北風ぴゅーぴゅー さむい日は みんなで落ち葉を あつめましょ
あつめた葉っぱに 火をつけて たき火のまわりで おどりましょ
なかよくみんなで 手をつなぎ げんきにわらって おどりましょ
真っ赤なほのおに 照らされて みんなのほっぺた ぽっかぽか
やさしいやさしい おかあさん おいしい焼きイモ つくろうね
あつめた落ち葉に イモいれて しばらくたったら できあがり
ほかほか焼きイモ ほおばって からだのなかまで ぽっかぽか
みんなでしあわせ 噛みしめて こころのなかまで ぽっかぽか
「これっス!」
本屋の軒先で、素っ頓狂な叫び声が上がった。周囲の人たちが目をやった先では、黒いドレスを着た1人の少女が童話の絵本を手にして楽しそうに跳ねまわっていた。
それから十数分後。マンションの前に植えられた街路樹の周りで、落ち葉をせっせと掃き集める1人の少女の姿があった。
「やぁお嬢ちゃん、ご苦労さんだねぇ〜」
「てひひー、頑張るっス〜」
いまどき珍しく気配りのできる子だ……道行く人はそんな感慨を覚えながら、落ち葉の掃除をする少女に優しい視線を投げかけた。
しゃっしゃっしゃーっ、ぱっぱっぱっ。
しゃかしゃかっ、しゃかしゃかっ。
乾いた落ち葉のすれ合う軽快な音が響きわたる。落ち葉を掃き清めてもそこに新しい落ち葉が降ってくる……人に無力感を覚えさせる落ち葉掃除の宿命も、不思議なことに少女には無縁のようであった。まるで彼女の獅子奮迅の働きに木々が遠慮しているかのように、マンション前の歩道はみるみるうちに塵ひとつない輝く歩道へと生まれ変わりつつあった。
「これでラストっス〜」
人々の期待に後押しされた少女は、たった1人ながら一生懸命に働き、あっという間に歩道の落ち葉を1箇所に積み上げてみせた。見ていた人から拍手があがる。
「いやぁ、たいしたもんだ。組合の当番で掃除をしたことはあるけど、これほど綺麗に掃除する子は見たことがないよ」
「てひひー、照れちゃうっスよ〜」
「それじゃ僕も少しは手伝おうかな。ちりとりを持ってきてやろう」
「いらないっス♪」
黒いドレスの少女はあっさりと協力の申し出を断った。彼女にしてみれば、これからが本番である。
《コタロー君、もうすぐ学校から帰ってくるっスよね。一緒に焼きイモを食べて、いっぱいいっぱい幸せになるっス〜》
少女は口元に手を当ててほくそ笑むと、無造作に懐からマッチを取り出して火をつけ、積み上げた落ち葉の山へと放り込んだ。炎に照らされた少女の表情が真っ赤に染まり、それとは対照的に周囲の人たちの表情が蒼白に変わった。
「ひゃっほー、焚き火っス、焚き火っス〜」
ばしゃあっ!
