょう。 実際、20年って相当な時間の経過ですからね。人生の酸いも甘いも、それなりの数経験してきたのではないかなと思っています。 いかんせん、作者の人生経験が足りていないので、その辺りの表現に厚みを持たせるのが難しいのが悩みどころです。
次回からは伏線回収編、となるつもりですが、それなりに描写が長くなりそうで、今回のようにまた長くお待たせすることになるかもしれません。 時間をかけつつも、お話の締めくくりについては決めてあるので、そこにたどり着けるように書いていこうと思います。 まだまだ精進が足りませんが、これからもお付き合いいただけると幸いです。
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#10 ( No.16 ) |
- 日時: 2014/10/27 17:41
- 名前: 春樹咲良
- 参照: http://soukensi.net/perch/hayate/myself/patio.cgi
- ◆◆◆
20時49分
部屋に入ると美希はテレビを点け、一通りチャンネルを回したあとニュースに固定した。
『……から明日で七年となるのを前に……では……』
じっくりと見るつもりがあるわけでもなく、ただBGM代わりにテレビを点けておくのが、ホテルなどに泊まる時の美希の癖だ。 無音の中では考え事にも逆に集中できない性質なので、一人で過ごすときは大体いつもこうしてしまう。
『……全の専門家は……の……策として……』
荷物を机の上に置いてスーツのジャケットをハンガーに掛けてから、風呂の準備のために浴室に入る。 蛇口を捻って湯を張る間、美希は明智の言葉を頭の中で反芻していた。
『……いい機会です』
『いいですか、印象派というのはですね……』
『……たまには、いいかなと思ったんですよ』
「……」 やはり、今回の福岡行きの間の明智の言動は明らかに普段と違うところがあるように思える。 しかし、この違和感はもっとずっと前からあったものだ。それがはっきりし始めたのは、この間の同窓会……いや、それより前の―― ――分からない。いや、考えたくない。知りたくないのだ。 明智の言うとおり、その気になって調べれば、すぐに分かることなのだろうと思った。 ただひたすらに、美希は恐れていたのだ。明智と今のように接することが出来なくなることを。 揺れる水面を見つめながら、思い出すのは明智と過ごしてきた日々だった。 今の明智との関係が心地よかった。 明智は、決してこちらに踏み出してこない。 いつも、付かず離れずの間隔を保ち続けている。
いつまでもこうしていられたら、どんなにいいことだろう。ただ、そう漠然と思っていた。 何も知らないままでいれば、何も見えないようにしていれば、まだ今しばらくは、このままでいられるのだろう。 いつまでも、とはいかなくても、出来るだけ長くこのままの関係を続けられるのなら、それがいい。 その考えが常に頭の中にあったから、次の一歩を踏み出せないまま、違和感を抱えて今日まで過ごしてきた。
ぼーっとしている間に溢れた湯が足許を濡らしていることに気づいて、美希は慌てて蛇口を閉めた。
一旦浴室を出て、ベッドの上に服を脱ぎ捨てる。ニュースは今度の知事選の話題に変わっていた。 与党の苦戦について伝えるアナウンサーの声を聞き流しながら浴室に戻る。 片足ずつゆっくりと湯舟に体を滑り込ませると、割り込んだ体積の分だけ押し出されて、浴槽の縁から零れた湯が音を立てて排水溝へと流れていく音が響いた。 腰を落として肩まで浸かったバスタブが静寂を取り戻してから、目を閉じる。 閉じた扉の向こうから、まだ微かにテレビの音が聞こえていた。
『いい機会です』
明智の言う「いい機会」の意味は、はっきりとは推し量れない。 しかし今、明智がこちらに向かって一歩を踏み出そうとしているのは確かのようだ。 美希の葛藤を見透かしているかのように、美希との適切な距離を今までずっと保ってきた明智の、最初のラインオーバーである。 それならば、美希の方も全てを知る覚悟をしなければならないのだろう。 必要があれば、自分の全てを語ることにもなるだろう。 明智が何を思い、自分が何を思うのか。 明日になれば、全てが分かる。それを受け止めてから、どうするかを考える。
その日は、浅い眠りの中で、珍しく夢を見た。 美希は白皇の教室にいて、辺りを見回すと、何故か明智がそこにいた。 明智は黙って、誰かの机に手を置いて、じっと見つめていた。 その横顔が、美術館で見たのと同じ表情をしていたのを、美希も無言で見ていた。
ふっ、と目が覚めると、設定していたアラームの時刻の10分前だった。 音量を絞って点けっ放しにしていたテレビが、天気予報を伝えているところだった。 今日は一日、晴れだという。
◇◇◇
9月29日7時50分
