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京橋ヨミの1日

初出 2009年01月13日/一部修正 2009年01月14日
written by 双剣士 (WebSite)
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 この物語は、連載201−202話(単行本19巻に収録)の裏話としてお楽しみください。

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 私、京橋ヨミ。園芸大好き14歳。
 今日もお店の手伝いで、お客さんにお花を届けて回っているの。
 この時期はゴールデンウイークで旅行とかに行く人が多くてちょっと寂しいけど、その代わり旅行に行かない人は大抵お家にいるから、滅多に会えない人とかとお話しできて楽しいな。
 今朝も三千院家のお屋敷に行って、そこに勤めてる執事のハヤテさんとお喋りしたの。ハヤテさんって私よりちょっと年上なだけなのに、人当たりはいいし世話好きだし話題は豊富だし……今日最初の行き先でハヤテさんに会えて、ちょっと得した気分。
 さて、それじゃ2軒目のお客さんのところに行きましょうか。


 2番目にやってきたのは『鷺ノ宮』って表札のかかった大きなお屋敷。自転車で門まで来るのに40分もかかっちゃった。ここには私とそう歳の変わらない女の子が住んでるらしいんだけど、私はまだ会ったことがないんだよね。いつも黒服の人たちが「捜索隊だ! 警察に連絡を!」って忙しそうにしてるばっかりなんだもの。
 ピンポーン。
「こんにちは、ミスター園芸道の者ですが……」
 インターホンを押してしばらく待ったけど返事がない。まぁ忙しそうにしてるのはいつものことだし、と思って待っていると。
「なんじゃ貴様、この屋敷に何か用か?」
「あれ、どこから……えっ?」
 いきなり門の屋根から飛び降りてきたのは、白い和服を着た7歳くらいのちっちゃな女の子だった。変な模様の仮面で顔の半分を隠した女の子を追いかけるように、塀の上から子猫たちが降りてきてニャーニャーと女の子の周囲にまとわりつく。わっ、ひょっとしてこの子が、このお屋敷の子なのかな?
「こ、こんにちは。あなた、この家の子? ねぇ、おうちの人を呼んでくれないかしら?」
「先に名を名乗れ、全く近頃のガキは躾がなっとらん」
「…………」
 な、なんなんだろこの尊大な態度! まだ6つか7つのはずなのにこの威圧感、さすがは大金持ちの家の子だわ……まぁこっちも客商売だし、ここで喧嘩してもつまらないよね。
「ごめんね、私は京橋ヨミ、お花屋さんからお花を届けにきたの。ね、お母さんは中に居る?」
「花? ああ、そういえば九重このえが活け花をするとか言っとったかの。どれじゃ、その花は」
「え、えぇ、ここに持ってきてるけど……ねぇ、お母さんを呼んできてくれない?」
「だからワシが受け取ってやると言っておろう。あの九重のことじゃ、今朝言ったことなどケロッと忘れとるじゃろうからな」
 あくまでも偉そうな態度を崩さない白服の女の子。う〜ん私も商売だし、訳の分からない子に大事なお花を渡すわけには行かないんだけどな。
「ねぇ、あなた本当にこの家の子?」
「何をバカなことを。前当主のワシが受け取ってやると言うとるんじゃ。さっさと渡せ、このハナ垂れ小娘めが」
「ちょっ……そんな汚い言葉を使っちゃダメだよ、お母さんに怒られちゃうじゃない」
「お母さんお母さんとうるさいのぅ。九重このえ初穂はつほや伊澄と違ってワシは記念SSに出番が無かったんじゃ、そう邪険にするでない」
「????」
 訳の分からないことを喋りながら小さな手を差し出す女の子。ここまで話の通じない子は相手にしないほうがいいかも、と私が身構えた途端、背中の自転車がガチャンと音を立てて倒れた。振り向いた先にはさっきの子猫が、自転車の籠にさしてた商売用のお花をくわえて空中へと飛び上がろうとするところだった。
「ちょっと、ダメッ、この泥棒猫!」
「泥棒ではないわい、お前こそ若いくせに、はしたない言葉を使いおって」
 私が手を伸ばすより早く、ジャンプした子猫は私の頭上を軽々と跳び越す。その子猫を受け止めた小さな女の子が、呆れたように私の言葉にツッコミを入れた。そして二の句の告げない私の目の前に、懐から取り出した札束をドンと放り投げる。
「三百万もあれば足りるじゃろ。釣りはいらん、それじゃの」
「え、え、困るよ、こんなのいきなり渡されたって!」
 なんなの、この展開? お金が足りる足りないとかより、あなたは何者、私どうなっちゃうの?
 軽くパニック状態に陥った私を放ったらかして背を向けた女の子は、そのまま門を開けてお屋敷の中に入っていってしまった。居並んだ黒服の人たちが「大お婆さま」「銀華さま」とか言いながら神妙に頭を下げる中を、例の尊大な態度のままで歩いていく女の子。そして私が口をパクパクと震えさせたまま金縛りのように立ち尽くす目の前で、大きな門がギギィと閉まってしまって……後には分厚い札束と、千々に散らされた花びらとがヒラヒラと舞っていた。


