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みそっかすの励まし方

初出 2001年07月02日
written by 双剣士 (WebSite)
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 この小説は、Lesson21「元気の出る怒り方」と22「天使の見つけ方」(ともに単行本4巻に収録)を別の角度から見て新解釈を加えた、補間ストーリーです。ネタバレのおそれが強いので、原作コミックを未読の方はご注意ください。


 天使の試験の合格発表があって、しばらく経ったある日。親友の美紗から私の部屋に連絡があったのは、その日の夜遅くだった。連絡がないのを心配していた私は、すぐにモニターに飛びついた。
「さっちゅん、ちわっス。てひひー」
 明るい言葉とは裏腹に、モニターに映った美紗の表情は沈んでいた。無理もない、あんなに楽しみにしてたのに……私は慎重に言葉を選びながら、出来の悪い親友に向かって話しかけた。
「美紗、あのさ……気を落とさないでよね。まだまだ、いくらでもチャンスはあるわけだし……」
「……うん」
 美紗が天使の試験に落ちたことは、天界でもちょっとした噂の種であった。もっと正確に言うと、懲りもせずにまた試験を受けに来たこと自体が嘲笑の対象になっていた。美紗本人もそのことはわきまえているらしく、私が彼女の試験結果を知っていることについて不思議がる素振りは見せなかった。
「でもさ、意外と元気そうで良かったわよ。夕べ連絡がなかったから、もっと落ち込んでるかと思ってたんだ、私」
「コタロー君が励ましてくれたっスよ」
 コタロー君。美紗が下界に降りて以来、毎日のように口にする少年の名前。天使になってコタロー君を幸せにしてあげたい、と美紗は口癖のように言っていたっけ。
「そうなんだ。良かったね」
 内心の動揺を親友に悟られないように気をつけながら、私は口先だけで調子を合わせた。

