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彼女がメイドさんになった訳

初出 2009年02月16日
written by 双剣士 (WebSite)
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 それは綾崎ハヤテと三千院ナギが出会った運命の日より、およそ1年10ヶ月前の2月のこと。


「きりーつっ、れいっ」
 夕方のホームルームが終わり、ざわざわと下校し始める生徒たち。彼女らに混じって荷物をまとめていた貴嶋サキ(18歳)に対し、親愛なる悪友2人が声をかけた。
「よっ、サキ。これからカラオケ行かない?」
「すみません、秋さん、静子さん。今日はちょっと寄るところがあって」
「何よぉ、付き合い悪いじゃない。昨日の試験で涙の海におぼれた親友を励まそうって気はないわけ?」
「そーよそーよ。受験のないあんたと違って、私たちはナーバスでストマックなんだからね!」
 口々にがなり立てる秋と静子。ストマック(胃袋)とストイック(禁欲的)とを言い間違えた静子の言葉を訂正するものは誰もいない。現役受験生の癖に呑気なものである。
「付き合うも何も、本当にいいんですか? 明後日には3校目の私立を受けるんでしょう、カラオケなんか行ってる場合じゃ……」
「あたしたちは悟ったのよ、サキ。人生いたるところに青山あり。無理して背伸びしなくたって、おのずと道は開けてくるものなのよ」
「若いうちから勉強ばかりしたって良いことないって。人にはそれぞれ個性ってもんがあるの。試験の点数なんかで測られてたまるもんですか」
「涙の海におぼれてたんじゃなかったんですか……?」
 苦し紛れの開き直りはあっさりと突き崩される。ぐっと口ごもった2人は意趣返しとばかりに薄情な友人をなじり始めた。
「な〜んかムカつくわよね、サキに突っ込まれると」
「そうよね。あたしたちが受験でヒーヒー言ってるってのに、なんでサキだけ余裕で早々と」
 3年▽組、貴嶋サキ。史上最低の天然ボケ娘として校内に名をとどろかせた彼女の卒業後の就職先は、担任教師ですら驚くくらいに早々と決まっていた。就職内定の知らせを聞いた学年主任が「嘘だろ?」と口走ったことは学内新聞に掲載されたほどだし、それを読んだ同学年の就職希望者たちが「今年の就職戦線は超売り手市場だ」と勇気付けられたことは記憶に新しいところである。
 それは無理もないことだった。平凡な都立女子高の職員や生徒たちから見れば、サキの祖母である伝説のハウスメイド・貴嶋レイの人脈と影響力など想像の枠外なのだから。
「なんでサキなんかに一部上場企業の受け入れ先があって、あたしたちがこんな苦労しなきゃなんないのよ!」
「不公平だわ! サキ、あんたにも受験地獄のお裾分けをしてあげる、今夜は寝かせないからね!」
「あの、本当に今日はちょっと……」
「こら、逃げるな!」
 貴嶋サキは脱兎のごとくドアへと駆け出し……お約束のようにビッターンとドアの前で転んで顔を廊下に打ち付けた。そして廊下と教室に白い空気が流れる中、「痛た……」と顔をさすりながら起き上がった彼女はヨロヨロと下駄箱へと歩き出して秋たちの視界から消え……やがて下り階段のほうから、どたどたという転落音と取り巻く生徒たちの悲鳴とが響いてきた。秋と静子は顔を見合わせた。
「……どうする、静子?」
「やめときましょう。逃げるあの子を追いかけたりしたら、カラオケじゃなくて病院にいくことになりそうだし」


「こんにちは〜、若」
 それから20分後。身体中を痣だらけにした貴嶋サキが姿を見せたのは、オフィス街のビルに挟まれた小さな一軒家の玄関だった。慣れた手つきで合鍵を差し込み扉を開けた彼女を出迎えたのは、この家で1人暮らしをしている橘ワタル(11歳)である。
「よぉっ……って、なんだよその格好! ここに来るまでにクマと喧嘩でもしたのか」
「しませんよぉ。大丈夫、気にしないでください……それじゃ、さっそくお部屋のお掃除をしますね」
「……ああ」
 制服にエプロンをつけたサキは部屋の中央に置かれた掃除機を取り上げると、軽快に鼻歌を歌いながら周囲のごみを吸い込み始めた。ときどき電気コードに足を引っ掛けて転ぶものの、大怪我をしそうな尖った物はあらかじめ少年の手で取り除いてあるので大事には至らない。掃除が終わればあらかじめ汚れ物をまとめてある洗濯かごから衣類を洗濯機に入れ、あらかじめアイロン掛けして畳んである洗濯物を洋服棚へと収納する。そして少年が買い揃えてくれていた食材を冷蔵庫から取り出して、今夜の夕食の準備へと移るのであった。
 ……そう、こうして週に4回、学校の帰りに少年の家に寄って掃除や洗濯や炊事をしてあげるのが、祖母の危機を救ってくれた橘家への彼女なりの恩返しなのである。


