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連載テキスト企画[1/3]

連載期間 2002年01月14日 〜 2002年01月31日
written by 双剣士 (WebSite)
1月14日〜19日20日〜25日26日〜31日4月25日
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2002.01.19

 昨日は、2次創作の長所や有利な点について説明しました。簡単にまとめれば、読者との間にある『共通の知識・認識』に立脚しているために書きやすく、読者に見てもらいやすく、同じ趣味を持つ人との間に強固な絆を築きやすい、と言うことです。
 本日はその反対に、欠点や不利な点について解説します。以下に説明する欠点はいずれも、昨日説明した利点の裏返しの事柄に相当します。ただし世の中の2次創作全てに共通の弱点というわけではありません。作者の意識次第ではカバーすることが可能ですし、カバーできた作品こそが名作と呼ばれる最低限の資格を持つ、と私は考えています。

1.キャラクター紹介がなおざりになりやすい

 共通の予備知識を持つ読者を想定するがゆえにキャラクターの説明や世界観の描写を省略できる、このことが長所だと私は書きました。小説の本質を『ストーリー展開』だと認識する限りにおいては、そのストーリーを余計な肉付け無しで世に問えるという意味で有利な点だといえるでしょう。
 しかし、少し考えてみてください。「これは面白い話だ!」と他者の作品を評価するとき、『登場人物たちの魅力』から無縁でいられるでしょうか? そんなことは稀だと思います。それどころか、魅力あるキャラクターを創造できさえすればストーリーが平凡でもヒットする、というのが現実に良くある現象でしょう。たとえ精巧なトリックやどんでん返しを備える作品であっても、登場人物たちが魅力的でないために読んでいて面白くない、という評価を受けることの方が多いのではないでしょうか。
 そう考えると、前記の特長は単純に喜んではいられません。細かい説明をしなくて良いのが2次小説の長所ではありますが、それに慣れてしまって状況説明やキャラ紹介を文章化する努力を怠ると、著者の技能はいびつな成長を遂げてしまうことになるのです。小説においてきわめて重要といえる要素を借り物で済ませるという2次創作の特徴が、技能を磨きたいと考える作者にとっては重大な欠点として働きます。そうした『甘え』の許される環境に長く身を置き、省略できるものは省略するという方針で書き続けて妙な自信を付けてしまうことは、決して誉められることだとは思えません。
 これは自戒を込めて書くのですが、2次小説や2次創作CGを描いている人は、原作を知らない人がそれを見たら面白いと思ってもらえるだろうか、という意識を常に持っていてください。キャラの性格やお約束事項を知らないつもりで読んだときに「こいつら馬鹿? 訳がわからん」と少しでも感じるようなら、危ない方向に向かいつつあります。その反対に、真っ白な気持ちで読んでも各キャラの役割や物語のテーマが伝わり、それを読み終えた時に「こんなに面白い連中が登場するなら、原作も読んでみよう」と読者に思わせられたら……それが双剣士の考える2次創作の理想型です。(私がパロディやクロスワールドものに手を出さない理由はここにあります)

