ハヤテのごとく! SideStory
Reason
初出 2009年10月08日
written by
双剣士
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幼いころの少女にとって、世界は単純で、自分たちは幸せだった。
優しいお爺さんと面白いお姉さん、そして親切なお屋敷の人たちに可愛がられて、少女はすくすくと育っていった。
自分がもらわれた子であることは割と早くに教えられていたが、それを少女が深刻に受け止めることはなかった。周囲からの愛情と最高級の英才教育を惜しみなく注ぎ込まれた少女にとって、世界とはお日様の光を一杯に浴びたふかふかの芝生のような所だった。
……それが泥水だらけの茶色い地面に変わったのは9歳のとき、姉代わりだったお屋敷の一人娘が遺児を残して早世した瞬間だった。そしてその1年後、10歳になった少女は白皇学院高等部に飛び級で進学したのだった。
「新入生総代、マリアさん。新入生を代表して答辞をお願いします」
「はいっ!!」
退屈な式典に船を漕ぎかけていた生徒たちと保護者たちが、突然鳴り響いた子供らしい甲高い声に目を見張る。一同注目の壇上では、小さな女の子がぶかぶかの制服を持てあますようにトコトコと中央のマイクへと歩み寄って行った。そして上級生たちの用意する踏み台の上によじ登った少女の顔が出席者全員の視線を受け止めたとき、期せずして黄色い歓声が場内から沸き起こった。
「きゃーっ、可愛いーっ!!」
「なにあれ、どこの劇団の子? 今年の新入生には芸能人もいるの?」
「マリアちゃん、俺たちは君について行くぜぇっ!」
「静粛に、静粛にっ! これはアイドルのコンサートではありません、新入生の答辞ですっ!!」
《……まったく、もうっ》
場内の騒動とは裏腹に、壇上に上がったマリアの心境は冷めきっていた。周囲から年下扱いされるのには慣れている。高校の入学式に10歳の自分なんかが乗り込んでいったら無事には済まないと覚悟はしてた。でもちょっぴり新しい環境に期待もしていた……だが目の前で繰り広げられる喧噪が、聡明すぎる彼女に悲しい決心をさせていたのだった。自分はこれから3年間、物珍しいペットみたいな扱いをされるんだろうなって。
「はいはい、静粛に静粛に……ではマリアさん、答辞をどうぞ」
「はい。先生方、お兄さま方、お姉さま方。私たちを温かく迎えてくださり、本当にありがとうございました。本日この日を迎えるにあたり……」
前もって練習していた型どおりの答辞の言葉をすらすらと並べながら、マリアは内心で小さな溜息をついていたのだった。
「ただいま……」
結局その後、同級生や先輩たちに囲まれ質問攻めにされたマリアは、心身共に疲れ果てた姿で三千院家の本宅に帰り着いた。お屋敷には大勢の使用人が暮らしていたが彼女を出迎える者は誰もいない。視線が合えば会釈くらいはするものの、何一つ声をかけることもなく自分の仕事へと戻っていく使用人たち。蝶よ花よと持て囃されていた1年前までとはまるで違う、人の温もりの枯れ果てた寒々しい廊下の空気こそが今のマリアの日常だった。
「…………」
一言も発さず自分の部屋に向かったマリアは、鞄を部屋の隅に置くと制服のままで豪奢なベッドへと身を投げ出した。初日とはいえ愉快とは言えない滑り出しだった。あんな風に目立ってしまっては、誰もが自分をマスコット的な存在として見るだろう。何気ない行動でも『まだ小さいのにすごい』と褒めちぎり、何か失敗をしても『まぁまだ小さいから』と許してくれることだろう。これじゃ対等の友達なんて作れるはずがない。
「…………」
可愛くない考え方だと自分でも分かってる。だが自分を愛し慈しんでくれる周囲の人たちが一瞬にして態度を反転させる有様を、彼女は1年前に目の当たりにしていた。昨日まで優しく話しかけてくれていた人たちが、いきなり毛虫を見るような視線で自分のことを避け始める。当主のいる前では以前通りの愛想笑いをするものの、少女の保護者の姿が見えなくなった途端に氷のような拒絶が少女の周りを包み込む。まるで周囲の人が仮面をかぶった別人と入れ替わってしまったような、薄ら寒い寂しさに9歳の少女は直面したのだった。せめて学校に行ってる間はそんな冷たい現実から目を背けていられる。そう思っていたのに……。
「ううん、落ち込んじゃダメ。おじいさまが期待してくれてるんですもの、私1人でも頑張らないと」
