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たったひとつの本当

初出 2012年06月18日
written by 双剣士 (WebSite)
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 なんの取り柄もない自分の前に、訳知り顔の女の人が現れて。
 あなたにはすごいパワーが眠っている、今はそれを忘れているだけ、と告げられて。
 その失われた物を取り戻すため、平凡な日常を捨てて彼女と一緒に冒険の旅にでる。
 ……それは三文小説ではお決まりのオープニング。そして冒険の末に記憶と力を取り戻した主人公が昔の仲間と再会し、巨大な敵を倒してハッピーエンド。古今東西、おとぎ話なんてそんなもの。
 でもいざ自分がその立場になってみると……嬉しさなんて微塵も湧いてこないものですわね。


「待って、ちょっと待って! そんなこといきなり言われても訳が分かりませんわ!」
「あ、あの、落ち着いてください理事長……」
「りじちょーって何ですの? あなたは何者ですの? というか、私どうしてこんなところに居るんですのぉっ?!」
 私は両手で耳をふさぎながら頭を振った。見渡す限りの草原と、まだ倒壊の跡も真新しい石造りの建物の残骸。海に沈みかけている真っ赤な太陽と潮の匂いをたっぷり含んだ冷たい西風。私の目に映った最初の光景はそれが全てだった。ぶかぶかの黒いドレスをたぐり寄せながら風の冷たさに震えていたとき、その年上の女の人が現れて……誰? という問いに短く答えたアイカという女性は、矢継ぎ早にこれから私のなすべきことについて語り始めたのだった。だけどその中身は、あのときの私の頭に詰め込むには複雑すぎた。
「落ち着いて聞いてください。あなたは取り戻さなくてはならないのです、天王州アテネの記憶と力を」
「そんなひと知りませんわ! それより私どこに帰ればいいんですの? パパやママはどこにいるんですの?」
「あなたのご両親はとっくに亡くなられています。あなたは独力で今日までの地位を築いてこられたのです。ですからまずはそれを取り戻すのが先決……」
「いやあぁああぁっ!!!」
 独りぼっちで見知らぬ土地に放り出されて、知ってる人なんか誰もいなくて。唯一話しかけてくれた人からは“あなたには出来るはず、自分で何とかしろ”と突き放されて……風の冷たさとは別種の震えが私の全身を満たすのに時間はかからなかった。この世界には私を助けてくれる人なんて、誰ひとり居ないんだ!
「理事長……」
「近寄らないで!」
 この女性は私なんか見ていない、私の中に眠っている『てんのー何とかさん』に話しかけているだけ……私は警戒心をむき出しにして、黒いドレスを抱いたままジリジリと這い退がった。こんな人のモルモットになるくらいだったら1人で逃げた方がましだと思った。
「あなたの助けなんて要りません! 私は1人だって生きていけますわ!」
「無理ですよ、何もかも失った今のあなたでは……たとえ知り合いに会えたところで、今の姿のあなたではとても……」
「そ、そんなことありませんわ! パパやママならきっと……」
 売り言葉に買い言葉とばかりに反論した私は……直後に背筋が寒くなった。そういえばパパとママはどんな顔をしてたっけ? パパたちは私をなんと呼んでいましたっけ? いいえそもそも、私は何という名前で、元々はどこに住んでいたのでしたっけ?
 分からない、分からない、分からない、分からない、分からない、分からない、分からない、分からない、分からない……。
 身体の震えが止まらない。目の前の光景がグニャグニャに歪み、その後に訪れた暗黒の中でガチガチと鳴る奥歯の音だけが妙にはっきりと響いてくる。今どこにいるのか、これからどこに行くのか、自分は立っているのか座っているのか……自分を取り巻く何もかもが曖昧で空虚で嘘だらけ。自分以外は何一つ、信じられるものなどない世界。
 ……いえ、あの女性は言っていなかったっけ? 私自身ですら嘘の産物だと、てんのー何とかさんが戻ってくるまでの抜け殻だと。
「さぁ理事長、私と一緒に……」
「ひぃっ!!!」
 暗闇の中に差し込まれてきた白い腕から、私は反射的に飛び退いた。よくわからないけどあの腕に触れた途端、全てが終わってしまう気がした。あの手から逃れられるならどこでもいい。近づいてくる白い手の反対側に向かって、立ち上がった私は一目散に駆けだした。


