ハヤテのごとく! SideStory
仲直り
初出 2009年07月23日
written by
双剣士
(
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ハヤテのごとく!の広場へ
この作品は
天まで届け、泉の魔法!
に寄贈しました。
下駄箱に忍び込ませたラブレター。学園ラブコメの定番とはいえ、実際に目にすることは案外少ないアイテムの1つである。桂ヒナギクのように下駄箱から
溢
(
あふ
)
れかえるほどの枚数を毎日のように受け取る者もいれば、小中高の12年間を通じて1通たりとも受け取ったことのない人間も存在する。この物語の主人公は後者のタイプの女の子であった、少なくとも昨日までは。
「ほぇ?」
登校して下駄箱をのぞき込んだ瀬川泉は、上履きのうえに折り畳んで乗せられたノートの切れ端を見つけて素っ頓狂な声を上げた。いざ自分の身に降りかかるとまるで現実感のない、恋愛イベントの始まりを告げる小さな紙切れ。だが本人がそう認識するより早く、彼女の親友2人が左右から首を突っ込んできた。
「ほほう、ラブレターとは古典的な」
「誰からだ? 中にはなんて書いてある? 隠し事は良くないぞ、私たちは親友だもんな、泉?」
面白いこと大好きな花菱美希・朝風理沙の両名が、格好のからかいネタを見つけたとばかりに泉の肩を揺さぶってくる。瀬川泉は客観的に見ても男子生徒に好かれないタイプの少女ではないはずなのだが、それにもかかわらずアプローチしてくる男子生徒に恵まれないのは実にこの悪友たちの存在が大きかった。もっともそれは他の2人についても同様のことが言えるわけだが。
「にゃあぁ、ダメだよぉ美希ちゃん理沙ちん。これは泉あてのお手紙なんだから、面白がってネタになんかしちゃあ……」
「何を言う、誰もネタにしたりなんかしないぞ。親友として相談に乗ってやろうとしてるだけじゃないか」
「そうだぞ泉。幸せは3人で分かち合い、不幸や面倒ごとはヒナに全部押しつける。小さい頃に一緒に誓い合ったじゃないか」
「嘘、嘘、嘘! そんな誓い、してないもん!」
涙目になりながらノートの切れ端を胸に抱いて駆け出す泉。そんな親友の予想外の行動を、アクション担当でない2人の悪友はポカンと口を開けながら見送った。
「なにマジになってんだ、泉のやつ?」
「……マジになるだけの心当たりがあるんじゃないか?」
美希の言う通り、泉には差出人の心当たりがあった。以前の彼女なら何の抵抗もなく親友に手紙を見せていただろう。それが出来なかったのは1年生の3学期から同じクラスに編入してきた、親切で格好いい男子生徒の顔が不意に脳裏をかすめたからに他ならない。
《きゃーっ、どうしよどうしよ! これってラブレターだよね、ハヤ太君が泉にくれたお手紙ってことだよね?!》
中身を見る前から乙女らしい思いこみで顔を真っ赤にした泉は、全力で廊下を駆け抜けて女子トイレに飛び込むと個室に入って鍵をかけた。ワクワクしながらそっとノートの切れ端を開いた彼女の目には、差出人なしの簡潔な一文が飛び込んできた。
ほーかご、体育倉庫の裏でまってまーす (*^_^*)
女の子らしい丸文字と顔文字で書かれた、たった1行のメッセージ。男子生徒からのラブレターでないことは一読して分かりそうなものだが、中身をみる前からテンパっていた泉の妄想は止まらなかった。綾崎ハヤテが携帯メールになると顔文字や絵文字を使いまくるフランクな少年であることを彼女は知っている。というよりむしろ、普通の男子高校生がどういう文章を書くかを知らなすぎると言ったほうが正しい。
《うわぁ〜、なんだろなんだろ。同じクラスにいるのに、わざわざ美希ちゃんたちやナギちゃんに内緒でお手紙をくれるなんて》
これまでハヤテとは恋人らしいことなど何ひとつしてこなかった彼女であったが、こういう突発的なイベントが起これば話は別である。いつも親友たち3人そろって彼と接することが多かっただけに、今回の連絡手段は嫌がおうにも泉の想像をかき立てる。
《なんだろー、なにかプレゼントをくれるのかな? それともナギちゃんのことで相談とかかな? どっちでもいいや、ハヤ太君との距離を縮めるチャンスだもんね♪》
ウキウキ気分で女子トイレから出てきた泉は、脳内妄想の方に意識を奪われたままふらふらと廊下を歩き出した。そして……。
どんっ!
