ぴたテン SideStory (コミック版ぴたテン完結記念作品)
天使のささやき方
SSの広場へ
本作品は、2003年6月末に最終回を迎えたコミック版ぴたテンのエンディング以降の一幕を描いた短編です。ネタバレは少なめにしたつもりですが、コミック未読の方はご注意ください。
《前へ進むんだ、自分の足で》
中学校に進学してから1年後。ちょっとクールな小学生だった樋口湖太郎は、少し近寄りがたい雰囲気を備えた中学2年生になっていた。仲の良い友達はできたし女生徒からの受けも悪くはない。しかしそれは同級生としての親密さではなかった。大人びた信念と振舞いを持つ少年への畏敬の念、周囲の者たちが湖太郎に向けている視線はまさにそれだった。
《僕は1人じゃない……みんなに支えられて励まされて、こうして生きてこられたんだ。強くならなきゃ、あの2人のためにも》
小学6年生のころ、彼の部屋の隣に引っ越してきて嵐のように去っていった2人の少女。母親のいない寂しさを受験勉強で紛らわせていた当時の自分に2人がくれた思いやりと思い出の日々を、湖太郎は忘れてはいなかった。あの人たちがいたから今の自分がある。きっと遠くから、今も自分のことを見守ってくれてる……かつての大騒ぎの日々は確実に少年の心の支えになっていた。
しかし湖太郎は、それを中学以降にできた友人たちの前で口にすることは決してなかった。心の中に聖域を持ち、甘えや弱音を外に見せない少年……これから思春期を迎えようとする少年少女たちの中にあって、湖太郎の精神的成熟ぶりは際立ち過ぎていた。子供のころから仲の良かった幼馴染たちが別の中学校に進学してしまったことも彼にとって不利に働いていた。表立って避けられたりはしないものの、湖太郎は次第にクラスの中で孤立していった。
ときおり湖太郎はそんな自分を振り返り、友達の輪に混じろうと努力もするのだが……そういう打算的な行動自体がすでに中学生の発想ではなかった。同級生たちはそのあたりを敏感に感じ取っていた。
そんな彼の姿をビルの屋上から見守っていた1人の天使が、溜め息混じりにつぶやいた。
「なんだかな〜、天使のアタシたちに頼りきりになるのも困るけど、あんまり肩肘張って生きるってのもどうかと思うのよね。人間は1人じゃ生きられないんだし」
かつて妹の想い人であり、足枷でもあった少年。天界の落ちこぼれだった自分の妹と少年との絆を断ち切るため、当時の彼女はあえて憎まれ役を買って出たことがあった。晴れて正式な天使になったばかりの妹が下界に未練を残さないよう、本来は妹の担当地域になるはずだったこの街を強引に奪い取りもした。この少年に関わることはもう2度とない、あの時はそう決意したつもりだった。
しかし、それでも気がつけば早紗は少年の姿を探していた。生まれかけの恋心をつぶしてまで天使として生きることを選んだ妹とそれを祝福してくれた少年のその後の姿を、気にせずには居られなかった。美紗のほうは既に一人前の天使として、桁外れの魔法力を武器にバリバリ活躍している。しかし少年のほうは、果たして幸せに暮らしているのだろうか。
「……少年が美紗と出会わなかったら、なんて今さら考えても意味ないしね……」
人間が幸せになるために少しだけ背中を押す。かつての自分が妹に教えた天使の役目を、早紗は頭の中で反芻していた。本来ならそれをするのは、この街を担当している自分の役割である。でもアタシが今さら、あの少年に手を貸すってのも、ねぇ……しばし逡巡する早紗。だがしばらくすると、早紗は不思議と晴れやかな表情になって空を見上げた。
「……任せてもいいかな、今のあの子にだったら」
人間の耳には入らない声でつぶやいた天使は、純白の翼を広げて天へと舞いあがった。
「それじゃな、湖太郎」
「また会おうね、湖太郎ちゃん」
休日のある日。幼馴染たちとの歓談を終えた樋口湖太郎は、笑顔で2人に手を振ってから駅のホームに向かう階段を登っていた。
学校で気詰まりを感じている湖太郎にとって、気の許せる友人とのお喋りはリラックスできる数少ない時間だった。2人とも元気そうだったな、僕も頑張らなくっちゃ……そんな感慨に浸りながら満足そうにそっと目を閉じた、その瞬間。
「きゃっ!」
「うわっ、わわわっ!!!」
正面からぶつかってきた突然の衝撃。階段を登る途中だった湖太郎はバランスを崩し、その衝撃を与えた何者かと一緒に階段の踊り場まで転げ落ちた。背中と腰を強く打って顔をしかめた湖太郎が目を開くと……湖太郎の身体の上には彼と同じ年頃の、黒髪の少女の姿があった。
「ご、ごめんなさい、大丈夫ですか?」
「あ、ああ、なんとか……」
初めて出会う少女だった。どこか寂しげな雰囲気をまとった黒髪の少女は跳ねるように飛び起きると、痛そうな顔をしながら膝に手をあてて腰を落とした。そして身を起こした湖太郎に向かって、済まなそうにぺこぺこと頭を下げた。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい。あの、お怪我はありませんか?」
「あ、ああ僕は大丈夫だけど……君、足を怪我しちゃったんじゃ……」
「あ、いえ、私は平気で……痛たたっ」
小さな手で足の傷を隠した少女は、湖太郎に作り笑いを浮かべながら小刻みな摺り足で後ろに下がろうとする。そして怪我の具合を心配して近寄ろうとする湖太郎に向かって、ふるふると首を横に振った。
「ねぇ、君、無理しないほうが……」
「ごめんなさいっ!」
黒髪の少女は突然声を荒らげた。
「私と居ると、不幸になるんですっ!」
「えっ?」
少女は再び頭を下げると、痛む足を引きずりながら駅の雑踏の中へと消えていった。数歩ほど歩いたところで追うのを諦めた湖太郎は、とぼとぼと転倒した現場に戻り……そこに落ちていた小さな手帳を拾い上げた。
「生徒手帳?……あの子、僕と同じ中学だったんだ……」
そして。そんな光景を天界から見守っていた1人の天使は、立ちすくむ少年に向かって優しい声でささやきかけた。その声は目に見えない羽毛となって、少年の頭上からシャワーのように降り注いだ。
「さぁ、今度は湖太郎君が、その子を幸せにしてあげる番っスよ♪」
Fin.
SSの広場へ