タイトル | : キミと飲もうか |
記事No | : 147 |
投稿日 | : 2009/05/25(Mon) 21:48 |
投稿者 | : めーき |
バタンと玄関が勢いよく閉められる音がした。 扉が壊れたんじゃないかと思うほどの強い音を聞いて、あいつが俺の家から出て行ったんだと、俺はただ単にそう思った。 きっと俺は引き留めなければいけなかったのだろう。今、追いかけなければいけないのだろう。 けれども、無理だった。 俺はただ部屋に立っていた。
そういえば、自己紹介がまだだったな。 俺の名前は薫京ノ介。歳は28。 一応、白皇学院の体育教師をやっている。 趣味はガンプラを組み立てること。 恋人は、…いない。 だが、気になっているヤツはいる。 そいつは俺にギャルゲー名人だとか2次元ジゴロだの失礼極まりない称号をつけやがった。 俺には興味ないというある意味死刑宣告もやられたし、無理矢理にあまり好きでもない酒を一緒に飲まされることもある。 それでも、俺はそいつに惹かれているんだ。 子供の時に惚れて以来、ずっとこんな調子だ。
全く、俺はバカか。 自分でそこまで理解しているというのに、なんであんなケンカなんかしたんだ。 きっかけはいつもと同じだったのに。あいつがいつものように俺をからかいに来ただけなのに。 今日は何であんなに傷ついたのだろう。 そこからは俺がキレて、あいつに言い返して。 あいつもキレて、俺に言い返して。 そんな嫌な言葉の応酬だった。 最終的にはあいつが俺に 「うっさい!黙れ、バカオル!!」 まるで子供のように大声で叫び、家を出て行った。
翌日になっても、俺はあいつに謝るかどうかずっと迷っていた。 腑に落ちない部分もあるが、俺から謝りに行ったら、おそらく丸く収まるだろう。 しかし、踏み出せないんだ。 小さなプライドが心で反抗しているようだ。 何故だ。俺はあいつと一緒にいたいはずなのに。プライドも捨てたらいいのに。 自分でもどうすればいいのか分からなくなってきているのは何故なんだ。
朝、白皇の校門を越えて、少ししたぐらい。 あいつが前を歩いていた。 当然だろう。あいつも白皇の教師なんだ。むしろ、会わない方がおかしい。 それでも、俺は少し動揺した。 しかし、これはチャンスだ。 このまま昨日は悪かったと謝るんだ。 ここで謝ったら、きっと溝はすぐ埋まる。 そういって自分を鼓舞するが、足は進むどころかゆっくりと減速していった。 そうしている内にあいつは脇道に入っていった。結局、俺に気付きもせずに。 心の何処かがそっと安堵した。 仲直りしたいのに向き合いたくない。今安堵したのは、きっと心のそんな部分だったのだろう。 俺はとうとう足を止めた。 「あれ、薫先生じゃないですか」 すると、後ろから声を掛けられた。 ゆっくり振り向くと、そこにはあいつのクラスの生徒、綾アハヤテが立っていた。 「ああ、綾崎か。早いな」 俺はできるだけ普段の表情になるよう努めて言った。 すると綾アもいつも通りの笑みで返してきた。 「おはようございます」 「今日は三千院は居ないのか?」 俺が綾アにそう聞くと、綾崎は少し疲れたように答える。 「ええ、今日はちょっとお休みで…」 きっと三千院のことだ。駄々をこねて、休んだんだろう。 何となく事情を察し、俺は沈黙する。 そこで、何となく綾崎に意見を訊きたくなった。 他人の意見も必要だろうと俺は口に出した。 「なぁ、綾崎。もしお前が三千院とケンカしたら素直に謝れるか?」 「はい?」 綾崎はポカンとした。まぁ当たり前だろう。 「ただの例え話だ。深く考えなくていい」 俺は綾アにそう言った。 そうですか、と言ってから、綾アは少し考えていた。 「場合によってですけど、多分、謝りますね」 綾アは俺に告げた。 「それが、三千院の言葉から始まった喧嘩でもか?」 「ええ。お嬢様ですし、僕ならそれが普通ですよ」 「その言葉で、お前が傷ついてもか?」 「え?」 しまった、深く訊きすぎた。 綾アは今ので俺の真意にちょっと気付いたかもしれない。 「先生、何かあったんですか?」 案の定、綾崎が質問を返してきた。 「いや、なんでもない。じゃあな、綾崎」 俺はこれ以上心の内がばれないようにと綾アから離れる。 その去り際に綾アが言った。 「あの! よく分かんないですけど、先生ならきっと大丈夫だと思います!」 そんな綾崎の言葉を聞きながら、俺は振り返らず、歩いていった。