「きゃっ!」
「あ、すみません瀬川さん、大丈夫でしたか?」
「ほぇ?……ハ、ハヤ太君!!!」
誰かにぶつかって尻餅をついた泉の目の前に、さっきまで妄想していた少年の顔がぐいっと迫る。突然の出来事に愛想笑いをする余裕など泉にはなかった。瞬時に全身の血をほっぺたに昇らせた彼女は、差し伸べられたハヤテの手を振り切って脱兎のごとくその場を逃げ出した。
《きゃー、そんなそんな、まだ心の準備が出来てないよぉっ!!!》
そして。クラスメートに逃げられて置いてきぼりにされた綾崎ハヤテは、手を差し伸べた格好のままでがっくりと肩を落としていた。
「瀬川さん、あんな必死で逃げ出さなくても……僕、また何か悪いことしちゃったんでしょうか」
「ふん、どうせ尻餅ついでにパンツを見たとか胸元に視線が向いたりとかしたんだろ」
不機嫌そうな金髪少女の言葉が、背後から少年執事の背中に突き刺さる。それは嫉妬による言いがかりに他ならなかったが、向けられた相手は超不幸属性を自認するネガティブ思考の持ち主だった。主人の嫌みを耳にしたハヤテは毎度お馴染みマイナス思考の蟻地獄に首までどっぷりと浸かってしまう。
「ああ……ひょっとして僕、瀬川さんに嫌われちゃったんでしょうか……」
「ふん、自業自得だろ。私以外の女とイチャイチャしているから、こういう目に遭うんだ!」
こうして、その日の授業が始まった。
クラス委員長の瀬川泉は表面上なにごともなく振る舞ってはいたものの、ことある毎に綾崎ハヤテの方に熱い視線を向けていることは一部の人間にはバレバレであった。花菱美希と朝風理沙は互いに目配せを交わしながら親友の一挙手一投足をビデオカメラに収めるべく入念な準備をし始めた。視線を向けられたハヤテの方は貝のように背を丸めて嵐が過ぎるのをじっと待つかのように神妙にしていた。そしてそんな光景を見つめる三千院ナギの瞳は時間を追う毎に険しさを増していったのだった。
そして、運命の放課後が訪れる。
「瀬川先輩! 文のししょーになってください!」
「し、ししょー?」
「そうです! クラスのいいんちょさんとして生徒会の人たちをまとめ上げてる、瀬川先輩の統率スキルをぜひ学ばせてもらいたいのです!」
「……あ、あの、えぇっとぉ……」
終業の鐘が鳴るなり猛スピードで教室を駆け出して、お邪魔虫を振り切りながら飛んできた放課後の体育倉庫裏。だがそこで待っていたのは彼女が夢想していた少年ではなく、某神社のクイズ大会で1度顔を合わせたに過ぎない変わり者の女の子であった。想定外の人物から予想外の申し出を浴びせられた泉は、クラクラする頭を押さえながらひとつずつ現状を確認した。
「えっと、そうするとぉ……私の下駄箱にお手紙を入れてくれたのって、ひょっとしてあなた……」
「はいです。一晩真剣に悩んだ末に先輩を選んだのです、期待を裏切らないで欲しいのです」
ちいさな押し掛け弟子は態度と声だけは豪快に大きかった。そしてそれに反比例するかのように、泉の期待はシオシオと紙風船のように
萎
(
しぼ
)
んで皺だらけになってしまった。
「? どうしました先輩、文の人気に嫉妬して落ち込んでるですか?」
「そ、そういう訳じゃないけど……でもそういうお願いだったら、私なんかよりヒナちゃんに頼んだ方がいいと思うよ」
「ダメです、あんなパンツ丸見えのかいちょーさんなんて」
弟子入り志願の少女は論外とばかりに首をブンブンと振った。
「あの人は美人で優秀だって学園中の評判だけど、文は知ってるのです。あの人は登った木の上からパンツ丸出しにして跳び蹴りを仕掛けてきたうえに、そのことを文が指摘する度に大声で怒鳴りつけてくるような乱暴者のお猿さんなのです。みんな騙されているのです」
まんざら有り得なくもない話なだけに泉は苦笑するしかない。