2.イメージの共有に失敗すると無価値になる

 2次創作では作者と読者の間の共通認識を利用する、と私は書きました。しかしそれは必ずしも同一のものとは限りません。たとえ同じ原作を目にした者同士でも、Aさんにとってのシャオリン像とBさんにとってのシャオリン像は微妙に異なっています。まして原作がコミック・アニメ・ラジオドラマなどに展開している場合は、どの原作に基づくのか、という時点で認識の差が生じます。コミックの花織は好きだがアニメ版は嫌い、そう考える人は少なくありませんし逆の認識を持つ人も同じくらいいるでしょう。
 そう考えると、共通認識を利用するつもりで作った2次創作は微妙な立場に置かれます。ストーリーが面白いか、色塗りが綺麗か……などというポイントよりも、「なんだか自分のイメージと違う」という減点ポイントの方を気にする読者というのが現れるのです。作者が自分のイメージに忠実に作ったつもりでも、読者のイメージと合わなければ読者は喜んではくれません。そういう読者は、自分の知らないキャラクターの登場する物語として楽しんでくれるのではなく、自分の知ってるはずのキャラクターが不自然な動きをする物語、という印象で捉えがちなのです。
 こういった問題はオリジナル小説では生じません。オリジナル小説では登場人物の人格イメージは原作者のものこそが唯一の正解で、自分のイメージと違うと言って文句を言う読者は存在しないからです。言い換えれば2次創作作品であっても「この作品においては、このキャラクターはこういう性格である」ということを読者に理解させる筆力があれば良いわけです。その意味で、この問題点の解決法は上記1の解決法と同じと言えるかも知れません。

3.興味の幅が狭くなりやすい

 さて、3番目は作者としてではなく読者としての問題です。2次創作作品を読みまくり集めまくる習慣が付いてしまうと、特定の作品に関する情報ばかりが集まるようになります。そしてそれらは、読者が既に持っているイメージに反しない作品、つまり感情移入に抵抗がなく楽々と読み進められる作品ばかりです。ときおり自分のイメージと合わない作品にも出会いますが、それは無視すれば済むこと。特にインターネットで作品を集めている場合は、気に入った作品だけを選り好みしていても見尽くすことはまずありません。
 もちろん好きな原作にこだわること自体は悪いことではありません。ですが自分の持つイメージが通用する作品ばかりを読み、また作品の方もキャラクター紹介などを怠っているものが大半だったりすると……いつしか真っ白な気持ちで作品を読むことが難しくなります。文章をきちんと読んで人物の性格を理解するという、読者として当たり前の態度が取れなくなってきます。取れなくなるというのが言い過ぎなら、そういう難しさを含む作品を面倒に思うようになる、と言うべきでしょうか。
 かくして、自分の知る範囲から飛び出すことに臆病になる読者が誕生するのです。大げさに思えるかも知れませんが私自身が現在そういう傾向にあります。以前なら、未プレイのゲームや未読コミックに関する2次小説でも手探りで読み進めていましたけれど、最近はクリアしたことのあるゲームに関するものしかチェックしていません。人づてに勧められて新作に手を伸ばすことはあっても、2次創作を先に見てその断片情報から原作を想像する、という作業はここしばらくやっていません。
 なんのことはない、楽な方に流れてるだけなんです! こんな陥穽にはまる人が、私1人だったら良いのですが……。

 以上、2次創作に関する分析でした。
 分かり切ったことをクドクドと書きすぎてしまいました。反省。


2002.01.18

 『支天輪の彼方で』では2次創作小説の掲示をメインとしております。

 このサイトの読者には改めて説明は要らないかもしれませんが、2次創作とは既存の物語・楽曲・絵画・事件などを題材として、それに独自のアレンジを加えることで作り出される創作物のことです(公式な定義かどうかは確認できていません)。原作となる既存作品の著作権を侵害するという裁判所判例もありますが、現実には原作者および著作権所有者(出版社など)の多くは2次創作作品をファンの楽しみ方の一環として考えており、よほど悪質であったり商業的障害になるものだったりしない限りは、黙認している場合が多いようです。(ウォルト・ディズニー社のように、版権ものの無断使用を厳しく取り締まっている会社もあります)

 私が2次創作小説の執筆および公開を始めてから3年余が経ちました。インターネットを始める前まではオリジナル小説を書いていましたし、Webサイト開設後もオリジナル小説のコーナーを作ろうと何度か試みましたが、公開には至っていません。現在では『支天輪の彼方で』は2次小説の純血サイトとし、オリジナル小説を書くときには新たに別サイトを立ち上げることにしよう、と割り切って考えています。
 ここまで私をのめりこませたのは何故なのか。2次小説の魅力と魔力について、今日は語ってみたいと思います。