綾崎の激励を聞いた日から9日経った。 勿論、あいつに謝れていない。 あいつに謝ろうとしても、やっぱり後一歩、踏み切れないんだ。 仕事上の理由で無理矢理にでも話さなければいけなくなったら良かったのだが、生憎、現実はそうはいかず、あいつと話す機会は皆無だった。 そんな、元の関係のようには戻れないんじゃないかと思い始めた頃。 俺はふと酒が飲みたくなった。 理由は特にない。ただ何となく。 おかしいな。酒なんてあいつに付き合わされなければ絶対に飲まないものだったのに。 これはあいつの影響かもな、と俺は自嘲のように笑う。 そして、行きつけの店へ進路を向けた。
店が見え始めた。 あの店は昔ながらの居酒屋という雰囲気が漂っていて、初めて来たときはその雰囲気を気に入ったものだ。 俺は足を止める。 あの店にはあいつもよく行っている。いや、違う。あいつが俺をあそこに連れて行った張本人だ。 ということは、あいつもあの店にいるかもしれない。 気付けば俺は違う方向に歩き始めていた。 あいつがいるかもしれない。そう思った瞬間に、体は動いていた。 会ったら、そのまま謝ればいいのに。 あいつと一緒にいたいと思っていたはずなのに。
それからずいぶん歩いた。 特にアテがあったわけでもない。ただ俺もあいつも知らない店に行きたかっただけ。 そこまでしなくても、酒なんて何処かで買えばいいのに。いや、それ以前に酒なんて飲まなくてもいいはずだ。 それでも俺は歩いた。 店に向かうときはまだ朱かった空も、いつの間にか暗く重くなっていた。 俺は人気のない道に出ると、小さな屋台を見つけた。 暖簾(のれん)にはデカデカとおでんという黒文字が踊っていた。 「…あそこにするか」 誰に言うでもなく、そう呟いた。 体も少し冷えてきたし、ちょうどいい。 そう思って、俺は屋台に近づき、暖簾をくぐる。 その瞬間にうまそうなおでんの匂いが鼻に飛び込んできた。 「いらっしゃい」 暖簾をくぐるまで古いラジカセを弄っていた五十代ぐらいのオヤジが言った。 俺は少し古びた椅子に座り、熱燗と幾つかの具を頼んだ。 注文を聞き取ったオヤジはいそいそと用意を始める。 そして、俺がボーッとしている内に目の前に熱燗とおでんが並んだ。 「はい、お待ち」 オヤジはそう言って、再びラジカセ弄りに戻ってしまった。 俺はラジカセを弄るオヤジを少し眺めてから、目の前の酒を飲むことにした。 思い切りあおると、口いっぱいに広がるのは酒の味。 しかし、何かがいつもと違う。 何というか味気ないんだ。 何故かを考えながら酒を飲む。 本当は何故か分かっているはずなのにな。
追加で頼んだ二本目の熱燗もそろそろ空く頃。 オヤジがラジカセをカウンターの角に置き、再生のスイッチを押す。 すると、ザーというノイズ音が流れてきた。 「ああ、まだ調子悪いかな?」 そう言って、オヤジは再びラジカセを手に取った。 そしてまた少し弄ってから、再び角に。 「すみませんね。カセットぐらいしかなくて」 そして、俺に話しかけてきた。 俺は適当に返事をする。 オヤジが再生ボタンを押した。流れるのは相変わらずノイズ音で… ドガッ! オヤジのグーパンチがラジカセに炸裂した。 「ってオイ!」 思わず突っ込んだ。 「どうしたんですか?」 オヤジは不思議そうな顔でこっちを見た。 「どうしたんですかじゃない! 驚いただろ!」 「壊れた物を叩くのは当然でしょう」 「それでもグーはないだろ!」 オヤジは俺の突っ込みにやはり不思議そうな顔をした。 というかヘタしたら壊れたんじゃないか。結構な音がしたぞ。 そう思っていたが、ラジカセからはノイズに代わってテンポの良い曲が流れ始めた。 大丈夫なのかと思いつつ、その曲に耳を澄ます。 歌詞を聴く限り、ケンカしたカップルの歌のようだ。 ケンカしたきっかけは語られない。 しかし、男は仲直りしたがっていた。 なんだか俺とあいつみたいだなと思った。 まぁ、俺とあいつは付き合ってはいなかったが。 そんなどうでもいいこと考えながら、酒を飲みつつもその歌に耳を傾ける。 曲は終盤にさしかかり、男は踏み出す。 大事なのは自分のくだらないプライドなんかじゃないと決意し、彼女と酒を飲みに行くのだ。 