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乙女の逆鱗5

初出 2012年09月23日
written by 双剣士 (WebSite)
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「ねぇ……ハヤテ君は、おっぱいの大きな子が好きなの?」
 綾崎ハヤテは自分の耳を疑った。目の前の少女がつぶやいた言葉とはとても思えなかった。だって背中を向けて小さな肩を震わせている彼女は、強くて凛々しくて頼り甲斐のある白皇学院最強の生徒会長で……そして彼もよく知るとおり、負けず嫌いが服を着て歩いてるような性格の持ち主なのだから。
「やっぱりハヤテ君は……天王州さんみたいなスタイルの子のほうが……」
 だがそのことを指摘したり冗談に紛らわせる雰囲気とは思えない。ハヤテは唇をかみ締めながら必死の思いで言葉を探した。ここで間違えたら終わってしまう、そんな予感に頬を引きつらせながら。

    * *

 巷間よく信じられているイメージとは違い、桂ヒナギクは天才ではない。彼女は飽くなき向上心と絶え間ない努力によって、その尽力にふさわしい成果を次々と手にして来ただけであり、天分とひらめきによって凡人を一気に飛び越える『天才じみた才能』を持っているわけではない。
 桂ヒナギクとは努力と情熱を裏づけにして、それによって培われた実力と人脈を持って白皇学院生徒会長へと上り詰めた『優等生』に他ならず、彼女自身もそれを誇りにしている。だがその一方で、努力と情熱では届かない分野が存在することも彼女は十分に理解しており、ゆえに決して驕ったり偉ぶったりする態度を見せることのないヒナギクは学院生のみならず教職員からも絶大な信頼を得ているのだった。
 しかしそんな彼女にも、言われてブチ切れるに足る弱点は存在する。
「ヒナ……頑張っても……膨らまないムネもあるのよ」
 薄い胸のことをからかわれたのは一度や二度ではない。だがその発言者が自分をあざ笑うかのごとき巨乳の持ち主であり、さしたる努力をしたわけでもなしに得たそれを自堕落極まりない生活によって無駄遣いしようとしており……そんな相手からダイレクトに『諦めろ』と言われては平静でいることなど出来るはずもなかった。ましてやそれが、血を分けた実の姉とあっては!
「お姉ちゃんのバカ―――――ッ!!!」
 豪快にキレた叫びを残してヒナギクは宿直室を飛び出した。努力ではどうにもならないなんて、あのお姉ちゃんにだけは言われたくない。人の気も知らないで言いたい放題いって、いったい何様のつもりよ。私だって牛乳を飲んだりランニングしたり努力してるんだから……脳天から湯気を吹き上げつつ肩を怒らせながら彼女は生徒会室へと戻っていったのだった。


 しかし怒りに身を任せたところで胸が膨らむわけでもない。生徒会長の仕事を終え、ムラサキノヤカタへと帰り着くまでに理性を取り戻した桂ヒナギクは、さっぱり効果を見せない自分の“努力”を冷静に振り返るのだった。
《ちょっと待って、ひょっとしたら今まで私のやってきたことが根本的に間違ってたってことはない? まさか……いや!! 過去の事例から考えて、私の勘が間違ってる可能性が一番あり得る!!》
 桂ヒナギク。過去からいろいろ学ぶことができる少女。それは瞠目に値する能力には違いないが、自分のことになると微妙にベクトルがずれてしまいがちなのも年頃の少女にありがちなこと。
《いや……でも、どうなんだろう? たとえば綺麗なスタイルってのにも色々あるじゃない? そりゃ胸が小さいよりは大きいほうがいいんだろうけど……木刀を振ってるときに揺れてバランスを崩したりとか、時計台のベランダにいるときに重心が前に行ってベランダから落ちるなんてのは勘弁してもらいたいもん!!》
 根本にあるのが『キレイになりたい』ではなく『巨乳をひけらかす姉への反発』なものだから、ヒナギクの思考はどうしても巨乳のデメリット方面へと向かってしまう。だがやがて彼女も気づかざるを得なかった、そんな風に変わることから逃げ回っていても何の解決にもならないことを。
《違う……そういうことじゃないわ、ヒナギク……》
 1人でいくら悩んでも答えの出ない問題は存在する。自分の方法論に疑問を抱いたヒナギクは逡巡の末に、有益な方法を知っていそうでかつ普段の自分とは生活圏の異なる人物……水蓮寺ルカに向かって、思い切って相談を持ちかけることにしたのだった。
 ちなみにヒナギクと同じ屋根の下には、Eカップの女性を母親に持つ飛び級少女と、数年後どころか数ヵ月後には胸元が大きく開いた黒いドレスの似合うナイスバディを取り戻すことが約束されている小さな姫君がいる。しかしヒナギクの脳裏には彼女らのことなど欠片も思い浮かばなかった。才能を見抜く力のない者の悲しさと言えよう。

