寄宿学校のジュリエット SideStory  RSS2.0

垣根を越えて

初出 2016年02月14日@止まり木バレンタイン合同本2016
サイト転載 2017年01月09日/呼称訂正 2017年01月17日
written by 双剣士 (WebSite)
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 東の東和国と、西のウエスト公国。海をはさんで向かい合う二つの国は、不倶戴天の宿敵同士である。幾星霜にもわたる戦争や遺恨や因縁が積み重なり、行政府はもちろん民衆や社会風土に至るまで互いの名を聞けば唾を吐きかけるほどに憎しみあっている。とはいえ嫌っているからと言って国ごと引っ越すわけにも行かぬため、両国は緊張と衝突と妥協を繰り返しつつ数百年にわたって向かい合ってきたのであった。
 そんなわずかな弛緩の時期に「このままではいけない」と考えた両国政府は、両国の中間に位置するダリア島に『ダリア学園』を設立し、国の未来を担う若者たちを交流させることを目論んだ。諍いの種を無くすことは出来ずとも減らすことは出来るはず。固定観念や宿怨などに縛られない若人たちを同じ学校で学ばせることで少しずつでも絆や信頼感を育むことができれば……国の将来を憂う老人たちがそう期待を寄せるのは無理からぬことだっただろう。
 あいつらと顔を合わせるなんて真っ平御免、という国民の反発を和らげるために、ダリア学園には国一番の名門校という格式が与えられ、王族や財閥子弟を半強制的に通わせる制度が設けられた。教室以外でも若者たちが互いを知る機会を増やすよう、完全寄宿舎制の小中高一貫教育を行う体勢が整えられた。若者向け強制収容所という悪名を振り払うべく、それぞれの国の寄宿舎には国旗が掲げられ、各学年ごとに選ばれたリーダーの元に誇りを持って秩序だった学園生活を営める環境も作られた。


 だが老人たちは失念していた……政権や両国関係はいずれ代わること、そして誇りを持った若者たちほど大人の意向に染まりやすいと言うことを。両国融和を狙いとしたはずのダリア学園ではいつしか、東和国専用『黒犬の寮』とウエスト公国専用『白猫の寮』の生徒同士が派閥に別れて互いを敵視し、教員たちの目の届かぬところで喧嘩と悪口をぶつけ合うのが恒例行事、いや伝統にして崇高な責務と認識されるようになっていた。なまじ国旗と名誉と秩序を与えたことが完全に裏目に出てしまい、寮生たちの争いは国家間の代理戦争とも言うべき『引くに引けない戦い』の様相を呈するまでになってしまっていた。
 そして、その戦いを先導するのが各学年のリーダーの役割である。国の威信を背負って戦うリーダーには、同胞の中でも飛び抜けた才覚と人望、そして臆することなく最前線に立って敵陣に切り込む度胸と実力が求められる。敵に敗れることはおろか弱腰になることすら許されない、当然ながら敵国の者とは友情どころか馴れ合いすら成立しない……それがダリア学園に暮らす者たちの『掟』であり『宿命』なのであった。

