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ハヤヒナ結婚後に待ち受ける超不幸

初出 2017年03月03日@止まり木ハヤヒナ合同本vol.2
サイト転載 2017年03月06日
written by 双剣士 (WebSite)
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 「ハヤテのごとく!」第四巻から登場する人気キャラ、桂ヒナギク。
 主人公の同級生にして白皇学院生徒会長を務める彼女は、容姿端麗・文武両道・高い戦闘力を備えつつも世話焼き気質でツンデレと、読者の人気を集める要因を数多く持っている。戸惑いながらも主人公を好きになっていく過程が作中で丁寧に描かれたキャラであり、「幼少時に親に捨てられた記憶」という主人公と重なる一面すら備えている。
 そしてそれでいながら、作中本編で主人公と恋仲になる可能性は皆無。それらしき契機は何度も出てくるものの、当人の性格とハヤテの気質、彼女たちを取り巻く状況などがマイナスに働き、西沢歩に裏切りの告白をした単行本十四巻から最新の五十巻に至るまで恋愛面の進展は一切無し。まさしく「失われた十年」を体現していると言っていい存在である。筆者は十年ほど前に「桂ヒナギクはヒロイン予備軍ではなく、単なるネタキャラである」と某所で私見を表明してハヤテファンの一部から距離を置かれたことがあるが、今にしてみればそれは「不愉快なひねくれ解釈」ではなく「多くの人が目をそらしていた残酷な未来予想図」であったのだろう。
 作中随一の人気キャラが延々と足踏みを繰り返すさまを見て、読者がもどかしく思うのは無理からぬところである。それゆえであろうか、ヒナギクがハヤテと恋仲になることをゴールとした「ハヤヒナ」と呼ばれるジャンルはハヤテ二次創作界では早くから人気筆頭であり、小説/コミック/イラストを含め幾多の名作が生み出されてきた。
 なにを隠そう、あなた方がいま手に取っている電子書籍も、そうして生み出された創作群のひとつである。

 ここで、筆者は一石を投じたい。
 ハヤテの人生観、ヒナギクの子供理論、そして三千院ナギや天王州アテネの存在とそれの超越……ハヤテとヒナギクが一緒になるための障害は原作中に明示されておりそれを乗り越えることが二次創作者の腕の見せ所であるわけだが、その後についてはどうであろうか?
 あれだけの障害を乗り越えて二人で育んだ絆があるのだから、きっと末永く幸せに暮らしたに違いない……そう願うあまり思考停止をしていた面はなかっただろうか?
 そんな簡単に済むわけがない。
 シンデレラや白雪姫が王子様の后となったヒロインのその後を語らないように、ロミオとジュリエットが両者の自殺という形で幕を引かざるを得なかったように……障害の克服を愛の成就と同一視したカップルのその後については、世間ではあえて触れないことが不文律とされている。
 本考察ではあえて、その点に踏み込んでみようと思う。結論を最初に述べると以下になる。
   【 ハヤテとヒナギクの新婚生活、崩壊必至 】
 紙面の都合もあるので、本稿ではその理由のうち三つを述べさせていただく。


【1】 厄介な親族に対する態度の相違

 綾崎ハヤテは、世間はおろか実の息子に対しても犯罪行為をためらわない猛毒の両親を抱えている。桂ヒナギクも金遣いが荒くお世辞にも生徒の模範とは言えない姉を抱えている。二人が結婚すると言うことは、そういった厄介な親族とも縁を結ばざるを得ないと言うことである。
 もっともそれ自体は二人の破局要因にはならない。お互いがそういう境遇であることを二人は相手に隠していないし、基本的に真面目で優秀である彼らはヒモの二〜三人を抱えたくらいで赤貧生活に落ちることもないだろう。
 問題は厄介な親族の存在自体ではなく、それに対する二人の態度の相違である。

「あなたの……ご両親のことなんだけど……ご両親が借金を押しつけていなくなった時……どう思った?」
「へ? いや、どうって……ヒドい親だな〜って……子供捨てるなんて人として最低だし……こんなろくでなし他にいないって言うか……」
「……」
「ま、人間失格ですよね。人間……」
「理由が!!」
「……? へ?」
「理由があったんじゃないかって……思わなかった?」
※ 単行本九巻より抜粋