    * *

「胸を大きくする方法……?」
「そう! こんなこと貴女にしか頼めないの、お願いっ!」
「そ、そんなこと言われても……ねぇ……」
 真剣な形相のヒナギクに相談を持ちかけられて、家出中の現役アイドル・水蓮寺ルカは精神的に半歩後ずさりしていた。
 確かに芸能人は他人に見られてナンボの商売であり、そのための化粧法や整形手段も存在する。しかしそれは長所を目立たせ短所を隠すのが目的であって、短所を長所に変える魔法の技術があるわけではないのだ。それに芸能事務所としては貧乳アイドルを肉体改造するより、巨乳を持つ別の子をスカウトしてきて歌のレッスンを積ませる方が無難かつ安上がりな訳だし。
「別に胸だけが女の子の魅力じゃないと思うけど……ヒナだったら可愛いし頭いいし、積極性も思いやりもあると思うよ? 1つくらい欠点があったって、むしろ愛嬌ってものじゃないのかな……?」
「いいえ! そうやって矛先をそらしているから、いつまでも同じことで苦しまなきゃいけなくなるのよ! 戦わなきゃ、現実と!」
 正論である。1点の曇りもない正論には違いないのだが……並外れた剛速球というのは、往々にして打者よりもむしろ捕手に災難をもたらすもの。見逃すという選択肢を採れない立場なだけに。
《もー、勘弁してよ……そんな上手い方法があるんなら私だってやってるし、なによりつどいマネージャーが真っ先に飛びつくに決まってるじゃない!》
 そう愚痴りたいのは山々なれど、ルカはそれを言葉に出そうとはしなかった。なにしろヒナギクは同人誌のアドバイスをくれた恩人だし、次の対決に向けて漫画の実力向上を図るうえでの貴重な指南役である。そんな彼女が恥を忍んで言いづらい悩みを打ち明けてくれたのだから、出来ることならルカだって手を貸してあげたい。『そんなの無いから』なんて冷たい現実を突きつけることは可能な限り避けたい。それが人情というものだろう。
「だったら……これ使ってみる? 接写されてもバレにくいって、結構評判いいみたいなんだけど」
「えっ、どれどれ……だからぁ、そうじゃなくて! パッドを入れて誤魔化したい訳じゃないの! そぉいうんじゃなくて、私が望んでるのは根本的な解決法!! 根・本・的・な!!」
「あはは……そ、そうなんだ……」
 全くブレることのないヒナギクの中央突破に追い詰められて、ルカはタジタジになりながら乾いた笑いを浮かべるのであった。


