Re: 小説の書き方を議論するスレ |
- 日時: 2015/02/01 04:16
- 名前: 明日の明後日
- こんばんわ、明日の明後日です。短編が捗らないです。
本スレッドを拝見しましたところ、私を含め、SSの書き手さん方には非常に有用で勉強になる内容を含むものだと思いましたので、SS板活性化の一助になればと考えageさせてもらいたいと思います。 私自身、素人の身でありますので持論というと大袈裟ではありますが、SSを書く際に意識していることなどを紹介した上で、議題提供まで持っていければ、と思います。少しでも、目を通して下さった方々の執筆活動の助けになりましたら幸いです。
>>4>>5>>6あたりでピーすけさん、きはさんらが議論されている台詞と地の分について。 お二人とも“台詞が主、地の文が従”というところで意見が合致しているようですが、私も概ね同意見です。と、これだけではわざわざ新しくレスを返すまでも無いので、この二つがそれぞれ持つ役割というか性質というかについて、私なりの見解を述べさせていただこうかと思います。
※以下、「思います」などの曖昧さや無根拠さを感じさせるような表現は排除し断言口調で話を進めるので、少々偉そうに感じたりするかもしれませんが、全て私見なので絶対的なものではありません。飽くまで、考え方・捉え方の一つという風に受け取ってください。
台詞は結果、地の文は理由・原因を表す、というのが私見になります。ぶっちゃけ普段はそんな細かく考えてみませんが、カッコよく言ってみたかったのでカッコよく言ってみましたw 漠然としすぎているのでもう少し詳細な話をしますと、
台詞=登場人物の思考・行動によって生ずるもの 地の文=上の行の“登場人物の思考・行動”に該当する部分
ということですね。台詞というのは登場人物の思考やそれに付随する行動によって自然発生的に生まれるもので、その思考や行動を仔細に説明するのが地の文であるということです。 さて、ここまでだけだと「じゃぁ台詞が従で地の文が主なんじゃね?」と思う方がいらっしゃるかもしれませんが台詞にはもう一つ重要な性質があって、それが台詞を主たらしめている要因なのです。
実は、台詞には“登場人物の次の行動を誘発する”という性質があるのです。 コレだけじゃ分かりづらいので、例を挙げて説明しますと↓のSS(恐縮ですが拙作です)ではまず泉が
「ねーねー美希ちゃん、ちょっと訊きたいことがあるんだけど」
と美希に話しかける、つまり台詞を発することによって、美希の“泉の問い掛けに応答する”という次の行動を誘発しています。 http://soukensi.net/perch/hayate/subnovel/read.cgi?no=366
要は、“登場人物がしゃべることによって物語の場面が次に進む”ということです。こっちのが分かりやすいですね(苦笑 よって、台詞の文というのは物語の進行役を担っていると言えます。これが“台詞が主である”と言われる所以で、台詞がないとそもそもとして物語が進まなくて文字通りお話にならないという訳です。
「じゃぁ台詞だけちゃんとすればSS書けるん?」と思う方がいらっしゃるかもしれませんが、それはまぁ真実ではあります。事実、某巨大掲示板では会話文のみで構成されたSSが日々量産されています。でもはっきり言ってムズイです。私も何度か挑戦しようとしたことがありますが訳が分からなくなって結局地の文を載せざるを得ませんでした。
さて、では会話文のみで構成されたSSはなぜ書くのが難しいのか、という話になりますが、それは“会話文のみで構成されたSSはある危険性を孕んでいて、それがあまりに致命的だから”なのです。 その危険性とはすなわち“読み手が物語の状況を把握できなくなる”ということです。先に述べたように、地の文というのは会話の内容の理由や原因を説明する部分ですから、それを全て省くということは読み手にとって物語の状況が不鮮明極まりないものになってしまうということなのです。 それを回避するためには台詞の中身に十分な量の情報を与えつつ、会話の流れ・テンポを上手く整えてあげればいいのですが、これがとてつもなく難しいわけです。