身支度をひと通り終えた美希が鏡台に向かって座って髪を梳かしていると、ドアをノックする音がした。 「入ってくれ」 振り向かずに答えると、鏡越しに見える扉を少し開けて顔だけのぞかせてから、明智が入ってきた。 「失礼します。おはようございます、花菱さん」 「ああ、おはよう」 ネックレスを付けるために首の後に手を回しながら、近づいてくる明智が、濃い青のネクタイをしていることに美希は気づいた。 「もう出る準備はできてるみたいですね。珍しく早起きじゃないですか」 「……君に寝坊で迷惑をかけたことなんて無かっただろ」 「そうでしたっけ。イメージですよ、イメージ」 いつも通り、ひどい秘書である。そんなひどい秘書は、美希が未だにネックレスをうまく付けられないでいることに気づいて、美希の後ろに立った。 「はい、動かないでくださいね」 ネックレスを受け取って、丁寧に金具を扱う明智に、美希は大人しく従いながら話を振る。 「おや、なかなかセンスのいいネクタイをしているじゃないか」 「ええ、下ろしたてなんですけど、気に入っているんです」 ネックレスを留めながら、明智も鏡越しに美希に微笑んで返す。 「花菱さんこそ、ネックレスがとてもお似合いですよ」 「ん、そうか。付けてる人間のセンスがいいからな」 ネックレスの入っていた小箱をそっと鞄にしまいながら、美希もいつもの調子で答えた。
◇◇◇
10時24分
抜けるように青い空が広がっていた。 もう10月もすぐそこに来ているのだから、夏の盛りはとうに過ぎているはずだが、降り注いでくる陽射しはどこまでも強い。 賑やかな繁華街からそれほど離れているわけでもないのに、果てしなく高い空の下で、ここだけは別世界のように静謐な空気が流れていた。
朝食を済ませてチェックアウトをしてから、車で向かった先は小さな霊園だった。
一つの墓標の前で、静かに目を閉じて掌を合わせる明智を、美希は無言で見つめていた。
暑さのピークに乗り遅れたツクツクボウシが鳴き止んだタイミングで、明智は目を開けた。 「……意外ではなさそうですね」 車に乗ってからここまでずっと黙ったままだった明智が、こちらを向かずに静かに言った。 美希はそれに答えずに、明智の隣に立って手を合わせた。しばらく二人並んで立ったまま、沈黙が続いた。
「……何となく、こういうことなんじゃないかとは思っていたんだ」 腕を下ろしてから、美希がゆっくりと、口を開いた。 「別に隠すつもりもなかったんですけど、言い出すタイミングが無くてですね」 美希の方を見ないまま、明智が答えた。 「君はいつだって、タイミングを逃す男だな」 この間の誕生日プレゼントの件を思い出しながらそう指摘すると、明智は 「ええ、本当に……」 とポツリと答えて俯くと、またしばらく目を閉じた。 その姿は祈りを捧げているというより、何かを思い出しているように見えた。
◇◇◇
10時51分
駐車場に戻りながら、淡々と明智と言葉を交わす。 いつから気づいていたのか、という明智の質問に、美希はこう答えた。 「最初におかしいと思ったのは……やっぱり、スウェーデンに行く途中だったかな」 それを聞いた明智は、一瞬意外そうな表情を見せたあと、憂いを帯びた笑みを浮かべた。 そう、この感じ―― 「あぁ、あの時ですか……。思ったより、早かったですね」 「あの時」と同じ声のトーンで、明智は呟く。 美希をからかっているのではなく、もっと別の対象を意識して放たれた皮肉。 その中には、自嘲的な意味も含まれていたように思えた。 いつになくシニカルな笑みを浮かべながら、明智が言った。 「しまった、とは思ったんですよ。 でも、あの後に誕生日パーティーのサプライズもあったので、上手いこと有耶無耶になったと思っていました」 「君の軽口のニュアンスに気づけない私じゃないさ。 秘書にしてからずっと、言いたい放題言われ続けてきたんだ。 私に向けて言っているのかどうかくらい、聞いていれば分かる」 得意気に言うことでもないが、事実である。 「いやまったく、花菱さんにはかないませんね」 明智もいつものようにおどけて言ってみせるが、この一言も、美希へのからかいよりは、自嘲的な意味合いが強いように感じる。 「……まぁその前から、飛行機が嫌いなんだろうなということには薄々気づいていたよ。 極力乗らないで済むように手を回していたみたいだし……今回は特に露骨だったしな」 「日頃の積み重ねがものを言うって本当ですね。 ――僕もまだまだ、精進が足りません」 わざとらしい自嘲がいつもの明智らしくもなく、もの哀しさを感じさせた。 何より、出来るだけ美希に気づかれまいとしてきたことを一層強く感じさせて、思わず美希は口走った。 「……そんなこと言うなよ」
◆◆◆
ちょっとずつですが伏線回収編。分量次第ですが、もしかしたら次で終わりかもしれません。 その前に合同本の原稿が挟まるので、いつになるかは相変わらず見通しが立ちませんけど。 ちなみに合同本の方はこのお話の前日譚のような形にしようかなと構想しています(明智君は出てきません)。
ここ最近、女性の閣僚の不祥事がニュースで取り沙汰されているのを見て複雑な気持ちになっています。 小渕さんは、実はちょっとだけ美希のモデルにしている部分があったりしたので辞任は結構ショックでした。 本編に政治的な話を挟み込むつもりは無いですが、書いてると現実の世界の色々なことが気になりますね。
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#11 ( No.17 ) |
- 日時: 2014/11/29 12:41
- 名前: 春樹咲良
- ◆◆◆
11時47分
「そうですね、どの辺からお話ししましょうか――」
