45000ヒット記念企画  RSS1.0

連載テキスト企画Z

初出 2002年04月25日
written by 双剣士 (WebSite)
1月14日〜19日20日〜25日26日〜31日4月25日
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 2002年1月後半に実施した4万ヒット記念テキスト企画では、最後の2日分だけ落丁してしまいました。このたび45000ヒットに達しましたので、時期外れではありますが補完してみた次第です。

アニメ化における読者の膨張と嗜好の分化について

 大変お待たせいたしました。中途半端な形で終わった連載テキスト企画の書き残し分を、45000ヒット到達を機に公開します。今回は毎日連載ではなく2話同時公開となります。

 人気を博したコミックや小説がアニメ化されることは、もう珍しいことではなくなりました。当サイトで扱っている守護月天/セイバーJは言うに及ばず、こみパやKanonもTVアニメ化されましたし、この春からはぴたテンもTV放映中です。これまで頭の中で空想するしかなかったキャラクターたちの声や動きが映像化されファン同士で共有化されるとあって、どの作品においてもアニメ化は大きなイベントとして扱われています。

 しかしここで問題が生じることがあります。アニメ化される前からのファンが「原作のあのシーンはどう映像化されるんだろう」という期待を持つのは無理からぬところでしょう。しかし現実には原作がよほどアニメ向きの構成になっていない限り、アニメ化に際してシナリオは書き換えられます。それも1話30分の枠に収めるためのエピソード追加とか、第26話を最終回にするための順序変更などで済めばまだ良い方です。ありがちな変更箇所としては、原作ではヒロインを1人だけ選ぶはずなのにアニメ版ではハーレム状態にしてしまったり、分かりやすくするために複雑な心理的駆け引きをカットして別の方法を採らせてしまったり、エピソードを増やすために原作に登場しない新キャラを登場させたり……ひどいものになるとキャラクターたちの性格や人間関係を変えてしまったり、エンディングをまるで別のものに変えてしまうこともしばしばです。
 こういう現実を目の当たりにするとアニメ化以前からのファンたちは少なからずがっかりするのですが、しかしそれは逆恨みというものでしょう。『アニメ版はアニメ版として独立した、別の作品』という認識は今や常識と化していますし、原作者本人がそう発言することも少なくありません。両者の違いを指摘することは議論のネタとしては面白いかも知れませんが、それは真贋論争に発展させるべきものではありません。両者は別々の魅力を持った別の作品であり、良さはそれぞれに違うのです。どちらが好きか、というのは各人の自由ですけれども。

 さて、ここまでは感情的になりさえしなければ、読者の皆さんにも首肯していただけることかと思います。
 問題はこの先。原作とアニメの両方を知っているファンは上記のような認識を持てばいいのですが、片方しか知らないファンはそうはいきません。自分が知っている作品とは全く別の同名作品があり、そちらにも自分と同様の熱烈なファンが居る……アニメによって初めてファンになった人たちは当然そんな予備知識はありません。自分が知っている範囲の作品世界が全てだという感覚で接してきます。その人が単にアニメの感想や批評を述べているだけなら問題は少ないのですが……原作ファンが作ったWebサイトや2次創作に対して、強烈な違和感を表明なさる方が時々おられるのですよ。
 もっとも「原作を勉強してから出直してこい」なんて言うのは傲慢そのものですし、興味の幅を広く浅くするか狭く深くするかは各人の自由、誰にも強制できるものではありません。これは改善すべき問題なのではなく、メディア展開によって発生したファンの急膨張に伴う社会現象なんです。とはいえ少々厄介な社会現象です……なにしろ「原作の世界観をあらかじめ承知した読者が読んでくれる」という2次創作作品の大前提を覆す、笑い事では済まない事態なんですから。

 こういうときに違和感を指摘された側としては、「アニメ版の設定とは違うけど、こういう設定の作品もあるんですよ」と答えるのが普通の対応でしょう。ところがこの回答を受け取ったアニメファンは、どうやらそのまま黙って去っていってしまうようなのです。わざわざ興味の幅を広げなくても、同時期に誕生した新興ファン同士であれば十分に話が通じるし、毎週の放映を見たり時事ネタとして触れているサイトを渡り歩く分にはそれで不足はない……ラジオドラマ版やノベライズ版のファンとは違う、アニメ版独特の事情が影響してるせいかも知れません。
 皆さんはこの問題にどう対処しているのでしょうか? うちのサイトのように『大人気コミック「まもって守護月天」に関する……』と断り書きを入れる方法はトラブル回避には有効ですが、ファンの膨張というビッグウェーブをみすみす素通りさせることになります。かといって原作とアニメの公約数にあたる無難な設定だけを使った小説を書いていては、いまいち味のある作品になってこない。作品ごとにコミック準拠かアニメ準拠かを明言しつつ、両方に手を出すのが良いのでしょうか? うーん……幅広いファン層に対応すると言いつつ、実際にはファンの切り分けに繋がりそうな気もしてちょっと勇気がいりますね。