その直後、生まれたての炎にバケツの水が投げかけられた。そして同時に、怒気を含んだ言葉の槍が少女の心に冷や水を浴びせかけた。
「なにやってんだ、危ないじゃないか! マンションの真ん前で焚き火をするなんて、火事になったらどうするんだ!」
「……はうぅぅ〜」
さっきとは一転した厳しい視線をぶつけられ、勤勉な少女はがっくりとうなだれた。
舞台は変わって学校の帰り道。せかせかと家路を急ぐ少年の背中を、同い年の少女が小走りで追いかけていた。
「あーあ、ついてない……こんな日に限って塾の生徒証を忘れるなんて」
何度もぼやきながら足を速める湖太郎。焦りと後悔が彼の脳裏で渦を巻いていた。いつものように学校から直接塾に向かうつもりだったのに、忘れ物を取りにいったんマンションに戻らなければならない。それもよりによって、塾で大事な模試がある今日という日に……塾に着く時間が少しでも遅れたら大変だ。
「……」
急ぐ少年の邪魔をしないよう気を使いながら、それでも嬉しそうに植松小星は駆け足を早めた。いつもだったら校門のところでお別れするのに、思わぬハプニングのおかげで湖太郎ちゃんと一緒に帰れる……喜んだりしたら湖太郎ちゃんに怒られるかもしれないけど。小星はささやかな偶然に心の中で手を合わせながら、元気付けるように話しかけた。
「きっと大丈夫だよ、湖太郎ちゃん。まだ時間の余裕はあるから」
「……気をゆるめて後で後悔するのって、嫌だから、僕」
小星の励ましにつれなく応える湖太郎。だがそんな彼の姿が小星は嫌いではなかった。決して器用ではないけれど、いつも一生懸命でひたむきで……大丈夫、きっと神さまは湖太郎ちゃんのことを見てるよ。
「……寒くなったね」
自分の手に白い息を吹きかけながら、小星はささやくような声でそうつぶやいた。どんどん冷え込んでくるこの時期に、受験勉強で頑張らなきゃいけない湖太郎ちゃん……マフラーでも編んであげようかな。お母さんに編み方を習わなきゃ。
……そんな2人が、公園の出入り口の前を通りかかった矢先のこと。
「コタローくぅ〜ん!」
寒さに似合わぬ脳天気な声が湖太郎と小星の足を止めた。よりによってこんなときに……呼び声の主をほぼ確信しながら迷惑そうな表情で少年が振り向くと、彼の左手にしがみついて来たのは予想した通りの人物だった。
「……美紗さん、あの僕、今は……」
「てひひー、こっち来るっス、こっち来るっス」
ぐいぐいと湖太郎の袖を引っ張って、公園の中につれこもうとする美紗。小星はいつものように美紗の行動に文句を言おうとしたが、続く彼女の言葉にちょっとだけ興味を引かれた。
「焚き火がすごく暖かいっスよ♪ コタロー君も小星ちゃんも、一緒に温まるっス♪」
「……ねぇ湖太郎ちゃん、せっかくだから寄ってかない?」
日頃は控えめなクラスメイトの意外な言葉に、湖太郎は目をむいた。
「でも急がないと……」
「大丈夫、5分くらいだったら時間あるでしょ。最近は焚き火なんて珍しいし、手がかじかんでると答案だって書きにくいだろうし……」
それに少しでも湖太郎ちゃんと一緒に長くいたいし、とまでは口に出さず、小星は湖太郎の右腕を抱えた。湖太郎は首だけをマンションのほうに向けて何度か抵抗の意思を示したが、やがて諦めたように身体の力を抜いた。
「……ま、ちょっとだけなら」
「こっちっス、こっちっス〜」
2人の少女に両腕を抱えこまれた湖太郎は、しぶしぶ公園に足を踏み入れた。
「みんなで焚き火にあたって、おイモを食べて幸せになるっス〜」
美紗は童話の本を広げて2人に説明した。子供じゃあるまいし、と2人は思ったが、赤々と燃える焚き火の前でにっこりと微笑む彼女を見ていると野暮な反論をする気にはなれなかった。
……そして。
「あったかいよね、湖太郎ちゃん」
「……そうだね」
焚き火に両手を伸ばして暖を取りながら、複雑な表情で声を交し合う2人。その2人の周囲では、黒いドレスを着た美紗が身体を左右に振りながら円を描くように踊りまくっていた。昼間の公園の真ん中で、燃えあがる炎とその周りを踊り歩くドレスの少女の姿。本人は気にしていないようだが、湖太郎たちからすれば顔から火が出るほど恥ずかしい光景である。