「でも眼鏡の書記さんみたいに、本当に優秀で親切な人もいるのです。かいちょーさんの評判がいいのは、きっと脇を固める役員さんや委員さんたちがフォローしてくれてるからに違いないのです。そして皆さんのいるクラスを束ねている瀬川先輩は、その頂点に立つお方なのです!」
「それ全然逆だよ、いつもフォローしてくれてるのはヒナちゃんのほう……」
「そう、そうやっていつも一歩下がってパンツ丸見えのかいちょーさんを引き立てようとする、遠慮深い慈愛の精神こそが文の琴線に触れたのです、文の目は節穴ではないのです!」
《どうみたって節穴だよぉ……》
暴走する下級生の強烈無比な勘違いに、瀬川泉は深々と溜め息をついたのだった。
「ほら、帰るぞハヤテ……何をきょろきょろしてるんだ?」
「いえ、もし瀬川さんを見かけたら、今朝のこと謝らなきゃって思いまして」
「いつまで引きずってるんだ、あんな女のこと! お前は私のことだけ見てればいいんだ!」
聞きようによっては愛の告白に他ならないナギの台詞も、年下に興味のないハヤテにとっては単なる主人の命令に過ぎない。チャイムが鳴るなり教室を飛び出していった泉のことを歩きながら目で探していた綾崎ハヤテは、肩を怒らせて迎えの車へと向かう三千院ナギの後をとぼとぼと付いて行ったのだが……運命の悪戯とは、得てしてこういうタイミングで訪れるもの。
「あ、ハヤ太君だ! やっほー」
「せ、瀬川さん!」
手紙の相手がハヤテでないと分かった今、泉の方にわだかまりはない。憂鬱な気分で体育倉庫裏から校舎に戻る泉の表情が、校門前で彼に会った途端に一瞬で輝きを取り戻した。ところが……。
「あーっ、嘘つきの天然ジゴロさん!」
「えっ、文ちゃん今なんて……」
「こんな人と話しちゃダメです、瀬川先輩! この人はかいちょーさんを言葉巧みにたぶらかす悪人さんなのです、学園では男子生徒の共通の敵ナンバーワンに認定されているのです!」
日比野文が物事をおおげさに言うのは泉も既に慣れっこになっている。しかし仲直りのきっかけを掴みかけたハヤテにとって文の罵声は最悪のタイミングと言えた。みるみる表情を曇らせるハヤテに慰めの言葉を掛けようと身を乗り出す泉。しかし文の毒舌は止まらない。
「文と初めて会ったときの第一声を知ってますか? 『お嬢さまは巨乳です』ですよ! この人は見え見えの嘘をついて胸なしの女の人にゴマをする悪い人なのです! きっとかいちょーさんも同じ手で落としたに違いないのです!」
「……おい、ちょっと待て。誰が胸なし女だって?」
がっくり膝を付くハヤテの向こうからドラゴンのオーラを立ち昇らせたナギが目尻を吊り上げて威嚇する。しかし日比野文のKY能力の前には毛ほどの傷すら付けられない。
「さ、行きましょう瀬川先輩。文たちは忙しいのです」
「ま、待ってよ文ちゃん。ハヤ太君はそんな悪い人じゃないよ〜」
「なに言ってるんですか、先輩はこの人に告白されたとき、『寝言は寝て言え、このビンボー人♥』の一言で撃墜した勇者さんなんでしょう? あの天然ジゴロに土を付けたって、先輩のことは学園中で有名なんですよ!」
「えっ……」
誤解の内容そのものより、それが学園中に広まって新入生の日比野文の耳にまで入っていたことが泉の全身を凍り付かせた。石像化した泉をぐいぐい引っ張っていく文と、四つん這いで肩を落とした体勢のまま置き去りにされるハヤテ。そしてそのハヤテの後ろから、負けず嫌いのお嬢さまの怒号が鳴り響いた。
「気が変わった! ハヤテ、あの生意気な下級生をとっちめて謝らせてこい! あいつの泣きっ面を見るまで帰ってくるな!」
《わわわ、どーしよう、絶対ハヤ太君に変な子だって思われちゃったよぉ!》
放心状態から我に返った泉は全身から冷や汗を吹き出させた。学園の噂は今更どうしようもないとしても、ハヤ太君に誤解されたまま別れちゃったのはあんまりだ。早くハヤ太君のとこに戻って謝らないと! ディーゼル機関車のように力強く右腕を抱いて引っ張っていく下級生の歩みを止めるべく、泉は説得を始めた。