 こうなったら豊胸に役立つかは別にして、とにかく何かアドバイスしないことには収まりそうにない。内心秘かに覚悟を決めたルカが提案したのは、クラシックバレエやヨガのポーズを取り入れたシェイプアップ体操だった。どっちかと言えば切れのいいスレンダーなボディを作るための体操であるが、この際もう贅沢は言っていられない。ところがいざ、具体的な手順をヒナギクに伝授してみると……。
「嘘……なんでいきなりI字開脚とか出来るわけ……?」
「別に普通でしょ、これくらい。ルカだって簡単そうにやってるじゃない」
「いやいやいや、普通じゃないってば!」
 物心ついたときからアイドルになるべく訓練を積んできた自分ならいざ知らず、一般人のヒナが易々と真似して来られるような生易しい体操じゃないはずよ? というか初日でこれなら、数日練習するだけで私なんか簡単に超えてしまうかも……あまりのスペックの高さに驚いたルカは、つい気遣うことも忘れてヒナギクに問いかけた。
「ねぇ、ヒナってひょっとして、普段から運動とかやってたり、しない?」
「別にたいしたことはしてないわよ? 朝と夕方にランニングに行って、部活では毎日素振り3千本やって、放課後には生徒会室のある時計台を10往復くらいして、帰った後はストレッチとサーキットトレーニング6セット、それからお風呂の前と寝る前には……とまぁ、その程度しか最近やってないし」
「……筋肉オバケ……」
「悪かったわね、筋肉オバケで!」
 涙目で反論してくるヒナギクから視線を外し、ルカは深い深い溜め息をついた。なるほど、あの千桜が『ガンダムみたいな会長』と呼ぶのもわかる気がする。きっとハイスペックなボディの新陳代謝を維持するのに栄養を使いすぎちゃってて、脂肪蓄積に回す余地が残ってない、それがヒナギクの食生活なんだろう……そうルカは分析するのだった。しかしそれならそれで対処法はある。
「ねぇ、ヒナ……頑張るの、少し抑えてみない? その陸上部男子みたいな生活を止めて、女の子らしく部屋の中でおとなしく暮らしてみたらどうかな?」
「え? 別に私、頑張ってなんかいないわよ? これくらい普通だし、身体動かしてないと手持ち無沙汰じゃない」
「でもほら、栄養を燃やし尽くさないで少し残すってのも、胸を大きくするには必要かもしれないよ? ほら、年上の親戚の人に居ない? 運動を止めた途端に身体に肉がついてくるタイプの人が」
 口にしてからルカは後悔した。親戚の人の体形を勝手に想像するなんて失礼にも程がある。すぐに謝ろうと声のトーンを切り替えて……しかし謝罪の言葉は喉を出る前に止まってしまった。クリティカルヒットを受けたヒナギクが、目の前でガックリと膝をついてしまうという、予想をはるかに超えたリアクションを取っていたから。
「……うぅ、その心当たり、あるある過ぎる……」


 このときヒナギクの脳裏には、昼間の宿直室で見た散らかり放題の部屋の光景が稲妻のように駆け巡っていた。あのだらしない部屋を見たとき、自分はああはなるまいって固く心に誓ったんだけど……ひょっとしてあれがお姉ちゃんの胸にプラスの影響を与えたって言うの? ハヤテ君にはあのとき『お姉ちゃんが特別ひどいだけだから! 女の子への幻想を捨てないで』って言ったけど、女性らしい身体になるためにはあの汚部屋が通過儀礼だって言うの?
 もし……もしそうなら、お姉ちゃんのことをガミガミ言ってきた私は今まで何をやってたわけ? お姉ちゃんみたいにはなるまいって、頼もしく格好いい生徒会長になろうって頑張ってきた私は、出発点からして間違ってたってわけ? この貧しい胸は今までの私の生き方からして必然で……言い換えれば今日までの『桂ヒナギク』そのものを捨て去らない限り改善の見込みはないってことなの?
 いくら過去から学べる女とは言っても、16年間の生き方そのものが間違いだと断じられるのはさすがにダメージが大きすぎる。膝をついたヒナギクは燃え尽きた灰のように真っ白な顔色をしながら、「やだ……うそよ……そんな……」と魂が抜けたようにつぶやき続ける塩の彫像と化してしまっていた。いつしか水蓮寺ルカが、部屋から飛び出していってしまったことも気づかぬほどに。