 気を取り直して3軒目。お花は半分散らされちゃったけど、私を待ってくれてるお客さんは他にもいる。
 次に自転車を向けたのは『愛沢』っていう、これまた大きなお屋敷だった。ここにも私と同じ歳の女の子がいるんだけど、この子は割と社交的で私とも気が合う。会いにくるのが楽しみなお屋敷だった。でも残念なことに、今回はタイミングが悪かったみたい。
「申し訳ありません、咲夜お嬢様は旅行に出ておりまして……」
「そうなんですか……」
 黒服の執事さんに頭を下げられて、ちょっとブルーになった私。前のお屋敷がお屋敷だっただけに、楽しいお喋りをして気を紛らわせたかったんだけどな……そう思った矢先に、黄色い声が私の名前を呼んでくれた。
「ヨミ姉ちゃんや!」
「わーい、ヨミ姉ちゃんや姉ちゃんや! ねー遊んで遊んで!!」
 咲夜ちゃんの妹の、夕華ゆうかちゃんと葉織はおりちゃん。この子たちも私の大切なお友達。
「わー、久しぶりねー、元気だった?」
「うん、元気元気、ばっちりや!」
「よぉ言うわ、サク姉ちゃんがウチら置いてベガスに行ってしもた言うて、さっきまで泣いとったくせに」
「泣いてへんもん、ゆーゆの意地悪!」
 きゃっきゃっと姉妹喧嘩を始める夕華ちゃんと葉織ちゃん。なんか良いな、こういう仲のいい姉妹って。
「あの、このお花、花びんに活けてあげていいですか?」
「あ、いえ、ここで私どもに預けてくれればそれで……」
「えっ、ヨミ姉ちゃん自分でお花を活けに来てくれんのん? やったー♪」
「ちょー待っとってな、おもちゃ片付けてくるさかい。行くで、はーちゃん」
「ラジャー!」
 小さな女の子たちはものすごい勢いでお屋敷へと駆け戻っていった。私は苦い顔をする執事さんたちに軽くウインクをしてから、両手にお花を抱えたまま愛沢家の門をくぐってお屋敷へと向かったのだった。


「ヨミ姉ちゃん、こっちやこっち! ゲームやろゲーム!」
「ヨミ姉ちゃん、クッキーあるで煎餅せんべいもあるで! ほら早ぅ早ぅ」
「あはは……」
 お花を花びんに活けるなんてのは口実にすぎなくて。お花を飾り終えた私はスカートを引っ張る夕華ちゃんたちに促されて、ふかふかの絨毯に寝そべりながらゲームや絵本読みの相手をしてあげることになった。
 さっきの家の尊大で古風な口調の女の子に比べれば、夕華ちゃんたちは天使みたいに可愛い。優しいお姉さんたちに可愛がられて育てられた甘えんぼの妹たちが、本当のお姉さんを慕うように私の背中にしがみつき頬を摺り寄せてくる。私もこういう子たちは大好きだし、滅多にない機会だから精一杯可愛がってあげたいと思う。なんだか仕事中だってことを忘れてしまいそう。
 と、そこに。
「やぁ京橋さん、わざわざ済まないねぇ、娘たちの相手までさせてしまって」
「あ、いえいえ、私も子ども大好きですし」
「ウチもヨミ姉ちゃん好きやで〜!」
「ウチも〜」
 照れくさそうに顔を出してきたお屋敷のご主人……夕華ちゃんたちのお父さんに向かって、私は愛想よく返事をした。ところが葉織ちゃんたちの甘える声を聞いて、ご主人の表情が曇る。
「うぅ、男親なんてつまらないよねぇ……娘がなついてくれるのなんて、ほんのわずかな間だけ。今じゃ粗大ゴミ扱いだし」
「そ、そんなことは……」
「ふ〜んだ、お父ちゃん、つまらんダジャレばっかりしかよぉ言わんねんもん、面白ないわ」
「そーやそーや」
 愚痴モードに入りかけたご主人を私があわててフォローしたって言うのに、娘たち2人が傷口に塩をグリグリと擦り込んでいく。思春期の娘がお父さんを恥ずかしがる気持ちは私も分かるけど、娘4人にこういう扱いされちゃキツイよね。
「あ、あのぉ……」
「な、なぁに、いいんですよ京橋さん。ウチはこうやって欠点をいじりあうのが家風なのでね」
 ……さすがはご主人、打たれ強さは天下一品。私が感心していると、ご主人は背中から白い封筒みたいなものを取り出した。
「それじゃお世話になってる京橋さんに、ちょっとしたプレゼントをあげよう。仕事中だろうから嵩張らないものをと思ってね」
「……日めくりカレンダー、ですか? 今日はお正月じゃなくて、もう4月の末なんですけど……」
「いやいや、あなたとウチの子との絆になればと思ってね。コ、ヨミ(暦)……なんちゃって」
「お父ちゃん、寒いわ!!」
 豪快な破裂音とともに、笑顔を浮かべたままご主人は膝から崩れ落ちた。倒れ伏すご主人の周囲には頭にぶつけられた花瓶と、そこに入っていたお水、そして飾ったばかりの花束が無残な姿をさらしていた。


