セイバーマリオネットJ SideStory
フロイライン
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前編
「ブラッドベリー、今度はこれ頼まぁ」
「あいよっ!」
威勢の良い声と共に、風を切る軽やかな音が親方の脇を駆け抜けていく。
ここはジャポネス大通りの一角。人類の故郷である地球の江戸時代を模した古風な家並みのあいだに、明らかに周囲とは異質な建物が建造されつつあった。鳶職人の親方は珍妙な絵のかかれた設計図を片手に、徐々に姿を現しつつある眼前の建物を満足そうに見上げた。
ひゅーん、ひゅーん、ひゅーん。
その建物の周囲を飛び回る1体のつむじ風。親方は眼を細めながら、頼りになるマリオネットだ、とアルバイト役の彼女を絶賛した。ジャポネス風建築の常識が通じない今回の仕事において、足場も命綱も必要とせずに軽々と動き回ってくれる彼女の存在は本当にありがたかった。
マリオネット。
女性のいない移民惑星テラツーにおいて、人間の女性を模して作られたアンドロイド。300年のときを経て少数ながら女性の復活を果たした現在にあっても、人間の身体能力をはるかに上回るマリオネットの存在は軽視できるものではなかった。もっとも大部分のマリオネットといえば、無愛想で無表情で言われたことしかしない機械人形、何かを任せることなど思いもよらない頼りない道具、という認識が一般的であったが‥‥。
「親方ぁ、ここは9番の柱を突っ込めばいいんだろぉ?」
建物の屋上から指示を仰いでくるブラッドベリーに、鳶職の親方は両手を丸の形にして答えた。まるで人間のように笑顔を見せ、てきぱきと仕事をこなす彼女を、親方はすっかり気にいっていた。彼女だけではない、小樽のところに居るあと2人のマリオネット‥‥人間の女性ってのがあんな風な存在だとしたら、これからのジャポネスはきっと賑やかになるに違いない。そんな感慨を胸にしながら、親方は工事現場の正面に立てられた看板の文字に眼をやった。
『ジャポネス舞踏会館・建設予定地』
**
「ふう〜、疲れた疲れた」
「仕事のあとの握り飯は、やっぱり最高だぜ」
「まったくまったく」
そして昼休み、職人たちが現場の一角に集まってゴザ敷の上に座りはじめる。並のマリオネットならば彼らにお茶を配って回るところであったが、並でないブラッドベリーは彼らと一緒になって平然と握り飯を頬張りはじめた。あまりにも自然なその振る舞いを、今では誰も奇異には感じなくなっていた‥‥それどころか若い職人の間ではブラッドベリーにお茶を差し出す役が一時は奪い合いになり、じゃんけんで順番を決めている、という有り様である。
「だいぶ形になってきたんじゃねぇか、この建物も」
「壁を張って、内装を整えて‥‥あと2週間ってとこかな」
「そしたらゲルマニアから、マリオネットの姉ちゃんたちが押し寄せてくるわけだ!」
ジャポネス初の舞踏会館となるこの建物の将来に、若い職人たちは眼を輝かせた。新しいジャポネスの歴史を担っている、という誇りが彼らにはある。テラツーの6国家がいがみ合っていた時代は終わりを告げ、大陸横断鉄道などを通して交流が盛んに行われる今日このごろである。かつての敵国ゲルマニア(旧ガルトラント)からの文化移入にもさほどの抵抗はなく、むしろ期待の方が大きい。
「‥‥けっ」
だが年配の職人のなかには、そう簡単に割り切れない者も居た。