地の文の話に移ります。といっても、上の方で大体言ってしまったのですが。 地の文というのは人物の思考・行動、さらにはそれらの背景までを説明する部分になります。言ってしまえば物語の中で起きたあらゆる事象の理由を説明する部分。 書き手は物語の全容が見えているので仔細の説明がなくても状況が掴めるのですが、読み手はそうはいきません。読み手は与えられた情報から状況を推測することしか出来ないのです。よって、ここを疎かにすると読者が置いてけぼりになります。分かりやすく言うと『マジカル☆デストロイ』みたくなります(笑 と言っても何か起きるたびにいちいちその理由やら原因やらを説明する必要は無くて、あえて後回しにして臨場感を出したりミスリードを誘ったりということもできます。 再び拙作で恐縮ですが、↓のSSでは状況説明を後に回すことで、ヒナギクがハヤテを○そうとしているという事実を読者から隠しています。 加えて、これは指摘されてから気付いたことなのですが、ヒナギクの「最期に〜」という台詞によって(読み手の視点からは)場面が大幅に動いています。 ここを別の台詞にすり返るだけで、その後の物語はまったく別のお話になります。このことからも、台詞が物語の進行役であるということが分かるのではないでしょうか。 極端な話、お話を右に進めるも左に進めるも台詞でコントロールできるのです。
http://soukensi.net/perch/hayate/subnovel/read.cgi?no=367
ダラダラと長い話を続けてきましたが、ここまで私の拙い理論に耳を傾けて下さった皆様ならば察しが付いているかもしれませんが、もう一つ、台詞と地の文についてのお話をさせてもらおうかと思います。 散々述べてきたとおり、
台詞=人物の思考や行動から生まれる物語の進行役 地の文=台詞を含む物語中の事象を説明する部分
という役割をそれぞれ担っています。 地の文は台詞の内容の理由を説明する部分ですから、台詞が出てくれば必ず地の文が出てきます。台詞は地の文で説明された思考・行動の産物なので、地の文があれば必ず台詞は出てきます。 つまり、台詞は地の文の起点となり、逆もまた然り、ということです。 これが上の方で私が「概ね」という言い方をした理由で、役割の大きさで言えば台詞が主・地の文が従であるけれど、台詞⇒地の文という一方的な関係にあるのではなく、台詞⇔地の文というような相互的な関係にある、ということです。>>4でピーすけさんがおっしゃっていた「並列」というのはこういうことなのではないかなと(違っていたらすみません
まとめると以下のようになります。
・台詞=人物の思考や行動から生まれる物語の進行役。台詞を差し替えるだけでその後の展開が全く異なったものになる。 ・地の文=台詞を含む物語中の事象を説明する部分。ここをサボるとマジデス現象勃発。 ・会話文のみのSSはヤバイ、ムズイ。 ・台詞と地の文は相互的な関係にある。
これらを踏まえた上で、私が気を付けているのは“台詞・会話文をなるべく減らすこと”です。 台詞や会話はそれだけお話がポンポン進むし場面転換のきっかけにも使えて非常に便利なのですが、行き過ぎるとマジデス現象勃発したり、テンポが単調になってしまうのでなるべく頼らないように気を付けています。 一つ一つの台詞もなるべく短くするようにしていて、物語の進行にほとんど影響しない「ねぇ」などといった呼び掛けや極端に短い台詞は地の文に組み込むようにしています。 台詞が長いと読むのがダルイというのが信条。話が長い人は得てして疎まれるものなのです(笑 そこまで細かく見ながら書いているわけではないですが、台詞と地の文の比率が2:8〜1:9程度になるのがバランスいいのかなと勝手に思っています。もちろん、お話の内容や性質にもよりけりですが。
さて、おおよそこんなところでしょうか。 台詞にも地の文にも他に細かな役割がありますが、そこまで気を遣って文章を書けるレベルには至っていないしその予定もないので割愛させて頂きます(笑 一言で言ってしまえば、読み手を如何に物語の世界に引き擦り込むか、ということに尽きるのだと思います。 そのための第一歩として、物語を進める・読み手に状況を伝えるという台詞・地の文の性質をそれぞれ紹介した次第です。そういうことにしておきましょう(笑
最後に繰り返しになりますが、私見ということで断定口調で以って論理を展開してきましたが、私見は飽くまで私見なので、これが絶対的なものというわけではありません。皆様がそれぞれ自分なりの意見や理論を持って文章を書けるようになる一助になればという思いから私なりの見解を述べさせて頂いたに過ぎません。 というかいつもこんな小難しいことを考えながら書いてるわけではなく、なんとなく体感的に書いていて、その体感的な部分を文章に起こしたらこうなった、というだけのことです。
まずは書いてみて、自分で読んでみる。それを繰り返すのがかっこいい文章が書けるようになるコツなのかなと思います。 上の話の中で何か疑問に思うところがあれば気軽に尋ねてくださいな。
それでは長々と失礼しました。明日の明後日でした。
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