時刻は正午前。昔懐かしい雰囲気の漂う喫茶店で、美希と明智はテーブルを挟んで向かい合っていた。 明智の通っていた高校の近くにあるこの店は、その頃からの馴染みだそうだ。 開店の直前だったらしい店主は、久々に顔を見せた明智を喜んで迎えると、「臨時休業」というプレートをドアの前に掲げた。 平日に現職の大臣がこんな喫茶店に居ることが知れると、下手をすればちょっとした騒ぎになりかねない。 店主の配慮は美希としても正直大変助かった。
明智の前にアイスコーヒーが、美希の前にカフェラテが置かれてから、明智はゆっくり、淡々と語り始めた。 先ほどの墓地には、若松円(わかまつまどか)という女性が眠っている。 明智とは高校の同級生であり、その頃から付き合っていたのだという。 「ちょうどこの席に、よく座っていました。今、花菱さんの座っている席に円が座って、コーヒーを飲みながら話したり、勉強したり、ご飯を食べたり――」 どこにでもいる、ごく普通のカップルは、明智の方が一年浪人したものの、地元の同じ大学に進学し、交際を続けた。 明智は政治を、円は美術史を学び、一年先に卒業した彼女は念願叶って博物館の学芸員として働きはじめた。 「その年の九月のことです。円は博物館の展示の打ち合わせで、ウィーンに二週間ほど行くことになりました。 僕の誕生日に二人で居られないので、出発の前日に、一緒にこの店でケーキを食べました。 ……それが、円に会った最後です」 「……」 「――そう。七年前の今日が、帰国予定日でした。 時差の関係で、成田に着くのは朝だとメールで聞いていたので、起きた頃には、帰って来た連絡が入っているかも、なんて暢気に思っていました」
……どうして今まで気づかなかったのか、不思議なくらいだ。 美希は自分の鈍さを呪いながら、当時のことを思い出していた。 2018年9月29日、ウィーン発成田行き、エステライヒ航空45便――
◆◆◆
エステライヒ航空機、墜落か 2018.9.29 12:11 国土交通省に入った連絡によると、9月29日未明、エステライヒ航空45便(ウィーン発成田空港行き)が日本海海上で消息を絶った。同便には乗客乗員あわせて179人が搭乗しており、29日7時30分には成田に到着する予定だった。国交相は11時過ぎに開いた会見で、墜落の可能性が高いという見解を示した。
◆◆◆
当時の報道を、美希は今でもよく覚えている。 国内では数十年ぶりの大きな航空事故だったので、メディアの取り扱いもそれに伴って非常に大きくなった。 事故の原因を探るだけでなく、犠牲者の遺族への取材攻勢など、過熱する報道にうんざりした記憶がある。 様々な調査が行われたが、結局、今もって事故の正確な原因は分かっていない。
「……まるで現実感がありませんでした」 静かに明智が話を続ける。 「テレビの前に座って固まったまま、何時間そうしていたか分かりません。 そこからの日々を、どうやって過ごしていたかも、ほとんど覚えていません。 世界が何事もなかったかのように回る中で、円だけがぽっかりと居なくなってしまったみたいでした。 そんな中で、ただゆっくりと、少しずつ、円は死んでしまったのだという事実が自分の中に染み込んでくるのを感じました」 表情を変えないまま話す明智の心の動きを、美希の方からはうかがい知ることができない。 「本当に、信じられないほど現実感がないんですよ。長い夢の中に今もまだ居るのだと言われた方が、よほど信じられるくらいです」 そんな、縋りつきたくなるような願いを抱く気持ちを想像して、美希は胸が締めつけられる思いがした。 目の前に座る明智は、じっと一点を見つめながら語り続けた。 「……円のご家族とは、葬儀の時にお会いしました。 大変な時期だったでしょうに、僕のことまで心配していただいて――」 そこで一度言葉を切った明智を、美希は静かに見つめる。 ――それは、どんな気持ちだったのだろう。 美希には想像できないほどの、今、美希が感じている以上に押し潰されそうな気持ちだっただろうか。 それを想像することすら、美希には烏滸がましいことのように感じた。 顔を上げないまま、テーブルの上に置かれたアイスコーヒーのグラスを見つめて明智が言った。
「僕には何もできませんでした。――本当に、何も」
今日一番静かな、ひっそりとした言葉だった。 グラスの表面を、雫が滑り落ちて行くのが見えた。 それがテーブルに小さな水溜りを作っていることに気づいて、明智は淡いオレンジ色のハンカチを取り出し、テーブルとグラスの底を拭った。 ハンカチをポケットにしまうと、しばしの沈黙を挟んで、明智が話を再開する。
事故の後、抜け殻のように過ごしていた明智は、就職が決まっていた会社の内定式を無断欠席して内定取り消しになっていた。周囲の手助けもあって、何とか大学院に進学したという。 「とりあえず研究の真似事をしながら、少しずつ、働くことを考えはじめていました。 その頃本当に苦痛だったのが、大学が空港のそばにあるせいで、頻繁に飛行機の音が聞こえることでした。 事故の前は気にしたこともありませんでしたけど、その頃はもう、建物の外を歩くときには耳栓が手離せないくらいで。 そんな馬鹿みたいな生活から、一刻も早く抜け出す必要があったんです」 普段の飄々とした明智の姿からは想像もできないような話だ。 スウェーデンに行く途中に見せた明智の表情を、美希はもう一度思い出す。思えばあの時、明智は飛行機に一瞥もくれなかった。 「花菱さんのもとで働くようになってからは、正直に言って、救われたような気持ちでした。 忙しさが、自分を全てから解放してくれるような、そんな感じがしていました。 そうしている間に、この喪失感も忘れてしまえたらいい。そう思って、働いてきました……」 本人にそのつもりは無いのかもしれないが、わずかに顔を上げた明智は、やはり自嘲的な微笑みを浮かべていて―― 「でもまぁ、そう簡単な話でもないことは、分かっていて気づかないふりをしてきたんですね」 今となっては、それは明智の深い悲しみの表現にしか見えないのだった。