 そして2時間後、2人きりの夕食の席にて。
「どうですか、若? 今日のお料理は、わりと失敗せずに出来たと思うんですけど」
「……まぁ、な」
 今日の夕食はチャーハン。食材は買ってあるし御飯も炊いてあるから、サキがやったことといえば刻んだことと炒めたことだけ。所々に血痕と焦げ目が混じってることを除けば、失敗しようのない献立である。しかし少年は余計なことは言わない。
「だいぶ上手になってきたんじゃねーの? 花嫁修業としちゃ、まだまだ序の口だけどな」
「は、花嫁だなんて、そんな……」
「なに照れてんだよ気持ち悪い。まーせいぜい腕を上げてもらわねーと、オレが毒見役やってる意味がないってもんだけどな」
「だ、誰が毒見役ですか、誰が!」
 喜んだと思ったらすぐ涙目で怒り出す。年上の少女のコロコロ変わる表情を眺めるのが、小学生のワタルの楽しみの1つでもあった。ところがそんな少年の笑顔が、続く彼女の言葉を聞いた途端に凍りついた。
「まぁまぁ、冗談だって、すぐ本気にするんだから。サキをからかってると本当に面白れーな」
「んもぅ……子ども扱いしないでください。私はもうすぐ就職して、ハイセンスなOLになるんですからね」
「えっ……」
 絶句して箸を落とすワタル。あらあらと脇に駆け寄って箸を拾ってくれるサキに対し、少年は魂の抜けたような表情で問いかけた。
「サキ、就職すんの……?」
「え、そりゃまぁ……あ、若も静子さんたちみたいに、私なんかが就職できるわけないと思ってたんですか? ひどいです」
「あ、いや、そうじゃなくて……この時期なのに受験勉強してる風でもなかったからさ、てっきりまだ先のことかと」
「あれ、若にはまだ話してませんでしたっけ? 私がお勤めするのはですね、このオフィス街の近くにある……」
 得々として説明するサキの言葉は、ワタルの耳を素通りするばかりだった。そして一通りの説明を終えたサキに対し、ワタルは小さな声でつぶやいた。
「そっか……就職するんだ。当然だよな……」


 このときワタルの表情が曇った理由を、貴嶋サキは帰宅後の母親の言葉で知ることになる。
「サキちゃん、ワタル坊ちゃんの世話を焼くのも良いけど、そろそろケジメをつけなさいね。4月からはあなたも社会人でしょ。お仕事とワタル坊ちゃんの世話とを両立できるほど世間は甘くないのよ」


 翌日。学校を終えたサキは一目散にワタルの家へと向かった。その日はワタルの家に通う予定日ではなかったけど、そんなことは関係ない。
《若は春から私がいなくなると思ってる。そんなことないんだって伝えてあげないと》
 昨日の夕食の席で少年が見せた暗い顔の意味に気づけなかった自分が恥ずかしい。祖父にも両親にも置いてきぼりにされた少年のことを、大人になるまでしっかり養育するんだって決めたのは自分ではないか。彼は自分なんかよりお料理も洗濯も掃除も得意で、1人暮らしでも困ったような顔を全然見せない子だけど……11歳の男の子が1人で寂しくない訳ないじゃないか。そんなことにも気づかず浮かれちゃって、自分は馬鹿だ!
「……あら?」
 いつものように合鍵を差し込もうとして、ふと聞き覚えのある声を耳にしたサキは手を止めた。
「ほな、2千万でええねんな?」
「悪い、サク、恩に着る!」
「いや、ウチは全然構へんけどな、あんたとウチの仲やし……でも聞かせてんか、なんで急に店なんか開く気になったんか」
《お店?》
 奥の部屋から聞こえてくる関西弁。それはワタルの幼馴染で、少年と同年齢ながら既に喫茶店オーナーまで勤めているという大金持ちの少女の声だった。だが今回の「お店」とは彼女のものではないらしい。サキは扉の外で耳をそばだてた。すると少年の、どこか言いづらそうな言葉が聞こえてきた。
「……いつまでも人に頼っちゃいられねーんだよ」
「はぁ? ウチら11歳やで、まだガキやで? そない背伸びせんでも、大人に頼れるうちは頼ったらええやん」
「いつかはいなくなるんだよ、みんな……じいちゃんも父さんも母さんも……サキだって」
《ええっ?!》
 いきなり自分の名前が出てきたのに驚いたサキは、慌てて自分の口をふさいだ。
「失くしてから慌てたって遅いんだ。誰もいなくなる前に、オレ自身が強くならねーと……そう思ったら、居ても立ってもいられなくてさ」
「別に自分が頑張らんでも、ナギと結婚したら一生安泰なんやで?」
「なんでオレが! そんなんで金持ちになったって馬鹿にされるだけじゃねーか。オレは自分の力で大きくなって、それで……」
「あーあー、もう言わんでええ。長い付き合いや、分かってるから」
「……ちょ、なにすんだよ、子ども扱いしやがって!」
 サキには奥の部屋の光景が手に取るように想像できた。おそらく咲夜がワタルの頭を撫でようとしたんだろう。馬鹿にするのでもからかうのでもなく、シリアスになりすぎた空気を和らげる目的で。愛沢咲夜とはそういう気遣いのできる女の子なのだ。
「ふ〜ん、しかしアレやな……大人に頼りたぁない言いながら、ウチに設立資金を借りるんは問題ないんやな。ナギに頼るのはシャクで、伊澄さんにも格好悪いとこ見せたぁないって言うてたあんたが……要するにウチは財布扱いって言うとこか?」
「そ、そんなんじゃねーって! サクは大事な友達で、今までみっともねーとこもさんざん見られてて、それで……いまさら格好つけても意味ねーって言うか。いや別に借金を踏み倒す気なんかじゃなくてさ」
「正直やな、自分。安心しぃ、怒ってへんから」
 扉に背を預けて座り込んだサキの耳に、幼馴染たち世代のお姉ちゃん役である少女の言葉が静かに染みわたった。
「2千万貸す代わりにひとつだけ覚えとき。大人には頼れへんって心意気は立派やけど……誰かに頼られること、力になってやれることを逆に喜ぶタイプもおるんや、ウチみたいにな」