 昼過ぎまで愛沢家に長居をしてしまった私は、4軒目のお客さん宅へと自転車を走らせていた。自転車の籠には2軒目と3軒目で散らされた花束の残骸が無造作に詰め込まれている。普通だったらもう売り物にならないお花なんだけど、これから行くお客さんはこういうのがお望みなんだって。
 ピンポーン。
「こんにちは、ミスター園芸道です」
「は〜い」
 元気な声とともに飛び出してきたのは、大きな目をした10歳の男の子。このお屋敷の執事見習いさんだと初めて会ったときは思い込んでて、あとで正体を聞いてびっくりしたのを覚えてる。何を隠そう、この子が大河内家の1人息子、大河内大河おおこうち たいがくんなのだ。
「こんにちは、ヨミお姉ちゃん。綺麗なお花をどうもありがとう」
「はい、こんにちは。これが注文のお花と……それとこれが、大河くん向けのサービス」
「うわっ、花びらが一杯! すごいすごい、先にむしっておいてくれたんだ! ありがとうヨミお姉ちゃん」
 礼儀正しい大河くん、散り散りになってたのをかき集めた花びらの袋を受け取って破願する。う〜ん、なんか売り物にならないのを押し付けてるみたいで気が引けるんだけど……大河くんはこういうのを喜ぶ子なんだよね。
「これはこれは、お花屋さんの京橋さん。いつもご苦労様です」
「あ、氷室さん……い、いえ、別にそんなこと……」
 続いて現れたのは背の高いイケメン執事、冴木氷室さん。優雅な身のこなしでお辞儀をする氷室さんの隣で、大河くんは受け取ったばかりの花びらをさっそく宙へと撒いている。こうやって少女漫画みたいに氷室さんの背後を花びらで飾り立ててるのが、大河くんの趣味らしいんだ。これも最初に聞いたときは驚いたんだけど。
「いや、あなたのように若くて美しい方がお1人で懸命に働いてらっしゃるなんて、私も見習わなくちゃなりません」
「あ、いえ、そんなこと……」
「せっかくですからお茶でもどうぞ。大河坊ちゃん、用意をしてくれませんか」
「はぁ〜い!」
 氷室さんの指示を受けて、楽しそうにお屋敷へと駆けていく大河くん。こういう光景を見てるとどっちが主人でどっちが執事か分からなくなるんだけど、さすがにもう慣れちゃった。どうやら大河くん自身がこういう生活を望んでて、氷室さんはそんな大河くんの望みをかなえるのが仕事なんだって。


 それから白いテラスに案内されて、氷室さんと向かい合わせでコーヒーを飲ませてもらう。もちろんコーヒーを煎るのも給仕するのも大河くんの役目。せっせと動き回って楽しそうに働いている大河くんの姿は、本当によく似合っていて微笑ましい。本来の立場にさえ目をつぶってしまえば、なんだけど。
「京橋さんはゴールデンウイークに、どこかに行かれるんですか?」
「あ、いえ、別に……」
 二枚目の氷室さんに面と向かって問いかけられると、知らず知らずに頬が熱くなる。これはひょっとして誘われてるのかな、なんて思ったりしちゃう。もっと気の聞いた返事をすればよかったかな、と口に出してから後悔なんかしていると、
「そうですか。京橋さんはこの街のアイドルさんですからね、あなたの笑顔に元気付けられてる人たちもきっと多いでしょう」
「は、はぁ……」
 私の淡い期待をばっさりと切り捨てる氷室さん。するとテーブルの脇に立っていた大河くんが私に話しかけてきた。
「ねぇ、ヨミお姉ちゃん。明日でいいんだけど、僕の知り合いにお花を届けてあげてくれないかな?」
「まぁ、お友達にお花を?」
「お友達じゃないけど……ちょっと可哀相な人がいるんだよ。いつも傍にいた執事の人が春から外国に行っちゃって、それ以来ずっと塞ぎ込んじゃってて」
 大河くん、なんて優しい子なんだろう……もらい泣きしそうになった私を現実に引き戻したのは、氷室さんの辛辣きわまる一言だった。
「あんなやつ、構ってやる必要はありませんよ」
「……え、氷室さん?」
「いいじゃないヒムロ、確かにあいつはグズでノロマな亀だけどさ」
「野々原さんがいなくなった途端に引きこもりになるようなやつなんか、放っておけばいいんです。どうせ友人を作る気概も女の子に声をかける勇気もなく塞ぎこんでるクズ男なんだから……野々原さんもそのつもりで突き放してるんですから、京橋さんも甘い顔してやる必要なんてないんですよ」
「は、はぁ……」
「で、でもさ……」
 うぅ、二枚目の男の人が辛辣な言葉を吐くのがこんなに怖いなんてっ! 胸に針金を刺されたような悪寒を感じながら、私は大河くんから“東宮”というお屋敷の住所と電話番号を書いたメモを受け取ったのだった。


