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スイーツ

初出 2008年06月16日
written by 双剣士 (WebSite)

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 商店街からも通学路からも離れた狭い路地。下手をすれば地元の住人ですら知らないような場所に、小さな1件の喫茶店がある。喫茶店の名前は「どんぐり」。
 利便性も話題性もなく、訪れる客は顔見知りばかりという街のささやかな休憩場。近頃はフレッシュな高校生のバイトが3人も増えたせいもあって、少しずつではあるが来客も増えつつある。しかしそれは可愛いバイトの子が目当ての客がほとんどで、彼女らが非番の曜日には以前どおりの静けさを取り戻す。
 そんな非番の●曜日、マスターの加賀北斗は1人で店を開けてお客が来るのを待っていた。開店して1時間が過ぎても店内は空っぽ、穏やかな初夏の日差しがテーブルに飾られた小さな白い花を照らすのみ。それでも北斗はうたた寝もせず静かに時を過ごしていた。彼にとって今日は、ちょっとしたイベントの起こる日なのだ。


「う〜い、こんちは〜」
「あら、いらっしゃい」
 開店して1時間半。扉をくぐってきた2人の黒服を北斗は元気な声で迎えた。2人の客はくたびれた表情で椅子に腰をおろすと、メニューを受け取りもせず慣れた手つきで声を発した。
「マスター、俺、スイーツね」
「俺も」
「はいはい、いつものね」
 黒服たちの名は巻田と国枝。愛沢咲夜つきの敏腕執事でありながら、主人が思春期を迎えて歳の近いメイドを伴うようになるにつれ暇を持て余すようになった2人である。しかし彼らの悩みは出番の少なさだけではなかった。
「はい、お待ちどう」
「おぉ、これこそ生命の源」
「まったくだ。咲夜お嬢さまに付き合う機会がめっきり減って以来、こういう甘いものにありつける機会が激減したからな」
 フルーツパフェとバナナサンデーに獣のようにがぶりつく敏腕執事たち。彼らも既に30代半ば、少女の付き合いという大義名分なしでは甘いものを注文しづらい年齢となっていた。加えて名家に勤める一流の執事という立場もあり、女々しい姿を余人には見せたくないという思いもある。複雑な事情を持つ彼らにとって、ほとんど客が来なくて口の堅い店長のいる喫茶店「どんぐり」は貴重なオアシスとなっていたのだ。
「うふふ、そうやって美味しそうに食べてもらえると、作った甲斐があるわ」
 2人しかいないお客の食べっぷりに眼を細める加賀北斗。いっておくがこの店長、カマっぽい口調ではあるがれっきとした男性である。だが彼のこういうところもまた、人目を避けて甘いものにありつきたい執事たちにとって安心材料となっていた。ここなら一流執事の仮面を被らなくても済む、見苦しいところを見せても笑って許容してもらえる。自分たちを白い眼で見るような“普通の”一見客が来ることもまずない……そう思わせる空気が北斗の周りにはあるのだから。
「こんにちわんこ」
「いらっしゃい」
 ところがそのとき。他の客が来ないはずの喫茶店「どんぐり」の扉を1人の中年男性がくぐった。マスターの北斗だけでなく巻田と国枝にとっても周知の男性は当然のように巻田たちの向かい側の椅子に座ると、硬直する2人を手で制しながら下手くそな親父ギャグを飛ばした。
「北斗くん、僕もスイーツ・ツンデレ・レーザーレーサーを。うん、我ながら速そうで無敵っぽい名前だな、そうは思わないかね?」
 意味不明なギャグを飛ばして笑い出したのは、愛沢家の現当主……巻田たちの雇い主だったのである。