    **

 とはいえ同じ学園である以上、寮以外の施設の多くは共用である。そんな施設の一つである礼拝堂の懺悔室の中で、一組のカップルが人目を忍んで肩を寄せ合っていた。
「こうして隠れて会うのにもだいぶ慣れたよな、ペルシア」
「気を緩めないで。このことが誰かにバレたら私たち破滅なのよ」
 少年の名は犬塚露壬雄いぬづか ろみお、少女の名はジュリエット・ペルシア。彼らはそれぞれ黒犬寮と白猫寮の高等部一年生リーダーであり、公の場では何度も一騎打ちをしている宿敵同士であるが……裏ではこうして密会を重ねている恋人同士である。彼らの名前が某有名戯曲のカップルの名前そのまんまであることは原作者の趣味だが、取り巻く環境はより過酷と言えよう。なにせ家同士ではなく国同士が敵なのだ。
「まぁ何とかなるって。言ったろ、世界を変えてやるって」
「言うだけで変わるなら苦労はしないわよ。で、何? 大事な用って」
 犬塚からの熱烈告白で成立したカップルだけに、基本的に犬塚は夢見がちで楽観主義、ペルシアはクールで現実主義な物言いをする。とはいえ交際を重ねるうちに、学年リーダーとしての表の顔とは異なる互いの仕草や表情を目の当たりにした若い二人の仲は、つきあって数ヶ月経った今でもアクセルべた踏みの急加速中なのであった。
「いや、その……明日、アレだろ? もしかして期待しても良いのかなって」
「アレって何?」
「何って……ウエストには無いのか? バレンタインデー」
「何それ?」
「だからさ……」
 照れ混じりの犬塚の説明を聞かされたペルシアは、呆れたように目の前の彼氏を見下ろした。恋人に向けるには失礼な態度だが、金髪の超絶美少女がやるとサマになってしまうから困る。
「女の子から告白って……ずいぶんとはしたない風習があるのね、東和国って」
「はしたないってか……そりゃ東和だって男からの告白が普通だけどな、年に一度の貴重な例外の日って言うか、そのぉ……」
「野蛮国の東和では例外もありでしょうけど、ウエストにはそんなの無いわよ。ましてや伯爵家の私がそんなことをするなんて考えられないわ。お父様に知られたら一発退学のうえ地下牢に幽閉されちゃうでしょう」
「そ、そんな大げさな……」
 犬塚にしてみれば長年憧れていた少女とついに恋仲になって、初めて迎える一大イベント。通常のデートと違って男の側で段取りすることが出来ないだけに、期待と不安を半々に抱えながら問いかけてみた訳なのだが……これほど強烈な拒絶に会うとは思ってもみないことだった。
《ペルシアが退学になったんじゃ元も子もない、あきらめるしかないのか……でも食べたかったなぁ、ペルシアのくれるチョコ》
 乙女以上にロマンチストなところのある犬塚が大きな背中を丸めてがっくりと肩を落とす。するとそんな彼の表情を下から覗き込んだペルシアの口から、思いがけない言葉が飛び出した。
「……なんてね。いいわよ、作ってあげる」
「え?」
「あり得ないおつきあいをしてる私たちですもの、いまさら常識ぶっても仕方ないわよね。あなたの落ち込む顔なんて見たくないし」
「……ペルシア!」
 感極まって抱きつこうとする犬塚の肩を押し留めながら、ペルシアは慌てて言い繕うのだった。
「あ、あの、でも、私、お料理ヘタだからね! 変な味でも落胆しないでね!」
「なんだっていいさ! ペルシアがくれるんなら」
「……そこまでハードル下げられると複雑な気分なんだけど」

    **

 そして翌日。バレンタインデー当日の朝である。浮かれ気分を隠しきれずに黒犬寮の個室のドアを開けた犬塚の前に、一人の少女が立っていた。
「おはよう犬塚! バレンタインの義理チョコだゾ♥」
「わっ……あ、あぁ、蓮季か」
 彼女の名は蓮季はすき。犬塚の黒犬寮での同志であり、数少ない親友である。大きな黒い瞳をくりくりと回して犬塚の表情をうかがう様子は、まるで主人を慕う子犬のよう。彼女もまた犬塚のことを『一番の親友』と称しているが、それが犬塚の言葉と同じ意味でないことは犬塚を除く黒犬寮の全員が知っている。
「ほらほら、特大の義理チョコなんだゾ! ありがたく受け取るがいいんだゾ」
「あ、あぁ……サンキュな、蓮季」
 初等部で知り合って以来、毎年のように行われる特大義理チョコの贈呈儀式。だが犬塚の表情に去年までとは違う落胆の色がかすかに混じったことを、つきあいの長い蓮季は鋭敏に見抜いた。
「……ペルシアじゃなくてガッカリしたのか?」
「ちょ、蓮季、おま、こんなとこで……」
「分かってる。聞いてるやつは誰もいないゾ」
 犬塚とペルシアの仲を知っているのは、黒犬寮の中では蓮季だけ。親友の蓮季にだけは隠し事をしたくないという犬塚の言い分に、親友以上の感情を抱いていた蓮季は痛く傷ついたのだが……犬塚が破滅する引き金を引くわけにも行かず、渋々ながら犬塚とペルシアの仲を隠し通すことに同意したのであった。誰も居ないところで皮肉をぶつけるくらい可愛いものだと言えよう。
「大丈夫だって。蓮季のチョコは義理チョコだって前から言ってるだろ? 本命チョコは本命からもらえば良いんだゾ」
「……蓮季」
「そんな顔すんなって。義理チョコ受け取ったくらいで浮気にはならないから、素直に受け取ってればいいんだゾ」
 立ち尽くす犬塚に笑顔でそう言うと、蓮季は表情を隠すように背中を向けてスキップで数歩犬塚から離れた。そして再び振り返った蓮季の顔には、いつもと同じ満面の笑みが浮かんでいた。
「あっ、でもでも、今日最初に犬塚にチョコ渡したのは蓮季だからな? しっかり覚えておくんだゾ?」