 氷室さんの家……じゃない、大河くんの家からの帰り道。私はとぼとぼと自転車を走らせていた。
 ちょっと憧れてた氷室さんのブラックな一面を見て、なんだか怖くなってきた私。あれだけ完璧な氷室さんともなると、お友達や恋人を見る眼も厳しいんだなぁって。ひょっとしたら私のことも、カボチャかタンポポくらいにしか見えてないのかもしれない。物腰が優しかっただけに底が見えない人なんだもの。
 物凄く格好いい人だけど、恋人として隣に並ぶのは釣り合わないというか、なんか気が引けちゃうな。どうせだったらもっと気楽に付き合えて、肩肘張らずにお喋りできる、そんな男の人のほうがいいのかなぁ……そう、例えばハヤテさんみたいな……。
 ……って、えっ、えぇっ!! なんでハヤテさんの顔なんかが浮かんでくるわけ?
 よろけて転びそうになった私はあわてて自転車のブレーキを握ると、立ち止まってそっと手を頬に当てた。春の日差しが沈んで冷気が差し始めた4月の夕暮れの中、私のほっぺたは燃えるように熱くなっていた。


 こんな気分でお店になんて帰れない。お客さん周りも終わったことだし、気晴らしにショッピングにでも行こう。
 携帯でお店に連絡を入れた私は、その足で伊勢丹へと向かった。そしてあちこちをブラブラと眺め歩いて、ふと下着売り場へと入ったとき。
《ええっ、ハ、ハヤテさんが何でここへ?》
 なんという偶然だろう。女性用の下着を手にしてるハヤテさんと私は、ぴたっと目を合わせてしまった。目をまん丸に見開いたハヤテさんの手が震えてる。見られたハヤテさんもショックだろうけど私もショックだった。さっき意識したばかりのハヤテさんと、よりによってこんなとこで顔を合わせるなんて!
「ご、ごめんなさいっ!」
 この言葉を口にしたのはどっちだっただろう。私は顔を伏せて一目散にその場を逃げ出したのだった。


 その後。そっと物陰から覗き込んでみると、ハヤテさんは1人でお店に来てた訳じゃなかった。大河くんくらいの小さな女の子がそばにいて、あれこれとハヤテさんに指示を送ってる。まだ顔を合わせたことはなかったけど、ひょっとしたらあの子が、ハヤテさんの勤める三千院家のお嬢さまなのかも知れない。
《執事さんって……あんなことも、するんだぁ……》
 変態さんかと誤解しかけたハヤテさんが女の子の命令に従ってるだけとわかって、私はちょっとだけほっとした。そっかぁ、あの子に連れられてハヤテさん、ランジェリーショップまで連れてこられたのね。なんか気の毒だなぁ、男の人なのに小さな女の子のわがままに付き合わされて。
 ……と、そう考えた所で私の頭に雷光がひらめいた。
《そっか、小さい女の子だったら友達になれるかも!》
 鷺ノ宮家で出会った子、愛沢家の夕華ちゃんたち、そして大河くんの顔が走馬灯みたいに浮かんできた。あの金髪の女の子も似たような年代みたいだもんね、よぉし頑張ってお友達になろう! 将を射んとすれば馬からって言うじゃない、そうすればハヤテさんとだってもっと仲良くなれるかも知れないし!


 こうして私は浮かれ気分で伊勢丹を後にしたのだった。ハヤテさんの連れてた子が私と1歳しか違わない現役高校生で、自己紹介したときに刺し殺されそうな視線を向けられることになるなんて、このときの私は想像もしていなかった。


Fin.

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