「だ、旦那様、これはとんだ失礼を……」
「これはその、勤務中にサボっているわけではなく、その、咲夜お嬢さまが戻られるまでのちょっとした時間つぶしでありまして……」
「あぁ、そんなにかしこまらなくていい。ここはお屋敷じゃないんだ。ここに来れば君たちと腹を割って話せるって、北斗くんに教えてもらってね」
 北斗のほうに恨みがましい視線を向ける2人。さすがに一流の執事、怒鳴り声を上げるようなことはしなかったが……巻田は愛刀の鯉口を切り、国枝はテーブルの下でメリケンサックを懐から取り出す。せっかくの静謐なオアシスに上司を呼び込むとは地獄の業火に落としても飽き足らぬ奴、そんな殺気を黒服の中に必死で押し隠す。ところが北斗が厨房から持ってきた巨大パフェを目にした途端、2人の殺気はあんぐりと開けた口からあっけなく抜け出してしまった。
「お待たせ〜♪」
「おぉ、これこれ。1人では絶対食べられないバケツ入りの超巨大パフェだよ。百花屋というところの名物スイーツらしいんだがね、ほら、この歳になるとなかなか店に入りづらくてね。甘い物好きの同世代が揃うのを待ってたんだ」
 嬉しそうに愛沢父はテーブル上のバケツを見つめると、ついてきた3本のスプーンを巻田と国枝の手に押し付けた。
「君たちもほら、咲夜の付き合い役をあのメイドさんに取られて、失意に駆られてここに来たわけだろう?」
「い、いえ、旦那様、そのような……」
「隠さなくていい。娘が手を離れる寂しさは僕にだって分かるつもりだよ。下の子たちがいるお屋敷では愚痴なんて吐けないからね」
 唖然とする2人の執事に対して、ほら食べて、と巨大パフェをスプールで指す愛沢父。そんなぎこちない主従3人を、加賀北斗は優しい瞳で見つめていた。


「それでどうだい、最近の咲夜は? 女としてほら、成長したというか食べごろになってきたというか……」
「だ、旦那様! 我々はその、決してそのようなことは……いえ確かにその、目のやり場に困ることはありますが……」
「そうだろうそうだろう。君らにとっても娘みたいなものだからねぇ、あの子は」
 酒が入ってるわけでもないのに愛沢父の口調は軽い。対する巻田たちも口調こそ固いものの、徐々に会話のペースに巻き込まれつつあった。
「あれをみてると時々ね、あれの母親を思い出すんだよ。いやぁ実にいい女だった」
「そ、それはその……確かにお嬢さまは奥様に似てはおられますが、実の娘をそのような目で見るのは、その……」
「そ、そりゃ我々だってドキッとさせられることはありますが、その、そういう目で見るのは年齢的にも倫理的にも犯罪で……」
 そんな怪しい雰囲気の会話に差し掛かったとき、新たな来客が「どんぐり」の扉を開けた。白いコートを着てタバコをくわえた年配の男性と童顔の若い青年。それは時間帯こそ巻田たちと違うものの、時折●曜日の喫茶店に現れる常連の2人であった。
「あら、いらっしゃい、刑事さん」
「「「刑事さん?!」」」
 と大声を出したりはしないものの、引きつった表情で口を堅く閉じる愛沢父と執事2名。冗談とはいえマズイところを聞かれたという思い、そして刑事が出入りするような店となるとみっともない振舞いは出来ないという思いとが交錯する。そんな彼らに一瞥すら与えず別のテーブルに腰掛けた刑事たちは、いかにも苦労人らしくコートを脱ぎ灰皿にタバコを押し付けて大きく息をついた。そして重々しい声色で北斗に注文を出した。
「いつもの、スイーツ」
 それを聞いた3人はズルッと肩を落とした。