                 **

「……でもね、私はやっぱり天使になりたいっス。早く一人前になりたいっス」
「……うんうん」
 美紗の話に相づちを打つ私。実はこれはこれで大変な作業だったりするのだ。なぜなら私は知っているから……今のままの美紗じゃ、何回試験を受けたって天使にはなれっこない。そのことが、先に試験をパスした私には痛いほど分かるから。
「試験の範囲が『幸せについて』だって聞いて、コタロー君と一緒に勉強したっスよ。すっきり理解できたのはコタロー君のおかげっス。でも落ちちゃったっスけど、てひひー」
 そりゃあ落ちるわよ……って言えたらどんなに楽か。でもそれじゃ、私も他の天使たちと同じになってしまう。あの子はこういうことになると頑固なタイプだし、それに自分で気づかなきゃ意味がないことって、あるし。
「で、コタロー君はなんて言って励ましてくれたの?」
「次の機会に頑張ればいいって。頭を切り換えないと仕方ないって……すっごく力強く、そう言ってくれたっスよ。それで私も、頑張らなきゃって思って」
 ぱあっと花が咲いたように表情を明るくする美紗。コタロー君の話になると、この子は本当に嬉しそうな顔をする。釣られて私まで声が弾んでしまうほどに。
「ふ〜ん、良いこと言うじゃない、あの不思議少年」
「あのふし……なんスか、さっちゅん?」
「あ、ううん、こっちの話」
 美紗が天使の試験を受けてる間に、私とコタロー君が顔を合わせたことは美紗には話してない。こんなことで美紗と気まずくなるのは嫌だったし……それにコタロー君のそばにいたあの黒猫と女の子の話も、しなきゃならなくなるだろうし。試験中の美紗に話すのは酷かと思って隠しておいた、そのときのまんま。
「だったら頑張るしかないよね。コタロー君が応援してくれるんだもん、美紗も期待に応えられるよう頑張らなきゃ」
 偽善……そんな言葉が頭をよぎる。てるてる坊主の髪飾りは渋い表情をしてるかも知れない。美紗とつきあうようになって、気をつけてはいるんだけど。
「……でも……」
 すると一転、美紗の表情が曇った。さては私の内心を見透かされちゃった?……私はあわてて言葉を繋いだ。
「あ、ごめんごめん。美紗とコタロー君があんまり仲良さそうにしてるもんだからさ……」
 嘘を塗り固めるための嘘。しかし美紗は私の言葉を遮って、ぼそぼそと言葉を紡いだ。
「コタロー君のために頑張るって言ったら……コタロー君、怒っちゃったっス」
「えっ?」
「僕のためじゃなくて、自分のためでしょって……コタロー君、そう言ったっス。誰かに幸せにしてもらうなんて嫌だって……」
「…………」
「でも私、コタロー君に幸せになって欲しいっス。一人前の天使になって、コタロー君を幸せにしてあげたいっス。さっちゅん、間違ってるっスかね?」
「…………それが、美紗の夢だもんね」
 肯定も否定もせず、私は小さくため息をついた。コタロー君の言ってることは正しい、何も事情を知らずに口にした言葉とはいえ……そこが天使の試験に受かるために肝心な部分なんだもの。美紗がみそっかすである所以だもの。
 でも……それを認めたら、美紗は美紗でなくなる。さっき言ったことは美紗の本心であり、美紗を美紗たらしめている根っこであり……だからこそ、あの子は簡単には譲らないだろう。その頑なな姿勢が、美紗に私以外の友人が居ない理由だし……下界に留学に行くなんてことをあの子が言い出したのも、そのせいだし。
 どうしよう?
 あの子があの子らしくある限り、天使の試験には受からない。でも美紗の考えを変えるよう忠告すれば、他の天使たちと同様に美紗との仲が壊れる。美紗はますます下界に深入りするようになり、天使になる夢からますます遠ざかってしまう。
「……でも、コタロー君の言うことにも一理あるかもよ」
 ちょっと迷った末に、ずるいと思いながらも、私はコタロー君の言葉を利用させてもらうことにした。私じゃダメでもコタロー君が言うのなら、ひょっとしたら美紗の考えを変えられるのかも……そんな淡い期待を持って。案の定、美紗にとっても彼の言葉は重くのしかかってるみたいだった。
「それでね、コタロー君が帰ってから考えたっスよ。私がやってること、我儘なのかなって……おせっかい、なのかな、って……」
 声を震わせながらつぶやく美紗。私は黙ったままその様子を見つめ続けた。可哀想だが逃げちゃいけない。さぞかし辛いだろうね、美紗。でもいつかは通らなきゃならない関門なんだよ……そんなことを考えながら、せめて目を逸らさずにいてあげることで美紗の力になりたい、そう思った瞬間。
「でね、考えたっス。コタロー君を幸せにするのが私のお仕事だって説明すれば、分かってもらえるんじゃないかって」
 はっ?……呆然とする私の耳に、脳天気な親友の言葉が突き刺さった。
「それでね、私……自分が天使だよって、コタロー君に話すことにしたっスよ」
「……なんで、そうなるのよっ!」
「うにゃ?」
 思わず大声を上げてしまった私を、モニターの向こうの親友は不思議そうに見つめていた。

                 **

 天使の仕事は、神様のお供。
 人間を幸せにするってのは神様のお役目を一時的に代行するに過ぎず、天使の仕事の中ではあまり重要視されていない事柄。
 人間を幸せにするために天使になりたいってのは、そもそも出発点が間違っている。
 それに私たち天使は、人間の目には見えない存在。
 天界から見下ろして気に入った人間に幸せを授けることは許されても、特定の1人に執着することは固く禁じられている。それは守護霊の役目であり、天使の職域じゃない。
 ましてや、自分自身がその1人と並んでいる幸せの絵図を思い描くことなど、許されることではない……。

