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若者のうた prelude

初出 2008年05月02日
written by 双剣士 (WebSite)
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 この物語は「ハヤテのごとく!」本編の17年前、三千院紫子さん(ナギ母)や鷺ノ宮初穂さん(伊澄母)が青春を送っていたころの出来事を描いたものです。



(1)

「あら……」
 少女はぽつんと立ち止まって、キョロキョロとあたりを見まわした。陶磁器のように透き通った白い肌、素人目にも高級品とわかる上品でつややかな和服、絶滅寸前の大和撫子を思わせる柔らかでたおやかな物腰……庭園や園遊会ならば絵になったに相違ない立ち振舞いだったが、うっそうと生い茂る密林の中に独りきりで立っているべき姿では断じてない。しかし当人が気にしていたのは身の安全でも周囲とのミスマッチでもなかった。
「さっきの蝶々……どこに行っちゃったのかしら?」
 お屋敷を出てから蝶々をずっと追いかけてたどり着いた場所。これといって行き先など決めてなかったのだから、別に迷子になったわけじゃないし……自分はしっかりしてると固く信じる少女は、そう自分に言い聞かせて気持ちを落ち着けた。
「えぇっと……」
 単なるきっかけとはいえ、今となっては唯一の道標である蝶々を探して少女は林の中をとぼとぼと歩き始めた。ここがどこかとか帰るときはどうしようとか言った不安は欠片も浮かばない。何かを思い込んだら他のことは全て頭から消えてしまい、見つめる対象が正当性や一貫性を欠いていてもまるで気にならないという、ある意味きわめて羨ましい思考回路を彼女は有していた。そしてこういう後先を考えないタイプの前には、時として想像もつかないサプライズが待っているものである。
「……えっ……」
 不意に影の指した少女の頭上では、空の一部が切り取られて黒くなっていた。ぽけーっとした表情で少女が見上げる中、その黒い影はどんどん大きくなり轟音を上げながら空いっぱいへと広がった。今朝の占いで日蝕なんて出てたかしら、と危機感ゼロの疑問を少女が頭に浮かべたとき、若い女性の叫び声が天空に木霊した。
「じっとしててぇ〜〜!!!」
「……はい……」
 ドオオォォオォォ〜〜ン!!!
 ……それから数瞬後。地響きとともに立ちのぼった轟音と砂煙の中央で、和装の少女はすっくと立ち上がった。空から降って来た巨大な落下物は林の木々を何本もなぎ倒しつつ、少女の周囲3メートルを取り囲むように地表に横たわっていた。胴径2メートルの機械じかけの蛇に取り囲まれたような体勢で、しかし少女にはかすり傷1つない。一族の中では無能の穀潰しと揶揄される彼女だが、天からの偏愛ぶりだけは人一倍なのだ。
「ごめ〜ん、大丈夫だった?」
 状況が分からずに立ちすくむ少女の背後から掛けられた声。振り返った先では少女とそう歳の変わらない女の子が、機械の上で照れ臭そうに頭を掻いていた。黙ってうなずいた和装の少女に対し、機械とともに空から降って来た女の子は笑顔で手を差し伸べた。
「無事でよかった。私の名前は紫子ゆかりこ、あなたは?」
「えっと……」
 何が何だか分からないけど、ご挨拶してくれたのなら答えなきゃ。疑問や警戒心が浮かぶ前にそう思った和装の少女は、育ちのよさを思わせる完璧な仕草で頭を下げた。
「……初穂……鷺ノ宮さぎのみや初穂はつほです」