 そして……無敵の生徒会長に致命的ダメージを与えてしまったルカは、ささやくお地蔵さんと化したヒナギクを部屋に残したまま、救いの手を求めてアパートの屋根裏部屋へと駆け上がっていったのだった。
 もちろんヒナギクが打ち明けてくれた類の悩みを異性の耳に入れることに、まるで抵抗がないといったら嘘になる。だが天涯孤独な上に仕事を投げ出して家出中の彼女にとって、困ったときに頼れる相手はあの女顔の少年しか思い浮かばなかったのである。

    * *

 水色の髪をした2人が現れたことに気づいたとき、最初は目の錯覚かと疑った。次いでルカが親戚か誰かを呼んだのかと思った。そしてやがて頭のモヤが晴れ……水色の髪の片方が見慣れた執事服を着ていることに気づいた瞬間、桂ヒナギクは瞬時にそちらから顔をそらすと血走った瞳を水蓮寺ルカのほうへと向けた。
「な……なんで……ハ、ハヤテ君が、こ……ここここ、ここに居るの……?」
「う、うん、私が呼んだの。ヒナのこと助けてあげて欲しいってお願いして」
「まさか、まさかハヤテ君に、ははは、話したんじゃないでしょうね、さっきのことを?!」
 脇で何か言っている少年の姿と声を強引に意識から切り離しながら、ヒナギクは硬直した身体のままルカへと詰め寄った。ほとんど答えは決まっていると自覚しつつも、一縷いちるの願いを視線に込めて……しかしルカの返事は悪い予感のど真ん中そのものだった。
「……ごめんね。無神経かもとは思ったんだけど……ハヤテ君だったら、きっと何とかしてくれると思って。ほら女装だって上手だし」
「いやああああぁぁぁあああぁぁぁ!!!!」
 知られてしまった。胸の大きさのことで自分が悩んでることを、よりにもよって片思いの相手にバラされてしまった……お年頃の乙女にとって、これほどの絶望があろうか! ヒナギクは床にうずくまって頭を畳へと打ち付けた。ガンダムみたいと称される生徒会長が狂気の勢いで繰り返す米つきバッタ行為に、築数十年を超えるムラサキノヤカタ全体がミッシミッシと揺れる。床を突き破りかねないヒナギクの暴れっぷりに2人はあわてて駆け寄った。
「ヒ、ヒナ、どうしちゃったの、落ち着いて!」
「ヒナギクさん、そんなにしたら首が折れちゃいますよ、とにかく深呼吸して気を静めて……」
「いやああぁぁっ!! 放して、放っといて、いっそこのまま死なせてぇっ!!」
 一生の不覚どころの騒ぎではない。本気でこのまま死にたいと思った。優等生の仮面をかなぐり捨て、桃色の髪を振り乱しながら桂ヒナギクはジタバタと部屋中を転がりまわった。もし木刀正宗や白桜を手にしていたらアパート全体を倒壊させかねないほどの勢いで。


 一方、そんなヒナギクの想いに欠片も気づかない借金執事の方はというと。
 ルカから相談を持ちかけられたとき、最初はとても信じられなかった。あの凛々しく気高い生徒会長がそんな小さなことに悩むなんてあり得ないと思った。しかし目の前の光景を見て彼は決意せざるを得なかった……どうやら思ってた以上にヒナギクさんは気にしてるらしい、とにかく全力をもってフォローしなくては、と。
 ルカの話と目の前の光景から考えるに、おそらくきっかけは昼間の宿直室での、あの一言に違いない。そしてそこまではハヤテの直感も正しかった。
「大丈夫ですよヒナギクさん、胸の大きさなんて大した問題じゃないですって! 現にあの桂先生だって……」
 だが巨乳姉のだらしなさを強調することでヒナギクを勇気付けようとしたその刹那、彼の脳裏に2つの雑念が浮かび上がった……『女の子への幻想や憧れを捨てないで』というヒナギクの言葉と、そして『この頃のお姉ちゃんは本当にカッコよかったのよー♥』と彼女が言っていたときの嬉しそうな表情のことが。ここで先生を引き合いにしてヒナギクさんは喜ぶだろうか? 揺れる気持ちがそのまま口から飛び出す。
「……まぁ、あの人にも色々と、良いところはあるんでしょうけど……」
 しかしこの場面で、巨乳姉の肩を持つ発言が惚れた男子の口から出ることが何を意味するか。
「ハヤテ君のバカァッッ!!!」
 中途半端に気配りをしたハヤテの言葉は、全身全霊のアッパーカットとなって彼の身体へと返ってきたのだった。

