2004年7月22日に「支天輪の彼方で」は10万ヒットを記録しました。1998年12月25日にアクセスカウンタを設置して以来およそ5年7ヶ月目でのことです。これもみなさんのご愛顧のお陰です、どうもありがとうございました。
以下のグラフにて、これまでのアクセス数の大まかな推移を示してみました。
こうしてアクセス数の推移を見渡してみると、『傾きが変化した時期』というのが何度か起こっていることが分かります。そしてその頃に何をしていたのかを総括文や更新履歴から辿っていくと、様々な思い出が浮かびあがってきます。
ここでは5年7ヶ月の歴史を10種類の期間に区切って、それぞれについて回想してみることにしましょう。
1998年10月、『支天輪の彼方で』は産声をあげました。当時はVectorサーバ、プロバイダはODNダイヤルアップ回線、主要コンテンツは自作ゲームとセイバーJtoX解説……現在まで残ってるのはサイト名称だけみたいです(笑)。
開設当初はHTMLという技術でどんなことが出来るか、というのを試すことが興味の大半を占めていまして、支天輪メニューの構造を毎日いじっていたような記憶があります。読者からの期待とか責任とかいう意識はまるでありませんでしたので、セイバーJtoX解説も初回だけで投げ出してしまっています。(当時のセイバーJtoX紹介コーナー)
このころの思い出といえば●じ○ぴ事件(1周年総括文に詳述)、それとセイバーJの商用画像の無断利用事件ですかね。デスクトップアクセサリ集についてたCGを無断で支天輪内の画像に流用したんですが、それを見た読者から『絵がお上手ですね』と言われ慌てて外したことがありました。自分自身の能力でない部分を誉められる、そのことの恥ずかしさを痛感したわけです。
今となっては、早い時期にこういう失敗をしたことが以後のサイト運営に大きな影響を与えたと思っています。善悪いずれにしても。
●じ○ぴ事件でSS書きに目覚め、守護月天SS「いぶの夜」の連載を始めました。ようやくサイトの方向性が決まったと言うことでカウンタを設置し、同好サイトの掲示板に挨拶にいきながらリンク集を組み立て始めた時期です。
このころは職場が暇だったことと同好サイトを回ってみて刺激を受け続けていたこともあって、SSのアイデアが潤沢に出てきていました。アニメ月天放映中の時期と言うこともあって読者からの反応も比較的多く、新作公開も頻繁に行われていました。私も月天召来などのアニメ感想掲示板コーナーに出没して楽しくやってたものです。
いわば無敵の若葉マーク時代です。でもこういう楽しい時代が、いつまでも続く訳じゃないんですよね……。
当時の正門ページ(一部の画像やリンクは、復元できませんでした)
作品数も増えてサイト運営を続けていく見通しもある程度ついたところで、同人系検索エンジンであるSurfers Paradiseに登録しました。当時はGoogleなど存在しなかったので、競争率の高いYahoo!Japanに滑り込める超人気サイトになれない者にとっては、こういう同人系エンジンはありがたい存在だったのです。
この時期は「アイデンティティ」や「わたしのSweet Lady」など、当サイトの看板的存在に当たるSSが生み出された時期でもあります。しかし他サイトの秀逸なSSに触れて目が肥えてしまった当時の私は、以前のように思いついたネタを簡単に筆に乗せることが出来なくなっていました。2度にわたる「日記系ショートSS」のラスト直前の失速、人気カップル投票の失敗などが象徴的な出来事として脳裏に浮かびます。
当時の私は総括文で『まめな更新も精緻な描写も出来ない以上は、1作1作を“濃く”するしかありません。』と書いていますが、今にして思えば開き直るというより、余計に泥沼に入っていくに等しい決断だったのかもしれません。
自分個人のブックマークをほぼそのまま公開する『巡回リンク集』を創設して以降、SS執筆のペースは目に見えて低下しました。リンク集を追加・修正しているだけで更新を続けているような気分になってしまったことが気の緩みとして働いたせいでしょうか。SS純血サイトとして徹底したい気持ちと、執筆間隔のつなぎ役として巡回リンクや掲示板を充実させたい気持ちとが交互に出てしまって、才能のなさと情けなさに嫌気がさしてた時期です。
明るい思い出としては、やはり「あたしのハートを召しあがれ」に寄せられた感想メールでしたかね。ラストで豪快にずっこけてくれてる読者の阿鼻叫喚が手に取るように伝わってきて、今でも懐かしく思い出されます。もちろんこれは私の腕だけじゃなく、感想をくれた人自身にも筆力があったからこそ楽しめた訳なんですが。
ぴたテンコーナーという新しい血を入れては見たものの、執筆スランプは覆いがたいレベルに達していました。リンク先のサイトがばたばたと閉鎖し始めたこともあって、自己満足にすらならないサイトを維持し続けることに意味はあるのか、と悩んでいたのもこの頃です。まさにドツボにはまっていたんですね。
この頃といえば、JASRACが音楽の著作権をうるさく言い始めて版権BGMの鳴るサイトが激減していった時期でもありました。当時の私はNetscape4派(な、懐かしい……)だったこともあってBGM強制演奏には批判的だったんですが、ちょうど寄贈品コーナーにセイバーJのMIDIをいただいたこともあって複雑な気分になったのを覚えています。嬉しかったんですけど、おおっぴらには紹介しづらいというか……ね、ねぇ?