「で? 鷺ノ宮家のお嬢さまが、こんなところで何してるわけ?」
「蝶々を追って……」
「ちょうちょ?」
 どこか挑発的な紫子の質問にイノセントな答えを返す初穂。機械の上に引っ張りあげてもらい正座した初穂は落ち着かなさげに目の前の女性を眺めた。空から降ってきたときは宇宙人か何かかと思ったけど、こうしてみると普通の女の人。14歳の自分よりちょっとだけ年上みたいだけど乱暴な人ではないみたい。
「その蝶々、あなたの?」
「いいえ、家の前で飛んでたのを見かけて追いかけてきただけです」
「それでこんなとこまで来て迷子になっちゃってるわけね」
「迷子じゃありません。これは家出ですから、行き先が分からなくなったんじゃないです」
 わずかに語気を強めて否定すると、目の前の女性は呆れたように口をあけて、やがて小さな溜め息をついた。
「あなた……ここがどこか分かってる?」
「分かりません。ここはどこですか?」
「…………」
 しごく素直に返事をした初穂。それに対して紫子は眉間に指を当ててしばし目をつぶると、すぐに人の悪そうな笑みを浮かべた。
「ここは戦場よ。世界征服をたくらむ悪の首領と、それを倒すために立ち上がった正義の味方との決戦の場なの」
「はぁ……それは大変ですね」
「だから、ね? あなたには、すぐにここから帰って欲しいのよ。さっきみたいに押しつぶしそうになったら危ないから」
「いえ、あんな家には帰りたくありません」
「そうじゃなくてさ……」
 困り顔で頭を抱える紫子に対し、初穂のほうはどこか嬉しそうだった。もう蝶々のことなど頭から飛んでいる。それより目の前の女性の話のほうに興味があった。テレビの中だけの話だと思ってた正義と悪の大決戦が実在して、自分はその最前線にいるのだ。嫌なことの繰り返しばかりだったお屋敷での暮らしを飛び出した途端にこういう場面に遭遇できるのなら、世の中もそんなに捨てたものじゃない。
「あの……心配して、くださるのですか?」
「……まぁね」
「嬉しいです、紫子姉さま」
「…………」
 裏表のない感謝と信頼のまなざしを向けると、紫子は軽くそっぽを向きながら頬を赤らめた。やっぱりこの人は良い人みたい……そう初穂が夢心地で確信したとき、空から豪快なサイレンの音と別の女性の声が降り注いだ。
「こらぁ〜ゆっきゅん、やぁっと見つけたで! いいかげんに観念しぃ!!」
「……やばっ、ピカのやつが追いついてきちゃった!」
 そうつぶやいた紫子はすぐに立ち上がると、背後にあった機械のくぼみへと走り出した。そんな彼女を正座したままポケ〜ッと見つめていると……立ち止まった紫子はすぐに初穂の方へと駆け戻ってきてくれた。
「ごめん、1人で逃げられる?」
「どこへでしょうか?」
「……いいわ、一緒においで」
 紫子に手を引かれて向かった先には、なにやら計器に囲まれたコクピットが小さな口を開けていた。テレビのヒーローものに出てくるのと同じ、と初穂が胸をときめかせていると、紫子はその単座シートの背後へと和装少女を押し込み、シートに座ってハッチを閉じた。
「狭いけど我慢してね、このロボット1人乗りだから」
「はぁ……あの、どうかしたんですか?」
「すぐに逃げるのよ!」
 鈍い振動と加速感とともに、周囲の計器があわただしく明滅する。自分が巨大ロボットの操縦室にいるんだということを、初穂はようやく室内のカメラ画像で把握した。さっきまで機械のヘビだと思ってたのはロボットの腕、自分は倒れたロボットの脇の間にいたらしい。忙しそうに計器を操作する紫子に向かって、初穂は緊張感のない口調で問いかけた。
「あの、紫子姉さま?」
「なに?」
「どうして逃げるんですか? 悪が襲い掛かってきたら受けて立つのが正義の味方なんでしょう?」
「……そっか、まだ話してなかったわね、あなたには」
 ひときわ大きい振動がコクピットを襲う。思わずシートの背もたれにしがみついた初穂の手を優しく握ってくれながら、紫子は衝撃の事実を口にした。
「あなたは今、悪の首領の人質になったのよ」

(2)

「人質……ですか?」
「そう。だからおとなしくしててちょうだい、私いま手が離せないから」
「はぁ……」
「揺れるわよ掴まって!」
 いまいち緊張感に欠ける会話を初穂と交わしながら、紫子は右足のペダルを踏み込んだ。これで背面のロケットブースターに点火すれば、ロボットは地上から飛び立って襲ってくる敵機と対峙できる……はず。でも期待に反して、ロケット特有の揺れと加速感はちっとも立ちあがってこなかった。
「あれ?」
「どうかなさったんですか、紫子姉さま」
 ペダルを何度か踏み込んでみても状況は変わらない。
「こんなときに故障? これじゃピカに狙い打ちされちゃうじゃない!」
「まぁ、それは大変」
 ちっとも大変そうに聞こえない人質のつぶやきとは対照的に、スピーカー越しに響いてくる正義の味方からの声は元気いっぱいだった。
「なんかよぉ知らんけど、立って来ぇへんのやったらこっちから行くで! サ○ライトキ△ノン、スタンバイや!」
「ちょ、ピカってば、それ洒落にならないって! だいたい今はまだ月が見えてないでしょうが」
「つべこべ文句いう間があったら避けて見ぃ、行くで!」
 敵と味方が戦闘中にも互いに通信で会話できてしまうのはバトルもののお約束。彼女なりに納得した初穂は、焦ってあちこちのスイッチを叩きまくる紫子におずおずと話しかけた。
「あの、紫子姉さま。ここは降伏してはどうでしょう」
「そんなことしたら終わっちゃうじゃない」
「大丈夫です、次の週になったら別のロボットに乗ってまた挑戦すればいいんですから」
「…………」
 穏やかな笑顔を浮かべる初穂に向かって、紫子は幼稚園児に教え諭すような丁寧な口調で返した。
「あのね、それでも今週の戦闘はお終いになっちゃうでしょ。そしたらゲストキャラのあなたはお役御免、家に帰らなくちゃならないのよ」
「……それは困ります」
 美しい眉をひそめた初穂は、ふと指を伸ばして紫子の肩越しにパネルの一部に触れた。するとコクピットに強烈な加速がかかり……瞬時に横に飛びのいた巨大ロボットの跡地には、黄色い光のシャワーと激しい爆発音が降り注いだ。
「あ、危なかった……初穂、あなた何をしたの?」
「よく分からなかったので、とりあえず飛び出して光ってたボタンに触れただけですけど」
「……あなたのこと尊敬するわ、マジで」
 一方、必殺の一撃をかわされた正義の味方のほうは動揺を隠せない。
「なんやなんやなんや、卑怯やんか! 先に必殺技を撃たせてエネルギー使わしてから反撃やて、そんなん反則ちゃうんか! 堂々と勝負せんかい!」
「……失敗してから泣き言いう正義の味方なんて、美しくないです」
「そうよねぇ、悪党としては卑怯呼ばわりされるのってむしろ勲章だし」
 悪の首領とその人質のつぶやきが正義の味方の耳にしっかり聞こえてしまうのも、これまたヒーローもののお約束。
「ちょ、そこに誰かおるんか? 2人がかりなんてズルイやんか、参加するんやったらちゃんと……」
「……とりあえず黙っててもらいましょうか、初穂?」
「そうですね。正義の味方だって常勝無敗じゃつまらないですし」
「待たんかぁ〜〜い!!!」
 哀れな正義の味方の叫びを楽しそうに無視しながら、紫子はパネルに並べられたボタンのひとつに指を掛けた。
「それじゃいくよ〜、一撃必殺・ゆっきゅんキャノン、ズバズバ放って行っちゃうぞ〜〜!!」
 ぽちっ。ばしゅーっ!!!
 ……その瞬間、紫子と初穂は座席シートごと空中に投げ出されてしまったのだった。自信満々で押したボタンが必殺技でなく非常脱出ボタンだったことに気づく間もなく。