 理想を言わせてもらえば、原作を知らない人にも理解できて、原作世界への興味を喚起できるような小説を書いていきたいんですけれども。


この時代に生まれて何を残すか

 人間は何のために生きるのか。自分は何をするために生まれてきたのか。

 およそ人間と生まれた身なら、この疑問を抱いたことが1度くらいはあるでしょう。多くの場合は思春期と呼ばれる青年時代にこの疑問にぶつかり、悩み苦しむ過程で自分の未来の可能性を絞り込んでいくことになると思います。
 テキスト企画の最終回は、この疑問に対して双剣士がどのように答えを出し、どうやって今の自分を作っていったかを述べてみます。

 私も最初は、自分には何が出来るか、何をやりたいのかという方向からこの問題を考えようとしました。そして取り柄や夢と呼べるものが何もなく、今のままでは平均点すら危うい……つまり成り行き任せの凡人という多数派にすら入れないであろう自分の将来を予見して、暗澹たる気分に浸ったものです。まぁ当時は世間知らずの中学生でしたから……平凡に人生を全うするってことが大変なことだなんて想像もしなかったもので。
 そこで考え方を逆にしてみました。こうはなりたくない、こういう人生だけは送りたくない……そういう将来像とは何かと考えてみたのです。
 いろいろな答えが浮かびましたが、当時の私にとってもっとも恐怖する将来像はこれだったのです。
 とにかく私は今の時代、この地域に生きているわけです。前世はどこかの国の王族だったかも知れないし、来世は人間ではなくバッタとして生を受けるかも知れない。いずれにしても現在の生活と立場は2度とやり直せるものではなく、●●●●(双剣士の本名)という存在としてこの時代に関与できるのは、きっと今が最初で最後なのです。
 それなのに「居ても居なくてもいい存在」「食物と資源を消費するだけの存在」として一生を終えるとしたら、今ここに生きている意味って何なんでしょう。自分が突然居なくなっても、誰1人として困らないし気づきもしない……そういう存在に自分がなっていたとしたら。臨終の際になって誰1人として自分のことを思い出さず、自分の方も会いたい人や誇りたい想い出が何もなかったとしたら。
 よく謹慎の解けた芸能人が「自分が居なくなっても番組が滞りなく進んでることに気づいてショックを受けた」という言葉を復帰会見で口にします。しかしそれでも、周りの人たちは彼らの抜けた穴を埋める努力を必死でしていたはずです。そうしてもらう価値すらない人生……抜けた穴すら残せない、埋めるどころか穴があることに誰も気づかないような、存在感ゼロの人生……。
 私が当時抱いた最大の恐怖とは、そのことでした。要するに、この時代に生まれて生きた意味を自分自身ですら語れないような人生で終わってしまうことが、もっとも忌避すべきことだと考えたのです。これは現在でも実はあまり変わっていません。

 批評家の目からすれば、この時の私の心境は「平凡である自分を見つめることに耐えられない、青臭いプライドの産物」とでも呼ぶべきものかも知れません。事実こういう心理は古今の小説などで幾度となく描かれているものですし、最近頻発している「テレビに出て有名になりたかった」と供述する犯罪者の心理も、これに近いものがあったのでしょう。
 当時の私はそういう方向には走らずに済みました。この時代に足跡を残すにはどうすればいいか、断片であれ存在した証を形なり記憶なりに留めてもらうには自分はどういう存在になればいいのか……そして導き出した答えが「価値ある5種類の行動」だったのです。
  1. 何かを作り出すこと
  2. 何かを使いこなすこと
  3. 誰かが使うものを守ること
  4. 不要になったものを壊すこと
  5. そして、上記1〜4ができる人材を育てること
 いかにも理系的な考え方だな〜と現在では思いますが、とにかくこれが当時の私の結論でした。このいずれかの役割を果たせれば、自分の存在は後世に残る……自分がこの時代にいたことで未来を変えることが出来たと信じて死んでいける、そう考えたのです。
 この5種類の中のどれを選ぶか、選んだ道の先にどのような将来の選択肢があるか……私もあらゆる職業を調べ尽くしたわけではないので、この先の判断について指針めいたことを述べるのは止めておきます。こういう思考の末に私が選んだ結論は、1番目の道で「自分が存在し関わりを持ったことの証となる何かを作り出して後世に残す」ことであり、機械系技術者としての現在の職業でした。これは性格や適性もありますが、功名心によるところも相当に大きかったような気がします。

 今になって、私は思います。子供たちや若者たちが『輝かしい未来、無限の可能性』と呼ばれるのは、彼らがまだ何も積み上げていないからなのです。何かを積み上げられる存在になるためには自らの可能性の大部分を捨てなければならず、そうして絞り込んだ道に一心不乱に取り組んでこそ、その人は凡人以上の何者かになれるのでしょう。
 読者の皆さんの中にはこれから進路を考える方もいるでしょうし、現在の環境に満足な人も不満な人もいると思います。自分の未来は必ずしも自分の自由になるわけではありません。しかし、それでも未来を選べるカードが配られる瞬間は一生に数回くらいは必ず回ってきます。そのときに選択を間違えないために……今日や明日の損得で考えるのではなく、後で振り返ったときに後悔しない選択をなさることを、心の底から願ってやみません。

 連載テキスト企画はこれにて終了です。長々とお付き合いいただきまして、どうもありがとうございました。


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