    **

 ここで時を少しさかのぼる。
 犬塚と分かれて白猫寮に戻った後、さっそくチョコレートの材料を買いに行こうとしたペルシアは、途中でスコットに呼び止められた。
「ペルシア様! 聞きましたか、黒犬の連中が気もそぞろになってる明日のイベントのことを」
「明日のイベント?」
 内心の動揺を押し隠してクールに返事をするペルシア。同じ貴族出身のスコットはペルシアに恩を感じており、ペルシアのためなら火の中水の中とばかりに忠臣のごとく後を付いてくる少年である。ペルシアにとっては背中を預けるほどには頼りにできない同級生だが、学年リーダーという立場上あまり無下にするわけにも行かない。
「そうです! 黒犬では明日はバレンタインデーとかいう、野蛮で下等な風習がある日らしくてですね。好きな女の子から男の方にチョコを渡してもらえるとあって、その幸運にあずかれるのは誰かと男どもは皆浮き足立ってるらしいのですよ」
「……へぇ、そうなの」
 一番浮き足立ってるのは向こうの学年リーダーその人です、と言うわけにも行かず生返事をするペルシア。そんな彼女の気も知らずスコットは畳みかける。
「これはチャンスです! やつらが身内の色事にかまけて腑抜けになる明日こそ、我ら白猫との格の違いを見せつける絶好のチャンス! 今夜のうちに体勢を整えて、明日さっそく攻め込みましょう!」
「……止めときましょう」
「は?」
 意外な返答に唖然とするスコットに対して、ペルシアは使い慣れた学年リーダーの口調で屁理屈を並べ立てた。
「戦術と戦略を履き違えてはいけないわ、スコット。黒犬の連中を明日で根絶やしに出来るなら弱点を突くのもありだけど、そうじゃないでしょう? 不意打ちは高貴なる白猫の流儀ではないわ」
「しかし……」
「弱点を突く前に自分の長所を伸ばしなさい。慢心こそが一番の敵なのよ」
 その敵国の色事に協力すると数十分前に言った口から、次々と出てくる建前の数々。ペルシアは軽い自己嫌悪に陥った。だがそんな彼女の気持ちなど知らぬスコットは、しばし目をパチパチとした後で大きく首を縦に振った。
「分かりました、さすがペルシア様。腑抜けた黒犬どもと同レベルに落ちることなく、自らを引き締めよと言うことですね。ではさっそく行って参ります!」
「行くって、どこに……?」
「もちろん白猫男子の引き締めにですよ。嘆かわしいことに一部の者からは、白猫内でもバレンタインなる風習を広めようと言いふらす輩がいるそうですのでね。鉄拳制裁を食らわせてやろうかと」
「……え?」
「お任せくださいペルシア様。黒犬どもの軟弱な風習に白猫が染まらぬよう『ペルシア様の名の下に』性根をたたき直して参りますので。では失礼します!」
「ちょっ……」
 晴れやかに胸を張りながら白猫寮に戻っていくスコットを、今度はペルシアの方が呆然と見送ることになった。そして自分の吐いた建前がブーメランのように自分自身に突き刺さったことに気づいたペルシアは秘かに身震いをした。
《こ……こんな空気になっちゃったら、チョコレートの材料を買い集めるなんて出来ないじゃない!》