「……馬鹿だな、君は」 それまで黙って明智の話に耳を傾けていた美希が、初めて言葉を挟んだ。 「まったく、そんな気持ちで私の秘書を何年も続けていたなんて、君は本当に……本当に……」 「ええ、本当に……馬鹿ですよねぇ。すみません」 「いや……謝って欲しいんじゃない。 私が言いたいのは――どうして忘れようとしてるんだ、ってことだ」 明智が、静かに美希を見つめる。 「忘れられるはずなんてないだろう。忘れてしまっていいものでもない。 だから、ちゃんと足を運んで、思い出してあげないとだめなんだよ。 毎日少しずつでも、生活の一部にして行かないといけないんだよ。 考え続けるのも辛いが、目を逸らし続けるのは、もっと辛いはずじゃないか?」 きっと、美希に指摘されずとも、明智はそこまで気づいている。 分かっていても、そうせずには自分を守れなかったのだ。 だって、あまりにも深い、深い悲しみを背負ってしまったのだ。 どれだけ自分を責めても、誰かに許されるわけではない。 そんな、突然の別離だったのだから。
それでも、明智に今のままでいて欲しくはないと思ったのだ。 頭の中で明智にかける言葉を探し続けて、美希は高校時代のある日のことをふと思い出した。 「なぁ、明智君。君は、離れていても働く力を知っているか?」 「離れていても、働く力……? 重力や磁力のことですか?」 出し抜けに発せられた美希からの問いにやや面食らいながらも、明智は適切な答えを返した。 「その通りだ。もう随分昔だけど、愛はその中に入るか、という話を友人としていたことがあってな」 「え、何です?」 「愛だよ、愛」 何の話をしているのか分からないという表情で、明智が再度聞き返す。 「アルファベットじゃなくて愛情の愛ですか? ――いや、真面目な顔して何を言っているのかと思って」 「私は至って真面目だ。それで、君はどう思う?」 「……物理の問題に、そんな不確かなものを持ち出したら大変なことになりますよ?」 「あいつと同じことを言うんだな、君は。無粋な奴だ」 もう20年も前のことを思い出しながら、懐かしい顔が、声が、美希の中で蘇る。 「不確かなもの、か。……そうかも知れないな」 ぬるくなったカフェラテを一口だけ含んでから、美希が言った。 「私が思うに、愛は、そばにいて初めて伝わる力だ。 ちゃんと触れて確かめないと、あるかどうか分からない力なんだよ」 両手で包んだカップを見つめながら、確信を持ったような口ぶりで続ける。 「離れていても、働きはするのかも知れない。 でも、それだけで済ませられるものじゃないから、愛なんだと思わないか?」 美希は顔を上げて、こちらを見つめている明智と目を合わせた。
「君は彼女を愛していたんだろう?」
黙ったまま、明智は美希を見つめ返す。その目の奥は、今もなお深い悲しみをたたえながら、今日の空のように澄んでいた。 「愛は、離れていても勝手に伝わるものじゃない。 だけど、距離が障害になって伝わらなくなるものでもない。 だったら、そばに置いて、伝え続ければいいのさ」 美希は最後にそう言うと、思いついたように、店を出たら花屋に行きたいと言った。
◇◇◇
「なぁ、その、若松君だったか。彼女は、どんなものが好きだった?」 「そうですね、強いて挙げるなら……オレンジ色が好きでしたね」 花の種の並んでいる棚の前で尋ねた美希に答えながら、明智は美希の考えを何となく察していた。 「なるほど、オレンジね……」 種の入った袋に印刷された花の写真を見ながら、美希がオレンジの花を見繕う。 「ああ、これがいい。これにしようか」 「どれです? えーと、『カリフォルニアポピー』?」 美希から小袋を受け取って確認する。 「今蒔いたら、いつ頃咲くのかな」 「来年の春頃らしいですよ……ん、えっ」 裏に書かれた栽培方法を読みながら答えた明智が、おかしな声を上げたので美希が聞き返す。 「どうかしたか?」 「いえ……。ちなみに花菱さん、花には詳しい人ですか?」 「いや、全く。……それで、どうかしたのか?」 「あー……いえ、後でお話ししますよ」 相変わらず何かを秘密にしようとする秘書だが、後で話してくれると言うのでその場は流した。
「よし、じゃあ二人でこの花を買おう。そばに置いて、忘れてしまわないために。 そして、またここに戻って来るために。 二人で育てて、この花が咲いたら、それを持って、ここに戻って来よう」 「……分かりました」 そう答える明智の声は、今までにないほど穏やかな響きを伴っていた。
◆◆◆
次で最終回となります。 それほどお待たせせずに投稿できると思います。