「ほらほら、コタロー君も一緒に踊るっスよ」
「い、いや、僕は……」
「私もこのままでいいです……」
「そうっスか? 身体がポカポカになるっスのに」
残念そうな表情は一瞬だけで、すぐに心底楽しげな表情に戻って舞を続ける美紗。やれやれ、と言った風情で彼女を見やりながら、湖太郎は腕時計にちらりと目をやった。
「それじゃ僕、そろそろ……」
「はぅ、ちょっと待つっス! 今からおイモを焼くっスから」
去りかける湖太郎の声を聞いて思い出したらしい。美紗は去ろうとする湖太郎たちを制止すると、少し離れた木の脇から大きな紙袋を抱えて駆け戻ってきた。そして紙袋から3本のサツマイモを取り出した。
「焼きイモやるっス♪」
「でも僕、今日は時間が……」
「これからがメインっスよ」
美紗はサツマイモを焚き火のなかに放り込むと、ふたたび焚き火の周りを踊り始めた。湖太郎と小星は顔を見合わせた。
「……ねぇ湖太郎ちゃん、せっかくだから食べていったら?」
「無理だよ。焼けるまでにまだ時間がかかるだろうし、1口で食べるわけにも行かないんだから」
湖太郎の頭はもう塾の時間のことでいっぱいだった。小星にはその気持ちがよく分かった……だが、湖太郎のために焼きイモを作ってくれようという美紗の気持ちも、十分過ぎるほどに分かっていた。
「……行って、湖太郎ちゃん。こっちは私がどうにかするから」
「ごめん、小星ちゃん」
もはや逡巡している余裕は無い。湖太郎は小星に手を合わせると、美紗に向かって済まなそうに別れの言葉を告げた。
「美紗さん、本当に僕、時間がないんで……また今度ごちそうになります。今日はこれで」
「あぁっ待つっス、コタロー君!」
一度でも美紗の目を見てしまったら、もう逃げられなくなる……そのことを悟っている湖太郎は、すぐに背を向けると返事を聞かずに駆け出した。踊りを止めた美紗は湖太郎のほうに片手を伸ばし、どんどん小さくなって行く少年の姿に向かって精一杯手を伸ばして……そして糸が切れたように腕を落とすと、がっくりと膝をついて顔を伏せた。そんな彼女を見つめていた小星は、ためらいながらも恐る恐る美紗の傍に近づいた。
「み……美紗さん、あの、気を落とさないで……」
「……はうぅ、またコタロー君を幸せにできなかったっス……」
美紗さんには、ほんとうに湖太郎ちゃんの事しか見えてないんだね……胸の奥がちくちくと痛むのを感じつつ、それでも小星は努めて明るく振舞ってみせた。
「ね……ねぇ美紗さん、私、焼きイモ大好きなんです。これから一緒に作りませんか?」
「……でも……」
「美紗さん、以前に言ってましたよね。『自分が幸せでないとみんなを幸せにできない』って……だから元気出して。私、食べてみたいな、美紗さんの焼きイモ」
「……小星ちゃん……」
美紗は顔を伏せたまま、しばらくじっとして……そしてぶるぶると顔を左右に振ると、目のあたりをドレスの袖でぬぐった。それからぴょんと跳ねるように上を向いた彼女の表情は、もう小星のよく知っている美紗の笑顔だった。
「そうっスね、一緒に頑張るっス、小星ちゃん」
「……ええ」
自分の励ましで元気を取り戻した、年上の恋敵……嬉しいような哀しいような、そんな複雑な表情を小星が浮かべた、その瞬間。
しゃあぁぁ〜、じゅっ。
ホースからの水の音と、焚き火の消える音。あわてて美紗と小星が振り返ると、赤い炎は黒い煙と化し、オレンジ色に光っていた落ち葉は黒い濡れ落ち葉へと姿を変え、生焼けの焼きイモは泥水の中に埋もれてしまっていた。美紗の想いを瞬く間に水浸しに変えてしまった老人は、ホースを手にしながら彼女たちに向かって説教を始めた。
「この公園は火遊び禁止じゃよ。注意書きを見なかったのかね?」
「で、でもここだったら、火事にならなくてすむっスと思って……」
「近くに人家がなくたって、この公園には小さい子供も来るんじゃよ? 危ないじゃろうが」
目を大きく見開いたまま無表情になっていく美紗。ホースを持った老人から視線を移した小星は、そんな美紗の変化に愕然とした……可哀想すぎて、とても正視していられなかった。自分まで泣きそうになるのをぐっと堪えた小星は、小さな身体をいっぱいに使って美紗の肩を揺さぶった。