「な〜にが舞踏会だってんだ‥‥マリオネットの姉ちゃんと手に手を取って踊るだぁ? ふざけんじゃねぇってんだ。ジャポネスっ子の心意気はどこへ行っちまった? 軟弱な踊りなんざに浮つきやがって‥‥」
酒を飲んで絡んでいるわけではない。彼の言葉はそのまま昔気質の男たちの言葉でもあった。腕の確かな先輩の言葉だけに、反論できずに顔を見合わせる若い職人たち‥‥まぁまぁ、と割って入ったのは、若いが信頼の厚い親方の太い声であった。
「そうは言うけどな、おやっさん。何にも知らねぇでいるより、知ったうえで好きなのを選べる世の中の方が、俺はいいと思うぜ。確かにこの舞踏会館はゲルマニアの文化に合わせて作ってるが、ジャポネス風の祭りだって今じゃ世界のあちこちに広がって行ってる。最終的にどっちが生き残るのか、あるいは混じり合って新しい文化が生まれるのか‥‥どうなるかは分からねぇが、逃げ回って不戦敗を食らってたんじゃ何にも始まらねぇ。その方がジャポネスっ子の名折れだろうよ」
「‥‥」
「俺たちは変な混じり気なしに、最高の舞台を整えてやりゃいいんだ。舞踏会とやらが根づくかどうかは若い者たちが決めてくれる‥‥そうだろ?」
若い職人たちは元気よくうなずき、年配の職人もしぶしぶ首を縦に振った。ブラッドベリーは何も言わずに、熱弁を振るう親方を温かく見つめていた。
**
数刻後。ブラッドベリーは胸に両手を当てながら、猛スピードでジャポネス大通りを駆けていた。眩しいほどのオーラが疾走するブラッドベリーの全身を包んでいた‥‥彼女とすれ違う人が思わず振り向いてしまうほどに強烈かつ楽しそうなオーラが。ブラッドベリーの胸に当てられた指の先には、親方が餞別としてくれた2枚のチケットがしっかりと挟まれていた。
《小樽とふたりっきりで踊れるっ!》
彼女のマスター、間宮小樽の奥手さに日頃から歯がゆい思いをしているブラッドベリーである。小樽の元には彼女の他にも2体のマリオネットがおり、若干の方向性の違いこそあれ、彼女らも小樽に熱いまなざしを注いでいる。だが‥‥。
《今度こそは決まりだねっ!》
チケットは2枚。しかも男女ペア。他の2人‥‥ライムとチェリーがどんなに駄々をこねようとも、押し切る自信がブラッドベリーにはある。チケットを取ってきたのは自分なんだし、あの舞踏会館の建設に力を尽くしたのも自分だ。以前はデートにすらくっついてきたライムだが、今度ばかりはどうしようもあるまい。
《うふふっ‥‥》
かさはり長屋に走り込みながら、思わずほくそ笑むブラッドベリー。決定打だ、との思いがますます強くなる。手と手を取り合い、身体を密着させ、脚光を浴びながら2人っきりで踊る舞踏会‥‥これで心の動かない男なんて居やしない。
がらっ。
「小樽ぅ、聞いとくれよ、あたしと一緒にさぁ‥‥」
ところが。満面の笑顔で開いた扉の向こうにいたのは、彼女の愛するマスターではなかった。
「えっ、何々、どうしたのブラッドベリー?」
小犬のように駆け寄ってくるライム。部屋の中に居るのはライムだけ‥‥それに気づいた途端、春のような笑顔を浮かべるライムとは対照的に、あっという間にブラッドベリーの表情が凍りついた。そして一瞬ののち、あわててチケットを背中に隠した。
「や、やあ、ライム‥‥あは、あははは‥‥なぁ、小樽は?」
「ほえ? 小樽はまだ帰ってないよ。ねぇそれよりブラッドベリー、小樽と一緒にどこ行くの? またサーカスを見に行くの?」