1.読者の興味を引きやすい

 意図しようがしまいが、この利点を見逃すわけには参りません。無名のアマチュア作家が作っているオリジナル作品よりも、既に商業ベースに乗っている既存の作品の方が圧倒的に愛好者が多いのです。ですから既存の作品に関連した小説やCGというのは宣伝がしやすいですし、読者が検索サイトなどを通じて見つけだしてくれる可能性も高くなります。これは言わば原作の集客力を利用する作戦で、その作品自身の力ではないのですが……読者の目に触れなければ良質な作品も意味をなさないのですから、その機会が多くなるというのは紛れもない利点と言えましょう。
 また読者の立場からしても、自分の知ってる作品やキャラクターを描いたCG、自分の知ってるキャラクターが登場する物語というのはそれだけで安心感があり、ちょっと見に行ってみようかと考えるまでの精神的障壁がぐっと低くなります。これは膨大な数のWebサイトから面白そうなサイトを見つけだそうとする読者の心理にとっては、軽視できないポイントとなるのです。

2.友だちの輪が広がりやすい

 オリジナル作品を掲示しているサイトの場合、他者との関係は『作者と読者』になります。両者で通じる話題は公開している作品の善し悪ししかありません。同種のサイトを運営している者同士の関係も同様で、同じイベントに参加するなどのきっかけでもない限り、互いの作品に対する感想や意見の交換が主になります。
 しかし2次創作の場合は、『原作のファン』という共通項が暗黙のうちに存在します。したがって創作作品の善し悪しだけでなく、
   「この作品がアニメ化するって!」
   「今週の連載分をどう思う?」
   「○○の名台詞や名シーンを集めたサイトを見つけたよ、見に行こう!」
などといったファン同士の話題を交わすことが出来るのです。これはオタク的趣味の範疇に入るので万人にとっての利点とは言えませんが、読者との絆、サイト同士の交流を深めるうえでは重要なファクターになります。

3.世界観の説明が不要で、物語に集中できる

 これは作者側の事情ですが、双剣士がもっとも重視しているメリットはこの点です。2次創作は基本的に『原作のことを知っている読者』を対象としているので、登場人物の性格や人間関係、作品の舞台となる世界の前提条件、お約束に類する細かな動作などについては読者との間に共通認識が存在します。ですから作品中でそれらをいちいち説明する必要がなく、会話や場面展開の方に労力を集中させることが出来るのです。
 これは実際にオリジナル小説を書いた経験のある方なら、実感できると思います。登場人物たちが名前しか出てきてない段階で派手なアクションシーンや愛憎関係を描いても、誰がどの立場かを理解しきれてない読者は楽しむことが出来ません。かといって、冒頭部に各人の性格や立場を並べ書きするのは野暮の極致ですし、それらを読者に覚えさせるためのミニエピソードを冒頭部に集中させると本編が始まる前に読者に飽きられてしまいます。既存作品の続編や2次創作などでは、これらの面倒な部分を省略することができるのです。

4.読者の予備知識を当てにした作品が可能

 これは上記3と同じ意味のタイトルに見えますが、上記3が『面倒な部分を省略できる』という利点であるのに対して、ここで述べるのは『読者の知識を利用した作品が作れる』という点です。典型的なのはパロディという、原作と似て非なる状況を描くことで両者のギャップを生み出すという手法ですね。あるいはファンタジーの世界に月天キャラを送り込んだり、現代世界にセイバーキャラを登場させたりと言ったクロスワールドという手法も存在します。後者は「本来はこうなるはずなのに」とか「こういう状況ではこのキャラはこう動くはずだ」と言った、読者側の想像による補完作業があって初めて価値の出てくる類の作品です。前者はその読者の想像を裏切ることで笑いを生み出そうとする作品です。
 いわゆる『男性向け作品』なども典型例ですね。原作ではこんなことはしない、こんなシーンある訳ない……そういう先入観があるからこそ、キャラクターの顔はちがうが展開はワンパターン、という作品が次々と生み出されるのではないでしょうか。私個人はこういう安易な作品に否定的なんですけれども。