今のマリアにとっては帝の存在だけが心の支えであり、帝の期待に応え続けることだけが生きる証だった。賢い子、気の利く子、役に立つ子と思ってもらえば自分も周囲の人に受け入れてもらえるはず。マリアは滲みかけた涙をぬぐうと、ベッドから跳ね起きて明日の予習をするべく学習机へと向かったのだった。
跡取り娘を亡くして年端の行かない小さな孫娘だけが残った石油王一族にとって、出自不明の養女という立場の彼女がどう映るか。保身に目ざといお屋敷の関係者たちが彼女のことをどう扱うか。そうした大人の事情に思いをはせるには、彼女はまだ幼すぎたのだった。
「マリアちゃ〜ん」
白皇学院高等部でのマリアの日々は、表面的にはうまくいっていた。当初マスコット扱いで注目を集めた彼女は授業が進むごとに頭脳明晰・スポーツ万能・家事全般得意といった類まれな完璧超人ぶりを遺憾なく発揮して、授業のたびにテストのたびにクラスメートから一目置かれる優等生として畏敬の念を抱かれる存在となっていた。
「ねぇねぇ、マリアちゃんってば」
だが彼女の優秀さと反比例するように、彼女の周囲からは人が減っていった。休み時間におしゃべりをしたり帰り道に連れ立って歩くといった女子高生らしい付き合い方の輪にマリアは誘われなかった。それは年齢と能力の面で異彩を放っているマリアのことを『共通の話題がない』と周囲が勝手に思い込んでいるだけのことだったが、マリア自身はそうとは受け取らなかった。自分の能力を当てに出来る場面では話しかけてきて、用がなくなったら離れていく人たち……お屋敷と同じく『利用価値』に基づいて扱い方を変えられているとマリアが思い込むのに時間はかからなかった。マリアは捨てられないよう一層自分の能力に磨きをかけ、それゆえに周囲からますます孤立していくという悪循環に陥っていた。
「つんつん、ぷにぷに、うにゅー」
「にゃにふゃってるんれふか、ふぁきふらひゃん」
目の前で自分のほっぺたを引っ張って遊んでる、白い髪の少女を除いては。
「あ、マリアちゃんがやっとこっち向いてくれたよ〜」
「いったい何の用ですか、牧村さん」
牧村志織。彼女もまた当初は『ちびっこ』『天才』と自分を呼んでまとわりついてきた女子の1人だった。だがマリアとの間に共通の話題がないと見るや、自分勝手な話題を無理矢理にでも振ってきながら休み時間ごとにマリアの席に遊びに来る点が他の子たちとは異なっていた。もっとも志織自身も風変わりな天才少女として周囲から遠巻きにされていたという面もあるのだが。
「えへへ、あのね、来週に文化祭あるじゃない? そこでミスコンやるんだって、マリアちゃんもどうかなって思って」
「ごめんなさい、来週はクラスでやる喫茶店で、お料理の担当を任されてるんです。コンテストに出てる余裕なんてありません」
「そんなこと言わないでさ。マリアちゃんが出てくれれば盛り上がるの間違いなしなんだし」
マリアからみれば不思議な存在だった。自分を利用して良い結果を出そうとか楽をしようという誘いなら理解できるし、喫茶店のお料理担当を任せられたのもそういう狙いの延長上にあると思ってる。だが志織が持ち込んでくる案件は、それによって志織がどんな得をするのか分からないものばかりだった。逆にいえばマリアだからと言って成功するとは限らないものであり、マリアを誘う必然性のないものばかりと言えた。高校生のミスコンに10歳の自分が出るなど、その最たるもの。
「興味ありません。他を当たってください」
つれなく突き放すマリアに対し、それならと別の話題を振ってくる志織。まるでストーカーまがいの志織のしつこさに辟易しながらマリアはそっぽを向いた。この件はもう終わったとマリアは思った。
そう、終わったはずの話だったのだ。
「……なんでこうなるんですか。どうして私ここにいるんですか」
「まぁまぁ、こういうことは我に返っちゃったら負けだよ。お祭りなんだから楽しくやろう、ねっ?」
文化祭当日。ミスコンの行われる体育館ステージの舞台袖で、マリアはぷんすかと文句をこぼしていた。いまステージに立っている子の時間が終わればマリアの出番。推薦人である牧村志織はマリアの腕をがっちりと握りながら、やる気のない小さなヒロインを一生懸命に励ましていた。
「喫茶店のほうはお料理ロボ君が引き受けてくれてるからさ、マリアちゃんは可愛くアピールすることだけ考えてればいいの」
「そんなこと言ったって……」