    * *

 ヒナギクは脱兎の勢いでムラサキノヤカタを飛び出した。追いすがるルカの声を振り切り、ゾンビの群れのように行く先々に現れる借金執事を拳と肘とで打ち払う。行き先なんてどうでもいい、とにかく2人から離れたかった。誰も知らないところへ消え去ってしまいたいと思った。
 しかし身体に染み付いた習慣とは恐ろしいもの、無意識のまま走っているはずのルートはいつの間にか彼女が毎日通っているランニングコースを正確にたどり……そしてその休憩スポットである公園のグランドで、足を止めたヒナギクは荒れた息を整えるのだった。
《なにやってるんだろ、私……》
 もうこの頃になると死ぬ気は失せていた。逃げ回ったところで過去には戻れないことも分かっていた。それにそもそも逃げ場なんてないのだ……ハヤテはヒナギクの実家を知っているし、それに学園にいけば嫌でも顔を合わせるのだから。
《……どんな顔してハヤテ君に会えばいいのよ……》
 こんなときでもハヤテとの仲ばかり気にしてしまう自分にヒナギクは苦笑した。いつの間にこんなに、彼のこと好きになっちゃったんだろう……天王州さんが好きだって彼の口から聞いても、ルカが彼に想いを寄せてるのを知った今でも、私の心の中には結局ハヤテ君しか居ないみたい。
「はぁっ、はぁっ……よ、ようやく追いつきましたよ、ヒナギクさん」
 そして、何度も振り払ったはずのハヤテ君は、なおも私を追いかけて来てくれる。
「すみません、すみませんヒナギクさん。僕また無神経なこと言っちゃって……」
「……謝らないでよ」
 いつものように謝ろうとするハヤテに背を向けたまま、ヒナギクは汗に濡れた髪を肩から払った。結局、彼がどう思うかが全てなのだ。今日は恥ずかしい悩みと態度を見せてしまったけど、ハヤテ君が気にしないって言ってくれれば自分は立ち直れる。ううん違う……ハヤテ君はそう言ってくれるに決まってるじゃない。肝心なのはその奥。普段の彼が見せてくれない、彼の本当の気持ちのほう。
「恥ずかしいところ、見られちゃったわね」
「あ、いえいえ、僕はぜんぜん気にしませんから」
 予想通りの返答。ヒナギクはドキドキする胸を押さえながら、背中越しに彼へと質問を投げかけた。
「この際だから……もっと恥ずかしいこと、訊いてもいい?」
「えっ?」
「ねぇ……ハヤテ君は、おっぱいの大きな子が好きなの?」
 声に出した途端、かぁっと顔が熱くなるのが自分でも分かる。でもここで怖気づいてしまったら、今回の件は無駄に恥をかいただけで終わってしまう。負けず嫌いのヒナギクは勇気を振り絞った。
「そんなの別に気にしなくて良いじゃないですか、ヒナギクさんにはヒナギクさんの……」
「いいから答えて。話を誤魔化されるのはもう懲り懲りだから……それともやっぱり……やっぱりハヤテ君は……天王州さんみたいなスタイルの子のほうが……」