 ちょうどその頃。都内某所に広大な敷地を有する三千院家の門の前に、日本刀を携えた黒服の男たち数十名と白い和服を着た仮面の童女が集結した。三千院家戦闘執事部隊の筆頭執事に昇格したばかりの倉臼征史郎は自慢のヒゲをさすりながら童女たちを出迎えた。
「これはこれは、鷺ノ宮家のご隠居さまではありませんか。我が三千院家に何の御用ですかな?」
「ふん、お主のような若造では話にならんわい。帝のガキを呼べ、今すぐここに」
「それは応じかねますな。夜分に武器を携えて訪れた者たちすら追い払えぬようでは、帝様に顔向けできませんので」
 当主のことをガキ呼ばわりする童女に向かって、クラウスは慇懃な態度を崩さなかった。なにせ相手の実年齢は74歳、鷺ノ宮家の前当主にして三千院帝の宿敵である。弱みなど微塵も見せるわけには行かない。
「まぁ誰でもよい、どうせ形だけの交渉だからの。事を公にしたくなければ返してもらおうか、誘拐した孫娘をのぅ」
「……おっしゃる意味が分かりかねますが?」
「とぼけても無駄じゃ。孫の初穂がこの屋敷におること、とうに調べはついておる。おとなしく返したほうが身のためじゃぞ」
 幼い瞳に決死の怒りが宿っている。どうやら嘘ではなさそうだとクラウスは思ったが、だからといって武装した宿敵を当主の屋敷に踏み込ませる訳には行かなかった。
「犯罪者呼ばわりとは心外ですな。誘拐でしたら警察に行って、確たる証拠と捜査令状をそろえてからおいでください。それからでしたら協力にやぶさかではありませんので」
「我らの争いに警察の入る余地などあるものか。警視庁上層部に賄賂をばらまきまくっておる成金の分際で、よくもしゃあしゃあと言えたものよ」
「それではここでお待ちください。これから我々の全力をあげて、ご令孫さまをお探ししましょうほどに。そうですな、20分もあれば大概は」
「ふん、その手に乗るものか。証拠隠滅の時間をくれてやるほどお人好しではないぞ」
 クラウスの表情に朱がさした。少しでも同情したのがバカだったと悔いたクラウスは、後ろに組んだ手の指先だけでお屋敷にいる執事一同に指示を送った。総員戦闘配置、と。
「……交渉決裂のようですな」
「残念じゃの。そちらに誠意の欠片でもあれば、無用な血をみずに済んだものを」
 2人の超人は口をつぐんだ。もはや肉体をもって語り合うよりない、と互いに決意した瞬間だった。

(3)