                 **

 ……という摂理を教えられて納得できるようなら、あの子は下界に留学しようなどとは思わなかっただろう。それに正直言うと、あの子のように振る舞えるのって、ちょっぴり羨ましい気もするし。
「それで、次の日の放課後、コタロー君に羽をみせようとしたっスけど……」
 美紗の話はまだ続いていた。だが先ほどの脳天気な表情は影をひそめ、泣くのをこらえているような寂しい笑顔に変わっていた。我に返った私は、わざと明るく先を促した。
「それで? コタロー君は何だって?」
「……うん……見せたっスけど……」
「どうなのよ? コタロー君、喜んでた?」
「……てひひ……でもコタロー君に嫌がられちゃったっス……てひひひ――」
 美紗は寂しそうに笑っていた。嫌がる? ちょっと予想もしてなかった反応。だってコタロー君なら、私が声を掛けたときにも別に驚いてなかったし、怖がったりもしなかったのに。天使の私が見えるくらいだから、きっと普通の人間に見えない色々なものを見慣れてるんだろうなって、そう思ってたのに。
「ふ〜ん、そりゃ残念ね……だけどさ、きっとびっくりしただけだと思うよ。普通の人間は羽なんて生えてないんだしさ」
「でも……」
 こういうときの美紗は頑固だった。人間であるコタロー君に天使としての自分を認めさせる……コタロー君との結びつきをより強めることになる美紗の行為は、一人前の天使になるための条件からはますます離れていく方向だと思う。だけど、あの子なりに思い詰めた末の行動なんだよね……これでも。
「コタロー君とは天使になったらお別れだから……それまでに認めてもらいたいっス……」
 そう。天使になることがコタロー君と離れることを意味するってことくらいは、あの子だって分かってるんだ。理屈では分かってるんだ。
「……私を」
 でもね美紗。大切なところを勘違いしてるんだよ、あんた……無事に一人前の天使になるまでは彼のそばに居られると思ってるみたいだけど、そうじゃないの。天使候補生のうちで、一人前の天使らしい行動をとれるようになった者の中から、試験の合格者が選ばれるの。天使になる前から天使らしく振る舞わないと、いつまで経っても試験には受からないの。そこにさえ気が付けば……。
「ちゃんと……天使だよって……」
 モニター越しに光る美紗の涙。それを見た途端、言おうとしかけていた野暮な忠告は喉の奥へと引っ込んだ。そう、本当に野暮な忠告……だって美紗の望みは、コタロー君を幸せにすることなんだもの。間違っていようがなんだろうが、そのために天使になりたいと思ってるんだもの。だったらそれでもいいじゃない。そんな子が1人くらい居たっていいじゃない。
 ね、美紗。ひょっとしたらあんた、天使になれない今のままの方が幸せなのかも知れないよ……。
「でも美紗さ……あのコタロー君でしょ――ヤバイかもよ――」
 泣いている美紗の前で、こっちまで暗い顔をするわけにはいかない。私は瞳を伏せると、わざと軽い調子で慰めの言葉を掛けた。そう、多分いまのままでいい……美紗が天使であることがバレたら、天使になる美紗の夢はいっそう遠のく。また“お仕事”で接していると知らされたコタロー君も、きっと傷つく。コタロー君が深く考えないでいてくれるなら、その方がいい。
「ひょっとしたら……死ぬまで気づかないかも……」
 コタロー君がいつまでも気づかないでいてくれたらいいのに。そんな願望を込めた言葉をつぶやきながら、私はゆっくりと目を開けて……。

 あれ? モニターが真っ黒?

 何があったんだろう。美紗の姿は忽然と消えていた。モニターの脇で『通信不良』のランプが点滅している。あっちで何があったの?……胸騒ぎがして私は身を乗り出した。その瞬間、向こうの音声だけが鮮明に聞こえてきた。

「コタロー君っス、コタロー君っス、てひひ――」

 瞬時に脱力した。あほらし、心配して損した……見えなくたって状況は分かる。コタロー君が現れたんで、美紗のやつ、モニターを放り出して彼のほうに飛んでいったんだ。
 まぁ、あの子らしいって言えば、らしいけどね。
 モニターのスイッチを切りながら、私は少しだけ暖かい気持ちになった。出来損ないの、みそっかすの美紗……そんな親友のことが、なんだかいじらしく、ちょっぴり羨ましく思えた。

 美紗、あんた……幸せだよ、きっと。

Fin.

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