 こうした多くの利点を持つ2次創作作品ですが、逆に欠点も存在します。それについては、明日の文章にて。


2002.01.17

 皆さんはメールアドレスを幾つ持っていますか? プロバイダに入会したときに提供されたメールアドレスしか持っていない、という方が多いのではないでしょうか。あるいは大学や職場で割り当てられたメールアドレス、Geocitiesなどに入会した際にもらえるメールアドレスを併用している方もおられることでしょう。携帯電話などで使ってらっしゃるアドレスを思い浮かべる方も多いでしょうね。
 しかし、メールアドレスはいわば電話番号のようなもの。親しい仲間内で交換し合うのは便利かつ楽しいですが、無関係な人たちに知れるのは歓迎できることではありません。それでなくても広告メールやウイルスメールが飛び込んで来やすいご時世です。必要な数通のメールが邪魔な数百通のメールに埋もれる、という事態を避けるべく、日頃から手を打っておく方がよいでしょう。
 申し遅れましたが、私こと双剣士は5つのメールアドレスを使い分けています。職場から提供されるものと携帯電話のアドレスを含めれば7つです。この5つは闇雲に作ったわけではなく、それぞれ目的が違います。今日は、その件についてお話ししましょう。

1.プロバイダ提供のメールアドレス

 まずは、言わずと知れたプロバイダ提供メールアドレス。これは最も安定稼働が期待できる反面、動かしようのないアドレスでもあります。もし広告業者やストーカー風の相手に嗅ぎ付けられたら、変更したり破棄したりするのはなかなか面倒です。また貴方の本名や住所などの個人情報をプロバイダは把握しているのですから、そのプロバイダ名が一目で分かるようなメールアドレスを不用意にばらまけば、面倒なことに巻き込まれないとも限りません。

2.集中管理用メールアドレス

 そこまで心配なら無料でもらえるメールアドレスをネット上で探せばいいだろう……そう思われた方が多いと思います。それはその通りなんですが、ここで注意する点が1つ。それはメールアドレスをもらえるサービスに申し込む際には、連絡用のメールアドレスの入力を必ず求められる、ということです。そして多くの場合、連絡用メールアドレスが有効でなくなった時点で、申し込んだメールアドレスは使えなくなってしまいます。
 そこで、まずは追加のメールアドレスを1つ、作ります。このときの連絡用アドレスは上記1のアドレスを使って良いでしょう。そして3つ目以降のメールアドレスを取得する際には、連絡先としてここで作ったアドレスを記入するのです。こうすることによって以下の利点が得られます。
 逆に言えば、この2番目のアドレスは広告やSPAMメールの集中砲火を浴びる覚悟で取得するアドレスです。友人たちとの連絡用には使わないようにしましょう。

3.本名で利用するメールアドレス

 上記2のアドレスを確保してしまえば、後はこれを元手にしてメールアドレスを増やしていきます。私の場合は、家族・親戚・友人などとの連絡用のメールアドレスを3番目に取得しました。あえてプロバイダのメールアドレスを使わなかった理由は、
などです。その代わり、倒産の可能性の低い業者を選ぶ必要はありますが……。
 なお、Anetのような転送用アドレスを取得し、そこに届いたメールを上記1のアドレスに転送するという方法もありますが、差出人が「双剣士」宛に出したのか「○○○○○(本名)」宛に出したのかを混同しやすくなるので、独立したPOPメールアドレスを選ぶことをお勧めします。