「姉さま、紫子姉さま」
「ん……あれ、ここはどこ、あなたは誰?」
「ここがどこかは存じません。私は初穂、悪い人に捕まった人質です」
「……ごめん、あなたに冗談が通じないの忘れてたわ」
 墜落前にパラシュートが開いたのと落ちたのが林の中だったおかげで、宙釣りの紫子に怪我はない。しかしシートにしがみついてただけの初穂が怪我どころか着物の裾ひとつ乱さずに涼しい顔で地表から見上げているのは奇妙な光景と言えた。ひょっとしたら戦争が起こっても初穂の周りだけは爆弾が素通りするんじゃなかろうか。
「よいしょ、と……さぁて、じゃ、クラウスに迎えに来てもらいましょうか」
「クラウスさんって……?」
「私の執事よ。この発信機のスイッチを入れれば5分もしないうちに……」
「まぁ、執事さんが来てくれるんですか……紫子姉さま、ひょっとしてお金持ちのお嬢さまか何かだったのですか?」
「そりゃまぁ、だってここは……あ」
 木から降りた紫子は喋ってるうちに何かに気づいた様子で発信機から手を離すと、苦笑いをしながら初穂のほうに微笑みかけた。
「い、いいじゃない、そんなことどうだって……それより初穂?」
「はい」
「あなた家出したって、家に帰りたくないってさっき言ってたけど……何があったの? 鷺ノ宮家っていったら由緒ある家柄のことよね、私でも知ってるくらいの」
「事情を言わなければいけませんか?」
「無理にとは言わないけど……まぁ悪の首領としては、人質の家庭の事情って知っておきたいし」
 強引な押し付けに聞こえないように言葉を選びながら、半ば冗談混じりに問いかける紫子。それに対して初穂は、どこか恥ずかしそうに目を伏せながらぽつりぽつりと話し始めた。
「別に隠すようなことじゃないですけど……」


 うちの家は、お化け退治とか霊脈の操作とかを請け負う退魔師の仕事を代々やっている家柄なんです。
 退魔師として力を振るうためには生まれながらに霊力の器というか才能みたいなものが必要なんですけど……私にも私の母にもほとんどその霊力が宿らなかったもので、このままじゃ家が絶えてしまうって銀華おばあさまは焦っているのです。
 うちには兄弟とか分家とかがいないので、銀華おばあさまは私の子供に期待をかけてる訳なんですが……誰の血を入れるのが霊力強化にふさわしいとか、強い子を生むにはどんな修行をしなければいけないとか、私の顔をみるたびにそんな話ばかりで。子供の頃はまだ話だけだったんですけど最近は食事のたびにお見合い写真が積み上げられるみたいな有様で、すっかりうんざりしてしまって。
 でも私、自分が情けなくて。お屋敷の外のことなんか何も知らないし、自分で結婚相手を見つける勇気もないから、銀華おばあさまの言いなりになる以外の将来って想像もできなくて。実際のところ自分って、鷺ノ宮の血脈を継ぐ身体の持ち主って以外に何の取り柄もないみたいな気がして。
 それで家を出てみようって思ったんです。銀華おばあさまの庇護の下から外に飛び出せば、鷺ノ宮の血とか何とか関係なしに、私にできることって見つかるんじゃないかって。誰かの役に立てるかもしれないって、私のこと必要だって言ってくれる人がいるかもしれないって。
 こんな話、銀華おばあさまが承知してくれるわけないですから家出という形になったんですけど……でもダメですね、私って。家出して早々に悪い人に捕まって人質になっちゃうようじゃ、誰かの役になんて立てませんよね……。


 話を終えた初穂が顔をあげると、正面に座った紫子は涙をポロポロと流しながら初穂の顔をじっと見つめていた。そして初穂が何かを言いかける前に肩を引き寄せると、初穂の頭を思いっきり抱きしめた。
「ね、姉さま……」
「分かる、分かるわ、あなたの気持ち!! 可哀想に、辛かったのね、寂しかったのよね今まで」
「はぁ……」
 紫子の感激振りについていけず生返事をする初穂。今まで彼女の周りには『甘ったれるなぁ〜!』と罵声を浴びせかける人しかいなかったので、紫子のような反応を示されるとどう返していいのか分からないのだった。
「あの鷺ノ宮家にも、それなりに苦労してる子がいたのね……」
「あの、姉さま、それってどういう意味……」
「決めたっ!!」
 表情にクエスチョンマークを浮かべた初穂を胸から離すと、紫子は至近距離でしっかりと目を合わせながら熱い口調で説得を始めた。
「初穂、あなた私の手下になりなさい!」
「……えっ?」
「人質扱いはもうお終い! 帰るとこがないんだったら私と一緒に、世界征服目指して戦いましょう! 古い血筋とか伝統とかを守ることしか頭にない大人たちに、目にもの見せてあげましょうよ!」
「え……」
 あまりに常識はずれの提案。光の巫女の血筋に連なる自分が悪の組織に入って世界征服なんて、という逡巡が真っ先に初穂の頭に浮かんだ。しかし次に浮かんだのは巨大ロボットに乗り込んでテレビのヒーローみたいに戦っていた先ほどの記憶で……あんな体験がまたできるのかと思うと、知らず知らずに胸がワクワクしてくるのだった。
「わ、私なんかでいいんですか……?」
「いいも何も、さっきピカの必殺技を避けられたのはあなたのお陰じゃない! あなたと私がコンビを組んだら怖いものなしよ、世界どころか銀河系だって狭すぎるくらいだわ!」
 世界を股にかけ、宇宙人まで相手にして戦う壮大なイメージが初穂の胸をときめかせた。破天荒でハチャメチャだけど元気いっぱいで憎めない目の前の女性が一緒にいれば、異次元に攻めていくのだって悪くないと思った。鷺ノ宮家のしきたりなんかに縛られていた自分が笑っちゃうくらい小さな存在に思えた。熱心な説得にほだされた初穂は夢見心地でつぶやいた。
「なります……私、悪の戦闘員さんに、なります」