「は、放してよ文ちゃん、あれじゃハヤ太君が可哀そうすぎるよ!」
「あんなやつのことなんか気にしなくていいのです。それよりクラス報告書の書き方についてレクチャーしてください、瀬川先輩」
「でもでも、学校の噂を鵜呑みにしてクラスメートを突き放すなんてよくないよ! 泉はいいんちょさんなんだから!」
「……ふむ、言われてみれば確かに」
右腕を抱いた日比野文に急停止されて、泉は思わずよろけそうになった。カチューシャを巻いた下級生は宇宙の真理に目覚めたかのように中空を見上げながら唇に指先を当てた。
「なるほど、すごいです瀬川先輩! 悪いやつを切り捨てるだけなら誰でもできる、あえて懐柔し心服させて下僕にすることが学園の支配者としての器量だということですね! 感動です、英語で言うとKAN☆DOです! さすがは私のおししょー様!」
「下僕にするって……ま、まぁ、そういうことで文ちゃん、早く戻ろう?」
「『英語で言うと』の部分はスルーですか?!」
もういちいち誤解を訂正してなんか居られない。急いで右腕を引き抜いた泉は、身をひるがえして校門のほうに駆け戻ろうとして……本日2度目の正面衝突によって頭から豪快に火花を散らし、ぺたんと廊下に尻餅をついた。
「あいたたた……」
「ご、ごめんなさい、あの……あれ、そこにいるのは文ちゃん?」
「あ、シャルナちゃん! 見てください聞いてください、この人が私のおししょー様の瀬川先輩なのです」
「まぁ、それは……ひょっとして文ちゃんがご迷惑をおかけしたりしていませんか?」
「ほぇ?」
開口一番に『迷惑』という言葉が出てくるあたり、目の前の女生徒は日比野文を熟知する人間に違いない……そう泉は確信した。
「文ちゃんは元気で物怖じしない良い子なんですけど、周囲を見ないまま思い込みで暴走したり毒舌を吐いたりする悪い癖がありまして……私のツッコミはどうしても後手後手に回りがちですし、誰か頼りになるコーチ役さんが傍にいてくれたらって思っていたんです。文ちゃんのこと、よろしくお願いします」
「は、はぁ……」
流暢な日本語と的確な人物批評、そして腰の低い態度。インド王族の血をひく留学生の隙のない挨拶に、泉は
曖昧な笑顔
(
アルカイック・スマイル
)
を返すしかなかった。まさに今その被害を被ってる最中だと言いたいところだが、初対面の相手にこうも下手に出られると彼女の友人を悪く言うのは
躊躇
(
ためら
)
われる。どう答えてあげようか、いや立ち話なんかしてる場合じゃない、一刻も早く校門に戻らなきゃ……そんな風に泉が逡巡しているうちに、彼女の頭上から黄色いカチューシャの下級生が新たな爆弾を投下してきた。
「聞いてくださいシャルナちゃん、瀬川先輩はこれから、学園の敵と戦って悪いことしないよう懲らしめる、正義の水戸黄門さんをやってくれるんですよ!」
「……本当ですか、先輩?」
ちがうと言いたいのは山々だが、説明してる時間が惜しい。曖昧に笑いながら泉は立ち上がり、それじゃと言い残して校門へと駆け出した。
「まぁ、日本伝統の勧善懲悪ものが生で見られるのですね? それはぜひ立ち会わせていただきたいです」
駆け出す泉と、期待に瞳を輝かせながらその後を追う2人の下級生。奇妙な取り合わせに泉は泣きたくなった。そして校門前に到着してハヤテが既にそこにいないことに気付いた途端、その感情は堰を切って彼女の口から飛び出した。
「もー、なんでこうなっちゃうのぉっ!!!」
ちょうどそのころ。泉と文を探して学園を歩き回っていた綾崎ハヤテは、同じく泉を探していた2名の女生徒とばったり顔を合わせていた。
「ハヤ太君! 泉は一緒じゃないのか?」
「いえ、僕も瀬川さんを探してるとこなんですけど……なんです、そのビデオカメラは?」