4.配布用メールアドレス

 掲示板やアンケート、ネットニュースや匿名FTPに書き込むためのメールアドレスを用意します。これは上記2のアドレス以上に、不特定多数の目に触れるものとして迷惑メールが届く可能性が高いので、簡単に捨てられるように備えておくのです。自分のWebサイトに連絡用として公開するメールアドレスも、この4番目のものを使うのがよいでしょう。
 えっ、お前は上記1のアドレスをサイトに載せてるだろうって? ……あはは、サイトを設立した当時は、ここまで考えてなかったもので……その名残なのです。

5.外部閲覧用メールアドレス

 そして最後に、上記1,3,4のメールアドレスに届いたメールを転送するための閲覧専用メールアドレスを用意しています。これは出張先やインターネットカフェなど、自前のメールソフトが使えない環境で届いたメールをチェックするためのアドレスです。Webブラウザから使えるWebメールを選ぶのがよいでしょう。
 ちなみに、5番目のメールサービスには安定した業者を選ぶことをお勧めします。以前に1,3,4のアドレスに向けてメールを出してくれた方に『メール配送不能』とのエラーメールが戻ったことがあり、調べてみると5番目の業者が倒産していた、ということがありましたので……同じ轍を踏まないようにしましょう。

 なにかの参考になれば幸いです。これを機にメールアドレスを取得しようと思った方は、巡回リンク集の【60_Web作成支援Site】→【有用サイト紹介】を利用して業者を探すと良いでしょう。


2002.01.16

 以前にチャットをしているとき、話し相手にこう問われたことがあります。

「双剣士さんはハーレム好きなんですよね?」

 話を聞いてみると、守護月天やセイバーをWebサイトで扱っていることから、こういう想像をしたとのこと。私自身にはそういう意識はなかったし、相手も悪気があっての質問ではないとおっしゃっていましたが……言われてみれば、その通りかもしれません。

『とくに取り柄のない少年のもとに複数の可愛い女の子が上がり込む。
 彼女らが有形無形の主人公争奪戦を繰り広げる中、主人公は時折
 優しい振る舞いを見せる。そして最後に、主人公がちょっぴり勇気を
 出して“俺には君が必要だ”と口にすることでハッピーエンドへ……』

 守護月天もセイバーJもぴたテンも、基本的にはこのパターンです。そういえば今年の春からアニメ放映する「藍より青し」も「ちょびッツ」も「りぜるまいん」もそう……そもそも痕やKanonといった、私の好きなギャルゲーの大部分もそうだし。こりゃ白旗を揚げるしかないかな。
 まぁ趣味の範囲での嗜好ですから誰に迷惑を掛けているわけでもないし、次々と作品が生み出されるということは需要があるということなので、それほど特異な趣味というわけでもなさそう。そう思って割り切ろうと一時は考えましたが……以下の記述を読んで、いささか衝撃を受けました。長くなりますが引用します。

『自分はそこらの平凡な連中とは違う。選ばれた、特別な存在なのだ』
 という認識を持つことは、およそ人間と生まれ自意識のある者全てにとっての、火の出るような願望であろう。しかし、その認識を得るための努力を厭い、かつ、心の底で、自分の持つ能力が果たして衆に抜きん出るものであるかということに深刻な疑問を持つ者にとり、最後の希望は、何かそこに超自然的現象が働くことで、“ある朝、突然に”自分が選ばれた存在となることである。円盤(宇宙人)とのコンタクトなどは、まさにその理想型ではないか。
出典:トンデモ本の世界R(と学会、太田出版)343頁
 これは三島由紀夫「美しい星」に関する書評のなかで、自分を火星人だと思いこんだ平凡な中年男とその家族の行動が、間違った理屈や情報にしがみつくオカルト研究家やUFO研究家の姿に重なって見える、という意図で書かれた文章です。当然それ以外の含みなどあるはずはないのですが……『円盤とのコンタクト』を『自分を慕う可愛い女の子の登場』に置き換えれば、これはハーレム好きな者に対する分析とも言えるではありませんか。
 たしかに今の私には恋人は居ないし、ご覧の通りハーレム主義にどっぷりと浸かっています。ということは、私は努力もせずに突然幸運が舞い降りるのをただ待ちわびる、という生き方をこれまでしてきたということですか? う〜ん、これは「そういう生き方もある」と言って看過できる問題ではないような……。