「どかんか若造!」
「気を抜くな、ここを抜かれたら警備部の恥辱だぞ!」
 クラウスたち三千院家執事部隊と銀華ひきいる鷺ノ宮家執事部隊の激突は、じりじりと屋敷の庭へと押し込まれつつあった。人数だけなら無論クラウス側のほうが多い。だが三千院家側が侵入者を一人残らず倒さなくてはならないのに対し、孫娘を探すのが目的の鷺ノ宮家側は精鋭数名を突破させれば勝ちなのだ。しかも並外れた跳躍力と戦闘力を持つ者が、よりによって侵入者側の総帥だという事情もある。極端な話、銀華1人を侵入させるために他の全員を捨て駒にする作戦だって侵入者側は選べるのである。
「隙ありじゃっ!」
「あ、待たれぃご隠居っ!!」
 血と怒号の飛び交う戦場をバッタのように飛び越えて、仮面の童女が宙を舞う。クラウス率いる最精鋭たちは戦場を仲間たちに任せて、その後を追った。


「はぁ、はぁ」
「あの、大丈夫ですか紫子姉さま」
「平気、平気よ……たいしたことないから」
 2人で堅い指きりを交わした後、林の中から脱出しようと歩き始めた紫子と初穂だったが……紫子の体調がおかしくなるのに時間はかからなかった。さほど速く歩いてるわけでもないのに激しい汗が顔を伝い、木の幹に手を付いて立ち止まる。汗ひとつかかずに付き従っていた初穂が手を添えると、紫子の額からは焼けるような熱が伝わってくる。
「姉さま、すごい熱が」
「大丈夫だって、ちょっと興奮しすぎただけだから。手下の前で格好悪いとこ見せられないしね」
 紫子の笑顔は異常なまでに白かった。発信機で執事さんを呼んだら、という初穂の提案はかたくなに却下され続けた。嫌がる紫子に無理やり肩を貸して前に進むけれども吐く息は荒くなるばかり。陽の暮れた林の中を歩き続けることで体力はいっそう消耗する。みかねた初穂は、少し広めの空間に達したところでピタリと足を止めた。
「は、初穂、どうしたの?」
「疲れました。もう一歩も歩けません」
「私は大丈夫だってば……」
「いえ、私のほうがもう限界です。お願いですから休憩させてください、紫子姉さま」
「……仕方ないわね。初穂がそこまで言うんじゃ」
 力なくその場に座り込む紫子。そしてそのまま糸が切れたように紫子は地面に倒れこんだ。辛そうに目を閉じて荒い息をする悪の首領と、側で見守りつつもどうしていいか分からない新米戦闘員。どうしましょう……と初穂が胸に手を当てたとき、林の奥から鋭い光が差し込んできた。
「そこに誰かおるんか?」
「あ、その声は……」
 懐中電灯を手に近づいてくるのは、どこかで聞いたことのある声の持ち主。初穂は倒れ伏す紫子の前に立ちはだかって両手を広げた。逃げなきゃと思うけれど首領が病気で動けないのではそれも出来ない。やがて数メートルの距離から懐中電灯の直射を浴びた初穂は、なけなしの勇気を振り絞って声を張り上げた。
「せ、正義の味方さん、私たちを捕まえにきたんですか!」
「あぁ、そないに警戒せんでえぇ。さっき紫子と一緒にロボットに乗ってた子やろ?」
 電灯の光を自分に向けたショートカットの少女は、安心させるように優しい笑顔を作った。
「ウチの名前は愛沢ひかる。そこにおる紫子のマブダチや」

(4)