マリアにしてみれば勝ち目のない闘い、しかも準備も予習も何もしていない。有能さでもって自分の居場所を確保してきた彼女にとって、失敗すると分かってるステージに登ることは苦痛以外の何物でもなかった。私をいじめて楽しいんですか、と泣き出して逃げだそうかとも思ったが、そんなことをしたらこれまで頑張ってきた自分がガラガラと崩れてしまいそう。プライドの高い彼女にとっては進むも戻るも選べなかったのだ。
「では続いてはエントリーナンバー17番、1年○組のマリアちゃんです。どうぞぉ〜」
「ほら出番だよ、行こう?」
「うぅ〜」
志織に手をひかれて、引きずられるようにステージ中央に進む。姉に引率される駄々っ子のようなその姿に場内から爆笑が沸き起こり、もうそれだけでマリアは帰りたくなった。ほんの数か月前は1人でも新入生の答辞ができたのに、あの時とはまるで勝手が違う。やっぱり私にはこんなこと無理なんだ、来たこと自体が間違いなんだ……。
「えっと……マリア、です。そのぉ……なにを言うか全然考えてなくて……」
「頑張れ頑張れマーリアちゃん、頑張れ頑張れマーリアちゃん!!」
壇上から客席最前列へと素早く移動した牧村志織が無責任なエールを送る。頑張れって言われたって、とマリアは内心でほぞを噛んだ。すると次の瞬間、こうやってステージに登って独唱会をするのが大好きだった女性の思い出がマリアの脳裏にフラッシュバックしてきた。
「マリアちゃんは私のこと好き?」
「うん、大好き!」
「ありがとう。私もマリアちゃんのこと大好きよ」
《ああ、そういえばあの人もステージで歌うのが好きな人でしたね……》
今は亡き女性の笑顔が頭に浮かんだ。あの人はお世辞にも歌が上手じゃなかったし、これといった取り柄もない人だったけど……それでも皆に愛されていたし、私だって大好きだった。そしてあの人はまだ幼かった私のことを、養女とかどうとか関係なしに全身で愛してくれてたんだっけ。打算とか損得とか無しに。
《……紫子さん》
いつも笑っていた亡き女性の面影が、最前列で一生懸命に小旗を振る志織の表情と重なった。それを見た途端マリアは自分が恥ずかしくなった。情けない、いつのまに自分は損得とか勝算で物事を測るようになっていたんだろう。今なら分かる、牧村さんはそんなこと微塵も考えてなかったんだって。純粋に自分のことが好きだから、あれやこれやと世話を焼いて応援してくれてたんだって。
《お祭りなんだから楽しくやろう、ねっ?》
さきほどの志織と同じ台詞を、紫子が天国から語りかけてきている気がした。マリアはきっと顔を上げると、震える足を抑えながらマイクに向かって声を張り上げたのだった。
「あの、マリアです。ちょっと歌を歌います……マリアのマ〜は〜」
品行方正だった優等生の突然の奇行に驚いた場内は、しばしの静寂の後、ちいさな手拍子と温かい声援とに包まれた。これがマリアにとって白皇学院で最初の醜態であり、高等部に上がって初めて本当の笑顔を浮かべた瞬間であり……そして『氷の乙女』というあだ名を返上して開校以来初めて1年生での生徒会長という偉業を達成することになる、その第一歩として語り継がれる出来事であった。
あの日から数年後。
白皇学院を卒業したマリアは養父の勧めに従い、専属の家庭教師として紫子の忘れ形見のもとを訪れた。唯一無二の孫娘としてわがまま放題に育てられた9歳の少女は、最初から頑なな態度を見せた。
「私より頭の悪い連中に、教えてもらうことなど何もない!!」
《まるで昔の私を見てるみたい……》
立場は違うものの、周囲から利用される存在として扱われてきた者同士。小さな胸の奥底に秘められた少女の寂しさがマリアには手に取るように分かった。そしてこの手の少女にとって“憐みの目で見られること”が最大の侮辱であることも、彼女は嫌というほど理解していた。
《分かっています、おじいさま、紫子さん……今度は私の番なんでしょう?》
心の中で投げかけた問いに答えなど不要だった。マリアは志織を見習って、年頃の少女らしい微笑みを浮かべた。すり寄るでもなく見下すでもない純粋な笑顔。その意味を測りかねて罵声を途切れさせた少女に対し、マリアは優しく視線を合わせながら1つの提案をした。
「じゃあ私とチェスで勝負して、私が勝ったら話くらい聞いてもらえます?」
「……ふん、チェスか。面白い。ゲームで私に勝とうなど、100年早いと教えてやる!!」
Fin.
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