    **

 そして再び時は進んで、バレンタインデー当日の昼間。
 ダリア学園の教室はチョコのやりとりをする黒犬の男女と、それを冷ややかに見つめる白猫の男女によって生暖かい空気が醸し出されていた。両者の間には透明の厚く堅い壁があり、黒犬の中にもモテる者モテざる者との冷たい壁があった。もっとも黒犬男子全員に『普通の義理チョコ』をせっせと配る蓮季の精力的な働きにより、後者の壁の方は白猫に付け入られない程度には薄められていた。
 肝心の犬塚はというと、例年通りモテないグループに属していながらも(蓮季からの分はノーカン扱いされていた)最初の方は鼻の穴を膨らませて余裕綽々の表情を浮かべていた。だが授業が先に進むにつれて彼の表情には絶望と空元気とが交互に現れるようになり、その落差はだんだん大きくなっていった。
 理由は簡単、ペルシアが一向にチョコを渡しに来ないからである。
《分かってる、オレたちの仲は秘密だもんな。人目のあるとこじゃペルシアだって渡しに来れないよな……でもあいつらの軽蔑しきった表情をみてると、バレンタインなんてスルーして当然と思われてるかも……あぁいやいや、ペルシアは昨日約束してくれたんだから、オレだけは信じてやらないと……でもペルシアのやつ、その気があるなら目配せでも何でもサインを送ってくるはずだよな。それがないってことはまさか……いやいやオレが疑ってどうする……》
 疑心暗鬼を振り払おうと頭を抱える犬塚。休み時間、昼食時間、教室の移動時間……あらゆる機会を縫って犬塚は黒犬の集団を飛び出し、ペルシアが追ってくることを信じて人気の無い区画へと足を運び、チャイムギリギリになって汗だくで教室に戻る動きを繰り返した。だがペルシアはそんな彼に一瞥すら与えることなく、厚く堅い壁の向こうで超然たるリーダーの姿勢を崩さずに佇むばかりであった。
 そしてそんな二人のことを、哀しげに見つめる一対の黒い瞳があった……。


 そして放課後。犬塚は脱兎のごとく教室を飛び出すと、ペルシアとの密会場所の一つである礼拝所へと向かった。だがまだ陽が沈むには早い時刻、授業を終えた白猫や黒犬の生徒たちが代わる代わる礼拝所を訪れてくる。そのことごとくを狂犬のような一睨みで追い返しながら犬塚は待ち続けた。しかし待望の想い人はいつまで経っても現れず……やがて犬塚の脳裏にメフィストフェレスのささやきが宿る。
《くそっ、ペルシアとサインを交わさずに礼拝所に決め打ちしたのは失敗だったか……他にあいつが来るとしたら休憩所か? 橋の下か? あるいは……》
 もしかしたらペルシアを待たせているかもしれない。あるいは別の時間帯にここに来れば出会えるかもしれない。一度そう思ってしまったらもう止められなかった。犬塚はペルシアとの密会に使った場所へと走り、落胆する間もなく次の場所へと走った。メッセージを書き残したいのは山々だが人目に触れるリスクを考えるとそれは出来ない。候補地が複数あり身体が一つしかない以上、網を広げて待ち続けるしかないのだった。
《ペルシア……オレ、信じてるからな。今日中にどこかで会えるって信じてるからな。今日のこの日を迎えられた奇跡を思えば、走るくらい何てことないからな!》
 ペルシアが教室から直接白猫寮に帰るという可能性を強制排除した犬塚にとっては、馬鹿げていようがあらゆる場所で待ち続ける以外の選択肢は残されていなかった。

    **

 やがて。陽がとっぷりと暮れ、夕食もとっくに終えた時間帯に、黒犬の制服を着た一人の女子が白猫の寮の前に現れた。
「ペルシアはどこにいる?」
 敵地に単身乗り込んだ少女からリーダーの名が指名される。決闘の申し込みだと解釈した白猫の面々は、一人で個室に閉じこもっていた一年生リーダーを呼び出して玄関へと導いた。綺麗な金髪をボサボサに乱した姿を現したペルシアを見た途端、勇気ある乱入者は金切り声を上げた。
「お前、なんでこんな所にいるんだ!」
「……?」
 呼び出しておいて何をいまさら、と訝しむ白猫の生徒たちに囲まれながら、ペルシアだけは自分をにらみつける黒犬の少女……蓮季の真意を感じ取った。
 経緯はよく分からないが、彼女は知っている。自分が犬塚との約束を破ったことを知っている。
 チョコを用意できなくて合わす顔がなかった、犬塚に謝るチャンスがなかった、なんて言い訳にもなりはしない!
「ちょっとツラ貸せ」
「……わかったわ」
「ちょ、ペルシア様、何もこんなやつとタイマン張らなくても。こんなやつ我々で十分……」
 色めきだつ白猫の生徒たちを、ペルシアは片手で制止した。
「心配いらないわ。この私が犬塚の金魚のフンごときにやられると思って?」
「し、しかし……」
 頼もしげな口調とは裏腹に《この子には二・三発叩かれても仕方ない》と覚悟を決めたペルシアは、夜の林へと向かう蓮季の後に続いた。