 これは、軽々しく「努力します」と言って終わらせられる問題ではありません。私はまだ結論や方針が出せずにいます。


2002.01.15

 昨日は成人の日。スーツに身を包んだ青年、晴れ着をまとった女性たちを街で何度も見かけました。私も覚えのあることですが、成人式では旧友との再会に夢中で、壇上で祝辞を述べるお歴々の話など聞いてなかったのではないでしょうか。入学式などと違って自分の環境が劇的に変わるわけでもないので、単なるイベントとして通過してしまう人が大半なのでしょうね。
 そこで、成人式をとうの昔に済ませた者として、今回は少々説教めいた話をしたいと思います。壇上のお歴々は「未来は皆さんの双肩に……」とか「一人前の大人として自覚を持って振る舞うよう……」とか実感のないことばかりを話したかもしれませんが、私が言いたいことは以下の3点です。

1.成人すると、社会の理不尽な仕打ちを受け入れなければならない

 1番目から刺激的なタイトルになりましたが、「受け止める」のではなく「受け入れる」である点が重要です。
   ・人間は生まれながらにして平等、差別はいけないこと
   ・エゴイズムは醜く、人のために尽くすことは美しいこと
   ・人はそれぞれに個性があり、その独自性は尊重されるべきこと
 皆さんは学校で上記のようなことを教わったと思いますが、残念ながら現実の社会はそのようには出来ていません。個性を育て伸ばすべき学校に校則があることに憤りを感じた経験のある方は少なくないでしょうが、現実社会の歪みは校則の比ではないのです。
 それらは対人関係を円滑かつ無難にすますための暗黙のルールであったり、先に社会で成功を治めた人たちが自分に都合がよいように作り上げたルールだったりします。就職活動において性別や出身や学歴を理由に門前払いを食らったり、仕事における実績よりも勤務態度や容姿や上司への中元の額で評価される、などの理不尽な例には枚挙に暇がありません。有無を言わさず税金を取られたり、「いい歳をして……」と行動に制約を掛けられることも理不尽のうちに含まれます。「自分はこれが正しいんだ、これはやりたくないんだ」と反論しても「青臭い」と一笑に付されます。
 あなた方は社会に対する新参者として、それらを受け入れなければならないのです。もはや「未成年だから……」といって勘弁してはもらえません。腹が立とうが理屈に合わなかろうが、それらの理不尽に自分を適合させないと一人前と認められない、何を言おうとも相手にされない、そういう世界に入っていくのだと覚悟してください。

2.成人すると、責任や責務を背負った上で自分の行動を決めなければならない

 大人には立場と責任が伴います。たとえ自分が正しいと思ったことでも、立場の上で口にしてはいけないこと、家族のために我慢しなければならないことが多くあります。社会の中で活躍する資格を得た反面、自分一人では失敗をカバーできないほどの責任を背負わされることもあるのです。あえて損な役を引き受けたり、プライドを捨てて相手に媚びたりせざるを得ない状況も出てくるでしょう。
 ニュースでは汚職や背任などの事件が連日報道されています。もちろん非難されるべきことなのでしょうけど、自分がその立場だったら決然と自分の意志を貫けたか、と自問してみると他人事のように笑い飛ばす気にはなれません。「悪いことだと思ったら荷担しなきゃ良いじゃん」と子供の頃は無邪気に考えていましたが、悪いことをする人は悪い人、という善悪2元論で片づかないのが「大人の事情」というやつだと知ったからです。端から非難するのは簡単ですが、その人の立場にしてみれば、自分の本心を偽らざるを得ない事情を背負っていたのかもしれません。もちろん免罪の理由にはなりませんが、涼しい顔で突き放すことも出来ないと思うのです。
 理想を持つことは大事ですし、信じるところを主張することも大切です。しかしそれをするには責任と覚悟が伴うということ、場合によってはそれに反する行動も必要となる場合があることを、肝に銘じてください。