「美紗さん、美紗さん……立って美紗さん。お願いだから」
「……あ、あぅ……」
「約束したでしょ、一緒におイモ食べるって……連れてってあげるから。焚き火しても怒られない場所、一緒に探してあげるからぁっ!」
授業開始のチャイムが鳴り終わる寸前。残り数秒というタイミングで塾の自分の席に滑りこんだ樋口湖太郎は、全力疾走の直後で高ぶった鼓動を静めるように大きく息を吐いた。
「ま、間に合った……」
滑りこみセーフとは正にこのこと。マンションでエレベータを待ちきれずに階段を上り、靴を脱ぐ暇すら惜しんで自分の部屋に飛びこみ、塾までの道のりでは何度も信号無視を繰り返し……その労苦は無駄ではなかった。少しでもぐずぐずした行動を取っていたら、今回の模試には絶対に間に合わなかっただろうから。
《……これというのも》
脳天気な隣人の顔が浮かぶ。彼女が時と場合を選ばないのは毎度のことであったが、さっきの公園での出来事は極めつけだった。彼女は意識していないだろうが湖太郎にしてみれば迷惑千万である。時間がないんだと何度訴えたって聞き入れてくれないのだから。
《……でも、ちょっと冷たすぎたかな……》
頭の片隅に巣食った小さな後悔。たまには厳しい態度を取らなきゃ、と自分を正当化しても拭い去ることのできない、ささやかな心残り。あれからどうなったんだろう……小星ちゃんがうまくやってくれてればいいんだけど。
「おい、早く回せよ」
前の席から投げかけられた声が、湖太郎の物思いを断ち切った。湖太郎は机に伏せた顔を上げると、前の席から模試の問題用紙を受けとって、1枚抜き取って後ろに回した。そして顔を左右に振ると、両手で自分の頬を叩いた。
《頭を切り替えなきゃ……美紗さんには後で謝ればいい》
その頃。息を切らして座りこんでいるのは、湖太郎だけではなかった。
「はふぅ〜、疲れたぁ」
「てひひー、でもこれでオッケーっスよ♪」
場所は公園から少し離れた住宅街の空き地。古い家を解体して更地に戻したばかりの場所で、都会にしては珍しく地表が剥き出しになっており周囲に延焼する草木もない。落ち葉を別の場所から運びこんで来さえすれば、焚き火の場所として理想的だと思われた。だが“言うは易し、行うは難し”、公園からここまでの距離を落ち葉を抱えて4往復した小星の足はもうパンパンに張っていた。
「ういっス、それじゃスタートっス〜♪」
疲労でへたり込んだ植松小星とは対照的に、小星の倍以上の往復を軽々とやってのけた美紗は軽やかな足取りでステップを踏むと、集めた落ち葉にマッチの火を放り込んだ。火種は少し湿った落ち葉の上で少しの間だけ逡巡していたが、やがて黄色い落ち葉に燃え移って徐々に大きな炎へと成長を始めた。
《……いいのかな、ここ?……》
その炎を見て、小星はいまさらながら心配になってきた。『火気厳禁』の看板がなかったにせよ、ここはれっきとした私有地のはずである。美紗のために代わりの場所を見つける必要があったとはいえ、実際に焚き火が始まってみると不安が胸をよぎる……しかし、
「ひゃっほー♪」
満面に笑顔を浮かべて炎の周りを歩き踊る美紗を見ていると、まぁいいか、という気持ちもしてくる。すっかり元気を取り戻して、身体を抑揚させながら炎の周りを周回する美紗の姿は、本当に生き生きとして楽しそうだった。両手を翼のようにいっぱいに広げてくるくると回り羽ばたくようにしながら、木の葉のように上がったり下がったり進んだり戻ったりする彼女の踊りを、小星は半ばぼんやりしながら眺めていた。
「きれい、だなぁ……」
公園で焚き火の傍にいたときには気づかなかった恋敵の演舞を目の当たりにして、思わずそんな呟きを洩らしてしまう。自分の倍以上の回数をものすごい速さで往復した後だというのに、美紗の足取りにはふらつきなど微塵もない。焦点の定まらない瞳で焚き火と美紗を見ていると、なんだか美紗が沢山いるような……たくさんの美紗が炎の周りを手をつないで踊っているような、そんな感慨すら浮かんでくる。見たこともやったこともないけれど、どこか懐かしいような踊り……胸いっぱいの歓喜をそのまま全身で表現したらこうなるんだろうなって、素直に思えるような美紗の踊り。