 林の中の休憩所。犬塚とペルシアが密会する場所の一つに蓮季はペルシアを導いた。いくら親友だからと言っても、この場所のことを犬塚が蓮季に話すとは思えない。おそらく蓮季は自力で見つけたのだ、犬塚の後を追って。
《どうして、なんて……聞くだけ野暮よね》
 自分と犬塚の関係を知った蓮季が、犬塚の胸で泣きじゃくる姿をペルシアは見ている。いまさら謝って済む関係じゃないことは分かっていた。自分の非を自覚しつつも、ペルシアは憎まれ役を演じると覚悟を決めた。
「……それで、私に何の用かしら?」
「犬塚がお前を探してる」
「……えぇ」
「今日がアレの日だって、知ってるんだろ?」
「……えぇ」
「犬塚のことだ、お前に何を頼んだかは想像がつく。なんで逃げる?」
 『逃げる』。ウエスト貴族にとって屈辱的な決めつけをぶつけられても、ペルシアは反論の言葉を持たなかった。
「……ごめんなさい」
「謝るなぁ!」
 ばっと振り返る蓮季に、叩かれると反射的に身をすくめたペルシア。だが痛撃は飛んでこなかった。恐る恐る開いたペルシアの瞳には、涙を一杯に溜めた蓮季の絶叫が映った。
「犬塚はずっと楽しみにしてたんだゾ、初等部でお前に出会ってから十年間ずっと、今日みたいな日が来るのを夢見てたんだゾ! あいつを裏切るなんて蓮季が許さない!」
「十年間……?」
「そうだゾ! 敵のお前なんかを好きになって、いっつもお前のことばっかり追いかけて! 一年生のリーダーになったのだって、自分以外のやつにお前を殴らせないためなんだゾ! お前が思ってるよりずーっとずーっと、犬塚はいいヤツなんだゾ!」
 ペルシアは押し黙るしかなかった。犬塚が自分のことを見ているのはライバル心ゆえだと、告白されるまでずっと思いこんでいた自分が恥ずかしくて。そしてそれだけ犬塚のことを知っている蓮季は……きっと自分の何百倍も、犬塚のことを真剣に見つめ続けていたのだろうと気づいて。
「……言い訳は許さない。もうじき犬塚はここに来る。寒かろうが怖かろうが、ここであいつを待ってろ」
 しゃべり過ぎたと思ったのか、照れたような口調で蓮季はそう言い放つと、ペルシアの返事を待たずに背を向けて歩き出した。そしてしばらくして振り返ると、あかんべぇをしながらペルシアに憎まれ口を叩いた。
「お前なんか犬塚に振られちゃえ! ばーか!」

    **

 そして。蓮季が去ってから五分もしないうちに、休憩所に犬塚が現れた。探し続けた想い人とようやく出会えた犬塚は安堵の笑みを浮かべた。
「ペルシア! 良かった、待っててくれたんだな! 本当に良かった!」
 彼の笑顔があまりに眩しすぎて、ペルシアは視線を逸らしてうつむくしかなかった。この人はどこまで真っ直ぐなんだろう。それに引き替え自分は……。
「……ごめんなさい」
「いやぁ良かった。もう夜も遅いし、待たせ続けたペルシアに何かあったらと気が気じゃなかったぜ! こんなことなら待ち合せ場所を決めとくんだったな」
「ごめんなさい。あなたに渡すチョコ……」
「え? あぁ、いいんだいいんだ。また失敗したんだろ? お前と無事に会えたんだからそれでいいよ」
「……え?」
「走り回ってるうちに細かいことはどうでも良くなったから! さぁ帰ろう……って、オレと一緒に白猫寮に行くのはマズいか、アハハ」
 ……もうダメ。私この人にハマる。
 顔を上げたペルシアの瞳に、汗だくで荒い息をつく犬塚の姿が映った。長年の確執も貴族の誇りも、光り輝く彼の汗の前では全てが色あせて見えた。夢の中に居るような気分のまま、ペルシアは声を震わせてつぶやいた。
「すごい汗……」
「え? あぁ、たいしたことないって」
「拭いてあげるわ。そこに座って」
 ベンチに腰を下ろした犬塚に近づいたペルシアは、手にしたハンカチを彼の首筋に当てて……

  そのまま首を引き寄せて犬塚の頬にキスをした。

「えっと……ウエストでは女性から贈り物する時点で求婚と同じだから……これでチョコの代わりにして……」
 一瞬で全身の血液が沸騰して幸せそうに倒れ込む犬塚に向かって、ペルシアは夢見るようにつぶやくのだった。



「こらーっ、そこまでしろなんて言った覚えないんだゾ!」
 物陰から飛び出してきた蓮季の声は、月夜に照らされたカップルのどちらにも届いていなかった。


Fin.

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