3.そしてその代わり、社会の仕組みや既成観念を変更したり作り直したりする資格を、貴方たちは手にする

 大人になるのは損をすることばかりのように書きました。事実これらの現実に嫌気を感じて、留学などの手段でモラトリアムを決め込む人もいます。しかし悪いことばかりではありません。大人の世界に入るということは社会構成員の1人になるということであり、社会に対する発言権を得ると言うことでもあるからです。
 半年前に私は「選挙権を得たことを喜ぼう」と書きました。この言葉は1つの例ですが、社会の規範の中で生きることは、それ自体が社会に影響を及ぼすことを意味します。未成年ということで免責されることがない代わり、軽んじられることもなくなるのです。
 もちろん社会を変えるのは簡単なことではありません。実力も実績も必要ですし、賛同してくれる同志を集める努力も必要です。二十歳になったばかりの貴方たちが即座に動かせるほど、現実社会は軽いものではありません。義務を負う代わりに資格を得たわけですが、その資格を実効的なものにするには今後の努力と運が必要なのです。
 若いうちは活躍するより押さえ込まれることの方が多いでしょう。しかしそれは周囲の人たちの方が実力と実績を備えているが故です。逃避して居心地の良い世界に閉じこもるのではなく、積極的に打って出てください。そのための活力や時間を、貴方たちは持っているのですから。

 最後に、改めて申し上げます。

新成人、おめでとう! 大人の世界へようこそ!


2002.01.14

 読者の皆さま、ようこそいらっしゃいました。双剣士と申します。
 私の運営するWebサイト『支天輪の彼方で』が、先ほど4万ヒットを突破いたしました。その記念として、この連載テキスト企画を本日より開始することになった次第です。
 よろしくお付合いくださいませ。

 本日は第1回ということで、なぜこの企画を始めるつもりになったのか、を説明したいと思います。「やってみたくなったから」と一言で済ませてもいいんですが……約3年前に挑戦して失敗した「毎日更新」に今またチャレンジする気になった背景には、私の小説執筆スタイルに対する、ちょっとした迷いがあるからなのです。

 私が文章を書くときのスタイルは、以下のような比喩で表現できます。
『綿密な設計図に基づいて、下から一歩一歩積み上げて行き、
 その過程で新アイデアや不具合が見つかったら、その都度設計図を修正する』

 これは私が書こうとしている小説のスタイルと密接に関連しています。各キャラクターが原作のイメージから逸脱しない範囲で振る舞い、自然なリアクションの積み重ねと数々の伏線が終盤に向けて絡み合って行き、そして読者の度肝を抜くようなクライマックスが必然とも言うべき流れに乗って目の前に現れる……これが私の目指す理想像であり、読んでいてワクワクする物語のパターンです。当サイトに掲載している小説のほとんどは、こういう筋書きを志向しています(まだまだ未熟ではありますが)。
 ですが反面、この執筆スタイルは執筆開始までにかなり長期の準備期間を必要とします。また実際に書き始めても、調子に乗ってくると登場人物たちが勝手に動き始めるため、当初の設計図とは違う結末に向かいがちです。それが当初案より面白い話になるならいいんですが、そうでない場合は……登場人物達に不自然な言動をさせるわけには参りませんので、少し前に遡って不都合なシーンが出ないよう、設計図を組み直さなければなりません。そうなると連載が休止したり、公開時期が予定より遅れたりすることになるのです。