 パチパチと木の燃える音が聞こえる。焚き火に小枝を投げ込む初穂の向こうでは、眠る少女に膝枕をした愛沢ひかるが愛おしそうに紫子の頭をなでていた。
「うん、どうやら落ち着いてくれたみたいやな」
「あの、大丈夫なんでしょうか、紫子姉さまは」
「平気平気。ウチこういうの慣れっこやもん」
 心配そうに見つめる初穂にひかるは軽い口調で返事をしたが、それだけでは納得しない初穂の表情をみて声のトーンを少し落とした。
「こいつな、もともと持病もちやねん」
「えっ!」
「詳しいことはウチも聞いてへんのやけどな。ちょっと運動したり興奮したりすると心臓がバクバク言ぅて、こんな風に倒れてしまいよるねんて。無理さしたら命にも関わるから言うて、こいつの親父とか執事とかはハラハラし通しらしいわ」
「そんな……でも、さっきまでは全然そんな風には」
「こいつ意地っ張りでメチャクチャ負けず嫌いなとこがあるよってな。おとなしく寝とき言われて素直に言うこと聞く子やないし、人前では弱いとこなんて死んでも見せんとこうと頑張っとったんとちゃう?」
「……私がいたから、姉さまは無理をしちゃったんでしょうか」
「あんたが気に病むことやない。むしろ嬉しかったんと違うか、こいつのこんな幸せそうな寝顔みるの久しぶりやもん」
 ひかるは空いた片手で、座り込んだ自分の隣をバンバンと叩いた。そして初穂が腰をおろすと、初穂の肩を抱きかかえながら話を続けた。
「まったく難儀なやつや。なに不自由ない金持ちの家に生まれたんやから大人しくお姫様しとったら良かったのに、見てのとおりのアグレッシブな性格やし。思い通りに世界を動かせる立場にありながら、このお屋敷から一歩も出られへん身体やて、なんで神様はこんな意地悪しはるんやろ」
「…………」
 自分の身を振り返って初穂は恥ずかしくなった。決まりきった将来なんて嫌だと言った自分に対して紫子姉さまは泣いてくれたけど……姉さまにとっては未来そのものがお屋敷という鳥かごの中だけのものだなんて。しかもいつ終わるか分からない不確かなものだったなんて。家出する自由もないなんて。自分はなんて甘えていたんでしょう。どうして姉さまはあんなに優しくなれるんでしょう。


 ……そんな初穂の気持ちの揺れに気づかぬまま、ひかるの話は続く。
「こいつにとっては、この三千院家の敷地内が世界の全てなんや。帝のおっちゃんからしたら敷地内でも何でも動き回らせるなんてご法度なんやけど、そんなん言うてたらストレスで干からびてしまうよってな。ウチがときどきこうして、遊び相手になってやってるわけ」
「……三千院家……」
 その家名には初穂も聞き覚えがあった。石油利権を元にして目覚しく勢力を拡大してきた三千院コンツェルン。日本古来の名家である鷺ノ宮家から見たら、海外からお金だけを吸い上げて悦に浸る成金一族と映っても仕方ない。現に祖母の銀華はそう公言して三千院家総帥の帝のことを目の敵にしてきた。都内のどこかに大きなお屋敷を構えていると聞いたことはあるけれど、まさか蝶々を追っていて辿り着いたのがそこだったなんて。
「あの、ひかる姉さま」
「ピカでえぇよ。仲のいい子にはそう呼んでもらっとるし」
「では、ピカ姉さま」
「……やっぱり名前にしといて。あだ名に敬語つけられたら語呂が悪いわ」
 照れくさそうに首を振るひかるに対し、初穂は素朴な疑問を投げかけた。
「ひかる姉さまの苗字、たしか愛沢っておっしゃってましたよね」
「そう言うたよ」
「愛沢家と三千院家って、すごく仲が悪いって聞いたことがありますけど」
「そうやよ。そやからこいつと会ぅたときも、最初はわがままでやんちゃな小娘を懲らしめるつもりで喧嘩しにきたんや。そやけど……」
 ひかるは一度言葉を切ると、膝の上ですぅすぅと寝息を立てる紫子の髪を丁寧になでてやった。
「あんたやったら分かるやろ。こいつは傍若無人で無茶苦茶で自分勝手な奴やけど……嫌いになれるか?」
 ぶんぶんぶんと激しく首を横に振る初穂に向かって、ひかるは「ウチかて同じや」と優しく微笑みかけた。
「そんなわけで、ウチはこいつとバトルして叩きのめすという名目でないと、このお屋敷に遊びに来られへんわけ」
「……嫌ですね、大人の事情って」
「鷺ノ宮家かて似たようなもんやろ、いやしくも光の巫女さんの家柄やからな。なんやったらウチと組むか? 正義の味方になって、悪の女首領を叩き潰すんや」
「それは出来ません。私は悪の組織に入るって、紫子姉さまと約束したんです」
「そっか。そりゃ残念」
 言葉とは裏腹に楽しそうな表情を浮かべたひかるは、肩を抱いたまま初穂の髪の毛をくしゃくしゃにかき回した。初穂は気持ちよさそうに目を閉じた。