 ……あれからどれくらい経っただろう。行く当てもなく草原を走り回った私は、陽が暮れて小雨が降り出すにつれて心細くなり、雨宿りできる場所を求めて石造りの廃墟へと戻ってきていた。アイカと名乗る女性はすでに姿を消していた。
「くたびれましたわ……」
 疲れ果てて柱の陰に座り込む。雨粒から逃れるまでは良かったけれど、背中とお尻から伝わる石の冷たさがジンジンと身体の芯に響いてきていた。黒いドレスを重ねて敷き布代わりにしてみたけれど、身体の震えは少しも収まりを見せなかった。そう、薄々は分かっていたのだ……この身体の震えが寒さからくるものだけではないことを。
「また独りになってしまいましたわね、私……」
 不意にそんな言葉が口をついて、あわてて口に手を当てる私。“また”って何? 以前にもこんなことがあったって言うの? ということは独りじゃなかった頃……誰かと一緒にいたころの記憶が、私の身体に眠っているというの?
「独りじゃない……独りは嫌……あなたと居たい……あなたと一緒にいたい!」
 つぶやくたびに懐かしさがこみ上げてくる。暖かさで胸がいっぱいになっていく。私は一心不乱に、空っぽの頭の隅々をひっかき回した。この気持ち、この温もりを確かに身体が覚えてる。私は独りぼっちじゃない、誰かが私のそばにいてくれた……それが無性に嬉しくて、でも思い出せないのが切なくて。
「……あぁ、思い出せない……誰、誰ですの……忘れてはいけない人のはずなのに」
 この世界にすがるもののない私にとって、それは初めて見つけた光明だった。アイカに押しつけられた道じゃなく、自分で見つけた道しるべ。なにか手がかりが欲しい、あの人を思い出す何かが……そう悩みながら頭を抱えたとき、ふと胸元から小さな光が漏れた。
「……ペンダント……?」
 見覚えのない大きめのペンダント。だが考える前に身体がその扱いを覚えていた。開いたペンダントの中から飛び出してきたのはキラキラ光るリングと小さな紙片。その紙にはこう書かれてあった。

   「親愛なるおチビさん
    寂しくてたまらなくなったらこの指輪をして、この人の名前を呼びなさい
    世界のどこにいても、この人だけはあなたの味方よ」


 私が一番欲しかった言葉が、そこにはあった。てんのー何とかさんの記憶なんかに興味はないけれど、この名前だけは切実に欲しかったのだ。私は大きすぎる指輪に震える薬指を差し込むと、漆黒の雨空に向かって大声を張り上げた。
「ハヤテェェーーッ!!」
 その瞬間、身体の震えが一瞬で吹き飛ぶのが分かった。間違いない、身体がこの名前を覚えてる、以前こうして叫んだのを覚えてる! 顔も話し声も覚えていないけれど、名前だけでも私にこんなに勇気をくれる!
「ハヤテェェーーッ!! ハヤテェェーーッ!! ハヤテェェーーッ!!」
 ようやく手に入れた大切なもの。世界で唯一信じられるもの。私は声が枯れるまで、顔も知らないその人の名前を叫び続けたのだった。