 その夜、自宅に戻ったサキは夕食の後に両親に相談を持ちかけた。相談とは言っても彼女の気持ちはすでに決まっていたのだが。
「お父さん、お母さん……あの、大事なお話があります」


 そして3月31日。オフィス街の一軒家だった橘家は立て替えられ、レンタルビデオの店舗へと見事に変貌を遂げた。営業開始を翌日に控えた橘ワタルは、咲夜やナギたちから届けられた花輪を玄関に飾るべく早朝に店のシャッターを開けた。朝の冷たい空気と陽光が差し込む中、大きく背伸びをしたワタルは……。
「……な? な、なにしてんだよ、サキ?」
「おはようございます、若」
 口を大きく開けたワタルの瞳に映ったのは、見慣れない黒のメイド服を着た貴嶋サキと、その背後に並ぶスーツケースの山だった。直立不動でぴしっと敬礼したサキは、輝くような笑顔で宣言した。
「今日からこのお店で、お世話になります!」
「え? なんだよそれ、冗談やめろよな? お前はこないだ高校を卒業して、明日から仕事に行くんだろ?」
「就職は辞退してきました。ついでに両親にも家を追い出されちゃいました」
「な、なんで?!」
 サキは直接には答えなかった。口をぱくぱくさせるワタルに向かって敬礼を解いたサキは、ワタルのすぐ前に歩み寄ってしゃがみ込み視線を合わせた。
「今日からは夕方だけじゃなくて、四六時中お世話しますね、若」
「なんなんだよ、聞いてねーぞそんなの! 同情なんかでそこまでしなくても……」
「同情でも恩返しでもないですよ。これはお仕事です。ほら」
 真新しいメイド服を着たサキはワタルの目の前でくるっと回って見せた。ふわっと開いたメイド服のスカートがワタルの鼻先をかすめ、朝露混じりの石鹸の匂いが店先に広がった。頭をくらくらさせながらワタルは最後の抵抗を試みた。
「で、でも店を始めたばっかだし、給料なんか出せねーぞ」
「出世払いでいいですよ。今までだってお金なんて受け取ってなかったですし」
「お前、さっきは仕事だって言ったんじゃ……」
「それじゃ初月給の日まで、食費と家賃を若に立て替えてもらうってことでどうです?」
 名案を思いついた、とばかりにサキはにっこりと微笑んだ。それを聞いたワタルの脳裏に、先日咲夜が残していった最後の言葉がエコーのかかった声で繰り返し再生された。観念したワタルは照れ隠しのように声を荒らげた。
「あぁもう、この意地っ張りめが! さっさと荷物を中に入れろ、花輪を飾るのに邪魔だろうが!」
「は、はいっ!!」
 サキはスキップしそうな足取りでスーツケースを取りに戻り……思いっきりスーツケースを蹴っ飛ばして派手に転倒した。蹴り出されたスーツケースは店頭に飾られていた花輪をなぎ倒し、そのままの勢いでガラス扉に衝突した。朝のオフィス街にガラスの割れる甲高い音と、天然メイドさんの泣き声とが響き渡った。


 それから数ヵ月後。サキは高校の同級生2人から電話をもらい、母校近くのファミレスに呼び出されていた。
 浪人生という名目で自分探しをしている秋と静子の愚痴を聞かされたサキは、大手企業の内定を棒に振ったことを恨みがましく2人に責められると、少しも残念そうにない表情で穏やかにつぶやいた。
「だって、仕方ないじゃないですか……放っておけなかったんですよ、私には」


Fin.

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