にこにこしながら訊ねてくるライム。ブラッドベリーは精神的に後ずさりながら、ライムに背中を見せないよう横ばいで部屋に入り扉を閉めた。そして後ろ向きで玄関を上がる‥‥その不自然な動作に、徐々にライムの表情に影が射しはじめた。
「‥‥ブラッドベリー、ボクになにか隠してない?」
「な、なんにも、隠してなんかいないよ‥‥あたしたちに隠し事なんて、あるわけないじゃないか。あはは‥‥」
「‥‥怪しい。ねぇ、さっき隠した物を見せてよ!」
ブラッドベリーに向かってジャンプするライム。思わず身を躱すと、ライムは脇の箪笥を蹴って空中で方向転換しブラッドベリーに迫ってきた。素早く身をかがめたブラッドベリーの頭上をライムが通りすぎる‥‥そして一瞬後、背後から伸びる手をくるっと前転して躱すブラッドベリー。
2人は2メートルの距離を開けて、互いに睨み合った。
「やっぱり、なんか持ってる‥‥」
「何でもないよ、ライムには関係ないこと‥‥」
「ボクを仲間外れにする気だ!」
ライムは相手の言葉を途中で遮ると、猫のような敏捷さでブラッドベリーに襲い掛かってきた。今度は躱せない‥‥咄嗟にブラッドベリーは片手を伸ばし、ライムの額を抑えこんだ。突進を止められたライムはじたばたと腕を振って‥‥そして、自分の額を抑えている指の隙間からするりとこぼれ落ちた、小さな紙片に気がついた。
「あっ‥‥」
「‥‥しまったっ!」
慌てて手を伸ばし紙片を取り戻そうとしたが、ライムの方が一瞬早かった。後転してブラッドベリーの手から逃れると、ライムは拾い上げた紙片をじっくりと眼の前にかざした。そんなライムの視線の動きを追いながら、徐々に表情が強張るブラッドベリー‥‥。
がらっ。
「小樽様ぁ、お米屋さんで良いもの貰いましたの、よろしかったらわたくしと一緒に‥‥」
その瞬間、扉を開けて3人目のマリオネットが姿を現した。表情の凍りついた2人が呆然とする中、ライムはきょろきょろと首を振って、2人の持つ小さな紙片を見比べた。
**
しばらくして。3人のマリオネットは、部屋の真ん中にあるちゃぶ台をとり囲むようにして座っていた。丸いちゃぶ台の上には、ブラッドベリーとチェリーが2枚ずつ手に入れてきた『舞踏会館完成記念・大舞踏会』のペアチケットが4枚並んでいた。
「‥‥」
「‥‥」
4枚のチケットをじっと睨みつけるブラッドベリー。うつむきながらチケットを見つめ、ときおり他の2人をちらちらっと見上げるチェリー。そんな2人を、ライムは不思議そうな表情をしながらきょろきょろと交互に眺めていた。
「‥‥」
「‥‥」
なおも黙りこくる2人。ライムは視線を中央のチケットに向けてから、さも当然のように明るく言葉を繰り出した。
「良かったじゃない、小樽とボクたちを入れて4人でしょ、みんなで仲良く行けるよ」
「‥‥」
「‥‥」
ブラッドベリーは依然として黙っていた。4枚じゃ何の意味も無い。他の2人には悪いが、ペアチケットは小樽と2人で行くから価値があるのだ。サーカスを見に行くのとは訳が違う、2人で脚光を浴びるために行くのだから‥‥だがそのことをライムに説明すれば、抜け駆けしようとしていた自分を暴露するようなものである。向かい側で黙っているチェリーも、きっと同じことを考えて黙っているんだろう。
「ねぇ、どうして黙ってるの?」
「‥‥」
「‥‥」