「ここにいましたか、理事長」
 やがて私の叫び声につられてか、アイカという女性が私の前に歩み寄る。私はもう逃げ出したりはしなかった。伸ばしてきた白い手を無視して、私は彼女の顔を正面から見上げた。
「ハヤテに会えますの?」
「……えっ?」
「あなたの言うとおりにしたら、ハヤテに会わせてくれますの?」
 アイカはしばし目を白黒させながら、口元をゴニョゴニョとさせていたが……やがて自信にあふれた瞳で頷いてくれた。
「ええ、綾崎く……ハヤテ君に会えるわよ、一緒に日本に帰れば」
「だったら日本に行く! 連れてって、アイカ」
 私にもう迷いはなかった。


 それからしばらくして。日本の地を踏んだ愛歌と私は、白桜の持ち主だという女の子の前で茶番を演じていた。
「この子は私が預かっている、とある国のお姫さまなのよ」
 姿の変わった私が異国に住むための建前として、偽の名前と身分が愛歌から与えられた。記憶と力を取り戻すためにはパワースポットと白桜が必要だからと言うので、それを手元に置くための大義名分も用意してもらった。話を合わせる都合があると言うので私もその設定を暗記することになった。
「まぁいろいろと大変なのですよ。『王族』というのも」
 しゃあしゃあと嘘を言うのは好きではないけど、そうしなければ記憶を取り戻せないと愛歌が言うなら仕方ない。記憶を取り戻すことがどうしてそんなに大事なのか私にはよく分からないけれど、日本に来るためには愛歌の言い分を丸飲みするしかなかったのだ。
 それにしても肝心のハヤテはどこにいるのだろう。早く会いたいのに。
「でも、お姫さまをそんなに連れ回して大丈夫なんですか?」
「ええ。でもまだ住むところも決まってないのよ。決まりで普通の家に住まなくてはならないらしくて」
 愛歌の大ボラはまだ続く。どうやらここは愛歌の知り合いが通う学校らしい。ちょっぴり疎外感を感じた私は半ば上の空で会話の行く末を眺めていたのだった……あるキーワードが、愛歌の言葉に混じるまでは。
「正直に言うと……ハヤテ君みたいな執事が居てくれると嬉しいのだけれど」
「……ハヤテ?!」
 思わず上げてしまった私の声に、ピクッと顔を上げた男の子が1人。それはさっき「パパ〜」と呼んでからかったばかりの貧相な顔をした少年だった。私はその少年に向き直ると、まっすぐに彼の顔を見上げた。
「あなた……執事をやっているの?」
「あ……はい……」
 この人がハヤテ?
 あまりの呆気なさに私は半信半疑だった。確かに愛歌は約束を守ってくれたことになるけれど……なんというか、もっと感動的な出会いになると思っていた私としては拍子抜けもいいところだったのだ。「世界でただ1人の味方」と言うほど頼り甲斐のあるタイプにも見えないし。
「そう……だったら……」
 本物のハヤテなのか単なる同名の少年か、急いで確認する必要がある。でも今の私は彼との思い出など何も覚えていないし、そもそも身分を偽っている立場でもあった。こんな大事な場面で切れるカードは、たったひとつしかない。
「私の執事をやってくださるなら……これをあなたにあげますわ」
「え?」
 ここが勝負だと思った。もし外したら取り返しのつかない賭けでもあった。私はあの晩から秘かに心の支えにしていた、愛歌にも内緒のままでいた1本の指輪を彼の手に差し出しながら、恐る恐る彼の顔を見上げた。
「それは私の……愛の証です」
 その効果は劇的だった。彼は一瞬にして顔色を変え、その後には嬉しいような困ったような……だが明らかに何かを確信したような表情が戻ってきた。そしてそんな彼の顔を目の当たりにして、私はそれまでの緊張が淡雪のように消え去っていくのを感じていた。
 間違いない。この人がハヤテだ。
 この人について行けば安心なんだ。
 張りつめたものの抜けた私の胸に、暖かな幸せがあふれてきた。もうお姫さまを装って難しい顔をし続ける余裕などなくなっていた。私は指輪を握った彼の手を両手で握ると、隠しきれない嬉しさを込めた瞳で彼に最初のお願いをした。

「私の執事を、やってくれません?」


Fin.

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