そんな物語の結末に俺の酒を飲む手は止まっていた。 「………」 流れていた曲がいつの間にかバラード調の別の曲になっていた。 「良い曲だったな…」 そんな感想が自然と口からこぼれた。 俺の呟きが聞こえたんだろうか。オヤジは急に溜息をついた。 そして、まっすぐに俺を見る。 「お客さんも大切な人とケンカして、謝りづらくなってるクチですか」 図星だった。 驚いて、危うく皿をひっくり返すところだった。 「な、なんでわかったんだ」 俺が訊くと、オヤジは笑った。 「いやぁ、この曲をそんな顔して褒める人はみんなそうですよ」 少し顔が熱くなった。そんな顔をしてたのか、俺。 オヤジはそんな俺に真剣な表情で言った。
「お客さん、こんな所でボーッとしてないでとっとと謝ってきなさい。 取り返しが付かなくなったら、絶対に後悔しますよ」
「それに、隣に誰かいてくれた方が酒もうまいですよ」 オヤジはさりげなく、そう付け加えた。 きっとこのオヤジも“そういうクチ”だったんだろう。 オヤジの結果は分からないけれど、その言葉には確かに心に染みこんでいた。 「……なぁオヤジ」 「なんですか」 「失敗したら、朝まで付き合ってくれるか?」 俺の言葉にオヤジは少し笑い、 「勿論」 と答えた。 俺は覚悟を決め、椅子から立ち上がった。 「悪い。特等席を二人分とっといてくれ!」 俺はそう言い残して、闇夜を走り始めた。 少しだけ後ろを振り返ると、オヤジは微笑んで手を振っていた。 ありがとな。 心の中でそう呟いて、今度こそ全速力で駆け出した。 今ならきっと謝れるだろう。 きっかけはあいつからだとしても、どうでも良い。 それくらい、受け止めてやった方が男らしいだろ。 謝って、あいつと一緒にあの屋台で飲もう。 そうだな、今の内にあいつに言う言葉も決めておこう。 「すまなかった」と…
俺はさっき行くのを止めた居酒屋に走った。 給料日からまだそんなに経っていないし、きっとあいつはあそこで酒を飲んでいるだろう。 さっきと違って足は背中を押されるように自然に進む。 それはやっぱり、あいつに会いたいと心から望んでいるからだろう。 だからそんなに時間も掛からず、目的地にたどり着くことが出来た。 が、さすがにここまで来ると緊張してきたぞ。 あいつに話しかけても拒絶されないだろうか。もう手遅れなのではないのだろうか。 そんな考えばかりが頭の中をグルグル回っている。 なかなか目の前の戸を開けることが出来ない。 その時、 「あ、薫じゃない。なにやってんの? 中にも入らず」 後ろから聞き慣れた声が聞こえた。 とっさに振り返る。そこには、 「なによ」 ずっと話したかったあいつがいた。 目の前に現れたあいつに一瞬、逃げてしまいそうになったが、屋台での決意が俺をここに引き留めた。 そうだ、俺はこいつと一緒にいたいんだ。 覚悟を決めて、俺は言った。 「この前は言い過ぎた。…すまなかった。お詫びと言っちゃあ何だが、これから一緒に屋台へ…」
「え、なになに! もしかして奢ってくれんの!?」
はい?
「いやー ここであんたに会えて良かったわ〜」
おい。
「ところで、あんた最近話しかけてこなかったわね。何だったの?」
間違いない。 コイツ、あのケンカを忘れてやがる!? 俺はコイツのためにこんなに考えてたのに!? 思わぬ展開だ。俺は強すぎるショックを受けた。 しかし、あいつはいつも通りの顔でこっちを見る。 「何燃え尽きたような顔してんのよ。ほら、とっとと案内する!」 そうして俺の腕を引っ張ろうとする。 しかし、俺は脱力して、座り込んだ。何のために俺は… あいつはそんな脱力している俺を急かす。 「ほら、なーに座ってんのよ」 顔を上げると、あいつの笑顔。 いつまでも変わらない笑顔がそこにあった。 そんな表情を見ると、なんだかこっちまで笑いがこみ上げてきた。 まぁ、いいか。 これからもこいつと一緒にいられるのだから。 俺は立ち上がり、あいつの方に向き直った。 酒が好きじゃなくてもこいつと一緒なら、
「雪路、飲みに行こうぜ」 きっと、一生飲んでいられるだろう。
「だからそう言ってんでしょ。とっとと案内しなさい!」 「わ、バカ! 髪を引っ張るな!」
fin
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