なんにも知らないライムの視線が痛い。長屋に入るまでのうきうきした気分は完全に消し飛んでいた。最初からチケットが2枚きりだったら、多少ライムたちに怨まれたとしても取るべき道ははっきりしてたのに‥‥そんな思いを込めて、ブラッドベリーは余計な2枚を持ち込んだ当人に視線を向けた。ところが‥‥。
「‥‥そうね。小樽様なら、みんなで行こうって、おっしゃるわよね‥‥」
「そうでしょ、でしょ?」
「だけど‥‥」
痛々しそうにつぶやくチェリー。その口調と悲しそうな瞳を目の当たりにして、ブラッドベリーは冷や水を浴びせられたような気分になった。チケットが2枚きりだったら、という埒も無い恨み言を心に浮かべた自分が恥ずかしい。そう、小樽なら間違いなくそう言うだろう‥‥ペアチケットの意味を百も承知で、あたしたちを傷つけないために、きっとそう言う。誰か1人を選ぶなんて出来やしないし、それくらいなら自分が恥をかくことを選ぶ、小樽ってのはそう言うやつだ。
あたしがなんとかしなきゃ。ふいに心が固まった。小樽に恥をかかせるのも、ライムをがっかりさせるのも、元はといえばあたしのせいだ。あたしが浮かれてこんなチケットを持って帰ったから‥‥チェリーが躊躇してるんなら、あたしが今のうちに‥‥。
「だめだよ、ライム」
ブラッドベリーは4枚のチケットを扇型に広げると、ライムの眼の前にかざしてみせた。
「よく見てみな、ペアチケットって書いてあるだろ。入場は男女1組、または男性お1人でお越しくださいって」
「だんじょひとくみって、なに?」
「それは‥‥」
ライムの輝く瞳が眩しくて、思わずブラッドベリーが視線をそらした、まさにそのとき。
がらっ。
「ただいまぁ〜」
「あ、小樽おかえりっ!」
仕事から帰ってきた間宮小樽を、ライムは満面の笑顔で出迎えた。しかしブラッドベリーの方は咄嗟に手を引っ込め、弾かれたように立ち上がって口をぱくぱくと震わせた。
「お、おかえり、小樽」
「‥‥おかえりなさい、小樽様」
どんな表情を作るか一瞬迷った後、ぎこちない笑顔を浮かべるチェリー。だがそれに小樽が気づくより早く、元気いっぱいな声が小樽の耳朶を叩いた。
「ねぇねぇ小樽、みんなでぶとー会に行こっ!」
「ぶとー会?」
「うん、ぶとー会だって。みんなで一緒に出ようよ!」
「そっか。いいぜ、そういうことなら。俺たちが出りゃぁ優勝間違いなしだな!」
「うんっ!!!」
小樽はライムの誘いをあっさりと快諾した。『優勝間違いなし?』‥その言葉に一瞬首をひねったブラッドベリーとチェリーであったが、小樽の次の言葉を聞いて全身が凍りついた。
「おうよ、火事と喧嘩はジャポネスの華! どんな相手が出てきたって、俺たちにかなう奴が居るもんか!」
「あ、あの、小樽様っ!」
あわてて口に手を当てるが既に遅い。愛するマスターの注視を浴びてしまうことになったチェリーは、眼だけで小樽に許しを乞うたが‥‥それが却って、彼に別の感情を引き起こさせてしまった。
「チェリー、どうしたんだ、さっきから変だぜ。何か心配事でもあるんじゃねぇか?」
「い、いえ、あの、そのぉ‥‥何でも‥‥」
ためらうチェリー。本当のことを言ったらライムはきっとがっかりするし、小樽様に余計なお気遣いをさせてしまう。でも、このままじゃ小樽様は『ぶとー会』の勘違いに気づかない‥‥言葉に詰まってもじもじするチェリーを案じて、小樽は彼女の方に1歩だけ歩み寄った。
どっくん!
「どうしたってんだよ、俺に言えないことなのか、チェリー」
どっくん!
どっくん!