 綾崎ハヤテは既に両親のことを切り捨てている。兄のことは慕っているものの、第一巻で臓器を売り飛ばされそうになった時も兄の名を呼んだりはしない。自分は天涯孤独で頼れる親族は誰も居ないというのがハヤテの人生観であり、だからこそ借金のカタに四十年の労働を余儀なくされても潮見高校からの転校を勝手に決められても、さほど抵抗することなく受け入れている。また親しい友人が出来ても、その友人の親族に気を遣ったりはしない(雪路しかり虎鉄しかり)。ハヤテはおそらく結婚後に金欠親族がすり寄ってきても、黙って逃げ出したり通報できるくらいに心が冷めているのであろう。
 桂ヒナギクはそうではない。自分を捨てた両親に会いたい許したいと心のどこかで思っており、さんざん迷惑を掛けられている姉・雪路のことも怒鳴ったりはするものの見捨てることなど決して出来ないタイプである。なのでヒナギクは自分たちの結婚式に双方の親を当然呼びたがるだろうし、ハヤテが「あんな親は呼ばなくていい」と言ったとしてもハヤテ両親が連絡を取ってきたらこっそり連絡先と結婚式会場を教えてしまう、そういう一縷の望みを捨てきれない性格の持ち主である。
 こんな二人が結婚したらどうなるか?

「なんであいつらを呼んだんだよ!? 僕の親には連絡するなって言っただろ?」
「ごめんなさい、でも一生に一度のことだし、ご両親も反省してるみたいだったから……」
「あの両親が反省なんかするもんか! これじゃ入籍後に僕らが姿を消しても、ヒナギクさんのご両親を辿ってあの親どもは近づいてくるぞ! なんてことしてくれたんだよ!」
「で、でも会いたくても会えない親だって居るんだし……自分の息子に冷たくあしらわれて、きっとご両親も寂しいんじゃないかって思うのよ。それに歳を取ったらご両親だって丸くなって、お金より安定を求めるようになるかも知れないし」
「あの親が改心なんかするもんか! 天地神明に誓ってあり得ない!」

 お互いのことなら理解も妥協もできるが、この点だけは譲れない。恋人から結婚に進むにあたり、こういう両者の相違が致命傷になる確率は決して低くないと思われるのである。


【2】 幸運の有無に伴う人生観の相違

 綾崎ハヤテの人生は不運の連続である。まるで死神に魅入られたかのような運のなさは原作中で何度も描写されている。それでもめげずに自転車便やマンガ投稿で生活費を稼ぎ、三千院家に務めてからは老練の執事長を空気化するほどの高い執事スキルを発揮。いわば彼は逆境を通じて自らを磨き、自分の立ち位置を築き上げてきたと言えるだろう。なので彼は「出来ない子」に優しい。勉強の出来ない瀬川泉にしてもマンガの下手な三千院ナギにしても、ハヤテは腐ることなく手助けやアドバイスをしている(当人に有効かどうかはともかく)。雲の上の存在に見えた現役アイドル・水蓮寺ルカがお弁当をねだったり自転車に乗れず泣きついてきた時にも、忙しい中で時間を作って対応している。
 一方の桂ヒナギクは幸運に包まれて生きてきた少女である。幼少期に両親の蒸発という悲劇があったにせよ、面倒見の良い姉と養父母、順風満帆の学業と剣道部、一年生にして生徒会長を務めるほどの人望、宝くじであっさり十万円を当てスケルトントランプでは配られた時点でロイヤルストレートフラッシュという爆運……絶え間ない努力と強運で何もかもを手に入れてきたと言っていい。あえて言うなら「好きな人に気づいてもらえない」が貴重な挫折経験になるはずだったのだが……本稿ではヒナギクの恋心が成就したという前提に立つので、これも成功経験にカウントされることになるだろう。
 この通り何から何まで対照的な二人は、普通なら嫉妬心や自嘲心が邪魔をして親密になれないことが多いのだが、幸いにして原作中の二人にそういった感情の発露はない。生き方が異なるからと言って自分のやり方を押しつける傲慢さもない。なので恋人であるうちは、この二人に大きな破綻は訪れないだろう。
 問題は、彼らが人生を賭けた共同作業……子育てをする段階に直面した時である。努力すればどこまでも高みに登れると信じている母親と、頑張っても出来ないことはあり状況に応じて身を処すことが肝要と考える父親。教育方針を巡って言い争う二人の姿が今から目に浮かぶようである。