美希が言っている「20年前の話」は、第6回合同本(http://soukensi.net/perch/sp/quiz06/jointnovel06.pdf)に書いた話のことです。 読まなくても特に支障はありませんが、もしよろしければそちらもどうぞ。 相当昔の、何気ない日常の会話が何故か記憶に残り続けること、たまにありませんか。
それから、名前だけ登場の2人目のオリジナルキャラクターについて簡単なプロフィールです。
若松円(わかまつまどか) 1996年1月5日生まれ(山羊座) 2018年9月29日没(享年22) 身長160cm、体重48kg、AB型 高2から明智と同じクラス。付き合ったきっかけは修学旅行でちょっといい感じになったことから。 地味で目立たず、グループの中心になるようなタイプではないですが、好きなことにはとことん打ち込める性格です。 学芸員の仕事にもやり甲斐を感じていたみたいです。 高校時代は美術部でした。
生前の彼女と明智君とのお話に関しては、ここの小説板の趣旨から完全に離れるので割愛します。 そのうち、どこか別の場で書ければいいかなとは思っていますが。 クリスマス合同…いや、ちょっとそこまでの余裕は無さげです。
ところで、実は「若松円」という名前のキャラクターが種村有菜の漫画にも登場するのですが、これは特に名前を拝借したわけではなく、ただの偶然です。 しかもよく調べてみるとこの漫画、本作と結構重要な部分で類似性が…どうしてこうなった。 まぁここでネタバレしても何なので、気になる方はWikipediaでも調べてみて下さい。 あちらの方が初出(12年前の漫画)ですし、私自身も昔少しだけ読んだことがある気がするので、もしかしたら頭に残っていて影響されたところはあったかも知れません。 基本的に偶然の一致だと認識してはいますが。
それでは、また次回。
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#12(最終) ( No.18 ) |
- 日時: 2014/12/01 00:38
- 名前: 春樹咲良
- ◆◆◆
花屋を出てから、美希が明智に言った。 「さて、そろそろ東京に戻ろうか、明智君」 「ん、まだ昼過ぎたばかりですよ?」 どこかで昼食を摂ろうかと考えながら腕時計を見ていた明智が、怪訝な表情で答えた。 美希の意図をはかりかねて、手帳の入った内ポケットに手を突っ込みながら訊ねる。 「何か急ぎの仕事なんてありましたっけ。 今日中に戻るだけなら、夜までこっちに居ても大丈夫ですが」 美希の仕事のスケジュールは全て明智が管理しているので、明智の把握していないものなどあるはずもないのだが、その問いに美希は一言、澄まし顔で答える。 「何を言ってるんだ」 そして、たっぷり間をおいてから、ニヤリと笑ってこう言った。
「新幹線で帰るんだぞ」
「あー……はは、参ったな……」 意表を突かれ、さすがに苦笑いを浮かべた明智は、次の瞬間にはいつもの調子で仕切り直す。 「いえ、花菱さんがそんなに新幹線が好きだとは思いませんでした」 それを待っていたように、美希が指を三本立てて言い返す。 「そうだよ、何と言っても羽田から庁舎までは遠いし」 今度は美希の意図を正確に読み取って、指を立てて明智も続ける。 「明日以降の打ち合わせもできますし」 「美味しい駅弁も食べたいしな」
◇◇◇
「ところで……いや、もし良かったら、なんだけど」 「何ですか、改まって」 新幹線の座席で向かい合って座った二人は、昼食の駅弁も食べ終えて、列車に揺られる旅を続けていた。 新幹線を選ぶ理由として、車内で打ち合わせができることを挙げたのは今日も昨日も明智だったが、別に明日以降について打ち合わせる必要のある仕事はそれほどなかった。 黙ったままで列車に揺られ続けるのも何なので、話の種になりそうなことを美希は探していたのだった。 「若松君の写真とかあったら、見せてくれはしないか」 それを聞いた明智は、穏やかな顔で、やれやれとばかり、大げさな溜息を吐いてからこう答えた。 「僕が亡くした恋人の写真をいつまでも持ち歩くタイプに見えます?」 「……いや、それもそうだな」 明智は別に気を悪くしたようではなかったが、やはり少々ばつの悪い思いがして美希は視線を下げる。 すると、向かいに座った明智が何やらゴソゴソとしているのが視界に入った。 美希が再び顔を上げると、明智はジャケットの内ポケットにしまっているいつもの手帳から、一枚の写真を取り出していた。 ペロッと舌を出しながら明智が差し出した写真を、美希が受け取る。 その写真に写っているのは、今より10歳ほど若く見える明智と、その隣で微笑む女性。 控えめだが人懐こい性格が現れているような、はにかむような笑顔だった。 「こうして、手帳から出して見るのは本当に久しぶりですよ……」 「……」 いつか、こんな風に穏やかな心持ちで、この写真を見返すことができればと思っていたのだと、明智はしみじみ語った。それを見ていると、美希も憤りの気持ちは湧いてこなかった。
「そういえば、さっき花屋で何か気になってたみたいだけど、何だったんだ?」 「あぁ、アレですか」 そう言って、明智は先ほど買った種の入った小袋を鞄から取り出して、美希に手渡す。 「ちょっと裏を見てみてください」 明智に促されて、育て方などが小さな字で書かれている袋の裏面に目を落とすと、そこには次のような文言が並んでいた。 「んー?」