……疲れて座りこんでいる自分が、ずいぶんちっぽけな存在に思えてきた。自分にはあんな風には踊れない。やったってきれいに見えるはずもない。私は背が低いし、足も短いし、顔もブスだし……だいいちあんな笑顔、作れるわけないんだもの。
「……ちゃん、小星ちゃん」
「……あ」
呼びかけられて我に返った小星が顔を上げると、美紗の丸顔が至近距離にあった。びっくりしてのけぞる小星の鼻先に、美紗は赤茶けた太い棒を差し出した。
「おイモ、焼けたっス」
「……え」
「小星ちゃん頑張ってくれたから、最初の1本あげるっス。はい」
こんがりと焦げた焼きイモが、目の前で白い湯気を上げていた。震える手を伸ばしてそれを受け取ると、小星は小さく口をあけて端のほうに噛みついた。
「……おいしい……」
「ひゃっほー、やったっスやったっス〜。じゃ次のを作るっスね〜」
美紗は元気よく立ち上がると、蝶のように舞いながら焚き火のほうへと戻っていった。そんな様子をぼんやりと見やりながら、植松小星はほかほかの焼きイモを両手で挟んで転がした。かじかんだ手のひらに鈍い痺れが伝わり、徐々に手先の感覚が戻っていく。指から肘、肩から胸へと焼きイモの熱気が伝わってきて、身体のこわばりがだんだん抜けてくるのが分かった。
「……うん、おいしい……」
《これって、確か……》
塾の先生が赤いチョークで書いていた問題。ここは大切だぞって言われていた問題。
樋口湖太郎は頭をかきむしった。一度覚えたはずの個所なのに、いざ本番となると頭からすっと出てこない。配点は決して小さくない。先生が予告した通りの重要個所が出題されたのだから、他のみんなはあっさりとクリアしている個所だろう。どうして自分はこう本番に弱いんだろうか。
《ええっと……》
考える問題ではない。思い出せるかどうか、オール・オア・ナッシングの状況である。残り時間が刻々と過ぎるなか、湖太郎はあの個所を授業で聞いたときの光景から思い出そうと精力を振り絞った。
《……うう〜ん……》
「イヤっス! 絶対この焚き火は消させないっス!」
「子供の遊びに付き合っちゃいられねぇんだよ。資材を運ぶ邪魔になるだろ。さっさとどきな」
その頃、空き地では小星の恐れていた事態が勃発していた。工事用ヘルメットを被った強面のおじさん数名が腰に手を当てて取り囲む中、必死に焚き火の前に立ちはだかる美紗の姿を、小星は空き地の隅ではらはらしながら見つめていた。
「いいかい、お嬢ちゃん。よそさまの土地に勝手に入りこむのはな、悪いことなんだよ。人が居なけりゃいいってもんじゃねぇんだ。あんたも大きいんだから分かるだろ?」
「もう他に行くとこなんか無いっス!」
「そんなことは俺たちの知ったことじゃねぇ。仕事の邪魔なんだよ。出ていきな」
おじさんたちの言うことが正しい、そう認めざるを得なかった。せっかくの焚き火が台無しになるのは可哀想だけど、本気で怒られる前に美紗さんを連れだそう……そう思って立ちあがり焚き火のほうに歩き出した小星であったが、続く美紗の言葉を聞いて思わず足を止めてしまった。
「ダメっス! この焚き火がないとみんな幸せになれないっス! 夜遅くまで頑張ってるコタロー君を応援してあげるっス! コタロー君に焼きイモ食べさせてあげて、みんなでぽかぽかになるっス!」
男たちの気迫に対して一歩も引かず、美紗は両手を広げて通せんぼをした。男たちは互いに顔を見合わせ……ぼそぼそと耳打ちをしてから、美紗のほうに向き直った。
「そうかいそうかい、感心だねぇお嬢ちゃん……それっ」
一転して口調を優しくし、美紗のほうに近づいた先頭の男……その男が素早く美紗の腕をつかんで引き寄せた。そして暴れる美紗を羽交い締めにした彼が首を縦に振るのを合図に、別の男が脇をすり抜けて焚き火に歩み寄った。その男の右手には、遠目にも中身が入っていると分かる水色のバケツが下げられていた。
「あっ……」
「ダメっス!」
2人の少女の叫びに耳を貸さず、男は水の入ったバケツを持ち上げて振りかぶった。小星は思わず両手で顔を覆った。
ばしゃあっ!