「三十点って、なんなのこの点数! 満点を取れとは言わないけど、基礎をしっかりやれば七十点は取れるはずよ? しっかり覚えるまで寝かせませんからね!」
「無茶言うなよヒナギク。誰にだって得手不得手はあるし、将来そっちに進むとは限らないんだから。それより身体を壊さないことが大事だろ」
「もう、そうやって甘やかすからこの子が調子に乗るのよ! 一日ほんの五〜六時間程度の勉強するだけなんだから!」
「まま、こわい〜」
「よしよし、大丈夫だからもう寝なさい……最期に笑うのは強いやつでも賢いやつでもない、ひたむきでマジメなやつなんだからな」
「ひたむきでマジメに続けていたら、強くも賢くもなれるのよ! 真面目さは目的じゃなくて過程! 子供に変なこと教えないで!」

 母親の聡明さと強運を子供が受け継いでいればまだしも、そうでなかったら虐待に直結しかねない地獄絵図である。
 しかももし子供が二人で、一方が幸運を、一方が不運を受け継いでいたとしたら……家庭分裂に至る日も待ったなしではないだろうか。
 雪路がヒナギクに対して心配しているのは、こういう融通の効かなさなのではないかと筆者は想像する次第である。


【3】 壊滅的なネーミングセンスのなさ

 最後に挙げるのは、ヒナギクの数少ない欠点のひとつ「ネーミングセンスのなさ」である。ここまでハヤテとヒナギクの噛み合わない面を強調してきたが、この点に関してだけは両者は同レベル。二人揃って「アーたん」である。
 通常ならこれは愛嬌の範疇に過ぎない。千桜のことをハル子と呼ぼうがタヌキのことをポコ吉と呼ぼうが、周囲にヒソヒソされることはあっても二人の仲に亀裂は入らない。だが結婚して子供を授かる段階になると、この欠点が急浮上することになる。さすがにペットのような名付け方はしないとしても……。

「ハヤ子」
「ハヤギク」
「ユキテ」
「ヒナジ」
「ヒナ太」

 キラキラネームとは次元の異なる惨状が今から目に浮かぶようである。ヒナママは喜々として正統派キラキラネームを提案してきそうだし、イクサ兄はアルファベットを逆さまにした名前を言い出しかねない。要はブレーキ役になる年長者が彼らには居ないのだ。迷惑なのは当の子供たちである。センスゼロの名前をつけられて、一生それを背負っていかなくてはならないのだから……。

 ん? ヒナ太? ひなた?

 なんということでしょう。
 止まり木の前身たる「ひなたのゆめ」の名前がここで出てくるとは!
 そうするとあれか、「ひなたのゆめ」がハヤヒナ小説にあふれて小説掲示板がメインとサブに分裂する事態にまでなったのは、この未来図を暗示していたのか? 二人の子供であるヒナ太が自分の出生を確認し自信を取り戻そうと、未来時空からやってきて当時のハヤテファンの脳に働きかけハヤヒナ小説を量産させたのが「ひなたのゆめ」サブ小説掲示板が隆盛を誇ったあの時代の真相だったのだろうか?
 ハヤヒナの未来を考察していたつもりが、未来人まで巻き込んだ陰謀の一端を明かすことになろうとは! これは評論など書いている場合ではない、急いで構想をまとめてムーに投稿しなくては!
 おっ、何やらテレパシーで新しいメッセージが……。

「ネーミングセンス無いのはハヤテでもヒナギクでもなくて、この文章の筆者本人じゃね?」

 ちゃんちゃん。


Fin.

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