乙女回路が熱い。射すくめられたように身体が動かない。チェリーの顔がぼうっと紅潮する。次第に近づいてくる小樽の吐息を肌で感じながら、チェリーはゆっくりと瞼を閉じて‥‥。
「い、いやぁ、悪い悪い、小樽っ!」
だがチェリーの夢見心地はそこまでであった。小樽はぴたっと足を止めると、照れくさそうに頭を掻くブラッドベリーの方に振りかえった。熱から醒めたチェリーは、安心したような残念なような複雑な気持ちで胸をなで下ろした。
「違うんだよ。武闘会じゃなくって、舞踏会なんだ。戦う方じゃなくて、踊る方」
「踊る‥‥ああ、その舞踏、か‥‥」
言いにくい言葉を言ってくれた。すこしだけほっとしたチェリーは、続く小樽の言葉を聞いて全身を硬直させた。
「でもあれって、確か‥‥」
「ええ〜っ、そうだったの? な〜んだ‥‥でもいいや、じゃボクと一緒に踊ろっ、小樽っ!」
「そ、そうだな‥‥柄じゃねぇけど、お前ぇらが行きたいってんなら、みんなで‥‥」
「それがさっ!」
苦笑する小樽。思った通りだわ、小樽様ならきっと‥‥そう考えたチェリーが表情を曇らせかけた瞬間、ブラッドベリーの大声が部屋の空気を鷲づかみにした。
「ごめん、小樽、ライム‥‥せっかくだけど、行けなくなっちまった」
両手を合わせて頭を下げるブラッドベリー。
「ごめん。チケットを貰ってきたんだけどさ、小樽が帰ってくる前に、チェリーと奪い合いになっちまって‥‥」
「ええっ、どうして? さっきは4枚‥‥」
「こんなになっちまったんだよ!」
頭を下げながら手のひらを差し出すブラッドベリー。その手には、くしゃくしゃになってボロボロにちぎれたチケットの屑が乗っかっていた。息を呑むチェリー、眼を丸くするライム。そして小樽は‥‥。
「ごめん、ごめんな、小樽‥‥チェリーを責めないでやってくれ。あたしが馬鹿力で引っ張ったのがいけなかったんだから‥‥」
「まぁったく、これだからポンコツどもは頼りにならないよねぇ」
その瞬間。重々しい雰囲気は一瞬にしてぶち壊された。畳を跳ね上げて登場した花形美剣は、銀色に輝く紙片を見せびらかすように振り回しながら、軽やかに1回転してみせた。
「おっ樽くぅん、こぉんなポンコツなんか放っといてさ、僕と一緒に踊りに行こうよぉ。手に入れるのに苦労したんだよ、このプラチナチケット! 僕と小樽くんが一緒なら、必ずやジャポネスの輝く星に‥‥」
どばきぃっ!!!
ブラッドベリーの拳が一閃、
「ひえぇ〜、なーんだか今までより桁違いに痛いのぉ〜」
花形美剣はたった1人で、一足先に夕焼け空の星と化した。そして奇妙な静寂が小樽の長屋を支配し‥‥よっこらしょ、という少年の声がマリオネットたちの呪縛を解き放った。
「‥‥まぁ、いいじゃねぇか」
すっきりした表情でちゃぶ台の脇に座り込んだ小樽の声は、意外なほどに優しかった。恐る恐る振り返ったブラッドベリーに、間宮小樽はいつも通りの、彼女らが大好きな温かい笑顔を向けてくれた。
「気にすんなって。よその国の踊りなんて、俺には元々似合わねぇんだしよ。祭り太鼓の方が俺の性には合ってる。そうだろ、ブラッドベリー、チェリー」
「小樽‥‥」
「なぁんだ、詰まんない」
ほっぺたを膨らませて小樽の隣に座るライム。ブラッドベリーは拳をぎゅっと握って自分の胸に当てた。チェリーは顔を伏せて肩を震わせていたが、小樽の言葉でふっと我に返った。
「ところでチェリー、腹ぁ減っちまった。晩飯はまだか?」
「は、はいっ、ただいまお持ちします!」
**
それから10日後。宅配の荷物を届け終え、元気いっぱいにジャポネスの街を飛び回っていたライムは、大通りにたたずむチェリーの姿を見つけ大喜びで駆け寄った。
「ハオッ、チェリー! ねぇねぇ聞いて聞いて、ボクね、さっきね‥‥」
「‥‥しっ」
チェリーは振り向かず、手だけでライムの言葉を制止した。ライムは立ち止まってチェリーの隣に並び、眼の前にたたずむ建物を見上げて感嘆の息を漏らした。
「すごい、綺麗‥‥」
「‥‥ほんとうに綺麗ね‥‥」