「あ、いや、これはだな……そ、それよりハヤ太君、事の次第はどうなった? 泉になんて言って、あいつはなんて答えたんだ?」
「なにって聞かれても……瀬川さんは今朝から、僕の話を一言も聞いてくれてませんし」
「え?」
花菱美希と朝風理沙は顔を見合わせた。泉の態度からして手紙の相手はてっきりハヤ太君だと思ってたのに……そう小声でささやきあう2人。予想が外れた以上はハヤ太君と話してても仕方ないか、いやハヤ太君も泉を探しているんなら協力してもらった方が何かと便利……そんな密談をこそこそ交わしあう。すると突然、携帯電話の甲高いメール着信音がハヤテの胸ポケットから鳴り響いた。
「え? あ……瀬川さんからのメールです。校門で待ってるから来てくれって」
「校門か、校門だな?」
「ちょっと待て、少し後から来てくれハヤ太君! 君が全力疾走したら私たちは追い付けないから」
ハヤテがすぐ動きだそうとしないのを幸いに、一刻も早く撮影ポジションを確保しようと駆け出す美希と理沙。そんな2人の背中に、綾崎ハヤテはおずおずと声をかけた。
「あの、すみません……瀬川さんに機嫌を直してもらうには、どうしたらいいんでしょう? 僕どうやら今朝から、瀬川さんに嫌われてるみたいなんで……」
「はぁっ?」
「泉に嫌われてるって?」
予想外のハヤテの言葉に2人は急ブレーキをかけた。どうやら泉とハヤ太君の両方に誤解があるらしい、でもここでそれを明かしちゃったら面白くない……普段おバカな脳細胞がこの時とばかりにフル回転する。そして数秒後、2人は目配せを交わしあうと人差し指を立ててハヤテのほうを振り返った。
「そんな時はな、プレゼントなのだ。いつの時代も女はプレゼントに弱い生き物だからな」
それは奇しくも、10年前の泉がハヤテに語ったアドバイスと同じものだった。
そして20分後。少し遅れるとのメール返信をハヤテからもらった瀬川泉は、20分間ずっと校門前に立ち尽くしていた。ナギちゃんの執事をやってるハヤ太君がすぐ戻ってこられないのは仕方ない、と彼女は焦る自分自身を必死で抑えつけていた。ひょっとしてハヤ太君に嫌われちゃったのかも、呼び出されて迷惑だって思われてるかも……そんな悪い想像がときおり頭をよぎる。待ち合わせまで時間があったとはいえ、そんな気分で他のことなど考えられる訳もない。
そして、そんな泉のことを物陰から注視する8つの瞳。最初の4つは日比野文とシャルナ、後の4つは花菱美希と朝風理沙である。
「ワクワクですね、シャルナちゃん」
「葵の印籠に代わるものというと……やっぱり生徒会役員のバッジとかかしら?」
「なにしてる、さっさと来いハヤ太君」
「これだけ待たせたんだから、豪快なオチを持ってこないと承知しないぞ」
四人四様に勝手な事を言いながら待ち続けるなか、泉はじっと不安な面持ちで立ち尽くしていた。そして……やがて風を裂く轟音とともに、1台の自転車が彼女のほうに猛然と迫ってくる。愛しい男の子の姿をそこに見出した泉は反射的に駆け出した。
「ハヤ太君!」
「わわっ!」
ところが。笑顔を浮かべて両手を広げる泉の両脇をすり抜けるように、ハヤテとその自転車は突進してきた勢いのまま二手に分かれて奥の植え込みに激突した。泉の目の前でドリフト停止するつもりだったハヤテにとって、泉が急に駆け寄ってくることは完全に想定外。泉に怪我をさせないためのとっさの回避行動だったが……その様子をビデオカメラ越しに注視していた美希と理沙は、後頭部に大粒の汗を滴らせていた。
「ハヤ太君、身体を張ってオチをつけるとは……」
「取り残された泉はピエロだな、あれじゃ」
傍観者たちは勝手なことを言うものの、当事者たちにとってはギャグでは済まない。泉は心配そうに植え込みに埋まったハヤテのほうに歩み寄り手を差し伸べた。