水音に続く一瞬の静寂ののち。小星の耳に最初に届いたのは、落ち葉の燃えるパチパチという音だった。おそるおそる目を開けると、尻餅をついた巨漢の男、空のバケツを掲げて唖然とする男、そして全身から水滴を滴らせながら焚き火の前に仁王立ちする美紗の姿があった。美紗にさえぎられて水没を免れた焚き火は、少し勢いを弱めながらも元気に炎を上げていた。
「小星ちゃんと約束したっス! コタロー君と一緒に焼きイモ食べるっス! コタロー君が帰ってくるまで、絶対この火は消させないっス!」
顔中をびしょびしょにしながら言い放つ美紗の姿は、白い後光が差したようにキラキラと輝いていた。美紗を羽交い締めにしていたはずの男は尻餅をついたまま、幽霊でも見たかのような表情でぶるぶると美紗のほうを指差していた。焚き火に水を放った男は美紗の気迫に押されたか、バケツを手から落とすとふらふらと後退して仲間の肩に倒れかかった。
《……美紗さん》
もう理屈じゃない。植松小星は焚き火に向かって駆け出した。男たちの間を縫って美紗の隣に駆け寄ると、小星は両手を胸の前に合わせてヘルメットの男たちに頭を下げた。
「お願いします、私からもお願いします……あと少しの間だけなんです。もう少ししたら、湖太郎ちゃんも試験を終えて帰ってくると思うんです。そしたら私たちで火を消して、ちゃんと片付けますから……今夜だけわがままを許してください。お願いしますっ!」
「お願いっス!」
しおらしくお辞儀をする小星の真似をする美紗。しかし彼女の瞳はメラメラと燃え、男たちを予断なく睨みつけていた。男たちはふたたび小声で相談をし……そしてしばらくして、潮を引くように焚き火の前から遠ざかっていった。1人だけ残った歳の若い青年が、肩をすくめながら2人に話しかけてきた。
「分かった。とりあえず今夜は、空いてるあの辺りに資材を積んでおくことになったよ。もともと今日は運んできた資材をこの場所に並べるだけで、実際に工事を始めるのは明日からの予定だったから……キミたちと場所の取り合いをするほど切羽詰った工事でもないしね」
「あ……ありがとう、ございますっ!」
「キミたちには負けた……その子のこと、頑張って応援してあげなさい」
「サンキューっス!」
深々とお辞儀をする2人の少女に手を振りながら、青年は空き地の前に停めてあるトラックへと戻っていった。頭を上げた美紗と小星は、どちらからともなく顔を見合わせ……そして力一杯抱きあった。
「やったっス、やったっス!」
「良かったね、美紗さん」
「小星ちゃんのおかげっス! コタロー君の焚き火、守れたっス!」
「ううん、私なんか……それより美紗さん、大丈夫?」
「うにゃ?」
抱擁を解いた美紗は、びしょ濡れの自分を見下ろして照れたように頭を掻いた。そして抱き合った小星までびしょびしょになっているのに気づいて目をむいた。
「はにゃにゃ、小星ちゃんまで濡れちゃったっス。ごめんっス〜」
「ううん、気にしないでください。私は平気……くしゅんっ!」
「それじゃ小星ちゃん、一緒に踊るっス♪ 焚き火の周りで踊ってれば服も乾くっスよ♪」
すっかり笑顔に戻った美紗は、いつもの強引さを発揮して小星を焚き火の傍まで引っ張りこんだ。
「……う、ううん、いいんです、私は……」
「身体があったまるっス。空を飛んでるみたいで気持ちいいっスよ〜」
美紗は小星と手をつないだままで、珍妙な踊りを再開した。美紗に振り回される形で小星もたどたどしくステップを踏み始めた。そんな2人を、空き地の入り口で資材搬入を続ける男たちが優しく見守っていた。
「ひゃっほー、うにゃにゃ〜ん♪」
「くしゅんっ!」
小さくくしゃみをしながらも、樋口湖太郎は満足した表情でマンションへの道のりを歩いていた。今日の模試はまずまず満足できる手応えだった。駄目かと思った問題の答えが、終了寸前になって遠いどこかから響く声のように湖太郎の脳裏に浮かんできてくれた。今日は何から何までギリギリセーフだったな……そう冷や汗をかきつつも決して悪い気分ではない少年であった。