2人の眼の前には、完成間近となったジャポネス舞踏会館の姿があった。色とりどりのガラスで飾られた、見慣れない格好の建物‥‥だが決して無秩序なわけではない。確かな歴史の重みを背負った、豪華にして壮麗な白亜の建物‥‥それは道行く人すべてを立ち止まらせずにはおかない光景だった。
「あっ‥‥!」
小さな声をあげて建物の窓を指差すライム。チェリーは黙ってうなずいた。ライムの指した指の先には、長身の影が‥‥カーテンを吊り、花を生け、照明を掛け、テーブルを並べる、彼女らの良く知っているマリオネットの働く姿があった。その表情は生き生きとしており、この舞踏会館に向ける思いが並々ならぬことを何よりも明白に物語っていた。
「ブラッドベリー、ここで働いてたんだ‥‥」
「‥‥」
チェリーの胸がちくちくと痛んだ。自分の手で作り上げた舞踏会館での晴れ舞台を、ブラッドベリーが夢みないはずがない。あのチケットを破り捨てたとき、彼女はどんな気持ちだったのだろう。それも全部彼女の責任にして、頭まで下げて‥‥そこまでして守りたかったものは‥‥。
「ねぇ、ライム‥‥」
単純に感心するライムに向かって、チェリーは重々しい一言を紡ぎ出した。だがその声は他から聞こえてきた別の声に塗りつぶされた‥‥ちょうど逆の方から響いてきた、人々のざわめく声に。
「おい、見ろよ見ろよ」
「見なれねぇマリオネットの姉ちゃんたちだぜ」
ライムとチェリーは思わずそちらに眼を移した。そして彼女らの眼に飛び込んできたのは‥‥華のようなドレスに身を包み、大きな胸と細い腰を強調した、舞踏会館に向かう優雅なマリオネットたちの一団だった。その姿はガルトラントのセイバーマリオネット、ティーゲルやルクスたちに酷似していた。
「うわぁ‥‥」
しかし良く見ると、彼女らとセイバードールズの違いは明白だった。眼の前を歩いている20人程のマリオネットたちの顔に表情は全く無く、足の運びも敏捷さとはまるっきり無縁な、腰を左右に振るゆっくりとした歩き方であった。まさしく踊るために作られた人形という雰囲気を露骨にまとったマリオネットたち‥‥だがそんな彼女らの姿を、取り巻くジャポネスの男性たちは好奇と感嘆の眼で見つめ、口笛と喝采で迎えていた。
「へえぇ、あれがゲルマニアの踊り子かよ」
「すげぇもんだなぁ。みろよ、あの色っぽい身体つき!」
「あいつらが相手してくれるんなら、おいらだって舞踏会とやらに出てみてぇな」
口々に騒ぐ観衆たち。だがその声を聞いて‥‥心を持った2体のマリオネットは表情を曇らせていた。
《あれが、ぶとー会?》
《あれが‥‥舞踏会のために作られたマリオネットたち‥‥》
初めて聞く『ぶとー会』、知識としてのみ聞いていた『舞踏会』‥‥その象徴たちの姿を思いがけずも目の当たりにして、2人の心は千々に乱れてしまった。『場違い』‥‥そんな悲しい単語が、彼女らの胸の奥深くに突き刺さった。
「チェリー、これ‥‥」
いつのまにか、ライムの声はすっかり元気を無くしていた。チェリーが顔を上げると、差し出されたライムの手のひらには見慣れた2枚の紙片が握られていた。
「さっき、お魚屋さんに貰ったんだ‥‥でも、ああいうのが『ぶとー会』だったら‥‥ボクなんて、似合わないよね‥‥」
「そ、そんなこと、ないわよライム。あなただったら‥‥わたくし、よりは‥‥」
自分の身体を見下ろしながら声を細めるチェリー。大きな胸、細い腰、すらっとした長身‥‥どれほど望んでも、自分には得られないもの。あれが舞踏会と言うものなら‥‥舞踏会の絵の中に、ぴったりと収まるのは‥‥。
「チケットは、2枚だけ?」
「‥‥うん」
うつむいたまま問うチェリー。ライムも小さな声で答えた。そして静寂が流れ‥‥やがて、意を決したように一方が口を開いた。
「あのね、わたくし思うんだけど‥‥一番楽しみにしてて、そして、一番ふさわしい人が、他にいるんだったら‥‥」
「‥‥うん。ボクもそう思ってた」
‥‥このとき寂しそうに2人が微笑みあったことなど、舞踏会館の内装に精を出していたブラッドベリーは知るよしも無かった。
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