『カリフォルニアポピー(別名:ハナビシソウ) ケシ科』
「なんと」 「本当に何も知らないで選んだんだとしたら、なんて言うか……凄いですね。 よく分からないですけど、感動すら覚えます」 明智自身、反応に困るという様子をありありと見せていた。 美希も驚き以外の感想がすぐには浮かばない。 最初から知っていて選んだのならともかく、何気なく選んだ花が、自分の名前を冠していると思うはずがない。 「そんな名前の花が存在することすら知らなかった」 「偶然って凄いですね」 あまりのことにいつもより語彙が貧弱な明智の言葉を聞き流しながら袋の裏面を見続けていると、下部に花言葉が載っているのに目が止まった。
◆◆◆
花言葉:「富」、「成功」 「私の願いを聞いて」、「私を拒絶しないで」 「消えることのない想い」
◆◆◆
「願いですか。……時に花菱さん。あなたの願いは何ですか?」 「なんだ? 私の願いを君が聞いてくれるのか」 そのようなことを明智の方から言ってくるのは珍しい。 「まぁ、内容によりますね」 こんなときでもちゃんと予防線を張る辺りが、抜け目ない秘書である。 「……そうだな。それじゃあ、私からのお願いだ」
「……私のそばに、居てほしい」
「……花菱さんのお願いとあれば。この花に誓って、約束しましょう」 オレンジ色の花の写った種入りの袋をこちらに向けながら、静かに、しかし力強く明智が答えた。
「そうだ、花菱さん。離れていても働く力、まだありますよ」 「ん、なんだ?」 「こんなこと言うのは、自分でもどうかと思うんですけどね」
――運命。
***
離れていても、働く力がある 目には見えないけれど、確かに働く力が それは、ある時には引きつけ合い、ある時には反発し合う 人間にとっては厄介で、それでいて不可欠で
ずっと一緒には、居られないだろうけど それでも今は、二人で居よう 私たちは、恋人でもなく、主従でもなく
ただ、かけがえのない「相棒」だから
【おわり】
◆◆◆
改めまして、春樹咲良です。 6月から続けて来た連載も、これで最終回です。 思いのほか長くなってしまいましたが、無事に終わることができました。 ここまでお付き合いいただいた皆さんに、心から感謝します。
一応断っておくと、この二人はこの先も恋人同士になったり、結婚したりはしません。 明智君の心の中にいつまでも円がいるから、というのはもちろんなのですが、それ以前に私の中で明智君と美希が(恋愛的な意味で)くっつくイメージは最初からないです。 それは、この話があくまでもSide Storyの性質を持った原作Afterであること、及び明智君というオリジナルキャラクターを関わらせる上で、それが限界点だろうと事前に考えていたからです。 ハヤテという作品に私の個人の世界観が接近できるギリギリ、という落としどころを見定めた結果だと考えていただけるとよいかと思います。
実はこのSSは元々、この話の中での前編として位置付けている「お互いが気づかないまま、二つのサプライズパーティーの準備が並行して進む」というプロットを軸に短く完結させるつもりでした。 ある程度のスケッチも用意して、いつでも書き出せると思っていたのが4月の終わり頃。 上手く掲載権を得られれば、第5回の合同本に提出しようという算段だったのですが、まぁこれぞまさに「取らぬ狸の皮算用」といった感じで。 結果として自分の運のなさを思い知る羽目になった顛末については、某ビンゴ大会のログを読んでもらえればと思います。 ともあれ、そうやって宙に浮いた状態になったこのお話に、さらに時間をかけてプロットを追加していって生まれたのがこのSSということになります。 思ったよりも色々なことが書けたので、こういう形になって結果的には良かったのかなとも感じています。
当初の予定よりも長く、そして投稿の間隔も段々と空いていくようになってしまったのですが、概ね思い描いていた通りの結末に持って行くことが出来たかなと思っています。 まだまだ色々と改善すべき点がたくさんあるのですが、ひとまず一つ、長い連載を完結させることが出来て安心しています。 長い間お付き合いいただき、ありがとうございました。 二人の会話のやり取りを少しでも楽しんでいただけていれば、作者としてはこの上ない幸せです。
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Re: 離れていても働くチカラ ( No.19 ) |
- 日時: 2014/12/05 13:29
- 名前: プレイズ
- こんにちは、プレイズです。
連載完結おめでとうございます。
ほんとはすぐに感想を書きたかったのですが、時間の方がちょっと取れなかったので、なかなか感想を書く事が出来ませんでした。 少し遅くなってしまったのですが、拙いですが感想を書かせていただきます。