「ん……」
「あ、起きたんか、ゆっきゅん」
「ピカ……? なんであなたがここに」
 ひかるの膝の上で身じろぎした紫子だったが、ひかるの片手によって膝に抑えつけられる。
「えぇから、しばらく大人しぅしとき。戦士かて休息は必要やろ」
「ん……そうする」
 思いのほか素直に目を閉じる紫子。しかし「大丈夫ですか、紫子姉さま」という初穂の声を聞いた途端、紫子は顔を真っ赤にして跳ね起きた。
「あ、あ、初穂、これ、違うから! 正義の味方と馴れ合いなんてしてないんだから!」
「この、くそ意地っ張りめが……」
「……(くすっ)姉さまったら」
「違うって、誤解なんだから……ね、ねぇ初穂、軽蔑した?」
 赤い顔でおずおずと聞いてくる紫子に対し、初穂は力いっぱい抱きつくことでそれに答えた。
「は、初穂……?」
「良かったです、姉さまが元気になって。これで正義の味方とも思いっきり戦えますよね」
「え……あはは、そ、そうよね。あたしたちコンビは無敵なんだもん、首を洗って待ってなさいよ、ピカ!」
「あぁ、はいはい」
 堅く抱き合う紫子と初穂、そして少し離れたところで微笑みながら溜め息をつくひかる。奇妙な友情と因縁で結ばれた敵味方3人の関係が、こうして新たに誕生した。パチパチと鳴る焚き火に照らされた3人は赤く照らされた表情で小さく頷きあった……ところがそんな穏やかな空間も、長くは続かない。
「こらあぁ〜、初穂から離れろぉ〜!!」
「!! あの声は銀華おばあさま!」
 月に照らされた空の一角に、白い着物の童女が舞う。思わず叫び声をあげながら紫子の手を堅く握りしめる初穂。そんな2人の前に、口ひげを蓄えた屈強な少壮の執事がどこからともなく現れた。
「紫子お嬢さま、ご無事で何よりです。危険ですのでお下がりください」
「クラウス、あなたどうして!」
 紫子たちを背に立ちはだかるクラウス、その目の前に舞い降りる鷺ノ宮銀華。退路を断った超人たちの一騎討ちが、ついに始まろうとしていた。

(5)

「初穂! おぉ初穂や、怖かったじゃろう寂しかったじゃろう。このワシが来たからにはもう安心じゃぞ」
「銀華おばあさま……」
 大切な孫娘をようやく見つけ、誘うように手を差し伸べる鷺ノ宮銀華。間に立ちはだかるクラウスは状況を飲み込めずに、ちらちらと背後に視線を送っていた。すると戸惑いながら立ち尽くす初穂の背後から、1人の少女が両手を初穂の首に回してしがみつくように抱きすくめた。
「ダメ! この子はもう私の! あなたなんかには渡さないんだから!」
「ゆ、紫子姉さま……」
「この子は私と一緒にいるって決めたんだから! 私たちはもう一心同体なのっ!」
「おのれ、誘拐したのみならず破廉恥な行為にまで及びおったか、この鬼畜めが! これだから成金の一族は油断ならんのじゃ!」
「あっち行け、い〜〜だっ!!」
「初穂を返せぇっ!!」
 怒りのままに鎖を投げつけた銀華。生き物のようにしゅるしゅると伸びた必殺の鎖とクナイが、一直線に紫子の頭部へと襲い掛かる。とっさに目をつぶった紫子と初穂だったが……鎖は直撃する1メートル手前で急停止すると、勢いなく地面に転がっていった。鎖をたどった先には一本の屈強な左腕があった。
「……良く分かりました。紫子お嬢さまの大事な方なら、私にとってもお守りすべきお方です。お客人の素性は聞きますまい」
「クラウスっ!」
 飛来する鎖の途中を片手だけで握り止めたクラウスの左手からは、真新しい鮮血が滴っていた。守るべき女主人に広い背中を向けたままで戦闘執事は決死の覚悟を決めた。
「一命を賭してお守りいたしますっ!!」
「おのれ、上から下まで腐りきった奴どもよ。正義の刃を受けるがいいわっ!!」
 言うが早いか飛翔した銀華は猛攻撃を開始した。鎖を操って石を投げ、刃物を投げ、木の幹を引き抜いて叩きつける。街中でも電柱などをぶつける攻撃を得意とする銀華にとって、林の中での戦闘というのはまさにホームグラウンドといえた。対するクラウスは素手なうえに、紫子に向かって飛んでくる凶器を避ける訳にはいかないハンデもある。だがクラウスは徐々に生傷を増やしつつも、一歩たりとも後退しようとはしなかった。


「えぇんか、これで?」
 クラウスたちの戦いをじっと見守る2人に、そっと近づいてきたひかるが声をかけた。紫子は「なにを言い出すのよ」と言いたげな怖い視線を向けたが、ひかるが話しかけた相手は初穂のほうだった。
「あのままやったら、どっちかが死ぬまで終われへんで。しかも片方はあんたのお婆ちゃんやろ? このまま放っといて構へんのか?」
「…………」
「あの戦いを止められるんはあんただけちゃうの、なぁ?」
「ピカ、あなたは知らないかもしれないけど、この子は家に帰りたくないって言ってるのよ?」
「ゆっきゅんは黙っとき……なぁ、いがみあってた家同士が仲良ぅなるには時間がかかるんや。頑固な年寄りが関わってるときは尚更や。大人になりや。ここで人死にが出たら余計にこじれるで?」
「行っちゃダメ、ダメだったら、初穂!」
 ひかるの説得と紫子の制止を初穂は黙って聞いていた。そしてやがて小さく頷くと、自分を抱きしめる紫子の腕をゆっくりと外し始めた。
「ダメ、ダメよ初穂!」
「ごめんなさい、紫子姉さま」
「ほら、あんたもワガママ言うんやない」
 紫子を背後から羽交い絞めにしたひかるのお陰で自由を取り戻した初穂は、とぼとぼとクラウスたちの戦場に近づいていった。背後でわめき散らす紫子の声は聞かないようにしていた。誰かに振り回されるばかりの人生を送ってきた少女は、いま初めて自分の足で未来を選ぼうと決めたのだった。