「柏木さん、いいんですか? こんなところで油売ってて」
「若いもんが細かいこと気にするない。聞き込みなんてペース配分しなきゃ疲れちまうだろ。だいたい刑事はヒマなほうがいいって普段から言ってるじゃねぇか」
「それとこれとは話が……」
 小声で口論する2人の刑事……柏木と乃木坂のもとに、バケツとは言わぬまでも十分に巨大な大皿に乗ったケーキが運ばれてくる。
「こんなところとはご挨拶ね?!」
「あ、いや、すみません聞こえてましたか。いや別にその、このお店を悪く言ったつもりはないんですが……」
「見苦しい言い訳するなって。市民の平和を守るのが警官の役目だっていつも言ってるだろ。不愉快にさせてどうする」
「あら、柏木ちゃんいいこと言うじゃない」
「ほら食え。飲食店での最大の礼儀は、出されたもんを最後まで平らげることだ。お前のほうが胃袋でかいんだから、ほら」
「わ、わかりましたよ……ちぇ、なんで僕がこんな……こ、これは柏木さんに言われたから食べるんですからね!」
「あ〜ら、これは良いツンデレ」
 およそ警官と喫茶店主の会話とは思えない、奇妙なノリが奥のテーブルで展開される。北斗のキャラクターが空気を軽くしているのは疑う余地もなかった。
 愛沢家の3人は息を潜めながら成り行きを見守っていた。さっきまでの自分たちの会話が聞かれた様子はない。それどころか自分たちより年上に違いない壮年の紳士が、堂々と甘いものを注文して若者をダシにしながらスプーンを動かしている。
 ……ひょっとして同類なんじゃないか? 彼らもまた、世間から隠れるように甘いものを求めてここに通っている理解者なんじゃないか?
 そんな不思議な連帯感を見知らぬ刑事2人に向ける愛沢家の3名。しかし見ず知らずの相手、たまたま同じ店で甘いものを注文してるからといって声をかけるのも……と逡巡しているとき、6人目の客が現れる。
「いらっしゃい……あら、お久しぶり」
「失礼する」
 それは白い口ひげをはやした、貫禄のある初老の紳士だった。彼はじろりと店内を見て……先客たちのテーブルに全員揃って甘いものが載っているのを認めると、ふんっとばかりに口元を吊り上げてコツコツと店内に歩きだした。そして自分のテーブルに着席し背広の襟を整えると、厳かな口調で北斗に注文を告げた。
「いつものを」
「いつものって何かしら?」
「なっ……分かってるだろう。いつものといえば、いつものだ」
「ごめんなさい、ちかごろ記憶力が悪くて。ついでにいうとメニューの本も切らしてたりするのよ」
 見え透いた嘘をつく加賀北斗。初老の紳士は世にも情けなさそうな表情をすると、しばし迷ったのち、一転して赤ん坊のような口調でメニューの名を告げた。
「すいーちゅっ」
 その声を聞いた客5人は盛大にずっこけた。


「はいどうぞ……でもどうしたの、あなたのとこはお料理の上手なメイドさんがいるんじゃなかったっけ?」
「馬鹿を言え。借金執事くらいの歳ならともかく、他のやつが皆10代のあの屋敷で甘いものなんか食べていられるか。仮にも三千院家の執事長だぞ、私は」
 精一杯に虚勢を張りながらクラウスは反論すると、子供のように目を輝かせながらチョコレートパフェを幸せそうに見つめた。そして頬杖をつきながら息をつき、夢見心地にも似た表情でスプーンを差し込もうとして……。
「クラウスさん」
「……んっ?!! あ、あなたは愛沢家のご当主、なぜこんなところに……」
「みな思いは同じですよ、執事長どの」
 笑顔を浮かべた愛沢父のすぐ脇では、あのバケツパフェを抱えた巻田と国枝が“見ぃつけたっ”と言わんばかりの表情で付き従っていた。驚きと恥ずかしさで目を白黒させたクラウスは……やがて自分がこの場では特別でもなんでもないことを理解すると、にんまりと頬を緩めた。
「これはこれは……意外でしたな、愛沢家の当主殿と敏腕執事のお2人が、こういう嗜好をお持ちだったとは」
「こういうものは、余所ではおいそれと食べられませんからね。あなたならお分かりと思いますが」
「確かに」
 人には見せられない秘密を共有したもの同士。互いに弱みを握り合ったもの同士の友情はダイヤモンドよりも堅かったりする。連載本編でハブられまくってる三千院家執事長と愛沢家の当主および執事たちは、思いがけず生まれた互いの繋がりに目配せを交し合い、誰からともなく親指を立てた拳を前へと突き出した。中央で合わされた拳は1つ、2つ……合計5つ。
「あれ?」
「こいつも仲間に入れてやってくれ。若いが大の甘党でな」
「ちょ、やめてください柏木さん!」
 乃木坂刑事の手を無理やり引っ張ってクラウスたちの前に差し出した柏木刑事。なんだ、刑事とはいっても結構お茶目な人なんじゃないか……警戒心を解いた国枝は壮年刑事に笑顔を向けた。
「スイーツ同盟、第1条。照れ隠し禁止」
「なっ……」
「ははは、同感だな」
「同感ですな」
 愛沢父とクラウスにあっさりと承認され、目を泳がせる柏木刑事。そんな彼の手を巻田が中央へと導いた。ここに総勢6名のスイーツ同盟が発足した。