・明智君の伏線の答えは、昔の彼女が飛行機事故で死んでおり、その影響で飛行機が嫌いだった、という事だったのですね。 なるほどそういう事だったのかと意表を突かれました。ああ、だから飛行機を使わずに新幹線を使ったのか、と。 読み返してみると、最初の方で、何故飛行機は落ちずに空を飛べるのか、という問いに明智がなげやりな感じで答えていたんですよね。答えを知ってから見ると、そういう事かと感心しました。そのシーンを最初私は、美希の誕生日祝いがオジャンになったから、そのせいで彼はそういう気分になってるのかなと思っていたのですが、ちゃんと読み返してみると、確かに『飛行機に対して』、それも『何故落ちないのか』という問いに対してそういう態度を取ってるんですよね。上手い伏線だと思いました。
・全体を通じて美希と明智のやりとりがよかったです。 2人のユーモアあふれる会話が好きでした。 そして、互いが上手くわかり合っている感じなところも。 この二人はとてもよく合っているというのが感じられて、こういう相手がいるのって良いなと思いました。
・タイトルの『離れていても働く力』が最後に繋がったのを見て、なるほどなと思いました。 愛がそうであり、そして、運命もそうなんだと。それぞれのその説明の描写がなかなかに面白かったです。
・二人の間の関係には恋愛感情は少しもなく『相棒』であるというのは、最初は少しだけ意外に感じました。 私はてっきり、二人とも心の深層ではどこかにそういった感情があって、それで惹かれあっているのかなと思っていました。 しかし、よく考えてみると相棒という感じはしっくりきますね。 恋愛的なものではなく、仲が良くてお互いに惹かれあっている関係と言うか、お互いが互いを必要というか、気さくに心を許してやり取りが出来る関係というか、そういう大切な存在が相棒なんだと思います。 最初二人は、心地よい関係ではあったけれど、お互いに近付きすぎる事はしないようにしていましたよね。明智は何か秘密を隠していて、美希はそれに気付きつつもそれを訊こうとはせず。今の関係が崩れる事を恐れてお互いに踏み込めなかった状態。それを明智が一歩踏み出して動かし、美希がそれを受け止める覚悟をした。そして秘密の部分を話し、お互いに少し距離を近付けたわけですね。 それまでの関係から、一段進んだ事で、より大切な存在になったという事になります。 二人は最後の説明にもあったように『かけがえのない相棒』という存在なのでしょう。 私も、そういう関係って私的に好きなんです。 この二人の関係が凄く好きですね。
あ、でも別に二人が恋愛的に引っ付いても全然不自然じゃないな、とも思いましたw二人は色々と上手く合っていると思うので、そっち方面に進んでいく可能性も全然あり得ると思いますw
・美希の話をこれだけ長く読めて良かったです。私的に美希は結構好きなキャラなので、彼女がメインのこの作品はなかなか興味を持って読んでいました。 そして彼女の魅力が良く出ていたし、明智もとても魅力あるキャラで、二人のやり取りが良くて楽しめました。 やり取り以外にも、二人がどんな事を思っているかの描写が質が高いと感じましたし、その他の文章の部分においても、読んでいて自然に入ってくるというか、その部分でそれを書くと自然に文章がしっくりくるという感じの文章で、そこが優れていると感じました。 ……何かよく意味がわかりにくい感想になってしまってすみませんw 私は、自分の小説を書いていて、地の文において、その文章をその箇所で書くとその前の部分から続く文章としては少ししっくりこない感じな文章を使っちゃう事が多々あるように感じていて、そこの所が春樹さんの小説は上手くやっていると思いまして、感銘を受けましたね。
さて、何かやたらと長くなってしまってすみません。
この度は、連載お疲れ様でした。 質の高い作品で、読み込むと深味が増す作品でした。 良い作品をありがとうございました。 春樹さんの次回作もまた期待しています。
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コメント返信 ( No.20 ) |
- 日時: 2014/12/08 14:00
- 名前: 春樹咲良
- 参照: http://soukensi.net/perch/sp/quiz06/jointnovel06.pdf
- >>19 プレイズさん
お世話になります。春樹咲良です。 いつもありがとうございます。 コメントへの返信が大変遅くなり,こちらこそ申し訳ありません。
・明智君の態度と伏線について 飛行機事故の件で飛行機嫌いになった,という点については結構早い段階で仕込んでいた伏線だったので,回収するタイミングを見極めるのがなかなか難しく,苦労しました。 鮮やかに伏線が回収される小説というのは読んでいてとても楽しいので,その辺りを多少意識しつつ書いていきましたが,技術的に未熟な点が多く,割と見え見えの伏線だったのではないかなとも思っています。 実は,スウェーデンへの乗り継ぎのシーン(>>1 #1)を書いた時点では,あれが「誕生日祝いが流れたことへの不満の態度」というミスリーディングを発生させることは予想していませんでした。 プレイズさんにコメントを頂いて初めて,「あぁ,なるほど,そういう読み方があるのか」と思った次第です。 結果的に,後のシーンでの「誕生日の件でうやむやになっていたと思っていた」という明智くんのセリフ(>>16 #10)にも深みが出ることになったのではないかと今は考えています。 小説は読んでくださる読者の方あっての表現作品なのだなと,改めて思いました。