 本当のことを言うと、こういう困難に直面してシナリオを考え直すことも、小説書きの楽しみの1つではあります。ここで無理して窮屈にまとめてしまうのは勿体ないし面白くない。こう考えてしまうところが、締め切りに追われるプロ作家という職業は自分には務まらないなと自己評価する所以なのですが……サイトの読者から見れば、結果を出さずにウジウジと期限を引き延ばしている私の姿は、さぞ見苦しく見えることでしょうね。
 いや、読者の方々の評価が正しいんです。実現できないアイデアはただの妄想、期限に遅れた図面はただの紙切れ……私も技術職に身を置く人間ですから、現実の厳しさは知っています。アマチュア作家という立場のおかげで致命傷になることはありませんが、誰も叱ってくれない分、自分で自分を律しなければなりません。

 さて、一方で世の中にはテキストサイトと呼ばれる種類のWebサイトが存在します。そこで公開されているのは小説でも詩でもエッセイでもない、日々の生活で見かけた何かに対する意見や、現在流行している話題に対する論述です。それらのサイトはほぼ毎日のように更新され、多くの読者を獲得しています。
 それらのサイトを見ていると、書き方の違いというものをひしひしと感じるのですよ。テキストサイトの著者たちは、3日後にこういうのを書く予定だから今日はこういう伏線を敷いておこうとか、こういう意見を書いたら別の日に書いた意見と矛盾するんじゃないかとか、そういうことは考えてないんじゃないでしょうか。そもそも、テキストを書き連ねることによって向かう結末を意識などしていないでしょうし、その結末を書き始める前に決めたりなどしないのでしょう。
 しかし書いてることが支離滅裂かというとそんなことはありません。その日その日で勝負を賭ける彼らの文章は、目が離せなくなるほど面白いのです。しかも毎日定期的に面白い文章を提供してくれる……無限にネタを持っているのではなく、各自の信念なり考えなりをいろいろと形を変えて表現してるにすぎないんですけれども、それでも書く方も読む方も不思議とマンネリな気分にはならないのです。

 私はこれまで、「こういう書き方もあるみたいだけど、自分には合わないなぁ」と思ってきました。ですが40000ヒットに到達した今、自分のできる範囲だけに閉じこもっていても仕方ないと思ったのです。自分の目指す小説のスタイルが間違っているとは思いませんけれど、それだけを金科玉条として他のスタイルに目もくれない、というのは良くありません。昔ならいざ知らず、今の自分なら寄り道をしてもちゃんと本業に戻ってこられるだけの自信と経験はあるはずです。
 それに、テキストサイトの著者に関する上記の推測は、まるっきり外れてるかもしれないじゃないですか。両者の執筆スタイルは対極にあるのではなく、ごく近くにあるのかもしれない。だとすれば自分が抱えている『執筆が進まない』ジレンマに一石を投じる手がかりになるかも。

 そういうわけで、思い切ってテキストサイトの真似事をやってみようと思った次第なのです。
 ただしこれは『支天輪の彼方で』で私が昨日までやってきたこととは異質の試みです。かなり個性の強いコンテンツになると予感されるこの企画、下手をすると『このサイトは小説サイトではなく、ぼやきサイトだ』との悪評判を呼ぶ危険性があります。公開した文章に対して責任回避をするつもりはありませんけれど、そういう危険性の高いコンテンツを長期にわたって置き続けるのは不安です。この不安は、サイト創設記念日に毎年1ヶ月だけ公開している『○周年記念総括文』にも通じるものがあります。
 そんな理由で、このテキスト企画は1月31日までの期間限定公開とします。美坂栞ちゃん(Kanon)の言葉を借りるなら、こういうことです。

半月後の2月1日……私は、皆さんの前からいなくなります。
それ以上の時間は、皆さんにとっても、私にとっても、
悲しい思い出を増やすだけですから……
ですから、半月間です……それでも、本当に私を受け入れてもらえますか?

……第1回とはいえ、長く書きすぎました。次回からはこの半分くらいを目指します。

1月14日〜19日20日〜25日26日〜31日4月25日
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