 こうなれば遠慮はいらない。フルーツパフェとチョコレートパフェとバナナサンデー、バケツパフェに特大ケーキと甘いものを1つのテーブルに固めた野郎ども6名は、立食パーティのようにテーブルを取り囲みながら甘いご馳走に舌鼓を打ち合った。マスターの加賀北斗は邪魔者が入らないよう、営業終了の札を扉にかけて鍵を閉めた。これは世を忍ぶ男たちの秘密結社、この店の中だけのパラダイス……そんな楽しいひと時が15分ほど続いた頃。
 トン、トン。
 扉を打ち鳴らす音。唇をクリームだらけにした男たちは顔を見合わせた。閉店の看板を出してるんだから無視していい……そう視線で北斗に訴えかける。
 トン、トン。
 しかし扉を叩く音は止まない。ちゃんとインターホンもあるはずなのにボタンを押す気配はまったくない。
 トン、トン。
「あの〜、ごめんください、ここは何処でしょうか?」
 扉の向こうから聞こえてくる女性の声。その声質と天然丸出しの喋り方にクラウスは聞き覚えがあった。聞いてしまった以上は見捨てるわけには行かない、なにしろ自分の主人の友人のご家族だ。彼はクリームだらけの顔のままで扉へと走った。
 ガチャッ。
「あら、白ヒゲのサンタさん……今日は12月だったかしら?」
 とある名家の若奥様……鷺ノ宮初穂がそこにいた。


 楚々として店内に入ってくる和服美人の姿を見たとき、スイーツ同盟の面々に戦慄が走った。いい歳をした大人たちが甘いお菓子に群がってる姿を、若い女性、それもこういうものに縁のなさそうな箱入り若奥様に見られたのだ。魔法が解けたように顔が紅潮してくる。頭が真っ白になり足が動かなくなる。そんな中で初穂に話しかける余裕を見せたのは、自身の恥より主家の恥を重んじるクラウスと、元々三枚目キャラで通してきた愛沢父の2名だけだった。
「これはこれは、鷺ノ宮家の奥様。ご無沙汰しております」
「はぁ、どうも……咲夜ちゃんのお父様」
 間違いではない、間違ってはいないけれど……いかにも天然な初穂らしい呼び方にちょっぴり傷つく愛沢父。しかし親父ギャグの名手は立ち直りも早い。
「ははは……あの、どうしてここへ?」
「私にも分かりません。お庭を散歩してるうちに、いつの間にかここへと……あの、日本ですよね、ここ?」
「…………」
 さすがは鷺ノ宮家の一族。これが初対面になる柏木刑事たちにも、目の前の女性が尋常でない方向音痴であることはよく分かった。分かったからには警官として見過ごすわけには行かない。
「分かりました。お家まで本官がお送りしましょう」
「……?? あの、ナギちゃんとこの執事さん、この男性の方は?」
「警察の方です」
「まぁ、私これから逮捕されちゃうんでしょうか?」
 ……とまぁ、長いが不毛な会話が繰り広げられた末にようやく状況を理解した初穂。とりあえず家に帰れそうと安心した彼女は、きょろきょろと店内を見渡して……男性たちが忘れかけていたテーブル上のお菓子たちに目を留めた。
「まぁ、美味しそう……今日はパーティを開いていたのですか?」
「え、えぇ、まぁ……」
「これはなんと言うお料理ですか? ずいぶん綺麗で美味しそうに見えますけど」
「えっと……これはあの、いろんなスイーツを食べ比べてたところで」
 男たちの様子をちらちらと見ながら北斗が説明する。見て欲しくないものを見られてしまった、どう言い繕おうか……スイーツ同盟の面々は一様に緊張の面持ちを浮かべていた。だがそんな空気に気づく様子もなく、初穂はイノセントな表情で小首をかしげた。
「そうですか。では私にも少しだけいただけません? その……スーツを」
 若奥様の小さな言い間違い。それを聞いた男たちは、糸の切れた操り人形のように一斉に脱力したのだった。


 それから1時間後。加賀北斗はお客の去った店内を1人で片付けていた。先入観も偏見も持たない初穂はめでたくスイーツ同盟の一員として迎えられ、現在は柏木刑事たちとともに帰路についている。愛沢家の3人もクラウスも、どこかすっきりした表情で帰っていった。小さな小さな秘密結社は今後「どんぐり」を基点に定期的に会合を持つことが決まった。もちろん余人に行動を知られないよう、連絡には細心の注意を払うという条件付きではあるが。
 この日の来客は結局この7人だけ。特大スイーツは幾つか売れたものの若者のようにハイペースで食べたわけではないので売り上げは6千円くらい。喫茶店の一日の売り上げとしては話にもならない小額。
「でも……たまにこういう面白いことがあるから、お店は辞められないのよね」
 誰もいなくなった店内で、加賀北斗はそうつぶやきながら中空を見上げたのだった。


Fin.

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