当時の正門ページ(戯言欄の登場直前。リンク切れが幾つかあります)
2001年4月をもって契約プロバイダを変更し、サイトを現在のU-netSurfサーバに移転しました。割当容量は20MBに増え(以前は5MB)掲示板やアクセスログなどのCGIスクリプトも使い放題。おまけに回線まで速くなったとあって、技術者魂がふつふつと再燃したのがこの時期です。
この時期、執筆したSSは「みそっかすの励まし方」「今のわたしに大切なもの」の2本しかありませんが個人的にはCGIの勉強や可能性検証などで楽しい時期でした。別ドメインに置いてあった物語投票所が統合され、掲示板が5.1期目でようやく安定したのもこの時期です。ここで学んだものが次の改造期で花開きます。
あと……「みずいろ」に出会ってしまったことでダメ人間化が急加速したのも、この時期かな。
展望台、アクセスログ、感想フォーム……HTMLだけでは実現できなかったコンテンツが次々と加わり、当サイトのフォルダ構成がほぼ固まりました。久しぶりにSS執筆に対して新鮮な気持ちを取り戻せた私は「次回作予告」コーナーで自分を鼓舞しつつ、「Sweet Lady6」「聖なる願いのかなえ方」「白雪姫の勇気」「ガリバーの陰謀」などを執筆します。私のサイト運営ポリシーに風穴をあけるきっかけになった、4万ヒット記念企画「連載テキスト企画」も忘れることは出来ません。(詳しくは4周年総括文にて)
あと、個人的に応援していた『美紗FC〜舞い降りた天使』というサイトと疎遠になってきたのもこの時期でした。アニメ化を前に盛り上げたかった私と、社会人になったばかりで時間がとれなくなってきた管理人さんとのすれ違いが原因でして……集客系サイトの盛り上げに積極的に関わった唯一のチャンスだっただけに、印象深い出来事でした。(その後、約1年の更新停止期間を経て美紗FCは正式に閉鎖しました)
当時の正門ページ(このころが一番派手だったかも)
TVアニメ版ぴたテン放映というBigWaveに便乗すべく、かつてはタブー視していたアニメ感想掲示板に手を染めた時期です。何を期待していたか、結果どうだったのかは5周年総括文で述べてあります。
感じたことを簡単にいうと、『頑張れば好反響が返ってきて、サボればお客が離れていく』という因果関係は当初考えていたほど強固ではないらしい、ということです。読者一人一人の個人レベルではそうかもしれませんが、不特定多数に対する場合は“旬”な話題であるかどうかが圧倒的な影響力を持っている、個人の努力うんぬんは決定的とはいえない……認めたくはありませんがそういうことのようです。
そういえば、この頃はコミック版の守護月天が新雑誌で連載再開したんでした。絵柄が以前と違うとか、筋がちっとも前に進まないとかで文句を言ってたのが懐かしく思い出されます。思えばあれからもう2年、“新”月天の方を当たり前だと思っている読者の方が現在では多くなっちゃってるんでしょうね。水面に映った月ばかりを追っている我々はもはや旧世代人なのかしら?
成長期において実施した日記風ショートSSは予定期間内での完結に至らず、そのことが読者からの反響が少ない原因だろうかと自らを責める槍として作用しました。しかし『キュートな会社の作り方』ではその逆に、やり遂げたとしても望んだものが手に入るわけではない、という苦い教訓を得ました。
しかしこの経験は悪いものではありません。無欲であれ、というのは自分には難しいことだと思っていましたが、計算ずくで行動し成功したところで満たされないことを身体で実感してしまえば、過去の自分を脱ぎ捨てることが容易になるからです。この時期の私は「大丈夫だよ、たぶん」「天使のささやき方」「ファーストキスのもらい方」の3本しか書いてはいませんが、いずれも以前よりは肩の力を抜いて執筆し、推敲時間も少な目にして公開するようになりました。SSの質は以前より落ちてしまうかもしれませんが、深く考え始めると指先が固まってしまうタイプの私にとっては、こういうスタンスの方が長続きしやすいんでしょう。曲がりなりにも毎日更新SSを書き上げられたという実績も出来たことですし。
肩の力が抜けたせいか、この時期はSS以外のコンテンツにも手を伸ばす余裕が出てきました。お正月企画やエイプリルフール企画、時事コラムなんかはSS純血主義に染まっていた2000年当時の私には想像も出来ないものだったでしょう。期間限定公開という気楽さも手伝って、SS執筆やサイト紹介文を書くよりも軽々と筆が進んでいたような気さえします。読者からの反響は少なかったですけどね。
『気になるあの娘と〜』は主人公の高校時代を描いている関係上、ゲーム本編を離れた豪快なオチをつけることが出来ません。そのため単体では平凡な筋にならざるを得ず、「練習作」という留保付きでの公開にしたのですが……Leaf,Key関連ゲーム愛好者集団、いわゆる“葉鍵信者”の怒濤の来襲により開設以来の目標であった100ヒット/日はあっさりと突破され、予定を遙かに上回るスピードで10万ヒットを達成できました。努力<旬、というさきほどの教訓が裏付けられた形です。
もちろん、努力が不要だと言っているのではありません。葉鍵系の競争率およびレベルの高さは月天/セイバー/ぴたテン系SS界の比ではなく、つまらない作品は一瞬にして忘れ去られていくでしょう。そのことはサイト開設前からToHeartファンだった私がよく知っています。
サイト自体を趣旨替えするわけではないですが、こういう激しい世界で揉まれてみるのも一興でしょう。これから面白い経験が出来そうだったのですが……私的事情により身を引かざるを得ないことが、返す返すも残念です。