「おぉ初穂、初穂、よう戻ってきた。さぁ早ぅ帰ろう、こんな所に長居は無用じゃて」
「…………」
 安堵の声をあげる銀華にしがみつかれながら、初穂は元いた場所を振り返った。羽交い絞めにされた紫子は顔をぐしゃぐしゃに涙で濡らしながら自分のほうをじっと見つめていた。ひかるは辛そうに視線を外し、クラウスは片膝をついて荒い息を吐いていた。さっきまで自分のいた世界が、生命の消えた彫像みたいに色あせていくように初穂には感じられた……こみ上げる胸の熱さを吐き出すように初穂は叫んだ。
「紫子姉さま!」
「初穂ぉ!!!」
 あそこには大好きな人がいる。たった数時間の邂逅だったけど、自分のことを必要だって言ってくれた女性がいる。泣きながら別れを惜しんでくれる友だちがいる……もっともっとあの人たちと一緒にいたい、距離をとって初めてそのことを初穂は痛切に感じた。そんな彼女の口から飛び出したのは、別れの言葉でもお礼の言葉でもなかった。

「次はいつですかっ?」

 きょとんと口をあける紫子とひかるに対し、初穂は人生初めてといっていいほどの大声で思いを伝えた。
「もっともっと姉さまと一緒に居たいですっ! 頑張って私、役に立つ戦闘員さんになりますからっ! だから、だから……今度、世界征服のために正義の味方さんと戦うのは、いつですかっ? また誘ってくれますかっ!!!」
「は、初穂、おぬし何てことをっ!!」
 あわてた銀華が孫娘の身体を揺さぶる。揺さぶられながらも初穂は視線をじっと外さなかった。そして紫子は……ひかるに羽交い絞めを解かれた紫子はよろよろと膝をつくと、くしゃくしゃになった頬をぎこちなく吊り上げながら、初穂に負けないくらいの大きな声で返事をした。
「来週よっ! また来週やるからっ! 世界征服のパートナーとして、あなたにも力を貸してもらうからっ!!!」
「は、はいっ!!」
 紫子はにっこりと微笑むと、安堵したようにその場に崩れ落ちた。あわてて駆け寄るクラウスに紫子の世話を任せたひかるは「言うやん♪」とばかりに初穂に向かって拳を突き出した。色あせたように思えた向こう側の光景がこの瞬間、夜にもかかわらず色鮮やかに輝いたように初穂には見えた。
「大変じゃ、うちの初穂が不良になってしもぅた! えらいこっちゃえらいこっちゃ、大事な跡継ぎが成金どもに毒されてしまいおって! 帰ったら座敷牢で写経じゃぞ、分かっとるのか初穂?」
 錯乱して周囲を飛び回る銀華の声など耳に入らない。初穂はわななく口元を手で抑えながら、背を向けて去っていくひかるたちに向かって片手の拳を突き出し親指を立てた。それはひかるが最後に自分に向けてくれたポーズとまったく同じものだった。



「初穂お母様?」
 娘に声をかけられて、昔の回想にふけっていた鷺ノ宮初穂は我に返った。彼女の手にあるのは17年前のアルバム。世界の全てが輝いて見えた青春の1ページ。もう会いたくても会えない人たちと肩を並べて笑いあえた、かけがえのない日々の記憶。
「……ああ、伊澄ちゃん」
「どうなさったのですか? 何度も呼びましたのに」
「ごめんなさい、昔のことを思い出してしまって」
「その写真は?」
 伊澄が指差したのは古ぼけた集合写真だった。中央に初穂と紫子が、その後ろにひかるが、両脇に正義のロボットと悪のロボットの脚が写っている記念写真。初穂は懐かしさに胸を焦がしながらつぶやいた。
「これはね、母さまが世界征服を目指してた頃の、写真よ」
「……? もう、訳の分からないことばかり言わないでください、初穂お母様。ナギたちにお菓子をご馳走してくれるんじゃなかったのですか?」
「……そうだったかしら?」
 娘に手を引かれて、初穂は鷺ノ宮家の縁側を歩き始めた。向かう先からは少女たちの楽しげな笑い声が聞こえてくる。そんな平和なひと時をかみ締めながら、ふと初穂は月日の移り変わりに思いを馳せた。
《そうよね……この子にとっては、ナギちゃんや咲夜ちゃんと一緒に遊ぶなんて、当たり前のことなのよね》


Fin.

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