「そういえばあの2人、どうしたかな……」
難関を突破した余裕からか、湖太郎は封印していた心残りに思いを馳せた。あれから3時間半は経っている。いくら美紗さんでも、今ごろは家に帰って紫亜さんと夕食を食べているだろう。紫亜さんのことだから美紗さんの気持ちを慮って、夕食のメニューに焼きイモを入れてくれたかも。小星ちゃんは……そうだよな、こんな遅い時間だもの。もうとっくに家に帰ってるはずだよね。
「てひひー」
……そんな少年が住宅街の道にさしかかったとき。湖太郎の背中から、聞きなれた奇声と柔らかい感触が覆い被さってきた。湯たんぽのように温まった彼女の体温が、ジャケット越しに湖太郎の背中に伝わってきた。
「お帰りっス。身体が冷え冷えっスね、コタロー君」
「み、美紗さん?!」
「待ってたっスよ。さぁ、焚き火のほうに来るっス」
彼女の出現よりもその言葉のほうに驚いて、湖太郎は美紗の引っ張る先に目をやった。住宅街の隙間にある空き地に赤々と燃える焚き火が見える。そしてその傍では、彼が後事を託したはずの同級生の少女がちぎれんばかりに手を振っていた。
「……美紗さん」
「こっちに来るっス、こっちに来るっス」
こんな時間まで自分を待ってくれた2人の少女の誘いを振り切ることなど、湖太郎には出来なかった。自分の予想が外れたことに不思議とほっとした気持ちを感じながら、少年は手を引かれるままに歩き出し……予想だにしない太い声を耳にして足を止めた。
「ヒューヒュー、憎いね色男!」
「こんな可愛い子たちの真心を無駄にするなよ!」
空き地の入り口では、資材の山に腰を降ろした土方のおじさんたちが焼きイモを手にして笑っていた。幾重にも交錯する彼らの視線と口笛を浴びて少年はたじろいだが、美紗の方はニコニコと手を振っていた。
「み、美紗さん。どうなってるんです?」
「みんなお友達っスよ♪」
気後れする少年を引きずるようにして、空き地に入りこみ焚き火のほうへと歩いてゆく美紗。品定めするような視線にさらされて少年は顔を真っ赤にした。そんな彼を、タンポポのような笑顔のクラスメイトが嬉しそうに出迎えた。
「湖太郎ちゃん、お疲れさま。とっても寒かったでしょ? 一緒に温まろうね」
「う、うん……」
小星ちゃんには美紗さんの面倒を頼んだはずなのに……すっかり美紗のテンションに染まってしまった小星をみて、湖太郎は苦笑せざるを得なかった。その彼の前に、もわっとした白い湯気と美味しそうな匂いが差し出された……視線を降ろした先には、出来立ての焼きイモとそれを差し出す小星の笑顔があった。
「てひひー、やっとコタロー君に食べてもらえるっス」
「おいしいよね、湖太郎ちゃん!」
2人の少女のみならず、土方のおじさん全員の視線が突き刺さる。その中心に位置する少年は、出来立ての焼きイモを1口だけほおばって飲みこんでから、率直な感想を口にした。
「……うん、おいしい」
「ひゃっほー♪」
「良かったあ〜」
少女たちの歓喜の声に合わせて、周囲から拍手が湧き起こった。少年はますます顔を赤くしながら、焼きイモの2口目を噛み締めた……ほかほかの焼きイモの暖かさが胸の辺りからじんわりと広がって行く。掛け値なしに美味しい秋の味。1口ごとに全身を包みこむ心地よい感触を、湖太郎は焚き火の熱と小星の焼き方の上手さゆえだろうと思った。
「それじゃ、私も食べてみるっス〜」
「美紗さん、湖太郎ちゃんと一緒に食べるんだって言って、今まで1本も食べないで待ってたんだよ。みんなの分を焼いてくれてばかりで」
小星の言葉に愕然と振り向く湖太郎。だが美紗は平然とした表情で、焚き火の中からひときわ大きい焼きイモを串に刺して取り出すと、大きな口を開けて頭からかぶりついた……そして火傷しないかと気遣う湖太郎たちの心配をよそに焼きイモから顔を上げると、焚き火の炎を背負った美紗はヒマワリのような笑顔を浮かべた。
「甘いっス〜、バッチリっス〜!」