「大丈夫? ハヤ太君」
「だ、大丈夫ですよ、このくらい」
「んしょっ」
なんの
躊躇
(
ためら
)
いもなくハヤテの右手をつかみ、植え込みから引っ張り出そうとする瀬川泉。何回か失敗したのち、ついにハヤテを引っ張り起こすことに成功した泉は、彼の手を引っ張った勢いのままぺたりと今日3度目の尻餅をついたのだった。互いの無事を確認して笑いあう2人……ところがそんな微笑ましいエンディングを、ちいさな監視者は許さない。
「ちょっと待つのです! 約束に遅れたうえに自転車で奇襲をかけるとは、なんたる卑怯者! この日比野文が成敗してくれます!」
「え、ちょ、あの……」
「問答無用! 瀬川先輩もいつまで、そんな悪い人と手をつないでるんですか! 学園の敵、覚悟しなさい!」
そう高らかに宣言した日比野文は、植え込みの葉っぱをハヤテに向かって投げつけようと腕を振りかぶった。そこへ……。
ポコッ。
「い、痛いです、何するんですか、シャルナちゃん!」
「早とちりも大概にしなさい。いい加減に空気を読むこと覚えないとグーで叩くわよ(ポコポコポコ)」
「叩きながらお説教しても説得力ないです! 痛い、痛いです、あうぅー」
「先輩方、ご迷惑をおかけしました。文ちゃんは私が責任もって連れ帰りますので」
「ちょ、シャルナちゃん耳ひっぱるの反則です! 痛い痛い、ちぎ、ちぎれちゃいます! ひーん」
「引っ張るだけで耳がちぎれるなんてバキ幼年編の読みすぎよ。自宅警備員のお兄さんの言うこと真に受けないの」
「てゆーか、なんで留学生のシャルナちゃんがそんなネタ知ってるんですか?!」
こうして愉快で傍迷惑な下級生たちは、賑やかに漫才をしながら泉たちの前から去っていったのだった。三千院ナギの希望通り、両目一杯に涙を浮かべながら。
竜巻が通り過ぎた後、ぽつんと校門前に残された2人。ちなみに物陰からは別の2人が状況を注視していたのだが、当人たちはそんなこと知る由もない。
「あ……あはは」
「はははははは」
視線を文たちの漫才から互いの顔へと戻した泉とハヤテは、ぷっと吹き出すように笑い始めた。勘違いの連続、下級生の暴言、自転車衝突の危険……さまざまな苦難を乗り越えて来た彼女らにとって、ようやく2人きりになった途端にこみあげてきたのは不安でも恥ずかしさでもなく、互いの無事を喜び合う安堵の笑いだった。相手に嫌われてるかもと互いに想い合ってきただけに、屈託なく笑ってくれる相手の顔を見ることが何よりの清涼剤だった。不安と緊張のタガが緩み、溜まっていた何かが喜びとなって噴き出してくる。目の前で笑ってくれるこの人が自分を嫌ってるなんてあるわけない、根拠などなくてもそうお互いを確信させるのに十分な、輝く笑顔の交換会が数分のあいだ繰り広げられた。
「瀬川さん」
「な、なぁに、ハヤ太君」
ひとしきり笑い合った後。名前を呼ばれて小首をかしげる泉の前に、綺麗にリボン掛けされた紙袋が差し出された。震える手で開いた中から出てきたのはウサギさんのぬいぐるみ。自転車ごと植え込みに突っ込んでしまったせいで葉っぱや泥が何箇所かついていたけれど、全然そんなの気になんかならない。これはハヤ太君からの初めての贈り物なんだから。
「すみません、瀬川さんに気に入ってもらうにはどうすればいいかと思って……あの、急だったから安物だし、お金持ちの瀬川さんにとっては有難味のないものかも知れ……」
「そんなことない!」
瀬川泉はハヤテの言葉を遮ると、ぬいぐるみを胸に抱いて極上の笑顔でお礼の言葉を口にした。
「ありがとう、大切にするね、ハヤ太君♥」
「瀬川さん……」
……こうしてこの日、動画研究部のビデオクリップに、瀬川泉の最高の笑顔が記録されたのだった。
Fin.
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