・美希と明智君の会話について フィクションであるからこそ出来る,二人の息の合った,そして微妙に斜に構えた会話のやりとりというのが,私の位置づけたこの小説のテーマの一つでした。 お互いはっきりと表には出さないけれど,心のなかでは分かり合っている,ということが会話のやりとりから表現できたのであれば,今回の作品はそれだけでも私にとっては満足かなと感じています。 ユーモアのセンスについては,書いている当人もまだまだかなと思っているところではあるので,これからも磨いていけたらと思っています。
・タイトルについて 作品のタイトルについては毎回結構悩んでいるのですが,今回は話の大まかな骨格が定まった段階で,割とすんなりとこれに落ち着きました。 この作品では,もちろん「愛」をテーマとして位置づけてタイトルにも意識させているのですが,一般的に考えられるものである重力や磁力についても,作品の中でそれとなく触れてみたりしています(電気力だけはちょっとねじ込めなかったのですが)。 また,ラストシーンの描写についてもギリギリまで悩みました。 明智君が「運命」を挙げたことについては,もう少し説明を加えても良かったのかなという反省がありますが,このシーンの最後のテンポを出すためには,それを入れる隙間がなかった,といった感じです。 ある程度は説明を省いても問題はなかったのかなと,プレイズさんのコメントを見て考えました。
・二人の関係について あとがきで余計な補足をしてしまったかなと感じつつ,さらに補足をしますと,一切の恋愛感情を持っていない,というわけでもないのではないかと個人的には考えています。 ただ,それをお互いに交換し合って,恋人同士の関係になる,あるいは結婚する,といったところまで進める必要性をお互いが感じていない,ということだろうと思います。 或いはそれはもう恋愛感情とは違うものなのかも知れないですが,とりあえずこの二人には現状,「恋愛」は必要ない気がするというのが,作者としての見解です。 恋愛的にくっついても不自然さはない,ということはその通りかも知れないと私も思っています。 ただ,自分のオリジナルキャラクターがハヤテ作品内のキャラクターと恋愛的にくっつく話を書くというのは,微妙に抵抗があるというのも,個人的な感覚として持っています。 また,このお話では明智君の側の事情しか書かなかったのですが,美希は美希で明智君に積極的に踏み込んでいかない理由のようなものがあると考えています。 それは,美希にとっての「恋愛」絡みの問題として,もしも余裕ができれば今後,別の作品で補っていければいいなと思っています。 現状ではちょっと,いつになるのか分かりませんけれど。 「二人の関係が,このお話を通じて一歩進んで,より大切な存在として再認識した」という考察については,まさにその通りで,そこまでこの作品を読み込んでくださっていることに大袈裟ではなく感動しています。 書き手冥利に尽きます。本当に有難うございます。
・美希メインとしての今作について 自分でもまさか美希を主役にここまで長い話を書くとは,少なくとも去年の段階では考えていませんでした。 キャラクターとしては魅力的だと思いますし,設定も色々なところに活かせそうな割に,生徒会三人娘としてまとめてバカ扱いされている上,その中では泉がスポットライトを浴びやすいという,基本的に脇役に甘んじている印象でした。 そこで三人娘というグループから離れて,美希個人に焦点を当てた話を構想してみたとき,思い切ってずっと未来の話を書いてみようかと思ったのが,このシリーズのきっかけの一つです。 本編から20年後の政治家としての美希のキャラクター造形については,ハヤテ以外の色々な作品の影響を受けています。 そんな中で,多少なりとも美希の魅力を引き出すことができていたのなら,作者にとっては望外の幸せといったところです。 もともとは脇役に留めるつもりだったオリジナルキャラクターの明智君を,美希と同じくらい大きな扱いにしてここまで長い話を書いてしまったのは,去年の段階からするとさらに予定外だったのですが,この二人のやり取りを書くのが私としても楽しかったし,プレイズさんはじめ読者の方々に楽しんで頂けたなら,もう何も言うことは無いかなと思います。 会話と会話の間を結ぶ描写については,読み返すたびに修正を入れ続け,投稿する直前までしっくり来るものを探す,ということの繰り返しで,まだまだ精進が足りないかなと思っているところなのですが,頂いた言葉を励みにしながらこれからも表現を追求していければと考えています。
前作から含めて,長い間お楽しみ頂き,本当にありがとうございました。 上でも述べましたが,この作品を深く読み込んでくださっていることがコメントから伝わり,感激です。 長文に渡るコメントを頂き,返信もそれに応じてかなり長くなってしまいましたが,改めて御礼申し上げます。 これからもまた,いつかの機会に,作品をお届けできたらと考えています。 それまでは,私も一読者として,プレイズさんの連載を楽しみにしながら過ごそうかなと思っています。 これからもよろしくお願い致します。
それでは。
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