 普通、女の子にここまで言わせれば男の子が相手の気持ちに気づくのは難しくない。
 美少女と名高い生徒会長とあわよくば、と考えてる白皇学院の男子生徒にとっては、これはまさしく垂涎の展開のはずであった。ギャルゲーであれば『キスする』『キスする』『キスする』と選ぶ余地のない3択が出てきそうな場面に違いない。
 ところが……やはりとことん喜劇的なまでに、綾崎ハヤテは普通ではなかったりする。
『いつも無理難題ばかり持ちかけて殴られまくっている自分は、きっとヒナギクさんに嫌われている』
 彼の基本認識はこうである。マリアの言葉を借りるまでもなく、スーパー美少女の桂ヒナギクが自分なんかを好きになるなんて天地神明に誓ってあり得ない、心の底からそう信じているのだった。したがってヒナギクの言葉を聞いたとき、彼の目の前に現れた3択はこうだった。
    『逃げる』
    『誤魔化す』
    『ゴマをする』
《いや待て落ち着け自分。1番だとヒナギクさんはアパートに帰ってこなくなるし、3番はさっきやって失敗したばかりじゃないか》
 しかし誤魔化すにしても言い方が難しい。『どうでもいい』で納得してもらえる状況ではなさそうだし、トリビアで話題転換を図る方法も効かなさそうだ。かといって『ヒナギクさんだって十分あるじゃないですか』と見え透いたお世辞を使う手は、正直に答える以上に彼女を傷つける可能性が高い。YESもNOもEVENもPASSもダメとなると……天然を装うくらいしか突破口はなさそうだった。
《こうなったら……悪いけど僕の好みなんか端から参考にならないって、そう思ってもらうしかないよな》
 迷った末にハヤテは覚悟を決めた。方針さえ決まればやり方のストックはある。ハヤテは努めて軽薄さを装いながら、こう答えた。
「いやぁ、僕の意見なんて参考にならないと思いますよ? だって僕、二次元にしか興味ないんですから」
 照れたように頭を掻いてみせた彼の耳に入ってきたのは、公園に向けて飛来する木刀正宗の風切り音であった。そして背を向けたままのヒナギクから立ち上るオーラが巨大な龍へと変貌する様を目撃したことが、ハヤテにとって公園での最後の記憶であった。


 それから2分20秒後。活火山のように燃え上がる激情を容赦なくハヤテの身体に叩きつけることで冷静さを取り戻した桂ヒナギクは、さきほど聴いた言葉を反芻していた。
《二次元……平坦……まっ平ら……そっかぁ、ウフフ、ハヤテ君の好みってそうなんだ……そりゃそうよねぇ、ナギがあんなに懐いてる人だもの》

    * *

 その日の夕食の席。顔を3倍に膨らませた血まみれの綾崎ハヤテと、その隣で異様なまでにニコニコしている桂ヒナギクの姿は、アパートの住人たちにあれこれ想像させるに十分だった。
「(こそこそ)ちょっと、何あれ……あの2人に何があったの?」
「(ひそひそ)ハヤテ君の怪我はともかく、ヒナさんがあんなに上機嫌なのって珍しいんじゃないかな?」
「(ごそごそ)まぁ会長は基本的に体育会系だからな。綾崎君相手に乱取りをして完勝ってところじゃないか?」
「(こっそり)それにしても一方的過ぎるのが気になりますわね……ハヤテは妙なところで甘いから……」
「(のっそり)今日もご飯が美味しい」
 ところが、そうやって住人たちが眉をひそめる中、アパートのオーナー……ハヤテの主人であるはずの金髪少女……が悠然としている様子は嫌でも目を引いた。やがて食事が終わり、ヒナギクとハヤテが席を立つと住人たちは競って三千院ナギの元に詰め寄った。
「いったい何があったのかな、ナギちゃん?」
 しかしいつもなら大騒ぎしそうなナギは、平気な顔でこう言い放ったのだった。
「別に? いつものことだろ。何をしてるかよく知らないけど、ハヤテをボコボコにするとヒナギクは機嫌を直すみたいだからさ。今までだって何度かあったよ」
 桂ヒナギク=ゴリラ女伝説が誕生した瞬間だった。


Fin.

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